owing to

 松江北高の3年生の授業で使っている『システム英作文』(桐原書店)の1課「無生物主語」Advancedにこんな作文問題がありましてね。生徒たちはいろいろな英語で書いてきてくれました。

●その事故のために私は学校へ行けなかった。(中央大)
That accident prevented me from going to school.
I couldn't go to school because of/ due to/ owing to the accident.

 どれも正しい英語で○です。ただ生徒たちに言っておきたいのは、最後のowing to~という表現です。これは多くの受験参考書などに、群前置詞」としてbecause of ~= owing to~ = due to~ = on account of~「~のために、~が原因で」と羅列して書いてあるので、そのまま覚えているからでしょう。owingというのは「借りがある、恩義がある」という意味の動詞oweから来ている単語なんですが、堅い表現で、「告知文・新聞・科学雑誌・公文書でしか目にすることはありません」(クラフト)。口語表現ではないのです。日常会話ではbecasue ofdue to(前者よりもちょっと堅い)を使います。そのことは、LDOCEが“formal”と記載していることからも明らかですね。私たちの『ライトハウス英和辞典』(第6版)には《格式》とスピーチレベルを明示しています。OALDの最新版は無レーベルでよろしくありません。Macmillan English Dictionaryには注記があって、”Both owing to and due to mean ‘because of’. They are used in exactly the same way, except that due to can be used after the verb ‘to be’.”とありますが、完全にスピーチレベルを無視した注記です。Michael Swan,  Practical Enlish Usage (4th edition, 2016)によれば、”Due to is more common than owing to.”とあります。尊敬する山岸勝栄先生の『スーパーアンカー英和辞典』(学研)では、改まった堅い表現であるネクタイマークを示した後に、because ofまたはdue toのほうが一般的」と注記を入れています。さすがですね。Google Books Ngram Viewer(52億冊の本から5000億語を集めた巨大データベース) を使えば、数百年前から今日までの書籍に現れる単語(2語以上ならそのフレーズ)の流行り廃りを、時系列の「折れ線グラフ」で見ることができます。検索窓にbecause of, due to, owing to(複数あるならカンマで区切って)と入力すると、その単語の年代別の出現頻度の推移が一望できます。やってみてください。一目瞭然に上で述べたことが裏付けられます。⇒コチラです

 先日、やはり『システム英作文』の「仮定法」で出てきた「もうそろそろおいとましなければ」を、「模範解答」では、It’s (high) time I was leaving. / It’s (about) time I was leaving.と示しています。たいていの受験参考書にもそのように示してありますね:「timeの前にhighやaboutを置くことによって、それぞれ「とっくに…する時間だ」、「そろそろ…する時間だ」という意味になる」(『エイブル』) 「timeの前に形容詞のhighや aboutをともなうこともある。It’s about time we started.  (もうそろそろ始める時間だよ) It’s high time we started.(もうとっくに始める時間だよ)」(『ゼスター』)稲田一『図解 高校3年間の英語を10時間で復習する本』(中経文庫、2017年)には「timeの前に「about(そろそろ)」「high(とっくに)」が入る場合がある」  両方ともspoken/ informalと辞書には記載があります。しかしながら、普通のネイティブ・スピーカーの反応はこのような意味の違いを認めません。high timeというと(南部の人がよく使う、年配の人がよく使う、というネイティブも)、何か古めかしい表現という感覚で捉えています。aboutが普通の表現です。

 日本人学習者には難しいこのようなスピーチ・レベルを、分かりやすく解説した面白い本が最近出ています。キャサリン・クラフト『その英語、ちょっとカタすぎます!』(DHC、2017年9月)がそれです。日本人が英語を話すときの最大の弱点が「口語表現を使いこなすこと」。見開き完結の楽しいエッセイで、楽しく口語表現が身につくように構成されています。名古屋在住のクラフト先生の『先生、その英語は使いません!』(DHC)『日本人の9割が間違える英語表現100』(ちくま新書)は英語教師必読の書です。とっても勉強になります。意外な発見があると思いますよ。ぜひみなさんにオススメしておきますね。❤❤❤

(追記)このような英語語法の問題にご興味のある先生方は、このブログの右にある「カテゴリー」「・英語語法」をクリックしてみてください。参考になる記事が出てくるはずですよ。私が辞典編集において、気がついた表現のコラム記事です。 

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福砂屋本店

◎週末はグルメ情報です!!

 知り合いにもらって初めて食べたのは、もう30年以上前のことです。以来ずっとカステラは、長崎福砂屋」(ふくさや)に決めています。美味しいんです。そんな話をよくするものですから、卒業生たちが帰省するときに、よくお土産に持ってきてくれたりします。ありがたいことです。創業以来(1624年寛永元年)一貫して不変の、手作りによる製法を守って製造しておられます。永い年月の積み重ねの中で、鍛えぬいて会得した職人さんの「手わざ」撹拌技術が、福砂屋」のカステラの美味しさを支えています。精選吟味した厳選材料を用いて、ミキサーを使わず、熟練の手わざで手間暇をかけて作ることで、ふっくらと焼き上げ、しっとりとした食感、コクのある甘みと風味を生み出しているんですね。昔は長崎だけで手に入るカステラだったんですが、最近は全国展開しており、大きなデパートでは全国どこでも買えるようになりました(昭和27年に東京支店、昭和52年に本社多良見工場、昭和58年に福岡支店、平成4年に大村工場開設)。以前は「福砂屋」のご主人は、気に入ったカステラが焼けないと、お店を閉めてしまわれました。従業員たちは焼け損ないのカステラ(これも他店のカステラよりもはるかに美味しいのですが)をもらって帰っては、ご近所にお裾分けするので、激怒したご主人は、それ以来廃棄処分にしておられました。私はこういう頑固な職人気質のお店は大好きです。今はもう大量に作っておられますがね。宮中お買い上げのカステラ界の名店です。

 長崎にカステラの老舗は数多くありますが(私はさだまさしさんの影響で最近「糖庵」(とうあん)のものも食べるようになりました)、その中でも老舗中の老舗である「福砂屋」。本店は、長崎市思案橋(しあんばし)の近く、丸山公園のそば船大工町にあります。瓦屋根に白壁、黒のシックな看板は、脈々と受け継がれてきた歴史を感じさせる佇まいですね(写真上)。ひっきりなしに観光客や地元のサラリーマンが、手土産にとお店を訪れています。私は今回、思案橋電停から3分ばかり歩いて、久々にこの白壁商家造りの本店を訪ねましたが、今日も超満員のお客さんでしたね。ここ本店にはコレクションしたギヤマンを展示していて、見学することもできます。

 日本にカステラが伝来したのは、ヨーロッパ諸国の海外進出が盛んであった、大航海時代真っただ中の16世紀中期のこと。当時、日本ではスペイン・ポルトガルとの間で南蛮貿易が行われており、その窓口であった長崎に、カステラをはじめとした様々な食べ物や文化などが伝えられました。その後、「南蛮菓子」だったカステラは、独自の変化を遂げて、栄養価が高いことから医学従事者を中心に全国へ広まったと言われています。ポルトガルのお菓子と思っている人も多いと思いますが、実はカステラはもともと、カスティーリャ王国(現スペイン)がルーツといわれます。長崎に伝来した際、ポルトガル人が、「これはカステラ(ポルトガル語ではカスティーリャをカステラと発音)王国のお菓子だ」と言ったのを、「カステラ」と日本人が聞き取ったことから、そう呼ばれるようになったのが起源だと言われています。

 創業年1624年、日本が鎖国へと向かっていく激動の時代に、初代「福砂屋」は、貿易商として砂糖、米など、様々な品目を扱っていたと考えられています。砂糖は福州(福建省)から長崎へ運ばれており、福砂屋」の「福」は、中国の福州、福砂屋の「砂」は、砂糖の砂からと言われています。ポルトガルやスペインだけでなく、中国とのつながりも深いのですね。

 「福砂屋」のロゴマークは、上の写真からも分かるように「コウモリ」です。普通なら「えー、そんな不吉な!」と考えられそうですが、蝙蝠」(こうもり)の「蝠」の文字が「福」に通じ、また中国語では同じ発音をするらしく、慶事・幸運の印と尊重されているところからきているそうです。このお店は天和2年の大飢饉の際に、米を拠出して唐寺「崇福寺」に寄進して、それで粥を作って人々にふるまったといいます(大釜がが境内に残っている)。その「崇福寺」の管主から「蝙蝠」を使うことをすすめられたそうですよ。初代は「福」の字を使った登録商標でしたが、明治時代に入り12代清太郎氏が、コウモリに改めました。コウモリと改めたのには、中国との繋がりにあります。カステラに使う砂糖など、当時、物資調達に重要な交流先であった中国では、コウモリは、幸運の印とされており、縁起が良いものでした。カステラのパッケージのシールや、お店の暖簾などをよく注意して見ると、コウモリがたくさん見つかるはずです。

 1624年(寛永元年)に創業して以来、「手づくり」にこだわる「福砂屋。卵を割ることから、泡立て、攪拌、焼き上げなどすべてのプロセスを職人さんが行っています。攪拌の際には、ミキサーは一切使わず、職人さんが長年の経験を積んで得た「手わざ」によって美味しいカステラが生み出されています。福砂屋」で使っている素材は、卵、小麦粉、上白糖、双目糖(ザラメ)、水飴(米飴)」のみを使って、ふっくら焼き上げています。添加物、ハチミツ、水、牛乳、ふくらし粉などは一切使用していません。無駄なものを使わず、素材で勝負しているのです。また、材料の一部である「卵」ですが、福砂屋ならではの行事として「卵供養」があります。1年に1度、毎年5月に菩提寺である「正覚寺」にて行われます。「社員全員が参列するもので、カステラの材料として日々に使う卵に感謝の気持ちを捧げ、供養します。卵へのこだわりや愛情が感じられる「福砂屋」ならではの行事です。

 「福砂屋」のカステラの大きな特徴と言えば、カステラの底に残ったザラメですが、そうなっているのにはちゃんと理由があります。福砂屋」では、材料を攪拌するときに、ザラメ糖の角をすり減らしながら、生地に馴染ませていきます。その際その一部を沈殿させて残しているのです。ザラメが溶けすぎてもダメ、全く溶けないのもダメ、コツはザラメをすり減らしながら、カステラの底に沈み残るようにすることだそうです。このザラメが職人さんによる手作りであることのまさに証なのです。このザラメ加減が、食べるときにシャリっとした独特の食感を生み出しています。私はこのかすかに歯にあたるしゃりっとしたザラメ感触が堪りません。

 福砂屋」に行くと、「オランダケーキ」(=クルミやレーズンを乗せて香ばしく焼き上げたココア味のカステラ)や「手作り最中」(=自分で餡を最中に詰めて食べるサクサク感が堪らない)も、必ず買って帰るお気に入りの品です。卵と砂糖の配合を多くして粉を少なく配した「特製五三焼カステラ」(2916円)も運がいいと手に入ります。長崎に行くと必ず立ち寄る「福砂屋」ですが、最近では日本中の大きなデパートで手に入るようになりました。でもやはり、長崎の本店で買ったカステラは、微妙に味が違うと感じるのは、私だけでしょうかね?最近では1個から買える小箱入りの「フクサヤキューブ」というおしゃれなパッケージの商品も好評のようです。

 今日は私のお気に入りの「福砂屋」のアレコレでした。⇒HPはコチラ

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ポカ

 年を取ったせいか、旅に出ると必ず「ポカ」をするようになって困っています。バーバリーのお気に入りの名刺入れをなくしたり、愛用のカフスボタンをホテルに忘れてきたり、洋服屋さんでバーバリーのハンカチを試着室に忘れてきたり(愛用のバーバリー三陽商会」が契約解除されたために日本で手に入れるのが難しくなっているのに…)、もう手に入らない高価なギミックコインをポケットから落としたり、小樽では恥ずかしくて人には絶対に言えないような大チョンボをしでかしたりと、何か必ずしでかして帰ってきます。今回も長崎旅行で、いくつかの「ポカ」をしでかしました(笑)。年はとりたくない…(生徒たちには25歳と称していますが)。

(1)一眼レフカメラの充電器を家に忘れてきてしまいました。それでも3台持って行っていたので何とかしのぐことはできましたが、電池切れの恐怖でヒヤヒヤものでした。帰りの博多駅で3台(1台は壊れた)とも電池がなくなりました。

(2)ハウステンボス駅に着いたところで1台目のミラーレスの電池が切れました。すぐにレンズを2台目(同じソニー製)に付け替えて、ハウステンボスへと向かいました。大きな荷物は入園後、コインロッカーに入れて、カメラだけ持って園内へと進みます。30分ぐらい写真を撮ったところで、カメラにSDカードを移し替えるのを忘れていたことに気づきます(全然記録されていません!)。長崎で撮った写真のSDカードはコインロッカーにある電池切れのカメラの中に。またわざわざ引き返してコインロッカーからSDカードを出すわけにもいかず、園内でSDカードを売っている売店を苦労して探してなんとか見つけました。もう一度最初の場所に戻って写真の撮り直しです(笑)。

(3)園を出国する直前に、バッグからミラーレスカメラを落とし(またやってしまった!)、レンズが認識しなくなりました。幸い本体は大丈夫のようで、望遠のズームレンズに付け替えてしのぎました。でも近距離の撮影ができなくなり困りました。レンズはめちゃ高いんです。これで何回買い換えることになるのか!

(4)長崎の旅館のお部屋に、夜食べようと思って冷蔵庫に入れていたチョコレート2枚(バッカス、アーモンド)を、翌日忘れたまま出発してしまい、列車の中で気がつきました(笑)。

(5)長崎県美術館で開催されていた「特別展 さだまさしの世界」の2階「カフェ」で特別提供されていた「パンプキンパイとシナモンティー」を絶対に食べてくる計画で行ったにもかかわらず、展示室に入る前に「カフェ」をのぞいたらお客は数人しかおらず、それなら先に展示会を見てから寄ろうと思って、展示を見終わって来たら、長蛇の列で、「あと3個しかありません」と言われ、ガーン!それなら最初に入って食べておくんだったと反省しきり。

(6)長崎ペンギン水族館」にも、タクシーを飛ばして回ってみようと思っていたのですが、「長崎くんち」のためにどこも長蛇の行列で、思わぬ時間をとってしまい、ペンギンに会える午後3時を過ぎてしまいました。

(7)お気に入りの「江山楼」「特上チャンポン」を食べる予定が、「長崎くんち」のせいか、とんでもない行列で、断念せざるを得ませんでした。仕方がないので、長崎駅のアミュプラザ内にあった「江山楼」でお土産用のチャンポンを買って帰りました。あー、王さんのチャンポン、食べたかったな。

(8)長崎はめちゃくちゃ暑かったので、旅先でのどが渇いて「コカコーラ」をしょっちゅう飲みました。松江に帰ってからの病院検査で、血糖値がとんでもない数値になっており、叱られました。

 人生、思うようにいかないことだらけです。ハイ。気をつけます。♥♥♥

(追記)もちろんいいこともいっぱいありましたよ。新型特急「ハウステンボス」&「ハウステンボスライナー」に乗れたこと、或る列車」を間近で見れたこと、長崎の東急ハンズでどこにも置いてなかった(×博多・広島・岡山・倉敷・米子)入浴剤「クナイプスーパーミント」のボトルと袋をまとめ買いできたこと「日本三大夜景」で有名な長崎の夜景を存分に楽しめたこと(前回は稲佐山の頂上にバスで登るも雨で全く見えず)、ハウステンボスの超人気オフィシャルホテル「変なホテル」の予約がとれて泊まってきたこと、ハウステンボスにオープンしたばかりの温泉「やすらぎの館」で温泉三昧(5種類)で過ごせたこと、特別展 さだまさしの世界」を堪能できたこと、ピースミュージアム」を二年ぶりに訪問し、親しくお話できたこと、自由飛行館」で幻の限定メニュー「ベリーdeベリー」を特別に出してもらえたこと、松江北高の偉大な卒業生永井 隆博士の偉業・遺品をじっくりと味わえたこと、等々。またブログに書きます。

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小田和正の魅力

 大好きな小田和正(おだかずまさ、70歳!)さんが、高校3年生の時のエピソードです。横浜の聖光学学院高等部の3年生、全校生徒はバスに分乗して遠足に出かける予定でした。しかし当日はあいにくの雨で、一向に止む気配もなく、結局遠足は中止となります。普通なら学校が下した決定ですから、生徒たちは諦めて帰宅するところです。大半の生徒はそうやって帰宅していきました。でも、小田さんと彼の仲間たちは諦めきれませんでした。高校生活最後の遠足でしたから、ずいぶん楽しみにしていたのでしょう。どうしても遠足に行きたい!そこで小田さんたちが計画したのは、生徒たちだけによる遠足の「自主開催」です。この企画に賛同したのは、前々から小田さんと馬があった20数人です。小田さんたちは、公衆電話ボックスから「イースタン観光」に電話します。「箱根に行きたいから、バスを貸して欲しい。マイクロバスでいいから」。するとバス会社は大きいバスを出してくれるという。あいにくの雨で会社もキャンセルが相次ぎ手持ち無沙汰の状況だったのでしょう。立派な一台がやって来ます。学校が下したNOを、小田さんたちはこうやってYESに変えてみせたのでした(小田さんの歌で私が一番好きな歌が「YES-NO」です)。運転手さんだけでなく、バスガイドさんまで同行してくれて、箱根に出発します。バスの中では仲間たちの大合唱。ユネスコ村、箱根の名所など、雨の中を一周して戻ってきました。当日の一枚の集合写真が残っています。みんな、「ヤッタぜ!」という顔で写っています。小田さん曰く、「いや、これでもう、後がない、という、そんな遠足だったからだよ。それはきっと大きな思い出となるだろう…。その、もうこれを逃すと後はないってことが、大きかったんだよ。でも、俺はそもそも、みんなでバスに乗ってワイワイやりながらどこかへ行くとか、そういうことが、もともと大好きなんだ」 小田さんは今でも集合写真を撮るのが大好きです。プロミュージシャンになってコンサートが成功したときスタッフと、野球チームの一員として、映画製作が実現して打ち上げで、どの写真にも、あの高校3年生のときと同じ表情が並んでいます。それにしても、高校生が電話してきたのに、よくバスを貸してくれたものですね。学校との兼ね合い、費用のこと、何か事故でもあった時のこと、今では大問題になりそうなことですものね(小貫信昭『小田和正ヒストリー YES-NO』(角川書店)による)。でも小田さんらしい逸話です。

 八幡は、小田和正さんのこうした人間的な魅力に強く惹かれている長年の大ファンですが、今日はその人柄を概観してみようと思います。まさに私の「小田和正ストーリー」です。実に素敵だと思いませんか?私はこんな生き方に憧れています。

 小田さんは若い頃から、自分にとって意味のある抵抗をせよ!自分にとって意味のない抵抗はするな!そしてその判断をするのは自分である」とおっしゃっていました。私がよく教室で生徒たちに紹介する言葉です。「学生服のボタンをだらしなくはずしたり、シャツを出したり、髪を染めたり、ピアスをしたり、指輪をしたり、スカートを短くしたりすることが、はたして意味のある抵抗であろうか?私は疑問を感じます」と(意味のある抵抗)。オフコース」時代は「売れる曲」を書かなくては、という束縛心があったといいます(プレッシャーとの対峙)。毎年毎年アルバムを作り、全国をコンサート活動で回り、という図式に疑問を感じ、年一作のアルバムを放棄しました。いいものができたときだけ聞いてもらえればいい、という彼なりの抵抗(ポリシー)ですね(しきたりへの抵抗)。そんな生き方に共感を覚えたものです。高校3年の文化祭では、4人で「グリーンスリーブズ」を合唱し評判になりました。その中には、後にオフコース」を組む鈴木康博地主道夫もいました(親友との出会い)。家業が薬局だった小田さんは医学部志望。高校2年の時、千葉大学の付属病院を見学し、暗い病棟でホルマリンのにおいをかいだ途端、自分には向いていないとおじけづきました(オープンキャンパスに参加することの重要性)。帰宅してすぐ「もう、医者はやめた」と宣言すると、母はあっさりと承諾してくれ「これからの時代は建築よ」と言いました。理系と文系の中間ぐらいの学問が向いていると思っていたので、小田さんにとって建築はうってつけでした(安易に選択することの怖さ)。鈴木は東京工業大学へ、地主と小田は東北大学に進学します。離ればなれになっても、夏休みには横浜へ戻りコンサートを開きました(友人の大切さ)。大学4年の時、初めて「ジ・オフコース」を名乗りヤマハ・ライトミュージック・コンテストに出場。東北予選を第1位で通過し全国大会へ進みます。建築関係に就職するつもりで、ここで全国優勝をして音楽にけじめをつけようと考えていた小田さんです。そこで山本潤子さん(現在活動休止中)の「赤い鳥」の信じられないような美しいハーモニーに打ちのめされます(挫折の経験)。彼女たちの「竹田の子守歌」は鳥肌が立つくらいすごかったといいます。2位にはなったものの、負けを引きずったまま音楽をやめる気にはなれませんでした(再挑戦の決意)。早稲田大学理工学部建築科修士課程に進み、音楽活動を続ける小田さん。当時は「南こうせつとかぐや姫」の前座として全国を回りました。幕が開くと客席がワーッと沸く。オフコース」が歌い始めると「あれ、かぐや姫じゃない」って感じになる。小田が「次が最後の曲です」と言った途端に大きな拍手が来る。「やっと終わりか」という意味です。哀れだったと振り返ります(下積み時代の辛さ)。大学院に戻り、「建築への訣別」と題する修士論文で、教授陣との質疑応答に臨んだ小田さん。近代建築の巨匠を論文で切り捨て、目の前にいる教授が設計した理工学部の校舎まで否定するなど、若気の至りで言いたい放題(自分にあくまでも正直に)。さすがに「建築はダメで音楽はいいと言うのか、君は!」と教授が怒り出します。最後は「訣別」の題名を穏便なものに変更するという条件で、論文を受け取ってもらいました。その日その足でライブハウスの「新宿ルイード」で歌っています。「今日、僕は建築をやめてきました。これから頑張って音楽をやっていきます」と(人生の転機)。当時のヒットメーカー筒美京平先生の書いたシングル曲「忘れ雪」を、コンサートでどうしても歌いたくないと拒否し続けます。レコードを売りたい事務所側と「新人のくせに生意気だ」と対立(コアなファンの間では「忘れ雪事件」として知られる⇒コチラです)します。小田は「歌いたくないものは歌えない」と自説を曲げず押し通すのでした(妥協することへの拒絶)。あれほど嫌いだったTVのCM(ネスカフェコーヒー)にも出演します。あれは衝撃的でした。「何でも体験しておこう」、と好きなゴルフのキャディーに挑戦。青木 功のアメリカでのシニア大会に同行します(幅広い興味とその追求)。他の選手の邪魔をしてしまったり、残り距離の計算を間違えたりと、緊張で失敗の連続で、いい年をして、青木さんに「こら、何やってんだ」と怒られたりもありました(失敗からの学習)。ソロになってから、驚愕の270万枚を売り当時のシングル売り上げ記録を作った「ラブストーリーは突然に(「東京ラブストーリー」主題歌)で大もうけし(大成功)、数年先と考えていた念願の映画制作の資金ができます。1992年に自ら脚本、監督、音楽を手がけた「いつかどこかで」を全国公開。だが、映画評論家からは酷評され強烈なバッシングを受けました。「才能の無い者に映画を撮らせてはいけない」とまでひどく言われました。悔しさで体が震えたといいます。意地で第2作目「緑の街」を(彼の自伝でもあります)、映画館では上映せずに、全国264カ所にも及ぶ公民館や地元の小ホールでの自主上映で全国を回ったのは小田さんらしい反骨精神でした。拍手を送りながら県民会館に出かけたのを思い出します。次の3作目が勝負だと言います(の夢と意地)。 当時「僕白身、50を過ぎて歌うなんて予想もしなかったけど、声は今が一番よく出ている。節制していないのに不思議ですよ。いろんなことにチャレンジし失敗もして、悔しがったり喜んだりしているから、いつも新鮮でいられるのかもしれません」と小田さん。あれからもう20年が経ちました。 来は締めくくりとして、代表曲を英語で歌ったCDを作りたい。欧米の音楽を目指してやってきた以上、そこをブレークしないと、ゴールに到達できないという想いがどこかにあるんですよ。」 楽しみにしたいと思います。1998年、小田さんは東北自動車道で大事故を起こし瀕死の重傷を負います(死との直面)⇒交通事故の私の詳しい記録はコチラです。 ファンの人たちから贈られる「生きていてくれただけでよかった」という言葉に愕然として、ファンを喜ばすにはどうしたらよいか、を真剣に考えるようになりました(恩返し)。それからの小田さんは、間違いなく一皮むけた存在となっていきました。

 そして今、小田さんは70歳(古稀)を迎えました。まだまだあの声は健在ですし、新しい挑戦も始まっているようです。そんな小田さんを応援し続けたいと思っている八幡でした。♥♥♥

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英作文のコツ

 私が担当する松江北高3年生の「英語E」は、システム英作文』(桐原書店)<Basic>, <Standard>が一通り終わり、今日から<Advanced>に入りました。この本は使いやすさで21年間のロングセラーとなっている入試英作文問題集で、取り組みやすい文法項目配列となっており、各課Basic → Standard → Advanced の3ステップで、段階的に書く力を養成できるようになっています。北高では長く使っている私のお気に入りの問題集です。さあ、いよいよ二次試験の英作文の演習です。これから始まる演習のために、英作文の「基本的な心構え」について今日は話しました。留意してもらいたいことが5つあります。

①KISSの法則(Keep It Short & Simple短い文簡単に書くというのが英作文の原則です。⇒詳細はコチラ  京都大学の作文入試問題のように日本語が数行に渡るような長い日本語でも、適宜区切って2つあるいは3つの文章で書いて構いません。1行で書こうとして空中分解した答案をたくさん見てきました。それよりも下手くそでもいいから、短い(short)文章でつないでいきましょう。そして簡単に(simple)書くことです。これが「力」です。

②「和文和訳」…与えられた日本文をそのまま英語に直すのではなく、自分に書きやすいようにもう一度日本語に訳すとよい。求められているのは正確な翻訳ではありません。意味がだいたい伝わっていれば良いのです。赤本」等に載っている見事な訳例を見て衝撃を受け、「自分にはこんな英語は書けません」といってやって来る生徒がいますが、あれは英語の達人が時間をかけて精魂込めて書いた物を、ネイティブの先生が添削した完成答案ですから、気にすることはありません。今の自分でできることをやればいいのです。

③難しい表現は簡単な単語を使って…かつて松江北高から東大の理Ⅲに合格した生徒が、中学校レベルの英語を使って東大の問題を毎日解いてきていました。それが感心するぐらい上手いんです。これが本当に力を持った生徒のやっていることです。間違っても、使い方を知らないうろ覚えの単語を並べて、空中分解してはなりません。自分がよく知っている単語を使って、難しい表現をなんとか置き換えられないかと考えるのです。(例)「近道」をa shortcutと書けなくても、a shorter[quicker] way 問題集に挙がっている(注)を鵜呑みにして、そのまま書くことは力につながりません。

④人を主語にして書く…問題の日本語が無生物主語の場合がよく見られます(特に難関大)。そういう場合でも、「人」を主語にして書くと楽に書けますよ。無生物で書こうとすると、使う動詞が難しくなるのです。「人」を主語にすると簡単な動詞を使うことができます。「物」を主語にせずに「人」を主語にする、これ英作文の鉄則です。

⑤「検算」を忘れない…書き終えた作文をもう一度点検することです。三単現の-s、冠詞忘れ、複数形、綴りミス、訳し忘れ等々1カ所でも間違いを見つけることができれば大きいですよ。1点で勝負がつくのですから。いつも言っている「やりっ放し」にしないということですね。見直しを忘れないことです。授業でも、自分の書いた作文と、先生が示すものを読み比べて、気がついたことを書き入れておくとよいでしょう。

 こんなことに注意しながら、これから英作文の練習をしましょう、と話しました「語彙力を磨く」のは読解同様前提です。

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「愛と裏切りの伯備線」~再び西村先生テレビに!

