映画「風に立つライオン」を観てきました。

風に立つライオンポスター 「風に立つライオン」を観てきました。3月14日(土)が公開日で、これを楽しみにしていたんです。午前中は病院で検査があり、節制のせいか数値がずいぶん改善されており、ホッとした気分で気持ちよく映画に没頭することができました。「オッケー、ダイジョウブ!」  劇場では何度も涙が止まりませんでした。この日は「TOHOデー」ということで1100円で入場できラッキーでしたよ。

 映画は、一人の黒人ケニア人が大震災・津波で瓦礫と化した宮城県・石巻市に立つシーンから始まります。手に持った袋から出された数々の白い球。エンディングもまたこのシーンに戻り、タネ明かしがなされます。「命のバトン」というこの映画のテーマが、まさに表現されたシーンであったことを後になって知るわけです。

 1987年、日本人医師・島田航一郎(大沢たかお)は、長崎大学熱帯医学研究所からケニアの研究施設に派遣されます。小さい頃、母に誕生日プレゼントとして渡されたアフリカ医療に生涯を捧げたシュバイツァーの自伝に感銘を受け医師を志した航一郎にとって、それは願ってもないチャンスでした。しかし同時に、それは恋人との別れも意味していました。病気の父の診療所を継ぎ、女医として離島医療に従事する恋人・貴子(真木よう子)を遠く日本に残さなければならなかったのです。理想を胸に研究と臨床の充実した日々を送っていた航一郎は半年後、現地の赤十字病院から1か月の派遣要請を受けます。彼は、銃や地雷で重傷を負って次々と運ばれてくる少年たちが、麻薬を注射され戦場に銃を持って立たされた少年兵である事実に愕然としながらも、この病院への転籍を志願します。過酷な状況の中でも生き生きと働く航一郎は、医療団からの信頼も厚く、子どもたちから慕われるようになります。一方、同病院に看護師として派遣されてきた和歌子(石原さとみ)は、確かなスキルと手際の良 さで、航一郎と時折ぶつかりあいながらも互いに認め合っていきます。そして、心に傷を抱えた少年たちをどんなときも「オッケー、ダイジョブ」と温かく包み込む航一郎は、いつしか少年たちの良き友であり、師となっていきました。そんなある日、病院に少年兵・ンドゥングが担ぎ込まれます。銃傷よりも、両親を目の前で惨殺され、麻薬でかき消された心の傷が甚大な彼に対して、航一郎は、そんな心の闇に真正面からぶつかっていこうとするのですが、なかなか心を開いてくれません。徐々に心の傷が癒え始めた矢先、サンタクロースに扮した紘一郎に、「9人を殺した」と自分を責める彼に、「生涯かけて10人の命を救え!」と教える紘一郎。戦士に銃で撃たれ手榴弾の爆発で命を落とした紘一郎。病院内に孤児院を設立してガンに倒れた和歌子。二人の思いは医師ミケランジェロ・コイチロ・ンドゥングにしっかりと受け継がれ、冒頭のシーンへとつながって「命のバトン」のリレーが行われるのです。

 泣きたくなるシーンが満載の映画ですが、紘一郎が夜中にアフリカの大地に向かって「ガンバレッー!」と大声で何度も何度も叫んでいる姿。そして「ガンバレっていうのは人に言う言葉じゃない。これは自分に言っているんだ」と語る紘一郎の言葉に納得。新しい結婚生活に踏み出した昔の恋人・貴子に宛てた手紙のたった1行の感動的な文面。心が震えました。と同時に、傷が治癒したとしても、また戦いに戻って行くという患者もいる厳しい現実に目をそらしてはいけないと思いました。正直言って重い作品なのですが、そんな中にも長崎でのじいさん・ばあさんの診療所のやりとりに心が和みます。夜中に山を越えて往診をしてきた先生のほうが自分よりも熱が高かった、というエピソードがおばあさんから語られますが、あれは「八ヶ岳の野ウサギ」のモデル鎌田 實(かまたみのる)先生のお話です。

