レジェンド?葛西?

冬季オリンピックのイラスト「スキージャンプ」

 2014年ソチ冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプで、葛西紀明(43歳)選手は、個人ラージヒルで銀、団体で銅メダルを獲得し、日本中が沸き立ちました。1998年長野五輪以降、ルール変更などの影響で低迷が続いていた日本ジャンプ界で、16年ぶりの表彰台に立ったのです。昨年11月には日本男子最多となるW杯通算17勝目を挙げるとともに、42歳176日の最年長優勝記録も更新し、「レジェンド」と呼ばれています。8度目のオリンピックに出場という偉業を成し遂げ、日本では英雄扱いです。今回の平昌オリンピック出発前は、「金メダルを取ってからレジェンドと呼んでくれ!」と強気の受け答えをしていました。その葛西選手がオリンピック出発前にインタビューに答えて、次のようなことをしゃべりました。あり得ない!たまげました。信じられませんでした。私はこれを聞いて、この人はもう、オリンピックでは絶対に勝てないと思いました。

 周囲は「がんばれ、ニッポン」と声援を送っていた。1998年2月17日の長野五輪ジャンプ団体戦。会場の白馬ジャンプ競技場に私もいた。応援するわけでもなく、叫んでいた。「飛ぶな!」「落ちろ!」自分が出ていないのに、金メダルを取ってほしくない、そんな気分だった。日本チームは2本目でノルウェーを逆転して金メダル。優勝の瞬間、私は会場にいなかった。2本目が始まる前に、悔し涙を流して宿舎に戻っていた。感動的な優勝で全国が歓喜に沸いていただろうが、団体のメンバーから漏れていた私の気持ちはまったく違うものだった。こんな経験はもう二度としたくない。そんな屈辱的な気分にさいなまれていた。夜は表彰式に出る気持ちにもならず、とにかく酒を飲むしかなかった

 同じ「日本チーム」にいながら、仲間の失敗を祈る同僚。プロであるがゆえに、試合に出られない悔しさや屈辱は分からないでもありませんが、全ては自分が招いた結果です。決して周りが悪いわけではありません。ならば、自分の代わりに出てくれた選手の活躍を祈るのが団体選手というものでしょう。このインタビューを読んだ当時の仲間の選手たちは、いったいどんな気持ちになるでしょう?葛西選手と同じような気持ちで、今回のオリンピックを見ていたかもしれませんね。

 私の尊敬する野村克也さんは、史上初の3,000試合出場を達成した1980年9月、選手生活最後の球団・西武ライオンズで、阪急戦。1点を追う8回、ワンアウトで一塁、三塁で打席が回ってきました。「よし、最低でも外野フライで同点だ」意気揚々とバッターボックスに向かおうとすると、「おい、野村」という声が聞こえました。根本監督です。「おれに、アドバイスかよ…」そう思ったら、「代わろう」と監督から代打を出されました。「えっ?」代打を出されたのは初めての体験でした。しかも野村さんは、犠牲フライの数では歴代最高の選手です。外野フライを打つことぐらい、朝飯前だと自負していました。愕然としました。ベンチに戻った野村さんは、思わず「打つな!」「失敗しろ、失敗しろ!」と心から願ったと言います。代打に出された鈴木葉留彦はショートゴロの併殺打でチェンジ。「ざまあみやがれ!」と溜飲を下げました。帰りの車中で「潮時かなあ…」 たとえ代打を送られたとしても、チームが勝利するために成功を祈らなければならない。自分はずっとそう考えてきたし、南海の監督だったときには、選手たちもそう言っていました。その自分が失敗を願うようになっては、チームに迷惑をかけることになる。もうプロ野球選手として失格ではないのか?この日に引退を決めた、と語っています。

 そして今回のピョンチャンオリンピック。ノーマルヒルに出場した葛西選手は、結果が振るわず21位でした。ただでさえマイナス10度を下回る極寒の中、強烈な強風が吹きすさび、たびたび競技が中断。競技終了は予定よりも1時間押した、厳しい環境での試合を、葛西選手は苦笑いで振り返り、こう言いました。「(寒さは)もう信じられないぐらい。風の音がすっごいんですよ。気持ちが怯むぐらい。ブワーって。W杯でもほぼない条件。“こんなの中止でしょう”ってちょっと心の隅で文句いいながら寒さに耐えてました」?????? やはりな。出場選手全員が、同じ条件の下で、戦っています。「言い訳」にしか聞こえません。やはりこの人には、神様は味方しません。誰も声を上げないのが不思議でなりません。

【追記】 この項を下書きしておいたんですが、その後、平昌五輪第9日の17日、ジャンプの男子ラージヒル(ヒルサイズ=HS142メートル)があり、葛西選手は、121メートルで、無情にもK点の4メートル手前で落ち「ちくしょう」と顔をゆがめました。上位30人による2回目に進むことはできませんでした。私の予想通りです。

広告
カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「喫茶室ルノアール」

◎週末はグルメ情報です!!

 先日、東京に行った時に、文房具の伊東屋に行こうと(何十年も前から、文房具好きの八幡は、東京に出ると必ず伊東屋へ寄ります)、地下鉄でちょっと早めに銀座に出たんですが、いつもは近くの「ドトール」で時間潰しをするんです。でも以前あった場所に「ドトール」がない!代わりに喫茶室「ルノアール」がありました。以前は、東京に出る度に、時間潰しに入っていた喫茶店です。なぜかすごく落ち着いた、大人の雰囲気が好きでした。

 東京には、そこらじゅうに喫茶室「ルノアール」があります。スタバなどの欧米スタイルのカフェ隆盛の中、衰退しているかと思いきや、ルノアールを経営しているのは、株式会社銀座ルノアール」というれっきとしたジャスダック上場企業です。コーヒーチェーン業界としては日本で初めて、「ドトールコーヒー」よりも先に株式公開を成し遂げた優良企業なんです。喫茶室「ルノアール」は、決しておしゃれではありません。若い人達から見れば「オヤジが入る喫茶店」だと思われるでしょう。冷たい水と一緒に出された、分厚いタオル地のあったかいおしぼりで手をふき、かぁーっと顔を拭く。でも、それが許されているのが、喫茶室「ルノアール」なんです。だから、右を見ても、左を見ても店内そこらじゅうに、オヤジくさいサラリーマンがたくさんいます。隣のヒトがオヤジ臭くても、席と席の間がゆったりとられている贅沢スペースですから、あまり気になりません。自分で、コーヒーのお運びをしなくてもいい。コーヒーのサイズなんて聞かれたりもしない。店員さんのサービスも行き届いている。コーヒーを飲んでしばらくすると、熱いお茶が出てきます。その「くつろぎ感」 と 「目配り」や「気配り」は、スタバタリーズや、いわゆる大手のカフェチェーンには、ないものですね。まさしく「都会のオアシス」と言っていいと思います。

 ここで問題?なぜ「喫茶店」ではなく、ルノアールは、わざわざ「喫茶室」と明記しているのでしょうか?何か意味があるのでしょうか?