<あらすじ>

 十津川班の面々が部屋に集まる中、十津川警部(内藤剛志)にある報告がされた。十津川班に編入して日が浅い寺西敬介(窪塚俊介)刑事が退職して結婚するという。相手は米子の皆生温泉にある朝妻屋旅館の一人娘・朝妻みゆき(酒井若菜)である。みゆきは、父の浩一郎(石倉三郎)と母・昌子(神保美喜)と共に旅館を切り盛りしている。十津川警部は、ある事件の捜査のためにこの宿に亀井刑事(石丸謙二郎)、寺西と共に宿泊したことがあった。
 将来を有望視されており、惜しまれつつ警察官を辞めた寺西だが、数日後、寺西の両親から息子が行方不明になったと連絡が入る。朝妻屋に問い合わせると、こちらに来るとは聞いていないという。胸騒ぎのする十津川の不安が的中し、寺西は米子の海岸で死体となって発見された。十津川と亀井は米子へ向かう…。
 話は3ヶ月前に遡る。東京・池袋である老女が殺され死体となって発見された。傍らに落ちていた鉄パイプが凶器で後頭部に致命傷があった。物証が乏しく捜査は難航するかと思われたが、村川刑事(齋藤めぐみ)が描いた似顔絵が決め手となって、被害者は米子に住む田代ふみ(片岡富枝)だということが分かった。 ふみは長年、行商の仕事をしながら皆生温泉で孫娘の祥子(橋本真実)と二人で暮らしていた。近所の住人の話では祥子は東京に出てしまい、ほとんど音信がないという。だが、ふみの部屋の留守電にはその祥子の声で大金を用意して欲しいという伝言が残っていた。
 調べをすすめると、祥子は振り込め詐欺グループの一員で、仲間の遠野卓也(金井勇太)と共にふみから金を奪って姿をくらましていることがわかった。身を潜めるために祥子の実家のある皆生温泉に戻ってくるのではないか。そう推理して、十津川と亀井、寺西が張り込んでいたのが、みゆきと両親が営む朝妻屋旅館だったのだ。
 ふみ殺害については一応の解決を得て、十津川たちは東京へ戻った。この捜査中から寺西とみゆきは好意を深めていったようだ。その寺西が誰になぜ殺されたのか…。
十津川はそもそもの発端となったふみの殺害にまで遡り、事件の真相を推理する。十津川は一連の事件が見えない糸でつながっていると気づくのだが…。  (TBS番組HPより)

   

    10月16日(月)に放映された米子市が舞台の「愛と裏切りの伯備線内藤剛志さんの「十津川警部シリーズ」も早くも第4作になります。だいぶん板についてきたという感じですね。今回も前回同様3時間スペシャルでした。あれほど初回の頃は違和感を感じていた十津川警部ですが、故・渡瀬さんとはまた違った内藤さんの味・魅力が出てきました。今回のドラマは今までで一番面白かった。最後に大どんでん返しもあり、ストーリーにぐいぐい引き込まれていきました。あっという間の3時間でした。第5作にも期待しましょう。原作は西村京太郎『恋と裏切りの山陰本線』です。私もよく知っている米子の場所がたくさん出てきました:山陰歴史館、米子駅だんだん広場(例のSLのオブジェが出ていましたね、あれは絵になる)、JR米子駅、皆生海岸、弓ヶ浜、旅館「三井」、鳥取花回廊、大山寺本堂、等々。この夏にロケがあったようですよ。

◎再び西村先生ご夫妻がテレビ出演!!

 注目したことが3点。番組中にはキャストの台詞に、「出雲弁」がそれはもうたくさん出て来るんですが、役者さんによっては何かしらとってつけたような不自然な言い回し・イントネーションもずいぶんあったようです。私は出雲弁ネイティブ・スピーカー(笑)なので、やはり気になりました。「出雲弁」は難しいんです。ドラマ中では出雲弁のだらず」=馬鹿)がキーワードになっていましたね(もうこの言葉は日常あまり使うことはないんですが…)。

 もう一つは、前作と同様に(⇒コチラです)、劇中に原作者の西村京太郎先生ご夫妻が出演しておられたことです!やはり今回もご夫妻が散歩中という設定で、十津川警部と路上で出くわし、杖をつきながら(先生は現在左半身がご不自由なんです)奥様に支えられるようにして、西村先生が、あー、すみません。この辺に本屋さん、ありませんか?」と尋ねる。聞かれた十津川警部は前作同様、「いやあ、私はちょっと。…失礼します」何とも言えない間と表情で立ち去る、というものでした。どうやらプロデューサーは、原作者の西村先生を引っ張り出しては遊びを楽しんでおられるようです。

 それとタイトルの「伯備線」ということで、普通列車に加えて、特急「やくも」が何度も何度も登場していましたね。⇒特急やくも」の私のレポートはコチラ   実は特急「やくも号」にも2種類のタイプがありましてね、通常のものと、前面がガラス張りのパノラマタイプのものがあるんです(私は1号車のグリーン車でガラス張りの運転席から前の景色を楽しんでいます)。ドラマにも両方の「やくも号」が登場していました。❤❤❤

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「松江水燈路2017」

 お月様がきれいな10月。古い言い方では「神無月(かんなづき)」と言います。が、実は島根県出雲地方では「神在月(かみありづき)」と呼ぶのです。古い言い方では「出雲国(いずものくに)」では、毎年10月に日本中の八百万(やおよろず)の神々が集まって、出雲大社で酒造りや縁結びの会議を行う、と伝承されています。日本中の神様が島根に集まる。そんな時に開催されるのが、松江城周辺を淡い光で照らす、松江水燈路」(まつえすいとうろう)なのです。神秘の光に包まれた城下町・松江は、水の都」と呼ばれる宍道湖の水運豊かな土地柄と共に、心に残る素晴らしい旅路を約束してくれます。メイン開催は、9月23日(土)から10月29日(日)の土曜・日曜・祝日の13日間で、堀川遊覧船の夜行運転や、お城周辺への行灯(あんどん)設置などなど、他にも色々なイベントが催されます。平日は「緑の灯り道」として、城内のライトアップが行われます。

 松江城の会場へ上がる石段の両端には、足下を照らしてくれる、松江高専の生徒たちの作った「LED行灯」が設置されています。これは体温を感知して光る行灯で、行灯のそばにいくと、明るさを増すすぐれものでした。いい仕事をしています。

 慶長16(1611)年、江戸時代の最も初期に築城された松江城天守は、黒を基調とした豊臣系の天守です。外見は四層でも実際の内装は五階、地下一階、四重五階地下一階(しじゅうごかいちかいっかい)と滑らかに言うとぐっとお城通に聞こえますよ!その平面規模は、現存する12天守中2番目の大きさを誇り、高さは3番目、もちろん山陰地方では唯一の現存天守です。松江水燈路」の期間中は、松江城本丸も夜9時まで夜間開放され、天守への登閣も可能。色とりどり個性豊かな行灯が並んだ登城道をのんびり歩いて、様々な場所から見える、漆黒の闇に浮かぶ松江城天守を楽しみましょう。本丸内に入ると、素敵にライトアップされた幻想的な天守がハッキリと姿を現します。♥♥♥

 

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「特別展 さだまさしの世界」

 10月6日(金)から始まった西日本新聞社創刊40周年記念事業「特別展 さだまさしの世界」(西日本新聞社・KTNテレビ長崎・長崎県美術館主催)に、長崎県美術館に行ってきました(~11月5日(日))。この美術館は2005年4月、あの世界的に有名な建築家隈 研吾(くまけんご)さんが設計した素敵な施設です。私は「ピースミュージアム」を訪問してから、海沿いに歩いて10分ほどで、入り口に立ちました。美術館の入り口付近にある高さ約4m、幅約7mのLED大型映像装置が目に止まりました。展覧会情報や映像作品、館内で行われるイベントのライブ映像が上映されていました。中に入りチケットを買うためにエントランスロビーの受付に向かいます。高さ約12mの吹き抜けのゆったりとした空間です。三方をガラスのカーテン・ウォールに囲まれて、明るく開放的な雰囲気で来館者を迎えてくれます。定期的にコンサートを開催するなど、イベントも行っているそうで、今日も音大生がミュージカルを演じていました。奥には「ミュージアム・ショップ」があり、鮮やかな色づかいのスペイン国立プラド美術館のアイテムや、長崎らしいオリジナルグッズなど豊富な品が売られていました。

 さて、今回の特別展示は、長崎が生んだ多才でユニークなアーティスト・シンガーソングライター「さだまさし」の魅力を体感できる初めての特別展覧会です。1952年、長崎市出身、3歳でバイオリンを始め、九州に天才少年現るの呼び声も高く、中学校から東京に出てバイオリン修行、その後挫折して、1973年、フォークデュオ「グレープ」でデビューし「精霊流し」「無縁坂」などが大ヒットしました。私はその頃からずっーと応援しているんです。1976年にソロとなって以降、雨やどり」「関白宣言」「親父の一番長い日」「北の国から」などの大ヒットを放ち、今ではコンサート数は4251回を超えます。話芸とも呼べるステージ・トークでも有名ですね。2001年『精霊流し』で小説家としても活動を開始し、解夏』『眉山』『風に立つライオン』などが映画化されました。最近は、公益財団法人「風に立つライオン基金」を設立し、国内外で「いのち」や「平和」を守る活動をしている個人や団体などを支援しています。 吟遊詩人を体現するかのようなシンガー・ソングライターとしての活動を主軸に、小説家、話芸の達人、はたまた平和ミュージアムや社会福祉団体発起人といった多彩な顔を持つさだまさしの世界に、楽しみながら触れることが出来ます。さらに、光のインスタレーションで国際的に高い評価を得ているアーティスト、松尾高弘さんによる新作を展示。さだまさしの音楽世界を、レコード盤などのオブジェ、楽曲と映像によるダイナミックなインスタレーションで表現していました。入り口からご案内してみましょう。

 上図のように、さだまさしさんの多彩な才能や足跡の集合体を“まち”に見立て、来場者がまち歩きをするように、才能やメッセージに順次触れていきます。写真を撮ってもいい場所が明示されていました。

1.自由飛行場
さだまさしの世界へ到着入り口です。さだまさしの独自レーベル「フリーフライト」のマークである複葉機をモチーフにしたフィギュアを展示していました。長年のファンにとっては、さだ企画のフリーフライトレコード、実に懐かしいですね。

2.歴史館
さだまさしをつくった家族・恩人を紹介するコーナー。誕生からデビュー前までを、新聞記事の見開き風に紹介しています。また、さだまさしの家族や少年期のエピソード、影響を受けた友人や恩人について、ゆかりの品や写真などで紹介していました。

3.さだショー店街
歌手、小説家、映画制作など、多彩な活動が「さだ商店街」となって出現です。コナーとやレコーディングで使われた初公開のギター、直筆の歌詞や譜面なども展示されていました。各店舗では、さだまさしの精巧なフィギュアが店長となって皆さんをお出迎えします。

4.長崎館
さだまさしの原点を紹介!詩島などさだまさしゆかりの地のほか、精霊流し、おくんちといった長崎の伝統行事について紹介しています。また、学生時代、望郷の念にかられた時に心の支えとなった長崎出身の画家・山本森之助の風景画も展示。さださんがお父さんを見送った際の「精霊船」の模型も展示されていて胸を打ちました。

5.宇宙館
会場内に入ると、多種多様な光の空間の中に、さださんのCDが数多く天井からぶら下がり、さださんの曲が流れています。映像、照明、テクノロジー、インタラクションを融合させた「光のインスタレーション」によって、国際的に高い評価を得る松尾高弘さんの《RECORDS “さだまさしの宇宙”》です。空間に浮かぶレコードやCDはさだまさし唯一無二の「宇宙」を表し、会場に響く楽曲と映し出される情景は人の動きによって刻々と変化します。鑑賞者がそれぞれの印象的な楽曲を記憶と感性で辿るインスタレーション。さだまさしの音楽世界を感じてみることにしましょう。下の写真にあるように、床に両足のマークがあり、ここに足を乗せると空間の色が変わり、さださんの楽曲が流れます。私がマークを踏んだ時には「人生の贈り物」でした。お客さんが代わる代わる足を乗せて、さださんのヒット曲の数々を堪能していましたよ。

6.未来館
さだまさしさんからのメッセージが、映像で流されていました。

7.佐田商店
さだまさしのオリジナルグッズや、CD、DVD、書籍、コンサートパンフレットなど、多数のアイテムを販売して、充実のグッズショップとなっていました。コンサート会場で買えるものばかりです。私は今回展示の特製「クリアファイル、最新のコンサートパンフレットと会報バインダーを購入して帰りました。

8.メッセージ館
来場者がさだまさしへメッセージを送るコーナー。風に立つライオン基金」の紹介パネルもありました。お客さんが熱心にメッセージを書いて、ポストに投函していました。そして出口の「日めくり神社」で記念撮影です。

  展示会場のいたるところに、さださんそっくりの精巧なフィギュアが飾られてお客さんをお迎えしていました。この「フィギュア・ジオラマ」をプロデュース、制作したのは クリエーティブオフィス・フライトギア主宰の土井眞一(CM美術アートディレクター)さんです。近くに寄って見ていましたが、それにしても実によくできていました。この展示が終わったら、このフィギュアの数々はどこへ行くんでしょうね。全部写真に収めてきましたので、印象的ないくつかを掲載しておきますね。

 私が購入して帰った、さだまさしの世界クリアファイル」(600円)は、A4判のダブルポケットで、ポケットには、詩島で撮影したまっさんの写真と詩島の空撮写真を。表面は、濱田キヨハルさんが描いた本催事のメインビジュアル画が。稲佐山の上空から眺めた長崎市にまっさんの物語を詰め込んだ夢の街です。松江に帰ってからも、いくつもの物語を探すことのできる素敵な記念品でした。

 特別展示室を出たところにある美術館2階の「カフェ」では、さださんの名曲「パンプキンパイとシナモンティー」(この曲に出てくる喫茶店の「安眠」からさださんファンの岡村孝子さんは「あみん」を結成されています)にちなんだ同名の特別メニューを提供しています。私も絶対に食べて帰ろうと狙っていたものです。私が展示を見終わって、「カフェ」にやって来た時にはなんと長蛇の行列が。受付で名簿に名前を書いて順番を待ちます。「パンプキンパイとシナモンティーは食べることができますか?」とお店の人に聞くと、あと3個しかありませんとのこと。この行列ではとても無理と、残念ながら断念しました。そして美術館前から、タクシーを拾って、さださんのカステラ喫茶「自由飛行館」へと向かいました。❤❤❤

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「冨士屋」

 昭和20年代の半ばから30年代にかけての岡山市・奉還町には、 映画館やパチンコ店がひしめきあい、大いに賑わったといいます。昭和25年、この町に、新しい味のラーメン店が現れ、瞬く間に、買い物客、遊びに来た人、近所の学生や行員さんでごった返す人気店に成長したのです。戦後派の岡山ラーメンの歴史は、この奉還町から始まったといっても過言では ありません。岡山のラーメンの原点、あっさり系の岡山ラーメンの源流、中華そば「冨士屋」(ふじや)こそが、万人に愛され続ける岡山ラーメン、王道の味なのです。岡山駅から305m、歩いて5分のところにあります。同じく老舗の「浅月本店」の真ん前にあるお店です。私はお昼どきに行ったものですから、すでに長蛇の行列ができていました(写真上)。30分ほど待ってお店に入ると、カウンター席、テーブル席、奥に小上がり席があります。

  先代が築いた名店「冨士屋」の味は、薄い豚骨スープと醤油ダレがほどよく溶け合った、「旨み」で 満足感を与えてくれる一杯です。 時代に合わせてスープの味を少し補強して進化を遂げています。冨士屋」では、一番出汁 と二番出汁をとって後から合わせるという日本料理さながらの製法でスープを作ります。旨みがぎっしり詰まったスープは、時間がたつと、大量の脂が浮かび上がります。その脂をとる一手間が重要。分離した脂から、さらに精製してラードを作り、チャーシューの煮汁が入った醤油ダレと併せます。ちなみに、醤油は岡山県内の醸造所で調合した特製品です。最後に、煮こごりになっていたスープを沸かして液体に戻し、合わせます。具はチャーシューとメンマとネギ。これぞ中華そばといった、気負いの無い、シンプルな佇まいです。私はネギ増しでお願いしました。後からもやしも加えました。

 「冨士屋」の麺は「22番」という符丁で、3cmの幅の中で22本麺がとれる、実はこれが今の岡山のスタンダードなんだそうですよ。冨士屋の麺を基準に、岡山の麺は成り立っていると言っても過言ではありません。形は変えずに、中身は充実・進化していく、でも冨士屋の味からはあまり離れない味。岡山のラーメンの原点は、変わらないけど変わっている。老舗というのは、守るだけではダメで攻める、変えていく、でもかたちは変わらない。老舗の「のれん」の重さを感じるところです。味は昔ながらの中華そばという感じです。でもこれぐらいなら、もっと美味しい店はいっぱい知っているぞ、というのが私の直感でした。❤❤❤

◎週末はグルメ情報です!!

 

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「珈琲館」ふたたび

◎週末はグルメ情報です!!

 今はもうありませんが、寝台列車の「出雲号」は、若い頃よく利用して東京へ行っていました。今は「サンライズ出雲」に置き換わっています。⇒この列車の私の詳しいレポートはコチラ  そんなこともあって、出雲号」を舞台にした推理小説は大好きで、結構読んでいるんです。最近は、若狭木虔『寝台特急出雲・大井川の殺人』(実業之日本社、2004年)が面白かったですね。 昨日は、峰隆一郎『「出雲2号」13分の空白』(大陸書房、1989年)を読み終えました。さすがにこのトリックは私の頭を悩ませました(私はこういう時刻表のアリバイ・トリックを崩す作品が大好きで、津村修介さんの熱狂的ファンでした。昔は結構おられたんですが、最近はこういう時刻表ミステリー作家が少なくなりました。本のページに時刻表が出てくると、俄然やる気が湧いてきたものです)。その推理小説の中に、私の行きつけの喫茶店「珈琲館」が登場します。こんな描写です。

 橋を渡り、一番目の角を左へ曲がると、そこはアーケード街だった。このあたりが末次本町というところらしい。
  「あたしたちがよく行っていた喫茶店に行ってみたいわ」
 アーケードを少し歩いて右へ折れると、京橋川につき当たる。その橋のたもとに『珈琲館』があった。
 「懐かしいわ」
 仁美が声をあげた。赤レンガ作りの建物に蔦が絡んでヨーロッパムードの店だった。京橋川の対岸にもクラシックな建物が見える。元の日銀支店だ、と仁美が教えてくれた。店に入り、窓ぎわの席にテーブルを挟んで座った。珈琲を頼む。  (p.52)

 島根県松江市末次町本町にある、地元老舗の喫茶店「珈琲館」です。堀川沿いの敷地に建つ、存在感のあるツタの絡まる煉瓦造りの建物です。創業40年以上の歴史を持つ雰囲気のよい地元の珈琲専門店で、私は学生時代から利用しています。この喫茶店の2階が私の仕事場で、行き交う堀川遊覧船」カラコロ工房」などを眺めながら、原稿を書いていました。店内は落ち着いた色調で、1階、2階ともにテーブル席のフロアです。結構広い喫茶店で、窓から堀川の見えるテーブル席がオススメです。店内にはクラシックのBGMが流れています。入口には焙煎室もあり、珈琲豆の販売もされています。珈琲館ブレンド」は450円です。厚みのあるコーヒーカップで提供され、厳選された自家焙煎。味・コク・香りが揃った豊かな深煎りコーヒーです。これに系列店の「ウィーンの森」のケーキを一緒にいただきます。 私のお気に入りは「セビリア」「マルキーズ」。珈琲館の建物の背景に見えるのが、カラコロ工房」で、小説にもあるように、旧日本銀行の松江支店でした、堀川めぐり」の乗船場のすぐそばでもあり、城下町松江の穏やかな雰囲気を感じられる格好のスポットです。松江は街の大きさの割に、個人経営の喫茶店も多く、チェーン店の新規参入が難しい土地柄だと聞きましたが、近年はコメダ、スターバックス、ドトールが次々と入ってきましたね。

 朝も早くから(午前8時~)夜も結構遅くまで開いているので、暇があると出かけては2階に上がり、美味しいコーヒーを飲みながら、窓から景色を眺めつつ、教材や模試の見直しプリントの手直しなどをやるのが私の恒例です。❤❤❤

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新型特急「ハウステンボス」に乗った!

