みっちゃん

◎週末はグルメ情報です!!◎

 広島のソウルフードとして愛され続け、今では全国的にも知られるようになった「広島流お好み焼。戦後焼け野原だった広島の街の復興とともに、お好み焼のカタチが出来上がるまでには数々の物語があります。その物語の中心的な人物であり、広島の街に「お好み焼」を誕生させたのが『みっちゃん』 こと井畝満夫(いせ みつお)さんです。今ではもう、あの頃のことを知る人がいなくなったんよ・・・。井畝さんは、今も現役でお好み焼を作り続けている最古参であり、広島の地にお好み焼を生み出した一人として、半世紀以上の歴史を語り継ぎ、広島のお好み焼文化を守り続けています「昭和25年に19歳で屋台「三笠屋」を開いたんじゃけど、最初は定食屋じゃった。お好み焼きは練炭で焼きよって、毎日食べて研究しよったねぇ。”味は努力”じゃけぇ」

 戦後間もない昭和25年。井畝満夫さんの父親である井畝井三男(いせ いさお)さんが、美笠屋」の名前でお好み焼の屋台を出したのが始まりでした。病弱な父親に代わり、当時19歳の『みっちゃん(当時の満夫の愛称)』が店を営業しました。 昼間は街の復興のために働DSC09974き、夕方から屋台でお好み焼を売る、そんな時代でした。創業当時のお好み焼は、クレープ状の生地にネギとわずかな野菜をのせて焼き、半月状に折りたたみ、ウスターソースを塗って薄皮と呼ばれる木の皮にのせ、新聞紙に包んで持ち帰る、小腹が空いた時に食べるおやつ感覚のものでした。しかし、食糧のない時代ゆえにお腹を満たすものでなければ売れない。売るためには改良する必要がありました。昭和25年から30年代にかけて、『みっちゃん』のさまざまなアイデアやひらめきを盛り込むことで、現在のお好み焼の原型へと進化していきました。ドロッとしたお好みソース、そば・キャベツ・モヤシが入る今のスタイル、鉄板の上でヘラを使って食べる文化など、どれも『みっちゃん』のアイデアから生まれたものなのです。

DSC09969   『みっちゃん』の店名は、井畝満夫の子ども時代の愛称です。創業当時の『美笠屋(みかさや)』から『みっちゃん』に変えたのにも理由がありました。たくさん立ち並ぶ屋台の中から、知り合いの人たちに自分の屋台を見つけて来てもらうために、すぐに分かるようにと自分の愛称を店名にしたのです。このアイデア自体も周囲に広がって、みんなが愛称を店名に使うようになり「○○ちゃん」という名前のお好み焼屋が多くなっていきました。広島に「○○ちゃん」のお好み焼き屋が多いのはこんなわけです。

DSC09971    さて、超人気店ゆえに行列を覚悟で行ってきましたが、数名の行列で15分待ちぐらいで座ることができました。行列しているときにオーダーは事前にとってあったので、しばらくしてお好み焼きがやってきました。ソースに特徴があるみたいです。確かに美味しかったな。とろみのある甘めのソース。ふわっとした食感の甘いキャベツ、ふっくら系の麺でとってDSC09976も美味しかったですよ。やはり人気店は違いますね。

 

 

 

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