nape

 懐かしい話を。もう今から20年以上も前のことです。napeという単語に興味を持っていました。辞書を引くと「えり首、うなじ」と訳語が出ています。問題はこの語につけられた当時の辞典類の語法注記です。通例the nape of the neckとして用いられる」(『サンライズ』)、「通例the nape of the neckで用いる」(『プログレッシブラーナーズ』)、「普通、the nape of the neck として用いる」(『ニューセンチュリー』)何故これだけ同一の記述が見られるのか?理由は簡単です。自分で確かめもせずに、よその辞典の記述を孫引きしているからに他なりません。私は当時、自分で小説や雑誌・新聞を読むときにチョット気をつけていました。すると判で押したように、次のような形でばかり使われていました。

 (1) In that instant, Bond felt the hair on the nape of his neck prickle with the sensed danger. ―J. Gardner, Icebreaker.

(2) She pulled her long blond hair into a tight knot at the nape of her neck…―D. Steel, Palomino.

(3) She washed and pulled her golden hair into a knot at the nape of her neck, and then concealed it beneath another dark cotten scarf. ―D. Steel. Remembrance.  

(4) Her hand caressed the nape of his neck.―Anonymous, Woman.

(5) He was bald save for a frieze of hair that started over each ear and dipped down to meet in a wiry bush at the nape of his neck. ―R.Cook, Brain.

(6) She knew that she looked as good as she could, and the whole effect pleased her as the soft Nile breeze caressed the nape of her neck. ―R. Cook, Sphinx.

(7) Her black hair was tied back at the nape of her neck with a gray ribbon.―C. Keene, Sisters in Crime.

(8) Josie said, and lifted her hair and touched the nape of her neck. ―Ed McBain, Eight Black Horses.

(9)Her black hair was pulled back and away from her face, fastened at the nape of her neck with a silver barette. ―Ed McBain, Mary, Mary.

 ちょっと見ただけでもこの単語がthe nape of one’s neckという形で使われることが明らかですね。今でも依然として、the nape of the neckの形で収録している辞典も多く見られます(one’sを併記するものも現れてはいますが)。今ならコーパスを利用すれば、この単語の実態などはすぐに分かりそうなものです。最近英米で出ている学習辞典の用例を見ると(すべて独自のコーパスの裏付けから作られている)そのことははっきりしますね。一部を見ておきましょう。

the way that his hair grew at the nape of his neck  [CAAED]
Her hair was cut short at the nape of her neck.  [OALD]
She kissed the nape of his neck.  [CALD]
He kissed the nape of her neck.  [MED]
the soft warm nape of her neck  [LDOCE]

 私は今から20年以上も前に、コツコツと用例を集めながらこのことに気がつきました。そして、関係する英和辞典にいち早く[the nape of one’s neckで]という注記を入れたのです。私の集めた上のような用例100枚近くが実証してくれていました。ライトハウス英和辞典』(研究社)の中にある「語法注記」は、当時の主幹故・竹林 滋先生の命で全て私が書いたものですが、全部に渡ってこのような実証作業を行っています。そしてボリンジャー博士イルソン博士アルジオ博士の確認を取りながら裏付けを行っています。まだまだ完全というわけにはいきませんが、他の学習辞典とひと味違うところがあるとすれば、当初からこうやって用例カードを使っての地道な裏付け作業の産物であることかもしれませんね。

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はきものをそろえる

 以前勤めていた津和野高校の職員トイレに、こんな張り紙がしてあるのに気づきました。いい言葉だな~と感心してメモしたものです。

        はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう  心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと  はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら  だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと  世界中の  人の心もそろうでしょう
                      (円福寺 藤本幸邦)

 禅でいう「脚下照顧(きゃっかしょうこ(=足下を見よ)という教えですね。「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず履物を揃えるところから始めなさい。」と。これに関して、以前僕も同じような話を読んだことがありますので紹介しましょう。

