久保田五十一さん

 「どうすればイチロー選手みたいになれるんですか?」と子どもたちに聞かれたイチロー選手は、「道具を大切にすることです」と必ず答えます。彼は有名になった今でも、いつも道具の手入れを怠りません。

詳細を表示 ジャイアンツの篠塚モデルのバットを持ってきて、「これと同じバットを削ってください。ただ先端が少し重く感じるので少し軽くしてください。」 これがミズノのバット職人久保田五十一(くぼたいそかず)さんとイチロー選手の出会いです。1992年オフのことでした。形状はそれ以来一切変えていないそうで、こんなに長く一つのモデルを使い続ける選手にはお目にかかったことはないそうです。イチロー選手も「バットとの出会いが衝撃的だった。このバットならたくさんのヒットが打てると思った」と語っておられます。久保田さんの名前が五十一(いそかず)(父親が51歳の時に生まれたことから)、イチロー選手の背番号が51、運命的な偶然です。

 1ミリ、1グラムの狂いもなく削り出すバットには、素材選びから徹底してこだわり、平成15年には厚生労働省技能者表彰「現代の名工」に選ばれ、平成17年には「黄綬褒章」を受賞しておられます。久保田さんは、バット材となる樹木の伐採に何久保田五十一度も同行し、切り株に耳を押し当てます。水を吸い上げる音が聞こえるんです。生命力の強い木は音も力強く、良質のバット材になることが多いんです」 数々の名選手(三冠王落合博満もその一人)から絶大な信頼を寄せられた。年間約200人を担当し、削ったバットは50万本に及びます。なかでも鮮明に覚えているのが、ジャイアンツの松井秀喜選手との出会いでした。松井さんが初めて同工場を訪れた高3の冬、度重なる素振りでできたタコを見て、久保田氏は感動したといいます。「できればこの選手の活躍を、ずっとお手伝いしたいと思った」。松井さんは、バットが単に『もの』であるのは事実。でもね。生きていた木に職人さんが力を吹き込んで…。そうこのバットは呼吸している感じがする」と、久保田さんの作品を握り締めました。ずっと僕の要望に応え続けて、いつも100%の答えを出してくれた。久保田さんが削ったバットで打席に立てたことは僕の誇りでもある」と、感謝の言葉を述べています。

 その久保田さん(70歳)が、社内で後継者が育ったことを理由に、引退を決意しました。これまでの野球観戦では

 バットばかり見ています(笑)あんまり勝敗は見てませんね。自分で作ったバットでヒット、ホームランを打って頂いたときが嬉しいですね。特にイチローさんの10年200本ですとか、シーズン最多の262本などに関われる仕事が出来ていることが本当に嬉しいことであり、掛け替えのない経験ですよね。自分でお金を出せば経験できることはたくさんありますが、こればっかりは自分ではどうにもできないことですし。150年近い野球の歴史の中で、たまたまその時に関われたという偶然に感謝ですね。

これまで選手の成績が悪いと、つらい気持ちで野球を見ていた。これからは素直に楽しんで観戦したい」と笑みを浮かべています。そんな久保田さんの、バット作りの苦労話インタビューはコチラです。あの落合博満さんが、現役時代にグリップの0.2mmの誤差にクレームをつけたエピソードは面白かったです。超一流選手はここまで違うんですね。⇒久保田さんインタビュー

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