歴史

 あるとき、あの文豪・夏目漱石の家に泥棒が入りました。そしてその泥棒は、漱石の家の庭にウンチ(!)をしてから逃げました。明治時代には、泥棒は自分が押し入った家に脱糞すると捕まらない、というジンクスがあったようで、漱石の家に入った泥棒もそれにしたがったようです。このような状況から、いったい何が分かるか?警察は庭についた泥棒の足跡の大きさやくぼみの深さから、泥棒の体重や体格をほぼ推定することができます。また糞を詳しく分析すれば、泥棒に入る前に何を食べていたかが分かります。もしかしたら、泥棒の身分までも推定できるかもしれませんね。

 ところで、この泥棒が自分で持っていた手帳日記帳を庭に落としていったとしましょう。すると足跡や糞からは分からなかったことが一気に分かります。この泥棒が日頃どんなことを考えていたか、毎日どんな生活をしていたかが明らかになるでしょう。ひょっとすると名前も分かるかもしれませんし、親や親類あるいは交友関係まで分かるかもしれません。

 泥棒の本質を知るには、足跡や糞から分析されるものは非常に重要な証拠となります。これは学問で言えば、考古学」に属するような研究分野だと言えるでしょう。一方で、彼が落としていった手帳や日記帳に基づいて、泥棒の姿を推定していくのは、歴史」の研究にあたります。歴史の研究にとって絶対に必要なものは、「書かれたもの」なのです。その「書かれたもの」の裏付けとして、考古学的な研究が極めて貴重な証拠となるのです。

 なるほど。この漱石の家に入った泥棒の話は、最近お亡くなりになった、尊敬する渡部昇一先生が、新著『名著で読む日本史』(扶桑社文庫)「まえがき」に書いておられました。「歴史」の勉強の本質をついた話として心しておきたいですね。渡部先生を悼む記事や先生の追悼号がたくさん出始めました。先生がいかに偉大であったかを改めて噛みしめています。

 私は教室でよく「賢者は歴史に学ぶ、愚者は体験に学ぶ」という話をします。これは、ドイツの初代首相ビスマルクが残した言葉とされています。言葉の内容は、愚か者は学ぶことなく行動し、その結果失敗して初めて間違いを知るが、賢明な者は先人の知恵及び知識を活かして予め言動の是非を知り、実際に行動する際に失敗しないという意味です。 私が過去のセンター試験の詳細な分析に基づいて、次年度の予測をするのもこれに相当します。 過去問は実にいろいろなことを教えてくれます。⇒過去問の意義に関して私の詳細記事はコチラです。 ぜひお読み下さい。❤❤❤ 

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