 『初めてタイトルをとった第15期棋聖戦の対局の時でしたけど、僕は5分間の休憩時間をとってトイレに立ったんですわ。トイレの戸を開け、ふと足元を見たらスリッパがキチンと揃えられているんですわ。つま先を中に向けて、あとから入ってきた者が履きやすいように。びっくりしましたね。実は、僕が入るほんの直前に、対局相手の中原誠がトイしに立ってたんです。つまり、このスリッパを揃えたのは中原本人ということですよ。それまでに何度かトイレに立ったとき、いつもスリッパがキチンと揃っているんで、これはここの旅館の女中さんがなおしているんやろうと思っとったのです。それがそうやなかった…。それが分かった瞬間、愕然となりましたね。
 タイトル戦に限らず、勝負というものは厳しいものでしてね。たいていの棋士は、休憩をとって盤から離れ、頭を冷やすもんですわ。それでもたいがいの人は頭の中からは「将棋」がはなれんわけや。あーでもない、こーでもない、と構想を練ってるんです。まして、トイレのスリッパがどっちの方向を向いていようとかまへんのですわ。普通の棋士なら。それどころか、ついうっかりスリッパを履いたままトイレから出てきてしまうとかね。僕なんぞは、座敷にまで履いてあがろうとして、ハッと気づいたことがあるくらいやからね。ところが中原はそうやなかった。あとから入って来るもんのために気配りまでしてるとは…。その心のゆとりに、思わず圧倒されてしまいました。こいつは近い将来、棋界の第一人者になれる男や、と直感で分かりましたわ。こんな器の大きな男やったら、そうなって欲しいとも思った。そんな思いでスリッパを眺めていると、自分の「将棋」がふと見えてきたんやなあ。将棋というのは不思議なもんでしてね。将棋を知り尽くしたプロ棋士が全く同じ陣形で打ち始め、それでも勝ち負けが決まるわけでしょう。これは、どれだけ先を読めるかという「知」的な部分だけで決着がつくんやなくて、知も情も意もその全てをかけた勝負なんですわ。

 これは将棋プロの内藤国雄(ないとうくにお)九段が、自分の将棋人生で一番心に残っていることを語った言葉です。ここに出てくる中原 誠(なかはらまこと)は、その後名人となり大活躍したことは言うまでもありません。一流は一流を知る、私が好んで生徒に聞かせてあげる逸話です。

 はきものをそろえるということに関して、思い出されるのは、あの「V9」の偉業を成し遂げた巨人軍の川上哲治(かわかみてつはる)監督です。川上さんはミーティングにおいても、野球技術面のことはほとんど語らず、選手の人間教育に徹したということです。「人間とは?」「人生とは?」「仕事とは?」といった話ばかりだったと聞きます。トイレのスリッパの脱ぎ方まで注意し、「あとで使う人のことを考えて、きちんとそろえて脱ぐように」と厳しく選手に指導したと言います。そのことは川上さんが著書にその理由まではっきりと書いておられます。勝機は心眼にあり 球禅一如の野球道』(ベースボールマガジン社、1991年)という本です。ちょっと引用してみますね(下線は八幡)。

 私は選手の私生活面では、これは前にも述べましたが、チームワークを徹底するためにと考えて、自分勝手をやめさせ、相手のことを考えるように強調した。試合中の何百分の一秒の中で、相手のことを考えてプレーするということは、なかなか出来ないものです。しかし、そういうことを平素から癖をつけておけば、瞬間的に、ちょっとでも相手のことを考える気持ちがあったら、目的のないプレートか、エラーを招くような、いい加減な球なんか、投げたりはしませんからね。そういうことを徹底させるために、私生活での躾をちゃんとしていったわけです。
 相手への思いやりを忘れないためにはどうしたらいいか。ミーティングでは、野球のことだけでなくて、子供の育て方や,お金の貯め方とか、私生活面の指導なども、いろんなことをやった。
 遠征先の宿舎などでは、スリッパの脱ぎ方ひとつにしても、厳しく注意した。乱雑にやったら他人に迷惑をかける
 例えば、トイレには下駄やスリッパなどがあるでしょう。これを、自分の用が済んだら反対向きに揃えて出てこい、乱雑に脱ぎ捨てて来るもんじゃないんだ。そうすれば次に自分が行った時でも、乱雑になっているよりはちゃんとこっち向きに揃っていたほうが気持ちがいいだろう。これが作法の基本なんで、こういうことすべてに応用してやっていけ、と
 これはチームプレーにつながる問題です。チームプレーというものを確実にやるために、みんなが共用で使う場所があるわけですが、そういうところのマナーや考え方、やり方を教えていくわけです。
 こうして、多少とも時間のある時に、次の人のことを考えてこうしたことが出来てないと、ジャイアンツの野球は自分のほうから陰で相手を助けようということで連繋された野球で試合を進めているから、打ったり、投げたり、守ったりするような個人の技がいくら上手になったとしても、そういうことがちゃんと出来なければ、レギュラーの試合には出られないんだ―という教え方です。(pp.153-155)

