「空飛ぶペンギン」

 私の尊敬する出版プロデューサー・評論家の川北義則(かわきたよしのり)さんの最新刊『死ぬまで好奇心!』(海竜社、2017年12月)に、こんな一節がありました(私は川北さんの本は全部買って読みます)。私も川北さんに負けないくらい好奇心のかたまりなんです。

 都心の水族館といえば、池袋の高層ビルの最上階にある『サンシャイン水族館』だろう。この水族館のコンセプトは「天空のオアシス」だそうだ。ここに足を踏み入れると、一瞬にして少し前まで都会の雑踏の中にいたことが嘘のように感じる。
 『サンシャイン水族館』に入ってみると、まず目の前の人工の滝とうっそうと生い茂った樹木に驚かされる。「これが水族館?」という」というのが第一印象だ。
 そして大きな水槽の前に立てば、目の前に広がる魚たちの泳ぐさまと海中の鍾乳洞のような情景に思わず息を飲む。
 クラゲがゆったりと泳ぐトンネルをくぐって、オアシスエリアに進む。思わずペンギンが空を泳いでいるように錯覚してしまう「天空のペンギン」も見どころの一つだ。季節によっては、夜8時まで営業しているので、ひと仕事追えてからでも行ける。(pp.46-47)

 ということで、池袋サンシャインシティにある「サンシャイン水族館」に行ってきました。そこで撮った自慢の一枚「空飛ぶペンギン」が次の写真です。

 「サンシャインシティ」は2017年7月12日、「サンシャイン水族館」でリニューアル工事が行われていた、屋上エリアの一部をオープンしました。新エリアでは世界初の展示方法となる「天空ペンギン」「草原ペンギン」が登場しました。「サンシャイン水族館」といえば、2011年のリニューアルで、頭上をアシカが泳ぐ「サンシャインアクアリング」など、“天空のオアシス”というコンセプトで、今までの水族館にない展示方法を取り入れたことで話題となりましたね。それを発展させ、既存の展示方法からの脱却をさらに打ち出したのが、今回の「天空ペンギン」「草原ペンギン」の登場です。「天空のオアシス第2章の完成」と位置付けて、「都会の水族館では他にない空・光・水・緑に満ちた自然環境を実現した空間」と宣伝しています。⇒ホームページはコチラ

▲案内をしてくれた卒業生小川綾音さん(早稲田大学)+草原ペンギン

 

 私が今までに訪れた水族館で、ペンギンの展示と言えば、氷山を模したような岩場や池にペンギンが並び、それを柵の外側から見るというのが一般的でした。しかし「天空ペンギン」は全く別の角度から「ケープペンギン」を見ることができるんです。屋上の端に、向こう側が見渡せる幅12mの水槽の壁を作り、その水槽をそのまま屋根として張り出させた。これにより、ビルの屋上から見える風景とペンギンが泳ぐ姿が重なって、ペンギンがまるで空を飛んでいるかのように見えるのです。さらに見上げると、屋根の部分でもペンギンが泳いでいるため、まるで空飛ぶ鳥のようなペンギンを仰ぎ見ることができるんです。

 「サンシャイン水族館」丸山克志館長「2011年のリニューアル時にも屋外の開放感を生かした展示を作りましたが、まだやりたいことがありました。屋上なので熱いですが、太陽の光を浴びながら緑の中で自然を感じてほしい。都会の空をバックに飛ぶように泳ぐ展示は他にないですから」と語りました。2011年に引き続き、今回のリニューアルの展示プロデュースを担当した中村 元さんは「サンシャイン水族館は屋上があることが特徴。なにより“サンシャイン”だから、空につなげたかった。今回のリニューアルでサンシャイン水族館自体が空につながったと思います。奥行き感が空と海は近いと思っていて、そして都会の空っていうのが面白いです。ペンギンのうち2、3羽は空に向かって飛ぼうとするのもいますから、探してみてください(笑)」

  

 実際に見ていると、マンションを背景にペンギンが泳いでいるのはとても不思議な光景です。さらに、水槽のガラス越しではあるものの、毛並みが分かるほど間近にペンギンの泳ぐ姿が見られるのも面白いと思います。見上げると、太陽と青空の中をペンギンが羽根を広げて泳いでおり、本当に飛んでいるかのような錯覚を受けるんです。これが「空飛ぶペンギン」の言われです。既成概念からの脱却という点で「草原ペンギン」も面白い展示となっています。これは南アフリカのケープタウンに生息する野生のペンギンの姿を再現したもので、氷山のような冷たいイメージではなく、幅約10m、面積約85平方メートルの草原と岩山を模した展示ブースとなっています。滝が流れ落ちる高低差のある岩山を、ペタペタと歩くペンギンを、草むら越しに見るのは新鮮な光景ですね。なお、ペンギンの排泄物は植物を枯らしてしまうため、草地だけにしてしまうとこのような展示はできなかったが、ペンギンの通り道と草地を分け、植物を交換できる仕組みを整えたことにより実現したそうです。この展示に関して、丸山館長は「南アフリカのケープタウンは温暖なため、ここにいるケープペンギンは、日本人がイメージする冷たい世界にいるペンギンではありません。そんなペンギンたちの本来の日常の姿を再現するべく本ブースに取り組みました」とのこと。また、中村氏は「日本では温帯のペンギンを南極のペンギンのように見せてしまうことが多い。実は暖かいところに生息するペンギンのほうが多いくらいです。それをみなさんに分かってほしかった」と語る。他にも新エリアには、ペリカンを真下から見られる水道型の迫力ある展示や、アロワナが飛び跳ねて餌を採る様子を間近で見られる水槽、カワウソが暮らすブースなどがあり、さまざまな水生の動物を見ることができます。ペンギンもさることながら、どの動物も間近で見ることができ、普通の水族館よりも動物との距離が近いと感じました。

  「サンシャイン」というビルの屋上ならではの苦労もあるようで、丸山館長は「使える水量が決まっているなか、広さを保ちつつ都会の空をどう生かすかが課題でした」と語る。また中村さんは「屋上は建築法の関係で屋根を作ることができないので、雨にどうしても弱くなります。それを克服するために、ペリカンの水道など展示物自体を雨よけにして、その下を移動できるように工夫しました」とのこと。さらに「ペンギンが脱走したり、カワウソが草を食べまくったりとブースの管理は大変(笑)。特に草を入れるのはメンテナンスの負荷がかかるのですが、「サンシャイン水族館」のスタッフは『毎日でも草を入れ替えます!』と高い志を持っています。最初に『大人向けにしましょう』といったときは、ずいぶん驚かれましたが、みなさんに協力していただけました。その結果、海外にも注目される新しい世代の水族館を作ることができました。サンシャイン水族館は水族館のアイコンになっていくと思います」と語っておられます。都会のど真ん中にありながら、「天空のオアシス」本当に素敵な癒やされる光景でした。今回は編集会議前の限られた時間での見学でしたが、今度はゆっくりと堪能してみたい気分に駆られる水族館でしたよ。❤❤❤

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【第1問】でつまづいた問題!

★問2と問3!!

 今年の英語センター試験の第1問「発音・アクセント問題」で、全国のかなりの受験生が恐らくつまづいたであろう、と私が思う問題が2つあります(これも私の長年の経験に基づく予想ですが)。まず問3です。今までも部分的に下線部が異なる出題はありましたが(例えば、2015追、2012本、2011本、2010追、2009追、2008追、2007本など)、4つとも全部綴りが異なるのは《新傾向》です。これがなぜ難しいのか?

    ①bird                 ②hard                 ③journey                  ④work

 でも、この問題は、下線の綴りが全部異なるから間違えるのではありません。この4つの単語を自分できちんと発音できる生徒が少ないから間違えるのです。松江北高でもこの4つをきちんと正しい発音ができる生徒はそういません。hearthurthardheard 私は授業で生徒に発音させてみて「全部おんなじじゃないか!!」とよく叱って指導します。中学校の入門期に、この英語特有の「ゥアー」という音をきちんと指導されていない生徒がほとんどなんです。だから発音できるわけがありませんね。ここで面白い現象をご紹介しておきましょう。以前、北高校区の市内・松江一中で、私の親しくさせていただいている尊敬する田尻伍郎(たじりごろう)先生が教えておられ(私の大学の後輩で、一緒に教材を作ったこともあります)、生徒を送っていただいた頃の北高生は、見事にきれいな発音でこれらの単語を発音していました。田尻先生が、自らきれいな発音で指導されるから、生徒も真似ようと必死になるのです。「学ぶ」というのは、まずは「真似ぶ」から入らないといけません。入門期の指導者というのはこれぐらいに大切なのです。教員が出せない音を生徒が出せる訳がありませんよね。小学校3年生から英語を教え始める、5・6年生は教科として教える、がナンセンスなのは、きちんと英語の発音を教えることのできる指導者を確保しないで、フライングしてしまった点にもあります(この点については、鳥飼玖美子先生の最新刊を近くご紹介する予定です)。現職の教員でもきちんと発音することができない人が…。おっと、これは言い過ぎか?でも事実です(笑)。

 もう一つは問2の、「-edの発音」を問う問題です。日頃いい加減な発音で済ませている生徒たちは、きっとこの問題でも落としたことでしょう。いわば学習の盲点ともいうべきポイントを突いた面白い出題でした。

   ①helped         ②laughed            ③poured              ④searched

 でも私の『2017年度英語センター対策本』(第13版)p.9には、この「-edの発音」三種類がちゃんと取り上げられています(-edの前の音がカギを握っています)。(「フプクシュスチの法則-ed の前の発音がf/p/k/sh/s/chの場合は /t/と発音する) (2)「タダの法則-ed の前の発音がt/dの場合は/id/と発音する (3)それ以外の音の場合は/d/と発音する の3つさえ押さえておけば楽勝問題です。①は/p/、②は/f/、④も/ch/ですから /t/と発音します。③だけはそれ以外の音ですから/d/と発音するのです。したがって③が正解。

 おそらく全国の受験生たちが、この2つの問題でつまづいていると予想されますが(ベネッセが3月に各設問ごとの正答率データを届けてくれますので、それを楽しみに見ることとしましょう。果たして八幡の予想は当たるのか、それともデマなのか??)、それにはちゃんと理由があるのです。東進ハイスクール森田鉄也先生が、センター筆記試験が終わった直後の13日のブログに、この問2問3を、いちはやく取り上げておられて感心しました。⇒コチラです  そういう分析をきちんとしておくことが大切です「やりっ放し」にしない!といつも強調していますが、そういう小さな積み重ねこそが大きな成果に結びつくのです。例年、過去に出題された語から「お色直し」で出題されるということに気がつけば、「過去出題語」を一覧で読み込んでおくという準備につながりますね(今年は次の8語が出題:commit, convince, insist, journey, danger, opinion, frequently, supermarket )。❤❤❤

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「誠実」でない!

 今年のセンター試験について、私は各予備校がいかに不誠実な対応をするか注目して見ていてください、と注意喚起を促しました。今年だけでなく、毎年反省もなしに、こういったことが繰り返されているんです。新聞やネット上の問題講評も、ピントハズレのことも多く見られます。

《当日第1報の速報》
                  【筆記】        【リスニング】 
◎河合塾           昨年並み         やや難化
◎代々木ゼミナール   難化           昨年並み 
◎ベネッセ・駿台    やや難化         昨年並み
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化
◎城南予備校      昨年並み         やや難化 
「矢印画像」の画像検索結果

 これが、現在は次のように書き換えられました。何の断りも無しにです。

《現在の公表》
           【筆記】        【リスニング】 
◎河合塾        昨年並み         やや難化 
◎代々木ゼミナール   昨年並み         やや難化  
◎ベネッセ・駿台    昨年並み         昨年より難化 
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化 
◎城南予備校      変化なし         やや難化 

 こんな感じです。およそ「誠実さ」に欠けます。自分で本気で解いたら、どれだけ難しいリスニング・テストだったかはすぐに分かります。1日目終了直後に、受験生たちが「一番難しかった」と口々に感想を述べていたのが、よほど正確だったことが分かりますね。私は試験後に編集部からメールで送ってもらった問題を解いて、9問に《難》のマークを打ちました。過去問や日頃の模試ではせいぜい5問までです。もうこの時点でどれだけ難しくなるのか、という予想が出来上がっていました。私が「大幅に平均点は下がります」と、ブログやフェイスブックで断言したのはそういう事情からです。結果は、「昨年並み」どころか、リスニング試験が始まって以来の過去最低点23.05点でした(今までは2009年の24.03点です)。《やや難化》どころか、《大幅に難化》が実態でした。ところが、代々木ゼミナールは、リスニング終了後に「昨年並み」と報じておきながら、17日に大学入試センターの中間速報が出ると、代々木ゼミナール教育総合研究所入試情報室の川崎武司室長なる人物が、リスニングは、耳慣れない単語や全体の内容を踏まえて回答する問題が出題されたため、苦戦した受験生が多かったと思われる」などと、しゃーしゃーとコメントを出しました。なら最初からそう言えよ、と思います。私はこういう会社は絶対に信用しないことにしています。まず私なら「ごめんなさい。試験後には昨年並みと思っていましたが、自分たちの分析が甘く、誤った速報となってしまいましたことをお詫びします。実際の所は~」と、まずは不正確さをお詫びをして、訂正をすると思います。ベネッセ・駿台も同様の罪を犯しています(最近の「駿台」は駿台模試からして、ほとんど毎回のように不備があり、いい加減な問題作成が目立ちます。こんな会社ではなかったはず!反省はないのか??)。「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などと悪質なデマを飛ばした英語教師の言うことも、これからは信用なりません。自分で解いてみれば、すぐ分かることですから。結果論だったら、誰でも言えます。そのプロセスが問題なんです。私が尊敬するパナソニック創業者・松下幸之助さんは、人間で最も大切なことは、「誠実さ」であり「素直さ」であると言っておられます。それが欠けています。

 毎年繰り返されるこういうことに、声を上げる人がいないので、今年は敢えて踏み込んで、問題提起をしました。明日は生徒たちがつまづいた問題を取り上げます。😠😠😠

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センター試験平均点「中間集計」発表!

 私は今年のセンター試験直後に、このブログやフェイスブックで次のように書きました。いつもここまで言うことはないのですが、いい加減な予想を無責任に書く人間に、憤りを覚えたからです。【筆記】に関しては問題を送っていただいた13日の午後7時前の電話取材で、「第5問題を除けば難しくはない」と正しく予想しておりました。

いずれにしても自分で解いておきながら、「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などという、悪質なデマを飛ばす英語教師の言うことを信用してはなりません。あのリスニング問題を自分で解いてみたら、とんでもなく難しい(スクリプトを読んでも正解にパッとたどり着けなければ、聴いて分かる訳がありません)と思わなければウソです。少なくとも私は9問題に《難》をつけました。いつもは5問までです。大幅に平均点は下がります筆記は速報でも書きましたように、第5問が難しいです。これに時間を取り過ぎて、簡単な第6問に、時間的なしわ寄せが来るのが一番怖いことです。それ以外には心配の要素はありませんから、平均点は高くなると思われます

 1月17日に、大学入試センター「中間集計」が発表になりました。それによれば  ⇒コチラです

【筆記】   125.50点   ←昨年 123.73点

【リスニング】 23.05点   ←昨年 28.11点

 まだ260,827人の集計で、半分にもいかない「中間集計」ですので、もうちょっと低くなるのかなとは思いますが、私の予想通りであったことがお分かりいただけるかと思います。各予備校の予想がコロコロ変わることや、難しいか簡単かの判断もできない英語教師が多いというのは、残念なことです。上のようなデマを飛ばした人たちが、どんな気持ちでこの集計発表を見たのか聞いてみたいですね。センターの過去問や、日頃の模試を「やりっ放し」にしないで、本気で(この「本気で」というのが大切なところです)解いて、それを追検証するという努力を続けていれば、こんな惨状は起こりません。いかにいい加減な姿勢の人間が多いかということを、毎年この時期になると痛感することです。😢😢😢

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鎮魂「神戸ルミナリエ」

 今から23年前の1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災」神戸が火の海に包まれました。6,434人がお亡くなりになりました。私はその前年に担任した生徒たちが、神戸・大阪方面の大学に進んでいたので、安否が心配で電話をかけまくったのを覚えています。みんな無事でした。一人だけ連絡のとれない生徒がいましたが、彼は大阪から歩いて神戸に入り、炊き出しのボランティアに加わっていたのでした。その彼、永瀬丈嗣(ながせたけし)くんも、今では大阪大学・工学部の准教授、一昨年松江北高を訪ねてくれ、大阪大学を希望する受験生たちに講話をしてくれました。⇒コチラです      その永瀬くんが高校時代を振り返って、北高生にアドバイスを贈ってくれました。成績を上げるために、(1)素直になる (2)日々の生活を大切にする (3)読書 の三点について語ってくれています。今日の3年生の理系の二次試験へ向けてのスタート授業で、再配布して生徒たちに紹介しました。非常に参考になる文章ですので、ぜひご覧ください。⇒コチラです

 昨年12月14日、2回目の「神戸ルミナリエ」に行ってきました。「ルミナリエ」は、ヨーロッパ・バロック時代(16世紀後半、ルネッサンス期)に盛んに創られた祭礼や装飾芸術の一つとして誕生した、光の魅力をふんだんに駆使した建築物がその起源とされ、やがてイタリア南部において電気照明を使用した幻想的な光の彫刻に変化を遂げて、現在の形態になったものです。さまざまなデザイン様式の木製アーチの構造体に、色とりどりの電球で彩色が施され、その設置デザインによって、三次元的な芸術空間を創造するもので、アーチ型構造体を道路上に設置した「ガレリア」と呼ばれる遠近感のある回廊や、「スパリエーラ」と呼ばれる光の壁掛けなどで構成されています。実に見事な美しさです。

 「神戸ルミナリエ」は、1995年(平成7年)1月17日に、兵庫県南部地方を襲い甚大な被害をもたらした「阪神・淡路大震災」の記憶(6,434人がお亡くなりになっています)を次世代に語り継ぐ、神戸の街と市民の夢と希望を象徴する行事として毎年開催されているものです。大震災が起こった年の12月、悲しく痛ましい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の街の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まりました。未だ震災の爪痕が色濃く残る中、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯されたイタリアからやってきた荘厳な光の芸術に、連日感嘆の声が上がり、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気と希望を与えました。そして、会期終了直後から、継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、翌1996年の再開催が決定しました。以来、神戸市民や来場者、趣旨に賛同する事業者の皆さんのご支援と、地元の皆さんの理解・協力により、毎年途切れることなく継続されています。今年で23回目となります。毎年その年のテーマに沿ってデザインし、このデザインに合わせた部材をイタリアから運んで、イタリア人職人と日本人スタッフの手によって組み立てられています。今年のテーマは「未来への眼差し」でした。「この土地が歩んだ150年間の歴史を回顧し、そして同時に、私たちの夢を叶えるために、私たちの瞳に希望の光をともし、前方に広がる未来を見つめましょう。22年前、助け合い、団結し、悲しみと絶望を克服し、地域社会がより強い絆と協調性で結ばれました。過去を記憶の内に留めながらも、瞳に希望の光を灯し、新しく訪れる日々を歓迎しましょう。」(ダニエル・モンテベルデ)ただ、以前は2週間程度行われていたのが、現在は10日間に縮小されています。経費の問題でしょう。会場・通りでは毎年「100円募金」が行われています。今年は、全10日間で3,396,000人が訪れました。

 今年の「ルミナリエ」(12月8日~17日)は、「神戸開港150年」、来年が「兵庫県政150周年」であることから、特に作品の充実を図り、大きな節目となる年にふさわしい作品を多数設置していました。2年前に来たときには、点灯時から見ようとずいぶん早い時間から行列に並んで、すごい人だかりにわずか一歩ずつしか進まないのに辟易したので、今回は時間をちょっとずらして、ホテルオークラでまず食事を取ってから出かけました。最後の金・土・日はすごい人だかりになるから、水曜・木曜あたりが狙い目だよ、と聞いていたので、私は木曜日に出かけたんです。正解でした。すごい人には変わりがありませんでしたが、前回ほどののろのろペースではありませんでした。HPを見ると287,000人だったそうです。

(1)仲町通りの作品
旧外国人居留地の仲町通りに設置する作品の距離を延長し、総延長は約270mとなりました。会場のスタート地点は巨大な塔とそれに続く光の壁、さらにその奥にアーチ状の装飾による玄関作品「フロントーネ」を配置します。固唾を飲むような美しい門から中へと入っていきます。さらに、「フロントーネ」から続く「ガレリア」(瞬きの間)にも、前半の作品は側面をアーチ状の壁で連結するとともに、後半の作品は1基ごとに側面に「ウイング」と呼ばれる装飾を施し、明るく華やかな回廊が出現します。

(2)東遊園地の作品
仲町通りを通り抜けて到達する東遊園地には、三連の光の回廊作品「ガレリア」と光の壁掛け「スパッリエーラ」(バラの冠)を組み合わせた壮大な作品が設置され、光の聖堂「カッサ・アルモニカ」に至る光の空間を創造しています。「ガレリア」の東遊園地への設置は今回が初めてとなります。中に入って眺めることもできます。

(3)記念作品の設置
神戸開港150年記念作品と兵庫県政150周年記念作品「ソロピース」(光の森)を、東遊園地内内に設置していました。

(4)噴水広場の作品
東遊園地の南側・噴水広場には二本の「タワー」「スパッリエーラ」を配置します。噴水広場の作品は音楽に合わせて光が躍動し、夢のような楽しい会場を演出します。神戸市内の食品メーカーを中心とした食の逸品ブースやミニコンサート実施していました。

(5)電球について
作品に使用した電球数は約40万個で、全てLED電球を使用します(昨年の使用数:約30万個)。

 まるで、大きな宝石箱の中を歩いているようでした。最後に公式売店で、キーホルダー等の募金3点セットと記念ファイルを買って帰りました。目の保養になりました。♥♥♥

【追記】 楽しいルミナリエだったんですが、寒い中たくさんの人に囲まれたせいでしょうか、ひどい風邪をもらってしまって、年末・年始はダウンでした。何とか授業にだけは穴を開けずに頑張りましたが、辛かったこと…。3キロぐらい痩せました。

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センター試験あれこれ

 各予備校が、センター試験の平均点予想を始めました。これが実にあてにならない。毎年のことですが、自己採点の経過が判明するにつれて、巧妙に書き換えられていく様を毎年見ていて滑稽に思っています。14日(日)の私のブログに、各社の一報を記録しておきましたから、これを基に、各社がどうコロコロと見解を変えていくか、注視してご覧ください。面白いですよ。いずれにしても自分で解いておきながら、「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などという、デマを飛ばす英語教師の言うことを信用してはなりません。あのリスニング問題を自分で解いてみたら、とんでもなく難しい(スクリプトを読んでも正解にパッとたどり着けなければ、聴いて分かる訳がありません)と思わなければウソです。少なくとも私は9問題に《難》をつけました。大幅に平均点は下がります。筆記は速報でも書きましたように、第5問が難しいです。これに時間を取り過ぎて、簡単な第6問に、時間的なしわ寄せが来るのが一番怖いことです。それ以外には心配の要素はありませんから、平均点は高くなると思われます。

 今年の「不正行為」です。馳文科大臣の時から、それまでは㊙だった「不正行為」の実態(県名と内容)が発表されるようになりました。今年は、大学入試センターは、4都府県の試験会場で4件の「不正行為」があったとして、男女4人の受験全科目を無効にしたと発表しました。13日に京都の会場で行われた外国語の試験と、14日に東京の会場で行われた数学の試験で、終了してもマークシートの修正を続けた受験生がいました。大分ではリスニングの開始前から問題冊子を開いてICプレーヤーを操作し、福岡では数学で使用が認められていない分度器を使っていた生徒が「不正行為」とみなされました。

 13日午前8時ごろ、北海道白老町竹浦のJR室蘭線踏切で、札幌発函館行き特急「スーパー北斗4号」(私の大好きな列車です)と乗用車が接触しました。特急はそのまま走って登別駅で停車して1時間40分にわたって運転を見合わせました。けが人はいなかったものの、困ったのが試験会場の室蘭工大に向かう予定だった受験生たちです。1人が登別駅からこの特急に乗る予定で、後続の普通列車には3人が乗っていましたが、足止めとなってしまいました。このピンチを救ったのはJR北海道警察のまさに“神対応”でした。登別駅で室蘭署員とJR北海道の職員が、「受験生はいませんか?」と声をかけて回り、ホームで受験生を発見。すぐさまパトカーに乗せて会場まで運び試験時間に間に合いました。足止めになっていた普通列車の3人も、同様の声かけで発見。JR側がタクシーを手配しますが、間に合いそうにないので、苫小牧署が近くの交番からパトカーを緊急配備しました。3人は約1時間かけて試験開始の約15分前に到着しましたが、「入室終了時刻」に間に合わず、試験に関する説明が始まっていたために、別室で約4分遅れで試験を受けました。道警通信指令課によると、以前から列車事故など予期せぬ事態により足止めされた人について緊急性がある場合は、受験生に限らずパトカーに乗せるなどの対応をしているとのことです。3人を運んだ苫小牧署は「この日のために勉強に励んできた受験生の努力が事故によってふいにならず、ひとまず安心している」としています。お見事!JR&警察

 山口県岩国市の県立岩国高校で14日に給水設備が故障して、校舎のトイレが使えなく(!)なりました。体育館のトイレは使用可能で、消防に給水車を手配して校舎のトイレも流せるようになったので、午後の数学を1時間遅れで実施しました。大阪学院大学では、13日リスニングの試験中に受験生一人が嘔吐して、試験室全体で中断すべき所を、監督者が「周囲に影響はない」と誤った判断をして続行してしまいました。予期せぬハプニングです。

 本当に受験は何が起こるか分かりません。これからの二次試験もそうです。くれぐれも時間に余裕を持って、万全の準備をして臨みましょう。八幡は大学入試の際には、タクシーで朝の6時頃大学に着いて(!)、施錠してある門を乗り越えて、キャンパス内でのんびりと時間を過ごしていました。懐かしい!!❤❤❤

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ゆーきさん

 1月7日(日)に、遅ればせながら初詣に出雲大社に行ってきました。神門通りを出雲大社へ向かって歩いていると、正門前のご縁横丁で、どこかで見かけたことのある人がいます。近寄ってみると、「ゆーき」さんです(31歳と言っておられました)。ストリート・マジックを、道行く参拝客に見せておられました。私は昨年の10月14日に、イオンモール松江店特設ステージで、彼のマジック・ショーを見たことがあったので、見覚えがあったのです。人形の腹話術や、カードマジック、ルービックキューブ、メンタルマジック、子供をステージに上げての楽しいショーでした(写真上)。

 初めてお話を伺いました。松江市で保育士をやっておられるとのこと。お正月はここでストリート・マジックを披露しているとのことでした。ホームページによれば、 「おしゃべりエンターテイナー ゆーき」さんは、1986年 島根県雲南市に生まれ、大東高校より、倉敷の短大を卒業後、人形劇学校へと進路を向け、愛知の老舗人形劇団に所属。幼児向け作品の上演メンバーとして中部地方を中心に幼稚園・保育園・イベントへと出演し活躍。2012年開催の神話博島根神話映像館スサノオ役を機に島根へ帰郷。マジックを独学で習い始め、あるときは腹話術やマジックを行なうパフォーマー、あるときは司会またある時はレポーターとして年々、島根を中心に活動の場を広げておられます。現在、土曜日のTSK「ヤッホー!」の中継レポーター、FM山陰「ちぇけら♪FRIDAY♪」の助手、FMいずも「スタジオ801」水・金のメインDJを担当。また、地域のイベントや幼稚園、保育園の行事に活躍しておられます。

 有名な「アンビシャスカード」から、あざやかな「サイフに通うカード」を見せてもらいました。パチリ、宣伝ボードを持っていただいて記念撮影です。路上でマジック談義に花が咲いている時に、「八幡先生!!ニット帽ですぐにわかりました」と、松江北高の卒業生に声をかけられました。大学卒業後、4年間養護学校に勤めていると言っていました。いつも感じることですが、どこにいても誰かに見られているので、本当に悪いことは出来ませんね(笑)。私もマジック大好きで、道具を大量にコレクションしていること、最近手に入れたとんでもないダイス・マジックのこと(Mental Dice)、私のウェブサイト「チーム八ちゃん」内の「マジック」のカテゴリーをご紹介して別れました。またぜひ、演技を見せていただきたいものです。♠♣♥♦

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今年のセンターはどこが変わったのか?

