札幌時計台

 「日本三大がっかり名所」の一つがこの「札幌時計台」ですよと、MK観光タクシーの運転手さんが説明してくださいました。二つ目は高知のはりまや橋、三つ目は長崎のオランダ坂という説と沖縄の守礼門と説が分かれます。

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 「えー、なんで??!」  こんな素敵な時計台がどうしてがっかり名所?と思いますよね。北海道のイメージといえば、広大な平原、大自然、そこから生まれてくる海産物や甘い野菜、スイーツなどのグルメ等々。時計台は、そんなイメージ通りの外観の建物ですから、旅行雑誌や旅行会社のパンフレットにも、この自然や景色と重ねて必ず掲載されているスポットですね。しかも、現存している時計台の中では、日本最古の振り子式塔時計らしいです(アメリカ「ハワdsc06787ード時計会社」製)。しかしながら、実際に行ってみると、札幌のど真ん中にあり(JR札幌駅から歩いても10分)、周りのビルが大きい上に、ビルとビルの谷間に挟まれて、ずいぶんと窮屈そうな印象です。同じ札幌市内でも、もしこの時計台があの雄大な「羊ヶ丘」辺りに建っていたら、全然がっかりしないと思うんですが…。時計台」自体は素晴らしいんですが、ビルの間に挟まれていていかにも窮屈そう、北海道の広い大地のイメージに合わないのが「がっかり」の原因でしょうね。しかし、130年以上に渡って正確に時を刻み、毎正時に鳴るノスタルジックな鐘の音がビル街に時を告げ、開拓期から札幌のまちの発展を見守り続ける歴史的建造物(国指定重要文化財)です。赤い星のマーク(五稜星)は、北海道開拓の象徴で、時計台には17個付いているそうです。

 北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として、初代教頭のクラーク博士の構想に基づき1878(明治11)年に建設されました。農学校の生徒の兵式訓練や、心身を鍛える体dsc06782育の授業を行う場、および入学式・卒業式等を行う中央講堂として使われていた建物です。一階は通常の教室で、二階に軍事訓練場、武器保管部屋が作られました。当時、日本では西南戦争が勃発し、戦国時代さながらの不穏な空気が世に流れていました。クラーク博士は、南北戦争で命を落とした自分の生徒達が、兵士としての訓練を受けていなかったことを悔いており、札幌農学校の生徒達には同じような悲劇を繰り返さないで欲しいという強い想いがありました。現在時計台として親しまれているあの建物は、札幌農学校の生徒達に対するクラーク博士の愛が詰まったものだったのですね。開拓期のアメリカ中・西部で流行した風船構造と呼ばれる木造建築様式が特徴です。赤い屋根と白い壁が印象的な建物ですが、市立図書館として使われていた一時期には壁の色が緑だったという意外な記録が残っています。1階大展示室ではその札幌農学校の歴史、生dsc06776徒の英語による学習の様子、色の移り変わりや大火に遭った際のエピソード、修復工事の映像など、時計台にまつわる歴史をパネルやジオラマで展示をしていました。2階では再現された「演武場」の歴史的な雰囲気を体感しながら、実際に時計台で使われているものと同じハワード社の同タイプの兄弟時計機械(昭和3年製作)を見学できます(写真)。

 時計塔の中で動いている時計機械は1881年(明治14年)に付けられたものです。週に2回、豊平川の石の重りをdsc06777人力で巻き上げているそうです。日暮れとともにライトアップされるので、夜の見学もおすすめと聞きました。2階の演武場は1899(明治32)年に、初めて農学校卒業生に博士号を授与した際の祝賀会場を再現しています(その年には宮部金吾らが博士号を授与された)。現在、夜間は多目的ホールとして演奏会などに開放しています。

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 建物の斜め前には観光客用に撮影用台が設置されており、写真撮影のベストポジションを教えてくれます。たくさんの観光客が入れ替わり立ち替わりカメラを向けていましたね。「がっかり名所」とはいえ、やはり札幌の人気スポットです。❤❤❤

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