 私も子どもの頃、母親に、靴を脱いだらきちんと逆向きに揃えて上がるようにと厳しく言われたものです。最近は、そういう躾を、きちんと子ども時代に受けていない高校生が多い気がしています。だらしなくスリッパを投げ散らかしています。最近の巨人軍の数々の不祥事を見ていると、こういった「人間教育」がまったくなされていないことがよく見て取れます。残念なことです。

(追記) V9を振り返って、あれだけの選手(王、長嶋など)を抱えていれば誰が監督をやっても優勝できる、などと言う人がいますがとんでもない話です。技術面だけでなく、人間としても一流の選手を育てていたからあの記録が達成されたというのが私の考えです。他の監督と違う川上さんの偉大さは「人間教育」を重視した点だと思います。私は英語教師ですが、川上さんを見習いたいと思っています。

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カフェ「エルグレコ」

 「大原美術館」で名画を鑑賞した後、美術館入り口の隣にある名店喫茶にお邪魔します。倉敷の代表的な観光スポットである美観地区に店を構える、蔦のからまる「カフェ エル・グレコ(EL GRECO)」は、50年以上の歴史があるレトロな喫茶店です。本館に展示されている絵画受胎告知」の作者であるエル・グレコから名を取り、店内にはその複製画も飾られています。升目の竿縁天井は高く開放的、上げ下げ窓からは柔らかな光が射し込んでいます。大正ロマン的な雰囲気に浸ることができるカフェです。元々は、大原美術館の設立者である大原孫三郎が小作農地の管理、経営のため奨農土地管理会社を設立し翌年に大原邸の川向かいに、建築家である薬師寺主計の設計により事務所を建築したのが起こりです。薬師寺は好きだったアイビー(蔦)をこの建築のそばに植え、今では建物の外壁の全面を覆い美観地区のなか四季の彩りを添えています。大原美術館で絵を観た人たちが休むための場所がほしい、美味しいコーヒーを」という大原孫三郎の長男・總一郎の思いを受け、現オーナーの母・浦江さんが喫茶店として昭和34年に開店しました。

 上げ下げ窓や天井、大原家の家紋が入った扉などは当時のまま。随所に落ち着いた大正ロマンの雰囲気を感じることができます。店内にはエル・グレコの複製画や立派な壷が飾られ、トンボ玉や倉敷ガラス、七宝などの作品が展示されているコーナーもあるので、お茶を楽しみながら芸術も楽しむことができます。高い天井やケヤキのテーブルなど、レトロな空間で、ほっと一息入れることができます。 

 オープン当初からずっと守り続けているというこだわりのオリジナルコーヒーは、モカを主体にした4種類の豆で作った深みのあるブレンドコーヒーです。丁寧にネルドリップされたコーヒーは、柔らかくマイルドな味に仕上がっており有名です。私は暑い時期に訪ねたので、コールコーヒー」をオーダーします。ほっと一息、鑑賞の余韻を楽しむことができます。

 爆発的にヒットしたという自慢の人気メニュー「レアチーズケーキ」は、県外からわざわざ食べに来るほどの人気ぶりです。オーナーがニューヨークで毎日のように食べていたというお気に入りのチーズケーキを、知人のパティシエにお願いして再現してもらったそうですよ。とろけるような軽い舌触りで、さっぱりとした上品な甘さ。トッピングされたブルーベリーソースとの相性も抜群です。あっさりとしたケーキで、美味しくいただきました。私もゆっくりとこのお店で時間を過ごしました。

 外壁の全面が蔦で覆われた建物は、観光客の目を引きますね。蔦の隙間から優しい光が差し込む店内には、ケヤキの大きなテーブルが用意されていて、ゆったりとくつろげる空間になっています。観光で歩き疲れた時に、そして絵画鑑賞の余韻を楽しむ時には、ぜひ訪れてほしい場所ですね。私はここで一仕事片付けました。❤❤❤

◎週末はグルメ情報です!!