 センター試験(筆記)、私は今年は大きな変更はないと見ていましたが(根拠となったのは、いつも言っているように、前年度の「追試問題」と、大学入試センターが公表している「評価委員会報告書」)、基本的に大きな変更はありませんでした。しかしよ~くよ~く見てみると、細かな点でいろいろと変わった点がみられますので、まとめておきたいと思います。

(1)センター試験始まって以来、ずっと出題されてきた第3問Aの「対話文完成問題」が姿を消しました。その影響で、第2問Cの「応答文完成問題」の発話数が、昨年度までの2から4または5に増えました。従来の第3問Aの要素が第2問Cに組み込まれた模様です。配点が4点から5点に増えたのもそういう事情と思われます。これが今年一番の変更点でした。

(2)第4問Bの「広告問題」の設問数が、昨年度までの3から4へ増えました。計算問題が復活しています。

(3)第5問の「物語文読解問題」の素材が「日誌」形式で出題されました。今までにない出題形式で面食らった受験生も多かったと思います。ただし、主観的な視点から書かれた文章を読み取るという点では何も変わりません。最後まで読み進めないと宇宙人が地球を探査しているという設定が分からないので、これは読みづらかったと思います。《難》

(4)第1問A 問3で、下線部の綴り字が4つとも全部異なる単語で出題されました。近くは2015追、2012本、2011本、2010追、2009追、2008追、2007本などで一部異なる綴り字で出題されていますが、全部違うというのは《新傾向》です。

(5)近年減少傾向だった「カタカナ語」ですが、純粋にはjourney, engine, supermarketの3語と思いますが、ちょっと緩めて見てみると、hard, work, advance, limit, foundation, championship, deliveryも含めることができそうです(計10語)。そうすると、この二年「カタカナ語」復活という視点もあり得るかと考えます。

(6)読解量が昨年よりも増えました。ここ近年ずっと総語数が増えている傾向を引き継いだものと思われます。⇒コチラをご覧ください(中川右也資料)

 各予備校が試験の難易度を予想しています。ただしこれは毎年、時間が経つにつれて(自己採点の状況が判明するにつれて)、黙って巧妙に書き換えられて(!)いきますから見ていて下さい(笑)。

                  【筆記】        【リスニング】
◎河合塾           昨年並み         やや難化
◎代々木ゼミナール   難化           昨年並み 
◎ベネッセ・駿台    やや難化         昨年並み
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化
◎城南予備校      昨年並み         やや難化 

 

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宮地ハムの手造りロースハム

◎週末はグルメ情報です! 

 毎年この時期になると、書道の別所先生にお願いして、佐賀県・武雄市(株)「宮地ハム」の手造りロースハムを届けていただくんです。私が食べた中で、どこのハムよりも美味しい!気に入っています。原料に厳選した佐賀県産豚肉の下ロ-スを添加物を最小限に抑え、12日間ほどじっくり漬け込み熟成させ、香り豊かな風味としっとりとした舌ざわり、脂身のとろける美味しさは絶品です。ドイツ製チップで燻煙し、仕上げる本格派のハムです。旨味のある脂、しっとりした肉質は芳醇な香りと濃厚な旨みをかもし出し、「宮地ハム」流のこだわりがつまった逸品です。新鮮な豚肉の旨みを上品に残した、なめらかで、きめ細やかな食感と味わい。味覚の満足、スモークの香りによる嗅覚の満足、フレッシュなロースの色の視覚の満足という絶妙のハーモニーを楽しむことのできるハムなんです。うすーく切っても、分厚く切っていただいても、どちらも堪らない美味しさです。私の大のお気に入りのハムです。今年も年末に別所先生から届けていただき、あっという間に、なくなってしまいました。それぐらいに美味しい一品です。❤❤❤

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やはり「お色直し」が!

 センター試験【筆記】が終わりました。私も一通り目を通しました。私は今年は大きな変更はない、と見ていましたが、第3問Aの会話文がなくなった(その分第2問Cの語数が増えた)こと、第5問が日誌の抜粋の形で出題された(これは実に読みづらい英文《難》)こと、若干の配点の変更があったことくらいでしたね。読む量は昨年よりも増えています。他はそんなに難しい問題はありませんでした。

 昨日の最後の授業でも、第1問の発音・アクセントは過去の出題語から出るので(私は「お色直し」と呼んで注目しています。⇒詳しくはコチラです)、もう一度「出題語リスト」を読み込んでおくように指示しましたが、やはり案の定、全28語中8語が出題されました。予想通りです。

●2018年度の「お色直し」

【発音問題に出題された語】
commit 1996追
convince 2010本
insist 1990本 2000本
journey 1998本 2000追

【アクセント問題に出題された語】
danger 1993追
opinion 1990本
frequently 2000本
supermarket 1992追

 そして私の『センター対策本』の頻出語リストの的中率を調べてみましょう。発音問題の12語中7語的中(58%うち★印4語)、アクセント問題16語中12語的中(75%うち★印4語)でした。やはり「狙われる単語は決まっている!」のです。そして問2に「-edの発音」(helped, laughed, poured, searched)が問われましたが、これは対策本に書いてある「フプクシュスチの法則」を知っていれば簡単に解ける問題でした。「カタカナ語」(近年減少中)は、journey, engine, supermarketの3語が出題されました。第1問に関して、やるべきことをやっていた受験生は満点を取ることができたと思います。❤❤❤

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北高絵馬神社

    「これは何だ??!」年が明けて、いつものように松江北高図書館へ行くと、図書館の前に大きなご神木があり、よ~く見ると、たくさんの「絵馬」が掛けられていました。いろいろな願いが印されていましたが、特にセンター試験を控えた受験生の願い事もたくさん飾ってありました。司書さんのグッドアイデアで飾られている「北高絵馬神社」です。私も一枚書いてぶら下げておきましたよ(笑)。年末には「クリスマスツリー」がきれいに飾られていました。図書館もこうした工夫で、生徒たちがたくさん足を運ぶようになります。

 今から13年前、私が北高に赴任した頃は、朝6時半に、学校の生徒昇降口を警備員さんが開けられるのと同時に登校して、図書館へ直行、始業時までの約2時間を勉強に充てている生徒が結構いたものですが、今はその時間、図書館も真っ暗です。私も6時半に学校に行き、生徒と一緒になって勉強していたものです。時代が変わりました。❤❤❤

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まず変更がないか確認を!~「練習は本番のように、本番は練習のように」

★センター試験で大切なこと!

 センター試験の会場で、筆記】試験問題が配られ、試験開始の合図があったら、まず最初にしなければいけないことは、問題用紙を1ページからパラパラとめくり、問題の出題傾向に大きな変更がないかどうか確認することです。これをやらずに、第1問からサッサと解き始めてしまうと、大きな変更のあった問題にぶつかったときに、動揺が走ります。人間初めて見る問題はなかなか冷静にとらえることができないのです。まず最初の1分でサーっと目を走らせ、例年と大きな変更がないかどうか確認をします。なければいつも模試を受験するときにやっているように平常心で解き始めます。「本番は練習のように、練習は本番のように」というのが私の指導哲学です。予め変更点が分かったときには、心の準備だけしておくといいのです。「あー、あの問題が例年とは違うぞ!」という気持ちで、そこへ向かっていきます。全国の受験生全員がこの問題にあたるわけですから条件は同じです。そして新しい傾向の問題が出題された1年目は、易しい問題が多いことも頭に入れておきましょう。このことを毎年口が酸っぱくなるほど言っていて、大きな変更があった年度には、「言われたとおり、予め見ておいて良かった」と、卒業生たちにずいぶん感謝されました。今年は大きな変更はないだろうというのが私の予想です。

 受験番号氏名科目コードを忘れないことは常識ですね。以前の勤務校で、三年生最後の定期試験をマーク試験として、マークリーダーで採点をすることにしました。試験前に何度も受験番号をマークしないと0点にするよ、と予告して、当日の試験においても教室を周り、そのことを確認したにもかかわらず、マークし忘れた生徒が数人出ました。約束通り、0点で処理して成績会議に臨みましたが、担任を始め先生方から苦情が出て「ひどい!かわいそう!」ということで、もう一度再試験をするということになりました。何らオカシナことをしていないのに、悪者にされたことに納得がいかない私は、それ以上一切関わり合いませんでしたが、その年のセンター試験の本番で、その該当生徒がやらかしてしまいました。日頃いい加減な生徒は、本番でも同じことをしがちなんです。あのとききちんと反省していれば、いくらでも防げた誤りです。あそこで甘やかしてしまった担任を始め、先生方はメンツまるつぶれでした。「練習は本番のように、本番は練習のように」を疎かにしていると、思わぬ落とし穴にはまります。本番で「受験番号」を忘れたらどのようなことが起こるか、松江北高でも知らない生徒、教員(!)がたくさんいます。0点になる」と本気で思っている人もたくさんいます。私は2回実体験をしているので、生徒たちには実力で点が取れないのはまだしも、こんな基本的なことで足下をすくわれるのは絶対に避けよ、と言っています。―「経験は最高の教師である。ただし月謝が高い」(トーマス・カーライル)

 自己採点では、162点を取ったことになっており、楽勝気分で二次出願したら前期・後期ともに不合格でした。ほとんど合否の読みは狂うことがないように、私は長年自己研鑽していたつもりでしたが、この結果だけは理解が出来ませんでした。後日、成績開示の得点が返ってきたのをみると「0点」となっていました。原因はアレでした。⇒コチラです  自己採点もきちんと出来ない人が、全国の受験生で8割以上もいるという予備校のデータがあります。いかに正確な自己採点が重要かは、受験指導を長年やった先生なら、よーくよく分かっておられることでしょう。最近、2017年度の英語センター本試験の分布で、平均点付近で2点違うとどのくらいの順位が違ってくるのかを、同僚の正村先生に計算してもらいました。それによれば9,504人です。長文問題1問6点違うと、28,621人です。たった1問でこれだけ順位が異なってくるのです。⇒詳しくはコチラ  模試の判定でも、自己採点がデタラメ状態では、デタラメな志望校判定結果しか返って来ませんね。ましてやこれが本番となると…?この恐ろしさを生徒にきちんとデータで伝えて、毎回追跡をかけて、限りなく自己採点ミスを0点に近づけていく努力を怠ってはなりません(現場でこのことがどれだけできているか、はなはだ疑問!)。これもやはり「練習は本番のように、本番は練習のように」です。自己採点が結構違っていたのに合格できた、と安堵する生徒たちがたくさんいますが、それは全国のほぼみんなが間違っているからで、「自己採点、みんなで間違えれば怖くない」の世界です(笑)。

 今日述べたことの要点を、もう一度最終確認しておきましょう。

①試験問題が配られ「解答始め!」の合図があったら、問題用紙を最初から最後までサラーと眺めて、例年と大きな傾向の変化がないかどうか確認してから、解答を始める。
②受験番号・氏名・科目コードのマークを絶対に忘れない!再確認も!
③自己採点は慎重の上にも慎重に行い、誤差0で二次出願に臨む!そのためにも本番では、問題用紙に自分の解答の転記をきちんと行うこと。

★今年のセンター試験受験者582,669人。さあ、これで本番、頑張ってきて下さい!!

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センター第2問A対策

 センター試験の第2問Aは「文法・語法問題」です。私が教えている松江北高・補習科の生徒たちは、現役時代に『ヴィンテージ』(いいづな書店)を3回あげているので、昨年の7月に、私の『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(桐原書店、760円+税)を配布して、最後まで解答して、自己採点をしてくるように指示しました。1冊を終えて持ってきた生徒には、次の三つをさらに課題として課しました。これだけのことを、昨年の夏休みを使って仕上げています。

(1)この問題集で間違えた問題を、もう一度あたって完璧にしておくこと(「やりっ放し」にしない)。放置しておくと同じ所をまた間違える。

(2)「きりはらの森」のアプリで、「すきま時間」のあるときに、過去問をゲーム感覚で10題・20題・30題を繰り返しチェック練習すること。⇒このアプリの詳細はコチラです  ★これオススメのアプリ(無料)です

(3)1990年から2017年までのセンター本試験に出題された問題をプリント「第2問題A最終チェック問題」を使って全部仕上げること。このプリントは、全国の高校生の正答率に基づいて難易度が色分けされている13枚のプリントです。⇒「ダウンロードサイト」に登録しておきました。コチラです

 このジャンルの問題は、「知らなければできない」知識を問う問題ですから、サクサクとスピーディーにこなさなければなりません。そのためにも「量」の裏付けが必要な箇所なのです(文脈や対話の場面に応じた使い方ができるかどうかと絡めて出題されています)。それともう一つ。出題される分野に、狙われるジャンルが存在しますので、特にそこは重点的に演習します。過去のセンター出題歴から見るベストテンは次の通りです。圧倒的に「動詞」関連が多いようですね。

【センター試験文法・語法出題項目頻度】
①熟語・語法     220題
②動詞        108題
③時制         71題
④名詞・代名詞      61題
④冠詞・形容詞      61題
⑥前置詞        39題
⑦関係詞        33題
⑧仮定法        26題
⑨態          22題
⑩不定詞        21題
次点 接続詞      20題

 一時、第2問Aは、「語彙」の問題が大半で、文法問題は影を潜めていた時期がありました。しかしこの数年、再び文法問題へ原点回帰する、という変化が起こっています。きりはらの森」では、この第2問の「傾向と対策」を、私たち『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(ピアソン桐原、760円+税)』の編著者である中川右也先生(三重県鈴鹿高校)が、動画解説しておられますので(2本)、1・2年生はこれを見るとどのような心構えで、第2問の勉強に臨めば良いかがよく分かると思います。ぜひご覧ください。⇒コチラです(ダウンロード後、『TREND17』を選択⇒「解説ムービー」に入る⇒「傾向と対策1・2

 今、私は、『2018進研[センター試験]直前演習 英語(筆記)』(ラーンズ)を使って、「知識」系の問題を総ざらえしているところです。センター試験を直前に控えたこの時期は、「知識」系の問題を最後の最後まで追い込むことが大切です。単語、発音・アクセント、文法・語法といった問題を1つでも多く頭に詰め込むことで、最後の仕上げを行っていきます。

【書籍紹介】 あのスタディサプリで「神授業」を展開して、受験生に圧倒的人気を誇る英語講師・関正生(せきまさお)先生が、全国の入試問題から徹底的に選び抜いた「大学入試の最前線」を走る文法・語法問題を厳選した『関正生の英文法ポラリス1~3』(KADOKAWA、各1200円(税別))を昨年発売されました。特長としては、①自分の志望校レベルの問題だけにフォーカスできる。 ②頻出パターンを徹底分析して、頻出する用法を扱ったパターンを、演習を通じて体得できる。 ③問題集なのに手厚い解説で、全ユニットの冒頭には、ポイントとなる文法の知識をわかりやすく解説。知識をしっかりサポートしています。特にこの解説部分が関先生らしく、非常に分かりやすく核心をついた作りになっています。関英文法の決定版と言える良書だと感じました。今は中身だけでなく、参考書・問題集の表紙も、このように若者向けに受けるデザインでないと売れない時代になっているんでしょう。古い世代の私にはちょっと考えられない表紙です。センター試験対策だけなら、この本の1を徹底的にやれば十分でしょう。❤❤❤

 

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センターリスニング

 親しくさせていただいている島根県立松江東高等学校緒方 孝先生より、「センターListening心構え11」という資料を提供していただきました。「ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、ご参照ください。緒方先生、どうもありがとうございました。

・「センターListening心構え11」 島根県立松江東高等学校 緒方 孝先生 コチラです

 私の経験から、2つほど補足しておきますね。緒方先生の資料にもありますが、センター当日は英語音源を必ず持って行って(内容は何でも構いませんが、できることならセンター本番の音源がいいでしょう)、休憩時間に聞くことです。英語の筆記試験が終わると、だいたい会場内は筆記試験の出来の話とか、ひどいのになると答え合わせまで始める受験生がいます。決してこういうのに付き合ってはなりません。このリスニングまでの休憩時間には、英語音源をiPodなどで聞いて、「英語耳」を作ることです。これでずいぶん結果が違ってきます。これをやった北高の生徒たちには、ずいぶん感謝されました。

 本番では、「ICプレーヤー」が配布されます。きちんと監督者に言われた通りにやれば全く問題はないのですが、時々自分勝手な操作をしてしまい、音声が出てこないということがかなりあるみたいです。2017年度は82試験場の100人が、中断した設問から試験を再開する「再開テスト」を受けました。このほか、スピーカーから雑音が流れるトラブルなどで、3試験場の160人が再試験対象となっています。「大学入試センター」のホームページには、本番で使われる「ICプレーヤーの操作ガイド」があり、機器を疑似体験できるようになっています。これを一度体験しておくと、ずいぶん違いますよ。⇒コチラです 北高の生徒たちには、年内に一度は体験しておくように指示してあります。

 私が、生徒たちに日頃から話しているポイントを、もう一度整理しておきましょう。リスニングが弱い生徒たちに共通しているのは、(1)「語彙力」不足、(2)「聴く量の絶対量」不足、(3)「集中力」不足、の三点です。

①勝負は聴く前から始まっています。「設問」「選択肢」を先読みして、「待ち受け」「先取り」の姿勢を整えましょう。

②聴き取るべき内容を明確にするためにも、メモを取りながら聴くことが大切です。特に第4問B《新傾向》では、どんな議題に対して、誰がどんな意見を持っているか、対立点はどこか?3人の意見はどこが違うのか?共通しているのか?は聴き取った要点を、表の形でメモを取ることが有効です。ただ漫然と聞いていても解くことはできません。

「知らない単語は聞こえない!」が鉄則です。語彙力を最後まで磨きましょう。

 私が松江北高で、年内最後の授業で配布した、リスニング・筆記の設問別最終確認プリント「これだけは伝えておきたいセンター筆記・リスニングの極意」という2枚の資料を、「ダウンロードサイト」に登録しておきました。ぜひご覧ください。

・「これだけは伝えておきたいセンター筆記・リスニングの極意」 島根県立松江北高等学校 八幡成人 ⇒コチラです

 私は現在、『2018進研[センター試験]直前演習 英語(リスニング)』(ラーンズ)<30分×全7回>を使って最後の演習をやっているんですが、生徒の解答用紙を回収して、全員の解答を設問ごと(問1~問25)に○×を打ち込んで、「誤答分析」をやっています。手間のかかる作業ですが、生徒たちがどこで間違えるのか、その要因がはっきりと見えてきます。いつでも「やりっ放し」にしないことが大切ですね。この資料が、また来年からの指導に生かされることになります。❤❤❤

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追悼・星野仙一さん

▲倉敷「星野仙一記念館」の前の胸像

 楽天の星野仙一(ほしのせんいち)球団副会長が、1月4日に、膵臓ガンでお亡くなりになりました。まだ70歳の若さでした。最後まで「強気」の自分を見せたいという星野流を貫き、病気は公表していませんでした。早すぎます。岡山県倉敷市出身の星野さんは、母子家庭に育ち、岡山県立倉敷商業高校(甲子園大会には届かず、負けた日は押し入れにこもり泣き明かした)から明治大学に進学。母親を楽にさせてあげたい、と白球を追いました。東京六大学リーグで同大学のエースとして活躍し、昭和43年のドラフト1位で中日に入団。1年目から8勝を挙げるなど、中心選手として活躍しました。昭和49年には、セ・リーグの最多セーブ投手となり、「沢村賞」を獲得。チームの20年ぶりの優勝に貢献し、胴上げ投手となった。昭和57年に現役引退。選手としては、実働14年で500試合に登板し、146勝121敗34セーブをマークしました。引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の2013年には、「震災復興」を掲げ、巨人を倒して自身初の日本一に輝きました。プロ野球の監督としては3球団を指揮し、17年間でリーグ優勝4度、日本一1度。成績は1181勝1043敗53引き分け。平成29年に、顕著な活躍をした選手や監督を顕彰する野球殿堂入りを果たしました。「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、巨人を倒すために野球人生を捧げてきた男がこの世を去りました。 

 突然の訃報でした。星野さんが息をひきとったのは1月4日。球界関係者によると「膵臓ガンで闘病していた」といいます。昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていました。昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と、失われない野球への情熱を口にしていました。しかし、これが、星野さん最後の晴れ舞台となりました。

 相手が強ければ強いほど、「燃える男」。現役時代のキャッチフレーズでした。その原動力が「打倒・巨人」。指名されると思っていたドラフトで振られ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わったのです。「打倒巨人」をモチベーションに、中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦では歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げました。「沢村賞」を受賞した1974年には、あの川上哲治監督のV10を阻止して優勝しましたが、「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした人でした。「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは、引退後も変わることはありませんでした。ライバルであった長嶋茂雄終身名誉監督(81歳)は、「打倒巨人を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに“さあ仙ちゃん、来い”と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした」と懐かしみました。当の星野さんも、初めてオールスターに選ばれて出場したときには、ベンチに座っていたら「仙ちゃん、元気か。まあ、これでも飲めよ」と言って、スーパースターの長嶋さんが飲みかけ(!)のコーラを、まだペーペーの星野さんにわざわざ手渡しくれたことに感激して、全部飲んだといいます。長嶋さんらしいエピソードです。

 監督時代は「闘将」と呼ばれ、代名詞は「鉄拳制裁」でした。「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論を持ち、闘う集団につくり上げました。中日で2度のリーグ優勝。97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしましたが、グラウンドで戦い続けました。「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」。反骨心の塊のような男でした。2002年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導きます。東日本大震災の起こった楽天監督時代の2013年には、日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となりました。「天はその人が越えられない試練は与えない」と言って、頑張っておられました。「怖さ7割、やさしさ3割でちょうどいい」と常に口にしていました。選手やコーチの奥さん、球団スタッフに誕生日プレゼントを贈り、報道陣とはお茶をごちそうして情報交換し、一緒になって闘いました。決して一流ではない、かといって二流に甘んずるわけでもない、いわば「超二流」と、現役時代を星野さんは振り返っています。「二流なんだが、時には一流にも勝つ、気迫があれば互角に戦える、という自信があった」

 2014年にユニホームを脱ぎ、2015年に球団副会長に就任。ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していた矢先のことです。恋に恋した野球。しかし、楽しみにしていた2020年東京五輪を前に帰らぬ人となりました。あの笑顔はもう見れません。あの怒鳴り声ももう聞けないのは淋しい限りです。

 当時、人気バンド「オフコース」のメンバーだった小田和正さんは、星野さんと同じ1947年生まれで、1983年、星野さんの現役最後の試合で花束を手渡したのをきっかけに、以来35年にわたる親交が続きました。星野さんが楽天監督として初の日本一になった2013年のシーズンの本拠地開幕戦では、東北大学出身の小田さんが、星野さんと同じ背番号「77」をつけたユニフォーム姿で始球式を務めました。星野さんが小田さんのライブを鑑賞に訪れ、サプライズでステージに飛び入りして小田さんファンに笑顔を振りまいたりと、二人は固い絆で結ばれていました。「本当に残念です。御冥福をお祈りします」と、悲しみをかみしめた小田さん。

 私が最近の星野さんで忘れられない記憶は、大好きな巨人の原 辰徳監督が1回目の巨人軍監督を追われた2003年10月7日、甲子園球場、阪神との最終戦です。試合終了後の「監督退任セレモニー」で、星野さんから花束をもらい肩を抱かれて「もう一度、勉強して戻ってこい。くじけるな」ねぎらいの言葉をかけられた時に、涙をこぼしながら星野さんに抱きついた原監督の姿が思い出されます。「仏の顔と優しさ、それと勝負師としての鬼の厳しさ、両極端の二つの顔を持ち合わせていた。メリハリの強さを尊敬していた」と原さん。2013年の日本シリーズで楽天イーグルスと3勝3敗になり、全力で戦いましたが巨人が破れ、口を真一文字に結んだままじっと胴上げを見届けました。当時の心境について、「心の中で拍手を送っていた」と原さんは明かしました。現在巨人を率いる髙橋由伸監督は、「お会いするたびに『巨人が強くないとダメだぞ』と激励してもらった。その言葉は私の胸に常に刻まれている」と振り返りました。

 星野さんが好きだった言葉は、「夢」で、色紙にはいつも「夢」と書かれました。「かなわないと思ったら、そこで終わり。挑戦し続けるからこそ人生の価値がある」と野球に全てを注ぎ、体現してこられました。評論家時代に「選手はな、信頼しても信用はするなよ」「成功の反対は失敗じゃない。何もしないことだ」との金言を残されています。私は星野さんに習い今でも、「生徒のことを信頼はしていますが、信用はしていません」と公言し、指導実践の数々に生かしてきました。私は、昨年偶然、倉敷の街を歩いていて、路地に「星野仙一記念館」とあるのに導かれて、訪問して星野さんの人となりを振り返ったのが懐かしく思い出されます。合掌。😢😢😢

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西村京太郎先生著書600冊に!

