「忘れ雪」事件

オフコース 大好きな小田和正(おだかずまさ)さんが、オフコースでデビューしても全く売れなかった不遇の時代に(彼らはブレイクするまでに10年の歳月を要しました)、「忘れ雪」事件が起こります。今日はそのお話です。オフコースを何とか不本意な仕事から解放して、日の目のあたる ところに出してあげたい、デビューからもう5年という月日がたち、ライバルたちはヒットを出して、もう解散するグループまで出始めている。担当ディレクターは必死でした。徐々にコンサートの動員数こそ増えていってはいましたが、ヒット曲がありません。当時の小田さんは、相棒の鈴木康博さんと二人でオリジナル作品作りに励む一方で、他の作曲家が書いた曲も歌っていました。

 何としてでもこのグループを売り出したいレコード会社東芝EMIは、新しいシングルの予定をオフコースに提案します。小田作品、鈴木作品、ほかの専門家作品。この三作を検討してヒットを狙おうという作戦です。小田和正作「キリストはこないだろう」、鈴木康博作「白い帽子」、そして、松本隆作詞・筒美京平作曲「忘れ雪」の3曲があがりました。松本隆、筒美京平といえば当時の大ヒットメーカーの大御所です。気に入らなければ出さなくてもいい」とディレクターは言うのですが、小田さんたちも絶対に自分の曲でなければならないという訳でもなかったので、仕方なくその「忘れ雪」をレコーディングします。この曲はとても切なく、日本人の哀愁を感じさせる抒情派フォーク的な歌でした。ちょうどそのころ、さだまさしさんたちグレープ「精霊流し」が大ヒットしていた時期でもあり、明らかにその音楽性を意識したものでした。レコード会社の東芝EMIは、二匹目のドジョウを狙って、この「忘れ雪」で強引にオフコースをねじ伏せ、録音させ、EPレコードとして発売したのです。小田さんは、いったんはこの曲をレコーディングはしたものの、リリースすることには絶対反対でした。曲そのものの完成度は高いし、曲を作ってくださった筒美・松本の両先生に対しては何のわだかまりもない。でも小田さんがこだわったのは、オフコースが何も、グレープをやる必要はない」ということでした。相棒の鈴木康博さんは「俺は歌ってもいい」と、二人の意見が分かれたのでした。この「忘れ雪」が発売になった一週間後、中野サンプラザホールで「秋ゆく街で」という彼らのコンサートが開催されました。

 まったく売れない、経費はかかる、事務所は火の車、赤字続き。ディレクターの上野 博さんは悩んだ末に、名案を考え出しました。レコード会社に金を出させて、ライブ版レコードを出す条件で、企画は進み、1542枚のチケットが売れ、音楽関係者の多くに招待状が送られました。その会場には、ユーミンをはじめ、財津和夫さんや、 ハイファイセットのメンバーなど、多くのミュージシャンが訪れています。1974年10月26日午後4時30分、開演のブザーが鳴ります。緞帳が上がり、拍手が大きく鳴り響きます。忘れ雪」が発売になった一週間後のコンサートであり、レコード会社もヒットを狙っているわけですから、当然この曲を歌うものだと思っています。レコード会社関係者は客席に陣取っています。事前のセットリストにはちゃんと曲名が書かれていた、という話も聞きます。てっきり俺らは歌うものだと思ってる。ところが、俺は歌わなかった。でもこれは、その後、自分たちの曲で勝負していくという意味で、大きなYESへつながっていくNOだった」と、小田さんは回想します。当然のことながら、曲はヒットしませんでした。知る人ぞ知る隠れた有名な曲となったのです。「ヒットしてたら、どうなってたんだろう?当時のレコード会社の環境としては、売れたらレコーディングに関しても、もっと時間を与える、という感じだ。でも、それは違うなって思ったからな。NOで良かったんだと思う」と。マーヴィン・ゲイ「what’s Goin On」のイントロが流れ、両サイドから、小田、鈴木さんがハンドマイクを持ち現れます。ショーのようなスタートです。いつもとは違う「「秋ゆく街で」始まりました、僕達は今日はいつになく張り切っています。 最後までどうぞ、ごゆっくりとお聞きください」と。

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 このコンサート「秋ゆく街で」で、レコード会社に経費を負担させておいて忘れ雪」を歌わなかったことで、オフコースの二人への風当たりが強くなります。もちろんレコード会社からは「生意気な奴ら」と思われて当然ですね。彼らにしてみたら、一生懸命で「忘れ雪」をプロモーションして、ラジオ局を駆けずり回っていたのですから。松本隆、筒美京平という当時売れっ子だった大先生にも顔が立ちません。怒るのも当然ですね。デビューしてからずっとオフコースを担当してくれていたディレクターとは、これがきっかけになって喧嘩別れすることになります(詳しいいきさつは小貫信昭『YES-NO 小田和正ヒストリー』(角川書店、1998年)を参照)。オフコースは、自分たちが本当にやりたいことと、世間が求めるこのと狭間で苦しみながらも、NOを突きつけ行動で示したのでした。ここら辺が、私が小田さんに憧れる理由でもあります。そしてこの積み重ねが「さよなら」の大ヒットへと続くことになるのです。

 「忘れ雪」そんなに悪い歌ではありません。今聞いてみても、オフコースらしい小田さんと鈴木さんのハモりの美しい曲で(彼らはコーラスが何よりも大好きでした)、私は嫌いではありません。❤❤❤

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