松原正樹さん逝去

 2月8日に、末期がんのためギタリストの松原正樹さん(享年61)が亡くなられました。私はいつもさだまさしさんのコンサートのステージで、凛々しくエレクトリック・ギターを奏でる松原さんの華麗な演奏が大好きでした。最近コンサートでも見ないなあーと思っていたら闘病しておられたのですね。松原さんは、さださんが「グレープ」を解散し、1976年にソロになって以来の盟友で、レコーディングやライブでさださんを支えてきた存在でした。さださんは、2月17日のブログで、松原さんの訃報を伝えています。引用します。

まずはとても悲しくて残念なご報告から。

日本を代表するギタリストであった松原正樹君が身罷りました。
昨年5月に倒れ、すぐに手術を受けたのですが、無念にも癌の進行に勝てませんでした。

松原君は僕がソロになって以来、ずっとレコーディングでも、
ステージでも支えてくれた人でした。

彼の精神性の高い演奏はステージでもいつも僕らを救ってくれました。
夏・長崎からでもずっと一緒でしたね。
「風に立つライオン」の前奏で彼がソロギターで弾いた
「アメージング・グレース」は今でも忘れられない。

40周年の「さだまつり」では瓶底眼鏡を掛けてミラーボールに照らされてふざけてくれたり、「第二楽章」では豆腐屋さんになってお客さんにサービスしてくれました。あの時には松原君の大ファンの友人から「神様にあんなことさせるんじゃない!」と叱られたものです。彼自身が買って出てくれたことなんだけど。

この写真は彼が足を骨折して暫くツアーを休み、
久しぶりに出てきた時に新幹線の車中で僕が撮りました。

この笑顔には彼の人柄の温かさや優しさが溢れてるでしょう?
僕自身も気に入りの写真でした。

もう会えないんだな、もう聴けないんだなと思うと
悲しくてたまりません。

思えば一緒のステージに立ったのは昨年4月のアンダー30のゼップツアーが最後です。あの直後に彼は身体の不調を訴えたのでした。これを書きながらも第二楽章ツアーでの「黄昏迄」のギターソロのあの音が耳の中で鳴り続けています。

グレープ時代から同じ事務所でしたから、もう幼な馴染みのようなものです。
盟友を失う、というか、父が戦友を失った時の悲しみが解る気がします。

悲しいです。
切ないですが
彼の分まだまだがんばるぞおおおおおおおおお 

 松原さんは中学時代からギターを始め、高校卒業後に上京、米軍キャンプバンドなどで経験を積み、日本を代表するセッション・ギタリストとして活躍しました。松任谷由実「恋人はサンタクロース」、松田聖子「渚のバルコニー」ら多くのアーティストのレコーディングに参加したほか、1978年にはソロデビューし、21枚のソロ作品を発表しています。松原さんは昨年5月に十二指腸のがんがわかり、6月に開腹手術したものの転移が多く見つかった。一時は食事がとれるほど症状が改善したが、先月18日に入院、激痛緩和の治療を続けていました。

 奥様は「そんな容態でも、夢の中でレコーディングをしている様子をずっと口にしていました。普段から演奏やレコーディングに集中する性格が凄く出ていて、看ていて泣きながら感心していました…。生前のコロコロっとした体型、優しい笑顔、私の好きなハスキーヴォイス、ドラえもんの様な手で歌う様にギターを弾く松原の姿を記憶に留めていてください」とし、松原が魂を込めた演奏、追求し続けたサウンドの作品は沢山残っていますので、末長く愛聴して頂けたら、松原がこの世に生きた証しとして嬉しく思います」と心境をつづっておられます。松原さんのご冥福をお祈りします。それにしても、あの素敵なギターがもう聞けないと思うと、辛いです。私と同い年の人の死、心に響きます。

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