★西村先生、おめでとうございます!!★

▲これが記念すべき600冊目の著書!

 とうとうやりました!!私が熱狂的なファンであるミステリー作家・西村京太郎(にしむらきょうたろう)先生が、12月8日、ついに著書600冊を達成です。これはとんでもない記録ですから、マスコミで大々的に取り上げられるかな、と期待していたんですが、今の所どこも書いてくれませんので、私が取り上げることにしました。599冊目の『青海線レポートの謎』(角川書店)もそうだったんですが、この600冊目となる『北のロマン 青い森鉄道線』(徳間書店)も、今流行のAI人工知能」を扱ったミステリーです。西村先生はこのように世間で騒がれている問題を、いち早く作品中に取り入れることからも分かるように、「社会派」の作家と言えるでしょう。次回作(601冊)の『出雲伝説と木次線』(実業の日本社、2018年1月予定)は、来春廃止が決まっている三江線(三好―江津)に次いで、存続が危ぶまれている島根県のローカル路線です。12月で全線開通80周年を迎えました。西村先生はこうやってタイムリーに地方路線にスポットを当てて下さいます。1月下旬(602冊)には『広島電鉄殺人事件』(新潮社)が出ます。楽しみですね。

▲湯河原「西村京太郎記念館」に展示された著書の全て

 今回は著作600冊目にあたる記念作ということで、同じく600冊をすでに達成した、赤川次郎さん(610冊)との対談「600冊の向こう側」を、巻末に収録しています。二人のかけ合いがとっても面白く読めます。今回の作品のあらすじはこうでした。

 失踪した娘を捜してほしい。母親から依頼を受けた、かつて十津川警部の部下だった私立探偵の橋本は、池戸彩乃の捜索を始める。勤務先のパソコンに謎のメモが残されていた。「411658 1411123」。本州最北の鉄道の駅、下北駅の緯度と経度と判断した橋本は下北に飛び彩乃の痕跡を追う。一方、東京では彩乃の同僚が殺され、十津川警部が捜査に乗り出した。事件は予測できない展開を見せはじめるが…!? 恐山-仏ヶ浦-知床…知能犯を追い詰める十津川警部の活躍。

 西村先生は、毎年お付き合いのある12の出版社で出すために、年間で12、13本のミステリーを書き上げておられます。そのため取材旅行も大変で、1年に6回6つの地方をめぐり、2泊3日で、一度に2社分の取材を行ってしまうのです。取材先では列車の中を歩いてまわり、車掌さんを捕まえては話を聞き、死体を隠す場所や、トリックの手法を考えるといいます。またトリック作成のネタ本でもある「時刻表」を常に持参して参照しておられます。以前に、開通する前の東北新幹線を舞台にミステリーを書かれた際に、だいたいこういう造りだろうと、東海道新幹線の車両と同じだと思ってトリックを考えたことがありました。すると、実際に走った新型の新幹線とは非常口の場所が違っていて、トリックが成立しなくなったことがありました。やはり実際に乗ってみて、行ってみて、自分の目で見てみないと分からない、と学習されたそうです。

 以前、JR九州が走らせている豪華寝台列車「ななつ星」に乗った時には、唐池恒二社長から「列車の中で殺さないでください」と懇願されたそうですが、殺してしまいました(笑)。また、先生は取材に行かれたときは、写真も撮らなければ、メモも取りません。ストーリーを作るために必要な所だけ見たいので、写真を撮ってしまうと全部撮りたくなってしまい、ごちゃごちゃしちゃうからダメだと言われます。先にストーリー(最初と最後)は考えてから取材に行っておられます。そうしないと何でもかんでも見ちゃう。編集者に写真を撮ってもらったりすると、ただ撮ってくる。作家にとっては面白くも何ともない。警察署の隣のパン屋だけ撮っても、その隣も必要なんだと言います。だから自分で見た方が早い。さらに、本が売れるためには「わざと1箇所間違える」のも大事だとのこと。見つけたぞという嬉しそうな抗議の手紙がどっと来る」と笑いながら、ミステリーマニアはあまり怒らない、鉄道マニアはすぐ怒る」と、マニアを手玉に取る巨匠ならではの秘技も明かしています。

 西村先生が原稿を書き始めるのは、夜中の12時頃です。朝まで書き続けて、新聞を読んでから寝ます。起きるのは昼の2時くらいです。先生はパソコンが使えないので、原稿はもっぱら手書きで、サインペンを使って(昔は万年筆)書いておられます。書いている時にはテレビを付けっぱなしです。なんとなく音がしていないと不安なんだそうです。書き続けていると、集中力が高まってきて、だんだん音が聞こえなくなってくるそうですよ。お腹がすいてくると、おせんべいを食べながら牛乳を飲みます。

 先生は、以前私のインタビューに答えて、「目標は635冊。東京スカイツリーの高さが634メートルなので、それを超えたらもう書くのをやめる」とおっしゃっておられました(⇒「西村京太郎先生に三つの質問」コチラです)。しかし先述の赤川次郎先生との対談において、「自分のことを振り返ってみても、ずいぶん本を読みましたからね。635冊と言わず、やっぱりまだまだ書きます。だから、たくさん本を読んでもらいたいです。」と、私たちファンには嬉しい宣言をなさいました。先生、これからも頑張ってください!!❤❤❤

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千疋屋の「絹ごし杏仁豆腐」

◎週末はグルメ情報です!!

 「羽田空港第2ターミナル」の70番ゲートで、米子に向かう全日空(ANA)の搭乗を待っていました。機体の到着が遅れ備品交換のために手間取り搭乗案内が遅れる、というアナウンスが何度も何度も流れています(結局1時間遅れで離陸しました)。時間つぶしにゲート横にある売店をのぞいたところ、「千疋屋」(せんびきや)のフルーツが販売されていましてね、このお店、私の大好きなお店です。新鮮なフル-ツが美味しいですね。「フルーツケーキ」を買って支払いを済ませようとした時、ウィンドウケースの隅っこに、私の大好きな杏仁豆腐が見えました。季節限定「絹ごし杏仁豆腐ストロベリー」とあります。いかにも美味しそうでしょ?上から見ると、杏仁豆腐の上にいちごのソースがかかってる感じですが、実際には、ソースと杏仁豆腐は、別々になっていました。ソースを取り出して、上から杏仁豆腐にかけていただく商品です。

 家に帰り早速いただきました。イチゴのきれいな赤と、杏仁豆腐の白がコントラストでとってもきれいいです。イチゴは大きい1粒分くらいがカットされて入っていました。イチゴのソースはかなり濃厚です。甘さはしっかりだけれど、下の杏仁豆腐が、嫌みな甘みがなく、さっぱり味なのでちょうどマッチしていい味を出しています。まずは杏仁豆腐をそのままいただき、次にソースをかけてと、2回楽しむことができます。ツルッといただくことができました。杏仁豆腐はけっこう好きなんです。あの千疋屋にも杏仁豆腐があるとはちっとも知りませんでした。これ、お土産には喜ばれること間違いなしです。❤❤❤

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今治タオル

 以前に、今治で講演したついでに、「今治タオル美術館」を訪ねたことがあります。⇒コチラです  今治駅からタクシーで、ずいぶん山の中に入っていった記憶があります。四国愛媛県北部の地で、120年の歴史を刻み続けてきた国内最大規模のタオル産地として、伝統的な西欧技術と最新技術を融合させながら、使い心地を追求したタオルの製造の全てが展示されていて、非常に感銘を受けました。そこでタオルを数点買って帰って以来、「今治タオル」のファンになりました。美しく豊富な水資源を支えに生産されている、繊維に優しい仕上がりの繊細かつ柔らかな風合いのタオルに魅せられたのです。新年になって、新しいバスタオルを下ろしましたが、やはり「今治タオル」の肌触りは全然違います。汗や水分を素早く吸収するので、お風呂上がりに体を拭いても汗をぬぐってもべとつかず、お肌にもやさしいのが特徴です。今治タオルを一度使うと、もう他のタオルを使う気にはなれません。それぐらいに気持ちがいいのです。

 「驚き、というより、感動だった」 2006年に、今治タオルを初めて使った佐藤可士和(さとうかしわ)さんは、その品質の高さに衝撃を受けたと言います。「やわらかくて、風合いが素晴らしく心地いい。使っていても、体を拭くという感覚じゃない。肌に当てるだけで、タオルが水気をどんどん吸い取ってくれる。」『今治タオル 奇跡の復活~起死回生のブランド戦略』(朝日新聞出版))単に見栄えや豪華さを追い求めるタオル作りをしていません。用途・目的を踏まえて、使い勝手のよいタオルとを作るために、素材の綿を厳選し、手間暇をかけて安心安全で良質のタオルを作っているのです。四国の今治には昔から、八十八カ所のお寺をめぐる歩き遍路の人々を接待する習慣がありました。自分のものを人のためにさりげなく差し出す気風と風土と伝統が、今治タオルに温もりや安らぎを織り込んでいます。「お接待」の思い遣りがあったからこそ、人にやさしいタオルを作る文化が根付いたとも言えるでしょう。

 当時、安価な外国製品に押され、瀕死の状態にあった「今治タオル」。しかし佐藤さんは、確信していました。「食の安全」などに対する危機感から、日本製品に注目が集まる今の時代、このタオルには世界に通用するクオリティが間違いなくある。それは、佐藤さんがブランディング・プロデューサーに就任することを決めた瞬間でした。そして佐藤さんは、「今治タオル」の再生プロジェクトをスタート。今治の豊かな自然と産業復興への思いを象徴する「ロゴマーク」を制作し、品質保証マークとして機能させるとともに、「白いタオル」をキープロダクトに設定。「5秒ルール」(タオルが水中に沈み始めるまでに要する時間が5秒以内、洗わなくても使い始めから水を吸うタオル)などの品質基準も創設しました。すべては、今治タオルの本質的価値「安心・安全・高品質」を守り、伝えていくための戦略です。佐藤さんが課す課題は、ときに今治タオル工業組合の組合員たちを戸惑わせながらも、少しずつ皆の意識をひとつにし、揺るぎないブランドを築き上げていきました。その後、一貫したコンセプトにもとづいた施策が実を結び、 今治タオルは、認知度、売り上げともに飛躍的にアップして、名実ともに日本を代表する産地ブランドになりました。2014年、ロンドンで行われた『100%デザイン』に出展した今治タオルのブースでは、柄杓で来場者の手に水をかけるデモンストレーションを実行。訪れる人々は、真っ白なタオルの並ぶブースに魅了され、その使い心地に思わず笑みをこぼす様子が見られた。今ではIMABARI TOWELは、地域再生の代名詞になっています。

 今治タオルの産地では、品質を確実に保証するために、「四国タオル工業組合」が定める独自の品質基準に合格したものでなければ、ブランドマーク&ロゴの使用を認めていません。白を背景に赤と青のモチーフで太陽と海をかたどったシンプルなデザインで、「赤は産地の活力、青は(タオル生産時に使われる)豊かな水、白はタオルのやさしさや清潔感をイメージした」とのことです。佐藤さんがデザインしたそのロゴの意味合いは次の通りです。


活動的、情熱的、先進的、生き生きとした力強さ、動き、インパクトなどをイメージさせる色。今治タオルの存在自体が、社会の注目を集め、日本を象徴する商品のひとつであるという位置づけです。

品質に対する安全と安心、信頼、歴史と伝統、鮮明性、落ち着きなどをイメージさせる好感度の高い色。今治タオルの持つ歴史と伝統を背景とした高品質をシンボライズしています。

やさしさ、清らかさ、清潔感、無垢、癒し、真心、柔らかで慈しみにあふれた愛情をイメージさせるピュアな色。今治タオルの無限の可能性を示唆する広がりを表現しています。

 昨年も授業に出かけた帰りに立ち寄った「三井倉敷アウトレットモール」の2階に、今治タオルのお店があり、タオルをたくさん買って帰った八幡でした。❤❤❤

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「小田和正三昧」

★今日・明日再放送があります!!

 11月23日(木・祝)は、NHKのFMラジオ「今日は一日“小田和正”三昧」という生放送番組が組まれました。(前半)午後0時15分~6時50分、(後半)午後7時20分~10時45分というとんでもない企画番組でした。70歳(古稀)になった今も、日本の音楽界の第一線で活躍し続けるアーティスト、小田和正さんにスポットを当てる10時間の生放送。オフコース」時代から現在に至るまで、世に送り続けてきた名曲の数々を、リクエストに応えながら届け、小田さんゆかりの著名人からのリクエストやメッセージも紹介されました。進行は小田さんの熱狂的ファンで知られる阿部 アナウンサー。10時間も小田和正に染まるなどという、ファンには堪らない企画で、そのほとんどに小田さんご本人がつきあうという贅沢番組でした。小田さんも結構大変だったと思います。私はこの日は、前から絶対に仕事を入れないように計画して、朝から臨戦態勢で臨んでいました。NHKもやってくれますね。

 総勢20人(鈴木雅行、井上真央、財津和夫、大竹しのぶ、山本昌等々)の小田信者から熱いメッセージが届けられました。私の大好きなさだまさしさんもメッセージを寄せておられ、リクエスト曲は「クリスマスの約束」で競演した「woh woh」でした。あのときの素敵なハモリの思い出が蘇ってきましたね。小田さんはさださんの比類なき読書量と音楽の作詞の速さ、紡ぎ出す言葉に感嘆しておられましたね。ただ1つ残念だったのは、あれだけ熱狂的な小田和正ファンである辛島美登里さんをなぜ取り上げなかったのか?という点でした。また療養中とはいえ、小田さんの音楽にあれだけの影響を与えた山本潤子さんもはずせないところでしょう。

 ただ画期的だったのは、1989年に解散した伝説バンド、オフコース」時代の盟友、鈴木康博(ヤス、69)さんと35年ぶりに「共演」したことでしょうかね。番組にヤスさんがメッセージを寄せる形で実現しました。オフコースで小田さんとツイン・ボーカルだった鈴木さんは、1982年にバンドを脱退しており、同じ番組に「出演」するのは、鈴木さんの脱退後初のコラボになります。番組の中では、鈴木さんがオフコース当時について「声を聴いただけで小田って分かるのが(同じボーカルとして)悔しかった。オフコース時代は僕にとって宝です」と述懐し、小田さんに向けて「声がかすれたり、それなりに(体調に)気を使うところがお互いある。頑張ってほしい」と激励しました。盟友からのエールに小田は「ビックリです。あり得ないですね。これは消化するのにしばらく時間がかかりそう。感動しちゃって…」感涙して言葉に詰まりました。オフコース時代についても「宝物だよね」と言い切り、当時はありふれた幸せに背を向けるしかなかった。強がりでね…」と懐かしそうに振り返っていました。この二人のやりとりは、「オフコース」ファンにとっては本当に貴重なプレゼントでした。

 番組冒頭から、新曲「小さな風景「遺留捜査」の主題歌)が初めてフルコーラスで流れたり、オフコース時代の知られざる名曲の数々が取り上げられたり、小田さんが他の歌い手、東北大学聖光学院などに書いた曲が流れました。10時間浮気もせずに付き合いましたが(休憩時間にお風呂に入って)、堪らない至福の1日でした。でも、さすがに疲れました(笑)。小田さん(70歳)はもっと疲れたことでしょうね。

★今日は一日“小田和正”三昧プレイリスト★

01.小さな風景 /小田和正
02.my home town /小田和正
03.今日もどこかで /小田和正
04.君にMerry Xmas /小田和正
05.眠れぬ夜 /小田和正
06.哀しいくらい /小田和正
07.僕の贈りもの /オフコース
08.僕の贈りもの /小田和正
09.my home town(オリジナルver.) /小田和正
10.風の坂道 /小田和正
11.いつかどこかで /小田和正
12.僕ら /小田和正
13.緑の日々 /オフコース
14.Yes-No /小田和正
15.ラブ・ストーリーは突然に /小田和正
16.さよなら /小田和正
17.その日が来るまで /小田和正
18.思いのままに /オフコース
19.夏の日 /オフコース
20.愛を止めないで /小田和正
21.愛を止めないで /オフコース
22.時に愛は /小田和正
23.伝えたいことがあるんだ /小田和正
24.風と君を待つだけ /小田和正
25.心はなれて /小田和正
26.この道を行く(「早稲田大学グリークラブ」創立100周年記念愛唱歌)
27.遥かな想い(横浜創学館高等学校愛唱歌)
28.思い出はうたになった /オダ☆レビ
29.望むことがあるとすれば /時任三郎
30.wonderful life /小田和正
31.I LOVE YOU /オフコース
32.さよならは言わない /小田和正
33.もう歌は作れない /小田和正
34.愛の中へ /小田和正
35.こころ /小田和正
36.クリスマスの約束 /ゆずおだ
37.NEXTのテーマ―僕等がいた― /オフコース
38.私の願い /オフコース
39.きかせて /オフコース
40.嘘と噂 /オフコース
41.君が、嘘を、ついた /オフコース
42.Oh! Yeah!  /小田和正
43.別れの街 /鈴木雅之
44.たしかなこと /小田和正
45.woh woh /小田和正
46.別れの情景(1) /オフコース
47.今だから /松任谷由実・小田和正・財津和夫
48.ひとりで生きてゆければ /オフコース
49.縁もゆかりも /鈴木康博
50.あの頃にとどけ /島倉千代子
51.キラキラ /小田和正
52.秋の気配 /小田和正
53.僕らの街で /KAT-TUN
54.言葉にできない /小田和正
55.YES-YES-YES  /小田和正
56.生まれ来る子供たちのために /小田和正
57.緑の丘(東北大学 校友歌)
58.君住む街へ /小田和正
59.たしかなこと /小田和正

 さて、この番組の司会を担当した阿部 渉アナウンサーは、以前、NHK BSプレミアムで2017年3月20日に放送された100年インタビュー」で、小田和正さんの長時間インタビューを担当した方で、ファン歴30年の熱狂的な小田さんファンです。この番組「今日は一日”小田和正”三昧」が、全国のリスナーの皆さんからの「ぜひもう一度聞きたい!」という熱い要望にお応えし、90分の再構成版が本日・明日の2夜にわたって放送されます。10時間生放送のエッセンスをギュッと凝縮!ぜひ、お楽しみください!NHK―FMラジオ放送です。❤❤❤

★2018年1月5日(金)午後7時30分~午後9時

★2018年1月6日(土)午後7時30分~午後9時

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近大のお詫び広告

★今年は「お詫び」だった!!

 毎年この時期、お正月の新聞に掲載される近畿大学の広告に注目しています。昨年は、「早慶近」を高らかにぶち上げて話題(炎上)をさらいましたね。さあ、今年はどんな手で勝負してくるかな?と期待していました。今年(1月3日)の朝刊・スポーツ新聞には、数々の「お詫び」(自慢?)広告で笑いを誘いました。まあよくもこれだけお詫びを列挙したものです。とてもユニークな広告です。近畿大学の広報・広告は、このように他大学と比べて攻めている印象が強いんですが、やはり、少子化の影響で日本の18歳人口が減少し続けていることが関係しているんでしょうね。文部科学省の18歳人口の推移予測を見ると、ピーク時の1992(平成4)年に205万人いた18歳が、将来的に2031年には99万人になると言われています。今年の18歳は118万人と見込まれていますが、ここから減少が本格化するため、大学界では「2018年問題」と呼んで警戒を強めています。大学のターゲットとするのは18歳です。その18歳人口のボリュームがこれだけ減少しているのは驚異です。だから大学のくくりに安住していると、自分たちを「中の中」だと思っていたら、気がついたら「中の下」になっていることにもなりかねません。だから広報や広告でも必死になって攻めているのでしょう。近畿大学は今のポジションをキープするだけでも必死にもがかなければいけないのに、さらに上に行こうと思っているのですから、常識的なことをやっていたのでは間に合わないのですね。広告も自然に、大胆で挑戦的なデザインとキャッチコピーになります。いずれも広告代理店任せにせず、キャッチコピーも全部、句読点まで自分たちで考え抜いているそうですよ。当然、新しいことに挑戦しようとすると、批判はつきものです。それが的を射たものならまだしも、批判すること自体が目的になっているような卑劣なものも少なくありません。気にすることはありません。今年の新年広告では、次のようなお詫び」(と称してある意味自慢)のオンパレードでした。面白い!!

・「早慶近」じゃなくなったことに関するお詫び(早慶近中東立法名上)
・「2018年問題」に関するお詫び(4年連続志願者NO.1)
・近大マグロに関するお詫び(予約がとれないほどの人気)
・近大生のイメージに関するお詫び(エネルギッシュ/チャレンジ精神/親しみ1位に対しておしゃれ/上品さ/まじめは下位の落差)
・KINDAI GIRLSメンバー募集に関するお詫び(近大生しかメンバーになれない)
・親子間の機密情報漏洩のお詫び(保護者が成績・出席状況をウェブ上で確認可能)
・英語で“Kinki”ではなく“Kindai” Universityであるお詫び(大学名称の変更)
・インスタバ映え広告に関するお詫び(キラキラ感を全面にだしてしまった)
・ド派手な入学式に関するお詫び(これはライブか?)
・マンガ蔵書22,000冊に関するお詫び(漫画喫茶と誤解?)
・学び方改革に関するお詫び(24時間利用可能な自習室の新設→勉強のしすぎ?)
・“近大卒”の魚に関するお詫び(予約が取りづらい)
・“紙”対応していないことのお詫び(入試はインターネット出願のみ)
・2018年も盛大にやらかすことのお詫び(先にお詫びしておく)
・注釈の多さに関するお詫び

 このお詫びの数々の中で、私は英語教員ですので、大学の英語名称の問題が興味を引きました。”Sincerest Apologies from Kindai University for Any Confusion Surrounding Our English Name    Jan.3, 2018   Two years ago, we officially changed our English name from Kinki University  since the word “kinki” has negative connotations.  We would like to apologize to our graduates who have dealt with foreign entities for any embarrassment they have experienced. We will do our best to promote our new name, Kindai University,and the integrity of our institution, both in Japan and abroad. We appreciate your understanding and cooperation.” というお詫びでした。

 二年前に新しい学部開設(国際学部)に合わせて、大学の英文名称が「KINKI UNIVERSITY」(1949年大学設立時から使用)から「KINDAI UNIVERSITY」に変更されました。近畿は、古代律令制における広域行政区画「畿内」に由来する語で、「都(=畿)とその近隣地域」という語義を持つ由緒ある語句です。これを廃止して、新名称では「近大大学」になってしまうんですが、これにはちょっとしたお家の事情があります。実は「近畿」を英語で発音した場合、「キンキー」kinky(風変わりな)と聞こえる場合があるのです。この単語は「性的に異常な」とか「変態の」といった意味です。「変態大学」と思われかねませんね。海外からの留学生は嫌がり、留学を敬遠する者もいたようです。大学の国際化を進めるにあたって、誤解されないようにするための変更でした。当時、学長曰く「海外の学会で自己紹介をすると、失笑され、良い気持ちはしなかった。近畿は由緒ある言葉だが、国際化を本気で進めるためには、英語表記の変更は仕方がない」と語っておられました。英文名称の変更は、留学生募集拡大の障壁にならないように、国際化に向けた近大の決意表明だったとも言えます。

 それにしても他大学には見られないユニークなオンリーワンの広告、私は好きです。屋木さんがおられることも親近感を抱かせる理由の一つですが。近畿大学のウェブサイトもちょっとユニークです。⇒コチラ ❤❤❤

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ボルトン・デック

◎これはすごい作品ですよ!!