 リニューアルされた「特急ハウステンボス」にどうしても乗りたかったんです。⇒私の強い思いはコチラです  私は、JR九州で水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生がデザインした車両は、全部制覇したいと目論んでいます。今回もこの列車にどうしても乗りたいと思いました。⇒JRのプレスリリースはコチラ  でも1編成だけの車両で、1日5往復あるどの列車が、このリニューアル車両なのかがどうしても分からない。最新の「時刻表」を買って調べてみますが、手がかりは全くありませんでした。ネット情報もいろいろと当たりましたが全部ハズレ。鉄道オタクのブログものぞいてみましたが、古い情報ばかり。そこで、まずはハウステンボス駅に電話で問い合わせてみました。情報は公開していないし、毎日運行が変わるので分かりません、というつれない返事。博多駅松江駅も同様。そこでなじみの教え子が「日本旅行」に勤めているので泣きつきました(彼女にプランしてもらった旅行でハズレは今まで一度もありません)。いろいろと手を尽くしてくれたんですが、公表していない情報ということで、結局分かりませんでした。最悪、1日5便ある列車の発車時刻の度にホームに上がって(笑)、新型車両を待つしか手はないのかもしれません。でもこんなことで丸1日をつぶしたくはない。したいことは他にも山ほどある身です。でも乗りたいなあ~。

 そこで私は考えました。リニューアル当時、しばらくの間は運行予定が公表されていました。それによれば、博多発「ハウステンボス91号」9時9分がそれに該当していました。今回も3連休だから案外そのスケジュールが使われる可能性がある、と踏んで、その列車がハウステンボス駅で折り返すと仮定して、ハウステンボス11時46分発になるはずだ、と自分なりに予想を立てて、この切符を購入したんです。あとは運を天に任せるしかない、と思ったのでした。さて…?

 長崎に出発する前夜、電話で例の教え子から貴重な情報が入ってきました。「JR九州案内センターに今日電話してみたら、今日の運行は教えてくれました。それによれば10時46分発と13時47分発が新型車両でした。先生も当日ここに電話してみれば、調べて教えてもらえるかもしれませんよ」と。よし、一応切符は買ってある

▲長崎発「シーサイドライナー」  これも素敵なデザインの車両だった

けれど、それなら当日朝一番で電話して、教えてもらえれば、予定変更して新型に乗ろうと思ったのでした。しめ、しめ。長崎「さだまさし特別展覧会」を見て、浦上天主堂」「永井 隆博士記念館」へ歩いて向かう途中で、電話をしてとりあえず「明日の予定を教えてもらえないか?」と問い合わせてみました。電話に出た担当の女性はやはり「公表していない情報なので分からない。明日もう一度電話してもらって、公表できれば教えてあげる」との曖昧な返事でした。翌日ハウステンボスへ向けて長崎から「シーサイドライナー」で出発します。ラッキーなことにそしてビックリしたことに、この車両も通常の青い列車ではなく、ハウステンボス仕様の素敵な車両(ハウステンボスライナーでした。まあ、ダメだったらこれで満足して帰ろうと思っていたんです。1時間半ほど列車に揺られてハウステンボス駅に到着すると、ホームには旧型の真っ赤な「特急ハウステンボス」が止まっていました。たった今博多からやってきたばかりの列車です(この旧型には何度も乗っています)。最後尾から車掌さんが降りてこられたので、事情を話して明日の予定を教えてもらえないか、と尋ねました。すると、明日のことは分からないけれど、今、博多から来るときに途中で新型にすれ違いましたよ、とのこと。おっ、なななんと私の買っている切符の列車です!「もしかしたら…!」と、淡い期待を抱きながら、大浦湾を臨みつつ駅の階段を上がっていきました。改札口で切符を渡し(この駅はIC化されておらず手渡しです)駅員さんに事情を話して、「どうしても乗りたいんですが、明日は朝から来て新型を待つしかないんでしょうか?」と尋ねました。すると親切な駅員さんは、しばらく考えておられて、「ちょっと待っていてください。聞いてみてあげますから」と言われます。7~8分くらい改札口で待っていると、1枚の白いメモを持ってやってこられました。「分かりました。明日は11時46分発と16時46分発の2本です」ビンゴ!!。そのメモを手渡されよく見ると、私が事前に買っていた「ハウステンボス14号」がその新型車両でした。駅員さんに感謝です。やはり日頃の行いがいいと、こんな奇跡のような偶然が起こるんですね(笑)。そんな訳で、八幡はやっと念願の「特急ハウステンボス」の新型車両に乗ることができたのでした。

 今回のことを振り返ってみて、教訓がいくつかあります。まず第一に、強い夢は叶うんだ」ということ。なんとかしたいと強く強く願えば、実現するものだということを改めて感じました。第二に、過去のデータをしっかりと踏まえるということ。公表されていた当時の運行データから、今回の予想を立てて切符を買ったのですが、たまたまそれが当たった。やはり過去のデータは大事にしなければいけません(これは入試も同じです)。第三に、一見ダメと思われることでも、あきらめずに粘り強く努力を続けて挑戦していれば、思わぬところからいいことが降ってくるということ。これは私が若い頃、故・渡部昇一先生から教えていただいた人生訓です。渡部先生が、人生で一番大切なことを一つだけ挙げよ、と求められた時に、いつも口にされたのが、できない理由を探すな!」でした。どんなに困難なことでも、努力を絶やさない人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が降りてくると断言しておられました。私も今までそんな体験を何度もしています。今回もやはりそうでした。第四に、いろいろな人脈を持っていることが大切です。いつどこで助けてもらえるか分かりません。私は先生方だけでなく、進んでいろいろな職業の人たちと交わろうと努力してきました。思わぬところで力になってもらったことも多々ありましたよ。

 よく考えてみれば、これは生徒たちにもそのまま当てはまることじゃないか!!ということで、今回の「特急ハウステンボス」乗車顛末を教訓として、今日の授業で生徒たちに話しました。もちろん新型車両は予想通り、素晴らしい列車でした。細かなところまで、パチリパチリ写真を撮りながら(買ったばかりの新しいカメラをハウステンボスで落としてしまい壊れてしまいました。2台持って行っていたのですが、充電器を忘れたので、いつもう1台の電池が切れるかハラハラドキドキ時間との闘いでした。ちょうど博多駅コンコースでなくなりました!)、注意深く観察を行いました。例えば、私の乗ったグリーン車と他の指定席がどう違っているのか、グルグルと見て回りました。列車の詳しいレポートは後日日を改めて。明日はいろいろと苦労してくれた教え子にお礼に行ってきます。感謝、感謝!!❤❤❤

▲憧れだった新型「特急ハウステンボス」

◎強い夢は叶うんだ!!マジで

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模試見直しプリント

 松江北高では、先週末に第3回全統マーク模試」を実施しました。私は金曜日に補習科で模試問題をもらって帰り、その夜のうちに「見直しプリント」のたたき台をパソコン入力・プリントアウトして、それを持って長崎へと出発しました。新幹線の中で、特急列車の中で、長崎の旅館で山の上から素敵な夜景(日本三大夜景)を見ながら、そしてハウステンボスの「変なホテル」でロボットに囲まれながら、推敲、手直し、校正を何度も繰り返していました。もう真っ赤っかです。夜中に松江に帰り、疲れを吹き飛ばすかのようにパソコンに向かい、入力を完成して(完了したのが朝の2時頃でした)、本日B4判4枚の「見直しプリント」を生徒たちに配布しました。以前の「全統マーク模試」は、楽勝で点の出やすい簡単な模擬試験であるところから、生徒への激励・動機付けに使えるものだったのですが、去年あたりからぐんと難しくなっている印象です。生徒たちに「やりっ放し」にするな!と強調しているからには、私もやりっ放しにはできません。

 いつも口を酸っぱくして言っていることですが、成績の伸びない(力のつかない)生徒共通の特徴「やりっ放し」です。⇒私の考えはコチラ  自分がなぜここを間違えたのか?ということを振り返りもせずに、そのまま放置してしまいます。当然また同じ箇所を間違えます。これに対して、成績を伸ばす生徒たちは、徹底的に繰り返し、自分の答案を見直しています(私はここら辺を、「賢者は歴史に学ぶ」というビスマルクの言葉を引用して、生徒たちに強調しています)。以前、私が担当していた女生徒Kさんは、模試も常に満点でしたが、テスト直しはそれこそ真っ赤にしてノートを作っていました。本番でも当然のことながら、筆記200点満点/リスニング50点満点でした。直す箇所など全くない生徒が、これだけ徹底して反復しているのですから、力がつくはずです。東大の二次試験の得点も信じられないような高得点を取り合格しました。時を置かずして見直しをしてもらいたい(鉄は熱いうちに打て)という気持ちで、私は長年、模試の翌日には「見直しプリント」を配布して、生徒に復習(復讐?)を迫っていました。そこには解法の手順、難易度、注意事項、勉強の仕方、などが事細かく書き込まれています。全国の先生方から見せて欲しいという要望が強いので、講演会などではできるだけ見本を示すようにしてきました。実は、私自身も、こうやってしっかりと問題と向き合うことで、どこで生徒たちが間違えるのか、難易度判定、平均点予想など、ずいぶんと益するところがあったように思います。

 「準備→本番→見直し」のサイクルを愚直に繰り返すことだけで、力がついていきます。前回の「ベネッセ・駿台マーク模試」では、私の担当している浪人生(補習科)クラスは平均190点でしたから、このことは間違いないと思います。今回はグッと難しくなっていますから、得点が抑えられてあまり差がつかないかなと感じながら、旅先で問題とニラメッコしていました。今日もプリントを配りながら、やりっ放しにせずに、もう一度問題と向き合うように強調しました。過去に生徒に配布した「見直しプリント」「ダウンロードサイト」に登録しておきました。ご参考になさってください。今回の全統模試の「見直しプリント」は、まだ実施していない学校もあるので後日ということで。❤❤❤

・「2017年3年生7月進研模試」見直しプリント

・「2017年3年生7月駿台マーク模試」見直しプリント

・「2017年3年生8月全統マーク模試」見直しプリント

・「2017年3年生9月ベネッセ・駿台マーク模試」見直しプリント  島根県立松江北高等学校

▲センター対策の決定版!ぜひ使ってみてください!

 

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菅野投手の体調管理

 私は、子どもの頃からの熱狂的な読売巨人軍ファンです。今年ジャイアンツは全くふるいませんでした(CSにも出られないのは球団初です)。優勝した広島には7勝18敗(球団ワースト)と「格」の違いを見せつけられました。25試合の対戦で広島は115得点に対して、巨人は72得点です。1点当たりに要した安打数は広島が1.82本、巨人は2.57本。脚力と意識の高さが全然違います。同一カードに18敗も喫したのは、1975年の中日戦(7勝18敗1分け)、1997年のヤクルト戦(8勝19敗)に次いで3度目です。6月には忌まわしい球団最悪13連敗(!)というのもありましたね。1点差試合は11勝26敗の2割9分7倫でセリーグの最低勝率となっていますが(昨年は23勝18敗)、過去に1点差での勝率が最も低かったのは、1975年の3割6厘(11勝25敗)ですから、これまた球団ワースト記録を更新しそうですね。あれだけ何十億円というお金をはたいて大規模FAで選手を取ってきても、こんな有様では目も当てられません。負けに不思議の負けなし(⇒私の解説はコチラです)ということで、私はそこにはちゃんと原因があるのだと思っています。巨人と覇権を常に争い、あれだけ強かった中日ドラゴンズの凋落がいい例です。人間教育」のできる厳しい指導者が待たれます。最近、尊敬する野村克也さんは、『巨人軍 非常事態宣言』(宝島社新書)という本を出してコキ下ろしておられます(写真)。かつての巨人軍の名ショートでならし、ヤクルト・西武で日本一監督となった広岡達朗さんの巨人への遺言 プロ野球 生き残りの道』(幻冬舎、2016年)『中村天風 悲運に心悩ますな』(幻冬舎、2017年)、『広岡イズム』(ワニブックス、2017年)も厳しい巨人軍批判書です。

 そんな低迷するジャイアンツにあって、ただ一人、気を吐いたのがピッチャーの菅野智之(すがのともゆき)でした。何せ150キロを越える剛速球に、コントロールが抜群です。ピンチになったらギアを1段上げる余力もちゃんと蓄えています。登板する試合は取られても1点か2点(最優秀防御率1.59でタイトル2年連続、3回目)で、彼の登板する試合は安心して見ていることが出来ます。先日もタイガースをシャットアウト(完封)で押さえて16勝目をあげました。今季完封4試合というのは、あの大エース斉藤雅樹(さいとうまさき)さん以来、21年ぶりのことだそうですよ。通算125試合目で60勝に到達しています。2リーグ制になって巨人の最速60勝投手は、2003年の上原浩治(うえはらこうじ)の104試合目、江川 卓(えがわすぐる)の115試合に次いで、3番目のスピードです。

 先日の「スポーツ報知」に、菅野投手の圧巻の投球は、体調管理のたまものだ、という面白い記事が出ていて注目しました。彼は独学で睡眠学を研究して、眠りの質を良くするために、自宅で交代浴を実践・徹底しているといいます。温かいお湯の浴槽の横に、ミニプールを膨らませて、2キロの氷を5,6袋入れて冷やします。温冷を5~10分おきに繰り返し、体温が下がってから寝るといいので、水風呂で終わります。寝る姿勢も横向きが疲労回復に良いことを学び、投げる右肩に負担がかからないように左側を下にして寝ています。首を寝違えたりしないように、絶対にうつ伏せでは寝ません。こういう細かい所にまで気を配って生活しているのは、まさに大黒柱の自覚が成せる業でしょう。彼はこう言っています。さすがですね。ますます好きになりました。

 シーズン中、グランドでは大体みんな同じような練習になる。差がつくとしたら家に帰ってからの生活だと思うんです。それでも技術がともなわないことがあるのが野球の難しいところなんですけどね。後悔はしたくないですから。

 その後も、彼はスワローズ戦で6回を無得点に抑え17勝目(最多勝)をあげました。6完投、4完封もセリーグ1位です。防御率も1.59とハイレベル。さすがです。最近のメジャー・リーグで、投手の能力を見る指標として採用されているWHIP」は、1イニングあたり、四球と安打で平均して何人の走者を出すかを表す数値で、被安打+与四球)÷ 投球回= で算出します。先発投手であれば、1を切れば超一流、1.20未満でエース級、1.40を超えると高すぎるとされています。今季の菅野投手は0.85。今季のアメリカ・メジャーリーグのトップ投手が0.86ですから、いかに驚異的な結果を残しているかが分かりますね。日本人で0点台の投手は、菅野と巨人マイコラス、西武の菊池の3人だけです。❤❤❤

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今井書店殿町店閉店!

 先々週の土曜日の『山陰中央新報』に、ショッキングな記事が載りました。私が昔から慣れ親しんだ今井書店・殿町店が、10月末で閉店するというのです。今年度になってから、今まで午後7時まで開店していたのが午後6時に早まり、日曜日も閉店と、結構不便を感じていました。それが10月末でいったん閉店して、地元作家の作品や自費出版物、郷土関連本などを展示販売する、観光案内機能なども持った新形態の店舗として12月に再オープンするとのことです。今井書店のホームページには、「さて、長い間皆様方にご愛顧頂きました、「今井書店殿町店」は、平成29年10月31日をもって現在の形態の書店を終えることに致しました。「書店」という枠組みを超えて進化するための拠点として12月に生まれ変わる予定です。これまで以上に地域の皆様方のご期待にお応え出来るよう、努力して参る所存でございます。」というメッセージが出ていました。出版不況の時代で本が売れなくなり、近くにあった園山書店千鳥書房も店を閉じてしまい、今井書店・殿町店(かつてはここが本店だった)だけが残って営業していました。時代の流れですかね。7月には新規事業の開発に取り組むため「出版流通研究センター(松江市北陵町)への引っ越しがなされたところでした。今はそこから、私も毎日本の配達をしてもらっています。

 この本屋さんは今でも私の懐かしい想い出です。私の学生時代は、松江市内でこのお店が最も大きな本屋さんということで、学校帰りに市営バスの合銀本店前で降りて、よく立ち寄ったものです。当時は「アマゾン」もありませんから、洋書などはここに注文するしかないのでした。2週間か3週間か経って、「手に入りませんでした」という回答を何度ももらっては、がっくりしたのを思い出します。日本の英語の専門書もほとんどここには置いてないので、注文をしてもらってから、2週間ぐらいかかってようやく手に入る時代だったんです。東京に住んでいる人たちが羨ましかったものです。それでもこの今井書店の2階には、ペーパーバックのコーナーがあって、ラックに名作や最新のベストセラー作品も意外なものが置いてあったんです。エド・マクべイン(Ed McBain)なども時々入ってきていました。1階が通常の本、2階が専門書という棲み分けで結構にぎわっていたものです。3階でセールやイベントをやっておられたこともありましたね。現在は1階の営業のみで、松江北高で使う教科書・参考書などを置いてもらっていて、北高生が通ったりしていました。今は郊外の田和山に今井書店のグループセンター店ができ、島根大学近くに学園通り店ができ、大半の人は(特に若者)そちらに行くようになっていました。

 当時は、洋書などは松江にいてはほとんど手には入らない時代ですから、教員になって、夏・冬のボーナスをもらっては、それを持って岡山丸善紀伊國屋書店に出かけて、まとめ買いをして帰ったものです。洋書は高いので、苦労して勉強していたんです。辞典の仕事をするようになってからは、研究社に頼むとどんな洋書でもすぐに手に入れて送ってもらえるようになり、ずいぶんと助かりました。

 そんな思い出のあるお店が閉じられるというのは、なんとも残念な思いでいっぱいです。青春時代の思い出がまた一つ姿を消す感じですかね。12月に再オープンするという、所在地の番地から取った「TONOMACHI63」(トノマチ)という名の新店舗に期待したいと思います。❤❤❤

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由布院驛の足湯

 JR九大本線にある大分県の「由布院驛」は私の大好きな駅です。⇒私の詳細なレポートはコチラ  全国でも珍しく駅構内に足湯があるんです!足湯に入る場合は、駅の窓口で「足湯券」を購入します。料金は(大人¥160 小人¥80)です。湯布院温泉の最寄り駅らしく、1番ホームに「足湯」が設置されています。列車を眺めながら足湯につかることができます。

 駅の窓口を見ると「足湯券」の文字が。足湯券自体が絵はがきになっており、「湯布院」ロゴ入りオリジナル温泉タオルもついてきます。しかもこのタオルがかわいいんです。おんせん県のマークつき。お土産になりますね。

よ~く見ると湯気のところが OITA になっていますね。芸が細かい。なので、足湯に浸かったあとの濡れた足をどうしようかな?な~んて事を、まったく心配せずに入る事ができますよ。チケットも朝霧に壮大に浮かぶ「由布岳」の写真が素晴らしくて、有料でも良心的な価格で至れり尽くせりです。

 「足湯」は1番ホームの右手奥にあります。足湯なのですが、なぜか?女性専用の着替えスペースまでありました。その手前には上り湯スペースも。上がった後、ここで足を濯ぐ事もできるようです。この先に足湯スペースがホーム沿いに設置されています。足湯内部には椅子とテーブルが設けられていて、足湯をしながらのんびりと休憩できるようになっています。温度は熱過ぎず、ぬる過ぎず、長く浸かって足元から体を温めるには丁度良い感じですね。ココでのお楽しみは、なんと言っても、足湯をしながら列車が見れることでしょう。ラッキーなら、ゆふいんの森号」やあの「ななつ星」にも出会えるかもしれません。わずか¥160で味わう贅沢なひと時!おすすめです。♥♥♥

 

 

 

 

 

 

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「浅月本店」

◎週末はグルメ情報です!!

 岡山駅からテクテク歩くこと5分。岡山ラーメンの老舗「浅月本店」があります。岡山ラーメンでは、ここと「冨士屋」くらいはおさえておくようにとのアドバイスにしたがってやって来ました。お店に入ると右手に厨房、それに沿うように左手にはテーブル席が縦に並んでいます。そしてその奥にはお座敷。けっこう座席数はありそうですね。10時半からやっています。

 浅月本店のメニューはこちら。スタンダードな中華そばに各種トッピング。名物は「カツそば」で、トンカツがラーメンにトッピングされています。今回は名物のカツそば(880円)を注文。歴史を書いたポスターが貼ってありました。店内には有名人のサインなどもたくさん掲げてあります。

浅月本店 メインメニュー

 卓上にはコショウや唐辛子などの調味料も用意されてます。注文した「カツそば。トンカツもけっこうなボリュームがありそうですね。

  スープはあっさりした口当たりの醤油ベース。醤油の風味がきいていて、ほのかに甘みがあります。酸味も少しあって、全体的にすっきりとした印象を受けました。これが昔ながらの醤油ラーメンなのでしょう。優しい味わいのスープです。広島の「陽気」「つばめ」「すずめ(今は「めじろ」か)などと似た味です。麺は細めのストレート。茹で上がりは柔らかめでした。醤油では中太程度でちぢれ麺というイメージが強かったので、私にとっては新鮮でした。浅月本店という老舗でこのスープと麺の組み合わせ。ラーメンは奥が深いですね。チャーシューは醤油ベースの味付け。少し歯ごたえが残してあります。チャーシューもけっこうボリュームがあって食べごたえがありました。浅月本店の名物、トンカツはデカいです。スープに浸かっているのでサクサク感はないですが、塩コショウのきいた味付けは健在。スープがあっさりなのでくどさはないのですが、いくらなんでもこの厚さは、チョット私には分厚すぎて手に余りました。ココイチ」のとんかつくらいの薄さの方が食べやすい気がしました。

 

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安藤貞雄先生の思い出

 恩師の広島大名誉教授安藤貞雄(あんどうさだお)先生(享年89歳)が、2017年3月31日、肺炎でお亡くなりになり、私はその追悼記事をこのブログに書きました。⇒コチラです  するとこの記事をお読みになった安藤先生の息子さんからお電話をいただきました!安藤先生の在りし日の思い出などを、電話でずっと語り合っていました。若い頃の先生の意外な一面をたくさん知ることができました。一番ビックリしたのは、息子さんがなんと松江北高の卒業生だったということです。不思議なご縁ですね。

 『英語教育』の7月号に澤田治美先生(関西外国語大学教授)の追悼記事が載りました。澤田先生は私の故郷・安来市能義郡広瀬町の出身で、大先輩にあたります。学部生時代、よく安藤先生から、澤田先生のお話を伺っていました。追悼記事の中でも出てくる言葉が、安藤先生の教師観を評して、“a severe teacher and a kind friend”ということでした。当時の厳しかった授業を、懐かしく思い出しますね。教師になってからも、先生にはずいぶん面倒を見ていただきました。本当に感謝しています。私が東京の研究社に行く前には、安藤先生が「今度、私の教え子の八幡くんが来ますからよろしく」と事前に道筋をつけてくださっていました(編集長から聞いてビックリしました。そんなことを一言も安藤先生はおっしゃいませんでしたから)。四国でご講演をなさった時に、私のことを例に挙げられ褒めていただいたことを、四国の知り合いの先生からお知らせいただきとても嬉しく励みになったのを覚えています(この講演録は私の宝物です)。東京で、『ライトハウス英和辞典』の主幹の故・竹林 滋先生とお話するときも、安藤先生を「あの人はすごいです」と評しておられたのを思い出します。私が発表した論考をお送りする度に、あの独特の文字でびっしりと書き込まれたコメントの数々をいただいたのが懐かしいですね。生徒は教師の力以上には伸びないものだ。だから教師は生徒にとって「高い壁」でないといけない、が先生の哲学でした。先生は私にとって理想の教師像でした。

 もう一度、安藤先生の考える「理想の英語教師像」を再録しておきます。一つ一つを噛みしめたい重い言葉の数々です。これからの若い先生方に贈りたいですね。

a.  教え方が上手であること―これは大切である。日本語も英語も、いい発音で明快に教えないと生徒に十分理解させることができないからである。

b.  生徒にえこひいきしないこと。

c.  叱るべき時には叱る(怒るのではない)が、意地の悪い叱り方をしないこと。

d.  生徒に親切で思いやりがあること。

e.  生徒の質問にごまかさずに誠実に答えること。自信をもって答えられない場合は、十分に調べた上、のちほど報告すること。(生徒に誠実でありたいと思うならば、このような措置は当然であろう。)

f.  時には生徒と平等の立場(footing)に立つこと―教師は生徒を教え指導する立場では、権威をもって、生徒より一段高い位置に立って差し支えないが(そのためには時には礼儀も敬語の使い方も教えなければならないことがあろう)、生徒が何かcriticalな状況にある時は、教師は「教師」であることをやめて、生徒と同じ(恐らくは「人間同士」という)footingに立って、“まごころ”をもって生徒の悩みと付き合う用意がなければならない。

g.  last but not leastには、教師は肝の奥底に何かゆるぎない信念を持っていなければならない―その信念が恐らくその人の人格を統一しているのであろうが、それが何であるかは、人によって異なっていてもいいのではないか。ただ、それは狂信的でない、理性と普遍性に裏打ちされたものであることが望ましい。(私の場合は、それは「生命の尊厳」という言葉で言い表せるように思われる。〔そこから、平和への決意も、ヒューマニズムも生じてくる。〕

