「鉄仮面」逝く

◎ミスターを初Vに導いた「鉄仮面」逝く!

%e5%8a%a0%e8%97%a4%e5%88%9d 巨人は20日、OBで通算141勝右腕投手、加藤初(かとう・はじめ)さんが今月11日午後、直腸がんのため静岡県内の病院で死去していたことを発表しました。66歳の若さでした。加藤さんは1972年(昭47)に大昭和製紙(現日本製紙)から西鉄(現西武)に入団。1年目に17勝16敗で新人王に輝き、76年にはトレードで巨人へ移籍しました。前年球団史上初の再開となった巨人軍において、同年4月にはノーヒットノーランを達成し、シーズン15勝4敗8セーブを挙げて、前年最下位からの長嶋茂雄監督の優勝に貢献しました。ピンチにも顔色を変えず淡々と投げ抜くことから「鉄仮面」と呼ばれた名投手でした。速い球とフォークボールを武器に、ピンチを迎えても、頼りになる大投手で、とっても好きな選手でした。

 約5年間に及んだ苦しい闘病生活を闘い抜きました。韓国SKの投手コーチだった2011年、体調不良(下腹部の痛み)により退団を決断しました。帰国して横浜市内の病院で検査を受けた結果、直腸がんが見つかりました。既にステージは4に達し、「余命は半年」と告げられたそうです。韓国へ渡った2005年から体調不良が続き、体重は渡韓前から10キロ以上減っていたといいます。妻の和江さんは「普段は何も言わない人が『つらい』と。相当に苦しかったんだと思います」と振り返ります。「もう1度グラウンドへ戻りたい」という強い思いが、病んだ体を支えました。抗がん剤治療を始め、2014年には手術を決意。完治には至りませんでしたが、2014年初夏に息子2人の住む静岡へ移住して治療を継続しました。ベッドで過ごす時間が増え、意識が不確かな時ももう練習の時間だから、用意をして球場に行かなくては」と服を着替えようとしたというほど、根っからの野球人でした。和江さんは「野球はやめたんだよと言っても、本人の中ではプレーしているようでした。意識がもうろうとした時でも『韓国に戻ってコーチをやるんだ』と。戻りたかったんだと思います。最後まで野球人でした」と話します。がんは4カ所に転移し、パーキンソン病も併発していました。今年に入り入退院の回数が増え、10月下旬に入院したまま帰らぬ人となりました。だが余命半年の宣告にも諦めず、約5年間を全力で生き抜いたのです。現役時代にも、選手生命を脅かすほどの故障を克服。33歳だった1983年6月、右肩の血行障害に見舞われます。右腕が胸より高く上げられなくなり、日常生活にも苦労して手術を決断。太ももの血管を右肩に移植する球界初のケースでしたが、9月末に復帰して40歳まで19年間現役を続けました。現役終盤はコーチを兼任し、引退後は韓国、台湾でもコーチを務め「基本の徹底」を説き続けました。球団発表のあった20日は加藤氏の67回目の誕生日でした。静岡県内の自宅には、妻、2人の息子夫婦や孫ら親族が集まり、静かに誕生日を祝ったといいます。

 巨人軍の長嶋茂雄元監督は「ピンチでも表情を変えずに投げ抜く姿が印象的でした。こんなに早く亡くなるとは、とても残念です」と偲びました。「75年の最下位から、翌年に初優勝できたのは『初っちゃん』の活躍があってのもの。先発、リリーフとよく働いてくれて、頼りがいのあるピッチャーでした」と感謝しました。ソフトバンクの王 貞治球団会長は「寡黙で決して派手さはなかったが、速い直球とフォークボールで常にいい投球をしていた。西本君や江川君をはじめ当時の強力な巨人投手陣の中でよく頑張ったと思う」と早すぎる死を悲しみました。

チームメートだった西本 聖さんが加藤さんを偲んでこんなことを言っておられました。

「フルハウス」と言われ、3ボールになりながらも粘りの投球で打者を抑えるのが投球スタイルでした。その姿から多くのことを学ばせていただきましたが、ずばぬけていたのがけん制でした。一塁に遅いボールを続けて投げて走者を安心させておいて、急に速いボールを投げて刺したり。相手に隙を与えるんです。ピンチを未然に防ぐのに、巧みなけん制を武器にしてアウトを奪う。投げるだはではない、けん制の大切さ。打者に加え、走者との駆け引きが、いかに大事なのかを学ばせていただきました。 

 巨人時代に加藤さんがけん制で走者をアウトにしたのが19度。1シーズンに4度も記録したこともありました。今季の巨人投手陣のけん制刺は田口、宮国の合計2度だけです。通算成績141勝113敗。22セーブ。防御率3.50。

加藤初(かとう・はじめ…1949年(昭24)12月20日生まれ、静岡県出身。吉原商から亜大(中退)大昭和製紙を経て71年ドラフト外で西鉄へ入団。“黒い霧事件”と呼ばれた八百長問題で主力投手が退団した直後で、1年目からフル回転。72年に17勝を挙げ新人王を獲得した。76年に関本、玉井との2対2の交換トレードで伊原とともに巨人へ移籍。移籍1年目の4月18日広島戦でノーヒットノーランを達成し、この年15勝を挙げ長嶋巨人の初優勝に貢献。89、90年は兼任コーチとなり、90年に現役引退。95~99、01年に西武コーチ。その後は台湾、韓国でもコーチを務めた。通算成績は490試合で141勝113敗、22セーブ、防御率3・50。右投げ右打ち。

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