金閣寺

▲なんとも「逆さ金閣」が美しい!

 「金閣寺」(きんかくじ)、臨済宗相国寺派の禅寺で、正式には「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言います。鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、北山殿」と呼ばれる大規模な邸宅を造営したのが始まりとされます。邸宅とはいいながら、御所に匹敵するきわめて大規模なもので、義満は応永元年(1394年)に、征夷大将軍職を子の義持に譲っていたのですが、ここで政治の実権を握りました。義満の死後、遺言により「北山殿」は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は、義満の法名鹿苑院殿から二字をとって「鹿苑寺」と名付けられます。おしゃか様の骨をまつったとされる舎利殿(しゃりでん)に金ぱくが張られていることから「金閣寺」と呼ばれるようになりました。この唯一残された舎利殿こそが、通称「金閣寺」に由来する建物で、鏡湖池(きょうこち)のほとりに建つその姿はあまりに有名ですね。この池は、極楽浄土の世界にある、7種類の宝石でできた七宝の池を模して作られたと言われています。建物の内部は三層に分かれており、第一層は公家風の寝殿造り、第二層は鎌倉時代の書院造風、第三層は禅宗様仏堂風の造で、異なる三つの様式を組み合わせた建築は、当時としても斬新だったといいます。なお、金箔は二層および三層に貼られています。造営当時、舎利殿の周りにいくつか建物が作られ、舎利殿の北に作られた天鏡閣といわれる建物は、双方の二階で橋がかけられ廊下で往来が出来たといいます。今では天鏡閣の建物は跡形も無く、そのあたりには「龍門の滝」とよばれる滝があり、「龍門の滝」を鯉がのぼり切ると龍になるという中国の故事「登龍門」にちなんでいます。

 「金閣寺」は創建後、幾度も修理を行ってきましたが、昭和25年の放火により全焼してしまいました。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や、水上勉『金閣炎上』の題材となっていますね。現在の舎利殿は事件から5年後の昭和30年(私の生まれた年じゃないか!)に復元されたものです。舎利殿の他にも、当時考えられていた日本列島の形を模したとされる池泉回遊式庭園は、国の特別史跡および特別名勝。鏡湖池に映る金閣の姿も見どころのひとつです。逆さ金閣」と呼ばれ美しい写真が撮れます。また、境内の数寄屋造りの茶席は、ここから眺める夕陽を浴びた金閣が美しいことから「夕佳亭(せっかてい)」の名がつけられています。まばゆい金色に輝く極楽浄土の光景が凜としてたたずんでいます。屋根の頂上には、聖なる天子の使者とされる羽ばたく黄金の「鳳凰(別名不死鳥)が飾られていますね(現在の像は1987年(昭和62)に修復された4代目です)。♥♥♥

 私はちょうど昨年12月の夕方、ここにお邪魔したんですが、それはもう本当にまばゆいばかりの美しさでした。案内してくれたガイドさんも、「この時間帯が一番美しい時間です」とおっしゃっておられました。子供の頃から、何度か足を運んでいる大好きな場所ですが、今回の訪問が一番きれいでしたね。❤❤❤

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