   以上のような資質を兼ね備えた教師が私の「理想の教師像」です。それは、私にとっては、恐らく生涯かけても到達し得ない、にも拘らず、志向することをやめてはならないイデーなのです。(安藤貞雄)

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サルビアフェスティバル

 西日本最大級の花のテーマパークである「とっとり花回廊(鳥取県南部町鶴田)では、9月中旬から「サルビアフェスティバル」が開催されています。今日木曜日は、私は授業のない日なので、お出かけしてきました。この「とっとり花回廊」「足立美術館」、それに大根島の「由志園」(ゆうしえん)が私の「三大癒やしスポット」です。暇があればお出かけしています。JR米子駅からは無料のシャトルバス(25分)が1時間間隔で出ていて(繁忙期には30分ごとに)、非常にアクセスがいいんです。

 サルビアは秋の花回廊を代表する花で、同フェスティバルは花回廊の恒例行事です。正面に大山(だいせん)を臨む「花の丘」と呼ばれる約1ヘクタールの花畑を、約10万株の真っ赤なサルビアが飾っていて、まさに童話の世界にでも飛び込んだようなファンタジックな楽園を演出してくれています。赤という色合いは人を情熱的に、そして気分を高めてくれますね。今日は残念ながら大山には濃い雲がかかっていて、あの美しい姿を眺めることはできませんでしたが、目の前に飛び込む真っ赤な花園に心を奪われていました。園内各所には約40品種のサルビアの仲間が植えられ、薄紫や黄色などさまざまな色や形の花が鑑賞できます。まるで花のじゅうたんのようになった満開のサルビアの畑と、青空のコントラストに見入ったりして、秋本番を満喫してきました。同フェスティバルは11月5日まで開かれています。どうです、きれいでしょ?❤❤❤

(追記)花回廊を歩いていて、ヘビの赤ちゃんを足で踏んづけそうになりました。危ない、危ない。ヘビは嫌いです。高校生の頃、お風呂に入ろうと思って浴室で洗面器を取り上げたところ、そこに大きなヘビがトグロを巻いていました(一体どこから入ったんだろう?)。飛び上がって大声を上げて驚きました。母がすっ飛んできて、あろうことかヘビに向かって「キンチョール」を吹き付けました。しばらく格闘した後、ヘビはもだえながら排水溝の中へと帰って行きました。母は強し!(笑)

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さだまさしと「防人の詩」

 65歳になった、さだまさしさん。誰もが知る名曲を残し、これまで開催したコンサートは4200本以上。いまでこそ大人気を博していますが、彼ほど世間から叩かれた歌い手も珍しいと思います(借金は別として)。私は若い頃から、ずっとさださんを応援し続けていますから、その一部始終を目撃してきました。精霊流し」「暗い」無縁坂」「マザコン雨やどり」「軟弱関白宣言」「女性蔑視」と批判され叩かれました。防人の詩」では「右翼」と言われました。しあわせについて」「左翼」と真反対の批判を受けたこともあります。その他にも、いい子ぶっている」とか、夏・長崎」を始めた時には「選挙に出るのか!」と、さんざん叩かれました。よくもまあこれだけ言われたものです。当時を振り返って、今年2017年の雑誌『Oriijin(オリイジン)』春号で、さださん本人が回想しています。

 絶望?いや、そりゃもういっぱいありますよ。例えば、20代のときに『さだは暗い』と言われた時期とか。右翼の街宣車が、僕の『防人の詩』を流して走り、原爆の日近くに、広島の野外コンサートに出たら、日和見って言われた。僕は真ん中に立っているだけなのに、『お前はどっちなんだ?いいかげんにしろ』って(笑)。

 世間の評価というものを理解するのに、僕は結構な時間がかかった。自分が有名になるっていう恐ろしさも経験して、3~4年かかったんじゃないかな。個人を平気で叩いて、叩いた人は叩いたことを忘れるっていうメカニズムがなかなか理解できなかった。その間、人を恨みもし、呪いもし、怒りもし、悲しみもし…最後は笑えるようになったけど。多かれ少なかれ、みんなが経験することだね。人を疑い、怒りを覚え、自分自身で悲しむ―でも、それを抜けると笑える。そこまで行けるかどうかじゃないかと、僕は思う。

 上に出てくる「防人の詩」は、『二百三高地』という東映の戦争映画で、しかも勝った戦争の主題歌を歌ったことで「右翼的」だというレッテルを貼られました。歌もちゃんと聞かずに、「防人」というタイトルだけに反応して、「戦争賛美」「好戦的な右翼思想だ」と短絡的に批判されたのでした。この歌のどこが「戦争を賛美」なんでしょうかね「本当に、ちゃんと聴いてくれたの?こんな反戦歌、他にないでしょう」と思ったさださんです。さださん自身は「いまの緊迫した世界情勢の中で、日本という国を愛するたった一人の“人間”として『自分の中の万葉集』『自分の中の防人の歌』というつもりでつくりました」と述べ、「いさなとり 海や死にする 山や死にする 死ぬれこそ 海は潮干て 山は枯れすれ」(万葉集)という歌に触発されて作ったと言います。いわれのない批判だと思いつつも、これが伝わらないところでやっていてもしょうがない」と、あまりのひどさに同郷の文芸評論家・山本健吉先生に弱音を吐きます。僕なんか、たかが歌だと思っているんですが、人格まで非難されるんですね」山本先生は、いや、詩歌というのは、そういうものなんだよ。自分の人生観を賭けて歌を歌ってるわけだから、そういうことを言う人がいるのは当然のこと。ただ君は、もういなくなった人を歌うのが非常に上手だ。「精霊流し」も「無縁坂」にしても、あたかも亡き人を謳っているかのような、そんな印象を受ける。「みるくは風になった」も「防人の詩」にしてもそうだが、いなくなった人の歌を歌うのは、挽歌といって日本の詩歌の伝統であって神髄である。君は知ってか知らずか、心のどこかで日本の詩歌の本道をちゃんととらえている。それでいい。君はまちがっていないんだから、何を言われてもやりつづけなさい。ひるむ必要はない。詩歌に生きた人は、そんなことでひるんだ人は一人もいない」と勇気づけてくださったのです。それを聞いてさださんは、肚をくくります(『やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい』)。

 この映画『二百三高地』の音楽監督は、故・山本直純先生でした。「戦争の勝った負けた以外の小さな人間の営みを、ちゃんと浮き彫りにしていきたい。そういう映画なんだ」と言われ、引き受けた曲です。185分という大作で、途中休憩となる前の、死屍累々たる戦地の惨状の中を、あおい輝彦さんが血みどろになり地獄絵図の中を歩く、戦争の無惨さ、生命の尊さを問うシーン、そこに流れてくるのがこの歌でした。

 教えてください
この世に生きとし生けるものの
すべての命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

で始まる「防人の詩」は、書き出しの「諦観」から、次の詩で、生命や人生の「無常観」へと風穴を開ける希望の歌となっていきます。月の満ち欠けを悲観的に捉えるのではなく、前向きに捉える、命に対するさださんの切なる思いが結実しています。私の大好きな曲です。この美しいメロディーは、締め切りの切羽詰まった中で、駆け込み寺的に誕生したことが新著に綴られていました。

去る人があれば 来る人もあって
欠けてゆく月も やがて満ちて来る
なりわいの中で

(追記)10月6日(金)から11月5日(日)まで、長崎県美術館で「特別展 さだまさしの世界」が始まります。吟遊詩人、小説家、話芸の達人、平和活動家、ボランティア支援組織発起人といった多彩な顔を持つ、さださんの世界の総合展示会です。近くにある「ピースミュージアム」とともに訪れてこようと計画中です。カフェで提供される「パンプキンパイとシナモン・ティー」も目標の一つです(ファンの人ならこれが何を意味するか分かりますね?岡村孝子さんはこの曲に感化されて「あみん」を結成しました)。妹の玲子さんがオーナーの「自由飛行館」も久しぶりに訪問してきます。

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2点違うと…?

 今日は耳の痛い話です。センター試験の「発音・アクセント問題」「文法・語法問題」は、1問わずか2点です。この2点が馬鹿になりません。それが後半の長文問題になると5~6点にもなります。模擬試験受験後には自己採点をやっていますが、大半の生徒が自己採点ミスを犯しています。数十点も違う生徒も珍しくありません。センター本番でも、間違いなく自己採点と実際の点がずれています(この追跡をやっている学校がどのくらいあるんでしょうね?)。自己採点をきちんとしなさい!」と、担任教師が口でいくら言っても、効果はありません。松江北高でも自己採点を完璧に行っているのは、クラスに数人いるかいないかです。現役で夢が叶わず、一浪して十分事の重みを分かっているはずの補習科クラスでも、誤差0点パーフェクトは半分もいません。それがどういう意味を持っているのか?!本人の自覚がない限り、いくら注意してもぬかに釘です。英語の諺で、このことを、You can lead a horse to water, but you cannot make him drink.(馬を水際まで連れてはいけるが、水を飲ませることはできない)と言います。私の長年の観察では、自己採点がいい加減な人は、成績下位に多いようです。

 今年2017年度のセンター本試験(筆記)の平均点は、123.73点でした。受験人数は540,029人、標準偏差は44.95でした(大学入試センター発表による)。松江北高の同僚の数学科・正村 修(しょうむらおさむ)先生が、平均点付近(ここが最もたくさんの受験生がひしめく)で2点違うと(123点と125点)どのくらいの人数がそこにいるのか(順位が違ってくるのか)、正規分布表を使って計算で算出してくださいました。それによれば、9,504人です。長文問題1問6点違うと(123点と129点)、28,621人です。どうです。馬鹿にならないことが一目瞭然でしょう?たった1問でこれだけ順位が異なってくるのです。模試の判定でも、自己採点がデタラメ状態では、デタラメな結果しか返って来ません。ましてやこれが本番となると…?

 私が松江北高に赴任した頃は、担当者が模試の度に追跡をかけて、クラス別に実態を把握・集約して、学年会でも話題として、一丸となって生徒に注意を喚起していたものです。このことを重く見たベネッセは「進研マーク模試」で、生徒の自己採点との誤差まで調べて実態を通知してくれるサービスを続行しています。問題は現場のリーダーがどれだけ分かっているかです。2点の重みが分かると、徐々にきちんと自己採点も出来るようになってきます。自己採点を見直すこともなく放置。ここでも、私がいつも言っている「やりっ放し」が横行しています。やりっ放しからは良い結果は生まれません。英語の①~④(○×)の自己採点くらい、きちんとできて当たり前だと、私は生徒に迫っています。♠♠♠

◎自己採点のミスが命取りに!

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センター第1問の「勉強の仕方」

 先日の補習科の授業で、Make Progress in English Reading(数研出版)の2課を片付けてから(これは洛南高校で使われている日本で一番難しい長文問題集でめっちゃ力がつきます。八幡のオススメ教材の一つです)、センター試験の発音・アクセント問題に出た「過去の出題単語」を一覧で押さえました。残り時間が少なかったので、今までに複数回出題されているものだけを全員で音読して、残りの単語は、休み時間に自分で声に出して読めるかどうか確認しておくように指示しました。大きな声に出して覚えることが重要です。またこれは、リスニング対策にもなっています。読めないものは聞こえない」というのが私の持論ですから。放課後に「第1回ベネッセ・駿台マーク模試」が予定されているので、「第1問は必ずこの中から出題されるので、要注意だよ!」という話をしました。

 放課後実施された問題にあたってみると、次のようにセンター試験に過去に出題された語から取り上げられていました。やっぱりネ!!複数回出題されている単語をよく観察すると、なぜこの単語が繰り返し出題されたかが一目瞭然ですね。

A 発音問題に出た単語
cough  1992本 2009追 2011本
doubt  1993本 2009本 2013追
pound  2008追<カタカナ語>
receipt 2010追<カタカナ語>
seize  1994追
weight 1997追<カタカナ語>
leisure 2010本<カタカナ語>
measure 2010本
vision 1994追 2010本<カタカナ語>

B アクセント問題に出た単語
balance  1991本 2010追<カタカナ語>
pursue  2011追
volume  1993本 2012追<カタカナ語>
calendar 2009本<カタカナ語>
interpret 1993本 2013追
efficient 2007本
instrument 2007本
practical 1999追
experience 1998本 2007追
significant 2011本

 模擬試験だけでなく本番でもこのような現象が見られます。私は「お色直し」と呼んで、生徒に注意喚起をはかっています。⇒詳しくはコチラをご覧ください  つまり「狙われる単語は決まっている!」ということです。ならば事前にそのような頻出語を、徹底的に音読練習しておけばいいのです。ただ、残念ながらそこまで準備している生徒は全国的にもあまりいないので、成績上位者でも結構落としているのが、この「第1問」発音・アクセント問題の実態なんです。私は若い頃からそのことに着目して、センター試験直前の授業では、その「頻出語リスト」をクラス全員で大きな声で読み合わせて、生徒を送り出していました。今はこのリストを自費でCD化して(チェルシー先生、お願いします!」(2枚組))、生徒はこれをスマホやiPodに入れて、繰り返し音読をしています。たったこれだけのことで、昨年の3年生たちの「第1問」の平均点は、全国の浪人生を上回る高得点を記録しました。今回の「ベネッセ・駿台マーク」において、私の対策本「頻出語リスト」の的中率は、A 発音問題で92%B アクセント問題で81%という高さでした。これで第1問の勉強の仕方」が分かったでしょ?「過去問をやる必要なし!」などと平気で言う予備校講師の気が知れません。

 ということで、最近もセンター対策に使いたいからと、私の『2017年英語センター対策本』(自費出版、800円)を、クラス単位でご希望になる先生方が多く、発送に追われております。問い合わせも多いのですが、増刷してまだまだ在庫は持っておりますので、生徒のセンター対策に行き詰まっておられる先生方は、ぜひ使ってみてください。自学用に、補習に、授業で、効率的なセンターの勉強ができる教材となっています。先日の博多の研究会でも、たくさんの先生方にご購入いただきました。全学年で使っていただいている学校から、こんなお知らせをいただいております。ありがとうございます。ご注文は右欄の「メール」よりお願いします。

 夏期講習よりセンター試験対策を始めたところで、非常に役立っております。頻出アクセントリストは全て確認及び発声が終わり、アクセント問題での正答率が上がりました。また、生徒たちは自学自習をする際に、参考書代わりに対策本を開いている姿をよく目にします。大問ごとに重要表現や解き方が丁寧かつ分かりやすくまとまっているので、こちら側も指導がしやすく、大変助かっております。

◎「2017年英語センター対策本」追加申し込み受付中!!

 

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abundantly

 英語の副詞に関しては、このブログでもいろいろな発言をしてきました。今日もそんな一例を考えてみたいと思います。 abundantlyという「量」が多いことを表す副詞を、非常に、豊富に」と訳語を示すだけとか、訳語も示さずに、追い込みにして、~lyと済ましているだけの英和辞典が結構見られます。最近、滝沢直宏『ことばの実際2 コーパスと英文法』(研究社、2017年9月)において、BNCやCOCAといったコーパスを用いて、この副詞の実態を明らかにしておられ参考になります。コーパスで検索をかけてみると、この副詞は圧倒的にclear(明白な)という形容詞と共起することが多いのです。そのことは英米で発行された学習辞典の用例にもハッキリと見て取ることができます(これらはみなコーパス利用の産物です)。MEDabundantly clearを成句(=very obvious)として扱っていることもそれを物語っています。

She made her wishes abundantly clear. [OALD]
She’d made her feelings toward him abundantly clear. [LDOCE]
He’d made it abundantly clear that anybody who disagrees with his policies will not last long. [CAAED]
You’ve made your feelings abundantly clear.(=very clear) [CALD]
He has made it abundantly clear that he expects results. [MED]
Kaplan made it abundantly clear that we weren’t welcome. [LDAE]

 現代英語では、abundantlyは、最も一般的にclearを修飾し、程度は落ちるものの同義の形容詞(evident, obviousなど)を修飾する、というのが実態です。さらに、その左側に注目してみると、英々辞典の用例がすべてmakeと一緒に使われているのも、コーパス検索の成果の一つです。

 滝沢(2017)によれば、形容詞abundantには、名詞のevidence(証拠)との強い共起関係が見られると言います。このことは、形容詞abundant副詞abundantlyの共起傾向に関しても、両者に必然的な意味的関連性があると考えてもよいでしょう。次のような関係です。

        十分な量の証拠がある」→「明々白々である」

 私たちの『ライトハウス英和辞典』(第6版)にある下のような用例は、このようなことを背景に作られたものです。学習辞典の副詞の扱いに関しては、まだまだ不十分な点が多く見られます。⇒例えばコチラ

She has made her intentions abundantly clear. 彼女は意図を十分明らかにした。

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「こがねむし」

◎週末はグルメ情報です!!

 ハヤシライスの発祥起源については諸説あるようですが、門司港で「早いライス」=「ハヤシライス」と呼ばれていたというのがその一つです。明治の日清戦争後に開けた大陸航路の港、門司港の栄町商店街にある大衆レストランが、船に乗る急ぎの客用にケチャップベースの「早いライス」、すなわちハヤシライスとして呼ばれたからという説です。国際的な港町だからこそ、ハイカラな洋食文化が根付き、今も地元で愛されている料理です。そんな門司港で、最も有名なハヤシライスを食べさせてくれるお店が「こがねむし(東本町)です。門司港を訪れたら、絶対に行ってみたいお店でした。

 門司港の老舗喫茶店「こがねむし」喫茶店を開業するために、外洋船のコックとなり、10年間の修業の後に、この「こがねむし」をオープンさせたのがご主人です。門司港の老舗喫茶店です。正確に言えば、喫茶店ではなくてレストランです。門司港名物の焼きカレー、カレー、ハヤシライスがメインのレストランなんです。いつも沢山の人が集まり、ついつい長居してしまうという、なんとも不思議なお店だそうです。その不思議な魅力の答えは、もちろん美味しいメニュー。そして何と言っても、最大の魅力は、お店の看板女将の藤本千恵美(ふじもとちえみ)さん。千恵美さんのもとに沢山の人が集まってきます。ご主人が厨房でひたすら調理、千恵美さんが表で切り盛り。それが「こがねむし」のスタイルだそうです。ダンディなご主人はなかなか表に顔を出さず、30年通って、一度も見たことがない方もいるとか。とってもシャイで素敵なご主人。常連客は千恵美さんとの会話を楽しむため、カウンターから埋まっていきます。とっても気さくで楽しく、心優しき千恵美さんとの会話は、何事にも代えがたい魅力で、様々な方が千恵美さんとの時間を楽しみます。「千恵美さんに会いたい」がために、今日も沢山の人が集まります。もちろんお料理は、どれも美味しい。船のコック10年、そして「こがねむし」38年、半世紀近いご主人のコックとしてのキャリアは素晴らしいですね。

 私も今回は、そんな女将さんと、松江、出雲大社、出雲そばの話で盛り上がりました。ぜひ松江に行ってみたいと語っておられましたよ。写真をパチリ!

 10種類以上の野菜や肉を3日間じっくりと煮込んだ、歴史の薫る本格的フォン・ド・ボーで作るデミグラスソースをベースにした「ハヤシライス」が人気だそうです。30年以上もつぎ足しつぎ足し、煮込み続けて大切に育てられた奥深い味わいです。ご飯をおおうとろとろのオムレツ。このとろーり卵がたまりません。コクのあるハヤシソースもたっぷりかかっています。どうです、美味しそうでしょ?本当に美味しかったんです。❤❤❤

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「あむーる」

 昨年度は「あむーる」を復活させて、「英語通信」として、毎週発行しました。せっせと第31号まで出しました。私の手元には教員になってから作り続けた「あむーる」「アムール」が全部ファイルしてとってあるんですが、担任をしていた頃は、受験、成績、勉強の仕方、人生、本・音楽の紹介、お店、名言等々、いろいろなことを話題にして、「学級通信」として毎週生徒に届けていました。結構楽しみにしてくれていた生徒・保護者も多かったです。保護者のみなさんにも参加していただいて、毎週寄稿していただいたクラスもありましたっけ。進路部長をしていた頃は「進路指導部ニュース」(大田高校)として、総務部長をしていた時には「学校だより」(津和野高校)として形を変えました。目標はただ一つ。生徒の心に火をつける」ためでした。何かちょっとしたことをきっかけに目覚めて欲しい、という思いです。ちなみにタイトルの「アムール(=愛)は、当時私の大好きだったピアノの貴公子リチャード・クレーダーマンのアルバム名からいただいています。そういえば、最近クレーダーマンはどうしているんだろう?

 思わぬ副産物もありました。これを毎週作るために、パソコンのソフトを利用します。初代の頃はツァイトの「JG」を(松江で行われたバレーボールのインターハイの「速報ニュース」を毎日出して、それが美しいと、このソフト会社からご褒美をいただいたこともありました)、続いてマイクロソフトの「パブリッシャー、ジャストシステムの「一太郎」を駆使して作るんですが、見やすいレイアウトにするために、いろいろな細かい技に精通できたのは収穫でした。フォントクリップアート部品もずいぶん買い揃えて、凝ったレイアウトを勉強したものです。おかげで、たいていのことはパソコンでできるようになりました。これは現在の見やすい教材作りにも生かされたと思います。

▲講演会で配布した「あむーる」

 昨年度は、担任を離れて久しいので、「英語通信」という形をとり、私の教員生活40年の総決算のつもりで毎週発行しました。松江北高で担任したり、英語を教えていた卒業生(大学生・大学院生・社会人)たちがいろいろな形で登場し、大学生活の様子や、大学での授業レポート、北高時代の苦しかった思い出、勉強の仕方など自分の体験を語ってくれました。教員が話す百の言葉よりも、先輩の言葉は一層説得力を持つようですね。全国で行った講演会(名古屋・福岡・大阪・広島・札幌)でも、いらっしゃった先生方に、これを配布して好評でした。今年のバックナンバーは全て「ダウンロードサイト」に登録してあります。興味のある方は、ご覧になってくださいね。今日は、その後発行した「あむーる」を全部登録しておきました。ぜひご覧ください。❤❤❤

・「あむーる」第25号~第31号 2017年 松江北高英語通信 八幡成人

・「あむーる」号外5月号 2017年 松江北高英語通信 八幡成人

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親孝行

 あの前人未踏のV9を達成した、偉大な読売巨人軍の監督・故川上哲治(かわかみてつはる)さんが、NHKの解説者時代のことです。昔、巨人にいた左バッターの淡口憲治(あわぐちけんじ)選手を評して、「この選手は親孝行だから大成しますよ」と語りました。実際に、淡口選手は入団1年目から1軍に昇格し、打球がとても鋭く速いことから「コンコルド打法」と呼ばれ、素晴らしい外野手として活躍しました。定岡がごねてトレード拒否したときの交換要員として浮上し、近鉄に移籍したときにも、大阪を本拠地とする近鉄に移籍すれば、当時西宮市に住んでいた母親にいつでも顔を見せることができる、とトレードを承諾したぐらいです。野球と親孝行?、どこが関係あるのでしょうか?今日はその関連性について考えてみようと思います(川上監督の偉大なところは、野球の技術よりも「人間教育」に力を入れたことだと思います。このことが、最近の巨人では全く機能していないことは、一連の不祥事からも明らかですね。これについては、また別の機会に詳しく述べたいと思っています)。

 「親孝行」な選手は、自分を産んで苦労して育ててくれた両親に心から感謝して、早く恩返しをしたい、今度は自分が親を楽にさせてやる番だ、と考えています。そのためには野球選手として大成して、たくさんの給料をもらえるようにならなければなりません。その目標のためにも、人一倍努力しようとし、「いい成績をあげるにはどうすればいいか、何をしたらよいか?」を徹底的に考え、自分を鍛え抜き、創意工夫をしながら猛練習をすることでしょう。先輩やコーチからのアドバイスも貪欲に吸収し、自分を高める努力を惜しまないでしょう。努力が苦にならなくなるんです。当然、大成する確率は高くなるわけです。川上さんはそれを「親孝行」という言葉で端的に表現したのですね。たくさんの野球選手を育てた、あの名監督・野村克也(のむらかつや)さんも、成功している選手は例外なく親孝行だと断言しておられました。親がいなければ、自分はこの世に存在しません。その自分をこの世に生んでくれた親に孝行しようとする感謝の気持ちがない人間が、どうして満足な仕事ができるでしょうか?野村さんも「親孝行は、大成するための必要にして最低限の条件なのである」と明言しておられます。そして、このことは親に限ったことではなく、自分は誰かに支えてもらって生きている」という感謝の気持ちを持つことは、非常に大切です。大勢の人が自分を支えてくれている」と常に認識しながら生きていると、どんな逆境にも負けない強さが生まれます。ここ一番の勝負所で集中力が違ってくる。自分の成績や名誉だけしか頭にない人は、それがないから、逆に気負って空回りしてしまうんです。報恩感謝」が大切、ということですね。

