岡村孝子さんの献身

 私の大好きな、岡村孝子(おかむらたかこ)さんは、名古屋の大学で同級生だった加藤晴子(かとうはるこ)さんと在学中に『あみん』を結成して、1982年デビュー曲「待つわ」で100万枚の大ヒットを飛ばし、売れっ子となります。滅茶苦茶に忙しく仕事に追われ、この頃は体重も30キロ台だったそうです。加藤さんが学業との両立に悩み、わずか1年5ヶ月で活動休止となりますが、ソロ活動を始めた岡村さんは応援歌「夢をあきらめないで」のヒットにめぐまれ、「OLの教祖」としてもてはやされます。さて、ここからが、以前にこのブログで取り上げた「岡村孝子さんの若かりし頃」(⇒コチラです)の続編です。

岡村孝子 1997年には、当時プロ野球巨人軍の内野手であった石井浩郎(いしいひろお)さんと結婚し、一女をもうけます。石井さんが肝炎を患ってリハビリをしている時に、近鉄の野茂投手からもらったカセットテープに、岡村さんの「夢をあきらめないで」が入っていて、この曲に感動した石井さんが岡村さんのコンサートに行き、楽屋を訪れ、そこから交際が始まり、そのままゴールインをした、というのが真相です。ちょうどその頃(2001年)、岡村さんのお父さんがラブホテルの経営などに失敗して15億円もの借金を抱え、悪いことに、岡村さんは連帯保証人に名前を連ねていました。お父さんは若い頃にタクシー会社を興し、他にも喫茶店やカラオケ店なども経営していました。いつもスーツやジャケットをきちんと着こなして、背筋をピンと伸ばして歩く姿が印象的な紳士だったと、聞きました。事業を広げようと、ラブホテル経営に乗り出したんですが、次第に業績が悪化していきそれが失敗。所有していたラブホテルをはじめ、実家や岡村さんが地元に建てた135坪の豪邸まで差し押さえになりました。その家は、岡村さんがご両親へプレゼントした家でした。「岡村御殿」と地元・岡崎市では呼ばれました(外観はレンガ造り、丸窓など凝ったデザインは岡村さんの考案)。

 さらに追い打ちをかけるように、結婚からわずか6年で離婚に終わります。「人魚かと思って釣ったら、ホオジロザメだった!」という恐ろしい名言を、石井さんは残されました。電撃結婚に加え、いざ結婚してみると、方向性の違いと不仲の要素のオンパレード、再活動、そこへこのお父さんの借金苦が降りかかってきます。二人の間にはどんどん溝が深まっていきます。お父さんは事業欲が強い人で、儲け話にはすぐ乗ってしまう。人気歌手ということもあり、いろいろな話が持ち込まれたようです。父親を通して、親族から融資を申し込まれたことも多かったみたいです。彼女はお父さんから言われると断れないんです。「また(父が)何かでお金がいるみたい…」とよくこぼしていたといいます。音楽活動から遠ざかっていた岡村さんも、デビュー20周年として活動を再開します。「借金を返すために復活した」「負債が石井に及ばないように偽装離婚したのでは」などと、陰口をたたかれますが、岡村さんは愚痴一つこぼさず、借金を肩代わりして返しつつ、仕送りを続けます。「私にできることは、精一杯仕事に打ち込んで、がんばっている姿を見てもらうこと。気合い入れなきゃ」と必死に働いて、借金もすべて返済します。お父さんは持病の胃潰瘍と糖尿病に加え、肺ガンにも冒されてしまいます。アパート暮らしを強いられ、ガン治療のために通院している父のためにと、必死の思いで実家も買い戻しました。残る親孝行は「あみん」の再結成だと信じ、25年ぶりの復活、2007年年末のNHK「紅白歌合戦」にも出場します。このときの「待つわ2007」の息ぴったりのハーモニーは、本当に素敵でしたね。マイクを高く持つあの往年のスタイルも懐かしく思いました。その時の映像です。

 そんな矢先、年が明けた2008年1月24日、父英夫さんが肺がん(闘病3年)のために亡くなります。「孝子には世話になったなぁ~」が口癖でした。亡くなる直前には「歌手としてがんばる姿を見るのはうれしかった」と語りました。実は、岡村さんはこの数年、音楽に行き詰っていました。売り物である透明感のある高音が出ない、それでも「あみん」で復活したのは、父親への最後の親孝行という気持ちもあったのでしょう。地元の岡崎市で営まれた葬儀のときは、10歳になる小学生の娘さんが「じいちゃん、じいちゃん!」と棺にすがって泣き崩れます。岡村さんはそれまで涙を必死にこらえて気丈に振る舞っておられましたが、ついにこらえきれなくなって、娘さんと一緒にわんわん泣き出して、とても見ていられなかった、と葬儀に参列した人の感想です。永眠した亡き父の胸元にそっと置いた手紙に書いたメッセージを、そのまま詞におこしたのが「forever」(昨年末に発売になった8年ぶりのベストセレクションアルバム『After Tone VI』にも収録)という曲です。まだ悲しみのさなかで、できたてのほやほやで迎えたレコーディングでは、父への気持ちを込めたいと涙をこらえて歌っていました。するとトイレから泣きはらした相棒の加藤晴子さんが出てきました。岡村さんの代わりにボロボロになっているハコさんを見て、「ハコがいてくれてよかったって、心から思いました。」と回想しておられます。父への思いと感謝で綴った感動的な一曲です。

 今では、娘さんも高校生。「ママ、再婚してもいいよ」と言っておられるそうです(「虹のパレット」『毎日新聞』(中部版)に定期連載 コチラで読むことができます。ウェブ登録(無料)が必要です)。

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