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耳かきアゲイン

 以前に、このブログで、医療器具屋さん(三祐医科工業)が作った最高のかきをご紹介しましたね(⇒コチラコチラです)。硬すぎず、柔らかすぎない、絶妙な「しなり」が、とっても気持ちがいい耳かきなんです!長年、医療機器製造業として、プロのお医者さん向けの器具の製造一筋40年の町工場「三祐医科工業株式会社(東京都足立区)の作品です。その確かな技術を生かして開発された商品が、足立ブランド認定職人の技医療器具屋さんが作った耳かき」です。使用している材料は医療機器を製造する為に通常使用しているもので、加工方法などにも医療機器を製造するための技術を用いています。いわば医療機器を製造するためのノウハウがぎっしり詰まった「耳かき」と言えますね。より安全に快適に使ってもらえる技術がびっしり詰まっています。私は今までにたくさんの耳かきを試してきましたが、これを上回る商品をまだ知りません。手に取るとよく分かるんですが、竹のような「しなり」で、隅々まで気持ちよく耳の掃除ができます。ダントツのナンバーワン&オンリーワンの耳かきです。主な特徴としては(1)先端部がしなり、耳垢をソフトに掻き出し快適・快感、(2)先端が黒色なので、耳垢の汚れが分かりやすい、(3)柄の表面が医療器具同様の滑り止め加工が施され、安心して使用できる、などが挙げられるでしょう。お値段は1,500円とちょっと高めですが、この品質を考えたら安い買い物です。

 今日、たまたま「東急ハンズ広島店」をのぞいたら、この耳かきが「3ミリ」「4ミリ」の2種類で販売されていました。初めて買ったのも東京・渋谷「東急ハンズ」だったと思います。以来、店頭でほとんど見ることがなかったんですが、久しぶりに見つけましたね。私は早速「3ミリ」のものを買って帰りました。以前に3mmと2mmが両端についているものを買ったんですが、机の上から忽然と消えてしまいました。書類と一緒にゴミ箱行きだったんでしょうか?こんなことが増えてきました(笑)。これで5本目かな?それぐらいに気に入っている商品なんです。みなさん、ぜひお試しあれ!!❤❤❤

 

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宍道湖遊歩道の表示板

 美しい夕陽で知られる松江の宍道湖ですが(⇒私のレポートはコチラです)、その楽しみ方はただ「眺める」だけじゃないんです。長年松江に住んでいますが、宍道湖大橋を北側に降りてきたら、面白いものを発見しました。ここは市民の散歩やランニングコースとなっています。何一つ遮るもののない湖と空の大パノラマの中でのウォーキング&ランニングは最高ですね。湖のほとりで一休みしている水鳥の姿も見ることもできます。休日には釣りを楽しむ家族連れの姿も多く見られます。建物が多い都会ではなかなか味わうことのできない開放感です。んじ湖温泉」街から道路を一本挟んで宍道湖沿いに遊歩道があり、近くの温泉旅館に宿入りしてから食事までの時間や、早朝の朝食前にちょっとだけ早起きして、ふらっとウォーキング&ランニングが楽しめます。さて、この遊歩道の足下に、100mごとに距離数松江名物のイラストが描かれたパネルが設置されていて、走行距離がわかるようになっていました。何度も通っている場所なんですが、今まで全く気づかなかった表示板です。すぐに分かるイラストもあれば、思わず足を止めてしまうユニークなイラストもあります(笑)。今日は足を止めて、1枚1枚注意して見てみました(下の写真)。スタート地点から1kmまで表示板が続いています。距離がわかるとテクテクやる気もアップします。折り返すと2km歩くことができますから、格好のウォーキング・コースですね。朝もやの中に浮かぶしじみ船や、水面にゆらめく松江の夜景など、宍道湖の様々な表情に出会えるはずです。ガイドブックには載っていない宍道湖の魅力を、ぜひ体感してくださいね。医者から、歩け、歩けと言われている私。夕陽を見ながら、この遊歩道を歩こうかな。でも家から遠いしなあ~。❤❤❤