 平日は商談・休憩・お昼寝のために利用し、土日は読書のためにルノアールに立ち寄る。そんなルノアールが生活に欠かせないビジネスマンを応援いたします。ルノアールは喫茶店ではなくあくまで喫茶室ですので、コーヒーを飲みに行くのではなく、あくまで何かを行う、それが営業中のお昼寝であったとしても、場所・スペースを求めるあらゆるビジネスマンの味方です。

  だから、今日もよーく周りを見渡してみると、書類に目を通す人。本を読む人。商談(らしき会話)をする人。互いに立って名刺交換している人、整えられた電源を利用してパソコンで仕事を黙々とこなす人、いびきをかく勢いで大胆に眠りこけている人、ただひたすらタバコを吸う人(隔離された別室となっています)。かくいう私自身も、年末に実施した「リスニングテスト」の分析表を広げて手直しをしていました。ほんとうに自由自在、各種各様です。コーヒーを飲みに来ているのではなく、何かをしに来ている」のです。これが「喫茶店」ではなく「喫茶室」と呼ばれている理由です。喫茶室「ルノアール」は、コーヒーを消費しにいく場所ではなく、何かをしにいく=生産の場所であり、目的の場所なのです。だから、目的の内容は違えど、「目的を達成しに来る」という同志であるという空気感が、店内に漂っています。やっていることはバラバラなのですが、「自分の居場所」を共有している連帯感があります。隣でせっせと仕事をするおっさんを、私は実際には、知らないんですが、なんとなく知っている人であるような気がするし、私自身がそう見られている気もします。「顔見知り」&「馴染み」感とでも言うのでしょうかね。喫茶室「ルノアール」の目指す「くつろぎ」「安心」の根底とは、そういうものではないでしょうかね。その「顔見知り」「馴染み」感があるがゆえに、実に街との相性が良い。その街のルールに、その街の生業に、ピシッとはまっている。だから喫茶室「ルノアール」は、街の風景として記憶に残るんでしょう。

 以前に、創業者の小宮山正九郎氏のインタビューを読んだことがあります。それによれば、「ルノアール」という店名は、共同仕入れ会の会長が「ゴッホ」「ドガ」などの候補の中から選んだといいます。「ルノアール」の代名詞ともいえるゆったりとした椅子は、「じゅうたんに金をかけすぎて資金が不足してしまい、苦し紛れに椅子をまばらに配置した。意外にも受けたので他の店でもやろうとなった」とのことです。興味深いですね。❤❤❤ 

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

「矢印カード」

 私は数枚のカードで演じるパケット・カードトリックが大好きで、面白そうなものを相当数コレクションしています。今回手に入れた矢印の絵を使ったとってもユニークなパケット・トリック「矢印カード」が気に入りました。これ、面白~い!

 まずマジシャンは、バイシクル柄4枚緑色の矢印の絵が描かれたカードを示します。矢印は全ての方向を向いています。この方向がこのマジックでは大切なんです。そのうちの1枚のカードの向きを向きに変えてやります。すると、なんと4枚全てのカードの矢印の向きが、今度は向きになってしまいます。間違いなく4枚の矢印カードです。今度は1枚の矢印のカードを、裏向きにしてテーブルに置いておきます。3枚になったはずです。しかし、ここでカードを数えてみると、カードは再び元の4枚に戻ってしまっています。ここでこの4枚のカードを何度か掌に通しているうちに、なんと4枚の緑色の矢印だったカードが、全て赤色の矢印カードに変化してしまうんです!!ところで、「テーブルに置いたカードは、何色のどの方向を向いた矢印でしょうか?」と観客に尋ねます「緑」「上向き」「下向き」などと答えるはずですね。そこでテーブルのカードをやおら表向きにすると・・・アレまあビックリ!!カードには、緑と赤があっちこっちを向いた絵が描かれているのです!最低の枚数しか使わずに、この不思議が演じられるのですから、すごいですね。しかもこれがたったの500円(税別)で手に入るとしたらお買い得でしょ?東京のオフィス・マジックファンタジア」さんから、ワンコインマジックシリーズの作品として発売になりました。購入はコチラです。♠♣♥♦

   ここで今日は、今私が一番好きなパケットトリックで、最近好んで演じている作品をご紹介しておきましょう。大好きな天才クリエーター・ポール・ハラス(Paul Hallus)の、“Something from Nothing”(無から何か)という作品です。かつて、Magic Makersという所から出ていた作品です。これ本当にインパクト大で、手順構成も優れたマジックで、とっても気に入っています。みんなビックリします。

 Something from Nothingマジシャンは、4枚のカードの裏と表の両面をはっきりと示します。両面とも全て真っ白なブランク・カードです。おまじないをかけると「何かが出てきます」と言います。1枚だけ裏向きにすると、真っ赤な「SOMETHING(何か)」のカードに変わります。さらにおまじないをかけて数えると「SOMETHING」のカードが2枚になります。そして3枚に増え、最後には4枚とも真っ赤な「SOMETHING」のカードに変化してしまいます!観客は「裏が怪しいのでは…?」きっとそう思うことでしょうね。そこでおもむろにカードを裏向きにしてみると、4枚とも裏が緑色(!)の「NOTHING(無)」のカードに変わっているのです!「裏には何もないですよ」と言って終わります。本当に不思議なパケット・マジックでした。使っているのは、エルムズレイ・カウントだけです。♠♣♥♦

 私の自宅の「蔵」には、このようなマジックの数々が数多く眠っています。正確に換算したことはありませんが、間違いなく5,000万円(!)は超えています。よくもまあこれだけ集めたこと!!まさに「継続は力なり」ですね。最近ちょっと暇を見つけて、「蔵」に入っては、大昔の作品を引っ張り出しては、復習しています。いろいろなパケット・トリックを買っていたんですね。もうすっかり忘れてしまっていますが(笑)。♠♣♥♦

カテゴリー: マジック紹介 | コメントをどうぞ

23時間57分のぬくもり

 大好きなさだまさしさんのコンサート・トーク「23時間57分のぬくもり」です。初めて聞いた時から、心に響いて忘れられないでいたんです。

 中学二年の終わりの春休みです。当時バイオリンの勉強のため東京で一人暮らしをしていた僕は、一日でも早く親許の長崎へ帰りたくて、帰りたくてしょうがない。人を見送るような格好で、3日ほど汽車を見送った。どうしても帰りたくて、キップも、お金も持たずに、急行「雲仙」に飛び乗りました。東京駅を朝10時30分に出て、翌朝には長崎に着きます。「キセルをしよう」と考えたわけではないんです。ただ、実家からお金(5000円=長崎までの運賃、弟・妹にお土産、車中で読む本・漫画、お弁当代を使っても千数百円残る)を送ってくれる予定が何かの事情で届かない。望郷の念にかられた僕は、気づいたら「雲仙」号の四人掛けの直角座席に、バイオリンのケースを抱えて座っていたのでした。

