検査入院!

P1010025     昨年末に、かかりつけの心臓外科でエコー検査」をしてもらったところ、心臓の動いていない(壊死した)箇所が若干広がっている可能性があるので、詳しく検査をしてもらってくるようにと、主治医の先生から言われていました。学校のバタバタに紛れて先延ばしにしていたんです。春休みになって仕事も一段落したので、覚悟を決めて(!)日赤に入院して検査をしてもらってきました。

 松江市の日赤は、数年前に建て替えられてきれいになり、病棟も見違えるように新しくなっています。10年前に「無自覚性心筋梗塞」で手術をしたときは、まだ古い病棟でした。入院1P1010019日目は血液検査、尿検査、心電図、エコー検査、レントゲン検査と、各階の検査室を回っていろいろな検査を受けました。以前と変わったな、と驚いたのは、腕に本人認証のバンドをした上で、各検査場ではスキャナーで読み取られるのと、担当の検査員にフルネームと生年月日を復唱させられます。ダブルチェック体制でミスの起こらないように細心の注意が払われていました。以前、患者の取り違P1010002えが各地で起こり問題となりましたから、これの対策なんでしょうね。ここで閑話休題。学校のセンター模試の終了後に行われる「自己採点」の精度を上げるには、このダブルチェックが重要です。「やりっ放し」で確認もせずに終わってしまうから、とんでもない誤差が生じているのです(2月に行われた早期対策マーク模試の誤差のそれはひどいこと。以前の北高では、年間を通じて毎回マーク模試の度に追P1010006跡をして、最終的にはほぼ誤差ゼロまで指導していたものですが…)。日赤ではありませんが、「もう一度」再確認の姿勢で臨んで欲しいと思います。

 さて翌日、いよいよ本番の「カテーテル検査」開始です。1時間前に病室で看護士さんが右手首に痛み止めのテープを貼ってくださっています。午後1時に地下一階の検査室に運ばれました。多くの先生方が青い手術着で待ち構えておられます。いよいよ高い手術台に踏み台を昇って寝かせられました。右手を固定されて、さあ検査開始です。若いインターンのような先生が左手の点滴の針をうまく刺せずDSC01949に、何度もやり直しをされて痛い思いをしました。退院後も内出血であざのようになって痛い日が続きました。私の左手は血管が見えずらいようで、どの病院でもうまく注射針が刺せずに痛い思いをさせられます。何度も何度もやり直しをされると、もう痛くて痛くてたまりません。どこの病院でも辛い思いをずっとしてきました。それが数年前から通っているF内科の年配の看護士さんは、めちゃくちゃうまい、チクッとしたかと思うとあっという間に針が抜かれている、それは見事な技術です。この病院に行くのが楽しみでした。それが今年になってこの1月から、この看護士さんがおられない!ショックです!また元のように何度も刺しては抜き、また刺すという状態に逆戻りです。医療系志望のみなさんに言っておきます。技術を磨いてください。患者さんが信頼を寄せる技術を身につけて現場に出てくださいね。

 P1010023検査本番は、見事な技術でアッと言う間に終わりました。右手首から管を入れながら造影剤を流して心臓の冠動脈の状態を見るのですが、大丈夫、ちょっと細くなっていますが、これなら手術まではしなくていいでしょう」と、先生から手術台の私に声をかけてもらった時にはホットしました。こういう声掛けはありがたいものです。詳しいカンファレンスの結果、2か所ほど冠動脈の狭窄が見られるが、今手術の必要はないでしょう、ということで画像を見ながら面談を受けました。以前にステントを入れたところは無事に機能しているようです。一応執行猶予5年で仮釈放(?)されました(笑)。さあ、これで4月8日(金)から3年生の担当で頑張れそうです。

P1010005 10年前に入院手術したときには、この病院の食事がかなりまずかったという思い出がありましたが、今回の入院では、結構豪勢な食事で少し驚きました。いつも熱々のみそ汁とご飯を食べることができました。循環器系の病棟の前に調理場があって、そこから直行で運ばれてくるので、できたてのホカホカを食べることができたんです。減塩なので、少し物足りませんが、「肉じゃが」や「タンドリー・チキン」や「温泉卵」P1010007を病院で食べれるなどとは夢にも思いませんでした。満足でした。しかも退院した時には3キロも体重が落ちている。こういうバランスのいい食事をすれば、自然に体重も落ちて健康にいいんだなということを、実感したことでした。でも退院したその足で、ココイチに行って「グランドマザーカレー」と「ポテトサラダ」を食べてしまいましたが(笑)。

 

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 病院食のまずさといえば、思い起こされるのは、平成10年4月、大田高校入学式の日に、母が家の前で倒れているところを、近所の同僚の奥さんが発見してくださって救急搬送されたのが大田の国立病院でした。連絡を受け慌てて駆けつけると、先生から「転移がひどくあと余命1か月です」と非情な宣告をされました。少しでも快適に過ごしてもらおうと、病院で最も高くて広い個室で入院生活を送りましたが、母がこぼすには食事が冷たくてまずい…。そこで私は毎朝4時に起きて、熱いみそ汁に料理をして、朝5時にまだ真っ暗な病室まで届けるという生活が始まりました。朝7時ごろに持っていくと、病院の関係者が嫌な顔をされよく思われないので、誰もがまだ寝静まっている朝5時に届けたのでした。「美味しい、美味しい」と言って食べてくれた母を思い出します。私は運転免許を持たないので、大田国立病院の手前の急こう配の坂が自転車では登れません。そこで電動自転車を買って楽々坂を上れるようになったのが、電動自転車との出会いでした。それから数えて今では4代目の電動です。3か月ほどそんな生活を続け、7月20日終業式の日に、77歳で亡くなりました。3か月間、母との密度の濃い生活は今でもいい思い出に残っています。でももう少し長生きをして欲しかった。天国から私の無事を見守ってくれていると思います。

 入院していたせいで、辞典の仕事が大幅に遅れてしまいました。毎日コツコツと少しずつ作業をしているのですが、この入院はいたかった!今取り戻すべく頑張っているところです。

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