「フル盛りプレート」

◎週末はグルメ情報!!今週はかつや新メニュー

 とんかつ専門チェーンの「かつや」では、新メニューの「フル盛りプレート」が5月10日(金)より期間限定で販売が始まりました。主役級のおかずを“全力足し算”した一品で、税込869円です。私は早速翌日、病院の検査をクリアした(退院以来一度も引っかかっていません!)その足でお邪魔してきました。

  カレーとご飯の上に、何とハンバーグカツベーコンエッグエビフライから揚げ千切りキャベツが乗った夢のワンプレートです。聞きなじみのないハンバーグカツについては、広報担当者は「『フル盛りプレート』に合うように特別に開発した」と説明しています。そのレシピなどは企業秘密だが、少なくともメンチカツとは似て非なるものだと言います。食べてみると、肉感がびっしりという印象を持ちました。独創的なメニューを生みだし続ける「かつや」らしい“夢のプレート”に、SNSでは「これはボリューム最強」「相変わらずのかつやさん」「実食楽しみ」「大人のお子様ランチだ」「男の夢みたいなワンプレート」「金曜日行こ」などと発売開始を待ち望む声が多く見られました。

 揚げ物が3種類に、目玉焼きまでついているのですから、いつものトンカツに比べて注文してから出来上がるまで多少の時間はかかります。ワンプレートにありとあらゆる料理が盛りつけられた様は、まさに大人向けのランチプレートです。スパイシー感のあるカレーは美味しく、ベーコンエッグカレーとして食べるとまろやかで秀逸です。スプーンで触れただけで割れて、溢れ出る半熟の黄身は、ハンバーグカツにつけて食べると至福です。しかし、美味しく食べながらも、「これは食べ切れるのだろうか?」という一抹の不安が、常に頭のどこかでゆらゆらしています。おまけに大好きな「豚汁」(小、165円))も頼んでしまいましたから。どの揚げ物も普通に一人前ですし、ご飯も普通盛りだけど、よく考えればかつやクオリティの普通盛りなのです。普通に多めです。プリプリの海老フライも美味しいですから(タルタルソースが付いていればなお良かった)。大きめのから揚げもジューシーですから。結果的にいつもより食事時間は長くかかりましたが、最後まで美味しく食べきることができました(途中、少し負けそうになりましたが……)。満腹です。開店(10時30分)とほぼ同時にたくさんのお客さんが入って来られましたが、その全員が「フル盛りプレート」を頼んでおられましたのでその人気ぶりが分かります。

 ちなみに、「かつや」はかつて2021年10月に、ロースカツ、ヒレカツ、メンチカツ、エビフライを“全部乗せ”した異色メニュー「全部のせソースカツ丼」を、2022年5月にも、オムカレーエビフライ、タルタルチキンカツウインナーを一皿に盛りつけた「大人様ランチ」を期間限定で販売したことがあります。

 暦の上では夏を迎え、体感でも暑さにまだ慣れないこの時期は、何を食べようか迷ってしまう時にも、食事の時間を楽しんで欲しいと考え、「全力足し算」で誕生したのが「フル盛りプレート」とのことです。エビフライ、から揚げカレーなど老若男女に好まれるおかずを一皿に盛り合わせ、さらにこれまで期間限定メニューで登場し人気を博したというベーコンエッグハンバーグカツを添えています「フル盛りプレート」は、店内飲食だけでなくお弁当としてテイクアウトでも利用することができます。同社では「主役級のおかずが集合すると、どれから食べようかとワクワクしながら思わず笑顔に。充実した食事の時間をお過ごしいただける一品です」と語っています。まさに「大人のお子様ランチ」と言ってよいでしょう。帰りには「ポテトコロッケ」(97円)「メンチカツ」(205円)をテイクアウトで持って帰りました。♥♥♥

 

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小林誠司の活躍!

 今活躍中の巨人小林誠司(こばやしせいじ)捕手(34歳)を取り上げます。もう何年ぶりでしょうか?小林誠司捕手が神宮球場でヒーローインタビューに呼ばれました。気の毒なくらいに打てないことでその名を轟かせていた巨人小林誠司捕手が、開幕6戦目となった4月4日の中日戦で、336日ぶりにスタメンマスクをかぶりました。この日の先発は同学年の盟友、菅野智之投手(34歳)。2022年6月17日の中日戦以来、657日ぶりとなる先発バッテリーに、球場は大いに沸き上がりました。菅野もベテランのリードに心の余裕ができたのか、この日は7回を投げ、打者23人に対して被安打4、自責点0で勝利投手となりました。菅野「(小林)誠司がうまくリードしてくれた。感謝です」

 4月12日には、そのスガコバコンビで巨人が今季初の3連勝を飾りました。6回2死二塁、小林捕手が自ら左前に今季初安打となる先制適時打。0―0の6回2死二塁。3球目の内角カットボールを詰まりながらも振り抜き、打球が左翼手の前に落ち、二塁走者の佐々木が一気に生還しました。喜びを爆発させる三塁側ベンチへ、笑顔で両手を上げて応えました。小林捕手にとって21年9月12日の広島戦(マツダ)以来3年ぶりとなる決勝打となりました。2年ぶりの打点でした。両手がしびれましたが、それでも、小林選手の意地と執念が勝りました。 「いや、もう必死でした。何とか打てて良かったです」 誰もが待っていました。今季初安打の左前適時打は、22年9月7日のDeNA戦(東京D)以来、582日ぶりの打点。決勝打は21年9月12日の広島戦(マツダ)で勝ち越しソロを放って以来です。阿部監督「素晴らしいよ。何とかしようという姿を見られている、何とかしようという姿を見られるし。どんな立場でいようと、腐らず練習はたくさんする男なので」。左翼席からの大歓声と無数のフラッシュを浴びながら、神宮のヒーローインタビューに応じました。「勝てたことが本当に一番うれしいです」。崖っぷちからはい上がってきた男の復活。4年ぶりのV奪回を狙う阿部巨人の役者は揃いましたね。

 不動のレギュラーを張った時期もあった強肩捕手は、ここ数年間極度の打撃不振に苦しみ、プロ10年目の昨年は出場わずか21試合で、たったの1安打でした。今年のキャンプも2軍スタートでした。トレードの噂も絶えません。絶体絶命の崖っぷちからはい上がった感じです。昨季は21試合でプロ入り後最少タイの1安打。「年齢も年齢なのでチャンスは多くない。他の選手と同じようにしようと思っていないです」と背水の11年目を迎えました。先発の菅野投手は6回3安打無失点で2勝目。開幕から2戦13イニング無失点と復活を印象づけました。小林選手「僕はもうドキドキなんですけど、智之が引っ張ってくれて。すごい頼りになります」と謙遜したが、指揮官は「安心感がある。それはやっぱり大きい」とうなずいていました。

 意外に思うかもしれませんが、小林は巨人の中でもトップクラスの人気選手です。今後は小林菅野投手の専属捕手に返り咲くみたいですね。4月13日広島戦でサヨナラ勝ちした日に、主戦捕手の大城卓三捕手をスタメンから外した理由を、阿部監督「岸田、小林のキャッチーとしての振る舞いを勉強してほしい。見て、どう感じて、本人がやるかだけ」と答えて、大城捕手へのさらなる期待感を語りました。5月4日の阪神戦では、自身の代打として打席に向かう大城卓三へ「頼んだ」と腰をたたいて送り出しました。その大城は二軍降格となりました「卓三が帰ってくるまで、僕らで一生懸命頑張るだけなので。帰ってきてときにはあいつも、しっかり頑張ってくれると思います」いかにいい人かが分かりますね。打てなくてもいい。小林捕手には守ってもらうだけで十分元が取れると私は感じています。小林捕手菅野投手だけでなく、高橋礼投手の登板でも起用されています。何よりも点を取られない安定したリードが素晴らしいと思います。4月21日も対広島戦で高橋投手を見事にリードし、相手打線を0点に抑えました。打っては6回表犠牲フライを打って1点をもぎ取りましたが、ルールにより降雨コールドで0対0の引き分けとなりました。

 5月10日(金)のヤクルト戦。2021年9月12日以来、3年(971日)ぶりのソロホームランを放ってこれが決勝点となりました。プロ通算16号でした。ベンチはもう今年一番のお祭り騒ぎです。昨季はわずか21試合の出場で1安打でしたから、今季は「チャンスは多くない」と背水の陣で臨んでいます。試合後もウェートトレに励み、球場を後にするのは最後です。「試合に出させてもらった以上は、全力で一生懸命やるだけなんで。そういう姿を見てもらえたらうれしいですし、感謝の気持ちを持って、また頑張りたい」小林捕手。翌日11日もタイムリーツーベースで決勝点をあげ、菅野投手の4勝目をリードしました。打率は低いのですが、いい所で貴重な安打を打っている印象が強いです。これで小林が先発マスクをかぶった試合は8勝5敗2分け。実に頼もしい選手が巨人軍のホームベースを守ってくれています。♥♥♥

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nervous Nellie

 Nervous Nellie”という英語表現に初めて出会ったのは、学生時代に毎日読んでいた“Ann Landers”の悩み相談コーナーでした。当時は辞書にも全く記載がなく、最初は何のことかさっぱり分かりませんでした。アンテナを張っていると次から次へと用例が集まってきて、通常はあまり自信がなく、心配性で、緊張しやすい人(someone who tends to be anxious or excessively concerned about minor things)を指すことが推測できました。この表現は、しばしば人が何かをする前に余分な心配や不安を感じる傾向がある人々を描写するのに使われます。“Nellie”は女性の名前であり、この表現は比喩的な意味を持ち、性別に関係なく使われます。nervousはかつては大文字が普通でしたが、最近では小文字の方が優勢です。

《米俗》取り越し苦労をする人,神経過敏な人 Am I being overly a nervous Nellie? あまりにも神経過敏になっているのでしょうか。―安藤貞雄『三省堂英語イディオム・句動詞大辞典』

    Although he still thinks of her as a little sister, I am upset about the way she flirts with him. Am I being overly concerned?―Nervous Nellie in Newark  ―”Ann Landers,” July 14, 1983.  

   I still believe Nervous Nellies are better off to say no. ―”Ann Landers,” Feb.6, 1984.

   I must comment on your response to “Nervous Nellie,” the woman who has a chance to be promoted and work for a control freak. Ann, your answer shows that you have never had to work for one. ―”Ann Landers,” Jan.15, 1997.

   My 5-year-old youngster had just started riding a bicycle, and being a “nervous Nellie” mother, I am already envisioning serious accidents from his rather wild riding.  ―”House Call,” March 15, 1978. 

   “So help me, you people in this industry are acting more and more like nervous Nellies. You’ve gotten too damn sensitive to criticism and too defensive…” ―A.Hailey, Wheels

   In other words, all this information can make us into a bunch of nervous Nellies?   ―USA Today, May 19, 1989.

   The last thing I need is a Nervous Nellie on the set the day the roof falls in.  ―C.Keene, Stay Tuned For Danger. 

▲私がA~Zまで基礎原稿を準備した労作です

 『新リトル英和辞典』(第5版、1987年、研究社、1,300円)という小型ポケット英和辞典をご存じでしょうか?今からもう37年前に出版された辞典です。故・竹林 滋先生(たけばやししげる、東京外国語大学名誉教授)のご指名で、私がA~Zまで一人で基礎原稿を書き上げた、想い出のいっぱい詰まった小辞典です。東京からわざわざ真冬の寒い大雪の日に、研究社の責任編集者の方が、当時勤めていた島根県立松江南高等学校へお見えになり、正式に依頼を受けました。私も当時ははつらつとして元気でしたので、夜を徹して作業に没頭しました。当時、海外旅行者・出張者、日本で働く外国人が増え続けており、あらゆる分野で外国との交渉が密になってきており、この種の小型辞典のニーズが益々高まっていたのでした。「最小のスペースに最大の情報を盛る」という編集方針の下に、時代の変化に即応することを目指し、携帯用小型辞典として最新の英語を可能な限り採録するように心がけました。三省堂『コンサイス英和辞典』を抜くことを目標に、ずいぶん頑張ったことを思い出します(目標を達成した時は嬉しかった!)。それまでの4版の全ての記述を総点検して、やや古くなった見出し語・語義を削除してスペースを確保して、33ページ増やしました。そして何と言っても、サンセリフの美しい大型活字を見出し語に採用してもらったことが、紙面の見やすさという評判につながり大好評をいただきました。

 当時の国際情勢・社会情勢と共に生まれて定着した新語や新語義を丁寧に拾っています。私の収集した「用例カード」を基にして、新情報をできる限り盛り込むようにしました。例えば、上の写真で、nervous Nellie「臆病な人」という語句が収録されていますが、当時これを取り上げている英和辞典は少なかったと思います。“Ann Landers”の悩み相談欄に頻繁に登場していた語句で、かなりの用例が溜まっていたので、取り上げた記憶があります。

 正確な句源は分かっていませんが、Nervous Nellie”と頭韻を踏んでいることから口ずさみやすさがあります(類例:Debbie Downer, Negative Nancy)。Nellieが女性の名前であるところから最初は女性を指して使われましたが、時と共に性別に関係なく男女を問わずに使われるようになりました。ほぼ同じような意味の語句に、worrywart, scaredy-cat, CChicken Little, bundle of nerves, Panic Peter/Patty, handwringer, Fretful Freddy, Timid Tim, Jittery Joe/Jane, Anxious Annieなどがあります。♥♥♥

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輝き続ける髙橋真梨子

   

 2024年2月17日にBSフジで放送された「輝き続ける髙橋真梨子」は、2023年3月にデビュー50周年を迎えた「バラードの女王」髙橋真梨子(たかはしまりこ)さんの名曲を聴きながら、ゆかりのあるゲストたちが座談会形式で彼女の魅力をあれこれと語り合う番組でした。彼女が大切に届けてきた歌は、半世紀もの間、多くのファンや数多くのアーティストに影響を与え、歌い継がれています。そんな歌手・髙橋真梨子の魅力とは?彼女をリスペクトしてやまないゲスト達の視点から、楽曲の素晴らしさ・影響を与え続ける彼女の魅力を余すことなく発信していました。髙橋真梨子の奥深い音楽世界を改めて感じ、未来へと語り継ぐ番組で、大いに反響を呼びました。マイクから半歩離れ、両手を体の前で重ねて直立し、愛情も別れの切なさも、あらゆる感情をその声に乗せ、歌ひとつで自らの世界を作り上げてきた偉大さを、改めて思い知ることになります。

 登場したのは、同い年でプライベートでも親交が深い俳優の市村正親(いちむらまさちか)さん。親友として、長年そばで髙橋真梨子と共に人生を歩んできた俳優の萬田久子(まんだひさこ)さん。20年以上の大ファンと公言しているタレント・友近(ともちか)さん。2010年の全国ツアー「Sing it !」東京公演ではサプライズ出演を果たしました。2020年に発売したカバーアルバムで髙橋真梨子の楽曲「ごめんね…」をカバーした歌手のMs.OOJA(オージェー)さん。母の影響でファンになり、髙橋真梨子のことを「生きるエネルギー」だと語る歌手・おかゆさん。また、髙橋真梨子の夫であり、プロデューサーのヘンリー広瀬さんへのスペシャル・インタビューも実現しました。「桃色吐息」「はがゆい唇」「ごめんね…」といった髙橋真梨子の代表曲のプロデュースも担当したヘンリーさんから見た彼女の音楽性。ニューヨークのカーネギーホールでの公演や、2022年に“最後のコンサートツアー”を行うに至った経緯を振り返り、共に歩んできた心境を伝えます。真梨子さんの人気曲と云えば、「ジョニイへの伝言」「五番街のマリーへ」「for you…」「はがゆい唇」「ごめんね・・」が代表的ですが、ゲストの皆さんは流石にコアな真梨子ファンだけあって、「soy cantante」「虹の水」「テンダンネス」「old time jazz」「涙の街角」等々のシュールな作品を挙げておられました。特に、女性流しとして活躍する、おかゆさんの真梨子推しは半端でないと感じ入りました。

 さらに、番組ではゲストが髙橋真梨子の名曲を熱唱!友近「はがゆい唇」を、Ms.OOJA「あなたの空を翔びたい」をカバー歌唱しました。髙橋真梨子・最後の全国コンサートツアーより「2022 our Days -Last Date-」で披露した「The Road」をテレビ初放送。大人の色気を感じるメロディー、唯一無二の歌声の髙橋真梨子の音楽世界をあらためて感じ、未来へと語り継いでいきます。特別な映像と共に、長きに渡り音楽で彩ってきた彼女の歌手人生を振り返る番組でした。

 萬田さんと真梨子さんは、お二人とも同じ衣装デザイナーに、お世話になっていたので、「いつか引き合わせる」と言われていたものの、なかなか出会うことはありませんでした。それが、偶然、飛行機の中で対面が実現したと言います。1994年、真梨子さんはバミューダ諸島で挙式するため、ニューヨーク往きのフライト。すると、同じ便に萬田さんの姿があったとか。それも、お隣だったそうです。真梨子さんは、萬田さんに気付いて、挨拶しようかどうか躊躇したと言います。しかし、萬田さんが寝てしまったので、真梨子さんも寝てしまったとのこと。暫くして、真梨子さんが、トイレに立つと、萬田さんが偶然、トイレから出て来て、鉢合わせしたそうです。なんとも、逢うべくして逢ったお二人でしょうか。以来、真梨子さんと萬田さんは交流を深め、現在に至ります。萬田さんは、真梨子さんが、重篤な更年期障害に悩んだ時期にも親身に支えてくれ、真梨子さんのお母さんが、がんを患った際にも家族の様に助けてくれたそうです。一方の真梨子さんも、萬田さんが最愛のパートナーを喪った際には、親身に励ましたとか。お二人の関係は、もう友人を超えて家族と言っても良い絆のようです。

 市村さんは、日本を代表するミュージカル・スターですね。真梨子さんと市村さんは、同い年だとか。真梨子さんは、市村さんの前向き思考に会うたびに助けられると言います。市村さんは、胃がんで胃を半分切除した際も、「神様が食べ過ぎない様に胃を小さくしてくれた」と考えた、と言います。真梨子さんは、何か落ち込むことがあると、市村さんに連絡を取ることがあるそうで、市村さんは、いつも、前向きに励ましてくれるそうですよ。

 20年以上の大ファンと公言しているタレント・お笑い芸人の友近さんは、かつて、真梨子さんのモノマネでTVの「モノマネ番組」で、チャンピオンになったことがありました。「高橋真梨子の真似は難しい」のですが、当時、友近さんは15年来、真梨子さんの真似を続けていたとか。友近さんは、2010年7月24日東京国際フォーラムでの真梨子さんの全国ツアー「Sing it!」のステージで、真梨子さんと悲願の共演を果たしています。「桃色吐息」のイントロが始まった所で、何の前触れも無く友近さんが登場し、会場は、このサプライズに大きく沸き返りました。友近さんがお笑いのイメージと違った非常に真面目な女性であることを紹介していました。友近さんは長年、真梨子さんが「憧れ」だったと言い、意気投合した二人は、もう一曲「はがゆい唇」をコラボしたのでした。

 ゲスト、Ms.OOJAさんという人は、寡聞にして私は知りませんでした。おかゆさんは、女性ながらギターの流しで修業されたとか。

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▲『読売新聞』5月15日付けに掲載された全国コンサート告知

 「各地を回るのは体力的に厳しい」と、40年以上も続けてきたファイナルツアーに終止符を打ったのが昨年2023年1月のことでした。ツアー活動は封印したものの、2023年末12月開催のディナーショーでは衰えない歌唱力健在を見せつけていました。そんな歌手・髙橋真梨子(75歳)さんが全国ツアー「FINAL」を10月から開催することが突然発表されました(写真上)。昨年5月、40度の高熱が数日続き、病院で「急性腎盂(じんう)炎」と診断されて一週間入院しました。夫のヘンリー広瀬氏(80歳)さんは、「彼女にとって生まれて初めての入院で、コロナ禍で誰とも面会できませんでした。すごく心細かったはず」とおもんぱかります。病気は完治したものの、退院直後に「『もう、私は歌わないのかな…』と口にするなど落ち込んだ瞬間もあった」と言います。このころ、所属事務所には「コンサートをもう1度やってほしい」と多数の声が全国から届いていました。40年以上も続けた全国ツアーは例年なら5月にスタートし、初夏の訪れを髙橋真梨子のライブで感じてきたファンの間では、“真梨子ロス”が広がっていました。病気で初の入院生活を送ったことで人生を見つめ直し、「もう1度ステージに立って」との多くの声にも背中を押されて決断しました。「ファンの皆さんと完全燃焼したい」と思いを明かしています。

 スタッフらが話し合い、東京、大阪、名古屋で単発の公演をやれないかと調整を進めていきました。すると、髙橋さんの故郷・福岡や東北、北海道のイベント関係者から「うちでもやってほしい」との熱いオーダーが舞い込みます。最終的には体への負担を少なくして、ゆっくりと8カ月かけて9都市で21公演を開催することが決まりました。ヘンリーさんは「今回の決定にあたって『ツアーはもうやらない』と言ったのにやることや、真梨子の体力のことなどの葛藤はもちろんありました」と明かす。「でも、最終的にはファンの方からいただいたラブコールにお応えしようと判断しました。やるからには、1年半以上のブランクではなく、復活をしてこんなふうになったという姿をお見せしたい」と、久々のステージに気合を入れ直しています。

 髙橋さんのバックで演奏するバンド・メンバーも、フルート奏者でもあるヘンリーさんを含めて8人全員が揃いました。「1度解散していますが、事情を話したら全員が二つ返事だった。みんなに感謝です」ヘンリーさん。「真梨子が最近言っているのは『75歳になって、歌うのはもういいかな…とも思う。だけど歌手を引退しちゃうと、自分がそれで終わっちゃう。自分の存在意義がなくなっちゃうのが怖いから言わない。でも、今回の21公演については歌い納めの覚悟でやりたい』と」。1993年の結婚以来、30年以上も公私を共にするパートナーだからこそ知りうる髙橋さんの“本音”をヘンリーさんは明かしています。

 髙橋さんはこれまでの取材で、「私はお客さまがいなかったら歌わない。お客さまが来てくださるからこそ歌える。そのことにすごく感謝をしているの」と、強烈なプロ意識を口にしてきました。そんな高橋さんが今ツアーのタイトルを「FINAL」にして「ファンの皆さんの声に押されてもう1回だけ頑張ってみようと思います。ツアーを完全燃焼したい」と強い決意をコメントしています。“歌い納め”の覚悟を見せる髙橋さんのファイナルステージに期待したいと思います。♥♥♥

 歌をやめるわけではないですけど、22年に開催した全国ツアーの時にも言った通り全国を回るのは体力的にもいっぱいいっぱい。でも皆さんの声に押されてもう一回だけ頑張ってみようと思いました。ツアー・タイトルは“Mariko Takahashi concert FINAL 2024-2025 EPILOGUE with Henry Band”。このアンコール・ツアーでファンの皆さんと一緒に“ツアー完全燃焼”したいと思います。(髙橋真梨子) 

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「神戸海洋博物館カワサキワールド」

 「神戸海洋博物館」の前身となる「神戸国際港湾博物館」が1962年に開館しました。そして、1987年に神戸港開港120年の記念として開館したのが「神戸海洋博物館」です。帆船の帆をイメージさせる独特な外観をしており、神戸での私の定宿 「ホテルオークラ」と並んでそびえ立っていますね。海洋博物館としては世界の中でも大きな規模を誇っています。また夜間はライトアップされ実にキレイです。2020年には新たに「神戸とみなとのあゆみ」をテーマにリニューアルオープンしました。

 「神戸海洋博物館」(入館料900円)は「神戸ポートタワー」のすぐ近くです。神戸海洋博物館」の開館時間は、10時~17時(最終入館は16時30分)になります。ここら辺の夜景はライトアップされて、とても素敵ですよ。大海原を駈ける帆船の帆と波をイメージした白いスペースフレームの大屋根が特徴的な「神戸海洋博物館」は「海から港から神戸が始まり、未来に船出する。」をコンセプトに、1868年の近代神戸港の開港から120年目に当たる、1987年に「神戸開港120年記念事業」としてオープン。船の仕組みやクルーズ客船の魅力、港の施設や海・船・港の歴史と未来を体験する博物館役割。古の時より時代とともに移り変わる港と街の様子を、航海計器や船具の「実物」や「ジオラマ模型」「映像」「グラフィック」「資料」などで、海・船・港の「過去」「現在」「未来」をわかりやすく紹介しています。2006年からは、神戸港の開港以来その歴史とともに歩んできた川崎重工グループによる企業博物館「カワサキワールド」を併設展開しています。

 「カワサキワールド」とは、川崎重工業が2006年5月17日に神戸海洋博物館内に接地した企業ミュージアムです。カワサキワールドでは、川崎重工業の歴史を知ることができるだけでなく、 「モーターサイクルギャラリー」では歴代の「Kawasaki」のバイクが展示されており、 全車ではありませんが、またがることができます。「陸ゾーン」では「0系新幹線」の先頭車両が展示されており、 客室や運転室に入ることができます。また、「電車でGO」のゲームがあり、子供に人気があります。「海のゾーン」では船や水上バイクが展示されており、 水上バイクのシミュレータゲームを体験することができます。「空のゾーン」ではヘリコプターが展示されており、こちらも中に入ることができます。またフライト・シミュレーターが設置されており、 神戸空港からの離着陸を疑似体験することができます。

 正式名称は「神戸海洋博物館」です。「神戸海洋博物館」の中の一部に「カワサキワールド」があります。神戸の小学校では遠足で行くそうです。神戸港の歴史を知ることができ、カワサキワールド」で色々な体験をすることができ、 神戸で定番の観光スポットです。❤❤❤

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homepage

 勝田ケ丘志学館の英作文の授業で、「ホームページを見たらすぐにそれをプリントしておくようにするとよい」(『システム英作文』(桐原書店))という英訳問題が出てきました。生徒たちが黒板に書く英語は、次のようなものです。「模範解答集」にもこのようなものが載っています。

     On seeing the home page, you had better print it.

     As soon as you see the home page, you had better print it.

 でもこの英語には2つの問題点がありますね。すぐに指摘できるのは、had better ではなくshouldを使う方が良いということです。これはもう英語教師なら常識となっていますから、ここでは深く立ち入らないことにします。今回話題としたいのは、ここでのhome pageの使い方です(homepageと1語の表記もあり、2語と書くか、1語にするかも興味深い問題です。元々はhome pageと二語で書かれていましたが、私の観察では、最近はhomepageと一語で書く方が多いようです。web sitewebsiteも同様です)。私ならwebsiteと書きます。両者には明らかに違いがあるのです。最新刊スティーブ・ミッチェル『日本人が間違えやすい英語表現100』(明日香出版社、2023年9月)にも取り上げられています。

Home page ― the place a person lands when they first arrive
Website ― the entire site containing normally one or more “pages” which when a link/button is clicked from the HOME page, takes them to somewhere else

 英語でhome pageというと、皆さんがパソコンやスマホを開いてウェブサイトを立ち上げた時に、最初に表示されるページであり、websiteの一番初めにある「案内ページ」のみを指すのです。それに対して、websiteは複数のページから成っている全体のことを指します。次のような用例がそのことをはっきりと示しています:The homepage is the first page people see when they visit a website.(ホームページは、ウェブサイトを訪れた時に目にする最初のページのことです)/You have a great website, but your homepage should be more eye-catching.(あなたは素晴らしいウェブサイトを持っていますが、ホームページはもっと目を引くようにするべきです)。したがって日本人が「ホームページ」と呼んでいるものは、多くの場合、websiteを指しているのです。私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版、研究社))が、homepageの項に「ホームページ《ウェブサイトの最初の画面》  【日英】 日本語の「ホームページ」は websiteに相当する場合が多い.「ホームページを開設する」は set up a website」という説明をしているのは、そういう訳なんです。『コンパスローズ英和辞典』(研究社)には、「(1)ウェブサイトの最初の画面;通常概要などが表示される。(2)インターネットを利用するときの最初の接続画面。」とあります。両者の間には明らかな違いがあるのですね。冒頭の作文の問題に戻ると、明らかにウェブサイト内にある複数のページを印刷するのでしょうから、homepageではなくwebsiteがいいのです。

   △Please visit our homepage.  当方のホームページをご覧ください。

   ○Please visit our website.