 列車が動き出しました。長崎駅までは23時間と57分。途中で車掌さんが検札に来れば、すぐに無賃乗車がばれるのは子どもの僕にでもわかります。車掌さんの姿がちらっと見えただけで、さっと便所に行く。「よくない」と思いつつも、「次の横浜駅まで行って引き返そう」と身を硬くして座っていたら、意外に早く車掌さんが検札にやってきました。「どうしよう」。もう、心臓が破裂しそうなほどバクバクです(笑)。

 「正直に話して、次の横浜駅で降りようか」とも思ったのですが、結局、帰りたい気持ちが勝ちました。僕は咄嗟にポケットに手を突っ込んでキップを探すふりをし、「あれっ、あれー、あらーっ」とか言って「すみません。サイフとキップを落としたみたいです」と泣きそうな顔でウソをついたのです。車掌さんは困った顔で「困ったね、どこまで行くの?」と聞きました。「長崎まで」と答える僕。「終点までか。困ったな」一瞬の沈黙が流れたそのときです。向かいに座っていた大学生のお兄さんが立ち上がり、「車掌さん、僕が立て替えておきますよ。私長崎まで行きますから。君、うちに帰ればお金あるんだろ?」「ええ、そりゃもう。うちに帰れば腐るほど」(笑)「じゃあ、僕が立て替えといてあげるよ。(車掌さんに向かって)彼からは長崎に着いてからもらいますから、大丈夫ですから」とキップ代を支払ってくれたのです。「同じ長崎だから、長崎に着いたら返してくれたらいいよ」と言って。

 お兄さんは僕のウソを疑うどころか、「お腹、減っただろう」と、「お前、サイフもなくしたんだろ。これ食べとけ。鳥栖に着いたら、またうどん買ってきてやるから」昼時と夕方に駅弁とお茶を買ってくれ、翌朝にはうどんまで食べさせてくれました。長崎駅に着くとお互いの住所を交換し、僕は「できるだけ早くお返しに上がります」と深々とお辞儀をして、改札口を出ようと走り出したら、「おーい」「おーい、きみー、きみー」とお兄さんが後ろから追いかけてくる。何だろうと思って止まると、「どうやって帰るの?」と聞く。「歩いて帰ります」。お兄さんは「歩いてたら、二時間かかるじゃないか」と、百円玉を握らせてくれました。「これは貸すんじゃない。あげるから電車で帰りなさい」。そう言い残して去っていくお兄さんの後ろ姿を見送りながら、涙がぼろぼろこぼれました。おかげで市電に乗って三十分たらずで帰ることが出来、事情を聞いた母はその日のうちに、カステラを買ってお兄さんの家へお金を返しに上がりました。実は、このお兄さんとは偶然、夏休みが終わって帰る電車の中で、また一緒になりました。奇跡だと思いました。今度はうちのお袋が弁当を買って渡したんです。

 そのお兄さんとはそれっきりですが、このとき、こんな大学生に出会えたというのは、僕の人生において本当に幸運でしたね。十三、四歳のいちばん多感な年代に、人のあたたかさに触れただけでなく、「人に親切にするとはこういうことですよ」と教えてもらったわけですから。お金を立て替えてあげるだけではダメ。途中の弁当の心配をしてあげるだけでも中途半端。家の住所を見て、「この子はどうやって帰るんだろう」と相手のことを最後まで考えてあげてはじめて本当の親切なのだ、というお手本を示してもらったのです。むろんそのお兄さんは何の意識もしていなかったことでしょう。目の前にいる子どもがサイフとキップを落とし、困っている。自分と同じ長崎まで帰るらしい。幸い、自分はお金を持っているから、立て替えてあげよう。ごく自然にそう考え、自分の駅弁を買うときに「あの子もお腹を空かしているだろう」ともう一つ買う。交換した住所を見て、「あっ、歩いたら二時間かかるぞ、電車なら三十分で帰れる」と気がつき、電車賃を渡してあげようと思う。ごく自然な行為だったに違いありません。

 ふつうは、なかなかそこまで気が回らないものです。でも、相手のことを本気で考えるなら、ちゃんと最後まで気づかってあげるのが本来であって、僕はそのお兄さんから、「今後、君が同じような境遇の人に会ったら、こういうふうにしなさいよ」と、身を以て教えられた気がしましたね。ですから、僕が同じようにやらなかったら、そのお兄さんを裏切ることになるわけで、困っている人がいたら、僕なりにできるかぎりのことをやろうと努力してきたつもりです。あの兄さんに出会わなかったら、その後の人に対する接し方も変わっていたでしょうね。非常に勇気づけられる、ありがたい体験でした。

 もう何十年も前のことになります。もう時効だから書いてもいいでしょう。コンサートで聞いていたこの話を、島根県の高校入試英語の「予備問題」で、第3問「英語長文読解問題」に取り上げました。当時、入試問題の真価はこの長文問題で決まると言われており、題材探しに奔走したのを覚えています。私が全部英文を書き上げました。この英文のテーマをまとめよ、という問題も忍ばせました。もし何か「本問題」にトラブルが生じたときには、この英文が「本問題」と差し替わることになっていました。「本問題」では『地球の秘密』を書いた故・坪田愛華(つぼたあいか)ちゃんの物語(島根県斐川町出身 12歳の若さでこの世を去った少女で地球環境問題の漫画を残す。国連グローバル500賞受賞)を取り上げて、評判になりました(私が松江北高の総務部長時代に、愛華ちゃんのお父様にPTAの講演に来ていただいて、入試に取り上げたことに対してお礼を言っていただきました。不思議なご縁を感じたことです)。幸い何事も起こらなかったので、こちらの問題は日の目を見ることはありませんでしたが、私にとっては懐かしい思い出です。「芸人」の「キセル」を取り上げるのかと、最初は反対もあったのですが、それを割り引いても余りある心温まる話なので、採用することになりました。人の優しさやぬくもりを教えてくれる逸話です。心と心のあたたかな触れあいを実感するエピソードでした。ちなみにさださんは、お礼を言いたくて、この話をコンサートや本の中でして、呼びかけておられますが、この大学生のお兄さんは、いまだに名乗り出ておられないそうです。❤❤❤

カテゴリー: 私の好きな芸能人 | コメントをどうぞ

こんな会社辞めてやる!