 大好きなシンガーソングライターのさだまさしさんが、コンサートで、時々「誕生日」のことを語られます。誕生日」は自分がお祝いしてもらうものと思っている人が多いが、この気持ちは間違いである、と。この日は命がけで自分を生んでくれた母に、感謝する日であると。本当にそう思います。「鼻からスイカが出てくるよう」な痛み(?)に何時間も耐え、生死をかけて闘った苦難の日=誕生日だったことを、絶対に忘れてはなりません。どうやらさださん、この話は亡くなった永 六輔さんから聞いたお話のようですよ。

 私自身も母一人、子一人の母子家庭に育ったものですから、このことは本当によく分かるんです。どんなに倍率が高かろうとも、大学入試に落ちるとか、教員採用試験に落ちるとか、という選択肢はありませんでした。ただひたすら親を楽にするために、必死で勉強したのを覚えています。いまでこそ笑い話で語れますが、もしダメだったら飛び込む踏切まで決めていたぐらいですから(荒島駅をちょっと行った所)。それぐらいに「恩返し」をするために、集中力をもって真剣に取り組んだものです。

(追記)川上さん曰く、「野球選手というものは、自分が大金を稼ごうと一所懸命やっていればそれでいいと考えている。それがファンのためにもなると思っている。自分のためにがんばる。それは当然のことだが、その一点に終始すれば、それは平凡な小我の世界だと言わざるをえない。常に自分で、まずおれが―自分の欲、自分の満足のみに終始、踏みとどまるということであれば、いくら良い成績をあげられてもその選手は、『技術』だけの人である。たんに仕事ができる小我の人と、その職業や社会に報恩感謝の気持ちをもってやっていく人では、日々の取り組み方も、選手としての充実も、ふくらみがまったく違うものである。自分の今ある立場、自分が生かされている環境や社会に報恩感謝の心を強めていってこそプロ野球の道、人の道である」

 当時の巨人の名ショート黒江透修(くろえゆきのぶ)さんが、新聞に書いていたことですが、川上さんは、春のキャンプ中も、選手やコーチの自宅に、ご主人は頑張っています。何の心配もいりません」というはがきを毎回送っていたそうです。キャンプ中の休養日には、体を休めるだけでなく、これまでお世話になった人に手紙を書く時間に充てなさい」と口を酸っぱくして言っていたといいます。巨人の選手たちは、宮崎で行われているキャンプ中の休日も、感謝の手紙を書いて過ごして、9年連続で日本一になりました。いい話です。私はそんな巨人軍が大好きだったのですが…。何が言いたいかわかりますね。

▲宮崎でお参りしたときの写真です

 

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bride/bridegroom

新郎新婦・花嫁花婿のイラスト

 かつて『ライトハウス英和辞典』(第2版)「日英比較」として、日本では結婚式終了後も新郎、新婦と言うが、英語では式が終わればhusbandとwifeでbridegroom, brideとは言わない」という注記が入っていました。編集主幹の故・東 信行(ひがしのぶゆき)先生から、his bride of one year (=whom he married one year ago)という用例がLDOCE2  に挙がっており、実例もあるので、実際には言えるのではないか、確認するように、との指示が回ってきました。早速アルジオ博士(ジョージア大学名誉教授)に問い合わせました。

   Bride and bridegroom mean primarily “a woman/man about to be married or in the process of being married or just married”(as at the wedding reception following the marriage ceremony). In addition, however, bride may be used in a semijocular or affectionate sense of a woman for some whole afterwards, the implication being that her husband still looks upon her with the same romantic attachment he did when they were married. It is not a frequent use, but it is possible. It is more likely shortly after the wedding, as in your example (“his bride of one year”) but is also possible after greater time lapse as when a husband married forty years earlier refers to his wife as his “bride.” A similar use of bridegroom after the wedding ceremony and reception is not possible, or is extremely rare.

 さらにイルソン博士(ロンドン大学研究員)にもお尋ねしました。

   It’s wrong―at least for bride. It makes more sense for (bride)groom. You can call your wife your bride as long as you want the world to know that you are newlyweds or recently married.

 両博士の回答は、「brideの場合は、結婚式から時間が経過していてもbrideと呼ぶことはできる。bridegroomの場合は普通ではない」という点で一致をみています。このような調査を踏まえて、上記の注記は削除されたのでした。私はbrideの語義に「結婚したての女性、新妻」という語義が必要なのではないかと思っています。

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博多研究会の振り返り

▲これ、何のことか分かります?参加された先生方は覚えておられますよね

 去る7月22日(土)に、「TKPガーデンシティプレミアム博多駅前」で行われた研究会「英語『生徒の英語運用力を磨く指導』研究会  ~センター試験でも得点につなげるために~」(主催 ラーンズ)の記事が、ラーンズ(進研学参)さんのフェイスブックに出ていますのでご覧ください。⇒コチラです 八幡は、今年で3年連続で博多でお話をさせていただいています。なんと3年連続でお越しになられた先生方もいらっしゃましたよ(よほど暇なんですね、といじらせていただきましたが…(笑))。⇒私の詳しい当日レポートはコチラです

▲今回お配りしたCDデータ集です

 センター試験で高得点を取るための心構えのようなものを、7つのキーワードに集約して(強い夢、②勉強の仕方、③繰り返し、④危機意識、⑤「組織」の力、⑥成功するまでやる、⑦信頼関係)、詳細に私の経験からお話しさせていただきました。私が松江北高勤務13年間で作り続けた指導資料を全部収録したデータ集「英語は絶対に裏切らない!」(改訂増補版)を、お土産にみなさんに差し上げたのが喜んでいただけたようです。帰りましてからもこのCDを欲しいと言う先生方がたくさんおられ、限定の非売品ですので、ラーンズにお問い合わせ下さい、と回答してきました。この企画から運営まで、お世話になったラーンズの守安 彰(もりやすあきら)さんに厚くお礼申し上げます。その守安さんから、当日のアンケート結果をお送りいただきましたので、ここでご紹介させていただきます。先生方の熱い思いをしっかりと受け止めて、八幡は今日も精進しております。こちらこそ、ありがとうございました。また「いつかどこかで」(小田和正、ぜひお会いしましょう!

▲ 明日への勇気をいただきました。ありがとうございました。
▲伸びる生徒の特徴、単語の指導の工夫等 とても参考になりました。とても貴重な国宝級の資料、ありがとうございます。
▲たくさんの有意義な情報ありがとうございました。たいへん参考になりました。
▲昨年に引き続き、参加させて頂きました。今年度は3年生担当ですので、大いに学ばせて頂いたことを活用したいと思います。ありがとうございました。
▲”目からうろこ”の内容ばかりでした。まずは模倣することから始めたいです。しっかりとまず自分が先生自身の教材を勉強したいと思っています。
▲大変参考になりました。ありがとうございました。熱い思いに心打たれました。
▲これまで蓄積されたものを惜しげもなく紹介して頂き、本当に感謝しています。
▲習慣づけ、繰り返しが大切だと改めて思いました。早速実践します。ありがとうございました。
▲何よりも元気をもらいました。ABCちゃんとやります。ありがとうございました。
▲先生のこれまで蓄えてこられた資料、情報をたくさんいただき本当に感謝です。是非有効に活用させていただきたいと思います。
▲研究力と生徒さんへの学習支援や人間的なサポートがすばらしいと感じました。
▲生徒の努力もさることながら先生の情熱が生徒に伝わっていると感じました。貴重な経験をお話しいただきありがとうございました。
▲3年間参加させて頂きました。毎回新しい話もあり、また前回もきいたけど新たな発見があったりして、勉強になります。
▲たくさんの貴重なご経験をお話頂いて資料もいただき毎回とても参考になります。ありがとうございました。
▲指導技術よりも、英語教師の姿勢に関して大変刺激を受けました。
▲豊富なご経験に基づく貴重なお話を具体例を示しながらご教授いただき大変参考になりました。ありがとうございました。
▲先生のお話や教材から生徒たちに対する情熱を強く感じました。今日学ばせていただいたことを早速生徒に還元させていただきます。貴重なお話ありがとうございました。
▲昨年は出張で参加できませんでしたが、今回2年ぶりに八幡先生のお話を聞くことができ、本当にうれしく思います。「やりっ放しハダメ」という言葉はまさに今の私に必要な言葉でした。八幡先生のお話はいつも心に響きます。「お土産」もありがとうございました。来年も博多にいらして下さい!
▲先生の熱意あるお話に、日ごろの自分の指導を省みずにはいられませんでした。「やりっぱなし」になっているところを改善していきます。
▲たくさんの資料(お土産)をありがとうございました。活用させて頂きます。
▲5年ぶり(おそらく)に講演を聴くことができ、嬉しかったです。直に八幡先生の声で教えをいただき、今後の英語指導にやる気がでました。ありがとうございました。
▲先生へ指導、生徒への愛を感じました
▲すばらしいご指導をされていて。
▲3年生のクラスを担当していた時は、年末年始休みなく学校を開けていました。逆の方向に現在進みつつあります。やはり、大切なことだと主張する元気が出ました!ありがとうございました!
▲毎回参考になるご講演で、また勇気づけられました。お土産の資料は本当にすばらしく無料で本当にいいのかという内容です。ブログも楽しみにしております。
ものすごく参考になりました。模試のくり返し活用法など、目からうろこが落ちた気持ちです。
▲ぶれない指導の大切さを実感することができました。ありがとうございます。
▲非常に示唆的な情報が満載で、これからの指導が楽しみになりました。
▲センター対策本素晴らしいです!購入させて頂きます。
▲今日、お話が聞けて本当に良かったです。先生の資料もたくさん頂け、自分の研究に成果を他にも無償で提供される先生の姿勢に感動しています。また「もっと頑張らなくては」と私の心にも火をつけてくださったと思います。
▲昨年とまた違ったアプローチでとても勉強になりました。惜しみない情報の提供がとても有難く、昨年の3年生に役立てることができました。
▲生徒を指導する上で見落としていたことがたくさんあったことにきづかされました。
▲基本の徹底、繰り返しの重要性といった「当たり前」のことを再認識でき、よい勉強をさせていただきました。
▲授業での指導で使えそうな内容がたくさんありました。これからも多くの経験を後輩に受け継いでいってください。
▲長年の経験を教えて頂き、くり返しが大切なのだと再認識しました。
▲とてもやる気が出ました。ありがとうございました。
▲先生の情熱を感じることができました。ありがとうございました。
▲本当に有意義な情報をありがとうございました!!大変、勉強になりました。
とても参考になりました。
▲語いの獲得に苦しむ生徒が多いので、先生の指導をヒントに今後とりくんでみたいと思います。ありがとうございました。
▲分析と情熱と生徒を思う気持ちが伝わってきました。サラリーマンではなく、生徒の心に火をつける教師でありたいです。

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困っています~「特急ハウステンボス」

 今年の3月に「ハウステンボス25周年」を記念して、特急ハウステンボス」号が1編成だけリニューアルしています。私の大好きな水戸岡鋭治先生のデザインです。車内は先生の作品らしく木の香りがふんだんにする設計だそうです。私は水戸岡先生の大ファンなので、先生の列車には全部乗ろうとコツコツと計画をしています。10月の3連休に「長崎くんち」「さだまさし特別展」を見に行くついでに、ハウステンボスに回って、ぜひこの特急列車に乗ってみたいと思いました。問題は1日に5往復あるこの特急列車の、どの車両が新型車両になるのか?が分からないんです。旧型の「特急ハウステンボス」は何回か乗っているので、ぜひ新型車両に乗ってみたいと思っています。

 まずはJRハウステンボス駅に電話してみました。どの時刻の車両が新型になるかは、毎日変わるので分からないとのこと。JR博多駅も同様でした。時刻表を見ても何の手がかりもありません。困った。「日本旅行」に勤める教え子に泣きつきます。手間をかけていろいろと手を尽くしてくれたんですが、やはり分からない。最悪、発車時刻の度にホームに出て、新型車両が来るまで待つしかないのか。本当に困ってしまいました。どなたかいい知恵はありませんでしょうかね?

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ジョージ・ウィンストン

 先日、広島の「おりづるタワー」を訪問したことを記しましたね。⇒コチラです その館内には、ジョージ・ウィンストン (George Winston )のピアノ音楽がずっと流れていて、広島の街を見下ろしながら、床に座り込んでうっとりと聞き惚れていました。彼のピアノを聞くのは本当に久しぶりでした。彼の美しいピアノの旋律が、この建物にピッタリとマッチしていましたよ。彼の音楽にのぼせて、仕事に励んでいた若い頃を懐かしく思い出しました。今日は彼のピアノについて書きます。

 ジョージ・ウィンストンは、1948年アメリカ合衆国ミシガン州で生まれ、モンタナ州育ちのピアニスト・作曲家です。日本では、アルバム「オータム(Autumn)」に収録されている あこがれ/愛(Longing/Love」が最もよく知られています。1984年当時、トヨタの車・クレスタのCMに使われて爆発的に人気が出ました。アメリカの大自然の風景を反映する演奏は、ニューエイジ、癒やし系音楽として知られ、ご本人はそのプレイ・スタイルを、 “Rural Folk Piano” と呼んでいます。

 私が初めて彼のピアノを聞いたのは、東京・NHKホールだったと思います。髭ぼうぼう、Tシャツにジーパンという、およそピアニストらしくない服装でステージに現れました。さらに靴も履かずに裸足でピアノを演奏していました。「演奏の中で余計な音(=靴の音)を出したくない」からと英語で説明しておられました。演奏が始まると、その澄んだ旋律と、美しい響きに引き込まれていきます。演奏が終わると、ぼそっと「次の曲は~」(The next piece is~)と語り演奏に移ります。すぐに大ファンになりました。ウィンダム・ヒルというウィリアム・アッカーマンによるレーベルから、次々とアルバムが発売されて、1枚1枚楽しみに買い揃えていきました。ヒーリング・ミュージック」の先駆けとなったピアニストです。私は当時、辞書の仕事でほとんど毎日徹夜で原稿を書いていたのですが、仕事部屋にはいつもジョージ・ウィンストンのピアノが流れていました。以前、松江・島根県民会館にコンサートにやってきた時には、ブルース・ハーモニカやハワイアン・スラック・キー・ギターの演奏も交えて、進化した彼の音楽を聞くことができました。彼は親日家としても知られ、ほぼ毎年、日本でコンサートツアーを行っていました。彼はコンサートではアルバムに録音されているようには絶対に弾きません。即興的な演奏を繰り広げます。音楽は日々形を変えるものである、というのが彼の信条のようです。

 彼の代表作は春夏秋冬」シリーズ、四季四部作として知られています。第一作目という歴史的な1枚が「オータム」です。このアルバムは1980年にリリースされて名を馳せた彼の代表作・出世作で、発売以来ロング・セールスを記録している人気のあるアルバムです。切なくて、人恋しくなる、枯れ葉も舞い出し、悲しい季節、食欲の秋、読書の秋と言われる秋に、秋の風、臭い、そしてすぐ冬へと変わってしまう儚さ…などを、ピアノの旋律で表現しています。クリスタルを思わせるクリアなピアノのサウンド。曲が終わっても、いつまでも響き続けるピアノの余韻が深く心に残りました。続いて1982年に「ウィンター・イントゥ・スプリング同年に発表されたアルバム「ディセンバー」です。冷え込んで、冬枯れの自然が、徐々に春へと歩みを進めていく喜びを感じることのできるアルバムでした。そしてしばらく経って1991年に、春夏秋冬シリーズのラストを飾った「サマー」を発表しています。ムシムシとする梅雨がやっと明けて、さぁ夏だと、ウキウキする喜びを、でもすぐ秋が訪れてしまう…そんな命儚い夏をテーマにしたアルバムでした。まさにジャケットのお花畑を思い浮かべてしまいそうな、そして、蒸暑い夏をクール・ダウンしてくれる素敵な旋律でした。この四枚のアルバムが彼の代表作と言ってよいでしょう。

 ジョージ・ウィンストンの音楽にまだ一度も触れたことのない方は、私の大好きな「あこがれ/愛」を聞いてみてください(1分17秒かあたりから始まる美しい旋律には震えがきたものです)。彼の米国のホームページには、Q&A」のページがあって、彼の音楽に関するさまざまな疑問・誤解を、彼の言葉で分かりやすく解きほぐしてくれています。⇒コチラです 「おりづるタワー」を訪れ彼の音楽に触れて、久しぶりに彼のアルバムを引っ張り出してうっとりしている八幡でした。❤❤❤

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「陽気」

◎週末はグルメ情報です!!

 かの有名な「すずめ」と並び、広島ラーメンの元祖とも言われる双璧の一つ、陽気」大手町店に行ってきました。中国電力前でバスを降りて、目の前にお店はありました。いつもは「つばめ」「めじろ」に行く八幡ですが、今回はどうしても「陽気」を味わっておきたかったもので。横川江波にもお店はあります。お昼時ということもあって、店内は満員でした。人気店だけありますね。店員さんも、とっても親切で好感が持てました。次々とお客さんが入ってこられます。

  入り口の食券販売機で、食券を買います。メニューは「中華そば」一本という、脳に優しい単純設計です。塩むすび」とセットで食券購入。注文して5分ほどで「中華そば」が到着します。さて、味は、やはり中華そばです。きわめて優等生的なしょうゆとんこつで、とってもマイルド。まさに広島ラーメンの祖という系譜です。醤油豚骨のスープは、見た目ほどコッテリしていなくて、まろやかな口当たり。黄色く濁った豚骨醤油ベースのスープの表面にポツポツ浮いた控えめなアブラ。奇をてらわないストレートの中細めんは、程よくスープと絡んでくれます。麺の質感もいい。ストレート麺はシンプルでありながら、ひと口、またひと口と食べるごとにおいしさが増していきます。スープを薄めず、それでいて食感におおいに貢献するシャキシャキ感あふれる細モヤシ。青々としたネギ。さすが人気有名老舗店と、たくさん冠が付いているだけあって、かなりおいしいです。チャーシュー麺でもないのに、チャーシューが4枚も入っているところもお得感アリで満足ですね。スープも美味しく最後まで頂けて、後味もなかなかにスッキリしたもの。「塩むすび」との相性もすこぶる良好なのがグッドです。広島ラーメンは、国内屈指の戦後サバイバルが展開された歴史があり、その中で育まれた味として、このバランスが支持されてきたという事なのでしょうね。管理栄養士さんに叱られそうですが、あまりの美味しさにスープも全部飲み干してしまいました。いかん、反省(笑)!デパート地下で、インスタントも販売されていたので、買って帰りました。❤❤❤

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内申書

 この人の書く物は、いつも文章の上手さに感嘆するのですが(新刊が出るとすぐ書店に走ります)、外山滋比古(とやましげひこ)先生の『思考力の方法 聴く力篇』(さくら舎、2015年)にショッキングな記述があります。そして笑ってしまいます(下線は八幡)。真実を突いているだけに…。

 私はかなり長い間、大学入試で受験生の内申書を見る役についていた。そして高校の書くことが、実にデタラメであることを知った。すこしできると、「抜群」になる。同じ学年に抜群が何人もいるに違いない。学業がさえない生徒には、「生徒間の人望が最高である」などと半分でまかせのようなことが書かれている。どうせウソをつくなら、もっとうまいウソを考えないといけないアメリカの大学は、日本人留学生の提出する推薦をほとんど信用しないようである。日本人の書く推薦状は正直でない、というのが一部で定評になっているのは重大な問題である。日本人はこころにもないことを書くのが文章力のように考える傾向が見られるが、”正直は最上の策”であるということを噛みしめる必要がある。”正直は最上の策”というのは、もとは商売について言われたイギリスのことばであるが、日本では教育、文化においても、ウソが多すぎる。(p.117)

 私も長い間、高校現場で担任をして、調査書」はずいぶんの数書いてきました。進路部長も長い間務めてきて、どうやったらアピールできる「調査書」を書けるかについてもずいぶん研究を重ねました。大学側が「調査書」のどこを見ているかについても、いろいろと大学を回って調べたこともあります。たどり着いた結論が「具体的事実で勝負する!」ということでした。これなら本人の人柄が一発で分かるし、大学側もきちんと評価してくれることに気づいたのです。日頃の学業成績、本人が取った資格、参加した諸活動、部活動での成績、生徒会活動で取り組んだこと、表彰された大会、等々。とにかく「具体的事実」で埋めていく、決して曖昧な表現や抽象的な言葉でごまかさない、ということを信条にして「調査書」に取り組んできました。私が担当した学校で、実際に合格する生徒が飛躍的に増えていますから、少しは成果があったと思います。もう一つは、たくさんの先生方の目に触れる機会を増やすということがあります。以前勤めた学校では、担任が書いたものを、進路部長の私が見て、さらに教頭、校長が目を通すというシステムを取っていました。ただ儀礼通過的に判を押すのではなく、中身をしっかり吟味してゴーサインを出す(「面接練習」も同じシステムで多くの人を巻き込んで準備していました)。真っ赤になって担任の元に返ってくるということも度々。「推薦入試」の合格者が飛躍的に増えたのも、ちゃんと理由があったのでした。

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unless/ if …notの違いを教えるべきか?

 unlessif…notの違いを詳しく説明される先生方がおられます。結論的には、unless「~でない限り」/ if…not「もし~しなければ」と、意味の違いを理解しておけばよいのですが、このunlessが、歴史的にはon (a) less condition…のつまったものであることを、理解していれば、なぜ上のような意味になるのかは簡単に思い出せるはずです。実は、1993年のセンター本試験の第2問題で、次のような問題が出題され、生徒たちを困らせました。単純にunless = if…notと理解していた彼らは、④を選んだ人がずいぶんいたんです。正解は①です。

I'll be surprised (           ) an accident. He drives fast.
  ①if Tom doesn't have              ②if Tom has
  ③unless Tom doesn't have          ④unless Tom has
                   (1993年センター試験本試験 第2問題A 問14)

 これが高校生にふさわしい出題かというと、大いに疑問です。この問題を見て私は、学生時代に、Geis(1973)の論文をむさぼるように読んだのを懐かしく思い出しました。教員としては両者の違いは勉強しておく必要はあると思いますが、高校生に詳しく説明すべきとは思いません。私の尊敬する鷹家秀史(たかいえひでし)先生が、「if…notとunlessの違い」と題して、コンパクトにまとめておられますので、ご紹介しておきます(『英語教育』3月号(1993年)に載った論文を加筆修正されたものです)。先生方はぜひお読みくださいね。⇒コチラ  鷹家先生には、ご無理を言って、昨年松江北高で、ご講演と授業をやっていただきました。⇒詳しいレポートはコチラ

 もう今から24年も前のことです。出版社の営業の方が学校にやって来られて、「先生、うちの問題集にはunless / if …notの解説が出ていますので、ぜひ使ってみてください」と。 私はすかさず、そんな大学の先生でも難解な語法を、高校生に教える気はありません。もっと大切なことは一杯ありますから」と応えました。するとその営業社員は河上道生先生にも同じことを言われました」と言われました。河上道生先生というのは、文法・語法の大家で、当時私が傾倒していた学者で、当時広島女子大学学長の先生でした。この言葉で、また一層河上先生のファンになった八幡でした。その河上先生も2012年6月にお亡くなりになりました。⇒私の追悼記事はコチラ     先生の卓越したオールラウンドな英語力は、「日英間の絶え間ない往復作業」のたまものであったことは間違いありません。今日は懐かしい想い出のお話でした。写真上の二冊をもう一度読み返してみようと思っています。♥♥♥

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ホッ!