 ちなみに冒頭の日本語を、AI翻訳サイトDeepLでは、As soon as you see the website, you should print that out.と正しく翻訳されていました。♥♥♥

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日本人の道徳心

 今年の「産経新聞」1月7日(日)付け藤原正彦先生「この国民にして、この政治あり」という論考が掲載されました。派閥裏金の病理、なぜ日本人は不正直になった、のかを厳しく徹底的に糾弾しておられます。成果主義が弱肉強食の過当競争社会を生み出し、歴史的にも世界で最も金銭崇拝から遠かった我が国が、金銭至上主義になり、正直や誠実さは隅に追いやられ、人々のやさしさや穏やかさ、思いやり、卑怯を憎む心、他者への深い共感といった、日本を日本たらしめてきた誇るべき情緒や行動規範が忘れ去られてしまいました。大人が目先の利益ばかり追い求めて、拝金主義、裏金作り、平気でウソをつく、暴言・ハラスメント行為、詐欺まがいの行為、証拠隠滅を図る政治家たちや、毎日報道される凶悪事件を見ていると本当に情けなくなってきます。私が尊敬する故・渡部昇一先生は、どうしてこのような惨状になってしまったのかを取り上げて、「今の教育の間違いは、道徳を理屈で教えようとしていること」だ、と喝破されました(『日本人の道徳心』(ベスト新書、2017年))。

 電車やバスに老人や体の不自由な人が乗ってきたら席を譲る、困っている人がいれば手助けをする、目上の人には挨拶をする、敬語を使う、こういった当たり前のことができない子どもたちがいかに多いことか(無作法なのは子どもたちに限らず、いい歳をした大人たちもそうなのですが……)。こういったことがごく当たり前のようにできていたのが日本人でした。

 京都大学会田雄次(あいだゆうじ)先生が、上甲 晃(じょうこうあきら)先生(松下政経塾)の京都大学生時代に繰り返し「君たちがこの日本の中心になる時が心配でたまらんのや。君たちが受けた教育に問題がある。こういう教育を受けた人が社会の中心になり、さらには長老的な立場に立った時に、この国の先行きが心配だと」とおっしゃっておられました。会田先生は、君たちに教えられなかったものが三つあると言われました。一つは歴史だと。日本の国に対する誇りを持つ歴史教育を受けていないと。戦争直後から日本は悪い国だということを教育されている。二番目は、道徳教育がなされていないこと。当時、道徳教育なんかやるとなったら、先生方の組合から大変な突き上げをくらって、「道徳」という言葉を使うことすらできない状態でした。そして三番目が宗教教育を受けていないこと。すなわち、人間を超える偉大な存在に対する畏敬の念を教わっていない。この三つを教育されていない人たちが大人になったら、金儲けに走るしかない、という会田先生の言葉が、今ありありと現実のものになってきています。有名企業が各種のデータを捏造したり、不正会計をしたり、詐欺まがいの営業に走ったり、とさまざまな不祥事を起こしています。「今の若者は…」という批判をよく耳にしますが、むしろ大人・年寄りの方にこそ問題がある気がします。

 この度の自民党派閥の政治資金パーティーを巡る裏金事件を受けて、政治資金規正法違反での幹部議員たちへの立件が断念されました。このような犯罪が堂々とまかり通る日本社会に愕然とします。岸田総理「政治刷新本部」を新設して党の再生を図るとしていますが、国民が期待しているのはそんなことではありません。ましてや役員に選ばれた安部派所属(犯罪を犯した張本人じゃないか!)の議員10人のうち9人がパーティー券収入の一部を裏金に中抜きしていたといいます。こうした議員が役員に入って行う党改革議論は茶番としか言わざるを得ません。岸田総理は、ここに「排除の論理は適切でない」と言い出す始末でした。未だにまともな法案すら出てきません。腐っているとしか言い様がありません。

 私は米子に通うために、朝一番の松江市営バスに乗って松江駅まで行きます。私が乗り込むバス停では車内はもうすでに満員で、多くの人が立って乗っています。お年寄りの方も立っておられます。優先席」には、全て附属小学校の子どもたちが陣取りはしゃいでいます。確か「優先席」というのは、お年寄りや妊婦さんや障がいを持った人たちのために設けられた席だと思っていました。お年寄りが立っていようが、知らん顔です。私も昨年の冬、股関節の手術明けで杖をついて立っていましたが、子どもたちは全く意に介しません。ただ一度だけ、大雪の日に、杖をついてバスに乗り込んだところ、親切な運転手さんが「席を空けてあげてください」「誘導してあげてください」とアナウンスされました。自分のこととは思わない私がつり革につかまって立っていると、後ろから肩を叩かれ、「あなたのことですよ」と席を空けてもらい、丁寧に誘導してもらい座らせてもらいました。これは術後で足の痛む身にはとても有り難かったですね。この間も、例の附属小学校の子どもたちは知らん顔で優先席で大騒ぎです。小学校も保護者も、優先席は子どものための席という教育をやっておられるんでしょうね。

 私の自宅の隣の隣が、松江市立北小学校です。私の家の前を毎日小学生たちが集団登・下校していきます。誰一人挨拶をする子どもはいません。聞くところによれば、小学校では知らない人には口を聞いてはいけない、と指導されているそうです。近所の人も「知らない人」なんですね。それでもときどき立ち止まって「おはようございます!」と元気よく挨拶してくれる児童がごくごく稀にいます。抱きしめてやりたいくらい可愛いですね。朝、小学校の正門の前では、先生方が立って子どもたちに挨拶をしておられますが、無視して通り過ぎていく子どもを何人も目撃しました。どんなに立派な教育論をぶたれても、このような教育を私は認めたくありません。毎年小学校から寄付を集めに来ておられて協力していたんですが、数年前から一切寄付はしないことに決めました。

 電車の中でバカ騒ぎをしたり、平気で化粧をしたり、スマホを片手に前も見ずに歩く高校生や大人があふれ、日常交わす挨拶や「ありがとう」のお礼や気遣いの言葉が消えていこうとしています。大切な道徳や倫理、さらにはマナーやモラルが消えていこうとしています。子どもに善悪を教える際、そこに理屈はいりません。「ダメなものはダメ」それで十分です。

 昔、松江北高でこんな光景が見られました。真夏の暑い時期には数多くの教室の窓が開けっぱなしになっているのです(私は自分の担任の教室は帰る前に確認して帰っていましたが)。全校3階、4階のほとんどの教室の一番高い所の窓も開けっぱなしです。警備員さんが警備日誌に訴えられたのでしょう。職員朝礼で事務長さんが、各教室で注意して窓を閉めて帰るように指導して欲しい、と言われました。そのことを教室で話したときに、「そんなこと警備員の仕事だ」と言った生徒に、私は激怒しました。歳を取られた警備員さんが、夜遅く暗くなってから懐中電灯で照らしながら、高い所によじ登って窓を1枚1枚閉めておられる姿を想像してごらん。それでも君たちは心が痛まないか?と訴えました。教室を最後に出る生徒がちょっと気をつけて注意していれば、こんなことにはなりません。勉強さえできればそれでいい、という教育には私は同調できません。最近の北高では、誰一人挨拶をする生徒はいません。かつてとは隔世の感があります。早朝トイレに入ると、ゴミ箱がゴミで溢れています。毎日掃除をしていないのか?理由は簡単なことです。指導者が何も言わないのです。勉強さえしていればそれでいい、そんな学校に成り下がってしまいました。「ダメなものはダメ」それで十分です。♥♥♥

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「伊織」の蛇口みかんジュース

◎週末はグルメ情報!!今週はみかんジュース

 「株式会社伊織」は、2022年11月1日(火)愛媛県松山市道後商店街」にあるタオル専門店「伊織 本店」を、「今治タオル」を約2,000種類揃える日本最大級の店舗に増床リニューアル・オープンしました。新たに増床したエリアでは、販売しているタオル100種類のバスタオルの中から、1日お試し利用ができる「貸たおる処」をはじめ、みかん100%のジュースが蛇口から出てくる「蛇口みかんジュース屋台」、キッズ用ボールプール「こどもの湯」、キッズ用貸し衣装「変身の間」など、面白そうな体験型のコンテンツが盛りだくさんです。

 道後温泉本館から徒歩30秒の立地にある、タオル専門店「伊織 本店」を訪問してきました。リニューアル後、約160坪となった店舗面積は、伊織」全店舗のなかで最大級の規模です。各種サイズのタオルからバスローブ、バスマット、ピローケース、マフラー、スタイなど、毎日の暮らしを快適にするタオル製品を常時約2,000種類展開しています。店頭では本店限定デザインのタオルハンカチやタオルに文字が入れられるオリジナル刺繍サービス(有料)に加え、タオルソムリエの資格を持つスタッフによる相談も承っています。ライフスタイルや用途、お好みに合わせたタオルの提案だけでなく、タオルを長持ちさせるコツやギフト選びの相談など、店頭でタオル選びのお手伝いを行います。

 今回のリニューアルを機に新導入したのが、「伊織」で販売しているタオルを1日試すことのできるレンタルサービス「貸たおる処」です。全100種類のバスタオルから好みの1枚を選び、1泊2日で借りられるというサービスです。店内のバスタオルコーナーからタオルを選んだら、レンタルカードをレジまで持ってきて、レジにて受付け、お支払い後、店内奥の「貸たおる処」でタオルを受け取ることができます。返却期限は翌日中となっており、開店時間内に直接カウンターへ返却する場合はタオル1枚につき1杯の蛇口みかんジュースをプレゼントします(※営業時間外の返却は店外にある専用ボックスを)。レンタル料金は選んだバスタオルの販売価格の10%+クリーニング代で定価が4,400円のバスタオルの場合は1枚660円の提供となります。

▲蛇口をひねるとみかんジュースが!

 私の興味を一番引いたのは、「貸たおる処」のお隣にある新設された「蛇口みかんジュース屋台」でした。愛媛県ならではの、“蛇口をひねるとみかんジュースが出てくる”体験(都市伝説?)ができるコーナーです。温州(うんしゅう)みかん清見不知火(しらぬい)河合晩柑(かわちばんかん)などの柑橘を使った果汁100%ジュースを単品1杯550円、もしくは3種類飲み比べは770円で提供しています(※柑橘の種類は時期によって変動) 。果皮を瞬時に分離して外皮の苦味やえぐみを除く「インライン搾汁」のジュースは柑橘本来の味わいです。よく考えたら、今時「蛇口」の水栓って、古い校舎や建物、屋外のホース繋ぐ所しか残っていないんじゃないでしょうか。「蛇口をひねる」という言い方自体がすでに昭和臭さがします。「ポンジュースが蛇口から」は「名古屋のえびフリャー」「だ埼玉」と一緒で、地域ギャグの一種だったのが『ネタをマジでやる』ようになったわけです。店内のフリースペースで机に座ってゆっくりと飲むことができます。美味しくいただきました。

            ▲キッズ用ボールプール「こどもの湯」

 その他、店内奥側にはキッズ用ボールプール「こどもの湯」や授乳室、オムツ替えスペース、子ども用トイレを設けました。靴を脱いで上がるボールプール「こどもの湯」は、温泉をテーマにしたワクワク感を誘うプレイスペース。子どもたちがより自由に過ごせる広々とした造りです。さまざまな育児の場面に合わせたキッズ・フレンドリーなゾーンを展開することで、子どもたちにはより楽しい店舗体験を、大人には観光がもっと快適になるようなショッピング体験を提供しています。

 私はこのお店で、道後温泉の入浴剤を大量に買って帰りました。お土産にしたり、自宅のお風呂で楽しんでいます。

 「みかんジュース」ということで、私は今まで自宅では、キリンビバレッジ「トロピカーナオレンジジュース」を愛飲していたんですが、4月初めに発生した江崎グリコの物流システム障害のために、「プッチンプリン」をはじめとする冷蔵食品の出荷停止につながり、「トロピカーナ」もスーパーから姿を消してしまいました。飲み慣れたものがいいので困っています。キリンは、これらの商品の販売を江崎グリコに委託しているため、4月初めに発生したシステム障害による影響をもろに受けて出荷停止が続いています。

 さらにそれに加え、世界的なオレンジの果汁不足と価格高騰により大きな影響が出始めています。主要な輸入先であるブラジル産の不作で輸入量は減少。その後も、同国での2023年の大雨被害や、それに伴うカンキツグリーニング病のまん延などの影響で、オレンジ果汁の不足感が続いています。そのため国内のオレンジジュースの値段がずいぶん上がっていますね。他の果物のジュースよりも値段がずいぶん高くなりました。国内で流通する果汁のうち約9割が輸入品と推計され、絶対量が足りていません。日本果汁協会によると、輸入オレンジ果汁の1リットルあたりの価格は、2020年は259円だったが、2023年には459円と倍近くに値上がりしています。事態の収束が見通せない中、販売休止に踏み切るメーカー(森永乳業の「サンキスト100%オレンジ」、アサヒ飲料の「バリヤースオレンジ」、雪印メグミルクの「ドールオレンジ100%」等々)や、国産果汁の確保に動く国内メーカーも出始めています。松江のスーパーでもオレンジジュースが次々と消えています。心配です……。♥♥♥

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「ぶんぶん堂松江店」がなくなる!

 ゴールデン連休で久しぶりに松江市田和山今井書店センター店に出かけてきました。いつものように「ぶんぶん堂」の入り口から入ってすぐに異変に気づきました。棚に商品がほとんどなく、「全品半額」の文字が。不思議に思って店員さんに聞いてみると、5月26日に閉店するとのこと。エーッ!ただでさえ松江には文具店がないのに困ったぞ。山陰最大級の文房具専門店が、21年の歴史に幕を下ろすとの事です。非常に残念です。閉店セールでは半額セール等かなり大きな値下げです。2月29日には同じ建物の中に入っていた「今井書店スタジオワンダー店」が閉店していました。これでこの建物はガラガラになってしまいましたね。2020年9月には25年続いた「ぶんぶん堂米子店」がなくなってしまい、今回は松江です。残るは境港店のみです。


誠に勝手ながら、ぶんぶん堂松江店は「2024年5月26日」をもちまして閉店させていただく事となりました。

急なお知らせになりご迷惑をおかけする事をお詫び申し上げるとともに、2003年のオープン以来多くのお客様にご愛顧頂いたことに、スタッフ一同心からお礼申し上げます。

21年間お支えいただき、誠にありがとうございました。

ぶんぶん堂松江店 スタッフ一同


 松江には文具店としては「原文タイプ」がありますが、品揃いや新製品の在庫数は圧倒的に「ぶんぶん堂」でした。ここが無くなってしまうと、もう米子「ロフト」へ行くしかありません。その米子も最近はチョット品揃いに不満があるので、広島・岡山まの「ロフト」「東急ハンズ」まで出かけることになります。「文房具の八ちゃん」としては実に困ったことなんです……。♥♥♥

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大城外し

 昨年まで巨人のレギュラー捕手だった大城卓三へのバッシングが止まりません。ここまで23試合に出場し、打率1割8分8厘、0本塁打、3打点、20打席連続無安打中です。大城卓三に対してファンからの風当たりも日に日に強まり、巨人敗戦後のSNS上では「大城のせい」がトレンド入りする日もあるほど。大城卓三を擁護するファンと、それに対して意見を持つファンが言い争うことが何度もあり、一部のユーザーからは誹謗中傷めいた過激な投稿も散見されます。「今の時代はスマホを通してファンの声が直接選手たちの目に入る。叱咤激励や厳しい声は、プロの選手である以上受け入れる義務もあるかもしれないけど、明らかに目に余る心ない言葉も目につきます。選手が言わないだけで、DMで直接罵詈雑言を送りつけてくる人も決して珍しくはないんです。気分のいいものではないですし、そういうことだけはどうかやめてあげてほしいです」(チーム関係者) NPBや各球団は選手に対する誹謗中傷をやめるように、インターネット上や球場でも注意喚起をより強化しています。侮辱や脅迫まがいの行為に、大城卓三を気遣う周囲の仲間たちも心を痛めているようです。最近では心ないヤジや誹謗中傷が目に余ります。全ての選手に愛のある声援を送りたいものです。  

 ただ彼がマスクをかぶると点を取られる試合が多く、打撃不振もあって、小林誠司岸田行倫にマスクを譲り、ベンチを温める日が続いています。指揮官はリードする大城にも厳しい目を向けています。 外す理由として、「岸田や小林の捕手としてのふるまいを学んでほしい」と語っていました。最近存在感を示している小林に関しては「すごく練習する」とした上で、昨年ベンチを温めることが多かったが、先発マスクをかぶっている捕手のリード、また相手球団の捕手のリードに関しても熱心に研究する姿勢を示していたといいます。「偏らないリード」が特徴です。事前のスコアラーからの指示、また投手の状態を見極めて自身の〝感性〟が生きているリードだとしました。さらに岸田に関しては「インコースを怖がらずに攻める」としてパ・リーグに多いタイプの捕手だとしました。一方の大城は真面目な性格もあり、事前のスコアラーからのデータに沿ったリードが多いとした。 大城は昨年先発マスクを最も多くかぶり、打撃三部門でキャリアハイの16本塁打、打率2割8分1厘、55打点をマークするなど「打てる捕手」です。今季からは選手会長にも就任し、期待されていました。今のところ阿部監督は、3捕手個々の持ち味を生かしながら、捕手出身監督ならではの配慮が光り、非常にいい色を出しています。 

      小林誠司(34歳)  大城卓三(31歳)  岸田行倫(24歳)
試合数    10試合       21試合       10試合
打率     1割1分5厘     1割9分7厘     3割8分1厘
本塁打      0          0          0
打点       2          3          3
盗塁阻止率   .400       .333       .500
先発時勝敗   5勝1敗2分    6勝8敗        2勝4敗1分
捕手防御率   0.99      3.18        2.37
                       (5月3日現在)

 阿部監督は、 「大城メインでいきたいんだけど、はっきり言うと精彩を欠いているから。スタメンの試合の勝率も良くないだろうし、じゃあ打つかと言ったら、ねえ。思い通りできていないように見えて。守っていく野球をすると言っているし、だから守りを優先して。そこは我慢するところじゃないかなって。捕手はチームの勝敗を分ける一番大事なポジションだと思っているから」 「誠司を使って、すごく落ち着きが出てきた。間がいい。投手との間、返球の間、試合を運んでいく中でのいろんな間が素晴らしいなと思って見ている。そういう部分を大城に学んでほしいなって。そんな中で岸田も一生懸命を超えて必死さが伝わってくる。ああいう姿勢は大事だよね」今、大城卓三に一番必要なことは、と問われて阿部監督は、 「守備と打撃をどう切り離してできるか。そこだけだと思うの。自分も若い頃ずっと言われていたけど、なかなかできなかった。できたのは日本一になった2012年(33歳シーズン)くらいかな。それ以外は集中力切れてたなっていう打席が何百打席もあって後悔している。大城にはそうなってほしくないからさ」  「他の捕手の試合を見てどう映っているかが大事で。それに追いつこうとか、それ以上を目指そうと思ってやることが大事だし。これを乗り越えるのは自分自身だから」    

 開幕ではスタメンマスクをかぶった男も、最近では小林岸田に正捕手の座を脅かされ、ベンチスタートの日が増えています。

 92歳になる野球界のご意見番・広岡達朗さんも厳しい声を上げます。「そもそも大城が正捕手だって、誰が決めたんだ? 昨年の試合を見ていても、遊び球が多すぎるし、疲れてくると集中力を欠き、リードにも打撃にも影響が出る。困ったらアウトコースを要求する。そんなリードでプロの打者を抑えられるわけがない。そもそも原(辰徳/前監督)は、大城の4打席と、相手から27個のアウトを取ることを考えた際、大城の4打席を重視しただけのこと。周りは、大城はバッティングがいいと評価しているようだが、正捕手として突き抜けるほどの成績を残したわけではない」

 昨シーズン、大城は134試合に出場して、打率.281、16本塁打、55打点と、プロ6年目にしてキャリアハイの成績を残しました。打てるキャッチャーとしては魅力的ですが、一方でディフェンスはどうだったのでしょう?昨年のチーム防御率3.39(リーグ5位)の数字は、決して投手だけの責任ではないでしょう。事実、フォスター・グリフィン投手大城のリードに何度も首を振っていましたね。配球もそうなんですが、投手とのコミュニケーション不足が目立ったと思います。

 そういえば、「打てる捕手」として一時代を築いた阿部監督だって、最初からインサイドワークに長けていたわけではありませんでした。入団当初は、ベテラン投手からバッテリーを組むことを拒まれたことがありましたっけ。しかし阿部監督は、バッティングを極めることで巨人の4番に君臨し、そこからインサイドワークを勉強し、研鑽を積んで正捕手としての不動の地位を確立していきました。ご意見番の広岡さんが指摘します。「野村(克也)や古田(敦也)のように攻守に秀でたキャッチャーがいたら別だが、これといって差がないのであれば、ピッチャーの相性によって起用するのは当然だ。大城はキャッチャーとしてキャリアを重ねているにもかかわらず、成長が見えないどころか、年々悪くなっている印象がある。普段から打者の動向や息づかいを注意深く観察し、前の打席でそのバッターがどんなカウントで、どんなボールを打ってきたのか、そこに至るまでのプロセスを覚えていないんじゃないか。大城は自分のことで精一杯で、周りを見る余裕がない。それでは正捕手とは呼べない」 昨年までは、守備面で多少は目を瞑ってでも打撃優先で使ってもらっていましたが、阿部監督「守りの野球」を標榜する以上、ディフェンス面での成長が見られない限り、小林岸田が起用されることは当然のことでしょう。ただ広岡さんは、今こそ大城が成長するチャンスだとも言います。 「だから大城は、ベンチ要員になったからといって腐ってはいけない。肝心なのは、試合に出ていないときに何を学ぶかだ。とくに大城は、インサイドワークも大事だが、投手との連携をもっと勉強しなければならん。間(ま)の取り方や、制球が定まらない投手に対してどんな言葉をかけるのか、などだ。首脳陣はベンチでの態度や姿勢を必ず見ている。ベンチから、自分に足りないものは何なのかしっかり勉強して、次に生かせばいいのだ」「チームは生き物だから、要となるキャッチャーがどっしりしていたら、打線だって頻繁に変える必要はない。安定して成績を残すチームには、必ずといっていいほど優秀なキャッチャーがいる。それを育てるのが監督の仕事である」

 愛のある言葉ですね。現在の捕手併用は、その場しのぎの策なのか、それとも先の先まで見据えた起用なのか。巨人のこれからの戦いから目が離せませんね。と思っていたら大城は二軍に降格となりました。不振によるシーズン中の2軍調整は、2022年6月以来、約2年ぶりとなります。調整期間は無期限としながらも、再昇格は自己申告制にする方針です。阿部監督「成績もそうだし、一番のメインは気分転換。本人とも二人きりで話はしたし、本人も納得して落ちていった。ファームの期間は大城の状態次第で、本人から言わせるようにするんで。素晴らしいものを持っているんだから。とにかく、野球が楽しいなとかね、もう一回そういう原点に戻ってきてくれと言ったんだけどね」と、復調に期待しました。♥♥♥

 

 
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「道」

 私は、故・東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯の風景画が大好きで、画伯の「美術展」があると聞けば、全国どこにでも飛んで見に行くぐらいの熱狂的大ファンなんです。九州の太宰府にある「九州国立博物館」で、東山先生の代表作である「唐招提寺御影堂障壁画(床の間の絵及び襖絵全六十八面)」を見たときには、そのスケールの大きさに感動に打ち震えたものです。⇒私の感動の訪問記はコチラです  松江市に自宅を新築した時には、東山先生「緑響く」「白馬の森」2枚の絵を、清水の舞台から飛び降りた気で、大阪の画廊から購入しました。画伯の風景画に、突然登場したこの白い馬の絵(全部で18枚あります)が全部欲しいのですが、なにせ値段が値段なものですから……。東山先生の風景の中に人物が出てくることはまずありません。その理由は、東山先生の描くのは人間の心の象徴としての風景であって、風景自体がそもそも人間の心を語っているからです。そんな中、突然珍しく白い馬が、先生の風景画の中に登場しました。遠くに小さく姿を見せてはいるものの、白馬が主題であり、風景は全て背景としての役目で、白い馬の象徴する世界観を、風景が反映しているのです。この2枚の絵は私の家のリビングに飾ってあり、学校から疲れて自宅に帰ってまずこの絵を眺めると、心が癒やされるんです。

▲八幡家のリビングに飾られた東山作品

 私の大好きな風景画家・東山魁夷(ひがしやまかいい)画伯が画壇および社会から認められるようになった作品に「道」(1950年作)という「第6回日展作品」があります。画伯の初期の代表作の一つで、「道だけしか描くつもりはありませんでした。道にもひとつのイメージというものがあると思うのです」と画伯は回顧しています。敗戦のショックを乗り越え、未来へと歩み出そうとする心の象徴としての「道」を表現した作品です。「風景によって心の眼が開けた体験を、私は戦争の最中に得た。自己の生命の火がまもなく確実に消えるであろうと自覚せざるを得ない状況の中で、初めて自然の風景が、充実した命あるものとして目に映った。強い感動を受けた。それまでの私だったら、見向きもしない平凡な風景ではあったが―」(東山魁夷『日経ポケットギャラリー 東山魁夷』(日本経済新聞社、1991年)と、風景画家としての原点を回想しておられました。国民的画家の原点にして、自らの心象を投影した記念碑的名作とあたたかな愛情の伝わる童心の世界を描いています。松江北高の仕事から身を引いて少し時間的な余裕が生まれた今、この絵のように、これまでたどってきた我が「道」を振り返ってみているところです。

 この「道」という作品は昭和25年の作で、その数十年前に、青森県八戸種差海岸にある牧場でスケッチしたものが基になっています。制作に際して、もう一度あの場所へ行ってみたいと思い、上野を発ちました。十数年前の道はかなり荒れていたんですが、昔のままの姿を見せ、向こうの丘へと続いていました。「やはり来て良かった」東山先生は思わず声に出して言います。夏の朝早い空気の中に、静かに息づくような画面にしたいと思い、画面の中央をただ一本の道が通り、両側に草むらがあるだけの全く単純な構図で、筆を走らせます。どこにでもある風景ですね。しかしそのために、東山先生の中に秘められたる思い、そしてこの作品の象徴する世界がかえって多くの人の心に響きます。誰もが自分の歩いてきた道をある種の感慨を持って見るのでしょう。先生にとっては、この道は遍歴の果てでもあり、また新しく始まる道でもありました。絶望と希望を織り交ぜてはるかに続く一筋の道でした。国立公園や名勝と言われる風景は、それぞれが優れた景観と意義を持つものなのでしょうが、東山先生は、人はもっとさりげない風景の中に、親しく深く心を通わせ合える場所を見いだすはずだ、と考えておられました。極端に単純化された構図や色彩をもって新たに構成することで、自分の心象を風景に投影し、東山魁夷の芸術性の最も繊細で最も核心に触れる部分のみを抽出して、長い期間をかけてコツコツと積み上げるように仕上げた、まさに原点ともいうべきものです。思い入れも深く、晩年にいたるまで常に「この作品に何を加えたか?」を問い続けながら画業に励んだとされる、記念碑的作品です。

 私が数年前に訪れた、香川県・坂出市にある「香川県立東山魁夷せとうち美術館」への玄関アプローチは、まさにこの絵を模して作られていました(写真下)。⇒この美術館の訪問記はコチラです  ♥♥♥

▲「香川県立東山魁夷せとうち美術館」アプローチ 絵画にそっくりです!!

 種差海岸にある記念碑には、「東山魁夷『道』記念碑建立事業実行委員会」の名義でこう書かれていました:

 東山魁夷画伯(一九〇八年七月八日横浜市生まれ)は、四度この地を訪れております。
  一九四〇年の初夏、かねて聞いていた大平牧場を訪れてスケッチし、その後兵役や相次いで肉親を失うという苦難を経て、再び五〇年の夏にここに立ち『道』を描き、画壇での地位を確立されました。
六九年、文化勲章を受章。七五年に唐招提寺御影堂障壁画を完成。七八年と八三年の夏に画文集取材のため御来八され、道にまつわる心境や牧場での感動を深い感慨を込めて語り、長い画業のあゆみの方向を決定づけた道、全作品の道標となっている『道』とも表現しております。私共は、東山画伯のこの道への格別の愛着と、人生の道、芸術性・精神性の高い求道の道に昇華させたその事を語り継ぎ、美の究竟を求める真摯な画業と、悟りの境地にも比すべき清澄幽玄な画風を称え、ここに有志相集い記念碑を建立するものであります。

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研究力が高い大学

 受験生の多くが迷うのが志望校選びですね。私は若い頃から退職するまで、卒業生に生の大学レポートを寄せてもらって、通信「あむーる」に大学紹介を掲載してきました。大学案内やパンフレット等には書いてない生情報ということで、喜んでもらっていたようです。大学を知名度だけで選んでしまい失敗することもよくあります。そこで頼りになるのが進路指導のエキスパートの意見です。全国の進学校2,000校に、進路指導教諭がお薦めの大学についてアンケートを行い、各項目5校連記で大学を記入してもらい(645校から回答)、最初の大学を5ポイント、次の大学を4ポイント…として集計しランキングを作成した「研究力が高い大学(全国編)」大学通信が公開しておられます。大学本来の機能を極めた研究大学のリストです。学校名の※印は国立、◎印は私立を表します。やはり難関大学が名を連ねていますね。

研究力が高い大学ランキング2023(全国編)

 1位は東京大学。1877年に創設された日本で最も古い国立大学であり、10学部、15の大学院研究科・教育部、11の附置研究所などを擁しています。文系、理系、文理融合型など幅広い研究の拠点である附置研究所では、「医科学」「地震」「東洋文化」「社会科学」「生産技術」「定量生命科学」「大気海洋」といった各分野における研究の成果を広く社会に還元するとともに、大学院の教育機関として優れた人材を育成。現在進行中の産学共創協定は10件を超え、研究・教育の成果を事業化するスタートアップ企業の創出にも力を入れています。

 2位は京都大学。1897年の創立以来、10の学部のほか、学部を持たない6つの独立研究科や、実務家養成を目的とする4つの専門職大学院を含む20の大学院、12の研究所を設置。11人のノーベル賞受賞者数はアジアの大学で最も多く、「自由の学風」のもとに独創的な学術研究がなされている。近年は、若手研究者を支援するとともに、女性研究者を増やすことを重視したさまざまな取り組みを推進しています。

 3位は東北大学。同大は2023年9月、文部科学省が進める、世界トップレベルの研究力を目指す「国際卓越研究大学」の認定候補第1号に選定されたことで注目を集めています。今後、研究等体制強化計画のさらなる精査を経て、2024年度に最終決定となります。昔から研究には定評のある大学で、かつての松江北高では、遠方にもかかわらず非常に人気の高い大学でした(今は希望する生徒もほとんどいない!)。

 4位は東京工業大学。2016年に日本で初めて学部と大学院を統一した「学院」を設置し、学士課程と修士課程、博士後期課程を継ぎ目なく修学できるシステムを構築した。理学院、情報理工学院、物質理工学院、工学院、生命理工学院、環境・社会理工学院の6学院のほか、全課程を通して深い教養や豊かなコミュニケーション力を身につけるリベラルアーツ研究教育院を設置し、研究のさらなる質の向上を目指している。また、生命が生まれた初期地球の環境をもとに地球・生命の起源を解明する「東京工業大学地球生命研究所(ELSI)」は、世界トップレベルの研究拠点の形成を目指す文部科学省の「WPIプログラム」に採択。英語でのサポートや恵まれた研究設備など世界中から優秀な研究者が集まる理想的な研究環境を整備しています。

 5位は大阪大学。同大では、免疫学や量子情報・量子生命、生命医科学融合、共生知能システムなどの卓越した学術領域の研究拠点を形成するため、「世界最先端研究機構」「先導的学際研究機構」などの枠組みを構築。2022年度に世界で初めてヒューマン・オルガノイド生命医科学と情報・数理科学の本格的な融合に取り組む「ヒューマン・メタバース疾患研究拠点(PRIMe)」を設置しました。多様な研究機関・大学と連携して国際的に研究を進めていることも特徴で、「すべての病気の克服」を目指す研究ハブ拠点として活動を展開しています。

6位は名古屋大学で、7位は筑波大学、8位は九州大学です。

 9位に入ったベスト10で唯一の私立大学の東京理科大学は、「理学の普及をもって国運発展の基礎とする」を建学の精神に、その研究分野は理学、工学、薬学、生命医科学、経営学と多岐に渡っており、時代とともにアップデートを重ねている。「宇宙システム工学・航空宇宙工学」「環境に優しい次世代電子デバイス」「人工知能(AI)」など、学部・研究科がそれぞれ世界レベルの独創的な研究を展開するとともに、総合研究院では学問分野の壁を取り除いた「理科大ならではの融合的連携研究」を推進しています。

 この他にも「面倒見が良い大学ランキング2023(全国編)」「就職に力を入れている大学ランキング2023(全国編)」「小規模だが評価できる大学ランキング2023(全国編)」「入学後、生徒を伸ばしてくれる大学ランキング(関東・甲信越編)」などといった面白い各種ランキングを公表しておられますので、ぜひ参考にしてください。⇒コチラです 

 これに関連して、英教育誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」(THE)が4月1日付で今年のアジアの大学ランキングを発表しました。中東を含むアジアの31の国・地域の739大学が対象。講義や研究環境の充実度、海外からの学生や教員の受け入れ状況など18の指標を基に評価しました。

 日本の東京大が前年8位から5位に浮上しました。京都大は18位から13位、東北大が34位から20位となり、日本勢の順位が上昇し、トップ30に日本の5大学が入りました。THEは今年の評価指標に「研究の影響力」を新たに追加しました。「日本が最も得意とする研究の質を測る指標」「日本の大学の研究成果における卓越性が明らかになった」と強調しています。

 トップ3は5年連続変わらず、中国の清華大、北京大、シンガポール国立大の順で続いています。THE事務局によると、トップ100入りした大学が国別で最も多かったのは中国で33大学。2位は韓国の16大学、日本は10大学で3位でした。日本勢で100位以内に入ったのは他に大阪大(28位)、東京工業大(29位)、名古屋大(41位)、九州大(52位)、北海道大(79位)、筑波大(82位)、東京医科歯科大(90位)で、いずれも前年から順位を上げています。♥♥♥

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「島根県立美術館」の野外彫刻

 「ゴールデン連休」は青空が広がりポカポカ陽気だったので、島根県立美術館」に出かけてきました。「島根県立美術館」は1999年3月、山陰両県で最大規模の美術館として開館しました。「水と調和する美術館」「夕日につつまれる美術館」をコンセプトに、世界的建築家の故・菊竹清訓さんの設計で建築されました。宍道湖岸のこの美術館周辺には素敵な野外彫刻がたくさんあるんです。「島根県内に記念碑はあってもちゃんとした屋外彫刻がなく、彫刻も裸婦の立像のような肖像が多かった。そこで、ユニークな作品を見る機会を設けようということになった」と館長。私は普段田和山に自転車で出かけるときには、わざわざこの美術館を通って、宍道湖沿いに回り道をして、これらの彫刻を見ながら目的地に向かいます。私のお気に入りのスポットなんです。今日はその野外彫刻を概観してみましょう。

 まず宍道湖大橋を渡って美術館に着くと、正面入り口横の建物の前に、電動でゆっくりとぐるぐる回転している「動く彫刻」が出迎えてくれます。ステンレスの輪がアルミニウム土台の上を光や景色を反射させて、刻々と形を変えていくのが分かります。宍道湖のさわやかな空気の流れをイメージして作られた北海道出身の伊藤隆道さんの「舞う・風・ひかり」(1998年)です。

 美術館の正面入り口の庭にでんとそびえ立っている大きなモニュメントは愛知県出身の清水九兵衛さんの「語り合い」(1999年)。美術館の建物に違和感なくとけ込んでいる銀色の羽のついた3本の柱。よ~く見ると先端が曲がっていますね。美術館を訪れた人たちが向かい合って何かを話し合っている様子を表しています。