★雪の札幌テロ事件!★

 1984年2月3日、札幌中島体育センター、超満員7,000人の観衆の中、新日本プロレスの興業、WWFインターナショナルヘビー級選手権試合で、あの有名な「雪の札幌テロ事件」が起こりました。当日は王者・藤波辰巳長州 力の試合が組まれていました。リング入場時の長州に、藤原喜明が鉄製ペグを持って乱入。鉄パイプで不意に襲われ滅多打

▲テロリスト藤原喜明

ちにされて、長州は額をザックリ切られてうずくまっています。凄まじい鮮血です。試合は不成立で観衆は騒然となり、長州は病院へ直行。荒れ狂った藤波は、黒のショートタイツ姿のまま雪の降る会場の外へ飛び出し「こんな会社辞めてやる!!」と絶叫しました。乱入による王座中止は、日本マット界初の不祥事です。「こんな会社」との発言で、テロの裏には黒幕がいると示唆し、新日本プロレスにおける「神の手」の存在を告発したのでした。それまでは前座でいぶし銀の強さを持ちながら地味な選手であった藤原喜明は、この事件から「テロリスト」と呼ばれスポットライトを浴びることになります。私はこの試合中継をドキドキハラハラしながらテレビで見ていました(私は藤波のファンでした)。当時の私は、裏舞台など知る由もありません。「真剣勝負」だと信じて疑わなかったのですから。

 この事件の黒幕は、アントニオ猪木です。当時の新日本プロレスメイン・レフリーのミスター髙橋が、暴露本『流血の魔術 最強の演技 すべてのプロレスはショーである』(講談社)『新日本プロレス伝説「完全解明」』(宝島文庫)などの中で明らかにされています。これが真相です。

当時マッチメイクを担当していたミスター髙橋と、マッチメイクを検閲していた猪木
髙橋:社長お疲れさまです。
猪木:おお、どうすんだ、これ。
髙橋:いろいろ考えてはありますが、正直に言うと若干の迷いはあります。
猪木:この試合、ぶっ壊しちゃおうよ。
髙橋:えっ!ぶっ壊すって・・・どういうことですか?
猪木:客は見たくねえだろう、こんなカード。長州が花道を歩いているときに誰かに襲わ
せて、長州を血だるまにして、試合をできないようにしちゃおうよ。
髙橋:そんなことをしたら、暴動も起こりかねませんよ。
猪木:いいんだっ!試合なんてやらなくていい。暴動なんて起こりっこねえ!大丈夫だか
ら俺の言うとおりにしろっ。
髙橋:そうですか。・・・分かりました。
猪木:よーしよし!それじゃ、小杉だ。小杉にやらせろっ。
髙橋:小杉?・・・社長の考え自体に反対はしませんが、小杉にやらせるのは反対ですっ!
猪木:いいんだよ誰だって!俺の見せたいのは長州がやられて試合ができなくなるところ
なんだ。小杉でいい!
髙橋:小杉にはそんなことできないですよ!藤原でいきましょう。藤原ならできますよ。
猪木:小杉でいいって言っているだろう!!
猪木:しつこいなこの野郎!それじゃ勝手にしろっ!!
私は藤原でいく覚悟を決め、リング設営用のバールをリング下の工具箱から取り出した。
髙橋:フーちゃん。
藤原:なんすか髙橋さん。
髙橋:・・・頼みがあるんだ。  <説明>
藤原:・・・分かりました。
彼はポツリとそう言ってから、私の差し出すバールを受け取ったのである。

 プロレスファンを刺激・興奮・熱狂させるために案出される、こういうストーリー上の仕掛け・ 策略を、業界の隠語で「アングル」と呼んでいます(井上譲二『昭和プロレス版悪魔の辞典』(宝島社、2017年)。同じく業界の隠語で「ブック」というものがありますが、これは試合の「筋書き」を指す言葉です。選手間で予め勝者と決め技を打ち合わせておくものですね。「アングル」「ブック」を際立たせるための、キャラクター設定や、興業を盛り上げるための「仕掛け」を言います。1982年10月8日、やはり長州力藤波辰巳の間で展開した「かませ犬事件」も、この「アングル」の代表例です。タッグマッチ試合中に「藤波、俺はお前のかませ犬じゃない!」と叫んで長州が殴りかかり、タッグが空中分解したという事件です。実は、これはテレビで拡散された表現で、実際には入場の際に、「なんで俺がお前の前を歩かなきゃいけないんだ?」だったそうですよ。長州は、これで一躍スターダムに駆け上がります。英語でangle「魚を釣る」という意味で、まさに「プロレスファンの興味を釣る」という意味ですね。当時の私は、そんなものが存在するとは夢にも思いませんでした。テレビに釘付けになって、毎週狂喜乱舞して応援していたんですから。こんな舞台裏を知ってしまうと、失望しかありませんね。藤波「こんな会社辞めてやる!」発言は、あれが初めてのものではなく、しょっちゅう口癖のように出ていた言葉で、レスラー仲間内では有名だったそうですよ。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「釣り針」etc.

 今日は勉強に向かう「心構え」のお話です。授業の合間に、生徒にこんなことを話しています。生徒の心に火をつける(=やる気)ためにです。

先生のイラスト(男性)

 「勉強は農耕である!狩猟ではない!」と生徒たちにはよく言っています。お分かりでしょうか?勉強とは、そこいらにいる獲物を、偶然性に左右されながら狩るようものではないのです。種をまき、水や養分を与え、雑草を取り除き。じっくりと育てる農業のように、計画性が必要な段階を経ながら、日々努力して最後に大きな収穫に至るものなんです。そう簡単に成果は出ません(私は最低でも3ヶ月と言っています)。

 そして学校は、その勉強する方法を教わりに来る所で、勉強を教わりに来る所ではない、というのが私の持論です。学校を卒業したら勉強が終わりなんじゃありません。本当の勉強は学校を卒業してから始まるんです(ちなみに、英語で「卒業式」はcommencement(始まり)と言いますね)。学ぶのは一生自分。学校は自分で一生勉強するための方法を教わりに来る所なんですよ。私が大好きなさだまさしさんも、同様のことを述べておられました:「学校は勉強するところでではない、勉強の仕方を学びに来るところだ」 勉強の仕方」を学んだ人は、一生学び続けることができますからね。

 私はそのために、授業では「勉強の方法」を教えようとしていますが、とかく教員は(特に若い先生ほど)手取り足取り勉強」を教えてしまいがちです。若い先生方に、いつも口を酸っぱくして言っていることがあります。それは、食べるのに困っている人を助ける方法には三種類あって、一番だめなのは、魚をあげる人間」です。一時的には飢えをしのぐことはできても、その時限りの援助でしかありません。魚がなくなればもう終わりですね。次にいいのは、魚の釣り方を教えてあげる人間」です。釣り方を教えてあげれば、食べるものがなくなった時には、自分で魚を釣って食べることができますね。じゃあ、これが一番いい援助の仕方かというと、まだまだ上があるんです。一番いいのは「釣り針の作り方を教えてあげる人間」です。そこまで教えてあげておけば、全て自分でまかなうことができます。私は教育も「勉強の仕方」を教えてあげるのが一番だと思っています。授業でも、英語の「釣り針」の話をできるだけするように努めています(例えば「単語の覚え方」など)。