 そして、エンドロールで流れるさださんの9分37秒の「風に立つライオン」の壮大な歌声。特に最後の「アメージンググレース」の迫力は最高でしたね。映画の公開に合わせて、このさださんの映画フルバージョンの「風に立つライオン」が特別公開されました。オーケストラをバックに、より雄大で荘厳なメロディーとなっています。 ぜひ聴いてみてください。

 たまたま劇場で昔の教え子と一緒になり、昔話をしながら観覧したのですが、映画を見終わって立ち上がったところ、私の真後ろでいつもお世話になっている眼科のT先生ご夫妻もご覧になっていました。感想を述べ合い、この映画のモデルになった柴田紘一郎先生のことを
お話して別れました。柴田先生が若い頃のガン患者の奥さんの話が映画の中にも出てきました。これ、実話です。肝臓ガンが見つかりすぐに処置しなければ危険な若い奥さんが、「大学病院にしか入らない」と言い張る。当時病院のベッドが一杯で、ベッド一つ空けられないくらいのペーペーの頃の柴田先生は、自分の信頼する他の病院を世話しようと、再三再四、自宅に足を運んでまで入院を説得。でも、その奥さん、頑なに「ベッドが空くまで待つ」と言い張り、二ヶ月経ち、三ヶ月経ち、半年が経ち、結局、手遅れで亡くなった。柴田先生は、周りの反対を押し切り、よせばいいのに、責任を感じ、その奥さんの通夜に行くのだが、お焼香もさせてもらえません。悲しみに怒り狂う旦那さんが「お前が家内を殺した!」と罵倒、「力足らずで申し訳ありませんでした」としか言えなかった。その重荷を生涯、ずーっと心に抱き続ける、そんな素敵な先生です。

 さて今年も、松江北高から多くの生徒が医学の道を志します。彼らに柴田先生の大好きな一言を贈ります。

突然の事故。救急車で運ばれ、病院到着。
ドクター、ナースの顔を見てホッとする私に
「最悪だよな」
「先生と当直すると最悪の患者ばかりですね」と一言ずつ。
そんな中、「もう大丈夫ですから頑張ってくださいね」
看護学生のその一言に、
思わず涙が一粒こぼれた。   (児島美恵子)

 柴田先生はこうおっしゃいます。医療に携わって何年か経つと、どうしてもこのドクターやナースのように思う日が出てくるんですよ。僕だってそうですよ。でも、それじゃあいかんと…。初心を忘れるなとは、このことなんですよ。あなた方は今、ここに出て来る看護学生と同じ立場なんです。その気持ちをずっと忘れないでほしい。僕が言いたいのは、ただそれだけなんですよ」 初心忘るべからず!

 続けて、柴田先生は医学生たちにこんなメッセージを贈られます。

IMG_2427 常に夢を持ってくれと、死ぬまで持ってくれと…。持つと夢は必ず叶いますから、もちろん、夢というのは変わるわけですけどね。常に流れるところにボウフラ発たず、です。人間は常に動いていないといけません。安住したり、ぬるま湯に浸っているとダメです。ストレスは常に受けていないといけません。バランスですけどね。僕は、生きているということは苦界だと思うんですね。ある程度の苦しみがあれば、成就した後の爽快感は格別でしょう。常に夢を持って、明日を思うこと。ラクなことは続きません。ちょっと苦しいくらいが楽しいですね。生きがいになりますから。

 第26回宮崎医科大学すずかけ祭医学展 ライオン企画(編)『風に立つライオン』(不知火書房、2002年)より引用ました。医学生にはぜひ読んで欲しい本です。さださんの同名の小説も、そして何よりもこの映画を観て欲しい、そんな思いです。今日はこの思いを柴田先生にお伝えしようと思います。

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