 美術館入り口自動ドアの前には、イタリア巨匠ヴェナンツォ・クロチェッティの彫刻「岸辺の娘」(1934年)が、リラックスしたポーズで腰を下ろして休息を楽しんでいます。半円形の台座に伸びやかな裸婦が鎮座しています。

 美術館を外に出て宍道湖に面する広場には、数多くのモニュメントが見られます。まず山根 耕さんの「つなぎ石作品―35」(1998年)です。どこか古代の遺跡を思わせる大きな御影石の作品です。その石を横に長くつないでいくと優しい表情を見せています。存在感たっぷりの彫刻です。よく見てみると石どうしは接してはいません。

 その横には有名な「宍道湖うさぎ」(1999年)が12匹並んでいます。藪内佐斗司さんの傑作ですね。うさぎがぴょんぴょん跳びはねて、最後に宍道湖を眺めています。よ~く観察するとうさぎは3種類の形しかありません。後ろ足で蹴っているポーズと、前足で着地しているだけの二種類の形を交互に配置させて動きを出しています。この中に縁結びの願いを叶えてくれるといううさぎが1匹だけいるのです。それは、先頭から2匹目のうさぎ。前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れるといううわさで大人気となっています。このうさぎにシジミをお供えして、西を向きながら撫でると幸せが舞い降りるとのこと。実際、このうさぎの前にだけ、たくさんのシジミが置かれていました。

 その隣には建畠覚造さんの「WAVING FIGURE」(1998年)が鏡のように磨いたステンレス素材で波状の曲面が複雑に光を反射して、宍道湖の風景に溶け込んでいます。曲面の線を3本の丸棒が支えています。ある地点からこの作品を見ると、波状のはずのラインが直線に見えるポイントがあります。

 渡辺豊重さんの「会話」(1998年)は会話の遊びを表現した作品です。作者は制作中この作品を海幸彦と山幸彦と呼んでいたそうです。作品同士が会話をしているような、あるいは作品を鑑賞している人に会話を誘うような楽しさのある作品です。この自然の中で真っ白なモニュメントは目立ちます。

 美術館の端のほうには、島根県六日市町出身の澄川喜一先生の「風門」(1998年)がそびえ立っています。天に突き上げ高くそびえる二本の石柱の間を宍道湖の風が勢いよく通り抜けます。磨き上げた部分は、しめ縄につり下げられる四手(しで)であり、下半分は花崗岩を割った状態となっています。宍道湖の風を迎え入れる結界を意図されているそうですよ。澄川先生の石像の産地はほとんど山口県黒髪島の花崗岩だそうです。私はこのモニュメントが大好きで、よく見に行っています。私のヒーリング・スポットです。東京スカイツリーの袂にも、「TO THE SKY」というこれとよく似たモニュメントがそびえ立っていますね。♥♥♥

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スサノオマジックのマンホール

 松江市公共下水道島根県流域下水道の使用が始まってから40年になったのを記念して、島根県と松江市は、全国から人気を集めるバスケットボールチーム・「島根スサノオマジック」のロゴなどをあしらった特別なマンホールのフタを作り、チームのホームアリーナである松江市総合体育館南側の通用口付近に設置しました。チームは現在32勝28敗で西地区4位。チャンピオンシップ(CS)に無条件で進出できる2位以内を目指して奮闘しています。私はバスケットボールには全く興味はないんですが、以前に比べてずいぶん強くなりましたね。やはりスポンサーがお金をかけて外国人選手らの補強に努めたのが功を奏しているのでしょう。強くなると人気も出ます。松江市内のいたる所で青いチームTシャツを着たブースターを見るようになりました。

▲チームロゴをあしらったマンホールのふた

▲チームのマスコットキャラクター「すさまたくん」をあしらったマンホールのふた

 完成したマンホールのフタは2種類あり(写真上)、1つには松江市が制作したスサノオマジック「ロゴマーク」が、そしてもう1つには島根県が制作したチームのマスコット・キャラクターの「すさたまくん」があしらわれています。この特別なマンホールのフタは、松江市などが設置した下水道の使用が始まってから40年経ったのを記念して作られたもので、松江市総合体育館の敷地内に設置されています。いずれもチームカラーの青色を基調にした目に留まりやすい色鮮やかなデザインです。市上下水道局事業推進課の担当者は、「マンホールぶたを通じてチームを応援するとともに、目には見えないライフラインの下水道にも関心を持ってもらえたらという願いを込めた」と語りました。上定(うえさだ)市長は、「島根スサノオマジックとコラボした特別なマンホールのフタなので市民には、チームにも、長年生活を支えてくれている下水道にも親しみを持ってもらいたい」と話していました。

 松江市にはこうした有名キャラクターのマンホールぶたを結構見ることができますよ(⇒例えば、「ガンダムマンホール」コチラです)。♥♥♥

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「皆美館」

◎週末はグルメ情報!!今週は高級旅館

▲白砂青松の日本庭園

 松江・宍道湖の入り口に立つ、多くの文人墨客が愛した高級老舗宿が「皆美館」です。ランチでも利用できる庭園茶寮「みな美」では、宍道湖を借景にした白砂青松の日本庭園を眺めながら、山陰の極上の食材を中心にした会席料理をいただくことができます。歴史を遡ると、明治21年5月、皆美家の当主「皆美清太郎」「皆美」の屋号で湖水や山並みの絶景を活かした旅籠を開くことにしました。開業当時の部屋数は宍道湖畔の住居であった二階の三部屋だけでした。当時、すべてを切り盛りしていたのは皆美清太郎の妻、ユキで、「皆美」の初期の基盤を築きました。その行き届いた客への心遣いとおもてなしの精神が「皆美」の家風を築き、今に引き継がれています。皇族方がご宿泊された他、芥川龍之介、河井寛次郎、高浜虚子、川端康成、岡本太郎、小泉八雲、里見弴、田山花袋、大町桂月、志賀直哉、武者小路実篤、佐藤春夫、内田百間、尾崎士郎、島崎藤村など多くの著名な文化人、政財界人、芸術家が訪れるようになりました。「客のこころになりて 亭主せよ」藩政改革を行い、名君でもあった松江藩七代目藩主・松平不昧公が残した教えです。創業の女将ユキの時代から引き継がれてきた、客への心遣いとおもてなしの精神を支える言葉であり、この言葉を社訓として今に引き継いでいます。

 県外からのお客様をおもてなしする際に、私がいつも利用するお店です。先日も尊敬する柴田 博先生(元益田高校校長)小野恭裕ラーンズ社長とご一緒に、美しい庭園を眺めながら美味しい会席料理をいただきました。中でも不昧公好みの汁かけご飯をヒントに初代の板前長が考案した「鯛めし」は、「皆美館」でのみ味わえる家伝料理です。鯛のそぼろ、卵の白身と黄身、おろし大根、海苔、わさびを自分なりに盛り付けて、皆美秘伝のカツオベースの特製ダシをかけてお茶漬けのようにいただけ、すーっと身体に入ってきます(「鯛めし」について詳しくはコチラをお読みください)。♥♥♥

▲これが家伝の「鯛めし」です

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成功するまでやる

 「成功のコツはあるんやで」 あの大経営者・松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんが、成功のコツを教えてくれると言います。誰もがこれを聞き漏らすまいと、シーンとなりました。松下「成功のコツ。それはな、成功するまでやめんこっちゃ」―一同「なん~んだ…」

 尊敬するパナソニック創業主・松下幸之助さんの、「成功の秘訣は成功するまでやること」という言葉を肝に銘じています。「成功するまでやめない」という硬い決意を抱いて、懸命に成すべきを成していく。真心を持って事に当たれば自ずと道が開けてくるものです。

成功とは成功するまでやり続けることで、失敗とは成功するまでやり続けないことだ。(松下幸之助)

 だいたいにおいては、やはり成功するまでやめないというくらいの志をもってやらないと成るものも成らないということですね。ちょっとやってみて、うまくいかなかったら、簡単に“もうダメだ”というようなことでは、何をやっても成功しないでしょう。やっぱり根気強く続けなければいけない。(松下幸之助)

 当たり前のことのようですが、これほど実践するのが難しく、また、これほど「成功」の本質を突いた言葉は無いように思えます。同様の言葉は、私の愛読する松下本の中に数多く見ることができます。

 「成功するためには、成功するまで続けることである。途中であきらめて、やめてしまえば、それで失敗である。(中略)決してあきらめない。成功するまで続けていく。そうすれば、やがては必ず成功するわけである」/「決してあきらめない。成功するまで続けていく。そうすれば、やがて必ず成功する」/「失敗したところでやめるから失敗になりますのや。成功するまでやり抜いたら、失敗は失敗ではなくなります」/「世に言う失敗の多くは、成功するまでにあきらめてしまうところに原因があるように思われる」/「成功するまで続けたならば失敗というものはない。成功あるのみである」/「必ず成功すると信ずる。成功するまでやめない」/「成功を期する以上は、成功するまでやめない」/「失敗したという中には、本来成功するものでも、その過程でやめてしまっている場合が多いわけですね。それで失敗に終わっている。だから辛抱づよく続けていたら、やがて成功するのだ(後略)」


 同じような意味で、アメリカ合衆国の発明家・トーマス・エジソン (Thomas A. Edison)の言葉に次のようなものがあります。

◎失敗なんかしちゃいない。うまくいかない方法を一万通り見つけただけだ(I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work)
◎人生における失敗者の多くは、諦めた時にどれだけ成功に近づいていたかに気づかなかった人たちである (Many of life’s failures are people who did not realize how close they were to success when they gave up)
◎私は決して失望などしない。なぜなら、どんな失敗も新たな一歩となるからだ(I am not discouraged, because every wrong attempt discarded is another step forward)

 フォード自動車の創業者ヘンリー・フォードは、数々の苦難を乗り越えて大成功を収めた立志伝中の人物です。彼は「失敗は、もっと頭を使ってやり直すチャンスだ」と自分に言い聞かせ、従業員たちにもそう言って励ましていました。失敗したときに留意する心構えを挙げておきましょう。

1.確信  自分は必ず成功すると心から信じる

2.改善  失敗の原因を分析してそれまでの方法を改める

3.忍耐  途中で投げ出したくなってもじっと辛抱する

4.努力  成功するまで粘り強く取り組む

5.勇気  失敗を恐れずに何度でも何度でも挑戦する

 「失敗」は学習を通じて飛躍するための貴重な機会だと信じましょう。

自分を大きく伸ばすには、小さなことを着実に実行するのが肝心だ。成功する人は小を積み重ねて大を成す。失敗する人は、自分にできないことを夢見るばかりで、自分にできることをやらない。小を積まずに大躍進を試み、「ああ、やっぱりダメだった」とあきらめる人を小人と言います。 (二宮尊徳)

 小さなことを疎かにする人には大きなことは絶対にできません。二宮尊徳「積小為大」(せきしょういだい)の思想はそれを言ったものです。小を積んで大を成すほかはないのです。私も若い頃、故・竹林 滋(たけばやししげる)先生(東京外国語大学名誉教授)から『ライトハウス英和辞典』(初版~)語法・類義語欄を全部見るように言われ、毎日コツコツと2ページずつ点検をしていきます。項目によっては何日もかかるものもあります。それを5年間コツコツ続けると、一冊の大きな辞典へと結実しました。

 大きい事をしたいと思えば、小事を怠らずに勤めなければならない。およそ小人の常として、大きい事を望んでも、小事を怠るので、結局大きい事を成し遂げられない。それは小を積んで大となる事を知らないからである。たとえば、百万石の米といっても、米粒が大きいわけではなく、小さな米粒が沢山集まって百万石となるのである。また一万町歩の畑を耕すのも、一鍬ずつ耕していかなければならない。千里の道も一歩ずつ歩いて行き着くのだし、山を造るにも、一もっこの土を重ねて積み上げていくのである。この道理をよくわきまえて、小さい事を勤めていけば、大きい仕事は必ず成就する。小事をいい加減にして怠るものには大事を成し遂げることは決してできない。

 二宮金二郎の近所に、畳職人で源吉という男が住んでいました。弁も立ち、才気もあったのですが、大酒飲みで怠け癖のある男でいつも困窮していました。その男が年末になって二宮金次郎の元へやって来て餅米の借用を頼んできました。金次郎はこの男に対して、次のように、懇々と説教をしたと伝えられています。

 そなたのように年中家業を怠って、働かずにおって、銭さえあれば酒を飲む男が、正月だからといって、一年間勤苦勉励して丹精した者と同様に餅を食おうというのは、心得違いもはなはだしい。正月というものは、不意に来るものではない。米も偶然に得られるものではない。三百六十日明け暮らして来るのだし、米は春に耕し、夏は草を取り、秋に刈って、初めて米となるのだ。そなたは春は耕さず、夏は草を取らず、秋は刈りとらずだ。それで米がないのは当たり前のことではないか。だから正月だからとて餅の食える道理のあるはずはない。今ここで貸しても、どうして返せるのか。借りておいて返す道がなければ罪人になってしまう。正月に餅が食いたいと思えば、今日から遊惰を改め、酒をやめて、山林にいって、落ち葉をかいて、積み肥をこしらえて、来春田を作って米をとって、来々年の正月米を食うべきだ。だから来年の正月は、おのれの過ちを悔いて、餅を食うことをやめるがよい。

 日々の努力を軽んじてはならないのです。小を積みて大と為す。

 わたしの信条の一つに「ビジネスに満塁ホームランはない」という言葉がある。「満塁ホームラン」は野球の言葉であって、ビジネスの言葉ではない。ビジネスはあくまでも一歩前進また一歩前進、尺取り虫のように一歩一歩重ねていって精巧にいたるものであって、ビジネスに成功するには「時間×努力」が巨大なエネルギーとなることを自覚しなければならない。ところが多くの人は、巨大なエネルギーをほしいと思っていながら、それが「時間×努力」であることを知らないまま、一振りで満塁ホームランを狙うから失敗してしまうのだ。わたしは、マクドナルドの社員たちにも事あるごとに口を酸っぱくしていっている。「満塁ホームランを狙うな、一歩一歩でいい。努力と時間をかければ巨大なエネルギーになるのだ」と。(藤田 田)

 あの経営の神様、故・松下幸之助さんもまた「積小為大」の提唱者でした。厚さ1ミリしかない紙でも、毎日1枚ずつ積み重ねていけば、30日で3センチになります。1年で36.5センチ、10年で3メートル以上になります。そしてずっと止めることなくコツコツと続けていけば、やがては富士山の高さを超えてしまうことでしょう。多くの人は、途中でそういう自分が信じられなくなってやめてしまいます。あと少し、もうちょっとだけ積み上げれば成功というところまで来ているのに、その手前でやめてしまうのです。もったいないことです。0.01の努力を惜しまずに頑張りましょう(⇒「1.01と0.99」の私の解説はコチラです)松下さんが成功する秘訣を聞かれて、「成功するまでやり続けること」と答えたのはこういうことなんですね。♥♥♥

 成功する人と、そうでない人の差は紙一重だ。成功しない人は、必ずしも責任感がないわけではない。違いは、粘り強さと忍耐力だ。失敗する人は、壁に行き当たったときに、体裁のいい口実を見つけて努力をやめてしまう。 (稲盛和夫)

▲月刊『致知』の稲盛和夫特集号は勉強になった

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タイガー・ジェット・シンの叙勲

 政府は4月29日付で春の叙勲受章者を発表しました。外国人叙勲で、悪役として日本のプロレス界で活躍した元プロレスラーのタイガー・ジェット・シン(本名・ジャグジット・シン・ハンス)さん(80歳)「旭日双光章」が贈られました。これまでに、外国人レスラーとしては、2017年に覆面レスラー「ザ・デストロイヤー」として活躍したリチャード・ベイヤーさん、2021年に「千の顔を持つ男」ミル・マスカラスさんが叙勲を受章しています。

 トレードマークのターバンを巻き、口にくわえていた凶器のサーベル(これはシンを売り出すための猪木のアイデアでした)を選手だけでなく観客にすら容赦なく振り下ろす。まさに「インドの狂虎」の異名を持つ悪役レスラーとして、1970年代のプロレス界を震撼させたレスラーでした。「旭日双光章」の知らせに「日本の全てのプロレスファンに与えられた栄誉だ」と喜びました。

 80歳になってもその眼光の鋭さは変わりません。日本プロレス界で故・アントニオ猪木さんの最大のライバルと言われます。タイガージェットシンと言えば、新宿の伊勢丹デパートで買い物中の猪木・倍賞美津子夫妻と乱闘を起こした〝新宿・伊勢丹襲撃事件〟はあまりにも有名です。舞台裏を紹介しておきましょう。シンを売り出すために猪木自身が考えたアイデアでした。レフリーのミスター高橋シンがデパート前の車の中で約束の時間に時計を見ながらシンに指示を出します。脱兎のごとく車から飛び出したシンは、伊勢丹から出てきた猪木をシナリオ通りに襲いました。ガードレールに猪木の額をぶつけ、猪木が流血します。もちろん猪木が自分で自分の額をカミソリで切ったのです。シンは大急ぎでミスター高橋の車に戻り逃走しました。凄惨な猪木を見た妻の倍賞さんが大声を出して助けを求めます。思惑通り警察が出動し大騒ぎとなりました。翌朝にはスポーツ紙だけでなく一般紙までが、大々的に狂気の外国人レスラーの犯行について書き立てました。これぞまさに猪木の狙っていたシナリオ(アングル)でした。

 タイガー・ジェット・シンは、日本で最も知られたインド人の一人です。トレードマークは頭に巻いたターバンと凶器のサーベルで、プロレスの世界では悪の限りを尽くすヒール(悪玉)として1970年代に名を馳せました。1944年4月3日生まれ、80歳。インド・パンジャーブ州出身。1965年、カナダでプロレスデビュー。1973年に初来日。トレードマークはターバンとサーベル。得意技はコブラクロー。悪役ヒールとして活躍し、全日本プロレスやインディー団体、ハッスル、IGFと渡り歩いています。リング外では実業家として知られ、茨城県つくば市にカレーハウスを経営、カナダに自分の名前を冠した高校を開校するなどの事業を展開しました。

 かつて、タイガー・ジェット・シンは、とてつもなく凶暴なレスラーでした。観客の目があろうとなかろうとお構いなし。新宿で買い物中のアントニオ猪木と乱闘を起こした事件はあまりに有名だし、カメラマンや記者にも容赦なく襲いかかってくることから「シンだけは本当に狂ってる」というのが関係者の共通認識でした。もちろんこれは作られたイメージ像です。ところが、そんな男が今、慈善活動に力を注いでいるのですから、人生はわからないものです。在トロント日本国総領事から表彰されたニュースも伝わってきました。希代のヒールレスラーは、いったいいつから慈善活動に取り組むことになったのだろうか?彼はカナダ最大の都市トロント近郊の街、ミルトンに住んでいます。

 「慈善活動に取り組むことになったのは、5歳だった孫が重い病気に見舞われたのがきっかけなんだ。医者からは手の施しようがないと言われたんだが、奇跡的に助かった。人間は当事者にならないと、なかなか苦しみや悲しみを理解できないものだよ。それからの私は、苦しんでいる人がいれば、助けに行かねばならないと考えが変わったのさ」と語ります。家族とともに立ち上げたタイガー・ジェット・シン財団に集まった寄付金は120万カナダドルにまで達し、医療機関や教育施設を継続してサポートしているという。今回の表彰も、東日本大震災で被災した児童への募金活動が評価されてのものです。

 タイガー・ジェット・シンは、地元では日本人が想像する以上の英雄です。カナダ政府からは特別功労賞を授与され、街にはシンの名前が付いた公立学校も存在する。「あなたは有名人でお金もコネクションも持っているからと、いろんな依頼がある。しかし、学校に関しては心の底から善行を続けていくために実現したんだよ。自分が善行を続けていると、奇跡は起こるし、奇跡は連鎖していくものさ」と、悪役レスラーとは思えない台詞が続きます。プロレスで築いた地位を使って社会貢献に力を注いでいます。かつての宿敵については、「ババ、ツルタ、チョーシュー、フジナミ、サカグチ…日本ではいろんなビッグネームと試合をしてきたが、やはり最大の敵はイノキだったし、人生を懸けた試合をしたと思っている。最近のイノキの姿を動画で見たときには、神のご加護があるよう、すぐに祈ったよ。ベッドに横たわっているときも笑顔でイチ、ニ、サン、とやっているイノキの姿は、昔と変わらないね」。シンが「人生を懸けた」と語る通り、2人の対決は常に命懸けでした。「猪木が一番強かった」と振り返ります。試合後は数週間も打撃の痛みが残ったと言います。さまざまな因縁がありましたが全て「過去のことだ」と意に介しません。リングの中でシン猪木に腕を折られたし、反対に猪木の首を絞めて失神させたこともありました。

 凶悪さと慈悲深さ。それにしても、いったいどっちがシンの本性なのでしょうか?「ヒールレスラーとしてのタイガー・ジェット・シンは、自分のためにやったことであり、プロレスのためだ。リングで虎が生き残るためにやっていたことさ。だからと言って、過去に自分が痛めつけた相手に対しては何も悪いことをしたとは思っていないよ。ただ、私の中には二匹の虎がいるんだ。一匹はもちろん、リングの中で暴れる野獣としての虎。そしてもう一匹は、リングで起きたことはすべて置いて帰る、ファミリーマンとしての虎だ。引退した今は100%のファミリーマン。家族を大切にする一人の男なんだよ」シンの言葉から感じるのは強烈なプロ意識である。「我々がすべきは、とにかく与えること、平穏と幸せと愛。それが生きる理由さ」。サーベルを置いた虎は、残りの人生を他者のために生きると決め、息子や孫に囲まれて穏やかに暮らしています。

 今回の授章にあたって、「日本の良い思い出ばかり」と目を細めます。現金や貴金属が入ったかばんをホテルに置き忘れ、何も盗まれずに戻ってきたことがあったと言い、「一生忘れない。誠実な人たちだ」と語りました。一世を風靡したヒールも、リング外では実業家の顔を持ち、在住するカナダで慈善団体を運営。2011年の東日本大震災に心を痛め、福島県で自宅を失った児童らに義援金を送りました。「日本は第二の故郷。日本人は家族のような存在だからね」と。♥♥♥

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finger =「指」?

 勝田ケ丘志学館の授業で、生徒たちに次のような質問をしました。

  How many fingers do you have? (fingerを何本持っていますか?) ※答えを次の中から選びなさい。

     ①20  ②18  ③16  ④10  ⑤8

正解は1人だけでした。答えは⑤(8本)です。finger=「指」と考えていると、間違えます。日本語で考えると、手の指と足の指を合わせて20本になりますが、英語では、You have 8 fingers, 2 thumbs, and 10 toes.となります。親指はthumbsであってfingersではなく、足の指はtoesと呼ばれます。そのことは、英語学習辞典LDOCEfingerの定義を読むと分かります:one of the four long thin parts on your hand, not including your thumbs(手の長く細い4つの部分の1つ、親指は除く)   英語では「手の親指」は “finger” には含まず、“thumb” という特別な名前で呼ぶのです。そして、他の4本の指には名前に全て “finger” がついています。

  • 人差し指→ forefinger, index finger, the first finger

  • 中指→ middle finger

  • 薬指→ ring finger

  • 小指→ little finger, pinky/pinkie

なので、上の “finger” の定義の「手から突き出た4つの長細い部分」は、親指以外の4本を指しています。そうすると左右の手を合わせて8本となるので、が正解なのです。これが英語を分かっている人の厳密な正解です。

 と、言いたいところですが、絶対にそうとも限らないんです。ネイティブ・スピーカーの中にはthumbfingerの1つと捉えて10本と答える人もいるんです。そこら辺のことを、OALDにはこんな定義が示されています:one of the four long thin parts that stick out from the hand (or five, if the THUMB is included)   「もし手の親指を含めたら5本」と書かれています。この場合には “finger” は左右で10本(=ten fingers)ということになります。Merriam-Webster’s Advanced Learner’s English Dictionaryには、one of the five long parts of the hand that are used for holding things; especially : one of the four that are not the thumbとあります。大きなくくりとしては “finger” の概念に含まれる、みたいな感覚なのではないかと思います。ここら辺を最新版の『ライトハウス英和辞典』(第7版)は次のように書いています:

fingerは親指(thumb)を含むことも含まないこともある。指を数えるときには親指は含まれず、例えばthird fingerというと薬指のこと。

 ついでながら、「足の指」は “toe(s)” と呼びます。そして、足の「親指」と「小指」は、こんなふうに呼ばれています。

  • 親指→ big toe

  • 小指→ little toe

他の指は、親指の隣が “second toe”、中指が “third toe”、小指の隣が “fourth toe” です。

◎「英語=日本語」は危険!! 

 このように、「英語=日本語」と単純に一対一対応で考えていると、中にはそれぞれの語が指し示す範囲は重なっている部分と重ならない部分があるので、ワナに陥る事になります。このような例は山ほどあるんです。hobby=「趣味」とはならないことは以前に取り上げましたね(⇒コチラです)。初対面の人に向かって“What’s your hobby?”と聞くことの不自然さが分からない人が多くいます。hospital=「病院」もオカシナことになります(⇒コチラです) more than=「~以上」と考えていると、これまた困ったことになります。このことは「共通テスト」でも取り上げられました。relative =「親戚」もマズいことが起こります(⇒コチラです)。midnight=「真夜中」も誤りです:×I always study at midnight. ここら辺をきちんと取り上げた単語集が欲しいところです。♥♥♥

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『時は待ってくれない』~100年インタビュー

▲2018年に出た単行本

 最近、小田和正『時は待ってくれない』(PHP文庫、990円、2024年4月)が書店に並びました(写真上)。これは、NHK・BSプレミアムにおいて、2017年8月13日に放送された番組「100年インタビュー完全版/アーティスト小田和正~時は待ってくれない~」をもとに原稿を構成した単行本(2018年5月刊行)を文庫化したものです。このような長時間にわたるインタビューを受けるのは、小田さんには非常に珍しいことだったんですが、そこは自身のプロフィール欄に必ず「趣味・オフコースの世界」と書くほど“小田和正・命”な、NHKアナウンサー・阿部 渉(あべわたる)さんの熱意とアナウンス技術で、とっても素敵な番組になりました。50年近いキャリアの中でもほとんど応じてこなかったという、貴重なロングインタビューが実現したのです。事務所の方から「小田はシャイなので、会ってすぐにインタビューするのは難しいと思います。少しずつ信頼関係を築いていきたいので、ぜひ会いに来てください」と言われたそうです。それから全国各地のコンサートに足を運び、小田さんと会いました。初めて対面した時は緊張して、汗でシャツがグショグショだったそうですが、3時間近いコンサートを終えた後なのに、阿部さんの来るのを立ったまま待っていて、阿部さんを本当に感激させます。インタビュー収録の前日には、小田さんから「わかりきっていることを聞くような、予定調和のインタビューではダメだ。自分の言葉で聞け」とのメッセージが伝えられました。ただでさえ緊張していたのに、さらにハードルが上がりました。が一方で、その厳しさから小田さんの真剣さが伝わりましたし、それくらい真摯に向き合ってくださったのだと感じていました。インタビューの中では次のような事実が明かされています。

・歌詞の中に「風」がよく出てくる背景(本当によく出てきます)

・「本番まで高いキーで歌わない」(もうお歳なんですから無理をなさらずにステージで最高のパフォーマンスを見せてもらえれば僕達は充分です)

・「行け!という気持ちで歌っているから聴いている人達に伝わっていると思う」(はい、小田さんの気持ちは痛いくらいに伝わっております(盲目的だな)。でも、何事も成せばなる、と57歳にして信じている小田さんの熱意に脱帽)

・「周囲の人間に助けてもらうのはいいが、頼ってはダメ。頼ると回りの人間が離れて行く。自分の力でのたうち回っても頑張る。」(名言だと思いました。頑張っている人には自然と周囲からの助けがあるのかも・・・。ただ助けを待っているのは頼っているのと同義だと思いました。)

・大学・大学院で学んだ建築と音楽における作品作りには相通ずる共通点があった

・「いい思い出を作る。人生はこれに尽きると思います。でも、いい思い出ばかりだと死ぬのが辛い。この辺りの兼ね合いが難しいのです。」(「生きる」って事は楽しい事ばかりじゃないんだよ、という小田さんのメッセージが伝わってきます。いい思い出。人それぞれにものさしは違うけれど、僕は今はの際に「お前のおかげでいい人生だった」と必ず言いたい。(byさだまさし「関白宣言」))

・「(同年代以上のリスナーに対して)優しさなんて持っていない。むしろ蹴飛ばすくらいの感じで、もっと頑張ろうぜ!って」(さすが、小田さん。厳しいです。あくまで前向き発言。でもね、小田さん。疲れたら少しくらい休んでもいいですよね・・・。)

 2022年~2023年にかけて、全国ツアー「こんど、君と」「こんどこそ、君と!!」を実施し45万人を動員し、自らの持つ国内アーティスト最年長アリーナツアー記録を更新しました。年を重ねるごとに高い声は出なくなっていくものですが、77歳になった今もあのハイトーンボイスが衰えていないのは、本当に驚くべきことです。 オリジナルに近い感じでファンは聞きたいわけですから、その期待は裏切りたくない。 キーを下げなきゃ歌えなくなったら、潔く身を引くのがいいなってぼんやり思っているんだけど、と語りました。 そして、キーを下げる時=引退する時という覚悟を、うっすらとはいえ持っているということにとても驚かされます。 

 1998年に小田さんは、雨の中ゴルフコンペに向かう途中、東北自動車道で、アーティスト生命の危機ともいえる交通事故にあい重傷を負います。鎖骨と肋骨を3本骨折。首の骨がずれ、神経を圧迫する絶対安静の重症でした(⇒事故の詳細はコチラの私の解説をお読み下さい)。心配したファンの人たちから「とにかく生きていてくれただけでよかった」という手紙をいっぱいもらって、小田さんは人生観が変わったと言います。感動しましたね。身内でもないのに。そんな風に思ってくれるのだから、喜んでもらわなきゃと。そこで初めてそういう風な考え方になりました。小田さんは「こんな風に思ってくれるんだから、喜んでもらわなきゃ」と。その後、小田さんはファンとの距離を縮めるためにさまざまな試みを行ってきました。コンサートでお客さんの近くに物理的に近づいていくと、本当に喜んでくれます。花道」を作って歌いながら歩いてったら(時には通路に降りていくことも)、本当に嬉しそうな顔してるんだ。昔だったら照れくさいし恥ずかしいし。それが笑顔なんか作っちゃってね。触ってきますね。できるだけ腹立てないように(笑)やっぱシャイだから、手を振って歌うなんてありえないんだけど。どうしてそんなことができるんだろって。「生きていてくれるだけでよかった」って言葉はすごい(印象に)残りました。小田さんがコンサートの開催地をめぐり、地元の人たちと触れあうシーンを撮影して会場で流す「ご当地紀行」も、そんな小田さんからのファンサービスです。ご当地紀行」は、そもそも、そのライブのために自分はいるんだという証を残したい、みんなと共有したいなと。サンキュートーキョーなんて、俺は言わないから。外タレが言うとみんな喜ぶんじゃないか。ほんとにみんなが住んでいそうな街角、喫茶店にいたら、「あぁ、来てくれたんだ」と思ってくれる。長年ファンが楽しみにしているコンサート合間での「ご当地紀行」はこうやって始まったんです。コンサートの中でも歌いながら客席に向かって手を振る。MCにも力を入れて話します。昔の小田さんだったら考えられないくらいの変わり様です。

 時は待ってくれないから、小田さんは目いっぱい走ってきました。「時は待ってくれないから、急げ」ということではなく(小田さんの曲には「time can’t wait」があって、その中に「夢を追いかける人のために、時は待ってる」という歌詞が出てきます)、何かを一生懸命やろう、何かをスタートするということが大事なんだ、だからとにかく頑張るんだ、というのがメッセージです。本当にやりたいなと素直に思うことがあるならば、時はきっと待ってくれます。本当に頑張っている人には、夢を追いかける人たちのためには、時は待っていてくれるのです。そんなことを教えてくれる一冊でした。♥♥♥

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渡部昇一先生のエピソード(31)~一番になる

◎「渡部昇一先生のエピソード」を全て読むことができます! 