 もう一つ、京セラの前会長稲盛和夫さんの有名な言葉が、心の中に残っています。氏によれば(人生の結果)=(考え方)×(情熱)×(能力)だといいいます。かけ算だというところがミソで、いくらいいものを持っていても、考え方がおかしければ、結果はマイナス。ものの考え方を身につけておいてもらいたいというのもこういう訳。1時間の授業を大切にする」「休まない」「遅刻しない」「やりっ放しにしない」などをうるさく言うのは、そういう理由からです。あらゆる点で尊敬する松江北高のOBで、日本にマクドナルドを初めてオープンさせた藤田 田社長が、唯一間違った点は、勝てば官軍」精神で、会社を経営してしまったことだと思っています。金儲けのためには法に触れなければ何をしてもよい、は明らかに間違っています。同様に、「点を取るためには何をしてもよい」という誤った心構えから、受験に失敗した生徒たちをたくさん見てきました。

 次は、中国の有名なお話で、私が若い頃から好んで話してきた逸話です。

 兄弟でロバを引いて歩いていたら、「無駄なことをしている」と言われたので、兄が乗ることにした。しばらくして行き違った人から「あの兄は年少者に対する愛情がない」と非難されたので、遠慮する弟を無理矢理馬上に押し上げたら、「礼儀を知らない弟だ」とまた人から叱られた。それではと、二人で仲良く乗ったら、こんどは「動物虐待だ」と騒がれたので、二人でロバを担いで返ってきた。

 さて、「この兄弟はなぜこのような無駄な骨折りを続けなければならなかったのだろうか?」と生徒たちに問いかけます。答えは簡単です。この兄弟はロバを利用するのか、ロバを愛するのか、礼儀を守ることを主とするのか、年少者をいたわることを主とするのか、要するに目的」が確立していなかったのです。目的(目標)さえ確立しておけば、このように個々の状況判断において右往左往することはなくなります。人生は右往左往しているほど長くはないのですよ。

 勉強も同様です。自分の目標を明確に持つ、そしてブレることなくそれに向かって突き進んでいく。尊敬する見山 敏(みやまさとし)さんの「やる気の三原則」も、目標が明確になっていること、②進歩の度合いが分かること、③ほめられ認められること、でした。ただし、注意したいことは、「今をしっかりやらず、先ばかり見ても仕方がない」清宮克幸ということ。

 いかに長大な目標であっても、それを細分化して、一日で、あるいはほんの15分で小目標(実行目標)をこなしていきさえすれば、ついには信じられないような大きな目標もわけなく達成できるのです。この15分を利用するというのは、私が若い頃、竹内 均先生(東大名誉教授、『ニュートン』編集長)から聞いて以来、実行している秘訣です。ちょっとした時間の積み重ねが大きく物を言うのです。紙が10枚20枚ではたいした高さにはなりませんが、1000枚、10000枚になるとかなりの高さになるのと似ています。生徒のみなさんは、通学の汽車・バスの中、学校の休憩時間、すきま時間」を上手に利用するのです。❤❤❤

 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

失敗を人のせいにするな!

 成功する人と、失敗する人の一番大きな違いは何だと思いますか?「運がいいから」ということもあるでしょうね。でも「運」を引き込むことができたのも、どこかに何かしらの要因があるはずです。私は若い頃に、幸田露伴『努力論(小説『五重塔』が有名ですね)を読んだことで、それが少しだけ見えてきたような気がしました。それは失敗を人のせいにしない」ということです。露伴ははっきりと述べています。大きな成功を遂げた人は、失敗を人のせいにするのではなく自分のせいにするという傾向が強い」 物事が思うようにうまくいかなかったり、大失敗をしてしまったときに、人のせいにすれば自分は気が楽ですね。往々にして何か問題が起こると、それはすべて他人のせいで、自分には関係がない、と考えがちです。あいつがこうしなかったからうまくいかなかったのだ、あれがこうなっていたから失敗したのだ、あの時に予期せぬこんなことが起こったから失敗したのだ、悪いのはあいつであって自分ではない、等々。物事をいつもこんな風にとらえていれば、自分が傷つくことはないし、気楽なものですね。でもこのような態度で暮らしていると、いつも物事はそこで終わってしまい、そこから得たり学んだりすることは絶対にないでしょう。一方、失敗や不運の原因を自らに求める人は、傷つき、苦しみ、悲しく辛い思いをすることになります。でも同時に「あの時はああではなく、こうすればもっとよくなっていたのでは?」という反省の気持ちを持つことになり、前よりも前進・進歩することができます。自分の欠陥を補っていけばいくほど、自らを成功の有資格者にしていくのは明らかでしょう。また、自らを責めることほど他人の同情をひくことはなく、他人の同情をひくほど事業は成功に近づくのです。ここが大きな差を生むんですね。

 失敗や不幸を自分に引き寄せて反省し考えることを一生やり続けた人間と、常に他人のせいに責任転嫁し続け何もしない人間とでは、かなりの確率で、運の良さがだんだん違ってくることは間違いないでしょう。こうした態度の違いは、長い間に大きな差となって、運のある人とない人の差に、つまりは成功する人と失敗する人の差となって現れることになるのです。幸田露伴は、このことを、運命をたぐり寄せる二本の紐に喩えて紹介しています。一本の紐はザラザラゴツゴツとした針金のような紐で、それを引くと掌は切れ、指は傷つき、血がにじんできます。耐えがたい苦痛に耐えて、それでも我慢して引き続けると、大きな幸運を引き寄せることができます。しかし、手触りが絹のように心地よい感触の紐を引っ張っていると、引き寄せられてくるのは不運だというのです。私が卒業生たちに求められて、色紙や卒業アルバムにサインをする際に、力を尽くして狭き門より入れ」(聖書ルカ伝)と書くのも、これと同じ気持ちからです。

 尊敬する松下幸之助さんも、失敗を幾度となく重ねて(cf. 中島孝志『ほんとうは失敗続きだった「経営の神様」経営伝―松下幸之助』(メトロポリタンプレス、2011年)偉大な業績を挙げた苦労人ですが、失敗を素直に認める」ことの大切さを語っておられます。野村克也さんが、失敗と書いて成長と読む」とおっしゃっておられるのも、これと同じです。

 大切なことは、何らかの失敗があって困難な事態に陥ったときに、それを素直に自分の失敗と認めていくということです。失敗の原因を素直に認識し、「これは非常にいい体験だった。尊い教訓になった」というところまで心を開く人は、後日進歩し成長する人だと思います。  ―『松下幸之助一日一話』(PHP研究所)

 「僕はな、物事が上手くいった時にはいつも皆のおかげと考えた。上手くいかなかった時はすべて自分に原因があると思っとった。」  ―松下幸之助

 長い間教員をやっていて、成績の伸びる生徒と、伸び悩む、あるいは全く伸びない生徒の違いも、ここに求めることができると感じています。部活動でも同じだと思いますよ。どこが悪かったのか、何を間違ったのか、どうすればもっと良くなるのか、と常に考えて行動している生徒は、必ず結果をつかんでいるように思います。失敗したことをどのように捉え、考えるか?その時の姿勢が、成功者をつくり、失敗者をもつくるのです。私がいつも言っている「やりっ放しにしない」、あるいは成功したら窓の外を見よ、失敗したら鏡を見よ」とは、まさにこのことなんです。

 一度や二度の失敗で、くじけたり諦めるというような心弱いことでは、本当に物事を成し遂げることはできません。それにめげず、辛抱強く地道な努力を重ねていくうちに周囲の情勢が有利に転換して、新たな道が開けてくるといううこともあります。世に言う失敗の多くは、成功するまでに諦めてしまう所に原因があります。最後の最後まで諦めずに、成功するまでやり遂げるのです。❤❤❤

 「成功するまでやれば必ず成功するんや。失敗ちゅうのは成功する前に止めることやで。」 ―松下幸之助

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「足立美術館」快挙!