▲八幡家の「倉」の益田作品

 久しぶりの益田克也(ATTO)さんの新製品です。私は益田さんの大ファンで、彼の作る物はたいてい持っています。今回の究極の貫通マジックは、関西の名クリエイター赤松洋一(あかまつよういち)さんと、ATTOのタッグで生まれた 超不思議なアイテムです。最初に出された真ん中に丸い穴の開いたデックは、それだけでマジシャンの好奇心を刺激しますね。そこに真鍮製のボトルとナットを出されたら期待感Maxです。そして、その期待感を裏切ることはありません。 

 真ん中に丸い穴の空いたデックから、自由に1枚のカードを選んでサインをしてもらいます。テーブルにぐちゃぐちゃに広げたデックの中に、サインカードを戻してよ~く混ぜてもらいます。デックを揃えて、ボルトを穴に通して上部をナットで固定します。この状態から、マジシャンは見事にサインカードを探し出してくるのです。選んだカードが当たったのですから、これだけでもかなり不思議なんですが、さらにデックの中のサインカードをお客様に摘まんでもらい、おまじないをかけると何とボルトをスーッと貫通してしまいます。選ばれたカードが、ボルトでしっかりと留められたデックからスルリと抜けてしまうのです。デックからカードが抜き出される瞬間は、大きな驚きです。マジシャンがまったくもってテクニックを使えないように、ボルト・ナットで固定された状況下で、この現象が行なわれているのですから、 実にフェアで、不思議です。抜き取られたカードを調べてもらっても、ただの穴の開いたカードで、切れ目も何一つありません。この作品は、プロの現場でも即戦力となる大傑作ですね。

・選ばれたカードをデックに戻した後、お客様に自由にぐちゃぐちゃに混ぜてもらえます。どこに行ったかは全く分からない状態です。
・角度に強く、360度周りのどこから見られても大丈夫です。
・失敗のリスクがない非常に実用的なマジックです。何よりもインパクト大です。

 このトリックには三つの不思議が存在します。①なぜ、選ばれたカードが即当たるのか? ②なぜカードがボルトを貫通するのか? ③なぜ選ばれたそのカード1枚だけが貫通するのか? 考えれば考えるほどに、謎は深まるばかりです。ただ不思議に思うしかないでしょう。よーく考え抜かれた隙のないトリックです。もちろん道具に巧妙な仕掛けがあり、これがまたよく出来ています。テクニックは不要で、買ってすぐに簡単に演じられます。最高にミステリアスな現象です。いくつかの手順(フォース・フォースしない)が解説されていて、一番基本的な手順ですと、サインなどもしませんので、カードの消耗もなく永久に使えます。

 「貫通」と言えば、世紀のエスケープ王、フーディーニの脱出、万里の長城をすり抜けたデビット・カパーフィルドですね。エスケープや貫通は時代が代わっても、観客の目を釘付けにしてきました。ここに新時代の観客を唸らせ、思考を停止させる超頭脳的なものを目の前で見せられる貫通マジックの誕生です。マジックを見慣れ、詮索はお手のももというお客さんの声を失わせます!観客の目もマジシャンの目も釘付けの新トリックの登場です。第1ロット分は完売したようですね。

 この「ボルトンデック」の考案者・赤松洋一(あかまつよういち)さんとはどんな方なのか?氏の詳しい紹介とインタビューはコチラで読むことができます。♠♣♥♦

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羽田空港で「かねすえ」が!

◎今週のグルメ情報はコレ!!

 私は「わらび餅」には目がないくらいに大好きなんですが、その中でも香川県高松市の「松風庵かねすえ」のわらび餅だけは絶品だと思っています。⇒私の詳しい紹介はコチラです 時々、松江の一畑百貨店にも「うまいもの市」でやって来ることがあり、いつもデパート6階の入り口付近は大行列となっています。行列しても食べたいわらび餅なんです。

 全日空米子に帰るために、モノレールで羽田空港第2ターミナル」に到着し(私は飛行機嫌いでよほどのことがない限り移動は新幹線を利用します。今回は時間がない旅だったので仕方なしに飛行機に乗りました。機体到着が遅れ備品交換に手間取り、結局離陸が1時間遅れました)、さておみやげを買おうと思ってターミナルを歩いていると、発見!なんと私の大好きな「かねすえ」のお店があるではありませんか。羽田空港かねすえのわらび餅が買えるとは夢にも思っていませんでした。やはりお店の前には、長蛇の行列ができています。とても接客のいいお姉さんが元気よく販売しておられました(これが「かねすえ」のDNA)。いつものように「黒蜜」(別売り)をつけて買って帰りました。ほんのりとした甘さのきな粉を味わうには黒蜜はかけずに食べるのですが、やはりそこは黒蜜をかけた方がわらび餅の味が引き立つので、私はいつも一緒に買って帰るんです。冷やして食べた方が美味しいので、帰るとすぐに冷蔵庫へ。本当に食感がいいんです。ぷるんっとしていて、とてつもなく柔らかい。本わらび粉のコシの強いこと強いこと。讃岐のコシはうどんだけではないんです。独特の口当たりと和三盆糖のほんのりとしたやさしい甘さ、こりゃ、堪りませんわ。わらび餅にも全国いろいろとありますが、このプリプリとした食感は、ココでしか味わえないものです。美味しくいただきました。このお店のわらび餅だけは、一度食べるとはまってしまう最高の逸品です。❤❤❤

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「大山」と月

 

 新年明けましておめでとうございます。昨年はいろいろとお世話になりありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いいたします。古稀の小田さんを見習って、八幡は今年も走り抜けようと思っています。
                  ―平成30年元旦

 鳥取県にある標高1,729メートルの成層火山が「大山」(だいせん)です。鳥取県および中国地方の最高峰です。鳥取県西部の旧国名が伯耆国であったことから「伯耆大山」(ほうきだいせん)、あるいはその山容からして「伯耆富士」(ほうきふじ)とも呼ばれています。日本百名山」日本百景」にも選定され、鳥取県のシンボルの一つとされています。「大山」は1922年(昭和11年)、日本で3番目の国立公園となり、その後1963年(昭和38年)に、蒜山地域、隠岐島、島根半島、三瓶山地域が追加指定されて、現在の「大山隠岐国立公園」となりました。

 「富士山」とは大いに異なった複成火山で、山頂部分の大円頂丘は傾斜30度、比高840mにも及ぶなど、後の小爆発や烈しい侵食と崩落によって、南壁や北壁の急崖を形成しています。なだらかな傾斜の西側の風景とは異なり、険しい山容を描き出しています。私も若い頃、一度だけ山頂まで登ったことがありますが、景色はまさに絶景でした。登るのにも下るのにもヒーヒー言いながらの登山だったことは覚えています。

 私の大好きな癒やしスポット「とっとり花回廊」の東側、「花の丘」のベンチに腰掛けて「大山」をボーッと眺めるのが、私のお気に入りなんですが、今日は夕方にお邪魔してみました。この時間帯に来ることはめったにないんですが、この時期には「冬のイリュミネーション」をやっているものですから、夕方から入園したんです。この時期には真っ赤なサルビアの花越しに「大山」を見ることが出来るので(⇒私のレポートはコチラ)、とても美しいんです。今日は雲一つなく、大山のゴツゴツした岩肌まできれいに見ることができました。さらには、夕方ということで、綺麗な月までも出てきて、素敵な写真を撮ることができました。ふと西側を振り返ると、「フラワードーム」に夕陽が沈んでいきます。これも美しい光景でした。❤❤❤

 

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追い込む!

大晦日のイラスト「タイトル文字」

 さて、いよいよ今年最後のブログです。今から20年も前、島根県立大田高等学校で進路部長を務めていた時の話です。終業式前に3年生生徒たちの「嘆願書」が、進路指導室の私のところに届けられました。大田という所は田舎町で、各家庭ではお正月の帰省客でドンチャン大騒ぎで勉強ができない、なんとか学校を開けて勉強ができるようにして貰えないだろうか、という切実な嘆願でした。何とかしてやりたいと思いましたが、職員会議では「そんなことは必要ない」という意見が大半でした。当時の森山祐次校長、南場俊一教頭が理解をしてくださり、正月に帰るところもない私が毎日出るということで、認めてもらいました。年末から正月にかけて、たくさんの生徒が登校して勉強に励みました。元日には森山校長もやって来られ、3年生の各教室を回って「合格できるみかん」(?!)を配っておられました。元日には、保護者からお寿司やお餅の差し入れをいただくなど、ずいぶんと喜んでいただいたようです。このことも効を奏してか、例年は40~50人だった国公立大学の合格者が、103人にまで増えたのは、学校始まって以来のことでした。センター試験直前のこの時期は、生徒の力は限りなく伸びるのです。この年の実践を基に、入学してから、卒業するまでの各月各月(!)の「時期のポイント」「進路指導のポイント」「学習指導のポイント」「生徒の内面の動き」「参考にしたい資料」を明示したコンパクトな冊子「進路指導シラバス」をまとめました。翌年は進学実績が大幅に伸びたことも手伝って、全国から学校訪問が相次ぎ、毎日対応に大忙し。これをおみやげに差し上げて喜んでいただいたことを覚えています。若い熱心な担任の先生方には、特に参考にしていただけたようです。以来、私が進路部長を務めていた3年間はずっと合格者100人前後を記録していました(現在はまた元の40~50人に逆戻りしたようですが…)。

▲当時は画期的だった「進路指導シラバス」

 その前任校、島根県立松江南高等学校でも同様の体験をしています。私は13年間勤めさせていただいて、教員のイロハを教えてもらったんですが、その9年間を3年生担任・補習科担任を務めました。男子ソフトテニス部の顧問も務めながらのハードな毎日でしたが、とっても勉強になった13年間でした。私も元気で若かった。「センター試験」を控えてなかなか伸び悩む担任の生徒たちを見ていて、思いついたことがありました。冬休み返上で学校に出てくるというので、私のポケットマネー(当時は辞典が売れに売れて印税ががっぽり入って来たんです)で、昔の模擬試験の問題を安くしてもらい買い取って(中にはご好意で無料で提供してくれる会社も)、朝早く登校して、1日で5教科の問題を演習するという追い込みプログラムを立てました。自分のクラスのために思い立ったものでしたが、他クラスでも一緒にやりたいと申し出る生徒も数十人かいて、合流しました(毎日100人ぐらいが登校して演習しました)。1日で全教科を解答して、「自己採点」をして帰って行く、そんなハードな毎日の繰り返しです。保護者が学校にやって来られて、「先生にお金を出してもらうのは心苦しい。お金を取ってくれ」と言って、感謝してくださる方もおられましたが、「点で返してもらいますから」とお答えしました。その年の進学結果が(特に学校に出てマーク演習に励んだ生徒たちが)非常に良かったもので、次年度からは、学年体制でこのような「マーク演習」が組まれるようになったのです。今では県内どこの進学校でもやっている「マーク演習」ですが、実は私が南高の自分のクラスで始めたものでした。やはり、この時期に追い込むことで、生徒たちの実力はギリギリまで伸びるのです

 さて、松江北高に帰って来ました。やはり年末・年始はギリギリまで学校に登校して勉強する体制が出来上がっていました。この時期は、マーク模試を2日間でやって、一日休んで(この日に自分で復習する)、翌日「フォロー講座」と称して、各教科で模試に見られた弱点講座を開講していました。どの教室も満員で溢れかえっていました。最後の最後までやりっ放しにしないという「組織の力」「団体戦」で勝負をしていたんです。12月31日も学校で過ごし、担任団で「年越し蕎麦」を一緒に食べて健闘を誓い合ったものです。1月も2日から学校を開けて(担任が交代制でカギを預かり校舎を開けていました)、生徒の自習体制を作り上げていました。私は退職するまで10年間松江北高に勤めましたが、年々こういう勤務は異常だということで(ブラックと言われていました。北高から移動転勤することを「脱北」などと揶揄する声もありました)、公務員のスケジュール通り、休みにするのが通例となっていきました。どんどん進学成績が右肩下がりで落ちていったのは、何ら不思議ではありません。この間「生徒の自主性」に任せると言う名目で、教員もみな休みにしてしまったのでした。するとどんなことが起こったか?年を明けて、英語の「フォロー講座」に出向いてみると、教室にはたった2人しか生徒がいません。「一体どうなっているんだ?!」怒りに震えました。その次の「フォロー講座」に行くと、教室には生徒が誰もいません。もうこの時点で今年の進学はボロボロだな、と予測ができました。結果過去最低でした(模試の成績は良かったにもかかわらずです)。そんな苦い思い出もあり、昨年担当した3年生たちには、このことを口を酸っぱくして語り、生徒たちに訴えかけました。職員会議や判定会議でも問題提起をしました。幸い熱心な担任団で、12月31日まで学校を開けて、生徒たちの学習の便を図りました。1月1日だけ休んで、もう2日から登校して各クラスで勉強していました。まさに「集団の力」です。もちろん「フォロー講座」は、年末も年始も大盛況です。私の英語講座などは、教室の机・椅子が足りずに、他教室から運び込んで溢れんばかりの満員盛況でした。それこそ必死で1点を上げようと努力を重ねていました。英語のセンター試験平均点が過去最高点を記録したこと(模試成績は過去最低でした!)、右肩下がりで落ち続けていた進学成績が久しぶりに持ち直したことは、この生徒たちの追い込みの頑張りと無縁ではないでしょう。

▲必死に頑張る生徒たち

 「無茶をやれ!」と主張しているのではありません。センター試験直前のこの時期は、ギリギリまで生徒たちの力が伸び続ける、ということを、上の三つの事例ははっきりと物語っています。どうやって背中を押してやるか、その一点で私は今までやってきました。「生徒の心に火をつける」ことが(後は放っておいても生徒たちが自分で頑張る)、私たち教師の務めだと私は信じています。このときの生徒たちが、センター試験を終えて、「何が良かったのか?」を書いてくれたメッセージ(核心を突いているものがたくさんあります)を原文ママでまとめた資料を、後に続く北高の先生方に残しておきました。資料最後に「後継学年に伝えたいこと」を、八幡がまとめています。「ダウンロードサイト」に登録して、今年最後のブログを締めくくりたいと思います。生徒たちの生の声をお聞き下さい。 

・「センター好結果の理由」 島根県立松江北高等学校 八幡成人 ⇒コチラです

 毎日、本ブログにお越しいただいてご覧いただいた皆様、どうもありがとうございました。八幡の活動にご理解をいただいてご支援を賜った出版社・会社の皆様、お世話になった先生方、応援してくださった全国の先生方に、心から感謝申し上げたいと思います。ありがとうございました。

 6月以来、週にわずか6時間だけの授業で、校務分掌もなければ、部活動もない、授業のある時だけ登校し、授業が終わったら「失礼します」という、まるで天国のような楽チンな生活でしたが、年を明けて「センター試験」が終わると、さすがに毎日びっしりと授業が組まれました(補習科講座・現役生東京・京都大学志望者講座)。久しぶりに授業に追われる2ヶ月間になりそうです。「英語は絶対に裏切らない!」今まで蓄えたものを最大限に生かしながら、生徒たちのために頑張りたいと思っています。私は、12月中旬に美しい「神戸ルミナリエ」を見に行ったのはいいのですが、現地で悪性の風邪をもらってきたようで、以来ずっーと伏せっておりました。咳が止まらず(特に夜はひどかった)、物もほとんど食べていないので3キロぐらい痩せました。風邪をこじらせたまま東京の編集会議に出かけ、帰って来てからようやくこの2・3日で、楽になってきたようです。みなさん、健康にはくれぐれもご留意され、よいお年をお迎え下さい。八幡は、来年はびっしりと予定が詰まりそうです。❤❤❤

▲「ホテルオークラ」にて

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「クリスマスの約束2017」

★やはりコレはすごい番組だった!! ★

 12月25日(月)、シンガーソングライター・小田和正(おだかずまさ)さんによる、このクリスマスの時期恒例のTBSのコラボレーション・ライブ番組「クリスマスの約束」が放送されました。私は、23時40分から朝の1時20分の最後まで放送を見て、1時間半ほど仮眠を取り、朝4時に東京へ向けて出発しました。強行軍でしたが、どうしてもこの番組だけは見てから旅立ちたかったんです。そして東京から帰って、もう一度最初から、録画しておいた放送をじっくりと見返してみました。この放送は、2001年の放送開始以来、深夜時間帯にもかかわらず常に高視聴率をマークし、これまで2度にわたり「ギャラクシー賞月間賞」を受賞、さらに「放送文化基金優秀賞」を受賞するなど、「放送業界屈指の音楽特番」と称するに値する番組です。近年稀に見る「純粋に音楽だけで構成される番組」で、第17回目となる今年は、千葉市内にある「千葉ポートアリーナ」を会場として実施され、古希を迎えた小田さんを盛大にお祝いしようと、4万通を超える延べ10万人の応募の中から選ばれた3,000人の観客が、小田さんをはじめ豪華アーティストたちの奏でる名曲に酔いしれました。「音楽の素晴らしさ・美しさ・力強さ」を肌で体感させてくれる希有な番組です。「70歳を超えてもなお、素晴らしい楽曲を制作し、披露し続ける小田さんこそが奇跡!」と、番組プロデューサーが収録冒頭で語った言葉が総括してくれていますね。

 まず番組は、小田さんの名曲「言葉にできない」の弾き語りで始まりました。ファンには堪らないイントロです。そして大腸ガンで活動休止中の財津和夫さん(69歳)のナレーションが入ります。彼はチューリップ&オフコース時代からの盟友です。「こんばんは、財津和夫です。今年、小田さんは70歳になられました。同じ時代を生きてきた僕も皆さんと一緒に楽しみたいと思います」と、視聴者に語りかけました。がん公表後の初仕事です。アーティスト同士がお互いを認め、愛し、尊敬する」という共通の思いで、小田さんと共にこの番組を支え続ける仲間「委員会バンド」(小田さんが命名したもので、メンバーは、小田和正、スキマスイッチ、根本 要、水野良樹)は、今年3月1日に逝去したムッシュかまやつを偲び、「あの時君は若かった」「我が良き友よ」「どうにかなるさ」などの名曲をメドレーで披露しました。続いて小田さんの古稀を祝って、「YES-NO」(私が小田さんの曲の中で一番好きな曲です)を委員会バンドで演奏します。とってもきれいなハモリのアレンジでした。演奏中に客席のきれいな女性を選んで撮すのは、昔からのこの番組の伝統です(今年はそうでもない人も…(笑))。

 ここでシンガーソングライター・熊木杏里(くまきあんり)さん(最近中国で人気沸騰中)の番組初登場。「自分が何でここに呼ばれたんでしょうか?」「ウソかと思った!」と語る熊木さんに対して、「とってもいい歌を書かれているから、ぜひそれをみなさんに聞いていただきたいと思って」と小田さん。2006年当時、資生堂のCM曲に使用された熊木の楽曲を聴き「どんな人が、どんな風に歌ってるんだろう、と気になっていた。とっても印象に残っている曲。とってもかわいい歌です。」と紹介して、「何か言っておきたいことはありますか?」と小田さん。熊木「遺言みたいな??」―小田「君、おもしろいね。」という二人の掛け合いがとっても印象的でした。「クリスマスの約束」を番組スタート当初から見ていたという熊木さんは、小田さんのギター伴奏でのびのびと楽曲「新しい私になって」を披露します。相変わらず小田さんの「ハモリ」「追っかけコーラス」は健在です。小田さんの声は誰の声にもマッチして美しいハーモニーを奏でるから不思議ですね。続いて登場した和田 唱さんは、小田さんと一緒に選んだという 映画音楽メドレーを、観客とのコーラスと共に披露し、その場を大いに盛り上げていました。「やっぱり音楽の力ってすごいなあ。本当に二人ともうまいなあ」と財津さんのナレーション。「人の曲を書くのに向いてない」と謙遜する小田さんが、JUJUに頼まれて新しい楽曲を書き下ろしました。新アルバム『I』のために、小田さんが書き下ろした「あなたがくれたもの」です。2009年から9年連続で「クリスマスの約束」に出演し、小田さんとの親交が深まったことから、実現した今回のコラボレーションです。プロデュースのみならず、小田さんが自らのピアノ、ギター、コーラスで参加し、さらにはJUJUのボーカルレコーディング・ディレクションまで手掛け、作詞にJUJU参加という貴重な一作となりました(2月発売予定)。この日は小田さんのハモリとコーラスを交えて初披露となりました。続いて、以前に財津和夫さんに依頼されて書いた「手紙にかえて」をピアノで弾き語り。「音楽での返信、確かに受け取りました。いつまでも大切にします」と財津さんのナレーション。この曲は2009年に財津さんが『ふたりが眺めた窓の向こう』というアルバムで、小田さんに依頼した楽曲です。小田さんとは、お互い別の仕事で2008年7月に京都を訪れた際に、宿泊先が偶然同じホテルだったことから、仕事の予定で滞在中は直接顔を合わすことができない財津さんが小田さん宛に、「また、一緒に何かしたいですね」といった旨の手紙を書いてフロントに預けたところ、翌日フロントに小田さんから「そうだね」といった返事の手紙が届いていました。そして、2009年に入った2月のある日、小田さんを訪れて、楽曲を書いてほしいと依頼したところ快諾してもらったという楽曲です。番組内では、財津さんから時折送られてくる感動的な手紙のことが語られましたね。財津バージョンで聞いてみて下さい。

 アナ雪でお馴染みの松たか子さんは、以前、小田さんが「赤い鳥」の山本潤子さんと歌った「歌を捧げて」という、ファンには堪らない曲を二人でハモリました。この曲の由来についてはこのブログで詳しく取り上げたことがあります。⇒コチラです そして最後は、戦争に家族を送り出さなければいけないやりきれない気持ちを歌った「ダニーボーイ」を出演者全員で熱唱して、今年の「クリスマスの約束」は終わりました。財津さんが最後に「古稀を迎えた小田さんが、年齢が半分ほどの人たちと一つになれる。これが音楽の素晴らしさです。こんな出会いがあれば、別れもありますと語ったとき、一瞬ビックリしました。私はまさか「クリスマスの約束」が終わってしまうのか?と思ったんです。でもそうではありませんでした。長年、小田さんの舞台監督を務め「クリスマスの約束」も手掛けていた永岡宏紹さんが、今年お亡くなりになったんです。このことに対して、小田さんが番組最後に捧げた楽曲は、永岡さんが自身の社名にも掲げていたという「the flag」。それまで一貫して決然とした歌を聴かせていた小田さんの声が、今回のオンエアで唯一震えたように思えたシーンでした。私の大好きなこの硬派の曲の背景についても、このブログで詳しく取り上げたことがあります。⇒コチラです 曲の終わりに映し出された永岡さんとのツーショット写真と、コンサート中小田さんの背後で護衛するシーンが印象的でしたね。合掌。 「音楽は、ひとりの力で完成するものではありません。奏でてくれる人、ステージを作ってくれる人、こめられた想いを受け取ってくれる人……多くの人に支えられ、育っていきます」 今回ナレーションを務めた盟友・財津さんの声がラストに語りかけたこの言葉はそのまま、音楽と共に生き、その透徹した音楽を生き様として時代に刻んできた小田さんと、その共演者&スタッフ、さらに観覧に駆けつけたファンと番組の視聴者への最高のオマージュでもありました。

 今回の放送で特に際立っていたのは、音楽を歌い演奏する意味」だけではなく、音楽と時代を仲間と共に受け継いでいく意味」だったように思います。かまやつひろしを偲んで委員会バンドとともに披露したムッシュかまやつメドレー。忌野清志郎の訳詞の秀逸さを偲ぶ小田さんの言葉とともに歌い上げられた、キャロル・キングの名曲「You’ve Got a Friend」。打ち合わせの段階から和田 唱と意見が一致したという映画音楽の名曲の数々。70歳古稀という年齢をまるで感じさせない独特のハイトーンボイスで、次々と歴史的名曲を歌い上げる小田さんの佇まいからは、キャリアに胡座をかいた「大物感」はまるで感じられず、その姿はむしろ、自らに与えられた才能の全てを「今」取り上げる音楽に捧げて響かせていこうとするかのような、ある種の使命感を漂わせる音楽の伝道師そのものでした。1970年代からポップ・ミュージックシーンの最前線をひたすら走り続け、70歳古稀を迎えた2017年、まさに前人未到の領域に立っている小田和正さん。「エンターテインメント」という言葉では到底言い尽くせない真摯な音楽の力強さを、今の小田さんは確かに体現しているということを、今回のオンエアは改めて如実に物語っていました。それにしても、これだけの膨大な楽曲のプロデュース・アレンジを毎回一人でやってしまう小田和正という才能には、脱帽しかありません。表にこそ出ていませんが、とんでもない量の練習あって初めて築くことのできる番組だということを忘れてはなりません。来年は、松江にコンサートに来てくれるという知らせが届けられました。今からワクワク楽しみですね。❤❤❤