 尊敬する故・渡部昇一先生のエピソードを書き溜めてきましたが、31回目となりました。まとめて読みたい、というご要望をいただきましたので、このブログの右下にある「カテゴリー」「渡部昇一先生のエピソード」という項目を作りました。ここをクリックしていただくと、今までの(1)~(30)を全てお読みいただくことができます。

 思い起こせば、学生時代に大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)を読んだのが最初の出会いでした。以来単行本だけでなく雑誌に寄稿された文章まで片っ端から読み漁りました。私が熱狂的ファンであることを知っておられた知り合いから、松江に講演に来られるから会わせてあげる、との有り難い申し出をいただき、「ホテル一畑」の控え室で初めてお会いすることができました。緊張する中、握手していただいたことは忘れることができません。以来事ある度にお教えをいただき、『ライトハウス英和辞典』(研究社)の推薦文まで書いていただきました。私の定年退職時には心温まるねぎらいのお言葉までいただきました。感謝あるのみです。

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 故・渡部昇一(わたなべしょういち)先生のご実家(山形県)は、ごくごく小さい田舎町の小間物や化粧品を扱うお店でした。母親が自分の工夫で造った婦人用の鬢付け油を、付近の農村や漁村の間で一定の販路を持っていたので、お店は「あぶらや」と呼ばれていました。農家の長男で家を継がなかった父親は、経済観念に乏しい高等遊牧民的気質の人でした。敗戦から二年ぐらいした時、五十歳を超えてから、偶然の機会で父親が定職に就きます。生まれて初めて人並みの給料をもらうようになったのです。先生が高校卒業する前後の数年間だけ、渡部家の経済状態が急に少しだけ良くなりました。おかげで、大学受験をできることになったのです。上智大学に入学一年目は100パーセント親からの仕送りだけで生活し、夏からは奨学金をもらいました。日本育英会(月2,000円)の他に、鶴岡の風間家克念社育英会(年間30,000円)と旧藩主酒井家と酒田の本間家による荘内育英会(二ヶ月ごとに1,400円)でした。

 上智大学に進学した故・渡部昇一先生には、どうしても一番にならなければいけない事情がありました。大学一年生の夏休みで7月に帰省したら、父親が職を失っていたのです。84年の生涯の中で、まともな給料を受け取った期間は約二年半だけです。これは全くの偶然で、神様が渡部先生を大学に入れるために、父親に短期間の定職を与えてくれたとしか思えない、と回想しておられました。今後は親から授業料を送ってもらうメドが全く立たないのです。授業料はすでに一年分納めてありますが、来年の分の見通しは全く立ちません。目の前が真っ暗になりました。「知の扉」を開けてもらい、さあここからという時に、そこから退去してしまうことだけは絶対に嫌でした。そうすると、どう考えてみても可能な道は一つだけしか見えていませんでした。それは特待生になり、翌年の授業料を免除してもらうことです。その確実な道は、英文科で首席になることです。時には一学科から特待生が二人ぐらい出ることはあるのですが、それでは当てになりません。一番であれば大丈夫です。今のようにアルバイトの仕事が簡単に見つかる時代でもありませんでしたから、どうしても授業料免除の特待生にならなければなりませんでした。ところが一番になろうとすると、どうしても他の同級生の成績が気になるのです。自分より優れた人間に後れを取った場合、まず嫉妬心が先に立ち、相手の失敗を願うようなことになりかねません。他人の成績が気になるということは、考えてみると、いかにも卑小で自他共に恥ずかしいことのように思われたのです。このように、一番を目指すことは、渡部先生にとっては心理的に辛いものがありました。ここで先生は考えます。「そうしないで必ず一番になる道はないのか?」と。そこで、一番になろうとするのではなく、全部の科目で100点を取ることだけを目的とすればいいのではないか、という考えに思い当たります。これならライバルの失敗を期待するようなマイナスの姿勢を超越することができ、自らのペースで道を拓くことが可能です。他の人のことは考えずに、講義に全力集中して、全ての科目に100点を取ることを目指せば、卑しい思いから逃れることができるのでした。まずライバルのことは頭からはずす。100点を取れば、必ず特待生になることができます。そこで、断乎それを実行しようと決心されたのでした。当時の上智大学は授業は午前中にみっちり詰まっており、午後一時以降は授業はありませんでした。厳しい食料事情のために午後にアルバイトをしている学生がたくさんいました。しかし渡部先生はアルバイトは一切せずに、全部を勉強時間に充てておられました。

 それでまず、毎朝早く起きて5時45分に洗面所に行って水をかぶり、水で目を覚ましてから勉強をしました。全ての授業で最前列で教授のすぐ前の席を取ります。他の学生の存在を気にしないで講義に集中するためでです。先生の言うことは一言漏らさず聞いてノートを取りました。そしてその日の講義は寮に帰ったら何よりも丁寧に読み返し、分からないところがないかどうかをチェックし、もしあったら次の時間か、あるいは教授控え室に行って質問する。講義で教わることは何から何まで徹底的にマスターして、学期の終わるころにはその科目については教師と対等か、もしくはそれ以上の知識を身につけ、一科目残らず満点を取ることを目指す。そして試験になった時に、どのような問題でも正確に答えられるようにする。これを卒業するまで厳格に自分に課されたのです。おかげで一年生の通信簿では全科目100点かそれに近い点数を取ることができ、二年生からは特待生になることができました。事実、大学四年間の渡部先生の成績は、全教科の平均点が90点以上でした。二番の学生の平均点が80点台でしたから、全20科目を総合すると200点ほどの差ができていました。競争心を排除するために、ただひたすら講義に集中して100点を求めた結果がこれでした。我ながらよくやった」と回想しておられます。いつも100点を取ろうと頑張っていた先生は、傍目には「点取り虫」のように見えていたかもしれませんが、そのおかげで、嫉妬心や競争心にとらわれることなく、他の人の成績を気にかけることなく勉強に集中することができました。ライバルを嫉妬するよりは、良い刺激として受け止め、どこであろうと、今いるその場所で頑張る、それが人生に後悔しないためには非常に重要なことです。

 渡部先生上智大学に入学した時は、新制大学に切り替わる年で、スタートしたばかりで文部省の指示も理想主義的なところがありました。つまりは教養課程です。教養科目は新しい時代の大学教育の特徴といった感じでした。文科の学生でも、数学、物理学、生物学、化学などの自然科学の科目も必修単位だったのです。他の大学はかなり弾力的に運用していたようですが、上智大学では生真面目にそれを文科の学生に強制しました。まだ学校がまだ小さくて塾のような雰囲気でしたから、全て必修だったのです。渡部先生は来年も大学に特待生として残れるようにと、必死の覚悟で全て100点を取る決心で勉強しておられます。動機は授業料を免除してもらうという金銭的なものでしたが、高校までの生活では経験したことのない真剣さで、自然科学の授業にも没頭しました。おかげでその後は授業料を払うこと無く無事卒業することができましたが、それとは別の恩恵もあったのです。それは専門課程ではないにせよ、大学教養レベルの自然科学の諸科目の試験を受け、正確に理解しているという保証を得たために、その後の人生においても、自然科学関係の話題にも興味を持ち続けることができたのでした。渡部先生のご専門は英語学で、そこに安住すればそれで人生を送れたはずですが、諸学問に対する興味は年齢とともに広がっておられます。こういう訳で、渡部先生の生涯お書きになられた多くの著作は、専門の英語学だけでなく、幅広い分野に及ぶことになったのです。♥♥♥

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「のとじま水族館」の被害

▲能登島大橋

 私も訪れたことのある(和倉温泉「加賀屋」からタクシーを飛ばして往復しました)「のとじま水族館」(石川県七尾市能登島)が元日の「令和6年能登半島地震」で莫大な被害を受けました。地震発生当時、館内には1,000人近くの来館者がいて、全員が敷地内の高台に避難しました。「能登島大橋」が通行止めになったために、お客さんたちは足止めをくらい帰ることができず孤立されたと聞き、心配したものです。能登半島の湾、七尾湾に浮かぶ能登島にある「のとじま水族館」は、イルカやアシカのショー、一体型アクリル水槽による海中にいるような展示の「のと海遊回廊」などが人気の水族館です。日本海側の水族館で、ジンベエザメを飼育していた唯一の水族館でした。 今回、断水に加え、複数の水槽でろ過設備の停止や水漏れなどの被害が発生し、生育環境が大きく悪化しました。ジンベエザメ館の水槽は水位・水温が低下して、循環ポンプが水没し、ろ過設備が停止したために、1月9日には人気者だったオスのハチベエが、10日にはメスのハクが死亡しました。残された生物を、スタッフも被災したであろう大変な最中に手配を進め、4日にゴマフアザラシ2頭とコツメカワウソ2頭が「いしかわ動物園」に。6日にカマイルカ2頭とゴマフアザラシ1頭、14日にウミガメ8頭が福井県坂井市にある「越前松島水族館」へ移送されました。また、17日には「富山市ファミリーパーク」がフンボルトペンギン10羽を受け入れています。 動物の命を救うため、県内外の水族館や動物園の9施設が、可能な限りの動物たちをピンチから救うため迅速に尽力して、イルカやペンギンなど9種63匹の受け入れに協力し、のとじま水族館」の再開を待っています。「のとじま水族館」は、当面の間の休館を発表しており、最新情報に関しては公式サイトで発表予定となっています。クラウドファンディングも始まりました。一日も早い再開を祈りたいと思います。

 東京スカイツリーに併設する「すみだ水族館」(東京都墨田区)は、能登半島地震で被災した「のとじま水族館」より、7羽のマゼランペンギンを2月1日に受け入れています。避難中のペンギンたちは、当初は餌をやろうとしても、見知らぬ飼育員に警戒する様子を見せたといいます。3月初旬から館内の散歩を開始しました。初めは恐る恐る歩いていたペンギンたちも、飼育員の誘導でそろり一歩前へ踏み出すと、今では慣れた様子で自由に歩き回っています。様々なものに興味津々だとか。「すみだ水族館」では、「飼育員として、自分の手で世話できない悔しさがあると思う」とおもんばかりました。成長の様子は、現地の飼育員たちに安心してもらうために、動画や写真で情報共有を続けているといいます「能登の子供たちは、きっとペンギンたちに会えるのを楽しみに待っていると思う。避難先でも元気に過ごしているよと伝えたい。一日でも早く復興が進み、元気にのとじま水族館に戻せるように、大切にお世話していきたい」と話しました。

 4月25日は「世界ペンギンの日」でした。南極にあるアメリカ合衆国の観測基地「マクマード」アデリーペンギンが毎年4月25日前後に姿を見せることから、基地のペンギン研究者たちが制定した記念日です。ペンギンに対する理解を深め、保護活動や環境問題についても考えて欲しいという意味があります。

 ちなみに私は「水族館オタク」でして、全国各県に散らばっている水族館を制覇しようと企んでいます。♥♥♥

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松風庵かねすえ

◎週末はグルメ情報!!今週はわらび餅

 毎年ゴールデン連休時期になると、今は閉店した一畑百貨店「全国うまいもの博」を開催するのが恒例となっていました。中でも私が絶対に外せないのが、香川県「松風庵かねすえ」わらびでした。一畑百貨店の6階が催し場なんですが、毎回6階のエレベーターを降りたすぐのところの右側が「かねすえ」の定位置です。いつ行っても大行列ができているのですぐ分かります。「最後尾」の看板に並んで、行列嫌いの私でも30分待ってでも食べたい、そんな美味しい「わらび餅」です。2014年には「モンドセレクション銀賞」を受賞しています。和三盆と希少糖含有シロップを使った、讃岐自慢の一品です。本わらび粉のこしの強さとたっぷりのきな粉のハーモニーが絶妙ですね。別売の和三盆蜜をかけていただくと一層美味しさが引き立ちます。お店の詳しいレポートはコチラです。私はここの「わらび餅」が日本一だと思っています。

 「松風庵かねすえ」は、1965年(昭和40年)創業の、香川県高松市扇町に本店を構える和洋菓子屋さんです。地元香川の素材にこだわったお菓子を販売しています。程よい甘さときなこの香ばしさが絶妙なハーモニーを奏でる「さぬきわらび餅」は、香川の代名詞とも言える「さぬきうどん」に負けないくらいのコシと粘りがあり、お餅のような食感とのどごしが楽しめる美味しい「わらび餅」です。わらび餅 こちらがその「わらび餅」(写真右)。とにかくやわらかさがすごくて、いままで食べたことがないくらいです。こんなにたくさん入ってます(1500円)。冷蔵庫で4日持つので一人暮らしの方でも安心です。写真じゃあ、ぷるぷる感が伝わらないですかね。このままずっと持ってると落ちてちぎれるくらいやわらかいんです。別売りの黒蜜をかけていただきます。

IMG_8173 「わらび餅」は、見た目こそ華やかさはありませんが、これほど嫌いな人が少ないお菓子も珍しいでしょう。お店によっては、個性的な違いが少しずつあったりもします。なかでも、香川県高松市にある「松風庵かねすえ」「さぬきわらび餅」は、シンプルで素朴な王道の“わらび餅”です。高松と聞くと、有名な「讃岐うどん」のイメージが強いのですが、四国東部で伝統的な製法で作られる高級砂糖「和三盆」も名物です。ほんのり控えめな甘さは、讃岐特産の「和三IMG_8174盆」と希少糖が入ったシロップを使用しています。まろやかで口溶けの良い本場の「和三盆」が、「わらび餅」を上品に引き立ててくれます。こしの強い“本わらび粉”で作った餅にたっぷりと“きな粉”がまぶしてあります。口に入れると、喉元までスルッと入ってきます。この食感が、なんともたまりませんね。少し黒蜜をかけると、しっとり感が増してさらに美味しくなります。大きさも、ひと口サイズで小さいので、「パク、スルッ、パク、スルッ」と、次から次へとテンポ良く口に入っていきます。お茶をすすりながら、「わらび餅」を食べると、みんなが笑顔になります。家族の団らん時に、「和三盆」がたっぷり入った「さぬきわらび餅」をぜひ召し上がってみてはいかがでしょうか?さぬき和三盆糖のやさしい甘さと何とも言えないもっちり&つるんとした喉越し。これはクセになること間違いなしです!!

 連休中は2回ほど行列に並んで買いました。大阪帰りの「やくも号」松江駅に降りたのが18時50分。ダメ元で、19時閉店の一畑百貨店に直行してみると、誰も客がいません。お店の方と雑談しながら、楽々とゲット!案外この時間帯が狙い目だったかもしれませんね。一畑百貨店が閉店したので、もうこの楽しみも味わえなくなりました。

 今日はハウステンボスの帰りに、JR博多駅に立ち寄って阪急デパートで買い物をして、帰り道「いっぴん通り」を歩いていたら、なんと「かねすえ」の常設店があるではありませんか!これはビックリ!買って帰らなくてはいけません。店員さんと松江ではこのわらび餅を買うために30分~40分の行列ができるんだ、というお話をしたらずいぶん喜んでくださって、ここはいつでも開いていますからまた来てくださいね、と言葉を交わしてお別れしました。

▲JR博多駅の「かねすえ」

 さて今日から米子高島屋「ズムサタ全国うまいもの博」が始まりました。「かねすえ」が出店するというので、早速出かけてきました。4階特設会場です。予想通りすごい人が並んでいました。最後尾に並ぶこと25分、お目当ての「わらび餅」「黒蜜」(1,500円)を手に入れることができました。家で冷やしていただきます。いつ食べても美味しいや。日本一の「わらび餅」だと思っています。❤❤

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「ニデック京都タワー」

 京都の玄関口のランドマーク、JR京都駅の前󠄂にそびえ立つ「京都タワー」の名前が、4月1日から「ニデック京都タワー」に変わりました。「京都タワー」は、地上131メートルの京都市街で最も高い建物で、京都の街を照らす灯台をモチーフとした独特なフォルムと、立地の良さから、およそ60年前の1964年12月の開業以来、京都のランドマークとして長年親しまれてきました。建設時は、景観を守るためということで、京都人から批判も続出し、物議を醸した建造物ですが、今ではすっかり京都に馴染んでいますね。陣この「京都タワー」を運営する京阪ホテルズ&レゾーツは、京都市に本社を置く「ニデック」(昨年までは日本電産)とネーミングライツ契約を結んだと発表しました。京都を盛り上げようと、ゆかりのある両社が合意しました。

 この締結により、4月1日から、およそ60年にわたり続いた「京都タワー」の名は、「ニデック京都タワー」に変わりました。 ネーミングライツの契約金額について京阪グループは非公表としています。 契約金はタワー下部にあるビルの再整備費用にも充てられます。「ニデック」は、1973年創業の総合モーターメーカーとして知られ、創立から半世紀を迎えた去年「日本電産」から「ニデック」に社名を変更しました。 ニデックは、「京都発祥のグローバル企業なので、京都を代表する企業を目指していきたいと考えています。京都タワーは京都市で一番高い建物なので、ニデックが目指す姿に重なるものがありました。京都タワーのように皆様に親しまれる企業を目指していきます」とコメントしています。

 JR京都駅の目の前にそびえ立つ、古都・京都のシンボル的存在となっている大展望塔で、1964年12月に誕生しました。一切鉄骨を使用せず、厚さ12mm~22mmの特殊鋼板シリンダーを溶接でつなぎ合わせた円筒型の塔身でdsc00524す。「モノコック構造」と呼ぶのだそうで、世界に先駆けて採用され、台風や大地震にも強い安全設計なんだそうですよ。タワーの土台は、地下3階・地上9階のビルの屋上。約800トンもの重さがビルにかかりますが、この構造の工夫によって、建物の機能を損ねることはないんだそうです。高さは先端の避雷針を含めると131mあり、地上100mの高さにある最上階・展望室5階からは、ぐるり一周京都の街を一望することができます。いつもは白く輝く「京都タワー」ですが(照明50基)、テーマに合わせて年に数回、ピンクや赤・オレンジ・青・紫・緑などの色を変える日があります。展望室最上階には人気のマスコットキャラクター“たわわちゃん”をモチーフとした「たわわちゃん神社」があり、京都の新しいパワースポットとして注目されています。あのタワー独特の形状は、京都伝統の和ろうその形を模したものとか、海のない京都の街を照らす灯台をイメージしたもの、などと諸説があるようです。私は京都観光をすませて、夜の買い物(東急ハンズ・大丸)を終えてから、展望台に上がってみました。京都タワーホテル」に泊まっているので、割引券で300円で上がることができました。京都の美しい夜景が四方から見渡すことができて、ずいぶん癒されました。「東京スカイツリー」などに比べると低いタワーですが、建物の高さ規制のある京都市街では最も高い建造物ですから、京都の街並みをまるで地図のように見渡すことが可能なんです。

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dsc00495dsc00503dsc00520 「京都タワー」の地下3階には、広々とした造りの「大浴場~YUU~」(朝7時~夜8時半、料金750円)があります。私は今回の旅行では「京都タワーホテル」に泊まったので、無料で利用することができました。約130㎥の広さがある男湯は、浴室のほぼ中央にある大きな浴槽が印象的です。中心部分にある噴水からは、たっぷりのお湯が涌き出ています。かなり熱いお湯でした。心臓に悪いかな、と思いすぐに出ました。壁には大文字山京都タワーが影絵のように浮かび上がり、地階にいながら京都の風景に思いを馳せることができます

 翌朝は、ホテル3階の広いレストラン「タワーテラス」で朝食をいただいたんですが、新鮮な京野菜や京都の食材などをふんだんに使った料理を、ビュッフェスタイルで、洋食・和食・スイーツまで幅広く楽しむことができました。湯豆腐はやはり名物だけあって美味しかったですね。それからお味噌汁がたまらなくいいおだしでお代わりをしてしまいました。そして何よりも真正面に見える京都駅の建物のガラスに、「京都タワー」が写りこんでいる姿がとってもきれいでした。❤❤❤

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「米花商店街」

 アニメ映画「名探偵コナン 100万ドルの五稜星」が初日(4月12日)だけで興行収入9億6,000万円、観客動員63万人という驚異的なスタートを記録しました。原作漫画の連載開始から今年で30年。「名探偵コナン」の人気はすごいですね。愛読する月刊誌『ダ・ヴィンチ』(KADOKAWA)の5月号が「名探偵コナン」特集です。

 「米花商店街」(べいかしょうてんがい)は、鳥取県北栄町にある、年間で10万人ほどの観光客が訪れている「青山剛昌ふるさと館」の10周年記念に伴ってオープンしました。「食べる」、「買う」、「遊ぶ」のスポットが揃った商業施設です。場所は「青山剛昌ふるさと館」コナン駅」(JR由良駅)のちょうど中間地点くらいにあります。今まで中間地点に観光施設がなかったので、よりコナン観光が楽しめるようになりましたね。帰りのタクシーの運転手さんに伺った話によれば、近く「青山剛昌ふるさと館」がその規模を3倍に拡大してこちらに引っ越してくるんだそうです。3階建てになるそうですが(現在は2階建て)、広大な駐車場がありますから、スペースはいくらでも空いていますものね。

▲学校帰りの新一と蘭ちゃんのブロンズ像

 正面には、学校帰りで楽しく話しているかのような、新一の銅像があります。今にも会話が聞こえてきそうな感じです。写真スポットなので、好きなポーズをとって撮影しましょう。

 それでは、「米花商店街」の施設(喫茶ポアロ、コナン百貨店&コナンジェラート、コナンズキッチン、工藤邸)について紹介していきます。

◎喫茶ポアロ

 コナンの原作にも登場する「喫茶ポアロ」をモチーフにした喫茶店では、カレーやパスタ、トーストなどが注文できます。「名探偵コナンナポリタン」や「喫茶店ポアロのハムサンド」などのオリジナルメニューも人気です。喫茶に入るとコナン君がお出迎え。4人掛けのテーブルが10席ほどあります。日が差し込んで開放的な空間です。食券を買って注文するスタイルです。サイン入り原画なども飾られており、ちょっとしたギャラリーになっています。

◎コナン百貨店&コナンジェラート

 「コナン百貨店」には、「青山剛昌ふるさと館」のお土産屋「コナン探偵社」には置いていないここでしか手に入らないグッズが揃えてあります。若い女性向けのグッズが多い印象でした。約200種類の豊富な品揃いです。(男性のキャラのものが多い)メモ帳やハンドタオル、コップ、Tシャツなど、コナンに癒されたい方にとっては欠かせないものばかりですよ。定番の鳥取のお土産も販売してあるので、コナングッズと一緒に購入してみても良いですね。

 コナングッズと鳥取地元の食材を使った四季折々のジェラードが楽しめるお店、隣の「CONAN GELATO」では、地元の方が作られたフルーツ、野菜、牛乳などを使用したジェラードが販売されています。カップorコーンから選択でき、テイクアウトもできます。

◎KONAN’S Kitchen

 名探偵コナンをイメージした「コナンバーガー」や「アポトキシンホットドッグ」などのほか、ランチBOXもあります。パッケージも魅力的なオリジナルメニューを豊富に取り揃えています。

▲可愛いコナンくんもいます

◎コナンの家(工藤邸)

 原作に登場する工藤邸の「門扉」です。インターホンからキャラクターのセリフを聞けます(工藤邸の中は「喫茶ポアロ」)。早速押してみましょう。

「あ、新一、お客さんだよ」、「ふぁ〜、なんだよ、うっせーなー」、「はぁーい、新一にいちゃんいま留守にしてるよ」の3種類の音声がランダムに流れます。ここでしか聞けない超レアボイスです。

 コナンに会える町として人気の北栄町ですが、観光に大事な「食べる」、「買う」というカテゴリーが増えたことによって、集客増加に繋がっていくと思います。コナンが地域を盛り上げる活力になっていき、このような商業施設が全国的に広まり、より良い町づくりの実現に向かってくれたらいいなと思います。「見る」、「食べる」、「買う」の要素を兼ね備え、コナンの魅力が詰まった北栄町に行ってみましょう!!!♥♥♥

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退職して

 島根県立松江北高等学校で18年間教えてきましたが、2月に最後の授業を終えました。たくさんの素晴らしい教え子・卒業生たちに囲まれて、充実した日々を過ごすことができたように感じます。平成25年3月に、北高10年間で38年間の教職生活に別れを告げて退職しました。オファーされた一切のお仕事は全てお断りして、のんびりと過ごす道を選択しました。その時教えていた2年生の女子生徒Wさんから手紙をもらいました。

 先生に英語を教えていただけるのも、あとわずかとなってしまいました。本当は、もっともっと先生にいろいろなことを教えていただきたかったし、先生の面白いお話をたくさん聞きたかったです。あと1年、あと1年だけでもいいので先生に残っていただきたいと、同じRの子たちも言っています。本当に残念です…。しかし、先生にもいろんなお考えがありますし、外から見ているとおっしゃっていたので、あと1年頑張ろうと思います。今回は、日頃の感謝を込めて、バレンタインのチョコを贈らせていただきます。高校生ということもあり、あまり上等なものは買えなかったのですが、甘い物は疲れに良いといいますので、少しでも先生の疲れが癒えれば幸いです。

 退職した当時は、4月、5月と、のんびりと何もせずに毎日ブラブラしたり、美味しいと評判のお店を訪れたり、好きな旅行に出かけたり、溜まっていた本を読んだりと、天国のような日々を悠々自適に過ごしていました。毎月病院で受けている検査結果が突然劇的に良くなったのは、こうしたメンタル面の影響が大きかったと想像しています。それも束の間、6月からは、再び松江北高常勤講師として復帰しました(朝の6時半に登校する私に、二年間毎日美味しいコーヒーを入れて待っていてくれた佐藤敦子先生のミシシッピ大学・大学院留学のための代替講師でした)。授業、補習、副担任業務、部活動、校務分掌にと、二年間ほど忙しい日々に明け暮れました。その佐藤先生もお帰りになり、平成27年の6月からは、非常勤講師として、週に5時間~6時間だけの授業を担当していました。授業は午前中に終わることが多かったもので、美味しいお昼ご飯を食べに出てから、家に帰ってお昼寝をすることができます(尊敬する故・渡部昇一先生は生前お昼寝をよくなさっておられました)。土曜・日曜は必ず休めるし、たまにこれに行事等が加わると、大型連休になったりもします。今まで行けなかった全国各地に旅することができて嬉しかったものです(宮崎・熊本・大分・別府・湯布院・長崎・佐世保・福岡・小倉・門司港・今治・松山・広島・岡山・倉敷・鳥取・城崎・豊岡・姫路・神戸・大阪・京都・金沢・和倉温泉・名古屋・熱海・湯河原・東京・札幌・小樽等々)。その後、北高に加え、米子東高校にできた浪人生のための勝田ケ丘志学館で教えるようにもなり、月~金の毎日朝から晩まで仕事に明け暮れました(電車通勤です)。辞書の改訂作業と指導教材作りに講演と、やはり私は忙しく飛び回っている方が性に合っているのかもしれません。忙しく勤務に明け暮れている時には、授業が恋しいなどとは思う暇もなかったのですが、無くなってみるとやはり寂しいものですね。

 8年間、松江北高現役補習科の担当をしていました。年を追う毎に私の大好きだった北高の姿からどんどん遠ざかるのをこの目で見ながら、淋しい思いをしていました。この2月で身を引くことにしたのは、この淋しさゆえです。長年全力で英語を教えることに没頭して走り続けてきました。現在の私の心境と言えば、「クリスマスの約束」で、小田和正・さだまさしのお二人が共作した名曲「たとえば」の歌詞のような気持ちです。♥♥♥

      「たとえば」
                 小田和正・さだまさし共作

話したいことが  幾つもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  迷いながら選んだ道の  辿り着く場所について
伝えたいことは  他にもある  あの頃の僕に会えたら
たとえば  信じていたことの正しさと  その過ちについて
それから不安を胸に映し  怯えたあの夜の闇も
たとえば  ありもしない夢に紛れて逃げたことも

あの頃の僕に告げたいのは
ひたすら  そこから  ひたすら  歩き続けること
あの頃の歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

尋ねたいことが幾つもある  未来の僕に会えたら
たとえば  傷ついたり愛された  この命の重さや
尋ねたいことは他にもある  精一杯生きたかどうか
たとえば  奇跡的にめぐり会えた  愛しい人のことを

ここからの僕に言えることも
ひたすら  このまま  ひたすら  歩き続けること
今のままの歩幅でいいから
ひたすら  ただ  ひたすら  生きてゆくこと

ひとつだけ言えることは  全ては今日のために
たいせつなことはひとつだけ  全ては今日のために

話したいことが幾つもある  あの頃の僕に会えたら
話したいことが幾つもある  未来の僕に会えたら
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「転石苔むせず」

 2024年3月4日に東京都内で開かれた大人の文化祭「朝日新聞ReライフFESTIVAL2024春」で、Reライフフェス初出演のシンガー・ソングライター、小説家でもあるさだまさしさんが、ギターによる弾き語りとトークショーで、集まった観客を魅了しました。この模様は4月7日付けの「朝日新聞」に掲載されました(写真上) 。母との思い出など、子どもの頃の話や、人生を後半をどう生きるかなどについて、笑いを交えながら語るとともに、「案山子(かかし)」「関白宣言」など代表曲5曲を披露しました。そこでさださんは、若者の「仕事観」に関して問題提起を行っておられます。

 いまは転職の時代です。僕らのように、どの仕事を選ぶかというときに、三つぐらいしか選ぶものがない人間は幸せでしたね。考えに考えてこっちを選んだら、それで一緒に生きていくっていう覚悟があったから。終身雇用であれば、自分の人生設計ができるわけです。

 いまはそんな時代じゃありません。自分がなぜこの仕事を選んだのかわからないっていう若者の時代です。もっと自分を生かしてくれるところへと転職する。どこにいても自分で自分を生かす努力をしなくなりました。これは問題ですね。僕が会社の社長だったとして、こいつは見どころがあるなと思ってガーッと鍛えて勉強させて、いろんな経験をさせて、よしこれからっていうときに、「すいません、もっと高く自分を買ってくれるところがありましたから出てきます」って言われてごらん。「チェッ!」って言いますよ。

 そういう時代ですからね、会社は自分のお金をためるばっかりになりますよ。昔は、この会社を選んでくれた、この会社で苦労してくれる、だから、もうかったからみんなで分けようじゃないか、という気持ちにはなったけども、いまはそういう時代じゃありません。

 テレビを見ていて、がくぜんとしたコマーシャルがありました。食える大人に育てるっていう言葉がテレビから流れてきたときに、この国はいよいよ終わりだなと思いました。食うことっていうのは、とても大切なことだけど、食えるということがすべてなのか。好きだから努力できるし、好きだから悪口言われて、好きだからボロボロに言われたときでも、そこに立っていられたのはそれが好きだから。好きだからって仕事を選べばいいのに。自分が何が好きかがわからないことが問題だと思うんです。

 さらにさださんは、「産経新聞」4月14日付けの「日曜コラム」においてこう述べておられます。

 頑張って働いても賃金が上がらないなら少しでもお金を多くくれる場所へさっさと転職する時代。人の技能や手腕は「我慢の上に咲く花」などという考え方はもう過去の遺物だろう。

 ここ20年、入社3年以内で離職する大卒者は3割を超えています。なぜ若者は就職活動で苦労してつかんだはずの仕事を簡単に手放してしまうのでしょうか?就職するときの「物差し」が間違っているのではないでしょうか。大学生の多くは、自分に向いているかどうかということではなく、その会社が知名度が高く有名だとか、給料がいいとか、親が喜ぶからとか、そういったことで会社を選びがちなのでしょう。このように会社を知名度や給料で選んだ学生は、入社してすぐに「自分には向いていない」ことに気づきます。これが「雇用のミスマッチ」です。そして「転職の時代」です。バブル時代を生きてきた方々には信じられないかもしれませんが、

①終身雇用が当たり前

②会社を大企業やブランドイメージで選ぶ

③貯金(年金)最強時代

④転職はネガティブなイメージ

といったことはもう過去の話なってしまいました。気に入らなければすぐに転職するのが当たり前と言われるようになった理由はこちらです。どんどん仕事を変わる時代になりました。

①終身雇用の崩壊

②転職がイメージ悪い時代は終わり!若者の転職に対するイメージUP

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 私が教員に成り立ての若い頃、英語のことわざA rolling stone gathers no moss.「転石苔を生ぜず」に、二通りの解釈が存在するということがよく話題になっていました。すなわち(A)「落ち着きがなく転居や転職を重ねて動き回っていると財産も地位も身につかない」(悪い意味)(B)「常に活動的に動き回っているものはいつまでも古くならない」(良い意味)と、(+)(-)全く正反対の意味に取られるという興味深いものでした。同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものです。当然、この問題はさまざまな研究書に取り上げられ、結論的には(A)はイギリス古来の解釈、(B)アメリカの新しい解釈、という扱いが一般的であったようです。いくつかの学習辞典の扱いを見てみましょう。

◎「職業や住居をしばしば変える人は、金がたまらず、友人ができない」の意味だが、転職 や転居に違和感をもたない人々の間では「活動的な人はいつも清新である」という解釈も一般的。〔スーパーアンカー〕
 ◎「職業や住まいを転々と変える人は金がたまらず、友人もできない」と「常に活動的な人 は新鮮である」との両方の意がある。〔ウィズダム〕
 ◎このことわざの本来の意味は、職業を変えてばかりいる人には金はできない、落ち着いて身を固めないと家庭の幸福は得られない、相手を変えてばかりいては本物の愛は手に入らな  いということ。「常に活動している人は沈滞しない」と、最近ではよい意味でも用いられる。
 〔ユースプログレッシブ〕
 ◎「職をよく変える人は成功し[金持ちになれ]ない」という「忍耐」を尊重するのが本来の意;《米》では「活動する人は常に新鮮である」の意でも用いる。〔ジーニアス〕

◎主に英国では、「たびたび転居や転職をする人は金がたまらない」、「技術や信用も身につかない」、あるいは「移り気な人は真の愛情が得られない」といった意味で使われるが、mobility(移動すること)に価値を置く米国では、「たえず積極的に活動している人は常に新鮮でいられる」と解されることが多い。〔アドバンストフェイバリット〕

 しかしながら、現代英語において、A=イギリス用法、B=アメリカ用法、といった割り切り方は危険だと思われます。現実の用法とはズレが観察されるのです。この二つの解釈に関して、かつてR.イルソン博士(ロンドン大学)は、興味深い事実を教えてくださいました。ロンドン大学のスタッフ(The Survey of English Usage)の中で、40歳以上の人たちは(A)の悪い意味に取り、40歳以下の人たちは(B)の良い意味に解釈するという傾向が見られた、というのです。少なくとも、イギリスでも両方の意味が存在しており、若い人たちの間では、(B)の良い意味の方が一般的という結論ですね。しかし若い人たちの間でも、(A)の悪い意味も消えてはいないとのことでした。

 今度は、アメリカでの実態を、J.アルジオ博士(ジョージア大学)に聞き取り調査していただきました。被験者は60人(大学教授、大学院生、英語専攻大学4年生)。

   (a) People who often move or change jobs will never succeed.
   (b) Active people don’t become bogged down or old-fashioned.
   (c) People who constantly move go through life without incumbrances.