★足立美術館15年連続庭園日本一!!

 横山大観などの近代日本画コレクションで有名な「足立美術館(島根県安来市、私の故郷のすぐそばです!)が、米国の日本庭園専門誌「ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング」(The Journal of Japanese Gardeningが実施した2017年の日本庭園ランキングで、第1位に選ばれました。2003年のランキング開始以降、15年連続!の選出です。15年連続。とてつもない記録です。これは、アメリカ在住のダグラス・ロスさんが、日本庭園を世界中に紹介するために、1998年に創刊した隔月月刊誌です。英語圏を中心とする世界37カ国の人々に定期購読されています。島根県では、5位の佳翠苑皆美(松江市)や、平田本陣記念館(出雲市)など7件がトップ50入りしました。。「日本庭園の愛好家であれば、“スーパースター”である足立美術館を鑑賞するために島根を巡礼しなければならない」と評価しています。八幡の癒やしスポットでもあります。

 「足立美術館」の庭園は、約16万5千平方メートルで、専属の庭師6人によって細部まで手入れされた800本のアカマツや100本のクロマツ、モミジなどの木々とコケ、白砂などが、遠景の山並みと相まって四季折々の風景を楽しませてくれます(枯山水庭など6つの日本庭園)。1970年の開館以来、毎朝全職員(約30人)で庭の掃除をしているそうです。国内外の専門家が、日本にある900カ所以上の庭園を訪れ、庭園の質、庭園と建物との調和、利用者への職員の対応など、「いま現在鑑賞できる日本庭園としていかに優れているか?」を基準に総合評価したものです。足立美術館」足立隆則館長「日本庭園は生きものであり、足もとの下草、苔、白砂、石、水、木々や遠景の山並みが一体となって奏でる、いわばアンサンブルでもある」「大変うれしく誇りに思う一方で、栄誉に恥じない庭園であり続けるための大きな責任を感じる。日本を代表する日本庭園に選ばれた誇りを胸に館員一丸となって日本庭園の魅力を世界に発信していきたい」とコメントしました。

●2017年日本庭園ランキング●
1位   足立美術館(安来市)
2位   桂離宮(京都市)
3位   山本亭(東京都葛飾区)
4位   京都平安ホテル(京都市)
5位   佳翠苑皆美(松江市)

 美術的価値や公的評価のほか、旅行者の受け入れの質まで総合的に調査し格付けを行うフランスの旅行ガイドブック「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」でも、「足立美術館」の庭園は3つ星を獲得しています(美術館は2つ星)。庭園を通して日本ならではの「四季の美」に触れて、その感動を持って横山大観をはじめとする日本の名画に触れることで、「美の感動」に触れてほしい、という創設者・足立全康(あだちぜんこう)さんの強い想いが今にも引き継がれています。ぜひみなさん、一度訪れてみて下さい!感動間違いなしです!❤❤❤


カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「神戸にしむら珈琲店」

◎週末はグルメ情報です!!

 神戸市内を中心に現在12店舗を展開している老舗の喫茶店チェーン「神戸にしむら珈琲店」神戸の珈琲店といえば、即座に「神戸にしむら珈琲店」が名前に挙がるほど有名であり、日本で初めて自家焙煎のコーヒー豆を使ったストレート・コーヒーを提供した歴史ある老舗喫茶店です。戦後間もない1948年に開業した、にしむら創業の店「中山手本店」は、神戸北野のハンター坂の角にあり、北ドイツの木組み建築を髣髴とさせる外観が遠くからでもひときわ目を引き、神戸の街並みを彩っています。

 「にしむら珈琲店」は、創業当時からコーヒーにとてもこだわっています。コーヒーに使うは、古くから全国的に名高い銘水「宮水」を酒造会社の井戸より汲み上げて使用しているのだとか。宮水は、強すぎない適度な硬度が珈琲をまろやかな味わいにしてくれるのだそう。確かにこのお店のお水はめちゃ美味しいんです。一口飲んだだけで、違いが分かります。私の定宿・広島の「リーガロイヤルホテル」最上階(33階)のフレンチレストラン「シャンボール」のお水もめちゃ美味しいんですが、ここのお水も最高です。

 私はハバーランドにある「にしむら珈琲店」がお気に入りです。お店の前には大きな池があり、テラスでコーヒーを飲んでいる人も多く、この雰囲気が最高ですね。広い店内が超満員で、びっしりとお客さんで埋めつくされています。前回来たときには、お店の前に長い行列ができており、20分くらい待ちました。喫茶店に入るのに行列というのは、私には新鮮でした(京都駅「イノダコーヒ」も行列でした)。今日も行列こそしなかったものの、お客さんでごった返しています。高い人気のほどがうかがえますね。頼んだのは「ブレンドコーヒー」と、前回もめちゃ美味しかったいちごケーキ「フレジェ」です(セットで1000円)。運ばれてきたコーヒーは香り高く納得の味です。有田焼のオリジナル・コーヒーカップも重厚で伝統を感じます。さらに、ケーキの美味しいこと、前回も感じたことですが、こんな美味しいいちごケーキは島根県では食べられません。見た目も可愛いイチゴのケーキです。スポンジの間にはバタークリームとイチゴがぎっしり 詰まっているのですが、全然重いバタークリームではなく、イチゴの酸味と合わさってパクパク食べることができます。これなら並ぶ価値がありますね。以下は、ホームページに掲載されていた情報を基に、八幡がまとめたものです。

 「神戸にしむら珈琲店」が、世界の生産地より最上級の豆を厳選する事は珈琲屋として当然ですが、自然災害や政治的不安、相場の高騰など複雑な要素のある農産物がコーヒー豆です。この世界では残念ながら、銘柄やランクに偽りのある表記も珍しい事ではありません。本当に良い豆を安定して、適切な価格で販売するには、取引において長年の信用と実績が必要となります。それによって個性を放つ豆の味と薫り、そしてその絶妙なブレンドによる調和を楽しむことができるのです。「にしむら珈琲」で使われる水は、灘酒の仕込みに使われ古くから全国的に名高い六甲山の伏流水「宮水」を、酒造会社の井戸より汲み上げて使用しています。強すぎない適度な硬度が、珈琲をまろやかな味わいにしています。焙煎はドイツ・プロバット社の釜を使用して自家焙煎をしています。豆は適度な乾燥状態までエージングし、毎日必要分だけを焙煎します。どんな良い豆も高度な技術も、焙煎後の時間の経過に抗う事は出来ません。珈琲を生鮮品と同様に考えて、厳格に管理がなされています。長い珈琲経験に裏打ちされて決定した材質、形状の特注コーヒーカップは、有田の窯元で作られています。数々のプロセスを経た後に、にしむらの珈琲が完成するのは、このカップに注がれた瞬間といっても過言ではありません。珈琲の味わい、香りが変わります。長年の経験に裏打ちされた個別焙煎で6種の厳選豆の持ち味を最大限に引き出した、にしむら不変のブレンドです。苦味と酸味のバランスが取れながら、メリハリのある味わいと立ち立ち昇る香りを楽しむことができます。

 帰り際に、前回同様「にしむら」特製のコーヒー豆を買って帰りました。今、銀座の「カフェパウリスタ」のコーヒーと交互に、毎日いただいています。❤❤❤

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」

★さださんの長~い歌!!なぜ長い??