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西村京太郎先生の戦争論

 北朝鮮がグアムに向けて4発のミサイルを発射し、島根・広島・高知を通過するというとんでもない計画を発表し、戦争への引き金になるのではとの報道に、緊張が走りました。私の住んでいる島根県も一躍注目され、出雲駐屯地に「パック3」が配備されるなど、慌ただしい対応を見せています。8月29日(火)早朝には、襟裳岬上空を通過して、弾道ミサイルが太平洋上に着弾しました。私は当日、広島のホテルの部屋で、テレビのニュースに釘付けになっていました。9月3日(日)には核実験までやったみたいですね(広島に落とされた原爆の10倍以上の威力という報道も)。いったいどうなっていくのでしょうか?恐ろしい。

 そんな中、戦中派の西村京太郎先生が初めて書き下ろした自伝的ノンフィクション『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書)が、大きな話題となっています。私も発売と同時に書店に走り、読了しました。昭和20年4月1日。少年・矢島喜八郎、のちの作家・西村京太郎さんは、エリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学します。8月15日の敗戦までの、短くも濃密な4か月半。「天皇の軍隊」の実像に戸惑い、同級生の遺体を燃やしながら死生観を培い、「本土決戦で楯となれ」という命令に死の覚悟を決めました。戦時下での少年は何を見て、何を悟ったのか。そして、戦後の混乱をどのように生き抜いて作家となったのか。本書は、自身の来歴とともに、いまこそ傾聴したい、戦中派の貴重な証言となっています。

 さて、熱狂的なファンである私は、600冊になろうとしている西村先生の著書のほとんどを読んでいるんですが、2015年に刊行された先生の作品群には、大きな傾向の変化が見て取れました。主人公の十津川警部が活躍する設定は同じなんですが、物語中には必ず、戦争の事実の記述や体験談が盛り込まれたということです。戦後70年という節目の年に、意図的に戦争を入れておられるな、と私は感じていました。個人的には、思いもかけない列車のトリックや、人間模様を主軸としたトラベルミステリーが好みなんですが、読んでいると、必ず戦争と絡めたお話になっていくのが、その当時の先生の特徴でした。例えば、その代表例が『八月十四日夜の殺人』(ジョイノベルズ)でしょう。戦争を知らない私も、この長編を読むことによって、ずいぶん勉強になったものです。若い人たちもぜひ読んでいただきたい西村先生の作品です(最近、実業之日本社文庫で再発売されています)。十津川警部の声を通して、日本人の無関心を嘆いておられます。

 亡くなった両親は、あの、玉音放送があって、その後、B29による、爆撃がなくなったので、ホットしたと、子供だった十津川に話していたから、その辺の事情も、知っているつもりだった。しかし、終戦前後の詳細になると、十津川も知らなかった。そこで、亀井と二人で今日中に、なんとか細かいところまで知ろうと、十津川は考えていた。しかし、終戦というか、敗戦というか、それがどうして、決まったのかについて書かれた膨大な資料を、亀井と読み進めていくうちに、まず自分の知識が、あまりにも少なく、真相に、遠いか、知ることになった。

 チョット重たいな、と思いながらもこれらの全作品を読んでいますが、どうしてこのような作風変化が生じたのか?という理由を、日本推理作家協会「嗜好と文化」Vol.46に登場した西村先生はインタビューで語っておられました。⇒コチラで全文を読むことができます

 戦争ものを書いておきたいと思いまして。B29などをデスクに置いておくと、この爆撃機に校庭で追いかけまわされたなあ、と当時のことが思い出されますから。最近の作品に、戦争中や戦後社会のことを書いています。戦後70年の今年出版される十津川作品にはすべて戦争、戦後のことが入っています。特攻隊員の生き残りなど、事件の関係者の祖父、祖母の経験したことを回想として描いています。元軍国少年としては、今の視点で書くのではなく、当時生きていた人間がその時どう感じていたか、を伝えたいという思いがある。表現上難しいところもありますが、これが実際にあったことだ、ということを伝えたい。でないと、戦争を忘れちゃうでしょう。最近の若い編集者と話していると、B29を見て、『これは何ですか』と聞く。戦争や戦後のこと、知らないんですね。がくぜんとします。

 先日、8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、著者の西村京太郎先生が、日本人がその国民性からして「戦争に向いていない」と断言されましたね。先生は上の『十五歳の戦争』の中で、その理由を次のようにまとめておられます。

①国内戦と国際戦の違いがわからない。
②現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本人は、死に酔ってしまう。
③戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人はだらだらと続けていく。
④日本人は、権力に弱く戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。
⑤頭の中で反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと、自分を納得させてしまう。
⑥日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。
⑦日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