 2週間前くらいから、左脇の下付近が、締め付けるような感じが15分おきくらいに襲ってきて、しばらく続いては消えるんです。あー、まただ。そんなことが3回くらいありました。私は心臓を手術している身なので、何か気持ち悪くて心配していました。イヤだなーと。ろくなことを考えません。今日は久しぶりに「須山医院」で心臓の「精密検査」です。

 須山浩美先生には、日赤で心臓を手術した後、ずっとこの12年間お世話になっています。前に勤めていた津和野高校では、先生のお兄さん(医師)に担任した生徒がずいぶんお世話になりました。不思議なご縁です。日赤の心臓外科部長から独立開業されて、今の場所で診療を行っておられます(松江北高の卒業生です)。とっても親切にしていただき、いつも丁寧な説明と的確なアドバイスをいただいています。午後4時に病院に入ってビックリ!連休明けということもあるのか、ものすごい数の患者さんでいっぱいです。しばらく待って、まずは心電図。続いて超音波(エコ-)検査、最後にレントゲン検査です。症状を詳しく看護師さんに説明して、診察を待ちました。廊下で検査結果を待っていると、「69番、八幡さん」と呼ばれて診察室に入りました。先生によれば、心臓は何ら異常なし。ちょっと働きが悪い箇所は今まで通りあるけれども正常とのこと。症状に関しては、心臓の場合は痛みをピンポイントで特定できるものではない。心臓はもっと漠然とした苦しさで冷や汗が出たりするものとのこと。心配はないでしょう、という診察でした。ホッとしました。ヨッシャー!モヤモヤが晴れました。実に気分がよく、帰りに焼き肉屋の前を通ったので、肉をたらふく食べようかとも思いましたが、自制しました(笑)。ただ私の悪玉コレステロール値は正常ではあるんですが、心臓に疾患のある人はもっと数値を落とした方がよい、とのことで、お薬が追加されました。私は現在7種類の薬を服用しています。全部で6軒の病院をはしごしながら、毎日の生活を送っています。心臓検診のイラスト(学校の健康診断)

 最近ちょっと不安な日々を過ごしていましたが、まずはホッと一段落しました。さあ、次はどこに旅行に出ようか(笑)。❤❤❤

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鉄道捜査官「津和野トンネル殺人事件」

  スカパーで「鉄道捜査官 津和野トンネル殺人事件 山口線「貴婦人号」汽笛のトリック鉄壁のアリバイ、真犯人はSLに乗っていた」(原作は草野唯夫)の再放送を見ました。これは2003年に放送された鉄道捜査官シリーズの第3作目です。2000年の第1回放送以来、ほぼ年1作のペースで作られ、毎年春先に放映されてきました。第1作、第2作だけは『鉄道おんな捜査官 花村乃里子』(てつどうおんなそうさかん はなむらのりこ)のタイトルで放送されました。第1作、第3作以外の原作は、大好きな西村京太郎先生の十津川警部シリーズですが、捜査員はすべて「鉄道捜査隊」に置き換えられています。原作は十津川警部シリーズですが、主人公を鉄道捜査官の花村乃里子に置き換えました。ゴツゴツしたイメージの十津川警部ではなく、女性刑事を配することで、ファン層を広げたい、お茶の間の人気を狙ったテレビ局側の作戦だったのでしょう。そこら辺は、大好きな故・津村修介さんの私立探偵浦上伸介シリーズが、テレビ化される際に高林鮎子弁護士に置き換えられたこととよく似ていますね。以来17年も長続きする長寿番組に成長しました。さて、私は3年間津和野高校に勤めていたこともあって、このドラマに出てくる各所が、懐かしく思い出されたことでした。太皷谷稲成神社、乙女峠マリア聖堂、第一交通SL「やまぐち号」、…ああ~、懐かしい!!

 山口市で行われた講習会の帰途、警視庁鉄道捜査隊主任の花村乃里子(沢口靖子)は、小郡駅(当時、現在は新山口と駅名が変わっています)から念願だった観光専用SL列車『やまぐち号』に乗ります。多忙を極め有給を消化していない乃里子への倉田捜査課長(地井武男)の配慮です。列車が終着・津和野まで20分足らずとなったとき、乃里子は東京の倉田捜査課長に携帯電話で連絡をとるためデッキに出ました。車内に戻ると、乃里子の席には見知らぬ男がいて、SLの窓から身を乗り出すようにして熱心に写真を撮っています。男は、多田雄一(矢島健一)と名乗り、カーブを曲がる機関車を撮影するには、この席からのアングルが一番いいので、と弁解します。乃里子が微笑を返したその直後、「危ないな、あの人!」と多田が大声をあげます。見ると、前方の白井トンネルの上に、カメラを構えた男がいるではありませんか。列車が近づいた時、突然男の体が前のめりになり、そのまま転落、乃里子と多田は、その一部始終の目撃証人となったのでした。所轄署の刑事が現場に急行し、男が死んでいるのを確認。男は小田切(佐伯直之)という地元のタクシーの運転手で、現場近くに彼の営業車が停めてありました。その頃乃里子は、小田切が足を滑らせたトンネルの上を調べていて、切り株に犬釘が打たれ結びつけられたビニールロープが焼き切れているのを発見しますが、地元の刑事たちは、SLマニアの小田切が撮影に夢中になるあまり、足を踏み外したための事故死と判断してしまいます。しかし、乃里子はこの結論に異議を唱えました。いくらマニアだからといって、勤務中にわざわざひと気のない山の中にやって来るものだろうか?さらに、木の幹についていた新しい傷も?乃里子は殺人の可能性もあると指摘しますが、刑事たちは一切耳を貸しません。独自に調査を始めた乃里子は、小田切は特にSLファンでもなんでもなく、趣味と言えばもっぱら麻雀とパチンコであり、さらに、かつて働いていた東京で、女性絡みのトラブル(レイプ事件)を引き起こして、郷里の山口に舞い戻ってきたという過去の経歴も判明します。やがて、小田切が半月ほど前に、客と揉めていたという事実を乃里子は掴みます。東京の建設会社社長の多田源吉(庄司永健)と彼の娘で目の不自由な道子(大河内奈々子)です。乃里子は多田という苗字に引っかります。乃里子と一緒に小田切の転落死を目撃した青年も、多田という苗字でした。果してこれは偶然なのか? 東京に戻った乃里子は、多田雄一が源吉の息子で、道子の兄であることを知ることになるのですが…。小田切の転落死に何等かのトリックが用いられていることを確信した乃里子は捜査を続行します。事件は思わぬ展開へと流れていきました。そして最後に意外などんでん返しも。

 このドラマにも登場する、私にとって懐かしいスポットを2カ所だけ紹介しますね。

 地元のタクシー運転手小田切が、何者かに写真を撮るように頼まれた場所が、9号線沿い阿東・地福の「樹里庵」(じゅりあん)というレストランでした。ここは地元の阿東黒毛和牛を使ったステーキやハンバーグなどが有名ですが、県内でも有数のりんごの産地であり、旬の「アップルパイ」がとっても美味しいんです。コーヒーカップより大きめサイズの「アップルパイ」は温かく、生地もサクサク。美味しく煮込んでスライスされた旬のりんごの味は格別でした。よく同僚たちと行ったものです。津和野にはレストランらしきものがほとんどないので、あの頃は、よくみんなで山口や益田に出かけたものでした。

 このドラマの鍵を握る、多田源吉と娘の多田道子が墓参りに東京からやってきて泊まったホテルが、「ホテルかめ福」でした。ここは湯田温泉でも老舗の旅館で、津和野高校で初めて「学習合宿」を行った場所でした。夏の最も暑い時期に、学校を離れて冷房のきいた快適な「かめ福」を貸し切り状態で、泊まり込んで勉強を行いました(3泊4日だったかな?)。私は「夜の1時から○○講座をやるから!」とかゲリラ授業で無茶をやり、ひたすら勉強漬けの日々でした。おかげで、非常に良い進学結果が出たもので、それから数年は続きましたが、私が松江に帰ってからはもう中止になったみたいですね。山口大学で行われるセンター試験(津和野高校は島根県最西端部にあるために、センター試験は山口大学で受けるんです)に生徒を引率した際も、特別に食事はこの旅館にお願いしました。そんな訳で支配人の方と仲良くなり、格安で泊まらせてもらっていました。ここは特に温泉が充実しており、多種多様なお風呂を楽しむことができるんです。温泉に浸かりながら、美味しい料理を堪能しながら、鋭気を養って猛勉強したのもいい思い出です。北高同僚の先生方にも紹介している温泉宿で、またもう一度ゆっくりと訪れてみたい旅館です。❤❤❤

 

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nape

 懐かしい話を。もう今から20年以上も前のことです。napeという単語に興味を持っていました。辞書を引くと「えり首、うなじ」と訳語が出ています。問題はこの語につけられた当時の辞典類の語法注記です。通例the nape of the neckとして用いられる」(『サンライズ』)、「通例the nape of the neckで用いる」(『プログレッシブラーナーズ』)、「普通、the nape of the neck として用いる」(『ニューセンチュリー』)何故これだけ同一の記述が見られるのか?理由は簡単です。自分で確かめもせずに、よその辞典の記述を孫引きしているからに他なりません。私は当時、自分で小説や雑誌・新聞を読むときにチョット気をつけていました。すると判で押したように、次のような形でばかり使われていました。

 (1) In that instant, Bond felt the hair on the nape of his neck prickle with the sensed danger. ―J. Gardner, Icebreaker.

(2) She pulled her long blond hair into a tight knot at the nape of her neck…―D. Steel, Palomino.

(3) She washed and pulled her golden hair into a knot at the nape of her neck, and then concealed it beneath another dark cotten scarf. ―D. Steel. Remembrance.  

(4) Her hand caressed the nape of his neck.―Anonymous, Woman.

(5) He was bald save for a frieze of hair that started over each ear and dipped down to meet in a wiry bush at the nape of his neck. ―R.Cook, Brain.

(6) She knew that she looked as good as she could, and the whole effect pleased her as the soft Nile breeze caressed the nape of her neck. ―R. Cook, Sphinx.

(7) Her black hair was tied back at the nape of her neck with a gray ribbon.―C. Keene, Sisters in Crime.

(8) Josie said, and lifted her hair and touched the nape of her neck. ―Ed McBain, Eight Black Horses.

(9)Her black hair was pulled back and away from her face, fastened at the nape of her neck with a silver barette. ―Ed McBain, Mary, Mary.

 ちょっと見ただけでもこの単語がthe nape of one’s neckという形で使われることが明らかですね。今でも依然として、the nape of the neckの形で収録している辞典も多く見られます(one’sを併記するものも現れてはいますが)。今ならコーパスを利用すれば、この単語の実態などはすぐに分かりそうなものです。最近英米で出ている学習辞典の用例を見ると(すべて独自のコーパスの裏付けから作られている)そのことははっきりしますね。一部を見ておきましょう。

the way that his hair grew at the nape of his neck  [CAAED]
Her hair was cut short at the nape of her neck.  [OALD]
She kissed the nape of his neck.  [CALD]
He kissed the nape of her neck.  [MED]
the soft warm nape of her neck  [LDOCE]

 私は今から20年以上も前に、コツコツと用例を集めながらこのことに気がつきました。そして、関係する英和辞典にいち早く[the nape of one’s neckで]という注記を入れたのです。私の集めた上のような用例100枚近くが実証してくれていました。ライトハウス英和辞典』(研究社)の中にある「語法注記」は、当時の主幹故・竹林 滋先生の命で全て私が書いたものですが、全部に渡ってこのような実証作業を行っています。そしてボリンジャー博士イルソン博士アルジオ博士の確認を取りながら裏付けを行っています。まだまだ完全というわけにはいきませんが、他の学習辞典とひと味違うところがあるとすれば、当初からこうやって用例カードを使っての地道な裏付け作業の産物であることかもしれませんね。

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はきものをそろえる

 以前勤めていた津和野高校の職員トイレに、こんな張り紙がしてあるのに気づきました。いい言葉だな~と感心してメモしたものです。

        はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう  心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと  はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら  だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと  世界中の  人の心もそろうでしょう
                      (円福寺 藤本幸邦)

 禅でいう「脚下照顧(きゃっかしょうこ(=足下を見よ)という教えですね。「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず履物を揃えるところから始めなさい。」と。これに関して、以前僕も同じような話を読んだことがありますので紹介しましょう。

 『初めてタイトルをとった第15期棋聖戦の対局の時でしたけど、僕は5分間の休憩時間をとってトイレに立ったんですわ。トイレの戸を開け、ふと足元を見たらスリッパがキチンと揃えられているんですわ。つま先を中に向けて、あとから入ってきた者が履きやすいように。びっくりしましたね。実は、僕が入るほんの直前に、対局相手の中原誠がトイしに立ってたんです。つまり、このスリッパを揃えたのは中原本人ということですよ。それまでに何度かトイレに立ったとき、いつもスリッパがキチンと揃っているんで、これはここの旅館の女中さんがなおしているんやろうと思っとったのです。それがそうやなかった…。それが分かった瞬間、愕然となりましたね。
 タイトル戦に限らず、勝負というものは厳しいものでしてね。たいていの棋士は、休憩をとって盤から離れ、頭を冷やすもんですわ。それでもたいがいの人は頭の中からは「将棋」がはなれんわけや。あーでもない、こーでもない、と構想を練ってるんです。まして、トイレのスリッパがどっちの方向を向いていようとかまへんのですわ。普通の棋士なら。それどころか、ついうっかりスリッパを履いたままトイレから出てきてしまうとかね。僕なんぞは、座敷にまで履いてあがろうとして、ハッと気づいたことがあるくらいやからね。ところが中原はそうやなかった。あとから入って来るもんのために気配りまでしてるとは…。その心のゆとりに、思わず圧倒されてしまいました。こいつは近い将来、棋界の第一人者になれる男や、と直感で分かりましたわ。こんな器の大きな男やったら、そうなって欲しいとも思った。そんな思いでスリッパを眺めていると、自分の「将棋」がふと見えてきたんやなあ。将棋というのは不思議なもんでしてね。将棋を知り尽くしたプロ棋士が全く同じ陣形で打ち始め、それでも勝ち負けが決まるわけでしょう。これは、どれだけ先を読めるかという「知」的な部分だけで決着がつくんやなくて、知も情も意もその全てをかけた勝負なんですわ。

 これは将棋プロの内藤国雄(ないとうくにお)九段が、自分の将棋人生で一番心に残っていることを語った言葉です。ここに出てくる中原 誠(なかはらまこと)は、その後名人となり大活躍したことは言うまでもありません。一流は一流を知る、私が好んで生徒に聞かせてあげる逸話です。

 はきものをそろえるということに関して、思い出されるのは、あの「V9」の偉業を成し遂げた巨人軍の川上哲治(かわかみてつはる)監督です。川上さんはミーティングにおいても、野球技術面のことはほとんど語らず、選手の人間教育に徹したということです。「人間とは?」「人生とは?」「仕事とは?」といった話ばかりだったと聞きます。トイレのスリッパの脱ぎ方まで注意し、「あとで使う人のことを考えて、きちんとそろえて脱ぐように」と厳しく選手に指導したと言います。そのことは川上さんが著書にその理由まではっきりと書いておられます。勝機は心眼にあり 球禅一如の野球道』(ベースボールマガジン社、1991年)という本です。ちょっと引用してみますね(下線は八幡)。

 私は選手の私生活面では、これは前にも述べましたが、チームワークを徹底するためにと考えて、自分勝手をやめさせ、相手のことを考えるように強調した。試合中の何百分の一秒の中で、相手のことを考えてプレーするということは、なかなか出来ないものです。しかし、そういうことを平素から癖をつけておけば、瞬間的に、ちょっとでも相手のことを考える気持ちがあったら、目的のないプレートか、エラーを招くような、いい加減な球なんか、投げたりはしませんからね。そういうことを徹底させるために、私生活での躾をちゃんとしていったわけです。
 相手への思いやりを忘れないためにはどうしたらいいか。ミーティングでは、野球のことだけでなくて、子供の育て方や,お金の貯め方とか、私生活面の指導なども、いろんなことをやった。
 遠征先の宿舎などでは、スリッパの脱ぎ方ひとつにしても、厳しく注意した。乱雑にやったら他人に迷惑をかける
 例えば、トイレには下駄やスリッパなどがあるでしょう。これを、自分の用が済んだら反対向きに揃えて出てこい、乱雑に脱ぎ捨てて来るもんじゃないんだ。そうすれば次に自分が行った時でも、乱雑になっているよりはちゃんとこっち向きに揃っていたほうが気持ちがいいだろう。これが作法の基本なんで、こういうことすべてに応用してやっていけ、と
 これはチームプレーにつながる問題です。チームプレーというものを確実にやるために、みんなが共用で使う場所があるわけですが、そういうところのマナーや考え方、やり方を教えていくわけです。
 こうして、多少とも時間のある時に、次の人のことを考えてこうしたことが出来てないと、ジャイアンツの野球は自分のほうから陰で相手を助けようということで連繋された野球で試合を進めているから、打ったり、投げたり、守ったりするような個人の技がいくら上手になったとしても、そういうことがちゃんと出来なければ、レギュラーの試合には出られないんだ―という教え方です。(pp.153-155)

 私も子どもの頃、母親に、靴を脱いだらきちんと逆向きに揃えて上がるようにと厳しく言われたものです。最近は、そういう躾を、きちんと子ども時代に受けていない高校生が多い気がしています。だらしなくスリッパを投げ散らかしています。最近の巨人軍の数々の不祥事を見ていると、こういった「人間教育」がまったくなされていないことがよく見て取れます。残念なことです。

(追記) V9を振り返って、あれだけの選手(王、長嶋など)を抱えていれば誰が監督をやっても優勝できる、などと言う人がいますがとんでもない話です。技術面だけでなく、人間としても一流の選手を育てていたからあの記録が達成されたというのが私の考えです。他の監督と違う川上さんの偉大さは「人間教育」を重視した点だと思います。私は英語教師ですが、川上さんを見習いたいと思っています。

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カフェ「エルグレコ」

 「大原美術館」で名画を鑑賞した後、美術館入り口の隣にある名店喫茶にお邪魔します。倉敷の代表的な観光スポットである美観地区に店を構える、蔦のからまる「カフェ エル・グレコ(EL GRECO)」は、50年以上の歴史があるレトロな喫茶店です。本館に展示されている絵画受胎告知」の作者であるエル・グレコから名を取り、店内にはその複製画も飾られています。升目の竿縁天井は高く開放的、上げ下げ窓からは柔らかな光が射し込んでいます。大正ロマン的な雰囲気に浸ることができるカフェです。元々は、大原美術館の設立者である大原孫三郎が小作農地の管理、経営のため奨農土地管理会社を設立し翌年に大原邸の川向かいに、建築家である薬師寺主計の設計により事務所を建築したのが起こりです。薬師寺は好きだったアイビー(蔦)をこの建築のそばに植え、今では建物の外壁の全面を覆い美観地区のなか四季の彩りを添えています。大原美術館で絵を観た人たちが休むための場所がほしい、美味しいコーヒーを」という大原孫三郎の長男・總一郎の思いを受け、現オーナーの母・浦江さんが喫茶店として昭和34年に開店しました。

 上げ下げ窓や天井、大原家の家紋が入った扉などは当時のまま。随所に落ち着いた大正ロマンの雰囲気を感じることができます。店内にはエル・グレコの複製画や立派な壷が飾られ、トンボ玉や倉敷ガラス、七宝などの作品が展示されているコーナーもあるので、お茶を楽しみながら芸術も楽しむことができます。高い天井やケヤキのテーブルなど、レトロな空間で、ほっと一息入れることができます。 

 オープン当初からずっと守り続けているというこだわりのオリジナルコーヒーは、モカを主体にした4種類の豆で作った深みのあるブレンドコーヒーです。丁寧にネルドリップされたコーヒーは、柔らかくマイルドな味に仕上がっており有名です。私は暑い時期に訪ねたので、コールコーヒー」をオーダーします。ほっと一息、鑑賞の余韻を楽しむことができます。

 爆発的にヒットしたという自慢の人気メニュー「レアチーズケーキ」は、県外からわざわざ食べに来るほどの人気ぶりです。オーナーがニューヨークで毎日のように食べていたというお気に入りのチーズケーキを、知人のパティシエにお願いして再現してもらったそうですよ。とろけるような軽い舌触りで、さっぱりとした上品な甘さ。トッピングされたブルーベリーソースとの相性も抜群です。あっさりとしたケーキで、美味しくいただきました。私もゆっくりとこのお店で時間を過ごしました。

 外壁の全面が蔦で覆われた建物は、観光客の目を引きますね。蔦の隙間から優しい光が差し込む店内には、ケヤキの大きなテーブルが用意されていて、ゆったりとくつろげる空間になっています。観光で歩き疲れた時に、そして絵画鑑賞の余韻を楽しむ時には、ぜひ訪れてほしい場所ですね。私はここで一仕事片付けました。❤❤❤

◎週末はグルメ情報です!!

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耳かきアゲイン

 以前に、このブログで、医療器具屋さん(三祐医科工業)が作った最高のかきをご紹介しましたね(⇒コチラコチラです)。硬すぎず、柔らかすぎない、絶妙な「しなり」が、とっても気持ちがいい耳かきなんです!長年、医療機器製造業として、プロのお医者さん向けの器具の製造一筋40年の町工場「三祐医科工業株式会社(東京都足立区)の作品です。その確かな技術を生かして開発された商品が、足立ブランド認定職人の技医療器具屋さんが作った耳かき」です。使用している材料は医療機器を製造する為に通常使用しているもので、加工方法などにも医療機器を製造するための技術を用いています。いわば医療機器を製造するためのノウハウがぎっしり詰まった「耳かき」と言えますね。より安全に快適に使ってもらえる技術がびっしり詰まっています。私は今までにたくさんの耳かきを試してきましたが、これを上回る商品をまだ知りません。手に取るとよく分かるんですが、竹のような「しなり」で、隅々まで気持ちよく耳の掃除ができます。ダントツのナンバーワン&オンリーワンの耳かきです。主な特徴としては(1)先端部がしなり、耳垢をソフトに掻き出し快適・快感、(2)先端が黒色なので、耳垢の汚れが分かりやすい、(3)柄の表面が医療器具同様の滑り止め加工が施され、安心して使用できる、などが挙げられるでしょう。お値段は1,500円とちょっと高めですが、この品質を考えたら安い買い物です。

 今日、たまたま「東急ハンズ広島店」をのぞいたら、この耳かきが「3ミリ」「4ミリ」の2種類で販売されていました。初めて買ったのも東京・渋谷「東急ハンズ」だったと思います。以来、店頭でほとんど見ることがなかったんですが、久しぶりに見つけましたね。私は早速「3ミリ」のものを買って帰りました。以前に3mmと2mmが両端についているものを買ったんですが、机の上から忽然と消えてしまいました。書類と一緒にゴミ箱行きだったんでしょうか?こんなことが増えてきました(笑)。これで5本目かな?それぐらいに気に入っている商品なんです。みなさん、ぜひお試しあれ!!❤❤❤

 

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宍道湖遊歩道の表示板

 美しい夕陽で知られる松江の宍道湖ですが(⇒私のレポートはコチラです)、その楽しみ方はただ「眺める」だけじゃないんです。長年松江に住んでいますが、宍道湖大橋を北側に降りてきたら、面白いものを発見しました。ここは市民の散歩やランニングコースとなっています。何一つ遮るもののない湖と空の大パノラマの中でのウォーキング&ランニングは最高ですね。湖のほとりで一休みしている水鳥の姿も見ることもできます。休日には釣りを楽しむ家族連れの姿も多く見られます。建物が多い都会ではなかなか味わうことのできない開放感です。んじ湖温泉」街から道路を一本挟んで宍道湖沿いに遊歩道があり、近くの温泉旅館に宿入りしてから食事までの時間や、早朝の朝食前にちょっとだけ早起きして、ふらっとウォーキング&ランニングが楽しめます。さて、この遊歩道の足下に、100mごとに距離数松江名物のイラストが描かれたパネルが設置されていて、走行距離がわかるようになっていました。何度も通っている場所なんですが、今まで全く気づかなかった表示板です。すぐに分かるイラストもあれば、思わず足を止めてしまうユニークなイラストもあります(笑)。今日は足を止めて、1枚1枚注意して見てみました(下の写真)。スタート地点から1kmまで表示板が続いています。距離がわかるとテクテクやる気もアップします。折り返すと2km歩くことができますから、格好のウォーキング・コースですね。朝もやの中に浮かぶしじみ船や、水面にゆらめく松江の夜景など、宍道湖の様々な表情に出会えるはずです。ガイドブックには載っていない宍道湖の魅力を、ぜひ体感してくださいね。医者から、歩け、歩けと言われている私。夕陽を見ながら、この遊歩道を歩こうかな。でも家から遠いしなあ~。❤❤❤

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西村京太郎先生の戦争論

 北朝鮮がグアムに向けて4発のミサイルを発射し、島根・広島・高知を通過するというとんでもない計画を発表し、戦争への引き金になるのではとの報道に、緊張が走りました。私の住んでいる島根県も一躍注目され、出雲駐屯地に「パック3」が配備されるなど、慌ただしい対応を見せています。8月29日(火)早朝には、襟裳岬上空を通過して、弾道ミサイルが太平洋上に着弾しました。私は当日、広島のホテルの部屋で、テレビのニュースに釘付けになっていました。9月3日(日)には核実験までやったみたいですね(広島に落とされた原爆の10倍以上の威力という報道も)。いったいどうなっていくのでしょうか?恐ろしい。

