感動を与えたい??

 最近、スポーツ選手などが「プレーで感動を与えたい」「震災で苦しむ人たちに自分のプレーで感動を与えたい」などと発するのをよく聞きます。今朝も、ある若い陸上選手が「レースに勝って自分の流す涙で感動を与えたい」などと言っていました。私はこういう発言を聞くたびに違和感を感じ、「オエッ!」となるんです。冗談じゃない、感動は与えるものではないだろう、と突っ込みたくなります。ひたむきに努力して打ち込む姿に、人は感動を覚えるのです。与えようと思って与えるものではないだろう、と思うのです。

 大好きな故・ジャイアント馬場さんの奥さん馬場元子(ばばもとこ)さんが、昨年、昨今のプロレス界に苦言を呈しておられました。私は膝を打ってこの記事を切り抜いていましたね。

 馬場元子レスラーさんたちに少しお願いみたいなものがあって。お願いしちゃいけないのかもしれないんだけど、レスラーとしてのプライドを持って、リングに上がるという風になってほしいと思うのね。こう言うと、みんな「プライドを持ってます」と答えると思うんだけど、私が見ていたころのレスラーはもっと毅然としていたというか。今はウケを狙いすぎるというのかしら。感動を与えたいと言っても、言葉が空回りしちゃうし。感動って与えるものじゃないと思うのね。見ている人が感動を受けるだけで、やっているレスラーが感動を与えようと思っても、それは感動じゃないと思うのね。  ―『週刊プロレス』No.1778(2015年)インタビュー

 馬場さんご本人も生前、お客さんに『よかったな』と思ってもらえればそれでいい。楽しませようと思ってやってたらダメだと思う」と言っておられました。さすが、馬場さんです。

イチロー 2012年3月28日、メジャーの開幕戦アスレチックス対マリナーズは、東日本大震災の復興支援の側面から東京ドームで行われました。球場には、宮城・石巻の野球少年ら被災者が多数招待されていました。延長戦に突入したこの試合で、イチロー選手はセンター前ヒットを打ちチームを勝利に導きました。彼はこう言いました。勇気を与えるとか、感動を与えるとか、よく聞くフレーズですけど、無理なんです。それは目的にしてはいけない。結果としてそうなるにすぎない。感動させようとしていくプレイなんか誰も見たくありませんよ」 目の前の真摯な仕事で、すごい成果をあげる。なりふりかまわず本気になった姿が、結果的に周囲の人たちを感動させるのです。感動させようなんて思ったら、絶対に感動なんかさせられません。

  もう一つの側面。日本語としても不遜な感じを受けます。語法としては間違っていないのですが、「与える」には「相手の望みなどに対応するような物事を”してやる”」という意味があるので、慇懃無礼に聞こえてしまいます。正しい表現は「感動していただく」でしょう。

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