 それによると、(a)と解答した人は15%、(b)または(c)のいずれかと解答した人は85%((b)と(c)はほぼ半分ずつに分かれた)でした。アルジオ博士ご自身も、”If you stay active doing things, you won’t get bogged down or become set in your ways” “If you keep up with things around you, you won’t get left behind by changing conditions.”という良い意味の解釈しか知らない、と答えられました。本校の前ALT・チェルシー先生も、エドワード先生(共に米国出身)も良い意味に受け取るとのことでした。アルジオ博士のジョージア大学の同僚に諺の専門家がおられ、文献をご教示いただき、もともとの悪い意味は英語本来の用法であり、良い意味はスコットランドの用法であり、その影響という歴史も学びました。

 というわけで、私たちの『ライトハウス英和辞典』(第7版)では、「以前は「しばしば職業や住居を変える人は成功しない」という意味に使われていたが、最近では「活動している[飛び回っている]人はいつも清新である」という意味に使う人が多い」という説明に落ち着いたのでした。以上、今日は辞典編集の舞台裏をご紹介してみました。そのことを、私の調査結果を踏まえて、「現代英語の語法観察(4)」(『研究紀要』第49号 島根県立松江北高等学校)の中で明らかにしました。⇒コチラで全文を読むことができます 

 同じ表現でも、「苔」の解釈一つで、これほどまでに受け止め方が異なるものか、と面白く思ったものですが、なぜそのような意味の違いを生んだのか?ということについては、どこにも解説が見当たらないようですので、ここで考えてみたいと思います。興味のある方は、外山滋比古『歯切れよく生きる人 知的な健康生活』(祥伝社黄金文庫、2017年)、『日本の英語、英文学』(研究社、2017年)を読まれるとよいでしょう。 日本もそうですが、雨の多い多湿のイギリスでは、コケは美しく好ましいものと感じられています。コケも生えないというのは貧しさを暗示するのです。コロコロ転がっていたら何も身につかない。その点では日本も同じで、コケを自慢する「コケ寺」があるくらいです。いかにも風情がありますね。日本の国歌の「さざれ石」も、コケがむすまでじっとしているのがよい、という意味ですね。絶えずあちこちに住居を変えたり、やたら仕事を変えたりする者はコケをつけない転石と同じである、成功しない、一つのことにじっとしろ、という意味で使われてきました。他方、アメリカでは、イギリスや日本に比べると気候が乾燥しています。湿地でないと育たないコケはむしろ不潔で邪魔な好ましくないもの、コケのつかないのは結構なことだ、となります。コケがアメリカではあたかもサビのように感じられるのでしょう。才能や能力のある人は、一カ所にじっとしていない、次々と仕事を変えて多忙で錆びついたりすることがない、コケもつかないという、転がる石はコケをつけなくていい、と考えるわけです。絶えず動き回っているのは優秀な人間で、動いていればコケのような余計なものがついたりはしない、いつも輝いている。日本における終身雇用のように一つの所にじっとしていたら、いつまで経っても飛躍は望めない、条件のいいところがあったら、どんどん転職していったほうがよい、活動的なアメリカ人は、転がる石をそう評価するのです。戦後の日本では、なぜかコケを美しいと感じない人が増えたようで、転がる石はいい石だというアメリカ的な解釈が、若い人を中心に広がったようですね。世界的ロック・バンド「ローリングストンーズ」(The Rolling Stones)の活躍・人気も、このことに拍車をかけたかもしれません。♥♥♥

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「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」

 「100円ショップ」の先駆けとして知られ、現在国内外に約5,200店舗、売上高は5,800億円を超える業界最大手の「ダイソー」。29歳の時に広島県の雑貨移動販売からスタートし、今日の繁栄の礎を築いたのが故・矢野博丈(やのひろたけ)さんです。同社をゼロから立ち上げ、今日の繁栄へと導いてきた矢野さんは、2024年2月12日にお亡くなりになりました。80歳でした。人生の辛酸を嘗め尽くしたという氏の二十代の歩みと苦労を辿ることで、運命を切り拓く要諦を探ってみようという「産経新聞」のインタビューが続いている最中での訃報でした。2022年、100円ショップ「ダイソー」を手掛ける大創産業は、創業50周年を迎えました。行き当たりばったりの歩みを振り返り、よく潰れずにここまで来たなと感慨深いものが込み上げてくる、と矢野さんはおっしゃっておられました。人生はまさに波瀾万丈。大学在学中に結婚し、卒業後は妻のハマチ養殖場を継ぎますが、3年で倒産。兄から借りた多額の借金を踏み倒して、妻子を連れて東京へ夜逃げ。その後長続きする職業はなく、気がつけば転職を9回も重ねていました。行き着いたのが日曜雑貨の移動販売。なんと商売が軌道に乗りかけた時に、今度は自宅兼倉庫が火事にあいます。そんな苦難の末に行き着いたのが「100円ショップ」でした。大阪の問屋で鍋や文房具などを仕入れ、広島県内の神社や公民館の前で売りさばいていた時に、客からの値段の問い合わせに、面倒になって「全部100円」と答えたのが100円均一の始まりでした。当時の移動販売では、「安かろう悪かろう」の商品を扱う業者であふれていました。客からは「安物買いの銭失い」という言葉を浴びせかけられることも何度もありましたそこで「顧客第一主義とは、お客様が喜ぶということ。それを骨身に染みて理解できないと、会社を大きくできない」矢野さんの哲学でした。

 創業当初は、銀行や経営コンサルタントから「100円ショップでは儲からん。やっていけるはずがない!」と散々言われたものです。実際、絶えず倒産の二文字が頭から離れたことはなく、入社式では新入社員たちに「大創産業はあと5年で潰れます」と伝えていました。もちろん意図的に倒産させるつもりはありませんでしたが、本気でそう思っておられたのです。ただ、常に不安に駆られていたからこそ、決して安住することなく、「潰したくない」とその瞬間、瞬間を一所懸命生き抜きました。危機感が強く、常に変化と新製品を出し続けてお客さんを飽きさせることがありませんでした。この積み重ねが、今日のダイソーの繁栄を築いたのだと自負しておられます。八人兄弟の末っ子として、広島県で生まれ育ちました。開業医だった父親は、貧しい患者からは一切治療代を取らないことで知られ、たとえ夜中の12時であろうとお構いなしに、馬に乗って隣の村まで往診していました。そのため地元のバスに乗車した際、「お宅のお父さんは命の恩人です」と感謝された経験は一度や二度に留まりません。父親は貧しい家庭を多く診ていたこともあり、自分の子供には同じ苦労をさせたくなかったのでしょう。

 「夜逃げ、9回の転職の末に」「100円ショップは偶然の産物」「経営とは『経験の科学』」等、数多の艱難辛苦を乗り越え、独自のビジネスモデルを生み出した矢野さんの足跡には、道なき道を切り拓く要諦が詰まっています。矢野さんの20代は、恵まれたいという一心で必死にもがき続けた10年間でした。悲運続きで、運命の女神を恨み続ける日々でしたが、27歳の頃に参列したある結婚式で、京都のお坊さんがこんな話をしていました。「好むと好まざるとに拘らず、これからお二人には艱難辛苦が押し寄せてきます。それを乗り越えたら、きっといい人生が送れるでしょう。人生に無駄なことは一つもありません」と。その言葉を聞いた時、「何を馬鹿言うんだ。俺の人生無駄しかないじゃないか」と腹を立てましたが、帰りの電車でふと考えてみると、私は人一倍艱難辛苦を与えられたではないか。もしかすると運命の女神に見限られているのではなく、運がいいのかもしれない。そう思うようになってから、心の霧が晴れ始め、少しずついいことが起こるようになりました。

 以上の話を踏まえ、矢野さんが20代を生きる方々に伝えたかったのは、「苦労ほど有り難い恵みはない」ということです。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさい、という神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命は拓けていくのだと実感します。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。戦後日本は高度経済成長で発展したものの、現在は経済成長率を2%に乗せることさえ容易ではありません。現状に甘んじた瞬間から、国も会社も人も衰退の一途を辿りました。

 ダイソーでは商品開発と仕入れに注力し、今では毎月1,200を超える新商品を手掛けるなど、お客さんを飽きさせないように絶えず工夫を凝らしてきました。常に危機感を持ち続けることが、新たな知恵や挑戦に繋がり、思いがけない未来を形づくる糧になるのです。また、ダイソーでは各店舗への出荷作業を、障がいをかかえた人たちに任せています。障がい者雇用にも積極的に取り組んでいます。社内に飾られた絵画の多くは障がい者が描いたものだそうです。矢野さんは「障がい者の理想郷をつくる」と新しい夢を描いておられました。

 恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ。失敗するしか成功する方法はない──。これこそが、矢野さんの経験から伝えたかった教訓でした。大学で講演すると、必ずと言っていいほどこの「恵まれない幸せ、恵まれる不幸せ」を話されます。運も才能にも恵まれないという弱さ、怖さ、おぞましさに打ち勝つために、何度も職を変え、目の前のことを試行錯誤しながら一生懸命頑張りました。決してうまく行った人生とは言えないほど、波瀾万丈で苦労をした恵まれない過去があったからこそ、今の成功があるのです。むしろ恵まれなかったことによって、学べることの方がたくさんありました。苦労ほど有り難い恵みはないということです。恵まれない状況にいるときこそ逆境を乗り越えようとするので、人として強くなる。幾多の苦労に見舞われるということは、もっと徳を積み、幸せになりなさいという神様からのエールなのです。困難に揉まれ、人間が鍛えられた先に、回り回って徳や運が味方につき、自ずと運命が開けていくのです。常に感謝・勤勉・誠実な姿勢であり続けたいですね。一方、恵まれることは不幸が訪れる序曲です。恵まれた状況になると、そこで安心、慢心してしまい、恵まれない方向に向かっても対処ができなくなるのです。心したい言葉ですね。

 矢野さんが残された言葉には、私の心に刺さるものがいくつもあります。「成長よりも会社が潰れないことが大切」「褒めるより叱る優しさが大切」「努力の結果は3年先5年先に出てくる」「運を良くすることをしよう。人の為になることをしよう。人様に役に立つことをしよう」♥♥♥

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「やる気」の三原則

 見山 敏(みやまさとし)という社長さんがいらっしゃいます。昔、オムロンにお勤めになり、死を覚悟したほどの大病の後、株式会社ソフィアマインドを起業されました。私がまだ若い頃、ご親切にも無料で送ってくださる「ソフィア」という自己啓発の機関誌を楽しみにしたものです。見山さんの真摯な生き方には大いに刺激を受けました。手当たり次第に著書を読んだものです。現在も見山さんのホームページ(⇒コチラです)にも、貴重な情報がたくさん出ていますのでお勧めしておきます。

  「どうもやる気が出なくて困っています」と、よく生徒から相談を受けることがあります。そういうときには、見山さんから教えてもらった「やる気の三原則」を紹介することにしています。それは、①目標が明確になっていること、②進歩の度合いが分かること、③ほめられ認められること、の三つです。我々教師の務めは、生徒の心に火をつけることですから、この見山さんの考えは参考になりますね。詳しく知りたい方は、見山さんの著書『やる気がでる』(ダイヤモンド社)をお読みください。

 私はアメリカの臨床進学者フレデリック・ハーズバーグ「動機づけ要因説」を読んだことがあります。彼は約200人の技術者と事務員への詳細な面接調査によって、仕事のやる気は、福利厚生、給料、作業条件、人間関係などの条件面の充実によって生まれるのではなく、これらは不満を和らげる歯止めの役しか果たさないことを明らかにしました。「やる気」を起こさせる要因は仕事そのものに立ち向かう動機づけがうまく成されているかにかかっており、それは5つあります。①やりがいのある仕事を通して「達成感」が味わえること、②達成した結果を上司や同僚に「認められる」こと、③「仕事そのもの」に自己の知識や能力を生かせること、④「責任」をもって仕事を任せられること、⑤仕事を通して能力が向上し、人間的に成長できること、つまり「外的要因」ではなく、「心的な動機づけ」であり、自己実現による心からの充足です。私の長い教員人生を振り返ってみても、間違いなくそうでした。ここら辺がリーダーの役割になるんです。

 「目標」に関する中国の有名なお話です。

 兄弟でロバを引いて歩いていたら、「無駄なことをしている」と言われたので、兄が乗ることにした。しばらくして行き違った人から「あの兄は年少者に対する愛情がない」と非難されたので、遠慮する弟を無理矢理馬上に押し上げたら、「礼儀を知らない弟だ」とまた人から叱られた。それではと、二人で仲良く乗ったら、こんどは「動物虐待だ」と騒がれたので、二人でロバを担いで返ってきた。

 さて私は、この兄弟はなぜこのような無駄な骨折りを続けなければならなかったのだろうか?と生徒たちに問いかけます。答えは簡単です。この兄弟はロバを利用するのか、ロバを愛するのか、礼儀を守ることを主とするのか、年少者をいたわることを主とするのか、要するに「目的」が確立していなかったのです。「目的(目標)」さえ確立しておけば、このように個々の状況判断において右往左往することはなくなります。人生は右往左往しているほど長くはないのですよ。♥♥♥

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「陽気」再訪

◎週末はグルメ情報!!今週はラーメン

 広島へ行くと私が必ずお邪魔するのが、中華そばの名店「陽気」です。長年通っている大好きな「つばめ」「すずめ」「めじろ」と共に(「小鳥系」と呼ばれています)、広島ラーメン」の代名詞とも呼べる存在のラーメン屋さんですね。全部で中区江波、大手町、西区横川、福山市に4店舗があります。私はいつも広島路面電車の「中電前」で降りて、大手町店でいただいています。陽気」さんのラーメンを食べておくと、広島のいろいろなラーメンを食べ歩く上での「基準」を作り易いので、そういう意味でも一度は食べておくべきラーメンでしょうね。メニューが「中華そば」一本というのが、ストイックで老舗らしい自信を感じさせます。いつ食べても、何度食べても、美味しいです。「陽気」のラーメン(中華そば)は 広島ラーメンの王道の醤油とんこつ。 醤油が少し濃いめのとんこつスープで、臭みはなくやさしい感じで 美味しいんです。年季が入った器がまた、いい味出していますね。モヤシが乗るのが広島ラーメンの特徴です。自動券売機では、この「中華そば」「おにぎり」(1個or2個)のみの扱いです。店内には、カウンター席とテーブル席があります。

 この「陽気」も屋台から始めたラーメン店です。屋台からの叩き上げの店主は、NHKと日本テレビがカラーテレビの実験放送を始めた1957年(昭和32年)に、かつて陸軍射的場や広島陸軍病院が存在し、戦時中、比較的被害を免れた江波(えば)というエリアにお店を開店します。そんなお店の近くには、かつて広島地方気象台として活躍し、広島市への原子爆弾投下にも耐えた、現存する被爆建物である江波山気象館が鎮座しています。そんなお店の周りは住宅街にもかかわらず、タクシーや車での来店客で毎日のように非常に賑わっている繁盛店です。

▲このシンプルな中華そばが絶品!

 昔ながらのこちらのお店、メニューはラーメンのみ。それが「陽気」の流儀であり誇りでもあります。大盛りも無ければ、チャーシュー麺なども存在しない。大盛りが食べたければ1杯食べたあとに、もう一杯ラーメンを注文するシステムです。唯一のトッピングと言えばニンニク。ニンニクを追加してパンチのある味わいを楽しみたい方はオーダー時にニンニク追加、と伝えます。本物の広島ラーメン、それが「陽気」のラーメンです。着丼したら、まずはスープの香りと味わいを堪能。奥行きのある豚骨スープに醤油ダレの味わいが、最高のラーメンタイムの始まりを告げています。あっさりとしていながらウマミたっぷりのチャーシューに、ネギ、そしてシャキシャキとした広島産の細いモヤシ。それぞれの具をスープとともに味わうのもいいかもしれません。もちろん麺も忘れてはいけません。博多ラーメンのような細い麺にはしっかりとコシが残っており、すすり上げるとともに、美味しいスープの香りが口の中に広がっていきます。戦後間もない頃に生まれた、広島ラーメンの完成系とも言える味わいがそこにはあります。♥♥♥


先日たまたま「イオン菅田店」をのぞいたら、「全国ラーメンフェア」というイベントをやっていて、「陽気」のインスタントラーメンも販売されていました(あのおばあちゃんが特徴)。早速買って帰って味見をしました。広島のお店とよく似た味で美味しかったですよ。♥♥♥

▲自宅でも「陽気」のラーメンが!「きたがき」の焼豚と「九条ネギ」を乗せると美味に

 

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「イルミリー」

▲米子「ロフト」の売り場にて

 私がよく行く米子天満屋4階の「ロフト」で、面白いものを見つけました。ここには松江ではあまり見かけない文房具がよく置いてあるので、しょっちゅうのぞいています。「ILMILY Color two colorスタンプ」(価格:165円) このスタンプを捺してインキが乾いたところで、本体後部の専用ラバーでこするとインキ色を変化させることができるスタンプです。「ブック」「食事」「カフェ」「映画」「ギフト」など、ウィッシュリストTo Doリスト作りに重宝する10柄を集めて数量限定の発売です。こすってやると、スタンプの色が濃い色から薄い色へ変わるため、タスクが完了した後のチェックにも使うことができますね。私は「ブック」を購入しました。これと同じ原理のボールペンも置いてありました。実は2002年に、こすると色が変わるボールペン「イリュージョン」が発売されています。「イリュージョン」は黒から変化しましたが、今回は色から色へと変わるインクとなっています。インク性能もアップしており、インク色にこだわって開発されました。ユーザーからは「インク色がかわいい」と評判になっています。

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 もう一つ私が買ったものをご紹介しましょう。『ILMILY Color two colorテンプレート』(価格:495円) ウィッシュリスト作りや手帳、ノートを楽しく彩れるモチーフばかりを集めたテンプレートです。 “Cafe”、 “Travel”、 “Home”をテーマとした3種類のテンプレートが用意されました。B6サイズのダイアリーやノートに使いやすいテンプレートは、絵を描くことが苦手な人でも簡単にかわいいモチーフが描け、その外周を使ってそれぞれのテーマをイメージしたフレームも簡単に描くことができます。私は“HOME”バージョンを購入しました。

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▲私が買って帰ったイルミリー「HOME」

<ILMILYとは?>

 『ILMILY』は、デジタル化が進む中、社会人になるとどんどん手書き時間が少なくなってくるので、改めて書くことの楽しみや手書きの時間をもっと大切にする思いを形にすべく、様々な部署の社員による社内横断型のプロジェクトによって誕生したブランドです。文房具が好きな自分たちが本当に欲しいと思える文房具を作りたいという思いから、筆記具を手にしたり、一人で過ごしたりする手書き時間によって、心にゆとりが生まれ、周りの人にもやさしい気持ちになれるようなブランドにすべくコンセプトや世界を創造しました。“手書きの時間を、もっと素敵に、らしく、楽しく。”をコンセプトに、書くことの価値を届けていくブランドとして展開しています。『ILMILY』は、“I Like Me, I Like You”という言葉の頭文字を取ってネーミングされました。第1弾として2021年2月に「ペールトーンカラーシリーズ」を、第2弾として2021年9月に「手元コーデシリーズ」を発売、市場のコアなユーザーから好評を博しました。♥♥♥

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10年偉大なり。20年畏るべし。30年歴史なる。

 インテリは首から下を使おうとしない。勤労者は首から上を使おうとしない。頭と胴体の分裂に、日本の悲劇、不幸がある。(東井義雄)

 動中の工夫は静中に勝る。百千億倍。(白隠禅師)[=動きながら考えることは、黙って座って考えるよりも、百千億倍の価値がある]

 私の尊敬する鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)は、創業時にたった一人でひらすら会社の「掃除」に精を出されました。周囲の人々の視線は大変冷たいものでした。誰一人手伝おうとしないどころか、煙たがられたり無視されたりもしました。「掃除くらいしかできることがないのだろう」「どうせすぐにやめるさ」とまで酷評されました。批判される度に、鍵山さんは迷いましたが、「では、ほかに会社をよくする方法があるのか?」といくら考えても、よい方法を見つけることができませんでした。そこで誰に何を言われようとも、「掃除」だけをコツコツと続けてきたのです。掃除や労働で身体を動かしながら物事を考え、考えたことをまた掃除や労働を通して身体で表現していきました。それはまるで空気に釘を打ち付けているかのような空虚な感じでしたが、それでもはかない努力を続けていると、やがて小さな変化が現れ始めます。一人、また一人と手伝ってくれる人が現れ始め、職場がいつもきれいに保たれるようになってきたのです。美しい職場は、働く人の心も美しくします。荒んでいた社員の心が次第に穏やかになっていき、表情が徐々に明るくなっていきました。「やはり、今までやってきたことは間違ってはいなかった」鍵山さんは初めて確信します。ここまで来るのに、10年の月日が流れていました。

 ゴミの捨て方ひとつで、その人の人間性を想像することができます。上流階級の人が多く住む都心の街のゴミ置き場がとてもひどいことになっていました。分別がいい加減です。周りにゴミが散乱して誰も片付けようとしません。そこで鍵山さんは、乱雑に積まれたゴミ袋を一つひとつ開けて整理し直し、きれいに戻すという活動をしておられました。街から喜ばれるのかと思ったら、「他人のゴミ袋を勝手に開けるのはプライバシーの侵害だ」と非難され、一度は警察に通報までされました。幸い駆けつけたお巡りさんが、こう言ってくださいました。「この人たちは街を美しくしようと掃除をしてくださっているんですよ。何が悪いんですか!」。このような人々は上流かもしれませんが、決して上品ではありません。道路の排水溝には、石や泥、人がポイ捨てしたタバコの吸い殻やゴミがたまって詰まっている箇所がたくさんあります。放っておくと大雨の時に水が溢れて危険です。鍵山さんは道に這いつくばって徹底的にきれいにします。自動販売機の横にある空き容器入れは、本来自販機で購入した飲み物の空き缶や空き瓶を入れる目的で設置されているものですが、行楽日和にはお弁当のカラから、お菓子の紙くずまで、あらゆるものが突っ込まれ溢れ出そうとしています。鍵山さんは、いったん中身を全部外に出して、分別をして、空き缶、空き瓶以外は持ち帰って処分されます。これは本来鍵山さんの仕事ではありません。もちろん誰の仕事でもありません。だからこそするのです。誰の仕事でもないことをする。ゴミ置き場をきれいにに整理すれば、回収する人も気持ちよく仕事ができます。側溝の詰まりを取り除けば、水の流れがよくなり、よどんでいた周囲の空気さえもさわやかにしてくれます。こうした誰の目の前にもある小さなことを、積み重ねていくことから始まるというのが鍵山さんの哲学なんです。

 さらに掃除に励んでいると、お客さんの側からも変化に気づいてもらえるようになってきました「御社の社員は、言葉遣いや態度が他社の人とはずいぶん違いますね」「車の停め方ひとつをとってみても、きちんとされていますね」などと評価してもらえるようになりました。ここまで来るのに、20年かかっています。

 30年経つと、よそから「掃除のやり方を教えて欲しい」と依頼されるようになりました。著名な企業や団体からも多くの人が研修に来られるようになりましたし、鍵山さんが全国各地に掃除を教えに行くようにもなりました。

 ここからもまさに「10年偉大なり。20年畏るべし。30年歴史なる」ということが実感できますね。手を動かす前から「無理だ」と決めつけてしまうのは、頭でしか考えていない証拠です。頭と胴体を一致させて、実践を通して考えていくことこそ、冒頭で挙げた言葉の意味だと思います。人はどうしても出来ない理由を探してしまいます。そのうちまとめて一気にやろうと考えます。これはやらないことの言い訳にすぎません。今できないことは、まとめてもできないのです。やろうと思ったのなら、今すぐに少しだけでもやるべきなのです。今すぐにできないことは、時間と手間をかけてやる。一人ではできないことは他の人の助けを借りてやる。この方法ではできないと思ったら別の方法を考える。鍵山さんが講演を引き受けられる時の大きなテーマの一つが「大きな努力で小さな成果」です。「エーッ、その逆じゃないんですか?」と言われることがよくあります。「小さな努力で、大きな成果」を得る生き方よりも、「大きな努力で、小さな成果」を得る生き方のほうがより確実な方法で、そのほうが自信になり大きな満足が得られるんです。私も今までそんな生き方をしてきました。たった1行の辞典の記述に、4~5時間も、時には1日かかることもありました。常に床に就くのは夜中の2時、3時です。

 鍵山先生によれば、「小さな努力」「大きな成果」を得ると、心が不安定になります。落ち着きをなくし、険しい人相になります。近年、世相が悪化している背景には、「小さな努力」「大きな成果」を安易に得ようとする人が、あまりにも多くなっているのが大きな原因です。 一方、「大きな努力」「小さな成果」を得る生き方をしますと、心が安定し気持がおだやかになります。昔の日本人が、貧しくとも顔立ちに風格があったのは、手にする報酬よりも、はるかに多くの努力を己に課していたからです。 「労せずにして手に入れよう」とか「うまく立ち回って、ものにしよう」などという姑息な考えを否定する社会正義が定着していたからです。たとえ「大きな努力」「小さな成果」しか得られなくても、そういう生活に耐えられる安定した生き方の人が増えれば、必ず世の中はよくなります。今の世の中は、いかに楽をして大きな報酬を得ようとすることに関心が行きがちです。

 勉強においてもこれと同じことが言えます。私たちは、少ない労力と時間で楽をして何がしかの成果を得ようとしがちです。しかし、そうした事はめったに良い結果を生むものではありません。たとえ一度はうまくいったとしても長続きすることはありません。私たちが、勉強でやきもきしてイライラするのは、うまくいかないときです。進まないときです。しかし、そんなときにはもう一度自分の姿勢をよく見つめてみて下さい。少ない時間・短い期間・楽なやり方で終えようとしてはいないでしょか?少ない回数・僅かな労力でできるように思い込んでいませんか?1回で済ませようとしていないでしょうか?少ない努力で多くを得ようとしてはいないでしょうか?たくさんやれば、少しはうまくいくんです。下手でもたくさんやればうまくなり、できるようになるんです。100回紙に書けば、口に出せば憶える。100回読めばわかるし、100回解けば解けるようになる。勉強の現実とはそんなものです。それなのに、「散歩のついでに富士山に登ろう」として(⇒詳しくはコチラです)、「ABC」(たり前のことをカになってゃんとやる)を疎かにしている生徒がいかに多いことか!「甘く」見ていては、痛い目に遭うのは当たり前のことです。

 以前の松江北高は、大学入試に向かう生徒たちに、安易に「推薦入試」を受けさせませんでした。当時、私は田舎の学校の進路部長をやっていて、「不思議だなあ、なぜ北高は推薦を利用しないんだろうか?いくらでも合格できるのに…」と疑問に思っていたものです。松江北高赴任1年目に担任した生徒の母親から卒業式の日に「この学校に入学させるんじゃなかった。他の学校に行けば推薦を受けさせてもらえたのに…」と言われて悲しい思いをしたことは今でもハッキリ覚えています。でも18年間籍を置いた今なら、その理由はよ~く分かります。決して楽をさせることなく、自分で「大きな努力」を積んで、自分で道を切り開け、という無言のメッセージです。また北高の生徒たちにはそれだけの秘めた能力があるはずだ、という「鳥の目」的な判断です。長い目で見たらそれが本人のためなんですね。楽をすると、大学に入ってから苦労することは目に見えていますからね。ところがかつてと違い、今の北高は推薦入試をドンドン使って楽をさせています。

▲陸上日本一になった福田翔子さん(3年生当時)

 推薦入試で年内に合格してしまうと、「頑張ります!」とは一応言ってはいますが、どうしても以前のような緊張感・集中力を持って学習に取り組むことはなくなります。どこかで手を抜くようになるんです。合格すると学校に来なくなる生徒もいました。必死で頑張っている仲間たちへの悪影響も見られます。かつて松江北高の三年生だった福田翔子(ふくだしょうこ)さん(写真上)は、陸上800mで日本一に輝いた生徒でしたが(⇒コチラに詳細が)、大会、国内合宿、海外遠征で頻繁に学校を留守にする際も、常にその間の授業のプリントや単語の小テスト・課題テストはきちんとこなしていました。授業の空白を己の努力で埋めようとしていました。センター試験も高得点を取り、地元島根大学に合格しました。大学の入学式では、入学生代表で宣誓の挨拶を行っています。「大きな努力で小さな成果」を、毎日コツコツ実践していた(そして大きな成果をつかんだ)のが彼女でした。在校生たちにいつもその話をしてやったものです。見習いたいですね。❤❤❤