 そんな中、戦中派の西村京太郎先生が初めて書き下ろした自伝的ノンフィクション『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書)が、大きな話題となっています。私も発売と同時に書店に走り、読了しました。昭和20年4月1日。少年・矢島喜八郎、のちの作家・西村京太郎さんは、エリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学します。8月15日の敗戦までの、短くも濃密な4か月半。「天皇の軍隊」の実像に戸惑い、同級生の遺体を燃やしながら死生観を培い、「本土決戦で楯となれ」という命令に死の覚悟を決めました。戦時下での少年は何を見て、何を悟ったのか。そして、戦後の混乱をどのように生き抜いて作家となったのか。本書は、自身の来歴とともに、いまこそ傾聴したい、戦中派の貴重な証言となっています。

 さて、熱狂的なファンである私は、600冊になろうとしている西村先生の著書のほとんどを読んでいるんですが、2015年に刊行された先生の作品群には、大きな傾向の変化が見て取れました。主人公の十津川警部が活躍する設定は同じなんですが、物語中には必ず、戦争の事実の記述や体験談が盛り込まれたということです。戦後70年という節目の年に、意図的に戦争を入れておられるな、と私は感じていました。個人的には、思いもかけない列車のトリックや、人間模様を主軸としたトラベルミステリーが好みなんですが、読んでいると、必ず戦争と絡めたお話になっていくのが、その当時の先生の特徴でした。例えば、その代表例が『八月十四日夜の殺人』(ジョイノベルズ)でしょう。戦争を知らない私も、この長編を読むことによって、ずいぶん勉強になったものです。若い人たちもぜひ読んでいただきたい西村先生の作品です(最近、実業之日本社文庫で再発売されています)。十津川警部の声を通して、日本人の無関心を嘆いておられます。

 亡くなった両親は、あの、玉音放送があって、その後、B29による、爆撃がなくなったので、ホットしたと、子供だった十津川に話していたから、その辺の事情も、知っているつもりだった。しかし、終戦前後の詳細になると、十津川も知らなかった。そこで、亀井と二人で今日中に、なんとか細かいところまで知ろうと、十津川は考えていた。しかし、終戦というか、敗戦というか、それがどうして、決まったのかについて書かれた膨大な資料を、亀井と読み進めていくうちに、まず自分の知識が、あまりにも少なく、真相に、遠いか、知ることになった。

 チョット重たいな、と思いながらもこれらの全作品を読んでいますが、どうしてこのような作風変化が生じたのか?という理由を、日本推理作家協会「嗜好と文化」Vol.46に登場した西村先生はインタビューで語っておられました。⇒コチラで全文を読むことができます

 戦争ものを書いておきたいと思いまして。B29などをデスクに置いておくと、この爆撃機に校庭で追いかけまわされたなあ、と当時のことが思い出されますから。最近の作品に、戦争中や戦後社会のことを書いています。戦後70年の今年出版される十津川作品にはすべて戦争、戦後のことが入っています。特攻隊員の生き残りなど、事件の関係者の祖父、祖母の経験したことを回想として描いています。元軍国少年としては、今の視点で書くのではなく、当時生きていた人間がその時どう感じていたか、を伝えたいという思いがある。表現上難しいところもありますが、これが実際にあったことだ、ということを伝えたい。でないと、戦争を忘れちゃうでしょう。最近の若い編集者と話していると、B29を見て、『これは何ですか』と聞く。戦争や戦後のこと、知らないんですね。がくぜんとします。

 先日、8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、著者の西村京太郎先生が、日本人がその国民性からして「戦争に向いていない」と断言されましたね。先生は上の『十五歳の戦争』の中で、その理由を次のようにまとめておられます。

①国内戦と国際戦の違いがわからない。
②現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本人は、死に酔ってしまう。
③戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人はだらだらと続けていく。
④日本人は、権力に弱く戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。
⑤頭の中で反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと、自分を納得させてしまう。
⑥日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。
⑦日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

 番組では、ノンフィクション作品『十五歳の戦争  陸軍幼年学校「最後の生徒」』の発売を機に、著者の西村先生がVTR出演して、自身の戦争体験を振り返っておられました。西村先生は陸軍のエリート将校養成学校である「陸軍幼年学校」在学中に、14歳で終戦を迎えたといいます。当時の悲惨な体験から、「日本人は戦争に向いていない」と心から悟ったそうです。西村先生は『十五歳の戦争』の中で、他の国が「現代の戦争」を戦っているのに対し、日本は「際限のない精神主義、根性主義である。これは信仰に近かった」「特攻と玉砕に酔う人たちである」と綴っておられます。「現代戦争ってね、生き延びなくてはいけない」と語ります。一方、西村先生は日本人が「死ねばいいんじゃないか」と考えてしまうため、戦争に根本的に向いていないのだと解説していきます。そして、日本人には今も「死んでなんとか勝つぞ」といった精神性が伏流していると指摘し、そうした国民性から「戦争はしない方がいい」と強調しました。一度戦争が始まったら、「みんなが死んでるのに、俺だけ生きてるわけにはいかない」という考え方をしてしまう、と語っておられました。

 やはり昨年の「赤旗」日曜版にも、西村先生は語っておられました。

 終戦の時は15歳でした。陸軍幼年学校にいたので、あと何年か戦争が続いていたら、小隊を率いて死んでいたでしょう。怖いのは、戦争になると死を恐れなくなること。戦争のための教育をたたきこまれたから、死ぬのは全然怖くなかった。戦争末期は爆撃も激しくなり、誰も勝てるとは思わなかった。でも上の人は”勝てないけど負けない”と言う。そんなおかしな理屈をのみこみ、自分は勇ましく死ぬんだと思いこんでいた。狂気にかりたてられていたというか、狂気が”普通”になっていました。僕は『戦陣訓』が嫌いです。陸軍刑法には、捕虜になったときの規定がある。法律上は、捕虜になってもよかったんです。でも、『戦陣訓』のせいで、死ななくてもとかった人がたくさん死んだと思います。日本人は家庭ではいい人です。でも実際は、戦争中の話をいろいろ読んでいくと、違いますよね。兵隊になったとたん、おかしくなっちゃうんです。僕は戦争したくないけど、なかには戦争したい人もいるんだよね。不思議なんだけど。アニメやマンガの中には、戦争を何か勇ましいことのように描くものもある。だけど実際の戦争は違う。首相も政治家の多くも戦争を知らないんです。昔は自民党の中にも戦争を知る政治家がいて歯止めになっていた。そういう人たちがいなくなっちゃうのは困るんだ。戦争中、東条英機首相の暗殺計画があったんです。それを踏まえて考えると、いまの日本は平和だけど、上の人(首相)がおかしくなって日本が戦争に突き進もうとするようになったら、首相を暗殺しようとする動きが出てくるかもしれない。現実はもちろん許さないことだけど、小説だから、そんな話も考えています。世界中が戦争になっても日本だけはたたかわない方がいい。たたかわない国が、一国でもないと、まずいんだ。日本は第2次世界大戦の時のスイスのように、したたかな外交力を発揮すべきです。アメリカと一緒になって戦争に巻き込まれるのはまずいと思うな。誰から何をいわれようと、日本は戦争はしない。その道を突き進めばいい。そういう国がないと、戦争の仲裁とかもできないでしょう

 西村先生は、戦争を肌身の体験として知っている最後の世代に属しておられます。今、先生にしか書けないご自身の苛烈な体験に、耳を傾けてみましょう。


(追記)月曜日に放送された十津川警部シリーズ最新作において、やはり予告通り、西村京太郎先生と奥様がテレビに登場しておられました。香取教授の自宅を訪ねた十津川警部が、玄関先で振り返ると西村先生ご夫妻がおられ、「あの~、お近くにお住まいの方でしょうか?」と尋ねると、しばらく見つめ合い、「いいえ」と言って立ち去って行くお二人でした。あの場面はいったい何だったんでしょう?いかにも唐突でしたね(笑)。先生も去る9月6日に、87歳の誕生日を迎えておられます。著書ももうすぐ600冊のカウントダウンが始まっています(現在592冊)。先生の今の目標は635冊だと、私に語られました。東京スカイツリーの高さ634mを1つだけ上回りたいとのことでした。⇒私のインタビューはコチラです  最新著作リストは「西村京太郎研究会」コチラをご覧ください。❤❤❤

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「お色直し」

 数年前、センター試験の第1問に関して、某予備校の某講師が著書の中で、過去問をやっても意味がない。同じ単語は出ないから」という意味のことを書いておられて、唖然としたことがあります。「あー、この人は自分で過去問を解いていないんだなあ~」と思い、それからはこの人の書くものは信用しないことにしました。私は1990年から2017年までのセンター試験の本試験・追試験をデータベース化して、その中身をいろいろな角度から分析して、4種類の「頻出語リスト」にまとめています(昨年はこのリストを自費でCD化して、生徒が繰り返し音読し、好成績を収めました)。詳しくは私の「センター対策本」をご覧ください。その中で複数回出題されたものには、★★★、★★、★印をつけて注意を喚起しています。発音問題で出た単語が、アクセント問題に登場したり、その逆もあります。たとえば、energyなどは5回も出題されています。それはこの語がよく使われる日常語となっているのだけれど、日本語読みすると間違える「カタカナ語」だからです。おそらく出題当初は生徒の正答率が低いところから、何度も再登場したものと思われます。センター試験では、このように一度出た単語が再び登場する、形を変えて登場する、ことが頻繁に見られるのです。それが最も顕著なのが、第1問の「発音・アクセント問題」です。私は、授業ではこれを結婚式で花嫁が衣装を何度も着替えるのに喩えて、「お色直し」と呼んで、生徒に注意を喚起しています。

 第1問だけでなく、第2問も「お色直し」(=再出題)がよく見られます。たとえば、have + O + V-ed」の構造は、1991 年度(本試)、1994 年度(追試)、 1998 年度(本試)、2004 年度(本試)、2006 年度(本試)、2015 年度(本試)と、これまでに6回も出題されています。2017 年度(本試)では、havegetに代わっただけの「get + O + V-ed」出題されました。聞いているポイントは同じことなのですが、正解率が大幅に落ち込みました(43.2%)。このように文法・語法問題には、繰り返し出題されるものも存在するので、過去問題を解きながらその傾向をつか むことが大切です。八幡成人(監修)中川右也・土屋知洋(編)『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(桐原書店、760円+税)「ハンドブック」(写真下、出版当時はピアソン桐原)が的中率が高いのは、そのような詳細な分析を背景に、頻出事項をまとめてあるからだと思います。現在第13刷です。ぜひオススメしておきます。松江北高の補習科でも、最近この1冊を終わりました。

 上で述べたことは、自分で過去問をしっかりと解いて分析していないと分かりません。残念なことですが、現場の教師も全員がこれをきちんとやっているとは言えない状況です。日頃の模試でさえ、自分で丁寧に解きもせずに、「やっておきなさい」で片付けて、「やりっ放し」になっているところが多く見られます。それでは生徒の力がつきません。模試もセンター試験の過去問も復習して初めて力になっていきます。

▲左から土屋先生(防衛大学)・八幡・中川先生(鈴鹿高校)

    

 上揭書の共著者中川右也先生(三重県鈴鹿高校)が、昨年に引き続き、今年のセンター試験を詳細に分析してまとめたものを送ってくださいました。センター試験(英語)の傾向」(全64頁)という資料で、「ダウンロードサイト」に登録してありますので、ぜひご一読ください。先ほど例に出した第1問では、どのような単語が今までに出題されていて、どれだけ「お色直し」が行われているか、過去の出題語がアルファベット順に一覧表になっていて、一目で理解できます。これは貴重な資料です。中川先生、どうもありがとうございました。みなさんで共有させていただきます。

・「センター試験(英語)の傾向」 鈴鹿高等学校 中川右也⇒コチラです

(追記)今日、中川先生からメールがあり、一昨日のブログで紹介したカシオ電子辞書セミナーで知り合った野村和宏教授(神戸市外国語大学)は、中川先生の修士課程(英語教育学)の指導教官だったそうです。中川先生と私は、どちらも故・安藤貞雄先生の教え子という共通点があります。再び、人の不思議な縁を感じました。出会いは大切にしなければなりませんね。

▲私の大好きな「鳥取花回廊」にて 暇があると出かけています

 

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岩崎宏美の「夢」

★神様がくれた休暇?!★

 抜群の歌唱力で歌い上げる岩崎宏美(いわさきひろみ)さんには、さだまさしさんへのトリビュート・アルバムがあるくらいですから(⇒私の紹介レポートはコチラ)、二人は非常に仲が良く、「ひろみ」「まさし」と呼び合う仲です。山口百恵ちゃんに『秋桜』(コスモス)があって、なんで私にないのよ!」と脅迫して(笑)作ってもらった曲が「夢」という歌です。さだまさしさん作詞・作曲の「夢」が発売になったのは2001年のことでした。ところがちょうどその頃、岩崎さんはのどにポリープができていて、本来の声が全く出なくなっていました。神戸で行われたコンサートで、こんばんは、皆さま、ようこそお越しくださいました。岩崎宏美です」幕があいて客席に向かって最初の一言を発した瞬間、そのガラガラ声に、お客さんがスーッと引いていくのが分かったと言います。その後、どうステージをこなしたのか、ちゃんと歌えたのか、全く記憶がないと言います。アンコールの時に、もう無理なので、休みます……」と、泣きながら宣言したそうです。さださんにお詫びの電話を入れます。新曲のPRの時期なのに、歌うことができなくて申し訳ない、と。すると、さださんは、こんな言葉を岩崎さんにかけたそうです。

 「これは神様がくれた休暇だよ。宏美の歌い方でポリープができるとは思えないけど、宏美は今まで休まずにずっと歌ってきたんだ。一度リセットして、また新たに頑張れっていうエールなんだから、何も心配しないで、ゆっくり治せばいいよ」

 岩崎さんは涙が溢れたそうです。そして、逃げずに不調と向き合おうと、そのとき決心がついたそうです。その後、のどが元に戻るまでには一年以上かかりました。この経験から、歌えることは当たり前でなく奇跡なのだ、と気づくことができました。歌手最大の危機をプラスの経験に変えられたのは、さださんのあたたかい励ましの言葉があったからこそだ、と語っておられます。最新の『PHP』10月号に、このいい話を岩崎さんが書いておられたので、ご紹介しました。岩崎宏美さんの「夢、さださんらしいいい曲です。さださん自身も歌っておられ、本家と聞き比べてみるのもいいでしょう。

 このさださんの言葉が救いとなり、岩崎さんは、さらにさださんのファンになったと言います。「大好きだからなんです。昔から仲良くさせていただいているんですが、ここ10年ぐらいかな、自分の中でいろいろ大変な時期や立ち止まった時期に、こういう歌を書けるさだまさしさんはすごいなと思って。彼の曲を聴いて自分を奮いたたせる中で、まだまだ歌いたい曲があると思いました」 以来、「歌いたい曲を見つける」と、さだ作品を聴き続け、カバーをしてきた彼女。トリビュート・アルバムを作ることが決まったとき、最初に「歌いたい」と思った曲は「奇跡 ~大きな愛のように」だといいます。この歌をどうしても歌いたくてこのアルバムを作ったんです。去年の震災で皆が胸を痛めていたとき、この歌でどれだけ元気をもらったことか。私自身もまさしさんのコンサートでこの曲を聴いたときに声を押し殺して泣きました」 私もこの歌は大好きな作品で、特に出だしのサビから始まる「どんなにせつなくても  必ず明日は来る  ながいながい坂道のぼるのは  あなた独りじゃない」という詩が、ジーンときました。お聴きください。

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カシオ電子辞書セミナー

 もうずいぶん前のことになりますが、昨年の夏休みの8月6日(土)に、岡山県立笠岡高等学校にお招きいただいて、三年生に「特別授業」をさせていただきました。その授業に、カシオ計算機岡山支社・所長の山崎 哲さんと西林さんが見学に来られました。私は、高校入門期は紙の辞書で徹底的に辞書指導をして、ある程度英語力がついた時期(たとえば大学生)から電子辞書を活用すべきという持論を持っていて、入門期の生徒たちには、かたくなに電子辞書の教室への持ち込みを禁じてきました。その後松江に帰ってから、10月1日(土)に、「授業に生かす電子辞書セミナー」を米子で開催するからぜひお出かけください、というお誘いをその山﨑所長からいただき、ちょうどその日は空いていたので、会場の米子・ビッグシップに出かけてきました。神戸市外国語大学野村和宏教授がご講演なさるということもあり、楽しみに会場に入りました。開会までまだ時間があったので、会場で終わったばかりの中間試験の採点に精を出していました。

 さて、流暢な英語で野村先生の講義が始まりました。鳥取県だけでなく、島根県からも顔見知りの先生方がご参加になっていました。非常に勉強になるお話でした。英語教育論だけでなく、実際の機器を試しながら、電子辞書が英語授業にどのように役立つのかを具体例を交えながら教えていただきました。個人的には野村先生の英語の勉強の仕方をいろいろと伺うことができ、とても参考になりました。真似てみようというものがいっぱいありました。小西先生の下で苦労された辞書のお話は、同じく辞書に携わる者として非常に興味深いものでした。野村先生のお話を聞き、特に現在の電子辞書はここまで進化を遂げていることを知り、私の今までの「価値観」が揺らぐ体験でした。

▲神戸市外国語大学野村和宏教授と

 会の終了後、発表をされた米子西高校波多野先生たちとコーヒーを飲みながら歓談した後、場所を移して食事に出かけました。野村先生のカメラの趣味、万年筆の趣味、などに加えて、英語談義に盛り上がりました。本当に楽しいひと時を過ごすことができました。山崎所長、貴重な機会をありがとうございました。人との出会いというのは、こういう偶然が大きな役割を演じます。

▲説明会で山﨑所長

 そんなこんなで、カシオ計算機さんと不思議なご縁ができ、学校に来ていただいたり、電子辞書の最新情報をいただいたりしておりました。で、今回は松江北高等学校の英語科の先生方に、最新モデルを試していただこうということになり、担当の徳原裕則さんをはじめ、カシオ計算機の方々に学校にお越しいただき、デモ説明会を開催しました。英語科だけでなく、興味のある他教科の先生方もたくさんご参加いただきました。詳しい使い方・活用法を聞いて、その魅力に魅せられ、ぜひ自分も使いたいということで、多くの先生方が電子辞書をご購入されました。

▲松江北高での電子辞書説明会

 そんなご縁もあり、この度、私がカシオの電子辞書最新学校モデルXD-G4700の紹介文チラシ「移動図書館+知の宝庫」を書かせていただきました。多彩な検索機能、コミュニケーション能力を総合的に高める仕組み、140もの有用なコンテンツ、コーパス的利用法、など私の個人的な活用法を詳しく解説しております。ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、興味のある方はご覧ください。⇒コチラです

・「移動図書館+知の宝庫」 島根県立松江北高等学校 八幡成人

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「ラコステ」はいいな!

 広島・そごうの新館7階にある「ラコステ」に通い出してからもう20年近く経とうとしています。私は洋服は「ラコステ」「ブルックスブラザーズ」と決めていまして、広島に出るたびに、ここと福屋にあるブルックスのお店をのぞくことにしています。やはり決め手は品質ですかね。⇒コチラにロゴの起源と高品質について私が解説しました   もう長い間着ていますが、「ラコステ」のものは裏切られたことがありません。やはりいいものはいいんです。

 今日も、高速バスの発車時間まで1時間ほどゆとりがあったので、のぞいてみました。もう十年以上も担当してくださっている方で、とってもよくしてもらっています。私がブルー系を好んでいることもよく知っておられて、いつも行く度に、奥の倉庫からいろいろと出してきてくださいます。今日もそんな2枚をいただきました。

 さて、支払いを済ませて返ろうとしていたら、足下のところにバッグが何個かぶら下げてあって、私の大好きな色が目に付いたんです。以前も、「ラコステ」のライトブルーのバッグを買って長く使っていましたが、さすがに10年近くも使っていると、ファスナー部分が痛んできていました。早速手に取って見ると色が鮮やかでいいんです、これが。早速いただくことにしました。写真でパチリ!

 今日ものぞいて収穫がありました。昔は、藤岡さんという店員の方が、すごく親切にしてくださって、この店に通うようになりました。いつも大量に買い、持って帰るのが荷物になるので送ってもらっていたんですが、荷物の中にはいつも丁重なお手紙が。これが心温まる文面で、いつも「また行こう!」と思うような内容だったんです。今はもうこの方は辞められて二代目さんなんですが、気さくにいろいろとアドバイスしてもらっています。やはりお店は店員さんですね。宣伝も頼まれたので(笑)、広島そごう」のラコステ、いいですよ!❤❤❤

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「シャンボール」

◎週末はグルメ情報です!!

