『北海道新幹線殺人事件』

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 売れないミステリー作家・三浦康平(42歳)に、腹に一物ありそうな明日書房の高橋社長から「ベストセラーを出しませんか」と依頼が来ます。3月26日開業の北海道新幹線を題材にミステリー作品を書き、3月25日までに発売して、売りだそうと言うのです。無謀とも言える依頼でしたが、高橋社長の熱心さにほだされて、引き受けることになります。本のタイトルはその名も『北海道新幹線殺人事件』。無事に脱稿し、3月26日当日、三浦は東京発の北海道新幹線に乗り込みますが、グリーン車両内で小説同様の殺人事件が起きてしまうのです。さらに、三浦の隣に座っていた女性も、東京の自宅で殺害されており、小説と現実がオーバーラップします。複雑に絡み合った事件に、おなじみ十津川警部が挑みます。ビックリするような結末が用意されていました。

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 著者本人の体験を元に描かれた、渾身の長編!」と、この本の帯にありましたが、これはいったいどういうことなのか?を考えてみたいと思います。私は熱狂的な西村信者ですので、このことは非常によくわかるんです。小説の冒頭にこんなやりとりがあります。

 32歳で一応プロ作家となり、以降十年間、何冊か本を出したが、今までのところ、ベストセラーになったことはない。売れない作家の一人である。(中略)最初のうちは自分には才能はあるのだが運がないのだと自分へのいいわけを作っていたが、十年もすると、本当に自信がなくなってくる。

 「三浦先生は、作家としてデビューしてから十年間、今までずっと自分の書きたいものを書かれてきたわけでしょう?」ときく。「もちろんそうですよ」「しかし、それでは売れる小説にはなりませんよ。どうでしょう、この辺で最初から一発狙ってみようじゃありませんか?」「狙ってみようって、いったい何を狙うんですか?」「狙って売れる小説を書くんです。三浦先生なら、それが出来ますよ」と、真顔で高橋がいう。高橋の言葉に、三浦は苦笑して、「もちろん私だって、作家である以上、一度はベストセラーを出したいですよ。どうやればベストセラーになるか分かっていれば、とっくにベストセラーを書いているし、作家は全部、べストセラー作家になれるんじゃありませんか?それが出来ないからこそ、十年経っても売れない作家のままでいるんですよ」「駄目ですねえ。そういう弱気がいけないんですよ。三浦先生がベストセラー作家になれない原因は、その辺にあるのかもしれませんよ。今日は、一つの案を持ってきています」

 この書き出し部分を理解するには、まず西村京太郎先生が11年勤めた公務員を辞して、作家への道を志し、アルバイトで苦難の道を経た頃のことを知らなければなりません。ざっとたどってみましょう。

 昭和23年に電気工業学校を卒業。第1回の公務員試験に合格。「臨時人事委員会」に勤務。11年勤めるも29歳で辞めてしまいます。11ヶ月分の給料が退職金としてもらえるので一年ぐらいは暮らせるから、その間に松本清張や黒岩重吾の小説ぐらいなら書けるだろうと考え、一年で作家になろうと決意したのです。一家の生活を支えていたので、お母さんには言いずらく、黙って辞めて、朝は今までと同じように出勤します。そして上野の図書館に行って、午前中は本を読んで、原稿を書いては応募し、午後から浅草へ行って三本立ての安い映画を見て帰宅。給料日になると、退職金の中から月給分を引き出して、今まで通りお母さんに渡していました。一年で作家になっているはずでしたが、応募した原稿は一つも当選せず、退職金も無くなってしまったので、働かなければなりません。ここでようやく母親に実は一年前から役所を辞めていたと告白します。お母さんは大泣きです。板橋のパン屋さんが運転手を募集していたので運転手になります。住み込みで朝の5時から配達をするのですが、みんな10代か20代で、一度に一箱しか持てない西村先生を横目に、一度に三箱くらい持って運んで行ったりするので、年齢を感じ、惨めで辛い思いをしました。丸々一か月働いても一万五千円。人事院を辞めたときの月給が四万五千円でしたから、わずか三分の一です。次は府中競馬場の警備員になります。売り場窓口に積んである札束を取っていく悪い奴を捕まえる仕事でした。さらに、帝国探偵社の採用試験を受けて、私立探偵になって身上調査・結婚調査ばかりやっていました。そして、飯田橋にある出版取次店のトーハンで返本を20冊ずつ束ねる雑役仕事。次いで生命保険のセールスマンに。人事院を辞めて3年が経った昭和38年32歳のときに『オール讀物』の新人賞をもらい賞金10万円と記念の腕時計(ペンネーム「黒川俊介」と裏に彫ってあった)をもらいます。この腕時計で何度も質屋からお金を借ります。その2年後、昭和40年に江戸川乱歩賞を受賞。三十四歳、人事院を辞めてから五年目でした。そこで書いた受賞第一作が『D機関情報』です。初版の3500部が売れ残ってしまい「最低の売れ行きだ」と出版社から引導を渡されます。昭和42年に内閣府が「21世紀の日本」と題して募集した小説部門で、総理大臣賞を受賞し500万円をもらいました。それから13年間は全く売れない。初版もどんどん部数が減っていきます。「西村さんの小説は内容はいいんだが、何故か売れないんだよ」と担当の編集者になぐさめられます。この頃の西村先生の年収は500万円未満で、毎年還付金をもらっていたそうです。もう後がない状態でした。

 光文社の担当者が、書く前に、何を書きたいかテーマ(粗筋)を出してくれと言ってきます。それまでは一応書きたいものを書かせてもらっていたのですが、あまりにも作品が売れないので業を煮やしての宣告だったのでしょうね。「売れそうもないテーマなら本にしないぞ!」という無言の圧力です。そこで西村先生が持って行ったのが、昭和7年の浅草か、その頃子供に人気のブルートレインのどちらかを書きたいと提案したのです。本心としては浅草の方を書きたかったのですが、担当者は冷たく「これは売れません」と言い、『夜行列車(ブルートレイン)殺人事件』を書くことになったのです。ある日、ネタ探しにぶらりと東京駅に行ったときに、駅のホームに群がるたくさんの子供たちが一生懸命ブルートレイン(寝台特急)の写真を撮っていて、そこから列車を使ったミステリーを書こうと思ったのがきっかけでした。これが当たるんです。十万部を超えて、年収が一千万になり、三千万になり、八千万になり、一億五千万になり、五億円になっていきます。最初はこの一作で終わるはずのトラベル・ミステリーをどんどんシリーズで出すことになって、ベストセラー作家への道を歩むことになるのです。

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 「著者本人の体験を元に描かれた」という意味が、これでお分かりになったことと思います。まさに書き出し部分は、西村先生そのものなんです。❤❤❤

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