エル・カネック敵前逃亡事件

エル・カネック 今日はプロレス・マニアのお話を。メキシコでの実力ナンバーワンだったレスラーはなんといってもミル・マスカラスでしょうね。しかし、メキシコではエル・カネックが長くチャンピオン・帝王として君臨していました。エル・カネックは、日本に来日しても活躍らしい活躍をした記憶は全くありません。藤波辰爾との好試合などを展開しましたが、タッグにおいてもアンドレ・ザ・ジャイアントやハルク・ホーガン、ディック・マードックなどと組んでも、目立つこともなく大きな活躍は見られませんでした。アンドレやホーガンとシングルマッチで対戦すると、超ヘビー級の実力の差で、いとも簡単にあっさりと敗れたりもしていました。「これで本当にメキシコでは実力No.1なのか・・・?」と、疑うほどだったんです。

 それが1978年3月31日、新日本プロレスにおいて、とんでもない事件を起こして一躍有名になりました。蔵前国技館で藤波辰爾「WWFジュニアヘビー級選手権」に挑戦する予定だったカネックが、当日になっていきなり試合をキャンセルして帰国してしまったのです。リングの中央で新間 寿さんがマイクを持って説明します。

 かねてより藤波選手に対し、マスクと髪の毛をかけたし合いを申し込んでおりましたエル・カネック選手は、本日午後7時30分、藤波選手の実力に恐れをなしてか、敵前逃亡を行いました。これに対しまして新日本プロレスおよび東京スポーツ新聞社はファンの皆様に対し、深い謝罪をいたしますとともに、藤波辰已対イワン・コロフの60分1本勝負を提供いたします。

 テレビ中継では、船橋アナウンサーよりこんなレポートが流れてきます。

 カネックはですね、試合前にトレーニングはしていたんですが、最近ノイローゼ気味で口癖のように『藤波のドラゴン・スープレックスで首の骨を折られてはメキシコに帰って試合ができない』と漏らしていたようですね。カネックの通訳もかねていたロベルト・ソトがリングに上がっている間に荷物をまとめて会場を出て行っていったらしいですね。

 このため、藤波の試合はノンタイトル戦となって、ピンチヒッターのイワン・コロフ(この日すでに試合を終えていたコロフは、1週間分の上乗せギャラの提示にダブルヘッダーをOKしたのでした)に勝利するも、お客さんからは納得のいかない空気があふれ暴動寸前にまで追いやられてしまいます。表向きでは、藤波の得意技ドラゴン・スープレックスのノイローゼによる敵前逃亡とされていましたが、実状はちょっと違うようです。このシリーズは藤波の凱旋帰国シリーズであり、藤波への挑戦が決まっていたカネックにも俄然注目が集まっていました。マスコミも彼を持ち上げ、カネックは天狗になっていたようです。「とにかく態度が悪かった」という証言もあります。木村健吾との試合で膝を負傷し、数試合を欠場したカネックを、白人レスラーたち(スクド・スーパー・スター、イワン・コロフ、マスクド・カナディアン(=ロディ・パイパー)、ロン・スター、ロベルト・ソトは試合をサボッていると受け止め、嫉妬心がピークに達します。ある日酒に酔っ払った勢いでついに、巡業先のホテルでカネックの寝室に乱入して集団リンチを加えて、さらに部屋に消化器を撒き散らして出て行ったそうです。さらにはカネックに相談もなしに、最終戦のタイトル・マッチはカベジェラ・コントラ・マスカラ(髪の毛とマスクを賭けたデスマッチ)で行うことが、新日本プロレスから発表されてしまいます。メキシコでは、マスク剥ぎマッチはレスラー生命を賭けた真の意味での最終決着戦。素顔がかかっているのですから、ただでさえ白人レスラーたちからイジメを受けてナーバスになっていたカネックが、精神的にパニック状態に陥ったことは容易に想像できます。しかも試合当日になって、カネックの日頃のなめた態度に腹を据えかねていた新日本プロレス山本小鉄が、カネックの控え室を訪れて、「藤波は生半可なことで勝てる相手じゃないぞ。真剣勝負の覚悟はできているのか!」と恫喝します。カネックは精神的に追い込まれて、会場から姿を消してしまうのです。

 試合に穴を開けてしまったカネックの行動は、プロとして決して許されるものではありません。カネックはメキシコに帰国後、ボクシング&ルチャ・リブレ・コミッショナーから3ヶ月の出場停止処分を受けました。メキシコのコミッショナーは非常に厳しく、本来ならプロレス界から追放という処分があってもおかしくはなかったのですが、カネックの実力を誰よりも知っていた藤波が各方面に頭を下げて回ったとのことです。レスラー廃業を免れたカネックは、当時メキシコを訪れていたカール・ゴッチに師事を仰いで基礎を徹底的に固めなおし、新興団体UWAへ移籍して、当時UWA世界ヘビー級チャンピオンだった鉄人ルー・テーズにアタック、二度目の挑戦で見事に勝利しタイトルを奪取し、第2代UWA世界ヘビー級王者となり、「メキシコの帝王」の座を射止めます。以降、アンドレ・ザジャイアント、スタン・ハンセン、ハルク・ホーガン、ビル・ロビンソン、ビッグ・ヴァン・ヴェイダーといった強力な外敵をことごとく撃破して返り討ちにし、「メキシコの砦」となります。あの大巨人・アンドレ・ザ・ジャイアントをボディ・スラムで投げるという栄誉に浴し、人気を獲得するのです(映像で残っています)。

 日本での評価が、これほど現地と異なるレスラーも珍しいと思いますが、やはりあの「敵前逃亡事件」のレッテルが、日本での運も持って逃げてしまったと思わざるを得ません。今日はかなりマニアックな話題をお届けしました。

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