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オカシナ掲示

 島根県立はつらつ体育館」(松江市上乃木7丁目)の案内標識が「Shimane Lively Gymnasium」となっていたことを、当時の『朝日新聞』が「「はつらつ」を、英語の副詞「Lively(活発な、生き生きとした)」と表記している。カナダ出身で市内に住むサラ・ブレンコンさんは、『彼女はとても活発』『生き生きとしたダンス』のように使う単語だが、体育館には少し奇妙に響く」と批判していました。Livelyが副詞などと、島根県の『朝日新聞』の記者のレベルの低さを垣間見た気がしたものです。確かに「lively gymnasium」というコロケーションは普通ではありません。前・松江北高アメリカ人ALTチェルシー先生も、livelyという形容詞は、人に使う言葉であって、具体的な物に使うことは奇妙に響くとの観察でした。今日もたまたま、自転車でこの場所を通ったところ、この看板の表記が「Shimane Hatsuratsu Gymnasium」と、ローマ字表記を上から貼り付けて訂正されていました。これはこれで、一体何のことだ?外国人には余計に分からないぞ!というツッコミを入れたくもなりますね。写真のように、修正の傷跡が生々しく見えて、私は以前の掲示を知っているだけに可笑しくもありました(笑)。

 さて同じような掲示を、先日、米子で目撃しました。私は疲れてくると「とっとり花回廊」に出かけては、癒やされてエネルギーをもらってくるくらい大好きな場所なんですが、そこへ行くのに、米子駅から無料シャトルバスが出ているんです。繁忙期には30分ごとに、閑散期には1時間間隔です。今は「冬のイリュミネーション」をやっていて、週末は大賑わいを見せています。私は米子駅からバス停へと向かいました。バスの時刻表が変わっています。時間を見て唖然!日本語と英語の両方が表記されていました(外国人にも人気のスポットですので)。そこにあるのはとんでもない英語だったんです。これは間違いなく英語のできない日本人が、和英辞典片手に訳したと思われるひどいレベルの英語でした。帰ってから、その旨をお知らせするメールを花回廊へ送っておきましたところ、数日後に丁重な御礼のメールが届けられました。「さっそくネイティブが在籍する機関に添削を依頼し、確認でき次第修正して差替えるよう進めております。」とのことでした。今度米子駅に降り立ったらどう変わっているか見てみようと思っています。❤❤❤

 

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半崎美子クリスマスミニライブ

 12月12日、東京駅丸の内南口前の商業施設「KITTE」で、ショッピングモールの女王」ことシンガー・ソングライターの半崎美子さん(はんざきよしこ、36歳)がクリスマスライブを行いました。半崎美子さんは、今年の8月にも米子に来られ、鳥取県・日吉津のイオンモールでミニライブを行なわれ、私も初めて生で聴いてきました。⇒コチラです  今年4月にメジャーデビューした半崎さんの歌声が、真っ白に飾りつけられたクリスマスツリーがそびえるKITTEの1階アトリウムに響きました。

 屋内日本最大級の高さ約14・5メートルを誇るツリーを前に、真っ赤なドレス姿で登場した半崎さん。代表曲「サクラ~卒業できなかった君へ~」を涙ぐみながら歌うなど、3曲で集まった聴衆を魅了しました。 両親の反対を押し切り、19歳で北海道・札幌から単身上京。全国のショッピングモールなどで17年間(!)の地道な歌手活動を続け、4月にメジャーデビューしました。有線大賞新人賞を受賞し、「やっと親孝行ができました」。今年を表す漢字一字に「届」を挙げ、「たくさんの人に歌を届けることができて、濃い1年でした」と充実の表情を見せた半崎さん。12月13日が37歳の誕生日で、「36歳最後のライブです。感謝の気持ちがあふれる1年でした」と感慨深げです。聴く人の心に響く“泣き歌の女王”として人気を集めているが、「死ぬまで歌い続けたい。自分より歌が長生きしてほしい」と力を込めました。この人、歌が上手いです。♥♥♥

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発音・アクセント過去出題語

 センター試験の第一問題「先祖返り」「お色直し」が多く見られることから、過去問に出た単語をきちんと音読しておくことが一番の対策になるということを、何度も述べてきています。⇒たとえばコチラ  週末に行われたマーク演習模試(Z会トライアル)でも「過去問」が出題されました。

imitate ※1992本
crowd ※2008追 2017追
flow ※2008追
prefer ※1991本 2010本 1997追
republic ※1999本
evidence ※2017本
instrument ※2007本
satellite ※2017本
accuracy ※1990追 1991追 1993本 2016追

 「過去問の一覧表はありませんか?」というお問い合わせを全国から数多く頂きました。その都度、ダウンロードサイト」に登録してある、中川右也先生(三重県鈴鹿高等学校)のセンター分析資料「センター試験(英語)の傾向」の該当部分で一覧表があがっています、と回答してきました。PDFファイルで少し見づらいこともあり、単語が小さくて判読できないものもあって苦労されたかも知れません。こういうものは自分で手を使って作成して初めて、自分の血となり肉となるものです。ぜひご自分で課題をみつけて、新しい角度から資料を作成してみてください(そしてこの「ダウンロードサイト」で共有をお願いします)。今回のセンター試験に出題された「発音・アクセント問題への既出語の一覧」については、中川先生にご無理を言って、エクセルのファイルで提供していただきました。その他諸々の資料もお送りいただきましたので、そのうちの3つだけをダウンロードサイト」に登録しておきます。ご利用ください。中川先生、どうもありがとうございました。

・「センター試験発音・アクセント過去出題語」(エクセル)

・「センター試験語数の推移」(エクセル)

・「効果的な語彙学習方法」(パワーポイント) ともに三重県鈴鹿高等学校 中川右也先生

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please をつけると丁寧?

 外国人教授が、新入生最初のレポートの提出を求めたところ、次のようなカバー・レターとともに、送ってきました。このカバー・レターにはさまざまな問題点があります。どれくらい気がつきますか?ご興味のある方は、『CNN English』1月号(朝日出版)の特集「知らないと大ケガ!誰も教えてくれなかった英語の“リアル”丁寧表現」で、ティモシィ・ミントン教授(Timothy D.Minton, 慶應義塾大学医学部教授)が解説しておられますので、ぜひお読み下さい。この記事はとても勉強になりました。

Dear Mr. Minton,
Hello.
I am sending you my assignment.
Please check it.

 命令文にplease をつければなんでも丁寧になると思っている教師・生徒が非常に多いようです。中学校の英語の授業を思い出してみると、「お願いごとをするときは命令形に “Please” をつける」と習いませんでしたか?そのように学校で習ったものですから、当然と言えば当然のことかもしれません。ミントン先生は、「命令そのものが不適切な状況や相手に使われている場合には、pleaseを付けても丁寧表現にはならないのです」と述べておられます。上の”Please check it.”で考えてみましょう。命令する人(学生)とこれを受け取る人(教授)の関係を考えれば、そもそもこうした命令自体が不適切ですから、いくらpleaseを付けたからといって、失礼さは変わらないのです。さて、上の英文には、この他にどんな問題点があるのでしょうか?

 日本で最もよく使われている『ジーニアス英和辞典』の著者たちによる高校英語総合参考書『ジーニアス総合英語』(大修館、2017年)には、参考になるコラム記事がたくさんあって勉強になるのですが、そこには次のような注意書きが挙がっています。

 pleaseはどんな命令文にもつけられるわけではありません。相手がその行動をすることで話し手が利益を受ける場合に使うのがpleaseの基本です。
 Please bring me a cup of coffee. コーヒーを持ってきてください。
 しかし、話し手でなく聞き手の利益になる場合でも、話し手が心を込めて相手に行動を促す時には、pleaseを文頭で使うことができます。
Please make yourself at home. どうぞお楽にしてください。
 話し手の利益にならず、話し手が心を込めて行動を促すのでもない、指示や忠告を表す命令文にはpleaseをつけません。たとえば道案内のようなケースです。
Go straight and turn left at that corner.
×Please go straight and turn left at that corner.
まっすぐ行ってあの角を左に曲がってください。
 日本語の「~してください」は丁寧な言い方としてさまざまな場面で使えますが、pleaseには使える条件があります。やみくもにpleaseを使わないように注意しましょう。(p.41)

 

 

 

 

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もう休刊かよ?😢

 テレビのCMでおなじみの「週刊○○! 全▲▲号!」と、さまざまなジャンルで週刊(隔週刊)形式のグッズ付き雑誌を販売していることで有名なデアゴスティーニ」販売されている雑誌の多くは、実は、全国展開前に一部地域のみで、どの程度売れるかのテスト販売を行っています。そのテストである程度の実績を作り、合格した雑誌だけが、テレビCM等の宣伝媒体に登場し、全国展開されるわけです。

 で、以前ご紹介した「The Magic」(ディアゴスティーニ)全70巻の予定で、刊行が始まりました。マジック愛好家には堪らない企画で、私はすぐに予約購読を申し込みました。⇒情報はコチラです 順調に刊行が続いていましたが、前回の配本から何やらきな臭くなっていたんです。隔週で配本されるはずのものが、月に1回に変更になっていました。「あれ~?」 するとどうでしょう。今日届いた第6号には、「諸般の事情により、本誌は今号を持ちまして休刊させていただくことになりました。読者の皆様には、これまでのご愛読に厚く御礼申し上げます。」と書いてありました。中に返送ハガキが入っていて、送り返すと刊行再開の際に連絡がもらえるということでした(まず再開する見込みはないだろうな…)。もちろんこれはテスト販売の段階ですから、公式サイトにも出てきません。今までも、「デアゴスティーニ」はテスト販売したものの、思わしくなかったものを闇に葬ってきた過去があります。「The Magic」は、一部のマジック・マニアだけが知る幻の雑誌として消えることになるんでしょうね。テスト販売なので一般書店にも並んでいませんでしたし、表だっての全国展開の通販サイトでの取り扱いはありませんでした。決して内容が悪いというのではないのですが。値段の割にはDVDも、質の良いマジック・グッズもついて1380円(税別)ですから、お買い得だと思っていました。前号(第5号)には、「スベンガリ・デック」、今号(第6号)には傑作「お婆ちゃんの首飾り」までついていましたから、充実の内容と言ってよかったと思うのですが…。よほど売れなかったんでしょうね。傷口の浅いうちに、切ってしまおうというのでしょう。残念無念!!

 第1号から第5号まで提供された、赤沼敏夫(あかぬまとしお)さんの「ドリーム・オブ・エーセス」に使う5枚の特製パケットカードの演技解説が宙に浮いてしまいましたが、12月中に「解説書」が送られてくるそうです。12月末からウェブサイトでも動画解説を掲載されるそうです。この雑誌を綴じる「特製バインダー」が近日発売予定と出ていたんですが、6号で終わってしまっては幻と化すんでしょうね。第25号まで買った人には全員に「マジックアイテム3WAYバッグ」をプレゼントすると、大々的に宣伝をしていましたが、これも休刊ではどうしようもありません。それにしてもたった6号で休刊とは、会社の体質が問われますね。😢😢😢

▲最終号となった「第6号」

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祝「谷屋ん」5周年!

◎週末はグルメ情報です!! 

 松江市・西津田町「谷屋ん」は、八幡お気に入りのラーメン屋さんです。以前に、松江の伝説の人気店であった学園通りの「花さか」の後継店です。昔、松江市・今井書店の学園通り店の隣に、「花さか」という行列のできるラーメン屋さんがありました。いつ行っても、お店の前には人が並んでいました(松江では珍しいことです)。超満員のカウンター席で「醤油ラーメン」をいただくのが常でした。教員になりたての頃からずーっと通い続けた松江の名店でした。大将とも顔見知りになり、時々頼んでもいないギョーザが出てきたりします。「あのー、頼んでないんですけど」―「大将からサービスです」 こんな感じのおつきあいで長年が過ぎていきました。顔を出すと、大将が「先生も大変だのー。頑張ってーや」と優しいお言葉。ことラーメンに関しては妥協のない、厳しい姿勢の職人さんでした。お弟子さんを厳しく叱りつける現場も、何度も目撃しました。その後、いったん店をたたまれましたが(駐車場の問題と私には言っておられましたが)、島根大学の近くの路地を入った場所に移転して、再開されました。しかし網膜剥離で入退院を繰り返され、惜しまれつつ店を閉じられたのでした。当時の松江には、これといって美味しいーメン屋さんがなかったもので、ラーメン好きな私も、ポッカリと穴が開いたようになっていました。

 その、花さか」で修業された店長さんが、新たにお店「谷屋ん」を出されたのが2012年の秋。ほぼ懐かしい「花さか」の味を再現しておられました。初めて食べたときには懐かしさでいっぱいになったのを覚えています。国道9号線のユニクロ、マクドナルドを通り過ぎ、西津田「開運稲荷入口」の交差点から、北側に入ってすぐのお店です。路地裏に佇む「隠れ家」のようなラーメン屋で、テーブル17席、カウンター4席の小さな小さなお店です。同僚の数学の先生に、「花さかの味の店ができていますよ」と教えてもらってすぐに行ったのが5年前。あの味でした。以来、ずーっと足を運んでいましたが、思いもかけず、目の前に「来々亭」というチェーン店のラーメン屋さんがでかでかとできてしまい、隠れるようになってしまい、店の死活問題です。どうなることかと心配しましたが、そこはやはり味で勝負です。おいしさは比べものになりませんから。ということで、今日も出かけてきました。「来々亭の影響はどうですか?」―「あっちがいい人はあっちに行きますし、こっちがいい人はこっちに来てくれますから」 私は後者です。5周年、おめでとうございます。末長ーく頑張ってくださいね。

 私は「花さか」「醤油ラーメン」の味が忘れられず、煮卵ネギを増量してもらっていただいています。あの頃とただ一つ異なるのは、「花さか」ではわざわざチャーシュー麺を頼まなくても、めちゃくちゃたくさんチャーシューが入っていたことぐらいでしょうか。❤❤❤

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「十津川省三」の由来

 西村京太郎先生の「十津川警部」シリーズの主役「十津川省三」(とつがわしょうぞう)警部の名前の由来が、今日のテーマです。「十津川」という名前は奈良県の吉野郡十津川村から取ったものです。西村先生は「十津川郷士」にとっても強い愛着をお持ちで、十津川村、十津川郷士が大好きなんです(2009年に「十津川郷観光大使」を委嘱されておられます)。十津川村は山の中にあり、人が純朴で気持ちが純粋な人が多いところが気に入っておられます。幕末に尊皇攘夷をやろうと言われて、千人ぐらいで京都へわーっと行きます。ちょうどその頃、長州藩が尊皇攘夷を国論としていた時期で、朝廷側についていて、十津川郷士も長州と一緒に運動した。ところが、薩摩と会津が手を組んで長州をやっつけた。その結果、長州は朝敵ということになった。一緒に騒いでいた十津川郷士も朝敵にされてしまいます。尊皇攘夷運動の「天誅組」を作ったのですが、逆に朝敵にされてしまい、十津川の人は戦ったり、処刑されたりで、ずいぶん多くの人が亡くなります。こうした純朴でそれでいて利用されやすい十津川の気風が、西村先生を惹きつけて止まないのです。記録では初代天皇となっている神武天皇が大和に攻め込むときに十津川を通ったという伝承があり、それを信じる十津川の人たちは勤皇という自負があり、天皇のためと言われるとすぐに行っちゃうところがあり、幕末は大変な目に遭いました。そういう村が大好きな西村先生は「十津川」という名前を主人公に拝借したのでした。十津川警部は『赤い帆船』(昭和48年)で初登場したときには30歳(まだ警部補でした)。以降少しずつ年をとって40歳になりますが、以降はピタリと年をとらなくなり、今も依然として40歳のままです。モデルとなった実在の人はありませんでした。

 さて、下の名前の「省三」ですが、初めは下の名前はありませんでした。小説の中では「十津川警部」としか書かないので必要なかったのです。西村作品をテレビドラマ化するときに、テレビ局の人に「下の名前は何ですか?」と聞かれて、「分からない」と答えます。そうしたら配役を決めたときに、下の名前ができていました。十津川省三」と書いてありました。西村先生は「こんな名前だったかな?」と不思議に思っていたのですが、これはテレビ局がつけた名前でした。十津川省三」がフルネーム。西村先生はまったくあずかり知らないことでした。笑い話のような本当の話です。

 以前、西村先生は、自分の最終作品に、十津川警部が定年退職した後に、十津川村に行って自分のルーツを探すという話を書くつもりだ、とおっしゃっておられました。ところが、いざ十津川村に行ったら、村長さんに「うちの村に十津川っていう苗字の人は一人もいません」と言われてしまいました(笑)。残念!

 写真は歴代の「十津川警部」「亀井刑事」ですが、亀井」という名前は、西村先生は特に考えもせずに、自然と浮かんできた名前です。亀井定雄というフルネームは、先ほどと同様、テレビ局がつけた名前です。 ♥♥♥

◎テレビ局がつけた名前だった!!

【追記】 西村先生のご本名は「矢島喜八郎」(やじまきはちろう)です。西村京太郎」はペンネームです。父牛太郎と母辰子の間に4人兄弟の長男として戦争中に生まれた時、ホテルオークラ」を作った「大倉喜八郎」(おおくらきはちろう)さんが有名で、大倉さんのように金持ちになりたいという願望から、当時「喜八郎という名前を付けるのが流行ったそうです。ペンネームの「西村」は人事院時代の友だちの名字から、そこに、東京都の「京」と(先生は武蔵小山の出身)、太郎」は長男だから、という理由で「西村京太郎」となりました(黒川俊介」「西崎 恭」というペンネームもそれ以前に使っておられましたネ)。長年京都に住んでいたので名前に使った、というのはデマです。「京都に住むようになってから、京都の京ですか」と聞かれることが多くて、面倒くさいから「そうです」と、先生が答えておられたことから発生した誤りです。

 2009年に「十津川郷観光大使」を委嘱された西村先生は、2月3日に行われた「十津川郷観光大使委嘱状交付式」において、愛する十津川」と題したメッセージを寄せています。

             「わが愛する十津川」     西村京太郎

 私は自分の作品の主人公に十津川という名前をつけている。十津川警部である。よく聞かれるのは「いい名前ですが、どこから取ってきたんですか?」ということである。
 その問に、私は「日本で一番大きな村があります。十津川村です。歴史上有名な天誅組を生んだ十津川郷士の村でもあります。私はこの十津川という名前が好きで、無断借用させて貰っています」と、答えている。全て本当である。私は十津川という字が好きだし、十津川という言葉のひびきも好きである。無断借用も事実で、いつか勝手に使わせて頂いたことを、お詫びしたいと思っていたのだが 怒られることもなく、今回、観光大使に 任命されて、申し訳ない限りである。まだ十津川には二回しか行っていないが、私より妻の方がやたらに十津川が気に入ってしまって、何かというと、また行きましょうという。ひょっとすると、十津川の自然の美しさや、十津川温泉の楽しさ、そして、十津川の人々の優しさは、男より女の方が、敏感に感じとるのかも知れない。私の友人に、NHKで私のコメンテイターをしている女性がいるのだが、五条から十津川を通って、新宮まで行く長距離バスがあると聞くと、ぜひ、そのバスで十津川に行ってみたいという。彼女は、まだ十津川に行ったことはないのだが、直感的に、自分は好きになるところだと思っているのだろう。
 私は日本中の男たちに、一度十津川を訪ねて欲しいと思うが、それ以上に日本中の女たちに、十津川を訪ねて貰いたい。彼女たちは十津川を好きになるに決まっているからである。

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It’s time S+V-ed 

 (1)It’s time you went to bed. そろそろ寝る時間よ。

 上のような英文は高校生なら誰でも知っています。「仮定法」ではおなじみの英文ですね。「もう~してもいいころだ、そろそろ~する時間だ」仮定法過去を用いて、「It is time S + 過去形」という形で表す。文法の授業では必ず学習する構文です。もちろん文法的には何の問題もない正しい英語ですが、非常に古めかしい表現です。普通には、(2)~(4)のように言い、わざわざ仮定法を使って言い表すことはないでしょう。

(2)It’s time for bed.
(3)It’s time to go to bed.
(4)It’s bedtime.

 もちろん(1)のように、仮定法を使えば、もうとっくに寝る時間なのにあなたはまだ起きてごそごそやっているというイライラ感が伝わるのに対して、(2)~(4)の表現は単なる客観的な事実を述べたもので、含みはありません。両者は意味が違います。ここら辺が学校の文法指導で欠落している点です。仮定法を使うと「いいかげんに~してもいい頃だ」というニュアンス、時には強い批判を込めて「いいかげんに~してよ」という状況で使われることも多くあります:It’s about time you stopped lying!(嘘をつくのはいいかげんにやめなさいよ!)(cf. デイビッド・セイン『とにかく通じる英語』(草思社社文庫、2017年))「仮定法の場合、不定詞と異なり、「(実際は違うが)そうなっているべきだ」というニュアンスから「遅すぎる」と相手を非難する意味合いを持つ」(『総合英語Ultimate』(啓林館、2017年))くらいの記述はあってもしかるべきです。『ブレイクスルー総合英語』(美誠社、2017年)では、上記の不定詞と仮定法の違いをコラム記事と分かりやすいイラストで説明していて評価されます。

 さらには、これも現場でおなじみの、It’s high/about time S+V-ed に関しても次のような説明が一般的です。

timeの前にhighやaboutを置くことによって、それぞれ「とっくに…する時間だ」、「そろそろ…する時間だ」という意味になる」(『エイブル』)

「timeの前に形容詞のhighや aboutをともなうこともある。It’s about time we started.  (もうそろそろ始める時間だよ) It’s high time we started.(もうとっくに始める時間だよ)」(『ゼスター』)

「timeの前に「about(そろそろ)」「high(とっくに)」が入る場合がある」(稲田一『図解 高校3年間の英語を10時間で復習する本』(中経文庫、2017年))

 両方ともspoken/ informalと辞書には記載があります。しかしながら、普通のネイティブ・スピーカーの反応は、このような意味の違いを認めません。high timeというと(南部の人がよく使う、年配の人がよく使う、というネイティブも)、何か古めかしい表現という感覚で捉えています。aboutが普通の表現です。ここら辺をきちんと伝えている参考書はあまりないようです。❤❤❤

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BE KOBE😠

 「BE KOBE」とは、直訳すると「神戸であれ」という意味なのですが、実はこの言葉は阪神・淡路大震災から20年が経過したのを機に生まれたもので、「市民が神戸市民であることを誇りに思う気持ち」を表しているそうです。このモニュメントがある「メリケンパーク」には、広々とした芝生が広がる展望広場と、西日本最大級の新しい「スターバックスコーヒー」の店舗があり、カップルのデートスポットや、ファミリー層のふれあいの場、友達とのおしゃべりの場としてなど、普段からたくさんの方がリラックスできる憩いの場となっています。2017年4月に新しくモニュメント「BE KOBE」が登場しました。プレートには説明書きがありました。素敵な思いです。

BE KOBE
BE KOBEは、阪神・淡路大震災から20年目の2015年、「人のために力を尽くす」という市民の熱い想いを集めて生まれたメッセージです。「市民が神戸市民であることを誇りに思う気持ち」を表しています。
先進的で開放的、さらには豊かな創造性と国際性に富んだ、みなとまち。
“神戸らしさ”を育みながら大きな苦難を乗り越えてきた「これまでの150年」から、若者が挑戦し活き活きと活躍する「これからの150年」に向けて、神戸は出航します。
神戸開港150年記念
2017年4月 神戸市

 「神戸メリケンパークオリエンタルホテル」を背に新たなモニュメント「BE KOBE」が整備され、観光客の撮影スポットとして注目されています。「神戸ポートタワー」を降りて、モニュメントの所へやって来ました。行ってみると、分かりやすい神戸に来た「証(あかし)」として、写真を撮る人が多い印象です。新たな観光スポットになっているのでしょう。神戸に来ましたよ!っていう写真は今までは「ポートタワー」が背景になることが多かったと思いますが、今後はこのモニュメントがそういう存在になりそうですね。モニュメントの白のコントラストが、背景の青い海と空によって引き立ち、とてもおしゃれなフォトスポットとなっています。なんとも神戸らしい場所ですよね。近くには神戸のランドマークである「ポートタワー」や、有名な観光スポットである「カワサキワールド・神戸海洋博物館」「umie」「モザイク」などのショッピング施設などもあるので、ハーバーランドエリアを回ってみるのも楽しいものです。私はぐるっと回って買い物を楽しみました。

 インスタグラムやフェイスブックなどのSNSで、このモニュメントの写真が投稿されているのをよく見かけます。今では人気に火がつきすぎたのか、写真撮影の順番待ちの行列までできていました。つい最近見た「とくダネ!」で、この「BE KOBE」のモニュメントが「インスタ映え」(=今年の流行語大賞)するからとかで、よじ登って記念撮影する迷惑行為が話題に取り上げられていました。高さ2.4mのモニュメントの上によじ登って写真を撮っていく若者たち。 大震災を知らない人達がここを訪れてくれるのは嬉しいのだけれど、「インスタ映え」するからと、最上部によじ登るというのはどうでしょうか?人が登る強度で作られていないため危険(市職員談)なので、事故が起きないように絶対に止めて欲しいとおっしゃっておられました。