 「リーガロイヤルホテル広島」に泊まると必ずお邪魔するのが、最上階(33階)にあるフレンチ・レストラン「シャンボール」です。何よりも眺望がすばらしいんです。 ホテル最上階から見る広島の絶景夜景と、フレンチのコースを堪能することができます。室内も華やかなシャンデリアがある落ち着いた空間になっていて、フランスのシャンボール城を彷彿させるインテリアです。 白で統一された室内はとても高級感がありますね。お料理・お味、そしてサービスも本格的で、私にはホッと心を休めることのできるゆったりとした憩いの場となっています。ここに来ると、明日への活力をいただいています。

 広い大きな窓から見える広島の美しい夜景を額縁にして、美味しいフレンチをいただくんです。いつも来る度に思うことなんですが、このお店の「お水」が最高に美味しいんです。お水が美味しいと感じるお店はそんなにないんですが、ここだけは人にも勧めています。担当の方のお話によれば、広島のお水は名水にも選ばれていて、汲みに来る人もいるくらい美味しいんだそうです。そのお水を上質の浄水器でこして使っているとのこと。いつも何杯もお代わりをしてしまいます。今夜も私一人の貸切状態で、係りの人と親しくお話をしながら、コース料理をいただきました。いつも来るたびに思うんですが、スタッフが上品で感じのいい親切なお店です。

 広島の食材をふんだんに使った、季節感あふれる料理のお味も最高に美味しいんです。今日いただいたのは次の通り。彩りも豊かで鮮やかな料理の数々は目でも堪能できます。私はここの大ファンなんです。最後に頂く小菓子とコーヒーの美味しいこと!❤❤❤

アミューズ ブーシュ
烏賊とイカ墨のメダイヨン仕立てウニを添えて松の実を散らしたサラダと共に
本日の魚のポワレ 冬瓜のサフラン風味添え
パン&バター
ヴェルモットとヴァン・ムスー風味ソース
オーストラリア産仔羊肩ロース肉のグリエ 彩り野菜添え ジュ・ダニョーにエストラゴンの香りをつけて
本日のデザート
コーヒー・ミニャルディーズ添え



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「ヘンなジジイ」の三条件

 今年で歌手活動44年目を迎えたさだまさしさん。これまで積み上げてきたコンサートの数はなんと4239回!(日本記録)です。8月25日(金)のNHK「BSコンシェルジェ」に出演したさだまさしさん。ここで、さださんが目指しているのは「ヘンなジジイ」だと述べておられました。20代前半に一緒に酒を飲んだ哲学者谷川徹三さん、文芸評論家山本健吉さん、作家遠藤周作さん、野球選手王 貞治さんたちが自分の人生を変えたという。よく見てみるとみんな変なジジイだと言います。さださんいわく、ヘンなジジイ」には共通の三条件があり、まずは、1)知識が豊富であること。それぞれのジジイの一言にそれぞれに正解があり、正解は一つではないということを気づかせてくれるという。漫然と生きていくと情報が流れていくだけで、知識は増えていかず、変なジジイになる人は流れていかないように紐を離さないという。知識という記憶力の中で培ってきたものを、どう実生活で活用できるかということが本当の知識であり、教養だと思うと話しました。

 次に、(2)「どんな痛みも共有してくれる」。さだまさしさんは山本健吉さんがいなかったらとうに歌をやめていたかもしれないと話しました。根暗」「軟弱」「マザコン」「女性蔑視」「右翼」「左翼」など、歌ってきた曲が批判を受けるたびに、たかが歌でなんで日本中を敵に回すのか?と思ったといいます。さらに「防人の詩」がヒットした時には、戦争の映画だったため、戦争を賛美していると言われました。その時に山本健吉さんは、これは命の詩であり、居なくなった人を歌うことは、日本の詩歌の伝統で、キミは居なくなった人を歌うのはうまいから自信を持ちなさい、と励まされ、胸を張ろうと思えるようになったという。このように「ヘンなジジイ」はいつも背中を押してくれる人です。

 最後は、3)「何か一つスゴイものを持っている」。これは最低条件で、さださんはまだ何も持てていないといいますが、それは謙遜です。さださんは職人が好きで、色んな全国の職人に会いに行くといいます。「人は道によって賢し」という言葉があるが、職人は抜群の知識がある。生活品を作っているので、気負いもないし、カッコもつけない。そんな変なジジイになりたく、自分は歌を歌うので、歌をうたうことで変なジジイになれたらいいと話しました。迷っている青年には、色んな“ジジイ” “ババア”に会って欲しいと言います。男性はジジイで、女性はババアがいい。「あ!この人すごいな!」と思った瞬間に、迷っていた霧がパッと晴れるといいます。

 さださん曰く、僕には夢があります。その夢の実現のために、いろんなことをやっているところなんです。人生はたった一度しか生きられないんです。だから、いろんなことを体験して、それを身体のあちこちのポケットにしまっておきたいんです。僕の夢!年をとったらへんなじじいになりたいんです(笑)。いや、笑ってらっしゃいますけど、僕、本気でへんなじじいになりたいんです。残念ながらへんなばばあにはなれないもんで、身体の構造上ね(笑)

 さて、思い起こしてみるに、さださんは若い頃からコンサートで、ヘンなジジイ」になりたいと公言しておられましたね。ある会場では、こんなことを言っておられました。

 ほらッ、時々いるじゃない、へんなじじいが。いろんなこと知ってやがって、ホラ吹きでね(笑)、なんでも知ってる、どこまで本当かわからないけど、いろんなことを知ってるじじい、そういうのになりたい。そのために、いま、いろんな体験を積んでいるんです。で、年をとったら若い衆を集めてね、ホラを吹くんです。「あのじじいよ、ホラばっかり吹くけど結構おもしれぇんだ。行こうぜ」って、町内の若者連中がワサワサ寄ってくる。それを相手に、そりゃもう、いろんなことしゃべって聞かせる。お茶菓子も出してね、フフッ、お茶菓子で釣る。そのために今からお茶菓子代をためるんです。ああッ、へんなじじいになりてぇなぁ!(笑)だけど、本当のこと言っても信じて貰えないだろうなあ。ホラだと思われるようなこと、僕はいろいろやってきましたからねえ。たとえば、あと三十年も四十年もたってから、もし生きてたとしてね、こんな話をするの。

 「バッキャロウッ、わしの若い頃はなッ、新宿の厚生年金って知ってるだろう。あすこにな、ワアッと、たァくさんのお客さんがな、わしの歌を聴きに」(笑) なんで笑うの? ねえ、なんで笑うの? 歌を聴きにで(爆笑)。フフフッ、「しゃべりもだけどなあ(笑)、そりゃあもう、たくさんの人が集まってくれたんだぞォ」 「嘘つけッ、このハゲッ!」(爆笑)とか言われながら、頑張りたいですよねえ。話だけじゃ信じて貰えないようなこと、たくさんありますもの、わたしの場合は。「わしがな、若い時にな、奈良の東大寺の大仏様に尻向けて歌ったんだぞォッ」 「ほんとォッ? このじじいがァ」(笑)なんて、いわれるような気がするなあ。
「わしの若い頃、中国に行ってな、峨眉山に登った。峨眉山、知ってるか?」
「ああ、あの杜子春に出てくるあの山かな」
「そうだ、その峨眉山、標高三〇九九メートル、わしはな、あの、中国の名山中の名山といわれる峨眉山に登ったんだ、自分の足でな。きれいだったぞォ。その頂点に立ってなァ、雲海の上からゴビ砂漠に向かってションベンをしたんだッ、俺はッ」(笑)本当にしたのに信じないやつがいるんじゃないかと思うんですね。そういう意味じゃ、ずいぶんいろんなことをさしていただきました、おかげさまでね。ああ~ッ、へんなじいさんになりてぇなァ! わたしはそんな夢を抱いております。

 ほらッ、可愛いじじいってよくいるでしょ、もうッ、あのおじいちゃん、可愛いのォッ、優しくって、いつもニコニコしててね、人がよくって、なぁ~んていわれたかァないんですッ、わたしは(笑)。あのじじい、やなやつだな、なんていわれながら、ご近所の嫌われ者でいてね、子供が道端で遊んでると、パシーンッて横っ面ひっぱたいて、「(年寄りの声で)危ないとこで遊ぶんじゃねえッ、このガキはッ」(笑)なんていいながら歩く。僕の子供の頃いましたよ、松竹じいさんっていって、大きな声で子どもを怒鳴って歩くご近所の嫌われ者が、長崎でね。まあ、怒って歩くだけじゃしょうがないんですけどね。でも、誰かが相談にくるとね、「おうッ、それはな、こうだよ」なんて、なんでも答えられる、そんなじいさんになりたいな。そのためにはなんでもします。今から、いろんな体験を積んでおきたいんです。東に可愛い女子学生いれば行って電話番号を聴き、西に淋しい未亡人あれば共にコブ茶を飲みつつ語らう、そんなじじいにわたしはなりたいッ!(笑)

 死ぬ時がまたいいのッ!(笑) もうッ、最後のひと言を決めてあるんです。いよいよ危ないって思ったら、近所の若い衆を全部集めるんです。みんなワァーッと集まってきますよ。もうねッ、可愛い女の子なんかウジャウジャ来ます(笑)。で、最後、わたしはね、ヨレッとしてるんです。やっと布団から起き上がってね、苦しい息の中から 「(力ない低い声で)わしはなあ、いままでこうして生きてきたがなあ、なかなかおもしろかったあ。最後にひとつ、お前たちに頼みがある。威勢よくいきたい、それじゃあッ、お手を拝借ッ(笑)、イヨーォッ、パ~ンッ」(笑)これで、ガクッといくわけね。そうすっと、若造の中のリーダーがわたしにパーッと駆け寄ってきてね、ガバッと抱き起こすとパンパンパンパンッて頬っぺたを叩いて、わたしを呼び戻すの、「じいさんッ、しっかりしろッ、じいさんッ、じいさんッ!」そうするとわたしはうっすらと目を開けて、息も絶えだえに最後のひと言をいう。こう、手をさしのべてね、聞こえるか聞こえないか、でも聞こえるように、「アアーッ、あ、赤城山のふ、も、とォ~…」ガクッ。すると、若造め、びっくりするわけですよ。まわりの連中の顔見まわして、「おいッ、いま、なんかいっただろッ、じいさん」
「うん、いったよッ」
「なんつった?」
「赤城山のふもと、とか…」
「いったよなッ、赤城山のふもとって、確かに!」
「じじいッ、なんか埋めやがったぞッ、これッ」(爆笑)
「そうだッ、絶対埋めたよッ」

 みんなでツルハシ持って、赤城山のふもとまででかけるわけ(笑)。埋めてないのッ、ぜ~んぜんッ(笑)。わたしは嘘ついたわけじゃあないんです。赤城山のふもとはきれいだっていいかけて死ぬわけですから(爆笑)。まあね、わたしはそれが夢です。実現可能な夢! そうやってホラ吹きたいためにね、いま、どんなことでもやろうじゃないか、なんでも体験してやろうじゃないかってね、頑張っているところでございます(拍手)。楽しいよォ!

 私もこんな「ヘンなジジイ」になりたいものです。そんなことを考えていたら、8月29日(火)朝、泊まっていた「リーガロイヤルホテル広島」のお部屋に入れられた『日本経済新聞』に、さだまさしさんの新著『やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい』(PHP、1100円税別)の広告が掲載されていました。とってもタイムリーでした!すぐその足で、丸善ジュンク堂」に急ぎ、この本を買ってきました。帰りの高速バスの中で一気に読み上げました。上で述べたことが、ヘンなジジイの例をたくさん挙げながら、詳しく語られていました。さださん、ヘンなジジイへの道を着実に歩んでいますよ(笑)。今日、さださんの2年ぶりのオリジナルニューアルバム『惠百福  たくさんのしあわせ』が届きました。⇒詳細はコチラ    9月9日(土)には「サワコの朝」にゲスト出演して、阿川佐和子さんとの楽しいトークが繰り広げられますよ。❤❤❤

 

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西村京太郎先生 、十津川警部テレビ出演!

 渡瀬恒彦さんに代わって内藤剛志さんが十津川警部を演じるシリーズも、早いものでもう今回が3作目になりますね。タイトルを『新・十津川警部シリーズ』から『十津川警部シリーズ』に改め(TBSテレビ局がこれを定番にしようとする意図の現れ?)、今回は3時間のスペシャルバージョン「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ3  伊豆踊り子号殺人迷路」で、来週月曜日9月11日(20時~)に放送されます。ドラマの見どころである鉄道サスペンスの旅情と、前代未聞の殺人事件の謎解きをたっぷりと堪能しましょう。サスペンスドラマ初出演の堺 正章さんが、事件解決の鍵を握る犯罪心理学者としてゲスト出演。十津川に事件解決のヒントを与えると共に、謎を秘めた「知の巨人」としても立ちはだかります。内藤さんと堺さんは、以前ドラマ「水戸黄門」第40部(2009年)でも共演しておられ(風車の弥七役と松尾芭蕉役)、久々の共演になりますね。

 警視庁捜査一課の十津川班に寺西刑事(窪塚俊介)が編入されます。射撃の名手でもあり、有能な寺西に十津川の期待も膨らみます。一方、部下の西本刑事(高杉瑞穂)は恋人と伊豆旅行へ出かけますが、そこで思いもよらぬ事件が…。恋人が宿の料理人を包丁で滅多刺しにして殺害し、自らも自殺してしまいます。十津川警部(内藤)と亀井刑事(石丸謙二郎)ら十津川班が捜査に乗り出す中、同様の事件が横浜と千葉でも発生します。会社員の男性が恋人とデート中に、恋人が殺人事件を起こし自殺したのです。動機不明、犯人自殺という奇妙な事件の捜査を進めると、それぞれの事件の加害者は、多重人格に関する同じ本を読んでいたことが判明します。三上刑事部長が協力を要請し、本の著者であり犯罪心理学者の東都女子大学名誉教授・香取(堺正章)に、事件についての意見を求めます。香取の解説は理路整然としていました。やがて事件を取材しているという医療ジャーナリストの鏑木(矢田亜希子)が、十津川の前に現われ…。香取は敵か?味方か?そのどちらでもないのか?内藤演じる十津川警部と、堺演じる香取による心理戦も、今作の見どころの一つです。謎に包まれた香取の過去が暴かれるとき、次第に事件の驚愕の真相が明らかになり・・・。

★西村先生ご本人が番組に登場! 奥様も??

 さらに今回、西村京太郎トラベルミステリーファンには、必見のサプライズがあります!原作者・西村京太郎先生が、このドラマのある1シーンに出演しておられます。番組のスチール写真を「ギャラリー」で見たんですが、そこには西村先生だけでなく、奥様も登場しておられた(?)ように思いました。どこに登場しているかを必死で探しながらドラマを見るのも一興ですね。果たしてあれは奥様だったのか??また、10月16日(月)には、早くも今作の続編となるシリーズ4作目が3時間バージョンで放送することが決定しています。今秋、9月と10月は十津川警部シリーズファンにとっては堪らないシーズンになりそうです(テレビ朝日系・髙橋英樹さんの十津川警部シリーズも、9月20日最新作「山形・陸羽西線に消えた女」放送予定)。内藤さんと堺さんの爆笑インタビューも公開されました。

<内藤剛志さん>

 堺正章さんをゲストに迎え、十津川警部は謎に満ちた巨大な人物と対峙することになります。普段はバラエティなどの柔和な表情が印象深い堺さんですが、ドラマで見せる大きな存在感はさすが。以前、堺さんと二人きりで食事をして、芝居や人生について話をお聞きしたことがあり、その教えは今も大切にしています。今回は一緒にお芝居ができて学ぶところが大きかったです。このように目標として追いかける背中を見せてくださる先輩がおられることが幸せです。今作では3時間というスケールの大きなドラマをお届けします。この時間だからこそ挑むことのできるストーリーと謎解きがいっぱい詰まっています。原作者の西村京太郎先生が現場に来られて、出演もしていただいたこともうれしかったです。このシリーズに期待していると言葉も掛けていただいて、ドラマに寄せる深い愛情も感じました。

<堺正章さん>

 出演のお話をいただいたとき、内藤剛志さんが主演のドラマということが僕には魅力的でした。以前からドラマやバラエティで拝見して、仕事に対する真摯な姿勢に深く感じるものがある俳優さんだと思っていたので。内藤さんと対峙する芝居も刺激的でした。しかし引き受けてはみたものの、セリフが難しい専門用語の連続でその上長い。セリフを勉強していて無口になりすぎて、家庭に普段とは違う雰囲気が流れるほどでした。内藤さんの演技が魅力的にご覧いただけるよう心がけて演じました。バラエティとは違った一面を見ていただけるとうれしいです。

 西村先生をお訪ねしたときに、お会いした奥様の写真を載せておきますので、ぜひ当日の番組で確認してみてくださいね。❤❤❤

 

 

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アイスティー/アイスコーヒー(ice tea/ coffee)

  「ice teaともいう」という記述があるかと思えば、「ice teaとは言わない。正しくはiced tea」と書いてあったり、学習辞典の利用者は困惑するばかりです。次のような記述もあります。いったい実態はどうなんでしょうね。

                     iced tea アイスティー(ice teaとも言う) 
                     iced coffee アイスコーヒー(ice coffeeとも言う)

 『スーパーアンカー英和』『オーレックス英和』『ユースプログレッシブ英和』に見るような上記の示し方は、まるで両者が同じように併用されるという間違った印象を与えかねません。もう少し詳しく実態を調べて提示する必要があります。次のネット記事も参考になりますよ。⇒コチラ

 私たち『ライトハウス英和辞典』の編集顧問の故D.ボリンジャー博士は、レストランの卸問屋に行って調べてくださいました(1987年Palo Altoでの調査)。それによれば、ice teaiced teaよりもより普通の表現。仕入れ商品カタログの見出しはice teaであり、業者の中にはiced teaを広告の中に使うものもいる。博士の語感では、iced tea の方がice teaよりも”more elegant”とのことで、そのためか日常生活ではiced teaを避け、ice teaを普通に使うのだ、とのことでした。一方、イギリス英語に関しては、iced teaのみが正用法です(イルソン博士)、両者の間には分布・頻度の違いが見られるのです。アイスコーヒーは和製英語」「ice coffee, ice teaは和製英語。正しい英語にするためには語尾の-edを落とさないでiced coffee, iced teaとしないといけない」「日本語の「アイス・コーヒー」「アイス・ティー」に当たる英語は、アメリカ英語ではice coffee/ ice tea、イギリス英語ではiced coffee/ iced teaである」といった記述(例えば次のネット記事⇒コチラ)は、現実の語法を全く反映していない誤った記述ということになります。

 コーヒーの場合は、iced coffee, ice coffeeともに正用法ですが、iced coffeeの方がice coffeeより圧倒的に優勢です(ただし、日本ほどこの商品がcommonではないという事情も忘れてはなりませんが)。小池直己・佐藤誠司『大人の英語力が面白いほど身につく!』(青春出版社)には、「アイスコーヒーを英語で何と言う?―動詞のice(氷で冷やす)を過去分詞にして、iced coffee(冷やされたコーヒー)と表現するのが正解です」という不正確な記述があります。亀田尚己・青柳由紀江・J.M.クリスチャンセン『和製英語事典』(丸善出版、2016年)には(この事典とても面白い事典で読み物としても楽しめますよ)、次のような興味深いエピソードが紹介されています:

 あるとき、とても暑い日にカリフォルニアのコーヒーショップ(日本にもある、日本人なら誰もが知っているお店です)に入って好きなコーヒー飲料を注文しました。しばしばグアテマラの豆を挽いたコーヒーを味わっていると、誰かがiced coffeeを注文しました。それともice coffeeだったか?間違いなく、その客はメニューにある通り、iced coffeeといったのです。しかし、店員は注文を確認する時にice coffeeといっていました。おそらく体力の消耗を防ぐために短い言葉を使ったのでしょう。この短縮化現象も、和製英語が少しずつネイティブの英語の仲間入りを果たしている理由なのかもしれません。(p.282)

 英語も一筋縄ではいきませんね。詳しくは下記の拙論をご覧ください。

八幡成人(1988)「食い違う辞書の記述2題」『高校通信東書英語』No.176.
八幡成人(1990)「ボリンジャー博士の語法診断 第4回」『現代英語教育』7.

アイスコーヒーのイラスト

 

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ポップサーカス

▲先週はあまりの人の多さに断念!

 「ポップサーカス」松江公演(~8月27日終了)に行ってきました。7月から来ていたんですが、なかなか仕事と日程が合わなくて、日曜日に出かけたんです。公演開始30分前に会場に着いてビックリ!ものすごい駐車に長蛇の行列です。当日券(自由席)はもうありません。指定席がわずかに残っているのみで、それを求めてチケット売り場にはすごい行列ができていました。こりゃ、だめだ、と思い断念しました。これは平日に行かないと見ることが出来ないと思い、今日は午後から授業(5・7限)だったので、朝一で1時間前に会場に入りました。今の私は、こういった息抜きを楽しむことができる自由な勤務形態なんです。それでも、もうすごい人数の人たちが押しかけておられました。会場に入ってみると、半分強の観客だったでしょうか。

 サーカスの定番、ジャグリング、空中ブランコやアクロバット、ピエロショー、どれをとっても技が素晴らしくて、時には失敗もあったりして、サーカスならではのショーを楽しむことが出来ます。伝統的なヨーロッパ風のサーカスとも言われており、「木下大サーカス」とは一味違うショーを楽しめるようです。大掛かりな猛獣・動物の出演がないことが、唯一ちょっと物足りない点でしょうか。人間業を堪能するサーカスです。息抜きに、ワンちゃんの可愛いショーは、子供達にも好評でした。

 ポップサーカスの楽しみ方は、まずエントランスから。お土産屋さんや、軽食を買えるスタンドがあり、そちらで購入した物は場内でも飲食可能です。エントランスを楽しんだ後は、いよいよ舞台です。開演前にピエロが二人登場し、観客を巻き込んでユーモアのある演技の数々を披露し、会場を盛り上げます。いよいよオープニング、日本らしく和太鼓の演奏とド派手なアクションの連続で観客の心をしっかりと掴みます。サンバにのってブラジル人パーフォーマーによるショーです。ラテン系の筋肉ムキムキのお兄さん2人が行っていたジャグリングは凄いの一言です。速さと正確さと、投げた後の軌跡が美しく、見惚れてしまいます。ポールやグラブをぐるぐる回しながら、お茶目に自分たちの被っている帽子を取り合ったりして、ちょっとお笑いが入っている感じが面白かったし、見てても全く飽きませんでした。失敗のシーンが時々あり、ドキドキしましたが、あれはちゃんと計算された演技なんですよね。でも本当に失敗したのも数回あったように感じました。なにより魅了されたのは、ヒモのみでアラジン?のように男女が美しく舞うのは、神秘的でした。私の大好きなイリュージョンもいくつかありました。サーカスでは珍しい、お客さんとのコラボレーションが見れたりします。体験出来たりという感想や、どちらかというと、お客さんも参加できる参加型?的な面も工夫されており面白かったです。他にも中国雑技団のように、体のしなやかさや、体の筋肉を鍛え上げた方たちによるパフォーマンスはとてもかっこよかったです。首と肩の筋肉だけでお互いの体を支え合っている演技には息を飲みました。何も体を支えるものや守るものは周りには無かったです。おのれの身体能力だけを最大限に駆使した演技には、ただただ見とれるしかありません。他にも沢山のパーフォーマンスの見どころがありました。ステージの臨場感や迫力ある音楽がいっぱいの世界で、子どもも大人もひきつけられる舞台となっていたと思います。命綱なしでのパフォーマンスは、見ている人ほうがひやひやさせられましたが、そこはやはりプロです。堂々とした演技で、観客を釘づけにしていました。ひやひやさせられたかと思えば、笑いのセンスもあり、大人だけでなく子どもたちにもわかりやすいように構成がなされていましたね。最後の空中ブランコはおよそ人間業とは思えないくらいに空中を自在に舞っていましたね。会場は原則撮影禁止なんですが、唯一フィナーレだけは撮影が許されました。1部・2部の出演者が国旗を持って全員集合し、行進をしました。割れんばかりの盛大な拍手に包まれていました。

 入り口(出口)の所には、ショップがあり、品ぞろい豊富な食べ物・飲み物の他に、お土産用の種々のサーカスグッズが販売されていました。私が購入したのは、下の写真の「ライト」(1000円)なんですが、これ、いろんな用途で使えそうだなと思って、子どもたちと一緒に買いました。音楽と数種類の光パターンがプログラムされています。マジック・ショーの演出にも使えますね。

 終わってすぐに、学校に授業に帰りました。生徒たちに、授業で話したことは、およそ人間業とは思えないものすごい演技をするために、裏でどれだけの血のにじむ練習と鍛錬を積んでいるか、大きな努力」です。でも、今日の私の前の席の人は、演技中ずっと寝ていました(笑)。隣の人は拍手も気のないパラパラとしたもの。子ども大騒ぎ。小さな成果」しかもらえません。でもそれでいいのです。大きな努力で小さな成果」という生き方(⇒最近私はコチラに解説しました)を続けていると、いつかとんでもないご褒美が待っているのです。そんな生き方をするように、生徒たちには話しました。サーカスも人生を教えてくれます。♥♥♥

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英語の品格

 岡山の紀伊國屋書店ロッシェル・カップ・大野和基『英語の品格』(インターナショナル新書、集英社)という新刊本を見つけました。タイトルに惹かれたのはもちろんのことですが、真っ赤な表紙に白地でタイトルという非常に目立つ本だったこともあります。最初のページを開きますと、以下のような英語表現を聞いて、ネイティブスピーカーがどのような印象を受けるか、分かりますか?」という興味深いクイズで始まっていました。みなさんも考えてみてください。

1.病気で会社を休んでいる人に電話をかけて、
  Please get well.
2.アメリカ人が自分の家に来たときに、
   Please take off your shoes.
3.アメリカ人に何か提案されて、それを断るときに、
   We cannot do it now.
4.相手の考えに賛成できないときに、
   I disagree with you.
5.誤解が生じてほしくないときに、
   I really don't want to have a misunderstanding.
6.「明日までにこれをしなければなりません」と言いたいときに、
   You must do this by tomorrow.
7.「あなたは間違いを犯しました」と言いたいときに、
   You made a mistake.
8.「なぜここに来たのですか?」と聞きたいときに、
   Why did you come here?

 上の英文は英語としてどれも間違ってはいません。全部正しい英語です。でも私たち英語教師は、こう言われたネイティブスピーカーたちがどんな印象を持つか、というレベルまで語感を磨いておかねばなりません。安直に「pleaseを使うと丁寧になる」と思い込んだり、whyやmustを安易に使うと相手がどのような感じを抱くのかに無頓着ではダメなんです。英語にもTPOがあって、そこらへんの「品格」も大事にしなければなりません。本書はそのような、繊細で豊かな表現にあふれている英語の心を解説した面白い本でした。それを「品格」というタイトルで集約してあります。

小林克也(DJ、タレント)さんも推薦。
「何十年もかけて手に入れたと思った英語の心。この本に全部集約されていました――こんな本なかった!」

 著者のロッシェル・カップさんは、経営コンサルタントとして、各種セミナーで日本のビジネス・パーソンにアドバイスを行っていて、とてもきれいで丁寧な日本語を話します。「敬語」「本音」「建前」など、日本語・日本文化にも精通しており、日本人に最も合った方法で、洗練された品格のある英語を教えてくれます。もう一人の著者・大野和基(おおのかずもと)さんは、テレビ出演でもおなじみですが、英語と関西弁を流暢に操り、世界をまたにかけて活躍する国際ジャーナリストです。子供の頃から英語に親しみ、独学・留学を通して英語をマスターしました。私は大野さんがまだ若い頃の英語レポートを楽しみに読んでいた時期がありました。日本人に特有の間違いや勘違いを指摘していて、その分かりやすい説明には、まさに目から鱗が落ちる思いがします。本書で使われている単語は基本的なものが多いので、辞書なしでも大丈夫です。読み終えると、気の利いた英語表現をすぐに試してみたくなりますよ。著者たちのこの本への思いをインタビューでご覧ください。オススメしたい一冊でした。

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