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運がいい人を採る

 ジャーナリストの田原総一郎さんが故・松下幸之助さんと対談された際に、社員の採用や登用の基準に関して尋ねられたことがありました。「部下を抜擢する場合、たとえば特定の人を役員や関連会社の社長などに登用するというとき、その人のどこを見て抜擢するのですか。頭のよさですか?」松下さんに質問したところ、「頭はほとんど関係ない」とお答えになりました。松下さん自身は小学校中退で、学歴のある人ではありません。大卒社員については「大学でろくでもないことばかり学んでいる」「世の中のことが分からないのに、分かったフリをするのがうまい」「近道をするとか、うまくサボるとか、そういうことにかけては要領がよい」「大卒社員から大学と同じ四年間、むしろ月謝が欲しいくらいだ」と厳しい発言をされました。頭でないとすると、「健康で丈夫な人ですか?」と尋ねると、それも関係ないと言われます。松下さん自身、20歳の頃に結核にかかっておられ、「実はまだ完治しておらず半病人の経営をやっている。元気な人間は陣頭に立って突っ走るものだが、振り返るとだれもついてきていないことが多い。陣頭に立って、自分についてこいと、独裁になる者が多い。自分は半病人的経営だから、社員たちの後ろからついていく」と。このように部下の抜擢は「頭」でも「健康」でもないというので、不思議に思った田原さんは、今度は「誠実さですか?」と尋ねました。しかし、それも関係ないと。松下さん曰く「社員が誠実になるかどうかは経営者次第」で、社員を誠実にさせるかどうかは経営者にかかっており、本質的に人間が誠実であるとかないとかは言えない、と主張されたのです。「では一体人の何を見て抜擢するのですか」とはっきり聞くと、「運」だと言われます。「松下さんは運のいい人間と悪い人間を見ただけで分かるのですか?」と聞いた所、「分かる」と言われました〔笑〕。

 松下幸之助さんは、入社試験の面接で、能力よりも「あなたはがいいですか?」と聞いて、運がよいと答えた学生を採用していた、といいます。田原総一朗さんとの対談の中でこう言っておられます。

田:「どんな人を採用されるのですか」
松:「二十一世紀のリーダーを採用します」
田:「松下幸之助さんのお眼鏡にかなう、指導者の卵といえばどんな人ですか」
松:「会うてみな分からんが、しいて言うと、運の強い人ですなあ」
田原さんはびっくりして
田:「あなたは面接をして、その人の運が強いかどうかが分かるのですか」
松:「まあ、顔と略歴を見たらだいたい分かりまんな」

 運のない人は、死なんでもいいときに死んでみたりする。なんぼ追いつめられても、徳川家康のように流れダマがそれて死なん人もいる。人為ではどうしようもない、もって生まれたものですな。ぼくは、二人のうち一人を雇おうとする場合、学力、人格に甲乙つけがたいときは、履歴書などを参考にして、運の強い人を選びますな。運のいい社員は流れダマに当たらないし、会社にも運が向いてくるわけですよ。(松下幸之助)

 日本の政治を憂いた松下さんが新しく作った「松下政経塾」の面接でも、松下さんは「運がいい人」を採るように指示を出しておられます。「運の強い人を採用する」という松下さんの哲学。実は、彼のこんな実体験から来ているんです。

 セメント会社で臨時運搬工としてアルバイトをしていた頃、毎日大阪築港の桟橋から出る小さな蒸気船で通っていました。夏のある日、いつものように船べりに腰掛けて夕日をうっとり眺めていたら、そばにいた一人の船員が足を滑らせ、その拍子に抱きついてきたので、そのままその船員と共にまっさかに転落して海に深く沈んでしまったのです。びっくりした松下さんは、もう無我夢中、もがきにもがいてようやく水面に顔を出しましたが、船はすでに遠くに行ってしまっています。「このまま沈んでしまうのか?」不安が頭をよぎりましたが、ともかく夢中でバタバタやっているうちに、事故に気づいた船が戻ってきて、ようやく引き上げてくれました。幸い夏であり多少とも泳げたので溺れずに助かったのです。冬だったら絶対に助からなかっただろう。このとき松下さんは自分は「運の強い男」だと確信したと述懐しています。

  さらにこんなこともありました。独立して松下電器器具製作所を始めたばかりの大正8年のことです。松下さんは自転車に乗って部品を積んで配達していたときに、自動車と衝突して5メートルくらいはね飛ばされ、電車道に放り出されていました。ちょうどそこへ電車が走ってきて「もうだめだ!ひかれる」と思って目を目をつぶったとき、電車は急ブレーキをかけて松下さんのすぐ手前で止まりました。積んだ荷物は辺り一面に散乱しているし、自転車は滅茶苦茶に壊れています。周囲には黒山の人だかり。立ち上がってみると、かすり傷も、打ち身も、痛みもありません。野次馬たちは、あれだけ衝突して傷一つないとは、運の強い人だなと言って、散らばった製品を拾い集めてくれました。ここでも「おれは運の強い男だ」という確信を強めたのです。

 これらの経験から松下さんは、「自分は運が強い。滅多なことでは死なないぞ」という確信を持つにいたったのです。そして「これほどの運があれば、ある程度のことはできるぞ」と、その後の仕事をする上で大きな自信になったと言います。みなさんは自分は運がいいと思いますか?もうちょっと松下さんの言葉を聞いてみましょう。彼は物事がうまく運んだときは「これは、運がよかったのだ」と考え、うまくいかなかったときは、「その原因は自分にある」と考えるようにしてきたそうです。

 だから、運命が90%だから努力しなくていいということにはならんね。けれども努力したから必ず成功すると考えてもあかんよ。しかし成功するには必ず努力が必要なんや。つまり舵となる10%での人事の尽くし方いかんによって、90%の運命の現れ方が異なってくる。生き方次第で、自分に与えられた運命をより生かし、活用できるというわけやね。

 「運」を自分のものにできるかは日々の取り組み方次第であることは明らかです。「不断の努力」がキーワードのようです。尊敬する故・野村克也監督は次のように言っておられました。

 運がめぐってきたときに、日々、取り組んできた人だけが、それをつかむことができる。日々をおろそかにしていたものは、チャンスをつかめず、「運」がめぐってきたことにさえ気づかないのではないだろか。誰にも「運」はめぐってきているのだ。成功したものは「私は運がいい」と言い、成功できなかったものは「私は運がない」と言うのはそういうことかもしれない。 ――野村克也『成功する人は、「何か」持っている』(詩想社新書、2018年)

 人生においてどうやったら「運」「ツキ」を引き寄せることができるかは、なかなか難しい問題ですが、どうやったら「運」から見放されるかは実に簡単です。大和ハウス工業樋口武男(ひぐちたけお)会長の言葉です。「人の道を守らない人間、親を大事にしない人間、恩ある人に砂をかける人間に、運はついてこない」♥♥♥

 運はつくるって言うか、育てていくものでしょうな。運というものを、じっとかみしめてみる。そしてよくその味を味わう。こういう味なら、何を加えればもっといい味にすることができるか、考えることでんな。そうすりゃ、いい運にもっと恵まれる。運というのは、人間にとってたいへんに必要な言葉ですよ。いわば自己形成の大きな原料でんな。 (松下幸之助)

▲松下幸之助さん最新刊 エピソード満載

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ポカポカ陽気

 先週の金曜日のことです。勝田ケ丘志学館で授業が終わり、博労町から境線米子駅に、米子駅から出雲市駅行きの国鉄系キハ47に乗車しました。この日はものすごいポカポカ陽気で、いい気持ちで座席に腰掛けていました。揖屋駅を過ぎた辺りまでは覚えているのですが、ついうつらうつらしてしまったようです。気がつくと見たこともない駅に停車していました。慌てて飛び降りると、松江の次の乃木駅まで乗り越してしまっていたようです。大急ぎで跨線橋を渡って、反対側のホームに行き、無人駅の時刻表を見ると、あと7~8分で米子行きの列車が来るとあり助かりました。米子行きの列車に乗り込み、松江へと引き返します。そう言えば2年前にも同じ経験をしたことを思い出しました。その時は列車が1時間半以上なく途方に暮れていた所、市内循環バスがやって来て助けられました(⇒詳しくはコチラに)。

 松江駅に着いたところで、事情をお話しして駅員さんに乗り越し分の運賃を払おうとした所、必要ないと言われ、そのまま自動改札機を出るように言われました。30分近い時間を無駄にしてしまいましたが、それほどダメージなく帰ることができました。松江駅シャミネにある「リトルマーメード」で、最近出たばかりで美味しかった「コペンハーゲナー」というデニッシュパンを買って、帰る途中にあるケーキ屋さんの「ペイナタル」(Pays Natal)「オパル」「デリス・オー・フランボワーズ」を購入して帰りました。

 「あー、やれやれ、これで今週はのんびりとできる」と思ってカバンを開けたら、とんでもないことに気づきました。列車の中で校正と手直しをしていたブログの原稿30枚とピンクのボールペン(ナイジェルフリー)がどこにもありません。よく思い出してみると、ポカポカ陽気で手直しをしながら原稿をそのまま座席に置いてウトウトしてしまったようです。乗り越したことに気づいて慌てて降りた際に、座席にそのまま原稿を忘れてしまったのです。時間をかけて真っ赤になるまで手直ししていた大切なブログ原稿です。「困った!」最近はいたる所でこのような物忘れが多くて困っています(今日も手袋がない!)。間違いなく歳のせいですね。JR西日本「忘れ物問い合わせセンター」に電話をかけ、事情を話して出雲駅に届いていないかどうか確かめてもらいました。落とし物の特徴を伝えると、その時点での拾得物情報を照会した上で、目的物の有無を回答してくださいます。問い合わせをする際には、忘れた物の詳細な情報を伝えることが重要です。例えば、忘れた日時、乗車した車両番号や車両の位置(先頭から何番目か)、忘れ物の特徴(色、形、大きさ、ブランドなど)を具体的に伝えるのです。JR西日本の各駅・路線で見つかった忘れ物の情報を一元管理しているとのことで、問い合わせ先が一本化されていて便利ですね。この時は、残念ながらそのような落とし物は届いていないということで、一応登録しておいていつでも電話で現在の状況を確かめることができると、実に親切丁寧に案内をしていただきました。4時間ほど経ってからもう一度電話してみましたが、やはりまだ出て来ないということでした。翌日また確認してみようと思い、あきらめてパソコン作業に明け暮れました。すると夜になって、米子駅から電話がありました。原稿が見つかったとのことでした。月曜日に米子駅で返却していただきました。いつぞやも大切な手帳を電車に置き忘れて途方に暮れていたところ、見つかったと米子駅から電話をいただき、本当に助かったことがありました(私はスケジュールの管理をこの一冊でやっているので大切な手帳なんです)。日本は幸せな国です。こうやって落とした物がちゃんと届けられ、無事に落とし主の元に戻ってくるのですから。JRに大感謝です。

  治安の良さで知られる日本においては、落とし物が持ち主の元に戻る確率は結構高いんです。財布は8割以上の確率で手元に戻るという、海外では考えにくい状況です。警視庁の発表によると、2018年に東京管内では証明書類(身分証など)について約101万件の遺失物届が提出され、これに対して拾得届は約75万件でした。当然のことながら届出が行われなかった遺失・拾得は含まれていないものの、数字の上では身分証を落としても4回に3回は戻ってくる計算になります。同様に携帯はおよそ26万件中の61%、財布は40万件中93%と、高い割合で落とし主に返還されています。一方海外では、落とし主が財布と再会する確率はこれほど高くありません。米ミシガン州立大学ロースクールの教授が行った社会実験によると、携帯と財布を合わせて東京では約9割が拾得物として届けられたのが、ニューヨークでは6%ほどに留まるという結果が出ています。♥♥♥

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訃報 大田 肇先生

▲右端が大田先生

▲右から二人目が大田先生

 3月6日、太田 肇(おおたはじめ)先生(享年71)の訃報に驚きました。島根県の英語教員に同期採用された仲です。若い頃、島根県立松江南高等学校で長くご一緒しました。当時の南高「北高に追いつけ、追い越せ!」と必死で頑張っていた時代で、私たち若手教員が一致団結して目標に向かっていました。英語科もチームワークが良く、各人がさまざまな研修や自己研鑽に精を出しました。毎年夏休みになると、みんなで遠方へ旅行をして親睦・チームワークを高めたものです(写真上)。その後、横田高校の進路部長を務められた際には、私も大田高校の進路部長を務めており情報交換をしたりもしました。最後は、島根県立𠮷賀高等学校の校長を務められご退職になりました。松江北高に務めていた私はご無理を言って、非常勤で北高の現役・補習科を教えに来ていただきました。熱心にご指導をいただいたものです。体調の関係で身を引きたいと言われるのを「もう一年、もう一年」とご無理を言って木次から来ていただいていました。二年前にもう限界ということで、身を引かれました。手術後、体調は落ち着いていると言われていただけに驚きの訃報でした。

 プロ野球が好きで、根っからの横浜ベイスターズのファンでした。巨人ファンの私とは気が合いました。巨人戦横浜が劇的な勝利を収めたときなどは、興奮してお電話をしてこられるのでした。かつて私が心臓の手術で松江日赤に入院している際には、お嬢さんが日赤の看護師さんをしておられてお世話になりました。昨年私が股関節の手術を受け1ヶ月あまり入院し、退院してリハビリを始めた頃、わざわざ自宅までお見舞いに来ていただきました。

▲ALTチェルシー先生の送別会にて(後列左から3人目が太田先生)

 大田先生、逝くのが早すぎます。先般、従五位瑞宝小綬章を授章されました。島根県の貴重な人材を無くしました。残念でなりません。合掌。♠♠♠

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プラバホールこけら落とし

 約2年半をかけて耐震補強など大規模な改修工事が行われていた「松江市総合文化センタープラバホール」が、4月1日にリニューアル・オープンしました。そのリニューアルオープン事業として市民創作音楽劇「ヘルン・愛の軌跡 ~春の日に花と輝く愛の物語」が上演されましたので出かけてきました。床のカーペットが全て貼り替えられ、カーテンも新しくなりました。ホールに入ってまず目に入ったのが真新しいシート。これまでの紫色から夕暮れの宍道湖をイメージさせる「夕日色」(赤)に変わりました。座席数は744席で、座席の幅が4センチほど広くなり、ゆったりとステージを鑑賞することができます。座席プレートには松江城の伐採木が再利用されており、あるプレートには特別なマーク・うさぎなども付いているということです。 座席番号のプレートには松江の伝統工芸・八雲塗が施され、落ち着きのあるしつらえです。中四国の公共ホールでは唯一のパイプオルガンは、今回新たにパイプが85本追加され、今までにはない魅力的な音色を響かせることができるということです。 1986年の開館当時に設置されたパイプオルガンは、全てのパイプを取り外して点検、修理するオーバーホールが今回初めて、行われました。 パイプが追加されたほか、音色の記憶装置を更新。 1万通りの組み合わせで音を記憶できるようになり、演奏の幅が広がるということです。可愛い小鳥のような音色からオーケストラのような壮大な音まで響きが今までと変わっているそうですよ。

▲プラバホール入り口まで長蛇の列が!

 音楽劇「ヘルン・愛の軌跡」ヘルン(小泉八雲)の愛した松江、ヘルンを愛した松江の人々の温かい触れあいを描いた音楽劇でした。開場は午後1時半でしたが、建物の外にはもうすでに大行列ができあがっていました。満員のホールで、松江北高で英語を教えた高橋泰臣(たかはしやすおみ、東京藝術大学卒)くんが西田教頭役で出演し、歌声を響かせました。彼の舞台を見るのは昨年の9月のオペラ以来2回目です。立派な歌い手になりました。♥♥♥

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「天ぷら海鮮米福」

◎週末はグルメ情報!!今週は天ぷら海鮮

 毎週水曜日に松江北高補習科の授業を終え、米子へ移動する前に、よくここで天ぷらをいただきます。「天ぷら海鮮米福 松江店」は、地元の新鮮な魚貝類と美味しい天ぷらやにぎり寿司が堪能できる和食店です。また、松江駅改札口から徒歩1分というアクセスの良い場所(松江シャミネ内)にあります。 米油を使うヘルシーな米福ならではの自慢の天ぷらと地元食材を使った料理に豪快で新鮮な海鮮も取り揃えています。ごはん使いでも良し、飲み使いも良し!使い勝手良くどなたでも気軽にご利用いただけます。ランチにいただく「天ぷら定食」「天丼」が最高なんです(写真下)。

 個室完備なので、夜の飲み会にも最適です。今日は岡山からのお客様をお連れしてコースをいただきました。夜は二度目の利用です。米油であげる当店の天ぷらはサックサクの軽い食感が特徴。シンプルな調理で素材の味を最大限引き出します。定番のイカ、キス、ちくわなどの食材から、鰯や鱈、金目鯛も天ぷらで楽しむことができます。宴会にはお肉派!という方には、豚・牛・鶏の串焼きもありますから、お好みの一品にきっと出会えるはずです。今日は120分の飲み放題で4,000円のコースで楽しみました。♥♥♥

【コース内容】  120分飲み放題付(LO.10分前)

・新鮮鮮魚! 刺身4種盛り合せ

・生ハムと大山ブロッコリーのバターミルクサラダ

・肉厚だるま鯛の幽暗焼き

・米福自慢!天ぷら3種盛り合わせ

・特製トマトクリームソースのロゼトッポギ

・ジューシー大山鶏のあっさりゆず塩鍋

・〆のラーメン

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「知将」岡田監督

 私は子どもの頃からの熱狂的な巨人ファンですから、阪神は嫌いです。ただし、阪神の監督の岡田彰布(おかだあきのぶ)さんだけはスゴイ知将だと思っています。2023年に監督として日本一を達成するまで、サインには必ず「道一筋」と記してきました。性格は一本筋が通っています。裏表がなく、うわべで会話することはなく思慮深く、ありとあらゆるところに目があると称されるほどの観察眼を持っています。人に迷惑をかける行為、常識から外れた行動、当たり前のことを当たり前にできないことを嫌い、あいさつ、身だしなみ、物の扱い方、どこで何をしているか、鋭い洞察力で相手の本質を見抜きます。監督という立場になっても約束の時間の10分前には集合します。常に身だしなみも整え、社会人として道を外れることはありません。厳格で隙がなさそうに見えますが、義理人情に厚く優しい人です。

 細かいところまで気を配りながら采配をふるっています。今年の沖縄キャンプでこんなことがありました。三塁から本塁への走塁練習をしていた時のことです。三塁線から少し離れてリードを取る選手を見かけた時に、普段は直接指導をしない岡田監督が、身振り手振りを交えて、「ラインに近づいてリードをするよう」に注意しました。その意図は二つありました。一つは数センチでもホームへの最短距離を取らせること。さらにもう一つの理由は、「捕手の距離感を惑わすこと」だと説きます。走者がラインから離れると、三塁ベースが見え、捕手にはどれくらいリードしているか目測しやすいのです。それを少しでも分からないようにするためにはラインぎりぎりにいた方が、捕手はけん制球も投げづらくなるというのです。実に細かい。こうした細かな積み重ねがペナントを左右するというのが、指揮官の信念です。こうした教えが生きる機会はシーズンでは決して多くはないと思われますが、僅かでも勝つ確率を高めようと手を尽くす姿勢が見事ですね。

 昨年も監督就任時に、「2005年から勝っていない方が不思議だし、チャンスもあったと思う。血の入れ替えじゃなしに、小さいヒントによって勝てるチームに生まれ変わるんじゃないかと思う。そこは僕らが、ちょっと味付けをしてやらないといけない」と語り、有言実行、見事優勝を果たしました。基本的には打つことよりも守りを重視する野球でした。岡田監督が指揮官に復帰した当初は、「昔と今では野球が違う」と、データや動画解析などを用いた最新の野球理論をうたうプロの指導者の中からは、その手腕を疑問視する声も上がっていました。岡田監督は真っ向から反論しました。「ベースまでの距離も、マウンドからバッターボックスまでの距離も変わることはない。プレーの基本がちゃんとできて、そっちからのいろんな応用。だからもろいんや。データや機材だけに頼るヤツらは。崩れた時にな」 攻撃では、「打者はセンター返し」「打てないなら四球で出塁」「ボール球を振らない」。守備では「取れるアウトを確実に」「投球は両サイドの低め」「野手の送球は低く」などなど。「普通にやる」「当たり前のことを、当たり前にこなすこと」「しっかり投げて、しっかりと打ち返す」守り勝つ野球理論を極めようというのです。「普通にやればいい」。若く伸び盛りのチームに「勝ち方」を伝えるため、選手の重圧を取り除くように何度も何度も繰り返しました。岡田監督のことを最もよく知る内田雅也さん(スポーツニッポン)『知将岡田彰布』(ビジネス社、2024年)という「勝つ力」にあふれたメッセージ本を出版しました。私はラインを引きながら興味深く拝読しました。「野球の本質は昔も今も変わらんよ」というのが信念です。実に引き出しの多い監督であることを実感しました。今年はまだ本調子ではありませんが、後半は必ず阪神巨人のつばぜり合いになるだろうと予想しています。


そしてこの度、そんな岡田監督の率いる阪神タイガースの実況マガジン『阪神タイガース実況CDマガジン』(アシェット、隔週刊)の刊行が始まりました。「誰も書けなかった岡田彰布論」という表紙のタイトルに引かれてついつい買ってしまいました〔笑〕。♥♥♥

▲120号まで続くマガジン

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大学入試センターが嫌うこと

▲2月10日の私の講演資料より

 去る2月10日(土)に行われた、私のオンライン+対面講演「2025大学入学共通テストへ向けて~2024共通テスト分析から見える新課程共通テスト~」(ラーンズ)の中で、来年度の新課程の「共通テスト」を予測する上で、大学入試センターが絶対に嫌うことを述べたところ、実に面白かったというお声をたくさんの先生方からいただきました。「何をどのように学び、何ができるようになるのか」を明確にしながら、指導の狙いとする能力の育成を目指し、「主体的で・対話的で深い学び」の実現に向けた授業を改善していかなければなりません。来年の「共通テスト」がどのような出題になるのかは、「問題作成方針」「試作問題」「モニター調査」ぐらいしかヒントになるものはないので、今のところはっきりとは分からないのですが、大学入試センターが絶対に避けるであろうことは明らかです。ここにもう一度繰り返しておきますね。

 大学入試センターは、「入試問題で何が出題されたかが過度に注目され、そこから逆算するように授業が組み立てられる」ことを非常に嫌います。どんな観点でどんな問題が出題されているのかを分析して、対策に役立てるのは非常に重要なことです。どういう力を問おうとしているのかという狙いをはっきりと頭に入れた上で、今後の授業・指導の在り方を議論することも大切です。しかしそこから逆算して、小手先のあるいはテクニックで問題を解くための便法を現場が指導することは、大学入試センターは非常に嫌うんです。今までの「センター試験」「共通テスト」の歴史から、そのことを具体例で見てみることにしましょう。

 「センター試験」時代、かつては正解選択肢に非常に偏りが見られ、③や④に正解が多く見られました。受験生に少しでも英文をたくさん読ませるためにも、①や②に正解を置かないのは出題者の心理としてはよく分かります。そこで、分からない時には③か④に○をしておけ、といった予備校等の安易な指導が見られました。それに呼応するかのように、最近では①や②の正解も増えてきましたね。興味のある先生は、正解選択肢の分布を探ってみられるといいと思いますよ(こうやって疑問に思ったことは自分でデータを取ってみることは非常に大切なことです)。「正解選択肢は一番長いもの」といった対策もありました。どこから見ても絶対に本文と一致するように、また誤りの選択肢との差別化を図るためにもどうしても正解選択肢は長くなりがちな傾向が見られます。ところがこれも最近では、最も短い正解選択肢も見られるようになりました。またその昔、予備校では問題が配られたらすぐに裏返すような指導が行われました。私はその現場をこの目で実際に見ています。裏から第6問の最後の問題と選択肢が透けて見えるのです。待ち時間にそこだけでも読んでおけばそれだけ予測が深まることになりますね。笑い話のような話ですが、大学入試センターは最後に白紙を1枚挟むことで透けて見えることがなくなりました〔笑〕。狸とキツネの化かし合いといった感がありますね。「共通テスト」になり、目玉となる新傾向問題として「事実」「意見」の識別問題が出題されました。出題の意図は、正しい情報と誤った情報が混在する現在のネット社会において、正確な読解を基に客観的に情報を区別することが求められています。予備校では早速「意見」の選択肢には形容詞があるものといった対策が打たれました。本文を読まずとも選択肢を見るだけで正解が透けて見えるというのです。それに対抗するかのように、大学入試センターは全部の選択肢に形容詞を付けてきたことがありました。間違いなく意図的にやっています。本文を読まずに選択肢を見ただけで正解が分かるような問題も極力避けるように作られています。時系列に出来事を並べる問題も、起こった順番が本文に出てきた順番通りにはならないような工夫を施した問題が連続して出題されていますね。小手先ではない本物のしっかりとした英文理解が求められています。♥♥♥

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水原一平さん解雇!

 ビックリしました。「翔平の最高の相棒であり、親友」大リーグ、ドジャースは、大谷翔平選手の専属通訳を務める水原一平さんを解雇したことを明らかにしました。水原さんが違法賭博に関与したと伝え、「ロサンゼルス・タイムズ」は、水原さんが連邦捜査の対象となっている違法な「ブックメーカー」と呼ばれる賭け屋で賭けるために(スポーツベッティング)、大谷選手「巨額の窃盗被害」(Massive theft)を受けたとしています。大谷選手の口座からこのブックメーカーに対して少なくとも450万ドル、日本円でおよそ6億8,000万円が電信送金されていたとのことです。

 水原さんは、メジャーリーグで6年間大谷選手の通訳を務め、公私ともにあらゆる面でサポートを担ってきました。生活面、球場の送り迎えの運転手、キャッチボール相手、壁当てルーティンのサポート、投球やスイング強度の測定など、欠かせない練習パートナーでもありました。大谷選手からの信頼も厚く、家族同然とも言える関係を築いていました。開幕戦後のクラブハウスで、ドジャースのチームメートに対して、みずからが「ギャンブル依存症」であることを告白した上で、「すべて自分のせいだ」などと説明したということです。突然の疑惑です。一番信頼していた人物から裏切られた大谷選手のショックは計り知れないことでしょう。水原さんが周囲についたさまざまなウソが不確かな憶測を呼んでいます。

 この驚きのニュースを聞いて、私の頭に真っ先に浮かんだのは、当時作家収入ダントツのNo.1だった推理小説作家の故・西村京太郎先生がいつも色紙に書いておられた「人生は愛と友情と裏切りで成り立っている」「愛と友情と裏切りと これが人生だ」という言葉でした(写真下)。湯河原を訪問した際に、「「愛と友情」ならわかるのですが、そこに「裏切り」とある のは、トラウマのようなものがあるのか、それが作家としてのエネルギー 源になっているのではないかと。そのあたりはどうなの でしょう か?」という私の質問に答えて、西村先生「ミステリー だ からね(笑)」と答えられました。確かに、「人生は愛と友情である」と書い ても、ごくありきたりであまりインパクトはありません。西村先生のご経験 から、作品を書くときに「裏切り」を入れるということでしょうか?という質問に対しては、先生は次のようにお答えになりました。

 分の経験からです。親友が「矢島(本名)くんだけが 頼りだから」と言ってきたんですよね。そしたらそいつは全員に同じ手紙 を出していた。あれでがっくり来ちゃって、親友でもこんな ものかと。でも一人にだけ出したからって助けてくれないかもしれないから、僕だってやったかもしれ ない。そんなことがあって「裏切りで」と書きましたけれどもね。  ―日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』(2016年6月改訂版、Kindle版)

▲色紙を書く西村先生ご夫妻 先生は達筆でした!

 このお話をもうちょっと詳しく補足しておきましょうね。西村先生がいろいろと騙された経験のお話は、ジャーナリストの重田 玲(しげたれい)さんが西村先生にインタビューした『人生は愛と友情と、そして裏切りとでできている』(SUN POST、2015年)に数多く出てきます。バブルの頃に、京都東山に1億5000万円で買った家が、池の上に建っていた!(今でも持っておられます)、先生の作品を映画化したいと近寄ってきたプロデューサーを名乗る人物が、突然「あの原作はもともと私が書いたんだ」と言い出したとか、有名女優の名前を出して「よく知っているから」とか、プロデューサーの経験があるからとか、お金が絡むと、いろいろな人が先生の下に群がってきました。これが人生の現実です。

 「若いときの友達がいてね、役所時代の友だちなんだけど、彼は途中で役所を辞めちゃったんです。そして、彼から電話がきて、『友だちがいなくなっった』と。『親友は君だけだからなんとか助けてくれ』っていわれてね、お金を送ったりしていたんですよ。そしたら彼は誰にも『西村京太郎の親友だから』といっていたらしくて……」
 「お金持ちの作家さんが友だちだから、お金の都合はつくといったような…」
 「まぁ、よくある話と思ったけどね」
 「そういうときに相手を恨んだとかは?」
 「あんまり起きないね」
 「なんだか、達観されているような感じがします」
 「もともと、楽観主義だから(笑)」  (pp.112-113)

 私自身も、今までにずいぶん騙されたことがあります。J・スタインベックの短編「真珠」を苦労して訳した原稿を持ち逃げされたとか、母がお世話になった人から泣きつかれてお金を送ったら、返してもらえなかったとか(後日談があるのですが…)、教育関係者に「英語センター対策本」を大量に送っても、いくら請求してもそのまま代金を払ってもらえなかったりとか(何度もあります)、VISAカードから勝手にお金を引き出されていた等々。自宅には毎日のようにフィッシングメール(詐欺)が送りつけられます。アマゾンや銀行やネット会社やカード会社を語るものが多く届きます。この世の中にはどうやって人を騙してお金にしようかとしている輩がたくさんいるということです。人生は愛と友情と裏切りでできている」まさにその通りだなと感じます。上記のインタビュー本の帯には、騙されても裏切られても笑って許す。だけど忘れられないこともとありますね。これは、松本清張さんのことです(⇒詳しくはコチラをご覧ください)。私が、清張さんの小説や2時間ドラマを好きになれないのは、この話を読んだことも影響しているんです。

 今回話題となった「スポーツベッティング」は先進7カ国(G7)では、日本以外の全ての国で合法です。米国では連邦法「プロフェッショナル祖およびアマチュアスポーツ保護法」でネバダ州ラスベガスなど一部を除き違法とされてきましたが、2018年に最高裁が違憲判断を下し、ニュージャージー州が合法となりました。今では50州のうち38州で合法化されています。大谷選手のいるカリフォルニア州ではまだ違法なので、当局の捜査を受けているのです。

 『週刊ポスト』の記事で、水原さんの通訳としての年収は4,000万から6,000万円であると読んで驚いていたのですが、米メディアによれば年間約4,500万円~7,500万円ももらっていたといいます。これだけたくさんお金をもらっておきながら、賭博にのめりこんでしまったのでしょうか。生活費にも事欠いて家族や友人からも借金をしていたという報道もあります。水原さんはESPNのインタビューに「生活苦だった。(大谷の)ライフスタイルに合わせようと無理をしていたからだ」と回答したといいます。それが「ギャンブル依存症」に拍車をかけ、雇用主でもある大谷選手の口座から違法ブックメーカー(賭け屋)へ、多額の借金返済のために大金を送金する最悪の結果を招いてしまいました。さらに最近では、学歴詐称の問題まで出てきました。中学校3年生の英語の教科書(教育出版)に、「成功を支える人々」(Poeple Who Support Success)として大きく取り上げられるはずだった水原さんの記述も差し替えられそうです。

 大谷選手の会見後、アメリカの新聞を見ていると、日本と違って、「水原氏が大谷の口座にどのようにアクセスしたのか?」「大金が動いたのに金融機関から何の連絡も来なかったのか?」「6年も一緒にいてなぜ賭博に気づかなかったのか?」「秘密の暴露も、刺激的な告白も、謝罪があったわけでもない」「大谷が罰金を科されるとしたら、彼の評判が落ち、ワールドシリーズ制覇を目指すチームに水を差すことになる」と厳しいコメントが目立ち、日米報道の温度差を実感します。♠♠♠

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小中高生の自殺

 厚生労働省と警察庁は、2022年の自殺者数の確定値を発表しました。小・中・高生は計514人で、1980年の統計開始以降で最多となり、児童・生徒の自殺者数が初めて500人を超えました。厚労省は、長期化するコロナ禍で、学校や家庭の悩みが深刻化したことが一因と見ています。

