母の日

 パーキンソン病、大腸ガン、腸閉塞、肺がんと闘い抜いて、さだまさしさんのお母さん喜代子さんが去る4月7日に亡くなられました。⇒私の追悼記事はコチラです  さださんの妹佐田玲子さんが、担当医と今後の治療について話をしている最中に、容態が急変して旅立たれたそうです。実は、玲子さんはその日の東京行きの飛行機を予約しておられたようですが、当日は強風のために飛行機が欠航したために、そのまま長崎の病院にとどまってお母さんを看病しておられた矢先のことでした。きっとお母さんが「まだ帰るな」と引き留めたんでしょうね。2009年12月に、さださんのお父さん雅人さんが亡くなったときには、さださんと弟の繁理さんだけが見送り、妹の玲子さんは間に合いませんでした。今回は玲子さんだけが見送り、さださんも弟さんも間に合いませんでした。実に公平な両親からの贈り物ですね。

 毎年母の日には、電話を入れて「ありがとう」を伝えてきたさださんですが、あるときお母さんがふと、「母の日は普段孝行できない人がする日。あんたは普段から孝行しているから何もせんで良いとよ」と言われて救われた、と今週の連載「風の歌(20)」(『山陰中央新報』)に書いておられましたね。

 振り返って、私の母・君子は、平成10年7月19日に77歳で胃ガンで亡くなりましたが、親不孝の限りを尽くしてきた私は後悔ばかりが残りました。大田国立病院の病室で、弱って声にもならない声で「ありがとう」と言ってくれたことだけが慰めでした。遺体を家に連れて帰るときはあれだけ重かった母が、火葬して遺骨になったときにはこんなに軽くなってしまうものなのかと涙したことが思い出されます。小さい頃貧困の中、本当に苦労ばかりかけて…。何も親孝行らしいこともできないままに逝ってしまいました。もう少し長生きして欲しかった。今だったら、広い一軒家でのんびりと楽な生活を送り、好きなものに囲まれ、どこへでも連れて行ってあげることもできるのに…。自分のことは全部後回しで、朝から晩まで私の教育に全精力を注いでくれました。身体をボロボロにしながら、愛情を私一人に注いでくれたんです。ただただ感謝あるのみです。「孝行したいときに親はなし」と昔の人はよくいったものですが、みなさん、両親が元気なときに親孝行しておきましょうね。今日は母の遺影に手を合わせて過ごしています。

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