天龍散る!

DSC02149 日本人でただ一人ジャイアント馬場アントニオ猪木からピンフォールを奪ったプロレスラーの天龍源一郎(てんりゅうげんいちろう、65歳)が、52年間の格闘家人生に終止符を打ちました。往年の黒のショートタイツで登場し(ただ腰が相当悪いことはショートタイツの上に巻かれた太い ベルトがはっきりと物語っていましたね)、新日本プロレスのIWGPヘビー級王者・オカダ・カズチカ(28歳)と対戦。オカダのレインメーカー(ショートレンジ式ラリアート)に華々しく見事に散りました。3カウントを奪ったオカダは、倒れたままの天龍に深々と一礼し、リングを降りました。大相撲の名門、二所ノ関部屋からジャイアント馬場率いる全日本プロレスなどで活躍。昭和のプロレスを象徴する男がまた1人、リングから去りました。引退試合が翌日の『朝日新聞』に取り上げられるという珍しい扱い、注目ぶりでした(朝日がプロレスの記事を載せるなどということはまずあり得ませんものね)。

天龍 昭和、平成を生き抜いてきた”ミスター・プロレス”天龍が、引退試合の相手に選んだのは、時代の最先端を行くトップスター、新日本プロレスのIWGPヘビー級チャンピオンオカダ・カズチカでした。65歳と28歳、どう考えても無謀な対戦です。でも天龍にとってこれはどうしてもやらなければいけない悲願の挑戦でした。プロレス大賞MVPを2012年&2013年の2年連続で受賞したオカダが、それまでMVPを連続受賞しているアントニオ猪木(1976~78年の3年連続&1980~81年の2年連続)、ジャンボ鶴田(1983~84年の2年連続)、天龍(1986~88年の3年連続)をこき下ろし、猪木選手、鶴田選手、天龍選手、その3人は僕と同じ時代じゃなくてよかったなと。同じ時代だったら、そんな記録はできていないと思いますので、僕よりも大分、前の時代にプロレスラーとしてそういう記録を取れたことを、僕に感謝してほしいなと」と不遜なコメントをしたからです。天龍は怒り心頭です。俺は新日本プロレスのレスラーじゃないんだから、そんなことは通用しないよ。キャラなのか、自惚れなのか、本心なのかは知らないけど”自分が吐いた言葉には責任を持てよ”ということだよ。俺にしてみたら、コケにされたらリングでケリをつけるしかないでしょ?俺にとっては降りかかってきた火の粉を払うだけの話。猪木さんもジャンボも現役じゃないけど、俺は現役だからね。その言葉を見過ごすわけにはいかないんだよ」というのが天龍の言い分でした。しかし新日本プロレスもオカダも黙殺しました。「腰部脊柱管狭窄症を手術して腰の動かない天龍が、平成のトップリーダーのオカダと対戦するのはどうみても無理がある」という空気があったのも当然でしょう。それでも天龍は諦めませんでした。引退試合の日程が決まると、新日本プロレスの事務所に交渉に行き、最終的には8月16日の新日本・両国国技館に乗り込んできて、オカダに直談判したのです。

 会場で、「おいオカダ、昭和のプロレスを味わう最後のチャンスだぞ、この野郎!」と迫る天龍に対して、オカダは例によってクールに「天龍さん、引退されるそうですね。お疲れ様でした。天龍さんにひとつだけ言わせてください。…僕と同じ時代じゃなくてよかったですね」と言い放ちましたが、天龍がなおも「おい、アンチャン、吐いたツバは飲み込めねぇぞ!飲み込めるとしたら11月15日しかねぇんだよ、この野郎!」と迫ると、遂に「天龍さん、11月15日…どうなっても知らないですよ。それでもいいならやりましょう!」と受諾。天龍の迫力に押されることなく、堂々と受けて立ったオカダも大したものです。ブレイクするまで7年半近くも下積みを経験しているオカダが、偉大な先輩にリスペクトの気持ちを持っていないはずがないのですが、彼はそれをおくびにも出しません。こうして実現したのが、この試合だったのです。試合後、オカダは「やっぱりリスペクトもありますし。同じ時代に生きなかったというだけで,リスペクトがないわけではないですよ」とコメントしました。

▲天龍戦を伝えるスポーツ各紙

▲天龍戦を伝えるスポーツ各紙

 敗れた天龍さんは足を引きずりながら、会見場に現れ「どうも、たくさんありがとうございます」  「悔しいです。でも、この体の痛さが今までの俺の人生のすべてを物語っているような気持ちですね」  「プロレスはね、彼と戦って進化していると思っています。俺のプロレスは、本当に掘り下げるプロレスだったけど、彼のプロレスは一歩一歩新しかった。良い跳びげりあり、ラリアートもシャープでいいのが入りましたよ。こんなこと言うのもシャクだけど、最後にふさわしい相手だったと思います」  「十分、見せつけられました。(悔しさは残る?)まあ、そういうことにしておきましょう。(自分のプロレスは)出せたと思ってます。鋭角的なパワーボムをやりましたが、そこを起きてきたわけですから。彼は受け身の技術を持ってますね」  「なんか、分からなかったです。(連続の低空ドロップキックを受け)いいのが、バチャーンとのど元に来たんすけど、3カウントが入ったとは思ってなかった。結構、えぐいのが何発かあごに入ってました」    「(ファンの声は)ヒシヒシ感じました。跳びげりもいいのを受けたが、俺自身も必死でした」   「(初土俵で)相撲を取った時に、土俵下にひっくり返ったことがよぎりました」   「みたままを感じてもらえればと思った。ロングガウンも初めて着たガウンだった。先祖返りかな、デビュー当時に戻ってやりたいと思ったけど、いかんせん相手はIWGPチャンピオン。結構なものですよ。なかなかのものです」   「(オカダには)プロレス界を引っ張って欲しいというのが俺の希望です」

 勝ったオカダは、「見てもらったら分かるとおり、これが昔のプロレスと今のプロレスの違いだ。ただな、すごく年下の後輩の俺が言ってやる。天龍さん、あっぱれだよ―。それ以外は、特にありません」と、語気を強めました。

 こうして、昭和のプロレスが、平成のプロレスにバトンを渡した記念すべき試合でした。『週刊プロレス』が保存版特別号で特集していますが、表紙のフィニッシュシーンの天龍の悶絶ぶりがド迫力でした。

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