 内訳は高校生354人(前年比40人増)、中学生143人(同5人減)、小学生17人(同6人増)。原因・動機別で見ると、学業不振や進路に関する悩みのほか、友達との不和、親子関係の不和が目立ちました。小・中・高生に大学生などを合わせた「学生・生徒」も1,063人で、過去最多でした。こども家庭庁は4月、庁内に「自殺対策室」を設置して、文部科学省や厚生労働省など関係省庁と連絡協議会を開き、対応策を協議してきました。小倉将信こども政策担当相「子ども自ら命を絶つようなことのない社会の実現に向け、ワンチームで取り組む」と話しました。6月2日、「こどもの自殺対策緊急強化プラン」を公表し、自殺の要因分析に加え、「一人一台端末タブレット」を活用した自殺リスク・異変の早期発見、多職種の専門家でつくるチームでの対応について、全国展開を目指します。

 学校生活や進路上の悩みは誰でも抱えていますが、長引くコロナ禍に伴う人間関係の希薄化で、友人らに相談できない子どもが増えているのでしょう。年代別では50歳代が最多で、40歳代、70歳代が続きました。原因・動機は健康問題が12,774人で最も多く、家庭問題4,775人、多重債務などを含む経済・生活問題4,697人、勤務問題2,968人でした。中でも昨年自殺した高校生は、過去最多の354人です(男子208人、女子146人)。学業不振、友人関係などの学校問題家庭問題が理由の多くを占めました。

 2023年の最新統計も発表になりました。自殺者数(確定値)は21,837人で、前年より44人減りました。小・中・高生自殺者数は、過去最多だった2022年の514人に次ぐ513人でした。コロナ禍以降、子どもの自殺者数が高止まりしています。その原因は、「学校問題」が最も多く261件。「健康問題」が147件。「家庭問題」が116件と続きます。学校問題の内訳は、学業不振(65件)、進路に関する悩み(53件)、学友との不和(48件)、入試に関する悩み(36件)、教師との人間関係(6件)、いじめ(1件)、性別による差別(1件)、その他(51件)でした。

 ここで「生命」について考えてみたいと思います。「生命」は決して平等ではありません。もっと長く生きていたいという強い願いを持ちながら、病気や事故や事件で思いがけず早く奪われてしまう「生命」があるかと思えば、まだまだずっと健康で長生きできるはずなのに、上の統計に見るように自ら「生命」を絶っていく若者もいます(ryuchellさん(27歳)が自ら命を絶ちました)。新聞を開けば、毎日のように殺人や死体遺棄やら凶悪犯罪のニュースであふれています。これだけ簡単に人の命がやりとりされる毎日の環境の中で暮らしていれば、人の「生命」が軽く扱われてしまうのもなんとなく分かるような気がしてきます。死をイメージすることができず、生への感謝も希薄です。

 ここに、興味深い事実があります。かつてアメリカのブッシュ政権が「湾岸戦争」を始めたときに、アメリカ国内では奇妙な現象が起こりました。「自殺者の減少」でした。日本でも、「太平洋戦争」の戦前・戦中には著しく自殺が減少しています。戦争によって、「自分の身に直接の危険が及ぶ」と感じた瞬間に、人は「生命の重み」に気づいたのでしょう。人間は安全が十分に保証された恵まれた環境の中では、自分の命さえも軽く感じてしまう生き物のようです。私が若い頃から、シンガーソングライターのさだまさしさんに強く共感するのは、「生命の尊さ」を、デビュー以来一貫して歌い続けておられることも大きな理由なんです。次の「遙かなるクリスマス」の詩をじっくりと聞いてみて下さい。♥♥♥

    遙かなるクリスマス          (作詩・作曲:さだまさし)
    
メリークリスマス 
二人のためのワインと それから君への贈り物を抱えて駅を出る
メリークリスマス 
外は雪模様気づけば ふと見知らぬ誰かが僕にそっと声をかけてくる
メリークリスマス 
振り向けば小さな箱を差し出す 助け合いの子供達に僕はポケットを探る
メリークリスマス 
携帯電話で君の弾む声に もうすぐ帰るよと告げた時のこと
メリークリスマス 
ふいに誰かの悲鳴が聞こえた 正面のスクリーン激しい爆撃を繰り返すニュース
メリークリスマス 
僕には何も関係ないことだと 言い聞かせながら無言でひたすらに歩いた

メリークリスマス 
僕達のための平和と 世の中の平和とが少しずつずれ始めている
メリークリスマス 
誰もが正義を口にするけど 二束三文の正義 十把一絡げの幸せ つまり嘘
メリークリスマス 
僕はぬくぬくと君への 愛だけで本当は十分なんだけど
メリークリスマス 
本当は気づいている今この時も 誰かがどこかで静かに命を奪われている
メリークリスマス 
独裁者が倒されたというのに 民衆が傷つけ合う平和とは一体なんだろう
メリークリスマス 
人々はもう気づいている 裸の王様に大人達は本当が言えない

メリークリスマス 
いつの間にか大人達と子供達は 平和な戦場で殺し合うようになってしまった
メリークリスマス 
尤も僕らはやがて自分の子供を 戦場に送る契約をしたのだから同じこと
メリークリスマス 
子供の瞳は大人の胸の底を 探りながらじわりじわりと壊れてゆく
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
その隣で自分の幸せばかりを 求め続けている卑劣な僕がいる
メリークリスマス 
世界中を幸せにと願う君と いえいっそ世界中が不幸ならと願う僕がいる

メリークリスマス 
僕は胸に抱えた小さな 君への贈り物について深く深く考えている
メリークリスマス 
僕は君の子供を戦場に送るために この贈り物を抱えているのだろうか
メリークリスマス 
本当に君を愛している 永遠に君が幸せであれと叫ぶ
メリークリスマス 
本当に本当に君を愛している 永遠に永遠に君が幸せであれと叫ぶ

メリークリスマス 
凍りつく涙を拭いながら
メリー メリークリスマス 
生きてくれ生きてくれ生きてくれと叫ぶ
メリークリスマス 
雪の中で雪の中で雪の中で
メリークリスマス 
白い白い白い白い雪の中で

メリークリスマス メリークリスマス…
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Kids Kards

  Richard Pinner「Kids Kards」という作品が気に入ってよく演じていました。マジシャンは彼が以前にマジックを見せた子供たちからもらった宝物を取り出します。それはなんと、幼い子供たちが描いた手書きのトランプです。しかし、それはあいにくマジックをするには適しません。そこでマジシャンがおまじないをかけると、手書きのトランプが、ちゃんと印刷された普通のトランプに変わってしまうのです。こんどはそのトランプを使って読心術を行います。最後に大切な宝物のトランプが元通りの手書きのカードに戻り、このマジックが終わります。

 現象: さて、その子供たちに描いてもらったデックを広げて、裏、表をよ~く示します。子ども心あふれる、非常に独創的なデザインです(上写真)。どこかほのぼのとした(ぐちゃぐちゃ?)絵が一枚一枚に描かれていますね。その中から1枚のカードを選 んでもらい、そのカードを手に取ります。しっかりと覚えてもらいます。そしておまじないをかけると、・・・あら不思議!手描きだった子供のカードが、裏も表も普通のデザインのカードに変化してしまっているではありませんんか。ノーマル・デザインの演じるのに適したカードに変化してしまいます。更に、そのカードだけではなく、デックをパラパラはじいてやると、手描きだったデックが全部普通のデックへと変化してしまいます。他のカードも、全てノーマルデザインに変わってしまいますが、指を鳴らすとまた、元の手描きのキッズ・カードに戻ってしまいます。裏表ともにカスタム・プリントを施し、口上と共に演じるのに最適な、大変チャーミングなカードです。  さらには第2段として、このデックを使って「読心術」を演じることもできます。このデザインの中には、不思議なカード当てが行えるよう、ある巧妙な仕掛けがプラスされているんです。デックの中から、1枚カードを覚えてもらいます。観客に頭の中でそのカードに集中して念じてもらうと、見事ズバリそれを当てることができるんです。子供向けのカードだからといって侮ることはできませんよ。当時は2,000円くらいで手に入れたと思います。このデック、スグレモノです。

 そのリチャード・ピナー(Richard Pinner)「キッズカード」(Kids Kards)は、Magic Circleの1999年「トリック・オブ・ザ・イヤー」に輝きました。心温まる演技は、今でも多くのマジシャンに愛され続けています。

 このトリック・デックがこのたび発売25周年を記念して、赤裏の新デザインになって発売されました。昔、このデックの初版をアメリカから手に入れた時に、「あれ~、スペルはKids Cardsじゃないのかな?」と疑問に思ったのを覚えています。マジシャンは、一組のデックを取り出し、以前ショーを見せてあげた子供たちが、お礼の印だと言って手描きのカード・デックを贈ってくれたのです、と説明します。とても可愛いらしいのですが、そこはしょせん子供が描いたものですから、残念ながら、イマイチパフォーマンスには不向きなのです。子どもがスペルミスしたという意味合いも込めて、タイトルは「Kids Kards」となっているわけですね〔笑〕。 

 手描きのトランプを子供たちからプレゼントされたと説明しながらデックを取り出します。一見、カードマジックが披露できないように見えます。しかし、マジックを使って通常のカードに戻せば問題ありません。観客の目の前でレギュラーデックに変化させて見せます。観客に1枚のカードを選んでもらい、心を読んで見事にいい当てます。せっかく頂いたカードなので元の手描きの状態に戻してみせます。今後も子供たちから頂いたプレゼントを大事にすると説明しながら演技を締めくくります。初心者からでも演じられる素晴らしいカードマジックです。これが「キッズカード」(Kids Kards)です!昨夜たまたまテレビをつけていてマツコ「月曜から夜更かし」で、マジシャンGOがこれと全く同じものを演じていました。安易だなー。♠♣♥♦

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ギブ・アンド・ギブ・アンド・ギブ

 かつて、ある出版社の営業責任者の方が私の自宅に講演の打ち合わせに来られた際に、「八幡先生の生き方のポリシーは何ですか?」と聞かれたので、「give and giveです」とお答えしました。今の私ならもう一歩進んで「give and give and giveです」と答えることでしょう。見返りを求めず、周りの人のために行動していると、神様は必ず見てくれていて、必ず自分に戻ってくる、というわけです。これは、私の亡くなった母の生き方に学ぶところが多かったせいかもしれません。母は実際、おせっかいなくらいに人のために行動していました。人助けです。そうすると不思議なもので、その倍くらいになって戻ってくるものなんだよ、といつも私に教えてくれたものでした。母は信仰心のあつい人だったので(日蓮宗、毎年夏になると最上稲荷奥之院」で修行していました)、神様の教えとしてそれを実践していたのかもしれません。そんな母もずいぶん人に裏切られたり、だまされたりもしたことを、子供ながらに間近に見てきましたが、母は気にすることもなくそのような生き方を生涯貫き通していました。やはりそのDNAもあり、影響を受けているのでしょうね。見返りを求めずに人のために動いていると、自分自身も多くの人に助けてもらっているのです。

 学校では生徒たちには、「人が先、成績は後」と言っています。点を取ればあとは何をしてもよし、では困ります。人の道にはずれるようなことを平気でする生徒がいます。礼儀の全くかけらもない生徒もいます。点数のためならどんな汚い手を使ってもOKという生徒がいます。約束を平気で破る生徒がいます。提出物の締め切りを平気で破る生徒もいます。掃除時間中に単語集片手に英単語の勉強をしている生徒がいます。努力・準備も全くせずに楽をして「富士山に登ろう」としている生徒も目立つようになりました。こういった人たちには、きちんと「人の道」を教えてあげないといけません。大人になってから困ります。そんな気持ちでずっと教えてきました。私が大好きなクロネコヤマト小倉昌男社長は、「サービスが先、利益は後」と喝破されました(理由:良いサービスを提供すればお客様に喜んでいただける。お客様に喜んでいただければ荷物が増える。荷物が増えると、エリア当たりの荷物の個数が増えて密度化が進む。密度化が進むと生産性が上昇し、自然に利益が出る。とにかく良いサービスを提供することが肝要だ)。お客様のための数限りない改革を、この精神で貫き通した人です。本当に大成功をおさめられましたね(ただ最近のクロネコ宅急便に関しては、少しサービスの低下が疑問視されます)。

 経営コンサルタントの故・船井幸雄(ふないゆきお)さんと、将棋の羽生善治(はぶよしはる、現将棋連盟会長)さんの対談集で、船井さんがこんなことを言っておられるのを読んだことがあります。

 ツキをつけるもうひとつの効果的な方法は、実は「与え好き」(ギブ&ギブ)になることです。与え好きになると、一見損をするように思えるのですが、不思議とツキはすぐにやってきます。私にはじめて「与え好き」が良いことであると教えてくれたのは、私の家内でした。私自身は、家内と結婚する以前はどちらかというと、与えるよりも、もらうほうが好きでした。結婚当初は家族が食べていくだけでもやっとの生活だったのです。それなのに、「差し上げ好き」の家内の行動に、私はいささかショックを受けました。しかし、しばらくたつと、その行動は意味のないことではないようだと気がつきました。「差し上げ好き」は、一見損をするように思えますが、間違いなくその何倍ものお返しが来るのに気づいたのです。たいていの人は、もらうことは好きでも、あげることはしたがりません。そのため、何かをいただいた場合は、自然とそれをくれた人に好意を持つようです。その行為自体に、エゴがなく、見返りを期待しない場合は、なおさらうれしく感じるものです。少し長い目で見ると、「与え好き」になると、あげたものが何倍にもなって返ってきます。これは金品だけに限らず、親切や恩情など、どんなものでも見返りを期待せずに与えることで、何倍にもなって返ってくるようです。「類は友を呼ぶ」というように、自分のまわりには自分と似た人が集まってきます。若いうちは与えるよりも、もらうほうが好きだというのも、多少はいいかもしれません。しかし、いつまでたっても、「テイク&テイク」の気持ちでは、まわりにツキのある人はいなくなってしまうでしょう。一緒にいて居心地の良い「ギブ&ギブ」の精神を持つ人と一緒に過ごすには、まずは自分から「与え好き」になることが、一番の方法のようです。  ―船井幸雄・羽生善治『人間力』(ビジネス社)

 400冊以上の著書のある「経営の神様」と称されたカリスマ・船井幸雄さんの言葉だけに重みがありますね。私は尊敬する鍵山秀三郎先生(イエローハット創業者)から、人間の幸せには三つあることを伺いました。一つ目の幸せは「してもらう幸せ、二つ目は自分で「できる幸せ、最後の三つ目は、人に「してあげる幸せ」で、相手の喜びを我が喜びとする、三つの中でも最高の幸せです。してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進んで、そして「してあげる幸せ」を味わえる人生をおくりなさい、という教えでした。経営の極意も「ギブ」の連続だといいます。普通の人は「お客さんにもっと来て欲しい」「もっと買って欲しい」「もっと儲けたい」といった具合に「もっと、もっと……」と「テイク」の連続を望んでしまい、実際にそのような言葉を口にしているのでうまくいかないのです。これは「テイク・アンド・テイク」の世界です。反対に、「どうぞ、ごゆっくりと過ごして下さい」「どうぞ、ごゆっくりお試し下さい」「どうぞ、お気に召さなければ、いつでもご返却下さい」「どうぞ、好きなだけ持っていって下さい」「どうぞ、ご遠慮なく召し上がり下さい」と「ギブ・アンド・ギブ」の接点を持つことで、経営も人生も楽しいものになってきます。

 先日も、2日連続で知り合いにごちそうをしたところ、家に帰ると思いもかけぬ所(野村證券)から、その何倍ものお金が振り込まれていました。本当に不思議ですね。何の見返りも期待せずに人に尽くしておくと、きっと思いもかけずいいことが帰って来ます。かつて、博多で開催された研究会のお土産に、私が島根県立松江北高等学校で作った英語指導資料(約350本)を全部収録したデータCD 集「英語は絶対に裏切らない!」(写真下)を無料で配布しました((株)ラーンズが、この研究会のためだけに作ってくれた貴重なものです)。たくさんの先生が喜んでくださって、当日のアンケートや、帰りましてからもメールで、お礼の言葉をたくさん頂戴しました:とても貴重な国宝級の資料、ありがとうございます」「先生のこれまで蓄えてこられた資料、情報をたくさんいただき本当に感謝です。是非有効に活用させていただきたいと思います」「お土産の資料は本当にすばらしく無料で本当にいいのかなという内容です」「先生の資料もたくさん頂け、自分の研究の成果を他にも無償で提供される先生の姿勢に感動しています」今でもこれらの先生方と仲よくさせてもらっています。

▲講演会に参加された先生方に無料で配付された指導資料集CD

 私の生き方の大きな支柱となっているものに、「たらいの法則」があります。 水を張った「たらい」で、自分の方に水を寄せようとすると、 返って反対側に行ってしまうでしょ。逆に自分の反対側に水をやると、しばらくすると自分のほうに返ってくる。同じように、「自分が、自分が」という気持ちが強いと、逆にあまり自分は得をしない。相手にただ奉仕をする気持ちになると、巡り巡って自分のためになる、 というものです。これは私の大好きな経営者・稲盛和夫(いなもりかずお)さんの「利他の心」の実践版ですね。

 おまえ、ここに水が入ったたらいがあるだろう。両手でその水を自分の方へ左右から送ってごらん。水は初め、自分のところに集まるけれど、すぐに自分の手元から離れていく。反対に、水を左右に送ってみなさい。水はおのずと自分の方へ集まってくるだろう。自分の幸せばかり考えているとな、その人の幸せはどこかへ行ってしまうのだよ。だから人が喜ぶようなことを、無理せず、少しずつ積み重ねていくことがとても大切なんだな。これを「損して得取れ」と言います。

 たらいに大きな水を張る。手前から人差し指一本で水を向こうに押しやる。水の波紋は途中で消えてしまう。それでも、ただひたすら押し続ける。やがて、波紋は大きくなり反対側の壁にぶつかって自分に返ってくる。与えて、与えて、それでも与え続けること。それはすべて自分のためになる…。そんな生き方をしなさい。

 こんなところから、私の人生哲学である“Give  and give and give”は生まれたのでした。♥♥♥

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「唐崎商店松江店」オープン

◎週末はグルメ情報!!今週は味噌ラーメン 

   「唐崎商店松江店」が3月25日にオープンしました。場所は、松江市東津田町の「中華蕎麦 奨 津田店(社中ダイニング)」(2023年9月20日閉店)のあった所です。ここには三刀屋の「ドンシュー」が入っていて何回かお邪魔しています。オープン3日目に行ってきました。開店11時の5分前に行ったのですが、もう行列ができていました。お店に入ってからもどんどんお客さんが入ってこられます。お店を出る時には店内で待つ人、お店の外で行列する人、すごい人気です。

 カウンター席とテーブル席と座敷があります。カウンター席に案内されました。注文は最近の店舗らしくタブレットからです。「北海道味噌炙りチャーシュー」「半チャーハン」を頼みました。初めて米子のお店に連れて行ってもらった時に、めちゃ美味しかったのでもう一度食べたかったんです。米子のお店に2回、出雲に1回行ったことがあります。そこで3種類の味噌を試してみたんですが、結論的には私のお気に入りは北海道味噌です。

 古くから佐渡や新潟との交流が盛んだったせいか、佐渡みそに近い赤色系の濃口味噌が代表的な味噌です。塩分濃度が高く、辛さを感じやすい味噌です。ひき肉やもやし、北海道をイメージするフライドポテトがトッピングされています。濃厚かつ塩の辛みとコクが味わえる濃口のスープで、塩気と味噌の旨味のバランスがとれた味わいは時間をかけて熟成されているような印象です。昔から現代までずっと、貴重な食材として重宝されてきた味噌。「味噌は医者要らず」とまで云われたそのヒミツを紹介しますが、いずれも大豆を使う点では共通しています。ここがポイント!大豆が大活躍しているのです。大豆自体が、タンパク質や脂質、糖分、ビタミン、ミネラルなどの栄養素を豊富に含んでいます。その大豆を味噌にするには発酵熟成させることが必要です。この発酵熟成も「味噌が体に効く」ポイントになります。発酵熟成作業の途中に微生物の働きが加わり、栄養素が体に消化吸収しやすい形に変わるのです。
そして栄養価も高くなるというわけです。

 1センチ程の厚みのある豚バラ巻きチャーシューが3枚。炙ってあり周りに付いてる味噌ダレが香ばしく、肉質も弾力と柔らかさがあり美味しい焼き豚です。脂っこくもなく、ここは満足です。スープは濃厚で香りが良いです。豚鶏のスープに北海道の赤味噌を合わせているのでしょう。一緒に炒めてある野菜や挽肉から味が染み出て、チャーシューやフライドオニオンから香ばしさがプラスされ美味しいです。麺は幅3ミリ厚さ2ミリの黄色い縮れのサッポロ味噌ラーメンの定番のものです。フライドポテトもスープに合う美味しさ。全体的に美味しくいただきました。「半チャーハン」もまずまず。♥♥♥

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オドーア電撃退団!

 開幕を3日前に控えた中での衝撃の発表でした。巨人は、助っ人新外国人のルーグネッド・オドーア内野手(30歳)が退団すると発表したのです。阿部慎之助監督(45歳)が、不調の彼を開幕1軍のメンバーから外し2軍で調整させる構想を伝えたところ、拒否して米国へ戻りたいと申し出があったと言います。 「彼(オドーア)の中では2軍に落ちて調整するのは受け入れられないと。何度も説明を続けましたが、結局、彼の気持ちは変わらず、退団を申し入れてきた。球団も受け入れました」「最初の開幕のメンバーには入れないけれども、しっかりとファームの方で調整して、コンディションを上げてくれと話し合ったんですけど、彼の中ではとにかく『2軍、ファームに落ちて調整するというのは受け入れられない』ということになりました。1番最初のところは、監督の口から彼に対して伝えられた。何度も説明しながら、話し合いを続けてきたが、結局彼の気持ちは変わらず、退団を申し入れてきたと。それを球団も受け入れました」と、説明しました。「全て1軍で試合に出す確約はなかった。監督の言葉に異議を唱えることはできないという話は契約上にはあった」と説明。実力主義はオドーアも承知していたはずでしたが…。

 ベネズエラ出身の左打者はメジャー通算178本塁打の輝かしい実績を引っさげて加入しました。ところがオープン戦では34打数6安打(うち3本はボテボテの内野安打でした)の低打率・176、0本塁打。0打点。2022年まで8年連続で2ケタ本塁打を記録しており、巨人の補強の目玉として推定年俸2億円で入団した長打力を期待された助っ人選手でした。しかし、オープン戦では全然調子が上がりませんでした。若手外野手が次々とアピールを続ける中、低調に終わったのです。さらには2回もけん制でアウトになるチョンボも犯しました(去年もそんな選手がいましたね)。

ルーグネッド・オドーア(Rougned Odor) 1994年2月3日生まれ、30歳。ベネズエラ出身。2011年レンジャーズ入団。14年にメジャーデビュー。16年にブルージェイズのバティスタとの大乱闘で注目を集めた。レンジャーズ時代に30本塁打以上を3度記録。ヤンキース、オリオールズを経て昨季はパドレスでプレーし、出場59試合で打率・203、4本塁打、18打点。今年1月、年俸2億円で巨人に入団した。メジャー通算成績は1154試合で打率・230、178本塁打、568打点。180センチ、90キロ。右投げ左打ち。

 メジャー研究家の友成那智さんは、「巨人ファンにとっては残念な話ですが、日本野球とは最も合わないタイプの選手だと思います」と言います。 「どんなボールでも手を出すバッターのことを“フリースインガー(free-swinger)”と呼びます。オドーア選手が、まさにそうです。低目を得意にしており、普通のバッターなら難しい球でもホームランを放つところは魅力的です。しかし、どんな球でも振ってしまうので、四球が少なく三振が多い。結果として出塁率は低くなります。日本の投手は制球力があり、緩急を交えるのも得意ですから、翻弄されてしまうかもしれません」身体能力は抜群ですから、セカンドで物凄いファインプレーを見せたことは何度もあります。ところが、エラーも多い。それもサインプレーといった複雑な場面でミスをするのではなく、普通の打球なのに処理を誤ったりします。巨人が外野手として登録したからといって、オドーアは内外野のどこでも守れる、いわゆるユーティリティープレイヤーというタイプではありません。多分、セカンドの守備が不安なので、外野にコンバートしたのではないでしょうか。オドーアは2017年、レンジャーズと6年総額4950万ドル、当時の為替レートで約55億3,400万円、現在のレートだと73億円の契約を結んでいます。オドーア選手は金持ちなのです。今年、MLBの契約更改は、異常なほど進んでいません。腕利きの代理人と契約を結んでいても、行き先が決まっていない大物選手が少なくありません。多分、オドーア選手は、MLBでの契約がなかなか決まらないことに痺れを切らし、巨人のオファーを快諾したのでしょう。ですから、彼にハングリー精神はありません。日本で活躍しなければメシが食えないという選手ではないのです。」 結局、MLB通算178本塁打の輝かしい実績を誇った男の実力は未知数のまま、文字通り「幻」に終わりました。推定年俸2億円で獲得した助っ人はシーズン本番の舞台に立つまでもなく帰国の途に就くこととなりました。

 ただ、オドーアに対しては、かねてきな臭い話も出回っていました。それが本人の経歴を巡る“詐称疑惑”です。NPB球団のある編成担当者は「そもそも年齢からして怪しかった。公称では今年が30歳となっているけど『あれは絶対に36歳か37歳くらいだ』とも言われていました。オドーアを調査していた球団は複数ありましたが、そうした点から『怖くて獲れない。ピークは過ぎているんじゃないか?』と手を引いた球団もあったと聞いている」と声を潜めました。このご時世に年齢詐称などあり得るのか。MLBスカウトの1人は「オドーアの出身地のベネズエラでは、戸籍そのものがしっかりしていないこともあり、こうしたケースはまれに起きる。だからこそ、しっかりと調査しないといけない」と言います。さらに、別の球界関係者も「DeNAで監督も務めたアレックス・ラミレスもベネズエラ出身で、年齢不詳とされていたでしょ? それと同じ」と同調しました。年齢を偽っていようがいまいが、オドーアはプレーすらせずにチームを去ります。新任の阿部監督がいよいよ船出する3日前に起きた悲劇。ショックをどう乗り越えるのか、指揮官の手腕とチームの結束が試されます。今季加入した新助っ人の中で、唯一の野手が開幕前にいなくなってしまったのですから衝撃的です。しかし、関係者はみんなスッキリしているんじゃないでしょうか。仮に開幕二軍に本人が納得したとしても、そのまま二軍に置いておけたかどうか、年俸2億円のメジャーの大物ですから、本人のプライドもあるだろうし、どうしたってある程度は一軍で使わざるを得ません。阿部監督の足かせになるところでした。空いた右翼には、オープン戦好調の松原や状態のいいベテラン梶谷を入れられます。かえって良かったというのが大部分の声でしょう。阿部監督はチーム内に配布した「監督指針」の1番目に「勝利のために自己犠牲ができる選手を起用する」と記しています。ネット上では「勝負に徹した姿勢は共感できる」「若手の外野メンバーはやる気を出すと思う」などと歓迎の声が多く聞かれます。たとえ大物助っ人だろうが、自身の方針を曲げなかったことも、チームにプラスに働くかもしれませんね。実際外野手は調子のいい選手がいくらでもおり、大激戦区でした。佐々木、丸、松原、梶谷、長野、オコエ、秋広、萩尾、浅野、重信選手らには、大きなチャンスが巡ってきました。今年の45歳の指揮官・阿部新監督は、選手やコーチ、スタッフ全員に配った小冊子にこう記しています。「勝利のために自己犠牲ができる選手を起用する」「成績だけの昇降格はしない」「結果が大事だがプロセスを重視する」「トライアル&エラー 失敗から学ぶ」「チーム内競争を促す」さらに「素直さ、謙虚さ、継続力、献身性、思考力」という五つのスキルを重視するとしました。

 私はこの衝撃の退団は、逆にチームには好影響を残すと思っています。まず第一に、助っ人の開幕直前の離脱という危機的状況に、チームの結束が強固になりはしないか?阿部新監督の下で、チームの結束が強固になる機会となりそうです。昨オフに原辰徳前監督からバトンを受けた阿部監督は、就任直後から「競争」という言葉を何度も使い続けてきました。言葉通りにキャンプからオープン戦を通じて、結果を残せなかった選手は、容赦なくファームで再調整を命じてきました。つい先日も秋広優人内野手の開幕二軍を明言し、「ここからは結果を見ていくよ、と言った中で結果を出せなかったからね。それだけですよ」と語っていました。その点で、オドーアの二軍降格も当然のことと言えましょう。オープン戦で結果を残せていないということだけでなく、二度も牽制に引っかかってアウトになる凡プレーもありました。いくらメジャーでそれなりに実績のあるとはいえ、例外とせずに求めてきた方針通りのプレーができなければ一軍に置かないのは当然でしょう。結果として開幕直前の退団という異例の事態を招きましたが、この決断で選手たちは監督の言葉の絶対的な重さを感じたはずです。今年の巨人のポジション争いは例外のないガチンコ競争となることを選手たちが改めて肌で実感したはずです。チームに1本の芯を通すきっかけになりました

 さらに、若手起用に拍車がかかり、戦力面でのアップにつながりそうです。もしオドーアを一軍に残せば、おそらく最低でも開幕から1、2カードは使わなければいけません。ただ今季の巨人の外野のポジション争いは、激しく、若手の台頭が顕著です。オドーアという大きな石が無くなったことで、若手選手を使うチャンスが開幕から増えるのは確実と思われます。外野の控えにはキャンプからオープン戦と復活をアピール、オープン戦で打率3割2分をマークした松原聖弥外野手がいます。また貴重な右の外野手としてソフトバンク戦では1号2ランを放つなど実戦力を見せた萩尾匡也外野手もいます。そして腰痛でキャンプはリハビリ組スタート、阿部監督に「開幕一軍は考えていない」と言われながらも、ギリギリで這い上がってきた浅野翔吾外野手も控えています。阪神との開幕初戦では、早速代わりにライトに入った梶谷選手の、大飛球を好捕するビッグプレイと2ランホームランで快勝しました(残念ながらまたケガで登録抹消)。第2戦では松原選手がダメ押しのタイムリーヒットを放っています。助っ人がいなくても全然大丈夫です。今ではチーム練習中のふとした瞬間に「オドーア!オドーア!」と連呼してナインの笑いを誘うなど、単語そのものが一種のキラーワードとなっている様子だと言います。「お騒がせ助っ人事件」が今では「笑い話」に昇華しているようです。ソフトバンクに放出したウォーカー選手が大活躍しているのは、巨人の外国人選手のいつものパターンです。♥♥♥

【追記】  滑り出しは絶好調な巨人でしたが、現在3連敗。いずれもミスからの自滅でした。誰一人送りバントができない。せっかく挟んでも挟殺プレーができない。暴投やパスボール、四球を連発してはとどめを刺される(メンデス投手は即刻二軍送りとなりました)。普通のことができずに、ミスを繰り返していれば「野球の神様」が怒るのは当然のことです。「当たり前のことを当たり前にできる」チームが勝つのです。救いは先発ピッチャー陣が安定していることでしょうか。3連敗の後の菅野投手は流石で、悪い流れを止めてくれました。この試合はきちんと全員が送りバントを決めました。するとちゃんとタイムリーヒットが出るのです。

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「お待ちしておりました」

 「お待ちしておりました」を私の教えている高校生・浪人生に書かせてみると、かなり英語のできる人でも、I/We have been waiting for you.と書く人が多いんです。この英語の問題点に気づく人はほとんどいません。AIツールの自動翻訳システムDeepLでもこの英語が示されます。日本人の英語表現に関する多くの著書のあるT・D・ミントン(T.D.Minton)慶應義塾大学教授(英国ケンブリッジ大学卒)が、来日して初めて日本人のお宅に招かれた時、玄関で出迎えてくださった人が、We have been waiting for you.とおっしゃられて、ちょっとビックリして心臓がドキッとした、と思い出を書いておられました。この日本人は間違いなく「お待ちしておりました」と歓迎の言葉として発しておられたと思いますが、この英語はネイティブスピーカーにとっては全く別の意味合いを持つのです。「約束の時間きっかりに着くように、近くで時間をつぶしたりもして伺ったのに、なぜこんな言われ方をするのだろう?この国では約束の時間より早く来るのがしきたりなのかな?」と、来日して間もなかったミントン先生は疑問に思われたのでした。

 英語のwaitは、日本語の「待つ」とは違って、「待ち望む」という意味はなく、むしろ「時間のムダ」という意味のほうが強い語なのです。誰かを待っている時は、そわそわして何も手につかず、相手が来るまではしたいこともできません。英語のwaitには、そうした手持ち無沙汰の状態を強く感じるのです。

Shall we wait for him, or shall we start without him? 彼が来るまで待ちますか、それとも始めましょうか。

Let’s wait 10 minutes and then start if he isn’t here by then.  10分待って彼が来なかったら始めましょう。

 wait「人を待つ」=「時間の浪費」という意味が込められているのです。したがってI have been waiting for you.と言うと、遅れてきた相手をたしなめる言い方になってしまうのです(「待たされて迷惑しました」)。こういう言い方は失礼になりますね(「遅かったですね」と嫌みを言いたいのなら話は別ですが)。

 それではどう言ったらいいのでしょう。We have been expecting you.ならどうでしょう?この英語もDeepLに出てきますが、好ましくはありません。expect someone というのは「相手が間もなく来ると思っている」という意味です。あなたはすでに相手を招待して相手も承諾しているのですから、約束の時間に相手がやって来るのは当たり前のことです。その相手に向かって、We’ve been expecting you.などと言うのは、当たり前すぎてかえって野暮に聞こえてしまいます。自明なことはあえて言わないのが教養のある人のマナーなのです。

 したがって、 Hello, welcome to our home. We’ve been looking forward to seeing you.(こんにちわ。我が家へようこそ。お会いするのを楽しみにしておりました)/Hello. Thank you very much for coming all this way. It’s been good to see you.(こんにちわ。遠路お越しいただいてありがとうございます。お目にかかれてうれしいです)などがよいでしょう。単語本来の意味合いにもっと敏感にならねばなりません。♥♥♥

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バットとボールの値段

 「すべての経済的意思決定が厳密に合理的であるとは限らない」という理論を提唱した心理学者・行動経済学者のプリンストン大学・ダニエル・カーネマン名誉教授が、2024年3月27日に90歳で亡くなりました。ダニエル・カーネマンは、2002年に「ノーベル経済学賞」を受賞しました。当時のアメリカ心理学会は「心理学が科学と認められた」といったプレスリリースをしています。彼が証明した意思決定にかかわるバイアス(先入観や偏見)は、「愚かな人間の問題」ではなく「普通の人間の性向」であることが公に認められたのです。人間の知的活動には「ファスト」(直感)「スロー」(熟慮)があるとします。「ファスト」は、直感や経験に基づいて、日常生活で大半の判断を下しています。例えば物の距離感や音の方角の感知など、自動車の運転をする際に働くものです。「スロー」は、発動には集中力が必要とされます。例えば、たくさんの文字の中から必要な情報だけを抜き出す、聞こえてきた言葉が何語かを聞き分ける、といった働きです。合理的で「考える葦(あし)」のはずの人の意思決定の大半は実は「ファスト」に委ねられています。その方がエネルギーを使わず効率的なだけでなく、「おおむね正しい」のです。が「時には決定的に間違っている」のです。その間違いを「スロー」がチェックできればいいのですが、人間の注意力は有限なので簡単になくなってしまうのです。カーネマンはそれを揶揄して「スローは怠け者だ」と言います。

 「ファスト」でも専門家が長年の訓練と経験で得た「直感」は別です。ただし、専門的直感が意味を持つのは一定の規則性のある事象に限られ、株などの予測ではあまり役に立ちません。将棋の藤井聡太八冠の鋭い直感を考えてみるといいでしょう。直感の間違いは気づきにくいものです。例えば次のような有名な問題を考えてください。

 バットとボールは合わせて1ドル10セントで、バットはボールより1ドル高い。ではボールはいくらでしょう?

