鞁嶋弘明校長先生の教え

%e9%9e%81%e5%b6%8b%e5%bc%98%e6%98%8e はやいもので、当時東出雲町長であった鞁嶋弘明(かわしまひろあき)先生がお亡くなりになってもう6年が経つんですね。年末の12月26日が命日でした。先生のことが偲ばれます。

 私は島根県の高校英語教員に採用された昭和52年、初めて赴任した学校が島根県立平田高校でした。職員室も同じ教務部で、席は鞁嶋先生の隣、鞁嶋先生の2年6組の副担任として、教員人生をスタートしたんです。当時は、時間割を1人で1学期間担当することになっており、自分がやるところをよーく見ておいて今度はお前が担当するのだと、時間割変更のやり方を一から教えていただきました。朝も東出雲町の自宅を早くに出発して早朝から学校に来られ、夜は一番遅く帰って行かれる先生でした。生徒たちに学習習慣をつけるために、ご自分も一緒に残って一生懸命勉強するクラスでした。このクラスが3年生卒業時には、学校始まって以来の見事な進学実績を残したのは、このような日頃の積み重ねが実を結んだものと、そばで見ていて実感したものです。教員としてのイロハを鞁嶋先生に教えていただいたように思います。先生は将棋もめっぽう強く、よく教えていただきました。根っからの「勝負師」という感じでしたね。

 私が島根県の西の端津和野高校に勤めているときも、何度も教員研修、生徒講演にお呼びして、助けていただきました。私を松江北高に戻って来いと呼んでくださったのも鞁嶋先生です。鞁嶋先生が校長時代、松江北高は全国の公立高等学校で国公立大学の合格者数が、373人→355人→362人と、3年連続日本一を記録しておられます(3年目御勇退の年に21世紀枠で甲子園出場)。今からするととうてい考えられないようなすごい数字ですが、偶然実現できた数字ではありません。ちゃんとやるべきことを積み上げて、精緻な計算と指導の基に可能となった記録です。そのことは先生ご自身が北高の「進路だより」に総括しておられますので、最近「あむーる」第24号に取り上げさせていただきました(「松江北高は日本一の学校だった!」)。「ダウンロードサイト」からご覧ください。

・「あむ-る」第24号 島根県立松江北高等学校英語通信 八幡成人

 今から11年前、私が心臓の手術をした当時、フラッと職員室にお見えになり、「大丈夫か?体だけは気を付けるように」と、私の体を心配していただきました。学校に顔を出される度に、いつも気遣って声をかけていただきました。その先生が先に急死してしまわれるなんて、まったく信じられませんでした。葬儀も先生のお人柄を偲び、お世話になったたくさんの人々によっておごそかにお見送りをされて旅立っていかれました。松江北高をこよなく愛しておられた先生のご遺志を汲んだ奥様が、火葬場に行かれる前に松江北高に寄ってくださり、玄関でみなでお車をお見送りしたものです。

 この日本一の立役者鞁嶋校長先生と、当時の進路指導部長柴田 博(しばたひろし)先生(対談当時は島根県立益田高等学校長。この学校も柴田先生が赴任なさって飛躍的に成績が%e6%9f%b4%e7%94%b0%e5%8d%9a伸びた学校でした。私が一番尊敬している英語の先生です。)のお二人のビッグ対談が、ベネッセの『VIEW21』(高校版)2008年6月号に掲載されて、現場ではずいぶん話題となりました。ここには進路指導の原点と、教師のあるべき姿、あるべき指導体制がすべて語られています。今でも読むことができますので、ぜひみなさん、ご一読ください。コチラです

 鞁嶋先生をお見送りした同じ葬儀場で、教え子の葬儀に参列して、「あー、この場所で先生をお送りしたなあ…」と同先生を懐かしく思い出し、在りし日のお姿を思い起こしておりました。♠♠♠

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