 番組では、ノンフィクション作品『十五歳の戦争  陸軍幼年学校「最後の生徒」』の発売を機に、著者の西村先生がVTR出演して、自身の戦争体験を振り返っておられました。西村先生は陸軍のエリート将校養成学校である「陸軍幼年学校」在学中に、14歳で終戦を迎えたといいます。当時の悲惨な体験から、「日本人は戦争に向いていない」と心から悟ったそうです。西村先生は『十五歳の戦争』の中で、他の国が「現代の戦争」を戦っているのに対し、日本は「際限のない精神主義、根性主義である。これは信仰に近かった」「特攻と玉砕に酔う人たちである」と綴っておられます。「現代戦争ってね、生き延びなくてはいけない」と語ります。一方、西村先生は日本人が「死ねばいいんじゃないか」と考えてしまうため、戦争に根本的に向いていないのだと解説していきます。そして、日本人には今も「死んでなんとか勝つぞ」といった精神性が伏流していると指摘し、そうした国民性から「戦争はしない方がいい」と強調しました。一度戦争が始まったら、「みんなが死んでるのに、俺だけ生きてるわけにはいかない」という考え方をしてしまう、と語っておられました。

 やはり昨年の「赤旗」日曜版にも、西村先生は語っておられました。

 終戦の時は15歳でした。陸軍幼年学校にいたので、あと何年か戦争が続いていたら、小隊を率いて死んでいたでしょう。怖いのは、戦争になると死を恐れなくなること。戦争のための教育をたたきこまれたから、死ぬのは全然怖くなかった。戦争末期は爆撃も激しくなり、誰も勝てるとは思わなかった。でも上の人は”勝てないけど負けない”と言う。そんなおかしな理屈をのみこみ、自分は勇ましく死ぬんだと思いこんでいた。狂気にかりたてられていたというか、狂気が”普通”になっていました。僕は『戦陣訓』が嫌いです。陸軍刑法には、捕虜になったときの規定がある。法律上は、捕虜になってもよかったんです。でも、『戦陣訓』のせいで、死ななくてもとかった人がたくさん死んだと思います。日本人は家庭ではいい人です。でも実際は、戦争中の話をいろいろ読んでいくと、違いますよね。兵隊になったとたん、おかしくなっちゃうんです。僕は戦争したくないけど、なかには戦争したい人もいるんだよね。不思議なんだけど。アニメやマンガの中には、戦争を何か勇ましいことのように描くものもある。だけど実際の戦争は違う。首相も政治家の多くも戦争を知らないんです。昔は自民党の中にも戦争を知る政治家がいて歯止めになっていた。そういう人たちがいなくなっちゃうのは困るんだ。戦争中、東条英機首相の暗殺計画があったんです。それを踏まえて考えると、いまの日本は平和だけど、上の人(首相)がおかしくなって日本が戦争に突き進もうとするようになったら、首相を暗殺しようとする動きが出てくるかもしれない。現実はもちろん許さないことだけど、小説だから、そんな話も考えています。世界中が戦争になっても日本だけはたたかわない方がいい。たたかわない国が、一国でもないと、まずいんだ。日本は第2次世界大戦の時のスイスのように、したたかな外交力を発揮すべきです。アメリカと一緒になって戦争に巻き込まれるのはまずいと思うな。誰から何をいわれようと、日本は戦争はしない。その道を突き進めばいい。そういう国がないと、戦争の仲裁とかもできないでしょう

 西村先生は、戦争を肌身の体験として知っている最後の世代に属しておられます。今、先生にしか書けないご自身の苛烈な体験に、耳を傾けてみましょう。


(追記)月曜日に放送された十津川警部シリーズ最新作において、やはり予告通り、西村京太郎先生と奥様がテレビに登場しておられました。香取教授の自宅を訪ねた十津川警部が、玄関先で振り返ると西村先生ご夫妻がおられ、「あの~、お近くにお住まいの方でしょうか?」と尋ねると、しばらく見つめ合い、「いいえ」と言って立ち去って行くお二人でした。あの場面はいったい何だったんでしょう?いかにも唐突でしたね(笑)。先生も去る9月6日に、87歳の誕生日を迎えておられます。著書ももうすぐ600冊のカウントダウンが始まっています(現在592冊)。先生の今の目標は635冊だと、私に語られました。東京スカイツリーの高さ634mを1つだけ上回りたいとのことでした。⇒私のインタビューはコチラです  最新著作リストは「西村京太郎研究会」コチラをご覧ください。❤❤❤