 当然10セントだ!とひらめいた方、残念ながら間違っています。なんとなく直感でいくとそうなるのですが、だとすれば1ドル高いバットは1ドル10セントで合計1ドル20セントになるからです。「こんな簡単な問題、何言っているの?」と思うかもしれません。しかし実際の調査ではハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、プリンストン大学という超エリート大学の学生の50%以上が直感的な答えを出した、つまり間違ったというのです。

簡単な問題でも、間違ってしまうことがある(写真/Shutterstock)

 何が問題かと言えば、ちょっと検算すればすぐ間違いだと分かるのにしないという事実です。「スロー」を少しだけ発動させればよいのですが、「簡単」と思う問題に対して私たちはそれをしないで「ファスト」に任せることが多いのです。そして、間違っていることにも気づかないのです。

 こうして心理学の視点から実験と研究を進め、確立したのが行動経済学です。当初経済学界では異端扱いされました。なぜ10万円失うと、10万円を得る喜びの2倍の苦痛を感じるのか?「人間は合理的で理にかなった判断をする」という経済学の前提では説明できません。心理や感情を経済分析に応用した成果は高く評価されるようになり、経済学の考え方を大きく変えることになります。

 もう少し例を見てみましょう。以下の2つのりんごジュースなら、どちらを選びますか?

A. パッケージに「果汁90%以上」と書かれた商品
B.「添加物10%以下」と書かれた商品

 どちらも言っていることは同じです。しかし、多くの人が速い思考の段階でAの商品を選ぶのではないでしょうか。というのも、一般的に「果汁はいいもの」「添加物は悪いもの」という刷り込みがあるため、字面の印象だけで直感的にAを選びがちになるからです。これは「フレーミング効果」と呼ばれ、宣伝広告ではおなじみのテクニックですね。

 アウトレットモールなどに行くと、「商品70%off!」などという大幅な値引き札が付いていますよね。例えば元値が2万円の靴が70%offなら6,000円。その視覚的な印象だけで得をしたような気になって、ついつい予算オーバーの買い物をしてしまった経験はありませんか?これは「アンカリング効果」と呼ばれ、元々の基準(アンカー)になる数字を示した上で、それより上や下の数字を提示すると、印象をコントロールしやすくなるというトリックです。これに踊らされないためには、遅い思考を働かせて、「本当に値段に見合うクオリティか」「お得感を抜きにしても商品を魅力的に感じるか」どうかを吟味する必要があります。♥♥♥

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特急「やくも」新型車両公開

 JR西日本は10月17日、2024年春から順次切り替わっていく特急「やくも」岡山~出雲市、220km)に投入する新型車両「273系」を、報道陣に公開しました。国内初という「車上型の制御付自然振り子方式」を開発・実用化し、「特急はくも」「ぐったりやくも」などと揶揄されて、今まで悪評の高かった乗り心地を向上させました。現在の381系電車は、伯備線が電化された1982年から使用されており、約40年ぶりのリニューアルとなります。楽しみです。コロナ禍前の2019年には、1日約4,000人の乗客を運んでいました。現在は4種類の歴代特急「やくも」が走っています。通常の「ゆったりやくも」、紫色を基調とした「スーパーやくも色」(1994~2008年)、クリーム色と赤のツートンカラーの「国鉄色やくも」(1982~1998年)、緑色と黄色の帯が特徴の「緑やくも色」(1977~2011年)の4種です。「スーパ-やくも色」は4月5日に運行を終了します。「国鉄色」「緑やくも」は6月末に運行を終了します。非リバイバル塗装「ゆったりやくも色」の車両については、運行終了時期は未定で、273系に置き換わった後も運行する場合があるとしています。

 『鉄道ジャーナル』(成美堂)『鉄道ファン』(交友社)の1月号(2024年)がこの車両の特集を組んでいますので、ご紹介してみたいと思います。

特急「やくも」用の新型車両「273系」

 車両のデザインは、イチバンセン代表の川西康之さんと、近畿車輛デザイン室が担当しました。川西さんは、同社の「WEST EXPRESS 銀河」や、2024年に投入するキハ189系改造の観光列車なども手がけたデザイナーです。273系が走るエリアの社員の意見も反映しつつ、この車両のデザインを考案したといいます。デザインのコンセプトは、「沿線の風景に響き自然に映える車体、山陰の我が家のようにくつろげる温もりのある車内」。外観は、「山陰や伯備線の風景に響き、自然に映える車体」を目指し、大山に昇る朝日や宍道湖に沈む夕日の「鬱金(うこん)色」、奥出雲たたら製鉄の「黄金(こがね)色」、大山夏山開き祭の松明行列を表す「銅(あかがね)色」、山陰地方の風物でもある石州瓦の「赤銅(しゃくどう)色」のグラデーションからなるイメージカラーの「やくもブロンズ」が採用されました。「沿線の自然・景観・文化・歴史を尊び、お客様と交感する色」と説明しています。塗装はメタリック風味で、JR西日本の社員は「晴れの日や曇りの日、雪の日で、印象が大きく変わりそう」と話していました。山陰らしさや伯備線の沿線らしさを演出し、一目で山陰に行く列車だと分かるデザインとしました。

 前面・側面に「やくも」のロゴと「モダンに八雲立つ、伝統を継承」したアイボリーのシンボルマークを配置しています。室内のコンセプトは、「山陰の我が家のようにくつろげる温もりのある車内」。LEDによる間接照明や、ダーク系の木目調の床模様により、暖かみが演出されており、従来の「やくも」よりも大幅にアップデートされた空間となりました。グリーン車は、2+1列で座席を配置。座面に赤銅色、背もたれにうこん色を用いて、明るく空間の広がりを感じられ、富と長寿の象徴とされる亀の甲羅をイメージした「積石亀甲」(つみいしきっこう)模様をデザインしたシートとなっています。「積石亀甲」とは、沿線の亀にまつわる伝説(米子市の亀甲神社など)や地名(亀嵩)にちなみ、富と長寿の象徴とされる亀の甲羅をモチーフとしています。六角形と正三角形を重ね合わせたもので、床の絨毯も共通の柄を拡大して使用しています。足下にフットレストを設置したほか、枕は可動式で、快適性に配慮。また、肘掛けには電源コンセントが設置されました。

1号車のグリーン車肘掛けにはコンセントを設置

 肘掛けにはコンセントを設置。普通車では、緑と青の背もたれを隣り合わせで千鳥状に配し、麻の葉柄をあしらっています。沿線の山々をイメージした緑色をベースに、古来から神事に用いられ、人を守る魔除けの意味がある「麻の葉」の模様をあしらったシートを2+2列で配置。神話の国を走る「やくも」沿線の自然と風土をイメージしています。こちらも、可動式枕やコンセントが設置されています。座席の間隔(シートピッチ)は1040mmと、新幹線と同等の数値に拡大しており、在来線特急用車両の普通車としては、最大級の間隔となり座り心地を改善しています。普通車とグリーン車の座席には、上下調整可能なヘッドレストが付き、リクライニングと連動しています。リクラインイングは背面の傾きに連動して座面が前後に動き、楽な姿勢を保てる「チルト機構」が搭載されています。

2~4号車の普通車車内

 こちらも両サイドの肘掛けにソフトパッドが付き、電源コンセントが設置されています。また、これまでの「やくも」に無かった設備として、グループ向けの座席「セミコンパートメント」が導入されました。4人掛けと2人掛けの計4席が用意され、緩やかな仕切りを設けることでグループでも使いやすい形にこだわっています。車内Wi-Fiも導入。車いすスペースも拡大し、多目的室や大型荷物置き場、フリースペースやユーティリティスペースを設置、バリアフリーや利便性も考慮し、車椅子のまま利用可能なトイレなど、幅広い利用層を意識して設備の充実を図っています。LED照明等による省エネ化に加え、よりエネルギー変換効率に優れたVVVF制御装置も搭載し、環境負担の軽減も図っています。

1号車の連結面寄りに設置された「セミコンパートメント」

 1号車の連結面寄りに設置された「セミコンパートメント」は、グリーン車と同じ1号車の半室に設置するもの。2人用と4人用のボックス席で、大型テーブルや簡易的な仕切りが設置されています。また、座面をスライドさせると、フラットなスペースに生まれ変わります。

 座面をフラットにした状態このセミコンパートメントは、普通車指定席と同額で利用できるということです。2人用は2人利用、4人用は3~4人利用時に限り、きっぷを購入できます。各コンパートメントには「11」「12」といった番号のみが振られており、「A席」「B席」といった座席位置の英字は使用されていません。このほか、バリアフリー対応や、空気清浄機の設置による快適性向上、防犯カメラ設置による車内安全性の向上など、近年の鉄道車両らしいアップデートも図られています。側面の表示器は、フルカラーLEDを採用。その他車体構造の強化と機器の二重系化による安全性・安定性の向上、車内防犯カメラの設置による車内セキュリティ向上、空気清浄機の搭載と抗菌・抗ウィルス加工による安心した車内環境作りにも努めます。

 振り子式とは、カーブで車体を傾けて走ることで、遠心力を打ち消し、乗り心地を改善させるもの。自転車に乗る際、曲がる際に体を傾けるのと、原理的には同じです。これにより、一般車両よりも速度を上げても乗り心地の悪化を抑えられるため、速度向上が可能となるのです。従来の381系では、振り子式車両の黎明期であったため、遠心力のみで車両の傾斜を制御する「自然振り子式」が採用されていたので、乗り物酔いしやすいと言われていました。当初から揺れがひどく、これまでは「本を読もうと開いたが、酔いそうで、ずっと目をつぶって寝ていた」「弁当を食べていたら気持ち悪くなった」と悪評の高かった「やくも」。洗面所には「ご気分の悪いときにご利用下さい」と書かれた「エチケット袋」が備え付けてありました。これに対し、近年の振り子式車両では、遠心力を用いつつも、アクチュエーターにより事前に傾斜を制御させる、「制御付自然振り子方式」が採用されてきました。273系では、さらに一歩進んだ形で、「車上型の制御付自然振り子方式」という、国内初の最新方式が採用されています。

 これまでのシステムでは、ATS(自動列車停止装置)用の地上子などをもとに、位置情報を検知・補正し、車体を傾斜させるタイミングを計っていました。しかしこの方法では、車輪の空転などで距離が正確でなくなった場合、その後の地上子による位置補正が正確に働かなくなるおそれがあったといいます。加えて、地上設備である地上子は、工事などで設置位置が変わる可能性があります。その場合、車上のデータベースを更新しなければ、正確な補正ができなくなってしまいます。これを解決する新システムは、鉄道総合技術研究所(鉄道総研)、JR西日本、川崎車両が共同開発したもの。車両のデータベースに、走行路線のカーブの情報を持たせ、従来方式の欠点を改善しました。車両は走行中、速度情報と、搭載したジャイロセンサーにより、現在走行している区間のカーブの情報を取得。これをデータベースの情報と突き合わせることで、地上設備によらない位置取得・補正が可能となりました。これにより、キハ187系などの既存の制御付自然振り子方式よりも、乗り物酔い評価指数で最大23パーセントの改善を実現しています。

 273系の営業運転開始は、2024年春以降を予定。今回公開された編成と同じ、半室グリーン車を含む4両1編成を、計11本製造する計画です。投資総額は160億円。JR西日本管内の地方路線は収支を公表した全30区間が営業赤字と苦しい状況が続きますが、新型「やくも」への投資に踏み切りました。この車両のデザインを担当した川西さんは、「1人あたりの居住スペースをできるだけ確保し、フリースペースやバリアフリー設備など、さまざまな設備を車内のあちこちに配置した。ぜひお気に入りの場所を見つけてもらいたい」とコメント。JR西日本車両部の関谷賢二車両部長も、「この車両に乗ることで山陰地区を思い出してもらえるような存在になってもらえれば」と思い入れを話していました。「ただの移動手段としてだけではなく、車両に乗ること自体が旅の醍醐味になるのではないか」というのが錦織良成映画監督のコメントでした。

 先日、岡山駅のホームで電車を待っていると、何とこの新型「やくも」の車両が入線してきました。試験運転をしていたようです。安来駅米子駅でも試運転中の新型車両を目撃しています。4月6日のデビューを控え、頻繁に伯備線を疾走しているようです。これを受け、この車両に抱きついたり、連結器の部分に乗りポーズを取ったりする悪質な画像がネット上で広がり物議を醸しています。また間もなく運行を終了するリバイバルやくも」の撮影に訪れるマナーの悪いファンがいることも報じられいます。復刻塗装をした「やくも」の運行が始まった昨年頃から相談が5倍ほどに急増したとのことです。私有地への立ち入り、車で猛スピードで走り抜ける、樹木の伐採の横行、電動のチェーンソーを持った人も見かける、など不安の声が上がっています。危険ですから、気を付けたいものです。

 JR西日本鳥取県米子市は、人気音楽バンドの 「Official髭男dism」(愛称:ヒゲダン)の代表曲が、2024年4月6日よりJR米子駅の発車メロディと特急やくも新型車両(273系)の車内チャイムにて使用が開始されると発表しました。「Official髭男dism(オフィシャルヒゲダンディズム)」は島根・鳥取・広島出身の男性4人組のバンドです。メンバーのほとんどが島根大学出身ということから「島根発」というイメージも強い彼ら。ボーカル藤原聡さん、ドラム松浦匡希さんの出身地である島根県米子市の陸の玄関口で、自身の曲が使用されることとなり、地域の方やヒゲダンファンに喜ばれそうです。

 JR米子駅では、「Official髭男dism」がはじめて紅白歌合戦に出場した際の曲、「Pretender」が列車の発車の際のメロディに使用されます。使用されるのりばは、1番(主に岡山・鳥取方面)と2~5番のりば(主に出雲市・益田方面)。列車は、やくも / サンライズ出雲 / スーパーおき・スーパーまつかぜ / 山陽本線・伯備線の普通列車です。2024年4月6日のやくも10号岡山行発車時(9時35分発)から使用を開始し、3年間の予定です。

 さらに、岡山~出雲市間の各駅で発着時に「特急やくも新型車両」の車内で流れる案内放送前の車内チャイムでは、上りは「Pretender」(オルゴール)、下りは「I LOVE…」(ピアノ)が使用されます。山陰外からのお客さんの利用が多い「特急やくも」では、岡山へ向かう場面は、多くの方が帰路となることから、情緒的な楽曲の雰囲気が旅情にマッチすると考えたことによります。一方、縁結びにゆかりのある地が多い山陰に向かう人が多い下りは、多くの人の胸を打った恋愛を歌った楽曲が旅情にマッチするとして採用されました。今から新型車両に乗るのが楽しみです。♥♥♥

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『オックスフォード英語辞典』に日本語が

 学生時代に英文学の故・小林定義(こばやしさだよし)教授の古典文学を購読する授業で、全ての単語を『オックスフォード英語辞典』(OEDで引いてくることが課されました。昔の文学作品に出てくる英語は現代英語とは異なる意味や使い方をする語が数多くあるので、それらをきちんと見極めなさいという教えでした。資料室に閉じ籠もってとんでもない分量を調べないといけないので、学生はそれはもう大変でした。自分で購入した時にはそれはもう何よりの喜びでした。あの授業で英語の辞典を引く大切さが叩き込まれた思い出があります。私たちは手分けをして調べることもできるのですが、小林先生はお一人で全部ノートに書き込んでおられました。そのせいで腰を痛められたというエピソードが残っていますが、OEDを引いたことのある人ならあの重さがお分かりでしょう。1928年発行で20巻を超える大辞典です。世界中の言葉の多様な英語の用法を記述するだけでなく、英語の歴史的発展をも辿っており、学者や学術研究者だけではなく英語を学習しようとするあらゆる人達に必須の辞典です。現在は、WEB版が普及しているので重い辞書を持ち運ぶことも無くなりましたが、その価値は英語研究者には変わりません。

 世界で広く使われる『オックスフォード英語辞典』を出版するイギリスのオックスフォード大学出版局は、3月の改訂に際して、「katsu(カツ)」「donburi(丼)」「karaage(唐揚げ)」といった日本語由来の言葉を新たに23個、ローマ字表記で辞典(電子版)に追加したと発表しました。その殆どが、食にまつわる言葉で、英国メディアは日本食店の増加や日本食材が身近になったことが影響したとの見方を伝えています。辞典の編者はウェブサイトで「英語にとって、日本語は外来語の宝庫だ」と語っています(⇒例えばコチラ)。今回の選考には、日本の東京外国語大学の教授が協力したということがホームページで写真が掲載されました(投野先生など)。

 karaage(唐揚げ)の定義を見てみましょう。

karaage =唐揚げ
A Japanese dish consisting of small pieces of chicken, other types of meat, or seafood, which have been marinated, coated in flour, potato starch, or cornflour, and then deep-fried in oil. Also: this style of cooking. Frequently as a modifier or postmodifier, esp. in karaage chicken and chicken karaage.(小さな鶏肉やその他の肉、魚介類をマリネし、小麦粉、片栗粉、またはコーンフラワーをまぶして油で揚げた日本料理。また、この料理スタイル。多くの場合、特に修飾語または後置修飾語として使用されます。唐揚げの鶏とか鶏の唐揚げ)

 英国では近年、日本の食文化に対する関心が急速な高まりを見せており、特に日本風のカレーライスにチキンカツや野菜のコロッケなどを乗せた「カツカレー」が事実上の国民食といわれるほどの大人気となっているそうです。

 ほかにも英国での本格的なラーメンの浸透ぶりを反映して、豚の骨を何時間もかけて煮出したスープを意味する「tonkotsu(豚骨)」や、英国でもファンの多い宮崎駿監督のアニメ映画「千と千尋の神隠し」で主人公が食べたことで広く知られるようになった「onigiri(おにぎり)」も追加されました。食べ物の関連では「takoyaki(たこ焼き)」「okonomiyaki(お好み焼き)」「yakiniku(焼肉)」「tonkatsu sauce(トンカツソース)」のほか、三徳包丁を意味する「santoku」が入るなど、英語圏での日本料理の人気ぶりが改めて裏付けられた恰好です。

 ほかには、日本の漫画やアニメの人気を背景に「mangaka(漫画家)」「isekai(異世界)」「tokusatsu(特撮)」も入りました。陶器の修繕技法である「kintsugi(金継ぎ)」や、絞り染めを意味する「shibori」も追加され、日本の伝統工芸への関心の高まりも伺わせました。今回、“異世界”(isekai)OEDに新たに追加されましたが、この言葉は、見知らぬ場所に運ばれる主人公のファンタジー物語として定義され、例としては宮崎駿『君たちはどう生きるか』(The Boy and the Heron) の映画が紹介されています。日本アニメの影響が見て取れます。ただしこの言葉を知らない日本人も多いと思われます。

 借用語の半分以上は、食べ物や料理に関するものです。

「Santoku(三徳=刃先が短くて平らな刃を持つ包丁)」

「Okonomiyaki(お好み焼=香ばしいパンケーキの一種。「好きなもの」を意味する「お好み」と、「揚げる、焼く」を意味する焼きとの組み合わせに由来)」

「Katsu (カツ=肉、魚介類、野菜を小麦粉、卵、パン粉でコーティングし、揚げて短冊状に切ったもの)」は、ブーメランワードと見なされ、再借用の場合です:Katsuはkatsuretsuの短縮形であり、英語の「カツレツ」を日本語に借用したものです。

「Donburi(丼=ご飯に他の具材をトッピングした日本料理)」

「Omotenashi(おもてなし=思いやり、細部への細心の注意、ゲストのニーズの予測)」

「Kintsugi(金接ぎ=不完全さを受け入れる…壊れた日本の洛黒鉢を金継ぎで修理したもの)」

 この辞典は定期的に日本語を加えており、今回は編集者が、東京外国語大の教授らと協力して選びました。載せている日本語は500語を超えます。♥♥♥

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エイプリルフールの英語

 今日は4月1日「エイプリルフール」の日です。この「エイプリルフール」の英語表記に関して、日本で初めて問題提起をしたのは私です。岩崎研究会の研究誌に掲載された、八幡成人  「語法ノート:April Fool’s Day」  Lexicon, No.17 (1988)(岩崎研究会)でした。今からもう36年も前󠄂のことです。かいつまんでまとめてみましょう。 

 「四月バカの日」(エイプリルフール)に相当する英語表現には「揺れ」が見られるのです。当時、我が国の英和・和英辞典の圧倒的多数が、April Fools’ Dayを(複数形)見出し語にたてていました。便宜上、これを[A型]としておきます。ところが、当時私が、英米の新聞や百科事典を見ていると、[B型] April Fool’s Dayが(単数形)よく使われていたので疑問に思いました。教員になりたての頃に、このことに気がついた私は、ずいぶんこの問題を追いかけたことがあります。「(株)海外新聞普及」から、4月1日付けのアメリカ・イギリスの新聞を片っ端から取り寄せて、細かく検討してみました。今からもう30年も前のことです。1984年にフィラデルフィアに滞在中であった三木悦三教授(熊本女子大学)のご好意で、少なくともアメリカでは、両方の形が意味の差なしに使われていることを確認していただいています。我が国の主な辞典の扱いは下記の通りでした。

◎April Fools’ Day ―  『和英大辞典』(研究社) 『新英和中辞典』(研究社)『ルミナス和英辞典』(研究社) 『ライトハウス和英辞典』(研究社) 『アドバンスドフェイバリット和英辞典』(東京書籍) 『エースクラウン英和辞典』(三省堂)  ◎April [All] Fools’ Day ― 『オーレックス和英辞典』(旺文社) 『新和英中辞典』(研究社) ◎April Fools’ [Fool’s] Day ―  『グランドセンチュリー和英辞典』(三省堂) 『英和大辞典』(研究社) 『リーダーズ英和辞典』(研究社) 『E-ゲート英和辞典』(ベネッセ)  ◎April Fool’s [Fools’] Day ― 『ジーニアス和英辞典』(大修館)『ジーニアス英和辞典』(大修館) 『フェイバリット英和辞典』(東京書籍) 『スーパーアンカー英和辞典』(学研) 『ウィズダム英和辞典』(三省堂) 『ライトハウス英和辞典』(研究社)  『コンパスローズ英和辞典』(研究社)

  当時、私たち『ライトハウス英和辞典』の編集顧問のロバート・イルソン博士(ロンドン大学)に調べてもらったところでも、イギリスでは両型が見られるとのことでした。ブリティッシュ・カウンシルが使っているのも[B型]です。アメリカ辞典界の老舗メリアム・ウェブスター社ミッシュ編集長(当時)によれば、同社編集部の用例ファイルでは、[A 型][B型]の比率は3:1だということでした(ただし用例が少々古いので現代英語を反映しているかどうかは疑問だ、と断っていらっしゃいましたが)。1987年に、八幡がアメリカの4月1日付けの新聞13紙を調べたところでは、逆に2:3で[B型]の方が多かったんです。私たちの編集顧問・故ボリンジャー博士(ハーバード大学名誉教授)ご自身の好みも[B型]だということでした。で、博士は、地元新聞(Palo Alto)の編集者たちに聞いてくださったんですが、やはり同様の結果が得られました。句読法の研究で知られるCharles F. Meyer教授(マサチューセッツ大学)にご協力をいただいて(1987年12月)、先生のクラスの学生の反応を調査してもらいました。[B型]を好む者13名、[A型]を好む者が8名、ということでした。[B型]の方が一般的のようです。少なくとも、[B型]が無視できなくなっていることは、次の記述からも分かりますね。

 The occasion celebrated on the first day of April is officially called April Fools’ Day in the United States. Each word of the titled is capitalized and the fool is plural possessive. The singular fool’s is listed as a variant spelling. However, this is not standardized and the main listing seems to vary from dictionary and dictionary (i.e., whether the plural or the singular is listed as the main spelling). Actual usage seems to support this non-preference, with both spellings being used about the same frequency. (Grammaristより、下線は八幡)

 間違いなくApril Fool’s Dayの綴りの方が優勢です。この件については、あまり英米の辞書は役に立たないのですが(私が英語研究で最も頼りにしているロングマンもApril Fools’ Dayだけです。ところがそのアメリカ版であるLongman Dictionary of American EnglishではApril Fool’s Dayとなっています ね)。Oxford Advanced Learner’s Dictionary (9th ed. 2015)では、見出しがApril Fool’s Dayとなっていました。グーグルで検索してみても(Google Ngram Viewer)、やはり[B型]の方が[A型]よりも優勢となっています。グーグルに出現する頻度を比較してもやはり[B型]の方が[A型]よりも圧倒的優勢となっています。私はこのような実態を受けて、『ライトハウス英和辞典』(第6版)『コンパスローズ英和辞典』では、上記のように、[B型]を主見出しとして扱いました。

 現在優勢なはずのApril Fool’s Dayという綴りが、英和・和英辞典からすっぽりと抜け落ちているのは一体どうしたわけなんでしょうか?他辞典の「孫引き」ではなく、自ら裏付けを取ることの重要性を忘れてはなりません。今流行のChatGTPでも次のような誤った回答が出てきます。

 両方の綴りが使用されることがありますが、一般的には「April Fools’ Day」がより一般的です。これは、この日が複数の人々によっていたずらや冗談が行われる日であることを示しています。ただし、一部の文書や使用例では「April Fool’s Day」という単数形も見られます。

   この語の起源に関しては、諸説があって定かではありません(Morris & Morris (1962),  Ciardi (1980), Hendrickson (1987)参照)。どうしてこのような異形が生まれてきたかについての歴史的背景や、そして優勢になる訳については、コチラ“What’s the correct spelling of April Fool’s Day?”という優れた解説が出ていますので、興味のある方はご覧ください。

 最新のCOBUILD Advanced Leaner’s Dictionary (10th edition, 2023)では、見出し語はApril Fool’s Dayです。最近では、【C型】April Fools Dayという表記も見られるようになりました。頻度はApril Fool’s Day > April Fools’ Day >  April Fools Dayであることは、下のGoogle Ngram Viewerからも明らかです。❤❤❤

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BEACON

◎週末はグルメ情報!!今週はカレー

 「シーサイド・カフェ・ビーコン」(BEACON)、こちらは呉市大和ミュージアム」のすぐお隣にあるガラス張りの爽やかなカフェです(2008年7月にオープン)。お店の入口では、ニヒルな笑顔で船長さん?のお人形がお出迎えしてくれます(口にくわえた葉巻?が取れてしまっている模様)。周辺の散策の後の休憩などでも気軽に入れそうな雰囲気のお店ですね。

 「ビーコン」の店内に入ると、マリン調の爽やかなインテリアが迎えてくれます。ガラス張りの明るい雰囲気です。午前11時の開店と同時に、多くのお客さんが次々と入っていました。

ビーコン(BEACON) 店内写真

 横に細長く小さなお店ですが、前後がガラス張りになっているため圧迫感はありません。海側には「大和波止場公園」「呉港」が見えるので、窓際のカウンターでゆっくりと食事を楽しみました。もちろん道路側の「てつのくじら館」を愛でながら、ソファーとイスのテーブル席で食事を楽しむのもよし。

▲波止場を眺めながらカレーをいただく

 呉の飲食店では、護衛艦ごとの海事カレーを提供しているそうです。海上自衛隊・呉基地に所属する艦船等で食べられているカレーを、各店が海上自衛隊の調理員から直接作り方を教わって、味を忠実に再現しました。司令や艦隊長から「これはうちのカレーだ!」と味のお墨付きをいただいたこだわりの詰まったカレーです。なんでも、長く航海している隊員が曜日感覚を忘れないようにするために、多くの部隊では毎週金曜日の昼食にカレーが食べられるのだそうです。護衛艦ごとにカレーの味がここまで違ってきたのはここ最近のことで、昔は味はどの護衛艦も同じだったそうですよ。

 私が頼んだ一番人気の「さみだれカレー」(サラダ付き、1250円)は、牛肉、豚肉、鶏肉の3種のお肉を使うこだわりの1品で、護衛艦「さみだれ」のレシピを再現した呉名物の海軍カレーです。ご飯の上には旭日旗が立てられていて、いかにも日本海軍らしいですね。

 3種のお肉(牛肉、豚肉、鶏肉)と香味野菜をじっくり煮込み、飴色玉ネギとカレールーで仕上げた手間暇のかかったカレーです。一口目はマイルドですが、後からスパイシーさが楽しめます。ただカレーの美味しさで言ったら、個人的には「CoCo壱」の方が美味しいや。私はお隣の「大和ミュージアム」のショップオリジナルの「海軍さんのカレー」(2食入り、854円)も買って帰りました。こちらの方は家で味見してみると、思った以上に美味しかったですよ。♥♥♥

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