 大好きなさだまさしさんが、これまでに発表した曲は567曲、コンサートは4260回以上と、名実ともに日本を代表するシンガーソング・ライター(昔、singer songwiter「和製英語」だとしている本があり、頭にきたことがありました、正真正銘れっきとした英語です)として、第一線を走り続けておられます。このたび45周年を振り返るスペシャルライブを企画して、1月4日(木)のNHK「SONGS」は、11月30日の「ああいわれなき炎上の歴史」に引き続き、さだまさしさんの特集「さだまさし 長いけどすごい歌集めました」でしたね。さださんの歌は、人生を語り、命の尊さを謳う中で、情景や心情を描きながらまるで映画のように物語を紡ぐので長くなるという特徴があります。彼は生粋の詩人なんです(一時期まで歌詞がとても難解だったのも、彼が詩人ならではのことでした)。「風に立つライオン」は8分51秒、「親父の一番長い日」は12分33秒、「遙かなるクリスマス」は8分29秒、といった具合です。そんな長~い曲の中から、今回の番組では「親父の一番長い日」「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて」の2曲だけ(!)が歌われました。番組内で、涙を流しながら聞いている若くて美しい女性が映し出され、「あー、これ、小田和正さんの「クリスマスの約束」の手法だな(笑)」と思いながら見ておりました。さださんが若い頃に作った曲には、名曲が勢揃いしています。

 最初に演奏された曲、「親父の一番長い日」は、故・山本直純先生に「まさし、一曲の長さは誰が3分と決めたんだ。お前はもっと長い歌を書かなければだめだ。25分の歌を書け!」と宿題を授かります。一生懸命頑張りますが、ただ長ければいい(何度も繰り返せばいくらでも長くできるけれど)というものじゃない、その長さには意味がないといけない、という哲学のさださんは、当時の自分の力ではこの12分33秒が限界だったと回想します。この曲は、昭和53年、新日本フィルハーモニー交響楽団が、毎年夏軽井沢プリンスホテルで開催している「軽井沢音楽祭」で初披露することになっていたのです。指揮者の山本直純先生と何か今までにはなかったものを作ろうと、三ヶ月間打ち合わせを重ねて出来上がった曲でした。ところが、アレンジをした山本直純先生が交通違反か何かで謹慎となり、指揮をすることができなくなりました。本番前夜、さださんの宿に一人の来客が現れます。指揮者の岩城宏之先生でした。「さださん、直純がゴチャゴチャといっぱい書いています。でもこれは山本直純、一世一代の名アレンジです。明日は精一杯指揮棒を振りますので、一緒に頑張りましょう!」ということを伝えに来られたのでした。そうして翌日、岩城先生が指揮棒を振りながら、さださんと一緒に涙を流した曲が、この「親父の一番長い日」でした。娘の誕生から結婚までの道程を、父と兄の優しい目で見守るという、一編の映画のような名曲です(モデルとなっているさださんの妹玲子さんはまだ独身です!)。そして翌年10月12日、さださんのお父さんの誕生日に、この曲はレコ-ドが発売になりました。

 さて今日は、もう一つの歌われたさださん初期の「フレディもしくは三教街~ロシア租界にて~」という楽曲の世界について語りたいと思います。これは「グレープ」時代に作られた作品で、「グレープ」の3枚目にして最後のオリジナルアルバム『コミュニケーション』(1975年11月リリース)の収録曲として発表されています。初期のさださんの作品の中でも、最も長い曲です。曲のタイトルが何となく可笑しいでしょ?これはデモテープを送ったディレクターの川又明博さんと電話で話しているときに、「まさし、この曲のタイトルは何だ?」「書いてあるだろ、フレディだよ。まあ、もしくは三教街かな」とさださんが答えたところ、出来てきたレコードには「フレディもしくは三教街」とあった、という笑い話のような本当の話です。

 この歌は、さださんのお母さん(佐田喜代子)の若かりし頃を、詩情豊かに歌った反戦歌です。お母さんが明るく異国の地でひたむきに生きていた情景が目に浮かんでくる歌ですね。自分の青春を悲惨な戦争に塗りつぶされまいと必死に抵抗し、異国の地で過ごした輝ける日々を、「三教街」で見つけたわずかばかりの幸せを大切にすることで、理不尽さと戦っていた、そんな日々の想い出を歌に綴ったものです。あの歌は、ドイツ人青年とのロマンをもとに、まさしが、あの子なりに創作してくれた作品でございます」と、お母さんは告白しておられます。

 佐田喜代子さんの自伝的子育て記『永き旋律~さだ家の母と子供たち~』(自由国民社、2008年)によれば、彼女が漢口(ハンカオ)に渡ったのは1942年。中国で貿易の仕事をしていた兄に呼び寄せられ、17歳の彼女は姉と共に大陸へと向かいました。海軍の代行機関商社でタイピスト兼秘書をしながら、終戦までの3年余りを漢口で過ごしました。英国人が所有する品の良いチョコレート・グレー色をしたアンリ・ハウスというビルの中にある会社に毎日通うことになったお母さんは、支店長と営業部長とたった三人だけの会社でしたが、とても大切にされました。住居から勤め先までの道程の途中には、旧ロシア租界の北欧風の街並み「三教街」や、レンガ造りのオシャレな店構え、花屋のショーウィンドウを飾る薔薇の香り、レストランの「ヘイゼルウッド」や、パン屋の「ボンコ」のケーキやお菓子のおいしさに心を躍らせます。そんな日々の往復の中で、一人の美しいドイツ人青年を知ります。民族的な建物が立ち並ぶその中の一軒の四階の窓から、お母さんが歩いて来るのを必ず待っている青年に気づいたときに、彼女は驚くほどに胸を高鳴らせます。その青年の純粋な瞳は、彼女の心をバラ色に染めてくれました。そしていつしか、その建物の窓の下を歩くことが彼女の生き甲斐となっていきます。けれどもその青年は、決して道路まで降りてきて彼女に話しかけることはありませんでした。言葉の通じない人間の悲しさからでもあったのでしょう。しかし、戦争は日増しに激しさを増していき、ついにアメリカ軍の爆撃が行われ、それによって「ドイツ租界」は跡形もなく破壊されていきます。美しい青年の姿もそれっきり見ることはありませんでした。残酷な戦いの傷跡と、このドイツ青年との淡いロマンを、後に成長した息子のさださんに、母の青春の一ページとして、折りに触れては熱っぽく語り聞かせたのです。そんな想い出を、さださんは物語(ラブストーリー)に紡ぎ、歌にしたためたのでした。