 「阪神淡路大震災」、「神戸復興」のシンボルとして作られたモニュメントというのになあ・・・。こういうニュースを見るとあの大震災が完全に風化してしまっていることを実感しますね。私は震災当日、早朝の火の海になっている神戸をテレビ中継で見て、愕然としました。前年の4月に神戸・大阪方面の大学に進んだ担任した生徒たちに、安否が心配で電話をかけまくったのを覚えています。みんな無事でした。でも、思い出すだけでもゾッとします。その震災からの復興の証に、靴のまま上がる人たちもいましたから、真っ白いモニュメントが汚れるし、重さに耐えかねて壊れでもしたらどうするのでしょう?自分のことしか考えない浅はかな行為と映りました。日本へ、世界へ、“神戸らしさ”を発信する「BE KOBE」に込められた思いを踏みにじる行為です。ところが、彼らは(女性が多かった)いかにも楽しそうに写真撮影に興じていました。けしからん!!😠😠😠

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「特急ハウステンボス」新型車両

▲今までの「特急ハウステンボス」車両 何度か乗りました

 さて「特急ハウステンボス」の新型車両のお話です。JR九州は2017年3月、大型リゾート施設の「ハウステンボス」(長崎県佐世保市)が開園25周年を迎えるのに合わせ、博多ハウステンボス駅を結ぶ「特急ハウステンボス」をリニューアルしました。赤や緑、銀色だった外観は、同園のモチーフである欧州をイメージした明るいオレンジ色に変更 されました。座席は複数のデザインを採用し、床や天井は木目調の素材にして温かみのある雰囲気を演出しています。特急形電車783系を水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生のデザインで完全リニューアルし、オレンジを基調とした外観、ぬくもりのある木をふんだんに使用した内観が特徴の車両に生まれ変わりました。オレンジ色の外観、ななつ星」のようなフロントマスクを始めとして、内装にも大きく手を加えたリニューアルを実施しています。私はどうしてもこの車両に乗ってみたかったんです。でも、困ったことに誰に聞いても、この電車がいつ走るのかが分からないんです。どの時間にこの新型車両が走るのかを探るのに、めっちゃ苦労しました。もうそれは執念でしたね。⇒私の乗車苦労顛末記はコチラです

 JR九州地区においては、旅客需要の少ない地域も点在することから、それらの場所における特急列車の運用に際しては、短編成での運行にも対応できるようと、車両中央に扉・デッキを配置し、車内空間を二分、A室・B室と区分して、グリーン席や普通席・指定席・自由席を1両の半分ごとに設定できるような構造となっています。今回の「特急ハウステンボス」も同様で、乗車口は真ん中付近にあります。今までのハウステンボス・カラーは、レッドやグリーン、ブルー、イエローといったにぎやかなカラーリングで、一昔前のハウステンボスの「華やかさ」を演出していましたが、今回のリニューアルでは、車内に木目調の材質をふんだんに用いることで、温かみのある内装へと大変身しました。シートには複数のデザインを取り入れることで、欧風のデザインへとリニューアルされています。現在運用中の4両5編成中、今回の車両1編成に続き、他の「特急ハウステンボス」車両も順次リニューアルが行われるとのことです(2018年完了予定)。すでに第2号が8月から運行していますね。特急「ハウステンボス」博多~ハウステンボス間で運行され、博多~早岐間で、特急「みどり」と併結運転を行います。

▲併結運転を行う「特急みどり」

 「特急ハウステンボス」の車両はこれまで、おもに車体前面や連結部付近に赤・緑・紺・黄のカラーを用いたデザインでしたが、今回のリニューアルにあたっては「そこはもうハウステンボス」をコンセプトに、明るく元気なハウステンボス号を表現」し、「ハウステンボスへの素敵な旅を想い夢見て」デザインされました。車体色には同列車オリジナルのオレンジ色を採用し、車内のリクライニングシートやカーテンも今までとは全く異なる明るく楽しいデザインに変更されています。天井や壁、床には天然木を使用してあたたかな雰囲気を演出し、車内に荷物置場(ラゲージラック)も設置されました。「木」をふんだんに使うというのが、水戸岡先生のデザインの大きな特徴です。 

 「ハウステンボス」は1992年3月に誕生し、今年で25周年を迎えます。これを記念して「特急ハウステンボス号」リニューアルの計画が始まり、第1号編成が完成したのが3月でした。私が一番こだわったのは、この外観です」と、JR九州青柳社長。外観カラーのオレンジに関しては、オランダでは『国王の日』と呼ばれるお祭りが4月に行われ、アムステルダムの街がすべてオレンジに染まります。私も一度参加したことがあり、圧倒されました。オランダ王家の色でもあり、みんなの喜びを表すオレンジをハウステンボス号の車外・車内に演出しました」と、青柳さんは説明しました。 

 車内の天井・壁・床には天然木をふんだんに使い、自然と会話が弾むような豊かな時間と空間」を表現しています。車内に一歩足を踏み入れただけで、普通の電車特急とは受ける感じが全然違います。リクライニングシートやカーテンを明るく楽しいデザインに変更するなど、あたたかな雰囲気が各所に演出されていました。私はこの日、1号車(グリーン車)に乗車したのですが、私が観察したところでは、指定席」との間には次のような差が見られました。車内をブラブラうろつき回って、観察しましたよ(笑)。

・グリーン車は1&2席の4列(計12席) 指定席は2&2席の7列 グリーン車はずいぶんゆったりとしていますね。

・当然リクラインニングの角度はグリーン車は半端なく大きい。かなり倒れ込んでのんびりとくつろぐことができます。指定席も試してみましたが、角度が全然違います。

・グリーン車は床から座席が一段高くなっています。指定席は床の上に座席があります。窓からの眺めが違いますね。

・グリーン車の荷物ラックには、ちょうど顔の上部あたりに読書灯がついていました。これ本を読む人にはとっても便利です。指定席にはありません。

・座席の頭のカバーはグリーン車は「白」 指定席は「橙」でした。

 この列車をデザインした水戸岡鋭治先生が、小さいころひたすら描いていた絵は「木」だそうです。今も木や葉っぱを描くのが一番好きなんです。自然界はデザインの塊。どれだけがんばっても、人間はかなわない。ぼくはテキスタイル、布のデザインをするのが一番好きなんだよね。ぼくが作ったパターンは200~300種類ありますよ。同じパターンは一つもない」と。確かに、この車両の新しいカーテンにも、そのことはしっかりと表現されていました。やはり水戸岡先生の「或る列車」内のファブリックや壁紙は、ものすごい数のパターンがありましたものね。私の大好きな新幹線「みずほ」「さくら」「リレーつばめ」の車内にも、そのことははっきりと見て取ることができます。ぼくは本当に良いものを、日常生活に取り入れたいだけなんです。鉄道が好きだから作るというわけではなく、みんなが集まって楽しい空間を作りたい。乗って喜んでいる人を見ているのが楽しい。アーティストではなくデザイナーですね」と水戸岡先生。

 私は現在、水戸岡鋭治先生がデザインした列車を全部制覇したいと目論んでいます。果たしていつの日に実現することでしょうか?先週は、京都丹後鉄道の、丹後あかまつ」、「丹後あおまつ」、特急「丹後の海」と、3本の水戸岡列車に乗ってきました。感動の体験でした。木がふんだんに使われている温かい列車というのは共通点です。❤❤❤

 

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西村先生、奥様とのなれそめ

 9月11日(月)放映のTBS「月曜名作劇場」で、西村京太郎サスペンス・十津川警部シリーズ3「伊豆踊り子号殺人迷路、同じく10月16日(月)の西村京太郎サスペンス・十津川警部シリーズ4「愛と裏切りの伯備線」と二作連続で、西村京太郎先生ご夫妻が、ドラマに出演なさいました。散歩中の西村先生ご夫妻が、捜査中の十津川警部に声をかけるという場面でした。ほんのちょっとの出演でしたから、気がつかなかったり、見逃した人も多かったことと思います。私は冒頭からテレビに釘付けになり、目を凝らして画面を今か今かと見入っていました。先生は9月6日に、87歳の誕生日を迎えておられます。創作意欲は益々旺盛で、年間12冊の新作長編小説の刊行に加え、今年は、最後の陸軍幼年学校入学生の体験を踏まえて世に問うた、異色の『十五歳の戦争』が評判を呼び、新聞・雑誌のインタビューやテレビ出演にと多忙をきわめておられます。今日のテーマは、そんな西村先生の奥様とのなれそめです。

 西村先生は、70歳の時に奥様と結婚しておられます(初婚)。最近手に入れた日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』(2016年6月改訂版、Kindle版)には、お二人のなれそめが語られていました。日垣さんが西村先生と奥様に質問をぶつけておられます。意外な事実がいっぱい出てきて興味深いので、ご紹介してみましょう。

日垣: 興味のある方もいらっしゃると思うので、奥様とのなれそめからお聞きしてよろしいでしょう か。
奥様: え、なれそめ?
日垣: ええ。西村さんが脳血栓で倒れられ て、修善寺か湯河原での治療を勧められて 湯河原に来なければ出会えなかったのですよね。*
西村: それはそうですよね。
日垣: 奥様は足のマッサージをされて――。
奥様: 私は、松の実の油からできた入浴剤を扱う会社にいたものですから、偶然に先生が先生が足湯につかるときにその品物を使っていて、それで私が先生のリハビリのお手伝いをすることになりました。その時に、京都に帰っても気候が悪いから、湯河原にマンションを購入したいとお話されていて。その時は(山村)美紗先生はお亡くなりになっていました。それで「僕の秘書的な仕事を手伝ってくれないかな」と言われたのがきっかけ です。
日垣: ご快諾されたのですね。(笑顔 で)その 時に下心はなかったのですか。
奥様: ないないないない。先生はすごく人見知りをする方なんです。私はね、半年で音を上げちゃったんですよ。しんどくて。
日垣: 聞いたお話なのですけれども、秘書時代にきつくてやめ たいと西村さんにおっしゃったら、「いいよ」と言わ れて、その後に「その代わり自分は書くのを辞める」と言われたらしいのですけれども。
奥様: そうなんです。もう、強烈ですよね。
日垣: それは、「いいよ」ではないですよね(笑)。
奥様: 私は、辞めると言ってもすぐに身をひいてしまうのではなくて、「代わりの人が入るまではちゃんとお手伝いさせていただき ます」と言ったのです。「辞めるなら、君の人生なのだから止めないよ」とおっしゃってくれたので、わかってくださったんだなあと。ちゃんと退職金も決まっていました。「先生はこれからどうなさるの」と尋ねたら「僕は病院 へ戻るから、もう人は入れなくていい」とおっしゃっる。病院 なら食事のことから全部やってくださるでしょ。ましてやお 部屋は特別室の個室ですからね。書斎 も応接間はある。安心じゃないですか。「じゃあそうしてくださいね」と言ったら最後の一言 が「僕はこれ以上ペンを持たない」と。今ならもちろん、辞めなさい、ありがとうございますと言えるけれど、その当時はまだ60代です からね。出版社の方に恨まれ ちゃいますよ。
日垣: それは辞めて欲しくないという気持ちの表れ だっ たのですよね。
西村:よくわかんないんだよ。
日垣: だんだん力関係が分かってきたような……。
奥様: それからね、ずるずる一緒にやっていたのですが、私は秘書の立場だったので何かと一歩下がっていなくてはいけないわけですよ。ある 時、(略――)ということが あって、それを見ていて先生は気の毒に思っていたのではないかな。「福井さん、籍入れようよ」とおっしゃって。
日垣: それはプロポーズだったわけですね。
奥様: それがプロポーズでしたね。
西村: いやいや、プロポーズという感じがあまりしない。
日垣: それがプロポーズでなければ 何 だったのでしょう。
西村: あの時、僕は70歳で10歳下だったから、お互いちょうどいいじゃないかと思った のですね。こっちが還暦で僕が古希だったから、記念になるのじゃないかと。それで、 役所に行きました。
奥様: 先生の仕事をしているのだから離れられないわけでしょ。どうせ秘書をして一歩下がっているのなら、妻の座に入るのも同じかなと。妻の座なら一歩下がる必要もなく、 言いたいことも言える、そういう立場が楽じゃないですか。
日垣: 自分の妻から「先生」と言われているのはいいな、と今、思いましたけれども。
奥様: 私だって名前で呼ばれたことはないですから。旧姓の「福井さん」ですもの。
日垣:「先生」「福井さん」なんですか。
西村: そうそう。
奥様:「お父さん」とも「あなた」とも言ったことがないんです。
日垣: 出会った 時のままの 呼び方で。
奥様: 秘書の時代からずっと同じなんですね。 籍を入れた時に「どうしよう、今度君の呼び方を変えなくちゃいけないね」と言われたんですよ。でも、この年になって、「あなた」や「お母さん」ていうのも。出版社の方も「福井さん」で通っているのだからこのままでいいと思っています。
日垣:「おい」と言うことはないんですか。
西村: あんまり言いたくないね。
奥様: なんかあると「福井さーん、福井さーん」呼びますよ。
日垣: 西村先生は初婚ですよね。
西村: 初婚です。いいですよ。みなさんもねえ、大丈夫ですよ、70歳で結婚しましたからね(会場笑)。―日垣 隆『日本一有名な作家直撃・西村京太郎さん公開インタビュー』より引用

 どうです?ベストセラー作家の口説き方、意外で面白いでしょ? ❤❤❤

 *(補足) 西村先生は京都に住んでいた時に、脳血栓で倒れて府立病院に入院してリハビリをやっておられました。主治医の医者が「今後は温泉に行って療養しなさい。湯河原か修善寺なら紹介できる」と言われ考えます。京都に住んでいた西村先生は、新幹線の停まる町のほうが便利だと思って、湯河原を希望します。新幹線の停まる熱海駅がすぐ近くにあります。修善寺もいいと思ったけれど、新幹線が停まらない。湯河原で健康器具を紹介する仕事をしておられた奥様に、入院中(平成8年)たまたま足湯で温めるマッサージをしてもらったのが奥様との出会いでした。車の運転を頼んだり、通いで秘書的な仕事をやってもらうようになりました。健康管理から食事の世話まで全て面倒みてもらっていたので、毎日通うのも大変で時間のムダなことから、同じマンションの一室を買って、そこを秘書専用の宿舎とします。大変な仕事で奥様は一年で音を上げられます。「そろそろ身を引かせてください」と。編集者はしょっちゅう来るし、気疲れやらストレスも相当溜まっていたのでしょう。「いいよ、君には君の人生があるんだからいいよ。その代わり、ぼくは二度とペンを持たない」と西村先生(一種の脅迫ですね(笑))。そのときは思いとどまってもらいますが、しんどいことには変わりがなく、ある日また「辞めたい」と今度は決意も固く言い出します。「籍入れちゃおうよ」これがプロポーズでした。最初は「とんでもない!」と断られます。財産目当てで結婚したみたいに言われることは、目に見えていますから。「なんだかんだ言われても弁明することはない、「はいそうです」って言えばいい」と説得しました。こうして入籍はしましたが、二年近くこのことは伏せていました。お互いに若くないし(西村先生70歳、奥様60歳、古希と還暦です)、改まって発表するのも照れくさいし。ところが、ある出版社の人が再婚して、人間ドックで入院していた西村先生の所へ報告に来ます。相手が女優さんだってあまりに自慢するもので、つい「ぼくだって結婚してるんだよ」と漏らしたのが、パーッと広まったというのが真相です。♥♥♥

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最後の「駿台マーク模試」

 今年度の最後のマーク模試は、「駿台プレテスト」です。松江北高では先週末に実施されました。私は木曜日から「神戸ルミナリエ」の旅に出るために、特別に水曜日の放課後に問題をいただいて、その夜に大雑把にポイント・アウトラインを打ち込んだプリント2枚を持って、旅に出発しました。「やくも号」「エヴァンゲリオン新幹線」(この新幹線初めて乗りました)「のぞみ」「特急きのさき」「特急まつかぜ」号の中で、「見直しプリント」を作成していました。金曜日深夜に帰宅して、早速パソコンに向かい打ち込んでいきました。

 最近、旅に出るといつもポカをして困る(認知症?!)ということを、以前に書きましたね。コチラです  今回もまたやってしまいました。まずは、姫路城を見学して戻ってきた姫路駅の新幹線コインロッカーの上に、新幹線の切符を忘れてそのまま改札に入ろうとしたら切符がない。一生懸命思い出すと、荷物を取り出したロッカーの上で、切符をバッグから取り出して確認してそのまま置き忘れたかもと、戻ってみたらちゃんとありました。危ない所でした(笑)。神戸に着いて、次は「神戸ルミナリエ」を見に行きます。前回は、点灯時に出かけたところ、ものすごい人だかりで一歩ずつしか進まない。そこで今回はちょっと時間をズラして出かけようと、宿泊ホテルの「ホテルオークラ」で晩ご飯をいただくことにしました。前回もココのフレンチ・レストランがとっても美味しかったので、再び訪れました。期待通りの美味しさに満足した後で(中でもビーフシチューは絶品だった!)、部屋に戻って出かける準備をしました。歩いて「大丸」方面に向かいます。やはり時間をチョット外して行ったので、前回ほどのろのろペースではなく、進行はスムーズでした。開港150周年の記念のルミナリエということで、以前にも増して素晴らしい光景でしたよ(また報告します)。前回は真っ暗闇の中を、ホテルへの帰り道が分からなくなり、途方に暮れてグルグル回っていた苦い思い出があります。今回はちゃんと地図を用意して、スムーズに帰ることができました。部屋に帰って、さあ「見直しプリント」を手直しだ、と思ったんですが、書き込みをした肝心のプリントがどこにもありません。「一体どこに忘れたんだ???」心当たりはホテルのレストランしかありません(コース料理が出てくるまでの時間にも見直しをしていたんです)。電話をかけてみました。すると「受験のプリントですね。ちゃんと預かっていますよ。」とのお答え。よかった!「取りに伺います」と言ったら、「お部屋までお持ちします」とのことで、すぐに持って来ていただきました。「どこに忘れていましたか?」と尋ねると、「レジの机の下のカウンターに置いてありました」財布を出すためにそこにプリントを置いて、そのまま忘れてしまったのか!ご親切に感謝です。

 「駿台プレテスト」の問題を丁寧に解きながら、赤字で解法のポイントを書き入れていきます。旅に出る前に生徒たちには「めっぽう難しくなるから、点が悪くても池などに飛び込まないように(笑)」(上位層を峻別するための出題で、いつものベネッセ・駿台共催の模試とは異なる)と予想・警告していましたが、案の定難しい問題ばかりです。「こりゃ、冗談じゃないぞ。点が取れない…」と思いながら、1問1問赤字で真っ赤っかになっていきました。こうやって、耳はテレビの「BBCワールド」をかけっぱなしにして聞きながら、朝の3時過ぎまでかかって一応完成しました。毎年思うことですが、よくもまあこんな難しい問題ばかり出すなあというのが正直な感想です。いつもの模試とは質が違います。例えば、第4問の問4は「この段落の後にどのような内容の文章が続くか?」という新傾向の出題で、受験生は苦手な人が多いんですが、いつもヒントは最終段落の最終文にある、と指導しているんです。ところが今回は、その前の段落からの流れを読み取らないと答えが見つかりません。質が違います。こうして完成したプリントを、今日の授業で配布して「見直し」を迫りました。難易度にかかわらず「やりっ放し」にしないことが重要です。駿台の問題作成委員は、この模試を何点の平均点に調整して出題しているのか、聞いてみたいところです。いつもは9割取れる生徒たちも7割~8割ぐらいに落ち込むことでしょう。

 問題を毎回本気で解く、ということを疎かにしていては教員の力もつきません。この「本気で」と言うところが大事なところでして、ザーッと見て「難しい、簡単だ」で済ませていては(あるいはひどい時には問題を見もしない)、教員の技量は身につきません。松江北高では、「校内模試」は校内平均点(補習科+現役)が40~43点に収まるように作成する、という不文律があるのですが、こうやって問題を本気で解いて、採点結果と照合して自分の予想との確認作業を続けていれば、「定期考査」だろうと「校内模試」だろうと、平均点を調整するのはたやすいことです。問題検討会の際に、設問ごとにクラス別の得点を予想して、電卓に入れていき、平均点を調整していきます。若い頃に体験した、島根県の「高校入試」は全県平均が60点になるように作るというのも、規模は違っても簡単にクリアできますね。最近行われたマーク模試の「見直しプリント」をダウンロードサイトに登録しておきました。 ❤❤❤

・「2017年3年生11月ベネッセ・駿台マーク模試」見直しプリント

・「2017年3年生12月全統プレテスト」見直しプリント  島根県立松江北高等学校

【追記】 神戸で、京都で、2日連続フルコースを堪能して帰って来て、翌日が病院での検査。血糖値がとんでもなく上がっており過去最悪でした。今週から節制です。

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米子駅「大和」

◎週末はグルメ情報です!!

 鳥取県・米子駅を出て右に曲がったところすぐそばにある「ラーメン大和」さんは、私のお気に入りの庶民的なお店で、米子に出てくる度に、もうずいぶん長く通っています。米子駅すぐ近くのお店ですから、電車通学の高校生もたくさん来ることでしょう。大将の人柄が伺える財布に優しいお値段です。でも味は一流です。店内は相当古い感じで、カウンター席が15席くらい、かな。スープは牛骨系、通常の醤油味のラーメンのスープだと思われます。背脂が結構入っていますね。麺は標準的な中太縮れ麺。具材は、かなり分厚い しなちく、もやし、ねぎ、わかめ、五ミリ厚、噛み応え有りのおお振りのチャーシュー。スープは…うん、結構美味しい。今日はラーメン麻婆丼をセットでいただきました(食べ過ぎだ!)。

 店内には、来店された有名人のサインが山のように飾られています。❤❤❤

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西村京太郎先生と戦争

         ▲湯河原「西村京太郎記念館」展示の先生の全著作

 十津川警部シリーズでおなじみの鉄道ミステリーの第一人者・西村京太郎先生(87歳)は、昭和24年4月にエリート将校養成機関である東京陸軍幼年学校に入学し、その四ヶ月半後に終戦を迎えました。当時の自身の生々しい戦争体験や、それに基づく独自の戦争観、日本人論について自伝的ノンフィクションという形で書き下ろしたのが、十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書、2017年)でした(先生には終戦工作秘話をテーマにした小説『D機関情報』という作品もあります)。この12月には600冊を超える作品を、昭和から平成にかけて出版してきたベストセラー作家が、なぜ今戦争体験を振り返るのか?西村先生の著作としては異色の内容ということもあって、刊行直後から大きな話題となり、出版社にも予想以上の反響があり、テレビ、新聞、雑誌、ウェブ媒体などから多数の取材依頼が舞い込んでいます。⇒この本の私の紹介はコチラです   酷暑の中、多忙なスケジュールに追われる西村先生ですが、「取材はどんどん受けますよ」と言って精力的に対応しておられました。マツコ・デラックスさんのバラエティ番組「アウト×デラックス」に出演したり、「報道ステーション」に出演したり、と飛び回っておられました。そんな一つが、『スポーツ報知』10月10日付「西村京太郎さんの戦争体験」と題して掲載されました。

 B29の空襲で校舎を焼き尽くされ、本土決戦が迫り来ようとしていると信じる中でも、「盾になって、天皇陛下をお守りするのだ」と覚悟していた軍国少年の西村先生。玉音放送を聞いた日から72年たった今、確信するのは日本人は戦争に向いていないということです。日本人は権力に弱く、戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。そして一番恐れるのは『臆病者』『ひきょう者』と言われること。戦争は始まってしまったら一刻も早く止めるべきなのに、勝算のない戦いをダラダラと続けてしまったんです」「最近はなんとなくきな臭いからね。安倍総理もそうだけど都知事の小池さんも『右』だからね。走り始めるとずーっと右へ行っちゃう。怖いですよね。子供の頃、皆が読んでいたのは『新戦艦高千穂』とか『見えない飛行機』という小説。読むと日本は戦争に勝てるんじゃないかと思うようになる。日本人は空気に弱いですから。総理大臣の話も威勢がいいほうが受けますけど、政治家がそういうことを言っちゃいけないんですよ」 2015年に「安保法案」が国会で可決され、西村先生には戦前・戦中の悲惨な記憶が蘇ってきます。2015年(平成27)は、太平洋戦争の終戦からちょうど70年となります。十津川警部シリーズの2015年の作品から、突如として戦争の話が組み込まれていくのは、そういう事情からなんです。西村先生は「このままでは、だれも戦争のことが分からなくなる。だから、書いておかなくてはならないと思ったのです会報『十津川エクスプレス』vol.31)と。この最新の会報の巻頭エッセイでは「きな臭い空気」と題して、最近のアメリカと北朝鮮のきな臭いやり取りを、太平洋戦争を生き抜いた先生は、戦争を知らない世代とはちょっと違う角度から分析をしておられ、非常に興味深く読みました。

 終戦後、西村先生は人事院に就職されます。旧制中学卒では出世は見込めない。大学進学を考えます。1949年頃、慶応義塾大学の通信科の願書を締め切り日に出しに出かけました。午後3時の15分の休みに願書を出しに新橋まで歩いて行ったのです。虎ノ門の交差点で信号が全部赤になって、右を見ても左を見ても全ての信号が赤でした。車の1台も見えなかったので、交差点を渡ろうとしたら警官が飛んできて怒鳴られてえらく叱られて制止されてしまいます。理由は「マッカーサー一行がお通りになる」ということで、規制が解除されたときには、願書提出の締め切り時間の午後4時が過ぎてしまっていました。大学に行き損なったのは、マッカーサーのせいですね。今、振り返れば面白かったけど、あの時は本当に怒っていた。全然車が走って来ないのに、ずーっと待たされて。大学に行っていたら、作家にならずに大卒の役人にでもなって全うしたんじゃないですか」

