ハードロック工業

 若林克彦 先日新幹線「さくら」に乗っていたら、車両前方の電光掲示板に「絶対にゆるまないハードロックナット」のコマーシャルが流れていたのを見たのが、今日のネタです。11月28日付けの『産経新聞』に、ハードロック工業社長若林克彦(わかばやしかつひこ)さん(82歳)の関西経営者列伝の最終章が掲載されました(11月7日、14日、21日連載)。その中に心を惹くいい言葉がありました。引用してみますね。

 たらいに水を入れて、水を向こうへ寄せたら、自分の方に返ってくるでしょ。商売もあれと同じです。顧客満足、お客さんのためにすれば、自然と返ってくる。無理やり取り込もうとしてもダメなんです。最初の創業時、私には人、もの、金はなかったし、アイデアで勝負するしかなかった。日本には資源がないし、知恵を働かせないと食べていけへん。「自分さえもうかれば」というのではなく、人のためになることをもっと考えないと。日本のものづくり力は弱まり、外を見れば途上国の追い上げが激しい。もっと真剣に、よそがまねできない物、上回る物を考えないといけない。オンリーワンを武器に、アイデアを通して人のために貢献することが大切なんです。 (下線は八幡)

 若林社長は言います。お客さんに喜んでもらえるよう努力すればするほど、自分にも利益が生まれる。逆に目先のもうけにとらわれて欲をかきすぎるとダメ。たちまち水はこぼれてしまうんですね」 これは私たちの進むべき原点を示した言葉として、心に刻んでおきたい言葉です。「たらいの法則」と呼ばれているものです。以前にこのブログでも紹介しましたね。⇒コチラです

 ハードロック工業」というのは、大阪・東大阪にある従業員わずか50人ほどの中小企業ですが、世界的に評価の高い「絶対に緩まないナット」を生産し圧倒的シェアを誇る企業です。振動や激しい衝撃で簡単に緩まない「ハードロックナット」と呼ばれ、新幹線や明石海峡大橋、瀬戸大橋、東京スカイツリー、米国のNASAなどで使われています。フランスの高速鉄道TGVや海外の鉄道にも広く使用されています。まさに今の日本を代表する小さな大企業です。“絶対に緩まないネジ”は、今や世界中で引っ張りだこ。あの東日本大震災でも、東京スカイツリーはびくともしませんでした(「100年保証」という条件をクリアしたのがこの会社のネジでした)。従業員わずか50人弱の大阪の中小企業が、誰にも真似のできない技術を持っているのです。しかも百パーセント国内生産。まさに、「ものづくり」で長く世界をリードしてきた日本企業のお手本と言えますね。

 昭和48年の暮れ、若林さんは、休みの日に自宅近くの大阪・住吉大社を散歩していて、鳥居の柱と、横につなぐ貫の継ぎ目に打ち込まれた木のくさびに目が行ったと言います。昔の木造建築は、くぎを1本も使わなくても緩まずに持続している。「そうや、これを応用してボルトとナットの隙間にくさびを打ち込めば緩まんわ」と思いついたのが、この「絶対に緩まないナット」の原点でした。ウチのネジ(ナット)は鉄道、橋梁(きょうりょう)、高層タワーなど、絶対にネジがゆるんではならない場所に使われています。これまで世界中のメーカーから、多くの類似商品やコピー商品が出てきたが、同じ品質の商品を作ることはできませんでした。詳細は明かせないが、『絶対にまねができない』という自負がありますよ」   

    根っからの発明家です。先の大戦中、長野県に疎開していた10歳のとき、楽に種まきができる「種まき機」を発明。以来、万年筆のインクがいつも一定量になるように工夫した「定量付着インク瓶」、厚焼き卵を手早く作れる「たまご焼き器」など生活に密着した発明を数多く世に送り出してきました。その原点にあるのが、「たくさんの人たちに喜んでほしい。よいアイデアは人を幸せにする」という信念です。それが今も自身の経営哲学に反映されています。40年前、その経営哲学を象徴するような出来事がありました。かつて経営していた会社が作っていた商品に、顧客からクレームが来たのです。その商品もやはり「絶対にゆるまない」ことをキャッチフレーズにしていました。ただ技術的に完成されておらず、激しい振動を受けると、わずかにゆるむことがあったのです。そこを糺されてしまいました。「絶対にゆるまないはずじゃなかったのですか」と。当時、共同経営者は、そのクレームをさほど重要視していませんでした。依然として圧倒的に多くの顧客から信頼されているのだし、単なるひとつの苦情じゃないか、というわけです。ところが若林さんは放置できなかった。「人に喜んでもらえるはずのアイデアがお客さんを怒らせてしまうなんて…。ならば本当に“絶対にゆるまないネジ”を作ってみせようじゃないか」 そして、自ら創立した月商1億円以上の会社を無償(!)で共同経営者に譲り、わずかなスタッフとともに、現在の「ハードロック工業」を新たに立ち上げたのでした。残ったのはその商品の特許料だけ。「家内にはだまってやったんです。後で話すと、開いた口がふさがらないといった様子で、あきれてましたね。でも私はがまんできなかった」 そして約40年後、その会社と競い、「東京スカイツリー」での採用を勝ち取ることになります。

    昨今の「金さえあれば何でもできる…」といったような風潮が、がまんならないと言います。日本の技術を追っかけてきたアジア諸国の中にも、こうした“無法なやり口”で、強引に技術を盗もうとする国が少なからずあります。「日本の企業と合弁でプロジェクトを立ち上げておきながら、メドが立つと、『ハイさよなら』と追い出してしまう。でも実際は、日本が何十年もかけて開発した技術をわずか3、4年でまねしようったってできないんですよ」。その国は若林さんのネジの模造品も多数作っているが、結局、品質面では遠く及びません。同時に、日本の“脇の甘さ”も気になります。「先端技術を持った技術者が外国に引き抜かれ放題です。このままじゃ日本はジリ貧ですよ。どうしたら付加価値が高くまねができない商品を生み出せるか。行政と一緒になって知恵を出し、体制をつくらねばなりません」

 若林さんは言います。「常に好奇心をもって『欠点』を探すこと。商品に完成品などありません。そう思った時点で思考停止してしまうでしょ?逆にその商品に足りない点が見つかった時点で発明の半分は成功しているのです」  なるほど。新幹線のCMを見ながら、こんなことを考えていました。

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