イワン・コロフ死去

 %e3%82%a4%e3%83%af%e3%83%b3%e3%82%b3%e3%83%ad%e3%83%95米国WWEは18日(日本時間19日)、元WWWF世界ヘビー級王者イワン・コロフ(本名オレアル・ぺラス)さんが肝臓疾患で死去したと発表しました。74歳でした。コロフさんはカナダ出身でしたが、ロシアン・ベア(熊)」のニックネームで悪党レスラーとして活躍し、1970年代には、現WWEの前身のWWWFでライバルの「人間発電所」ブルーノ・サンマルチノと死闘を繰り広げました。日本マットにも定期的に参戦し、日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレスの主要団体に登場。日プロでは故ジャイアント馬場さんが保持したインターナショナルヘビー級王座、新日プロではアントニオ猪木のNWFヘビー級王座に挑戦しており、日本マット界の2大巨頭とも激闘を繰り広げました。1994年に引退しています。

 元々はカナダ出身なんですが、アイルランド人を名乗りデビューを果たすと、3年後の1968年には、髪を剃り上げ、コサック帽にブーツにアイパッチといういでたちでロシア人を名乗り大暴れ。すると、これが大当たりしたんです。冷戦時代の当時のアメリカにおいて、最大のライバル国はソビエト連邦でしたから、憎悪の対象となり、大当たりしたんです。怪力殺法を売りにニューヨークに行くや、同じく怪力自慢のブルーノ・サンマルチノとの争いで人気も高く、ついには1971年1月18日に、マジソン・スクエア・ガーデンで、8年間第2代WWWF世界チャンピオンのベルトを保持していたブルーノ・サンマルチノを、コーナー最上段から喉へジャンピング・ニーを打ち込んで破り、第3代世界王者を手に入れました(1ヶ月後にペドロ・モラレスに破れ王座転落)。必殺技は、カナディアン・バックブリーカーやベア・ハッグといった力技。日本プロレス、新日本、全日本、国際プロレスと、日本のメジャー団体全てに来日したレスラーでもあります。1973年当時、AWAと提携を結んでいた国際プロレスに来日。マッド・ドッグ・バションとのコンビで、ストロング小林・グレート草津からIWA世界タッグを奪取しています。

 私がイワン・コロフで忘れられない試合は、メキシコのエル・カネック藤波辰巳との選手権試合を前に、敵前逃亡を図った日のことです。⇒詳しいいきさつを「エル・カネック敵前逃亡事件」として以前にレポートしておきました  試合に穴を空けられない新日本プロレスサイドは、もう1週間分のギャラを上乗せして、この日すでに試合を終えていたイワン・コロフにもう1試合してくれるようにダブルヘッダーの依頼をしたのです。快くこの試合を引き受けたコロフに、試合開始前から、上田馬之助が乱入。コロフの足を鉄柱攻撃で痛めつけます。急遽、試合となったコロフ、この日2戦め。藤波は、コロフよりも、カネックの敵前逃亡の報告と「おわび」を場内に説明すること、さらには、乱入してきた上田に気が向いています。観客が、ざわついた雰囲気の中でも、ゴングがなれば、試合をしなければなりません。藤波は、上田の鉄柱攻撃によって痛められたコロフの足を狙ってゆく。逆片エビ固め。これをロープ・ブレークではずされると、フルネルソンにとらえ、電光石火の「飛龍原爆固め」(ドラゴンスープレックス)!レフェリーは、危険と察するやカウントをせず、すぐにゴングを要請。藤波の勝利。その瞬間、リングに飛び込もうとエプロンにあがった上田にも、ドロップキック。場外に蹴散らします。速攻勝負の、あざやかな試合でした。やんやの歓声で、試合放棄で暴動が起こっても不思議のない中で、見事な収束でした。

 なんといっても、挑戦が決まっていながら、しかも、試合当日、会場まで来ておりながら、「敵前逃亡」したエル・カネックについて語らなければなりません。カネックは、メキシコ遠征時代になんども手合わせした選手。いわば、藤波が推薦して連れてきた選手です。この前代未聞の敵前逃亡の理由については、カネックが藤波の実力に恐怖を抱き、ドラゴンスープレックスを恐れたためとマスコミ報道されましたが、本当のところはカネックが負け試合を受け入れなかったからです。藤波が勝ってカネックが負けるストーリーになったいた(当時はそんなことを夢にも思わず応援していました)のですが「俺はメキシコのスーパースターだ。藤波に負けるわけにはいかない」と最後まで突っ張り、そのまま試合会場から姿を消してしまった、というのが真相です(ミスター高橋『マッチメイカー』)。「なにしろ、相手がいないんだから、俺もびっくりしたけど、まわりの関係者があわわてていたよ」(藤波談)。このシリーズの前半からカネックと藤波は、テレビマッチで抗争して、対決ムードをあおってきました。そして、ついに今日、決着をつける、マスクと髪の毛を賭ける、という試合になりました。当日の観客は、この対戦だけがお目当てという人も少なくありませんんでした。それが、突然の、試合中止の発表。「なんだよー」「金返せっ!」という怒号が会場に渦巻きました。リング上で藤波がマイクを握ります。さあ何を言うかと、固唾を呑む。藤波から、出てきたことばは、「どうも。」これには、会場が怒り、あきれ、失笑も漏れました。が、この会場のこの雰囲気を一変させたのは、次の、藤波のひとことだった。「みなさん申し訳ありません。タイトルを返上します」これに驚いたのは、こんどは、観客よりも関係者。「何言ってるんだ!返上なんかする必要ない」と新間さん。しかし、この関係者もあわてさせる藤波のひとことが、観客を沈めたのです。「藤波、お前が悪いんじゃない。返上なんか、しなくていいぞ~!」こうして挨拶(おわび)をしているところへ、上田馬之助が登場。ゆっくりとリングにあがり、藤波に丁寧に握手を求める。藤波が手を出そうとしたところで、平手打ち。場外におりて、今度は、いきなり、コロフを攻撃。このハプニングで、観客の目を自分にひきつけ、なしくずし的に、藤波とコロフの試合に持ってゆき、結果として、すっかりカネックのことを忘れさせたのでありました。上田は、有無をいわせず、試合を大混乱させ、観客の不満を見事に解消させた名優でした。なお、この試合にダブルヘッダーで急遽かり出されたコロフは、藤波の「飛龍原爆固め」の受け身がとれず失神状態。かなり長い時間マット上に伸びたままで、ようやく首をおさえて、若手に担がれるようにして花道を引き揚げていきました。その後、しばらく首を曲げたまま歩いていたといいます。そのイワン・コロフの逝去。合掌。

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