 西村先生は、作家デビュー以来、今までに出版した本はこの12月で600冊。現在の目標は、東京スカイツリー(634メートル)を1つ超える635冊まで書くことです。これを達成したらすっぱりと辞めると私にはおっしゃっておられました。⇒湯河原での私のインタビュー記事はコチラです

 「あと2年ぐらいで到達ですかね。うちの奥さんはもう疲れたらしく、いいかげんにしなさいと言っていますが(笑い)。作家は同じものばかり書いていると別のものが書きたくなるんですよ。本当は江戸時代を舞台にした時代小説を書きたいんだけど、なかなか出版社が書かせてくれない。でも、その代わり今は戦争の話が書けていますから。少しはブレーキになればいいな、とは思っています」(西村談)

 西村先生は、かつてこんなことを言っておられました。今年、戦後七十年ということもあって、太平洋戦争の資料や記事や本を読む機会が増えているんですけど、読めば読むほど、「日本人は戦争が下手だな」と思うんですよ。負けることがわかっているのに戦うことをやめられない。そして自分から命を差し出して死んでいっちゃう。命がとても軽い。だめでしょ、こんなの」

 これは単に「過ぎ去った過去の出来事」ではなく、現在にも通じるものでもあり、だからこそ戦争はしてはいけないのだ、と西村先生は力説されます。2017年8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日)で、西村先生はこのような言葉を残しました。

「「死んでなんとか勝つぞ」とかね、すると、なんとなくおさまりがいいんですよね。日本人ってそういうところがあるんじゃないかと思うんだよね。だから、「死んだ気でやるぞ」とか言われると、それに反対できなくなっちゃう。本当は反対しなくちゃいけないんだけどね。戦争はしないほうがいい。戦争するとやっぱり日本人って行っちゃうんですよね、そっちへね。「みんなが死んでるのに俺だけ生きてるわけにはいかない」とか言ってね」

 なぜ、西村先生は、戦時中に浮き彫りになった「日本の体質」が過去のものではないと断言するのか?それは、つい最近も、日本人の甘えや責任逃れの本質が変わっていないと痛感させる出来事があったからです。先の『十五歳の戦争』はこのような文章で締めくくられています。かみしめたいですね。

 戦後は、現在まで戦争はなかったが、原発事故があった。その時も、虚偽の報告を重ね、責任を取ろうとせず、ひたすら組織を守ることに、汲々としていた。これではとても、現代戦を戦うのは、無理だろう。良くいえば、日本人は、平和に向いているのである。

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第1問題の「お色直し」

  いろいろな場所でお話ししていることですが、英語センター試験の第1問「発音・アクセント問題」(配点14点)は、成績上位の生徒も結構点を落としている分野です。私のところにも、現場の先生方だけでなく、受験生を抱えておられる保護者の方からも、数多く相談が寄せられています。「発音・アクセント」に関する私のブログ記事のアクセス数も、半端でなく多いんです。それは、苦手にしている人が多いことの裏返しですね。原因は、準備・対策不足につきます。ここは何もしなかったら絶対に取れない分野なんです。かくいう私も高校時代は全くできませんでした。何もしていないからです。高校時代の私のような受験生が、全国にはうようよいるんですよ。

 私は、以前から、「この分野の勉強法は二つしかない!!」と力説しています。(1)基本となるルールを勉強する(発音問題は綴りに対する主な発音、アクセント問題の場合は語尾から押さえる基本ルール)、(2)頻出語を音読練習する、この二つです。このことをきちんとやった人は、満点を取ることができます。なぜかというと、狙われる単語は決まっている!」からです。私は、生徒たちに、センター試験の発音・アクセント問題に出た「過去の出題単語」を一覧で押さえています。すると、最近実施している模擬試験にも相当数出題されていることが分かります。「第1問は必ずこの中から出題されるので、要注意だよ!」という話を繰り返し強調しているんです。

 私たちの世界では、これを「先祖がえり」とか「お色直し」と呼んでいます。過去に出題された単語が、装いも新たに再出題されるのです。そもそも、センター試験「問題作成部会」の「日常的なコミュニケーションの場面で使用頻度の高い基本的な単語」について問う、という出題の意図を考えれば、この「先祖返り」傾向は納得のできるものと言えます(そんな単語はそう多くはありませんからね)。その意味で、センター試験の過去問を演習しておくことは、大きな意味があると言えましょう。試みに、この3年間の本試験・追試験に出題された語が、どの程度過去(1990年~)に出題されているか見てみましょう。毎年かなりの単語が再出題されていることが一目瞭然ですね。

●2017年度本試験の「お色直し」
【発音問題に出題された語】 なし

【アクセント問題に出題された語】
rapid 1992追
unique 1994本
typical 2000本
distinguish 1993本

●2017年度追試験の「お色直し」 
【発音問題に出題された語】
crowd 2008追
bother 2000追

【アクセント問題に出題された語】
sacred 1992本
indicate 1992追
industry 1990追 1991追 2007追
ceremony 1994本
necessity 1992本

●2016年度本試験の「お色直し」 
【発音問題に出題された語】
occur 1997本

【アクセント問題に出題された語】
purchase 1993追
unite 1999本
politics 1996追 2007追
demonstrate 2003追 2015追
opponent 2007追
discovery 2005追 
material 2007本
philosophy 1990追 1991追 2007本

●2016年度追試験の「お色直し」 
【発音問題に出題された語】
signature 2009追

【アクセント問題に出題された語】
obvious 1990本
recognize 2007本
memorial 2007追
accuracy 1990追 1991追 1993本
psychology 2007本

●2015年度本試験の「お色直し」 
【発音問題に出題された語】
ancestor 1991本
ancient 1993本
flood 1993本
wooden 1999本

【アクセント問題に出題された語】
admire 1993追 2006追
success 1992追 2013本
appropriate 1996本
complicated 1996本

●2015年度追試験の「お色直し」 
【発音問題に出題された語】
breathe 2007追
technology 1996追 2006本 2013追

【アクセント問題に出題された語】
account 1994追
confident 1996本
circumstance 1995本
demonstrate 2003追 2016本
ambassador 1996追
fascinating 2004本

 この3年間の本試験・追試験に出題された168語中、「お色直し」で再出題された語が42語あります。率にして25%です。なんと、1/4が過去問から再出題されているのです。【アクセント問題】に限定してカウントしてみると、全645出題語中268語が再出題されています。過去問をやれ!」と言う私の姿勢が理解できるでしょう?「同じ問題なんか出ないのだから、過去問なんかやっても意味がない」などとデマを飛ばす予備校講師がいますが、全くナンセンスな発言です。

 私は授業で、第1問題の対策として、次の4つをやるように生徒に指示しています。これだけで満点を狙うことができます。この分野は短期間で集中してやることができますから、この冬休みなどを利用して万全の体制を整えたいですね。♥♥♥

(1)センター試験(1990年~)本試験・追試験の第1問に出た単語を総ざらいしておく(一覧表配布)。

(2)八幡『2017年センター英語対策本』に出ている4種類の「頻出語リスト」を、チェルシー先生のCD(2枚組)について音読する。

(3『重要問題演習』『直前演習』(ともにラーンズ)の別冊の巻末に掲載されている頻出語を、QRコードを使って音声をダウンロードしてチェックしておく。

(4)『蛍雪時代』12月号(2017年)に挙げられた水野 卓先生の「鉄人厳選!発音問題頻出単語BEST100」&「鉄人厳選!アクセント問題頻出単語BEST90+9」を音読しておく。

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八幡家「倉」&「Rainbow Jokers」

 今日の授業は4限からなので、学校に出かける前に、本当に久しぶりに八幡家の「蔵」に入ってみました。私の自宅はミサワホーム」で作ってもらいましたが、一階と二階の間に、中二階の「蔵」があるんです。私はこの部屋に、今までずっと買い溜めたマジックの数々を収納しています(写真下) 。なかなか時間がなくて整理が出来ず、ツッコんだままになっていますが、いつかは「目録」でも作り、ジャンルごとに区画整理をしたいものだと考えています。この「蔵」には絨毯も引いてあり、暇な時には寝っ転がって、のんびりとマジックの説明書でも読みたいな、という願望を持っていましたが、なかなかそのような時間が取れずに、未だに夢のままに終わっています。今日は久々にその「蔵」に入ってみたんです。とんでもない量のマジックが眠っていますので(お金にすると間違いなく5,000万円以上はあります!家がもう一軒建つじゃないか!!)、どこに何があるのか、またいつ頃買ったのかは、もうさっぱり思い出せません(笑)。また同じ物が2つあったりもします(認知症?)。今日はそんな中を探っていると、ハンガリーの鬼才クリエーターであるアストロさん(Astor)「Rainbow Jokers」という作品が目に止まりました。あ~、これこれ。よくやったなー。引っ張り出してきて見てみると、何やら付箋が貼り付いていて、カードのセットの仕方をメモしてあります。その通りにセットをして、記憶を探りながら、やってみました。あ、そうだ、そうだ。思い出したぞ!私はこのようなパケット・トリックには目がなくて、目に止まったものを次から次へと買い漁っていたのでした。これは素晴らしい作品です。

 4枚のジョーカーの表を観客に示します。1枚のジョーカーを引っ張り出して、裏向きにします。裏の色はです。4枚を数えてみると、全てのカードが瞬間に裏向きになってしまいます。あれ?再び、1枚のカードを表向きにして数えてみると、瞬間に全てのカードが表向きになってしまいました。観客に表向きのジョーカーを示しながら裏を示すと、今度は裏の色が黒、赤、オレンジ、緑の4色に変化してしまいます!もちろん、表は全てジョーカーであることを示します。しかし、裏の色が全部再び元のに全て戻ってしまうのです。そして、またまたま1枚のカードを表向きにすると、全てのカードが瞬間に表向きになってしまいます。一体どうなっているんだ??!これがアストロさんの「レインボージョーカー」です。私はジャンボカード仕様のものを買っています。とてもきれいな作りのカードです。アストロさんのものにはハズレがなく、いつも大満足しています。演技をご覧ください。実に不思議でしょ?♠♣♥♦

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「とっとり花回廊」イリュミネーション

 「とっとり花回廊」(鳥取県南部町、約50ヘクタール)は、私の癒やしスポットなんですが、この時期は日本最大級のフラワーパークを舞台に繰り広げられるフラワーイルミネーションが最大の売りです。今年のテーマは「ヒカリ タイムスリップ~未来から過去へ 過去から未来へ贈り物」で、未来へ受け継いでいきたい鳥取の伝統産業「絣」や祭を光で表現。さらに「絣」が栄えた江戸時代から未来まで、各時代を象徴する灯りも光で表していました。今年は全エリアでデザインを一新し、中四国初となる高さ21mのデジタルタワーとともに繰り広げる「音と光のショー」のほか、鳥取県の伝統産業である弓ヶ浜絣やしゃんしゃん祭りの踊り傘をモチーフにしたイルミネーションなど、趣向を凝らした演出が施されています。 ライトアップされた花や樹木と、過去最多の150万球のLED電飾が広大な園内を彩っています。今年はデザイン全面リニューアルで、花とコラボした演出もフラワーパークならでは。金・土・日・祝19時からの花火は、昨年よりパワーアップの約400発です。

 入り口は「ナイトジュラシック」夜の恐竜パークへタイムスリップした感じです。お昼の恐竜たちもずいぶん印象深かったのですが(⇒コチラ)、緑に覆われた恐竜たちが、夜の訪れとともにカラフルな光に包まれて闊歩する恐竜もまた趣のあるものでした。ジュラシックパークに紛れ込んだ気分です。

 「フラワードーム」へ向けての「プロムナード橋」は、未来へ導いてくれる光の滑走路「未来へつながる橋」です。光が音楽に合わせて流れるように点灯しています。直径50メートルの「フラワードーム」では、中四国初の高さ21メートルのデジタルタワー(絣をイメージ)が、デジタル技術により音楽と光が連動した鳥取県の伝統産業絣(KASURI)の糸や模様を表現していました。天井から吊り下げた糸のように繊細な電飾が音楽に合わせて光を降り注ぐなどしながら、絣の模様などを表現しています。過去から未来への贈り物を紡ぐ世界、これはすごい迫力でした。

 「霧の庭園」では、束ねた電飾で、鳥取しゃんしゃん祭でおなじみの踊り傘の模様が巨大な光絵となって輝いています。展望回廊から見るととってもキレイです。

 「フラワードーム」を出て「東館」へ向かうアーケードの光。ゴールドに輝く光の並木道は、樹木の幹までがきらびやかに。「ヨーロピアンガーデン」は、左右対称のクラシックな庭園に、ネオンのような華やかな光が溢れかえっていました。「水上花壇」では、揺らぐろうそくの灯火のように柔らかい光がこぼれていました。「展望回廊」では、因州和紙を使って作られた伝統的な踊り傘が光の中に浮かびあがって、「傘踊りのフォトスポット」となっています。一周1キロの「屋根付き展望回廊」では「平和」「円満」の願いを込めた光の輪を作っています。

 最近、一眼レフカメラの写真の綺麗な撮り方をプロのカメラマンの方や、カメラ屋さん、書籍などで教えてもらうことが多くなって、構図や細かい機能を最大限に使うことで、ずいぶん写真の出来映えが変わってくることが分かってきました。私はずぶのど素人なので、今までは横着にカメラ任せ(AUTO)で、シャッターを押すだけという無知な撮り方をしていましたが、ISOや露出、シャッタースピード、照明効果を変えるだけで、グッと粋な写真が撮れることが、少しずつ分かってきたところです。写真も奥が深いんですね。実は今回は、近く出かける「神戸ルミナリエ」予習として、イリュミネーションの撮り方を練習しておこうと思ってやって来たんです(笑)。チョットコツのようなものが、見えてきましたよ。❤❤❤


(追記) と、思っていたら、昨日までは順調に機能していた「ソニーα6300」のレンズが突然認識しなくなりました。うんともすんとも反応してくれません。これでこの半年で3本目です。またレンズを買わなくてはいけない…。本当にデリケートで困ります。😠😠😠

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『PHP』誌

 『PHP』誌は、松下幸之助さんのPHP(Peace and Happiness through Prosperity、「繁栄によって平和と幸福を」の頭文字)の考え方を広く世に伝えるための、いわば機関誌であり、PHP研究所設立の翌年に創刊されました。PHP』では、人間とは何か、真に豊かな人生とは何か、幸福とは何か、といった、いつの時代にも変わらぬ人類普遍のテーマである「生き方」について、様々な角度から取り上げています。多くの方々の体験にもとづく貴重な意見・提言をもとに、物の見方・考え方についてのヒントを小・中学生からお年寄りまで、多くの読者とともに考える広場となっています。

 PHP研究所は、松下さんが私財と思いをつぎ込んで「繁栄によって平和と幸福」を追求する社会啓蒙活動として、昭和21年11月3日に始まりました。「平和」と「幸福」を得るためには「物質的な繁栄」がなければならないとしたところが、松下さんの「哲学」です(渡部昇一談)。PHP研究所を創設した翌年の昭和22年4月に、雑誌『PHP』は発刊されています。当時発行部数1万部でした。何度も挫折・苦悩を繰り返し「もうPHPを閉じよう」というところまでいきました。発行部数100万部にまで拡大した『PHP』誌も、ほとんどは松下電器の買い上げで、松下さんの「道楽」と見なされる始末です。創設30年間にわたって経営はずっと赤字続きだったのです。松下電器の支援が9割を占めていました。赤字になると、松下さんがポケットからポンと財布を出して補填してくれるような状況でした。そんな経営状態を見かねた周辺からは、「PHP活動は、世のため人のためなのだから、財団法人にすべきです」という進言が何度も行われました。松下さんは「財団法人はあかん。資金を集めて、その資金でやっていく、あるいは、その運用でやっていくわけや。足らなくなると、資金集めや。他に頼る。そこには自主自立の気概も生まれにくい。たいてい安易しか生まれてこんわね。だから、いつまでたっても赤字や。PHP研究所を株式会社にしたのは、そういう真剣味をつくるためや。会社というのはね、生きるか死ぬか。そういう心持ちが、会社を発展させるんや。財団法人にしたらあかん」とかたくなに拒んだと言います(江口克彦『松下幸之助はなぜ成功したのか』(東洋経済新報社)。そんな中で江口さんは36歳の若さで、松下さんからPHP社長を任されます。

 30年間もずっと赤字の会社を引き継いで、江口さんは毎週一回松下さんに状況の報告に上がっていました。いつものように赤字を報告すると、まあ、そういう結果なら、しゃあないな。君たちが一生懸命やった結果や。そうそう簡単にはよくならんわ。まあ、このPHPをはじめて30年間、ずっと赤字や。一度も黒字になったことがないんやから。心配せんでいい。きみたち、若いもんが一生懸命やっているんやから」と松下さん。すみません。頑張ります」と江口さん。するとその瞬間、あんなあ、きみ、わしの言う通りに、やるんやったら、きみは要らんで」と。江口さんは、その一言に仰天し恐怖すら感じたと言います。今までのやり方ではなくて、お前のよしとする経営をやってみろ、わしが言うからその通りにやればいいというような安易な考えで経営をするな、わしの指示を超えた成果を出して持ってきてみろ、という松下さんの声なき声を聞いたのです。

 現在、PHP』誌は、定価190円(税込205円)で販売されています。これだけの啓発内容を盛り込んで、この時代、この安さは驚愕ですね。私も毎月読んでいます。生きるための大きな指針を与えてくれる記事も多く、その都度切り抜いてファイルしています。それにしても自社以外の広告もなく、この値段、安すぎです!!

 当時、PHP』誌の定価があまりにも安すぎる(当時120円)と、多くの書店からクレームが舞い込んでいました。週刊誌は月に4回出ますが、PHP』は月刊誌なので、毎号買う人がいても月にわずか120円の売り上げにしかなりません。あまりにも安すぎて、売っても店の売り上げに寄与しないというのです。もう少し定価を上げて欲しいという陳情です。出版元のPHP研究所も、広告をいっさい掲載していないので、毎号大赤字です。そこで当時社長の江口さんは、松下幸之助さんの所に出向いて、定価を120円から150円に値上げしたいという提案をします。すると松下さんは、う~ん、このまま120円にしておこう」と言います。江口さんは、「120円のママだと、いろいろと書店さんもお困りになっていますし、PHP誌も赤字ですし」と繰り返すと、松下さんは「『PHP』誌は機関誌なんや、啓蒙誌なんや。世のため人のために出しているものだから、一人でもたくさんの人たちに読んでもらいたい。もっと言えば、子どもたち、中学生にも買って読んでもらいたい。多くの人たちに読んでもらうためには、できるだけ値段を押さえたい。だからキミ、120円で対応してくれへんか」とおっしゃいます。わかりました。それでは『PHP』誌の定価は変更せずに、書店さんにはご説明し、また月刊誌単体では赤字ということで今まで通り出していきます。その代わり、他の書籍の発行で経営全体としては黒字にしていきます」と江口さん。その途端に松下さんの表情が一変します。キミ、誰が『PHP』誌は赤字でいいと言った!キミは経営というものがわかっておらん!!『PHP』誌を黒字にすることを、キミは考えてへんのか!!」と激しく叱られます。つまり、赤字部門があっても、全体が黒字であればそれでいいじゃないかと考えてしまうと、どの部門でも同じように給料を払うのだから、赤字でも給料がもらえるなら努力しなくてもいいと思います。一方、黒字部門の人たちは、赤字でも同じ給料か、と働く意欲を失います。そのために結局は、黒字部門までどんどん赤字となって、ついには会社全体が赤字に転落ということになってしまいかねません。松下さんは、それでは社内の士気がどんどん緩んでいくということを、江口さんに伝えたかったのでしょう。江口さんは、それから八方手を尽くして『PHP』誌の黒字化を目指します。本気になってコストカットに取り組んだ(ここら辺の詳しい事情は、江口さんの『松下幸之助に学ぶ部下がついてくる叱り方』(方丈社)pp.87-88に出ています)ところ、本当に二ヶ月後に黒字になったのです。それからは事業を積極的に拡大して、研究活動、研修活動、友の会活動、出版活動、海外活動全ての分野に成功を収め、経営責任者として34年間、9億円だった売り上げを250億円にまで拡大していきました。松下さんが平成元年に逝去される20日前、成果の報告を聞きながら、松下さんは「きみ、PHPがこんなに大きくなるとは、わしは思わんかった」とお褒め・ねぎらいの言葉をかけられました。

 経営というものはよいときもあるし悪いときもある。にっちもさっちもいかない、もう一歩も前に進めないというふうな状況になることもある。それが経営なんや。けれども、にっちもさっちもいかない、壁にぶつかったときでも、もうこれでおしまいだということで、きみ、へたりこんだらあかんで。ぶつかった壁の向こう側に行ける知恵というものを出さなあかん。そのためには、“行き詰まっても行き詰まらない”という考え方をいつも持っていないとあかんで。(松下幸之助)

 私は、やはり何事もリーダー次第だなと、最近、学校や企業を見ていて痛切に感じることです。尊敬する小宮一慶さんがよく口にされる「良い会社とか悪い会社はない、あるのは良い社長と悪い社長である」は、経営コンサルタントの一倉定先生の言葉ですが、会社には、良い会社、悪い会社があるのではなく、良い社長か悪い社長かで会社の命運が決まってしまう、ということをおっしゃったものです。私は教師ですから、これを転じて次のように使っています。良い学校とか悪い学校はない、あるのは良い校長(教師)と悪い校長(教師)である」

(追記)島根県大田市で、義手・義足を作っておられる「中村ブレース」の社長・中村俊郎さんに、故・澄田信好知事より、島根県教育委員の就任要請があります。教育委員会で中村さんは、試験の点数ではなく、本当に子どもが好きな人を教員として採用してください。心底先生になりたいと思っている人を採用してください。」と強く主張されました。点数の高さだけで採用された教師の中には、教師として適性の疑わしい人がいる、というのが中村さんの実感だったのでしょう。島根県の全ての県立高等学校の図書館に、この雑誌『PHP』を毎月、長年(平成20年1月号―平成25年1月号)贈り続けていただいたことは、島根の生徒の心の教育を」という、中村さんの心からの熱い想いからでした。有り難いことでした。中村さんに関しては、詳しくこのブログに取り上げたことがあります。⇒コチラです

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「ラミー」と「バッカス」

◎週末はグルメ情報です!

     私はお酒は全くダメなんですが、秋冬の季節限定で発売になるロッテのチョコレート「ラミー」「バッカス」だけは、小さい頃から大好きなんです。最近もスーパーに並び始めたので、買って冷蔵庫に入れてあります。それぞれラム酒に浸したラムレーズンと本格的コニャックが入っています。ラミーには3.7%、バッカスには3.2%のアルコールが入っています。この中に入っているお酒や生チョコレートが、夏温かくなると染み出てきたり、アルコール分が飛んでしまうので、「季節限定」となっているのです。

 「ラミー」のチョコの中に入っているサルタナレーズンはホワイトラム漬け、ガナッシュにはダークラムが使われていて、ダブルのラムで風味が格段にアップしています。ラムの効いたレーズンの甘酸っぱさとラム入りのガナッシュのとろけるようななめらかさが売りのチョコレートです。みずみずしいラムレーズンと、しっとりした生チョコを閉じ込めた、香り豊かな大人の本格洋酒チョコといった感じです。1965年の発売ですから、もうずいぶんと歴史のある(半世紀)商品です。チョコレートとお酒の悦妙なハーモニーで、優雅な気分と贅沢な時間を楽しむことができます。ただし、1個あたり238キロカロリー(=ほぼご飯一杯)。ここで使われるレーズンは、太陽をたっぷり浴びて育ったブドウを乾燥させて作ります。その後、ラミーに適した品質やサイズの選別を行い、厳選されたレーズンだけをラム酒入りのシロップに漬け込み、ふっくらとみずみずしいラムレーズに仕上げています。美味しいわけだ!