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「お色直し」

 数年前、センター試験の第1問に関して、某予備校の某講師が著書の中で、過去問をやっても意味がない。同じ単語は出ないから」という意味のことを書いておられて、唖然としたことがあります。「あー、この人は自分で過去問を解いていないんだなあ~」と思い、それからはこの人の書くものは信用しないことにしました。私は1990年から2017年までのセンター試験の本試験・追試験をデータベース化して、その中身をいろいろな角度から分析して、4種類の「頻出語リスト」にまとめています(昨年はこのリストを自費でCD化して、生徒が繰り返し音読し、好成績を収めました)。詳しくは私の「センター対策本」をご覧ください。その中で複数回出題されたものには、★★★、★★、★印をつけて注意を喚起しています。発音問題で出た単語が、アクセント問題に登場したり、その逆もあります。たとえば、energyなどは5回も出題されています。それはこの語がよく使われる日常語となっているのだけれど、日本語読みすると間違える「カタカナ語」だからです。おそらく出題当初は生徒の正答率が低いところから、何度も再登場したものと思われます。センター試験では、このように一度出た単語が再び登場する、形を変えて登場する、ことが頻繁に見られるのです。それが最も顕著なのが、第1問の「発音・アクセント問題」です。私は、授業ではこれを結婚式で花嫁が衣装を何度も着替えるのに喩えて、「お色直し」と呼んで、生徒に注意を喚起しています。

 第1問だけでなく、第2問も「お色直し」(=再出題)がよく見られます。たとえば、have + O + V-ed」の構造は、1991 年度(本試)、1994 年度(追試)、 1998 年度(本試)、2004 年度(本試)、2006 年度(本試)、2015 年度(本試)と、これまでに6回も出題されています。2017 年度(本試)では、havegetに代わっただけの「get + O + V-ed」出題されました。聞いているポイントは同じことなのですが、正解率が大幅に落ち込みました(43.2%)。このように文法・語法問題には、繰り返し出題されるものも存在するので、過去問題を解きながらその傾向をつか むことが大切です。八幡成人(監修)中川右也・土屋知洋(編)『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(桐原書店、760円+税)「ハンドブック」(写真下、出版当時はピアソン桐原)が的中率が高いのは、そのような詳細な分析を背景に、頻出事項をまとめてあるからだと思います。現在第13刷です。ぜひオススメしておきます。松江北高の補習科でも、最近この1冊を終わりました。

 上で述べたことは、自分で過去問をしっかりと解いて分析していないと分かりません。残念なことですが、現場の教師も全員がこれをきちんとやっているとは言えない状況です。日頃の模試でさえ、自分で丁寧に解きもせずに、「やっておきなさい」で片付けて、「やりっ放し」になっているところが多く見られます。それでは生徒の力がつきません。模試もセンター試験の過去問も復習して初めて力になっていきます。

▲左から土屋先生(防衛大学)・八幡・中川先生(鈴鹿高校)

    

 上揭書の共著者中川右也先生(三重県鈴鹿高校)が、昨年に引き続き、今年のセンター試験を詳細に分析してまとめたものを送ってくださいました。センター試験(英語)の傾向」(全64頁)という資料で、「ダウンロードサイト」に登録してありますので、ぜひご一読ください。先ほど例に出した第1問では、どのような単語が今までに出題されていて、どれだけ「お色直し」が行われているか、過去の出題語がアルファベット順に一覧表になっていて、一目で理解できます。これは貴重な資料です。中川先生、どうもありがとうございました。みなさんで共有させていただきます。

・「センター試験(英語)の傾向」 鈴鹿高等学校 中川右也⇒コチラです

(追記)今日、中川先生からメールがあり、一昨日のブログで紹介したカシオ電子辞書セミナーで知り合った野村和宏教授(神戸市外国語大学)は、中川先生の修士課程(英語教育学)の指導教官だったそうです。中川先生と私は、どちらも故・安藤貞雄先生の教え子という共通点があります。再び、人の不思議な縁を感じました。出会いは大切にしなければなりませんね。

▲私の大好きな「鳥取花回廊」にて 暇があると出かけています

 

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