 一方、「バッカス」の方は、その1年前の1964年に発売されました。フランスのコニャック周辺で産出される高級ブランデーをチョコレートだけで閉じ込めています。ブランデーの中でも高級な芳醇な味と香りのコニャックを、口溶けまろやかなミルクチョコで包んだ、一粒タイプの大人の洋酒チョコです。トロっとあふれ出す甘いブランデーとミルクチョコレートのかなでる、芳醇な味と香りが堪らない商品です。336キロカロリーもあります。注意、注意!コニャックは、その原料となるブドウの品種、蒸留方法、熟成方法に規格があり、フランス産のオーク樽で2年以上熟成された芳醇な味わいと香りを持つブランデーです。

 八幡はこの2つのチョコレート、どっちも美味しいので、甲乙つけがたい気がしています。いつまでもなくならないで欲しい、なくてはならない癒やしのチョコレートなんです。❤❤❤

 なんでもお隣の鳥取県は、この2つのチョコレートが大人気なんだそうです。総務省の統計でも、鳥取県の1人当たりのチョコレート菓子消費量は常に全国のトップクラスだそうです。

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アート引っ越しセンター!!😠

大きな荷物を運ぶ作業員のイラスト(焦る)

 あまり悪口は言いたくないのですが、今日は19年前の怒りが沸々と再燃しましたので、記録しておきます。学校帰りに散髪屋さんに寄って、すっきりして家に帰ってきましたら、自宅前のマンション(松江に帰って来たときに私の住んでいたマンションです)の前に3台の「アート引越センター」のトラックが止まっていました。私はこの引越会社にはちょっとした怨念がありまして、19年ぶりに当時の怒りがこみ上げてきました。トラックの前で3人ほどの従業員らしき若者がちんたら話し込んでいるのを見て、余計に腹が立ってきました。13年間勤めた松江から大田に引っ越しをした19年前のことです。大田の住宅が空くのが4月に入ってからということで、いつも利用している「日通」「クロネコヤマト」は予約で一杯でとれません。仕方がないので「アート引っ越しセンター」にお願いすることにしました。当時テレビCMがバンバン流れていた会社です。引っ越し当日の朝から、この会社はいい加減でした。約束の時間(8時)になっても現れません。連絡も一切ありません。結局、「渋滞」とやらで1時間遅れてやって来ました。このときから嫌な予感がしました。何とか荷物を積み込んで(本がたくさんあるので10トン車です)出発。私は母親と二人でタクシーで大田に向かいました。大田高校の教員住宅に着きますが、なかなかトラックはやって来ません。待てども待てどもやって来ません。こちらから電話してみると、車が大きすぎて路地に入れないので、今から小さな車を手配するので、と言う。事前に地図も渡して住所も示してあるのに、当日になってから車の手配かよ、かなりの怒りに体が震え始めました。ようやく小さなトラックでピストン輸送が始まって、荷物の運搬が終了したのが、なんと夜の9時です。当時母親は寝たきりで、できるだけ引っ越しはしたくなかったのですが、やむを得ず一緒に来てもらっていました。ずいぶん気をもませてしまい、病気の体には悪いことをしたと後悔しています。母はこの3ヶ月後に亡くなるのですが、この引っ越し疲れが死期を早めたのではないかと、今でも後悔することしきりです。荷物をほどき始めると、ガラスが壊れていたり、陶器が割れていたりとふんだりけったりでした。私も今まで何度も引っ越しをしてきましたが、こんないい加減な業者は初めてでした。怒りが収まらないので、数日後、社長宛に抗議の手紙を出しました。なしのつぶてです。どんな会社??今日は家の前に止まっているこの会社のトラックと、その前でちんたらと話し込んでいる若者を見て、このときの怒りがこみ上げてきました。たまたま私が運が悪かったのかもしれませんが、一言ぐらいお詫びの言葉があってもしかるべきだったと思いました。今でも怒りは収まっていません。テレビで流されるCMを見ても、「嘘つけ!」と思ってしまいます。

 引っ越しのいいお話も、ついでにしておきましょう。このときの引っ越しがあまりにもひどかったので、4年後、今度は大田から津和野に引っ越すことになった時には、業者選びは慎重にも慎重を期しました。たまたま同僚が松江から温泉津に引っ越す際に、「クロネコヤマト」にお願いしたら、本当に丁寧に全部お任せで何もしなくてもよくて楽だった、と教えてくれたので、クロネコヤマトのお任せでお願いしました。荷造りから荷ほどきまで全部やってくれると聞いたので、これは便利だと乗ってみたわけです。時間厳守できちんと来てくれ、手際よく家財道具や大量の本を梱包していきます。私は本当に何もしなくて、ただぶらっとしているだけです。荷物を運び出してしまうと、翌日の朝決められた時間に津和野の住宅に荷物を届けるというシステムです。私はその日のうちに特急列車で津和野に移動します。朝待っていると、きちんと定時にトラックがやってきました。本当にてきぱきと作業をしてもらい、私はコーヒーを飲んで指示を出して見ているだけです。このときの引っ越しで、たまげたことが一つありました。大田の本棚を荷造りする際に、その時の並んでいた順番通りに本を詰め、津和野で荷ほどきをする際には、その順に出して並べてくれ、大田の本棚と寸分たがわずに復元してくれました。これにはたまげ、感動もので、忘れられない思い出になっています。お金はかなりかかりましたが、こんな楽な気持ちのいい引っ越しは初めてでした。このときに、次回の引っ越しはクロネコヤマトにお願いしようと決めました。3年後、松江に帰ってくるときにも、クロネコヤマトを早くから予約して、満を持して引っ越しましたが、前回のような感動的な作業ではありませんでした。やはり人によるのでしょうね。あのときのリーダーは本当にてきぱきと気持ちのよい青年でした。アルバイトの県立大学生を手際よく動かしながら、全部短時間に完了してくださいました。私がクロネコヤマトのファンになったのは、この時からでした。❤❤❤

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トレーニングパンツ/training pants

 先日、このブログで、英語のpantsをめぐる興味深い英米差について考えてみました。⇒コチラです  今日は、そのとき宿題としていた「トレーニングパンツ」について考えてみたいと思います。私たちの『ライトハウス英和辞典』(第6版)は、トイレのしつけ用パンツ(おむつが取れたばかりの幼児にはかせる《日英》日本語の「(運動用の)トレーニングパンツ」に相当するのはsweatpants」と記述しているものです。

 昔、英字紙The Daily Yomiuritraining pantsが「トレーパン」の意味で使われており、違和感を持った英語の先生が編集部に問い合わせをなさいました。回答は「編集部内で再検討致しました所、“training pants”には確かにご指摘通りの「幼児用パンツ」という意味もありますが、一般的に、口語ではいわゆる「トレパン」の意味で使われることもあり、特に英国では、“sweat pants”より“training pants”の方を多用するようですというものでした。私たちの主幹の竹林 滋先生から、この回答の信憑性について確認を取るようにとの指示が回ってきました。当時、私たちの『ライトハウス英和辞典』は、英米の問題となりそうな語法については、イルソン博士と故・ボリンジャー博士に確認を取って裏付けをしていました。イルソン博士は英国の事情について、「training pantsを使わない親もいるので、全員が知っているわけではないが、ライトハウスの記述する通りである」とおっしゃいました。イギリス人インフォーマントのバーナード先生もライトハウスの記述を支持され、ヨミウリの記事は「和製英語」だと断定されました。それでも、同僚の若いイギリス人ALTが「トレパンの意味で使うよ」と言うもので、念のために英国の辞書編集者・言語学者に尋ねてみることにしました。

【Christopher Steward  オックスフォード出版Assistant Editor】

「トレーパン」の意味で使うことはない。「幼児用しつけパンツ」のことはtrainer pantsと言うように思われる。

【George W.Davidson チェンバーズの辞書編集者】

「トレーパン」の意味で使うことはない。赤ちゃん用品店に聞いてみると「幼児用しつけパンツ」はtrainer pantsと呼んでいるとのこと。training pantsは、イギリスでは浸透しておらずアメリカ英語と思われる。

【M.Janes ハラップ社辞書編集長】

「幼児用しつけパンツ」の語義はアメリカ用法。イギリス英語でもアメリカ英語でも「トレーパン」の意味で使うことはない。

【Michael Swan  文法学者】

育児経験者に聞くとtraining pantsは「幼児用しつけパンツ」のこと。「トレーパン」の意味はない。

 上述のイルソン博士、バーナード先生の反応を加えても、結論的には、イギリス英語では、「トレーパン」の意味はなく、「幼児用しつけパンツ」の意味と考えられますが、一般的にはtrainer pantsと呼ぶことの方が多い、ということになりそうです。

 アメリカ英語における実態を、アルジオ博士にも伺いましたが、やはり「幼児用しつけパンツ」の意味で、これはアメリカ英語ではないかと思うとの回答でした。「トレーパン」の意味で使うことはアメリカでもイギリスでもない。老舗辞書出版社のメリアム・ウェブスターにも確認を取りました。

【Robert Copeland  メリアムウェブスター社辞書編集者】

training pantsのイギリス英語からの用例は一例もない。英国系の辞書にも記載がない。アメリカ英語における用例は全て「幼児用しつけパンツ」(absorbent briefs worn by children during toilet training months)の意味。

 以上のことより、やはりtraining pantsは「幼児用しつけパンツ」のことであって、「トレーパン」を指すことはない、「和製英語」と断定してよさそうです。亀田尚己・青柳由紀江・J.M.クリスチャンセン『和製英語事典』(丸善出版、2014年)が×(和製英語)と断定し、「一方、英語のtrainは、動詞で一般に「訓練する、しつける、仕込む」ことで、子供や子犬などを「粗相しないようしつけること」も意味します。そこで英語のtraining pantsは、幼児がおむつを外す訓練に履く厚手の「訓練用パンツ」になります。トレーニングパンツというと、英語では「用便訓練用パンツ」のことになりますので、いわれた相手はびっくりするでしょう」と述べていることに尽きると思います。もう一つの宿題、underpantsについては次回に考察します。

 このように疑問と思われる語法項目を一つ一つ調べて確認をしていく。そうやって『ライトハウス英和辞典』(研究社)【語法】【類義語】は、私が苦労して書き上げたものです。故・竹林 滋先生(東京外国語大学)から、夜電話がかかってきて「八幡さん、○○について調べてくれませんか?」と言われる度に、気合いが入っていた時代が懐かしく思い起こされます。当時はそれこそ夜中の2時、3時まで根を詰めて作業をしていました。自分の勉強にもなるし、若かったので、辛いと思ったことは一度もありません。それで朝から晩まで授業、校務、ソフトテニス部の監督を務めていたのですから、元気でしたね。❤❤❤

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Black Friday

 最近、日本のテレビで、イオンしまむらゆめタウンのコマーシャルで 「ブラックフライデー」(Black Friday)という言葉が頻繁に出てきていましたね。ご存知ですか?これは、アメリカの商習慣のひとつで、毎年11月第4木曜日に催される「感謝祭」の翌日の金曜日のこと、11月の第4金曜日(2017年は11月24日)に実施するセールのことを指します。当日は「感謝祭」(サンクスギビング・デー)の翌日で、感謝祭のプレゼント商品の在庫一掃セールを行ったりもします。州によっては休日になる場合もありますね。また、当日は早朝(時には真夜中)に店を開けるのも特徴です。古くは、キリストが処刑された不吉の金曜日、1869年の金融大恐慌が始まった9月24日の「暗黒の金曜日」を指す言葉です。元々は感謝祭の翌日ということもあり、労働者が会社に欠勤の電話を入れる習慣を指した言葉のようです。あるいは、クリスマス商戦のスタートにあたり大渋滞を指す言葉として警察に使われるようになりましたが、いずれも定着はしませんでした。11月の末ということもあり、実質的に年末(クリスマス)商戦の幕開けを告げるイベントという側面も強く持っています。日本でもここ数年、徐々にこの「ブラックフライデー」のセールを行うお店が増えてきましたね。クリスマスセールの初日で小売店の売上げが年間でもっとも多い日です。

 当然のことながら、なぜBlackなのか?」という疑問が湧いてきますね。「ブラック」という呼称は、小売業者が売り上げ増によって儲かる(黒字になる)ことから来ているようです。買い物客が押し寄せ、道路や店舗がこみ合って黒山の人だかりとなることにも由来していると言われています。一方で「大量にモノを買わされてしまう暗黒の日」という裏の意味が含まれているという説もあります。詳細は上の映像解説や、Oxford Dictionariesのブログを参考にして下さい。⇒コチラです  この言葉は当日よりもずっと早くから新聞広告やテレビコマーシャルで流され始め、終わってからもしばらくは続くこともあるようです。北高ALTのエドワード先生が、アメリカから持ち帰ってくださったアリゾナの新聞(11月19日付け)にもBlack Fridayが賑わっていました。

 なお、ブラックフライデー」の3日後の月曜日(11月27日)は、オンライン・ショッピングの売り上げが1年で最も盛り上がることから「サイバーマンデー」(Cyber Monday)と呼ばれます。私が取引しているアメリカのマジックショップHocus Pocusから、今日(11月27日)届いたメールには、“Cyber Monday is HERE! Our Black Friday Sale Continues! HURRY! We Are Giving Away A NEW Free Gift With the First 50 Orders!  HUNDREDS OF ITEMS HAVE ALREADY SOLD OUT! LIMITED QUANTITY!!! Make Sure to Check Out BOTH Of Our Black Friday Blowout Categories!!!”とありました。テレビのアマゾンのCMでも「サイバーマンデーセール」実施中と流れていました。❤❤❤

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「Songs」にさだまさし

 11月30日(木)夜にオンエアされたNHK総合テレビ「SONGS」で、大好きなシンガーソングライターのさだまさしさんが特集されました。さださんは10月にデビュー45周年を迎えました。これまでに発表した楽曲はなんと567曲。コンサートは4260回以上(神出鬼没のものも含めるとさらに増える)。名実ともに日本を代表する歌い手です。そんな記念すべき45周年を振り返るスペシャル企画番組でした。テーマは「ああ、いわれなき炎上の45年~」なんか笑えるタイトルですね。でもまあ確かに、精霊流し」で「暗い」「ネクラ」、無縁坂」で「マザコン」、雨やどり」で「軟弱」、関白宣言」で「女性蔑視」、防人の詩」で「戦争賛美」「好戦的」「右翼」、しあわせについて」で「左翼」と真反対の批判を受けたこともあります。歌を最後までよ~く聴けば、全く根拠のない言われ様なのですが、なにせさださんの歌は長いもので、歌の一部分だけを切り取って批判されたわけです。その他にも、「いい子ぶっている」とか、平和を祈るコンサート「夏・長崎から」(20年続きました)を始めた時には「選挙に出るのか!」と、さんざん叩かれました。よくもまあこれだけいろんなことを言われたものですね。こんな事情から当時は、さださんのファンであることを公言することははばかられ、地下に潜ったさだファンもたくさんいました(私はずっと地上です)。長崎地方では「かくれまさしタン」と呼ばれました(笑)。当時を振り返って、今年2017年の雑誌『Oriijin(オリイジン)』春号で、さださん本人が回想しています。

 絶望?いや、そりゃもういっぱいありますよ。例えば、20代のときに『さだは暗い』と言われた時期とか。右翼の街宣車が、僕の『防人の詩』を流して走り、原爆の日近くに、広島の野外コンサートに出たら、日和見って言われた。僕は真ん中に立っているだけなのに、『お前はどっちなんだ?いいかげんにしろ』って(笑)。

 世間の評価というものを理解するのに、僕は結構な時間がかかった。自分が有名になるっていう恐ろしさも経験して、3~4年かかったんじゃないかな。個人を平気で叩いて、叩いた人は叩いたことを忘れるっていうメカニズムがなかなか理解できなかった。その間、人を恨みもし、呪いもし、怒りもし、悲しみもし…最後は笑えるようになったけど。多かれ少なかれ、みんなが経験することだね。人を疑い、怒りを覚え、自分自身で悲しむ―でも、それを抜けると笑える。そこまで行けるかどうかじゃないかと、僕は思う。

 若い頃は言われ放題でしたものね。強いテーマ性のある楽曲で聴く人を突き刺すあまり、大ヒットしながらも、その都度世間の痛烈な批判を浴びてきました。当時は「嫌いなら聞かなきゃ良いでしょ?」と思いつつも、「さだが嫌い」という「自己表現」が成立してることにある意味感動したり、気味が悪かったりした、と告白しておられます。しかし、この歳になったらもう、何て言われても平気だそうですよ。決して誰かを傷つけようと思って歌っているわけではありません。さだまさしが好きだって言ってくれる人があれば、当然「嫌いだ」っていう人もあるわけです。理屈っぽく批判されるのではなく、「嫌い」と言われた方が納得できたりもしますね。まあ、そういう仕事をしているんだなって話を「SONGS」では語っています。今回は、さださんのいわれなき炎上の様子を、人気イラストレーターの五月女ケイ子さんが描いて、それを基にさださん本人が解説する、という挑戦的な企画です。味わい深い炎上イラストにも注目ですね。炎上曲「関白宣言(1979年)、45年の歌手人生の中で最も人気の高い「主人公(1998年)、今年の最新アルバムから生命の尊さを歌った「いにしへ(2017年)の3曲を歌いました。10~30代の若い人たちが集まって聞いていましたが、彼らにさださんの歌はどう聞こえたのでしょうね?さださんは、番組内最後に、こう宣言しました。志を持って自分の信念を貫きたい時は、世間でどう言われようと批判を恐れてはいけない、と。肝に銘じましょう。最新の『TVステーション』25号に載ったインタビューでは、こう語っておられたさださんです。

  さだまさしって、10人いたら10人それぞれに評価が違う。そういう意味では、僕は社会を説得する気はない。これから後は、ソフトランディングへ向けて、ふざけたことばっかりして、ふざけたじいさんになっていこうと思っています。

 さてこの「SONGS」は、来年年明けの1月4日にもオンエアされます。さだまさし 長いけどすごい歌、集めました」と題して続編の第2弾が放送されます。さださんの特徴は、本人も認めている通り「曲が長い」ということです。まるで映画のようなストーリー性に富んだ名曲がたくさんあります。これまでテレビではなかなか放送できなかった12分33秒に及ぶ大作「親父の一番長い日」をはじめ(山本直純さんとの約束)、「長いけどすごい歌」を特集するということでした。これにも期待しましょう。

 私は最近、長崎県美術館で開催されたさださんの45周年を祝う「特別展 さだまさしの世界」へ行ってきました。⇒詳しい報告記はコチラ  世間の批判や借金苦にめげることなく、自分の志を貫き続けたさださんの45年の歩みを噛みしめながら、会場を堪能しておりました。❤❤❤

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「国際教養大学」レポート

▲中西葉菜さんとエドワード先生

 この4月から秋田「国際教養大学」(AIU)の1回生として勉強している、松江北高卒の中西葉奈(なかにしはな)さん(⇒合格の際の私の思いはコチラです)から、大学の詳細なレポートを送ってもらいました。夏休みに北高に帰ってきてくれて、2年生に大学の講話をしてくれ、さらに放課後は希望して集まった後輩生徒たちに「国際教養大学」のレクチャーをしてくれました(⇒その模様はコチラ)。その際に、大学で生活した者でないと分からないような生の大学情報を、生徒たちのために書いてくれるようお願いしていたのです。勉強の合間を縫って、詳細な大学レポートが届けられました。彼女は来年度からAIUの寮長に就任する予定です。

 中西さんは、国際教養大学」に関して、1)どのような生徒をAIUは求めていて、どういう生徒が実際に合格するのか?、(2)AIUの良い点、(3)AIUの悪い点、の3つの側面から、大学の実態を報告してくれています。どの情報も、大学で暮らして初めて分かるもので、私たちが読むととっても興味深いです。ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、ご興味のある方はお読みください。中西さん、どうもありがとうございました。今日生徒たちに配布しました(表裏両面)。

・「あむーる」号外12月号 松江北高等学校  ⇒コチラです


    従来の日本にはなかった、新しい形での学びの場として注目されている「国際教養大学」は、2004年に秋田市に開学しました。1学年の定員が175名と小さな大学ですが、英語に基づく高度なリベラル・アーツ教育、卒業生の抜群の就職実績の良さで近年脚光を浴びていますね。入試制度が異なるので単純に比較することはできませんが、難易度も急上昇して、センター試験の成績で見れば、すでに東京大学文系と同じ程度の高得点が必要とされると噂されています。お亡くなりになった前学長の中嶋嶺雄先生は、「これから、日本に、アメリカと同じような、一流のリベラル・アーツ・カレッジをつくるんです!」と意気込んでいらっしゃいましたが、この思いは短期間のうちに実現した様です。詳しくは、前学長の中嶋嶺雄『なぜ、国際教養大学で人材は育つのか』(祥伝社黄金文庫、2010年)と、現学長の鈴木典比古『なぜ国際教養大学はすごいのか』(PHP新書、2016年)の二冊を読むとよく分かります。❤❤❤ 

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センター過去問が最高の予想問題!

◎センター過去問をやれ!!

 この時期は、センター試験の本試験・追試験にあたって、本番に少しでも慣れていくことと、一種の「勘」のようなものを培わなくてはいけません。実際に出題された問題に数多く触れることで、現在の自分の実力を把握することが必要なんです。一生懸命に市販のセンター問題集を解くのはこの時期にやることではない、というのが私の持論です。中にはヒドイ問題もたくさんあって、そういういい加減な問題で、本来養うべき力が削がれるのが一番怖いんです。特にこの時期、配点の高い長文問題で、「本文」「正解選択肢」の言い換えの「間合い」のようなものをしっかりと体感しておくことが重要だと思っています。

 尊敬する竹岡広信(たけおかひろのぶ)先生(駿台予備校)が、センター過去問の有用性について、Q&A即決英語勉強法』(教学社、2016年)に、こんなことをおっしゃっておられました。竹岡先生は『濁る』と表現しておられますね。全面的に賛成します。 

 センター本試験の切れ味のある問題に対処するには過去問以外は考えられません。よくある質問に「古い傾向の問題をやる意味はありますか?」というのがあります。これに対しては「センター試験の根幹は変わっていない。すべてやりなさい」と答えることにしています。また「過去問2週目が終わりましたが、次はどの問題集をやればいいですか?」という質問を受けたときには「変な問題集をやると、『濁る』からダメ。ひたすら過去問を繰り返せ!予想問題集よりも過去問。ひたすら過去問。しみじみ過去問!」と言います。すると「過去問を5周もやったので答えを覚えてしまいました」なんて言う生徒がいるので、そんな場合には「僕なんか、問題文を覚えているけど、それでもやり直すと新たな発見があるよ。とにかく、ぶつぶつ文句を言わないで過去問をやること!」と言います。「書き込みを一杯して使えなくなりました」なんて言う生徒には「2冊目を買いなさい。1年浪人すれば生涯賃金を含めて1,000万円ぐらいの損害が出る。1,000円もしない過去問の本が高いというのはcrazyとしか言いようがない」と言っています。センター試験は良問ですから、高校1年からやるべきです。センター試験という枠にとらわれずに、良質な問題集として使えばいいのです。直前期だけにやるなんて「なんてもったいない!」 (p.142)

 センター試験の本番の問題は、非常によく練られていて(たまーにひどい問題もありますが…)、私たちがつけるべき英語の力の指標をはっきりと提示してくれています。これを利用しない手はありません。過去問を解く度に、大問ごとに得点率を一覧表に記入させていましたが、こうすることで自分の弱点分野がはっきりと現れてきます。そこを集中的に征服することで、得点力をアップさせることができます。大切なことは、本番の問題を使って、今の自分の「立ち位置」を正確に知ることです。それに対して、市販の問題集の中には、本文のそのままの表現が正解選択肢に使われていたり、どうしてそれ一つに正解が絞られるのかが疑問なものや、なぜそれが正解なのか根拠が不明瞭な問題も数多く見られます。やはり長文問題(第3問C~第6問は本番のもので、「本文」とは違う形で言い換えられた「正解選択肢」を見抜く「間合い」のようなものを磨いておきたいですね(原文典拠の法則にしたがって「同一内容異表現の法則」を練習するのです)。特に、第1問第2問は、「お色直し」が頻繁に起こりますから、余計に過去問で本番に備えておく必要があります。

 信じられないかもしれませんが、私の若い頃は、過去問の問題集などは出版されていませんでしたから、自分でセンター本番の問題を縮小して切り貼り編集をして、版下を作り、印刷屋さんにお願いをして印刷・製本をしてもらって、過去問題集として生徒に配布し、演習を行っていました。大変な手間暇をかけましたが、生徒たちは平均180点を取ってくれましたから、やはり効果は絶大であったと言わねばなりません。今は、各社からこぞって「過去問題集」が出版されています。松江北高では例年(今年は買っていません…)、河合塾『センター試験過去問レビュー』(河合出版)を全員購入して、センタ-対策のフォローに使っていました。どこの会社よりも解答・解説が詳しいところが魅力の本です(写真)。

 私は上の学校での体験を通して、センター試験の過去問の詳細な分析を始めました。そんな矢先に出会ったのが、山下りょうとく先生(河合塾)の『センター英語9割GETの攻略法』(語学春秋社)の初版でした。当時はまだコンパクトな新書サイズの本でしたが、その内容は私を打ちのめしました。ここまでやるか、という感じです。参考にしながら、島根県立大田高等学校で、それまでの自分の経験を踏まえて、自費で作ったのが『センター対策本』初版でした。生徒たちがよく頑張ってくれ、当時国公立大学合格は40~50人であったのが、103人にまで急増しました。それから島根県立津和野高校に転勤して、夏に学習合宿をやっていた山口市で、ぶらりと散歩に出て入った書店で見つけたのが、山下先生の本の改訂版でした(写真右)。新書版でしたが、これもずいぶん勉強になりましたね。宿舎の「かめ福」に帰りむさぼり読んだのを覚えています。山口駅から帰りの「SLやまぐち号」の中でも2時間ずっと読んでいました。今はグッとパワーアップして分厚い書籍で出ています(改訂5版)。近く新版が出ると聞いていますので、楽しみにしているところです。私の方は、以来毎年のように改訂を繰り返しながら、現在第13版まで版を重ねています。きっかけがあって、あの山下先生とも親しくさせていただくようになり、刺激をいただいております。幸いこの本も、口コミで全国の先生方に広まり、たくさんの方々に使っていただけるようになり(表紙裏の申し込み学校一覧をごらんください)、私の苦労も少しは報いられるようになってきました。もちろん毎回大赤字の中を、使命感(利他の精神)に燃えて作っておりました。私が北高で担当したクラスの今までの最高平均点は、筆記188点、リスニング46点です。昨年度の生徒たちには、「お金はいいから、点で返してくれ!」と懇願したのですが(笑)、過去最高の平均点で応えてくれました。このように英語は絶対に裏切らない!」のです。❤❤❤

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