 この歌は、私たちが生まれるずっと昔の、かつての中国に存在した「租界」(そかい)を舞台としています。「租界」とは、19世紀から20世紀に列強下の侵略にあった中国における治外法権地域の一つで、外国人の住居・営業のため開放された開港市内の一部で、条約または慣行により外国行政権の行政が認められ、原則として中国人の土地所有は禁止された」場所をいいます。登場するのは、そうした「租界」のひとつで出逢った若き恋人たち。彼と彼女は、もちろん中国人ではなく、それぞれに海を渡って大陸へとやってきた異邦人でした。

フレディ  あなたと出逢ったのは 漢口(ハンカオ)
揚子江沿いのバンド  あなたは人力車夫を止めた  
フレディ  二人で初めて行ったレストラン  
三教街を抜けて  フランス租界へとランデブー

 漢口(ハンカオ)は、かつて中国の湖北省にあった貿易都市。世界で三番目の大河、東シナ海へと注ぐ中国最大の川「揚子江」と、その支流「漢水」との合流点の北岸に位置したその街は、古くから交通の要所とされ当時最大の国際都市でした。19世紀後半、当時は「清国」と呼ばれていた中国は、ヨーロッパ列強国との戦いに相次いで敗れ、明らかに不平等な条約が結ぶことを余儀なくされ、列強による半植民地化時代を迎えます。上海・天津・漢口などの主要都市には、「条約港」といわれる貿易港が開港し、そしてそこに、西洋の街をそのままにかたどった「租界」が誕生しました。漢口にはかつて、5カ国の「租界」が置かれていたそうです。海岸通り(バンド)の南側からしっとりとした「イギリス租界」、赤レンガの「ロシア租界」、華やかな「フランス租界」、会社が多かった「ドイツ租界」そして「日本租界」と。そこは石造りの洋館が整然と建ち並んだ、いわば「東洋のヨーロッパ」です。中には、各国の領事館や裁判所、警察、銀行、商店など様々な施設が設けられ、周辺にはイギリス生まれの競馬場やゴルフ場といった娯楽施設も完備されており盛況だったといいます。やがてそこを中心に、国際的な商業都市として発展し、「新天地」を求めて海を渡ってやってくる人々が、漢口にも多数押し寄せたのです。

あの頃  私が一番好きだった 三教街のケーキ屋を覚えてる? 
ヘイゼルウッドのおじいさんの  なんて深くて蒼い目  
いつでもパイプをくゆらせて  アームチェアで新聞を広げてた 
フレディ  あなたも年老いたらきっと 
そんなすてきなおじいさんになると思ってたの  
本当に思ってたの

  ロシア租界」には、ナチスドイツの迫害から逃れてきたユダヤ人たちも定住していました。帝国の崩壊で本来の所有者を失ったその場所は、他の「租界」以上にコスモポリタンな色合いを深めていったのです。この歌に登場する「三教街」は、ロシア租界」のそうした姿を象徴する地区でした。三教街=「三つの教えを持つ街」の呼び名の通り、そこにはロシア正教・ユダヤ教・キリスト教の教会が、仲睦まじげに佇んでいたといいます。やがて時は流れ、日本軍が大陸へと侵攻する時代が訪れ、1938年(昭和13年)10月、漢口及びその周辺地域を占領した日本軍は、さらなる戦いのための大補給基地を漢口に築き上げます。政府や軍部系の商社の進出が増加して、漢口はますます軍事商業都市としての色合いを強くしていくこととなります。そして、太平洋戦争が勃発し、大陸は完全に日本軍の支配下に置かれます。「租界」もまた、同盟国ドイツ及びドイツ占領下のフランスを除くすべてが、日本軍の支配下に置かれることとなりました。

フレディ  それから  レンガ焼きのパン屋の
ボンコのおばあさんの  掃除好きなこと
フレディ  夕暮れの鐘に十字切って
ポプラの枯葉に埋もれた  あの人は一枚の絵だった

 「フレディ」の恋人たちが暮らしていたのは、そうした時代の漢口の租界です。そこで語られるのは、主人公の女性の愛しくもはかなく懐かしい日々のこと。「フレディ」という名の恋人との、ささやかではあるが幸福な想い出の日々。しかし、主人公の女性の夢が叶う日は、ついに訪れることはありませんでした。フレディとともに温かな家庭を築き、二人仲睦まじく年老いていく。思い描いたささやかな夢が、そして、愛するフレディ自身さえもが、彼女の元から、突然に消えてしまいました。ひどく恐ろしくて悲しい戦争によって。

本当は  あなたと私のためにも  教会の鐘の声は響くはずだった
けれども  そんな夢のすべても あなたさえも奪ったのは
燃え上がる紅い炎の中を  飛び交う戦闘機

 1944年(昭和14年)12月18日。揚子江岸の街・漢口は、アメリカ軍のB29爆撃兵団による大爆撃に襲われました。飛来した84機のB29は500トン以上の焼夷弾を投下します。街はたちまち真っ黒な厚い煙で覆われ、さらに、爆撃機や戦闘機の攻撃がそれに追い打ちをかけます。煙に覆われた街から標的を発見することは困難なので、後続の一団は、爆弾を辺りかまわずばらまくようにして落としていったといいます。約1時間にも及ぶ大爆撃は、漢口全域を火の海にしました。猛火は3日間にわたって燃え続け、ドックや倉庫地域や、それに隣接する住宅地帯のすべてを完全に焼き尽くしました。そして人種を問うことなく、多くの人の尊い命が失われたのです。「フレディ」のそれも。ちなみに、戦友(さださんのお母さんのお兄さん)に連れられて休みの日にこの町に来たさださんのお父さんが、さださんのお母さんに初めて出会ったのが漢口でした。

フレディ  私はずっとあなたの側で
あなたは  すてきなおじいさんになっていたはずだった
フレディ  あなたと出逢ったのは漢口

 遙か遠き時代の中国「租界」を舞台にした長~いラブソングは、静かに終わっていきます。幸福だった日々の想い出を形見として、そのやさしい思い出をを、そっーと静かに、かみしめてでもいるかのようにして…。

 三教街で過ごした母の青春は、一体何だったのだろう。「ヘイゼルウッド」や「ボンコ」の想い出は、母の中で、本当の季節としての春のように、柔らかく温かく育まれているようです。けれど、実際には、悲惨な戦争というものが背景にあったはずなのです。だから、ぼくのイメージの中では分裂してしまうのです。別世界のようです。とても不思議な気がするのです。―『長江・夢紀行』

 母の美しい青春の想い出と、その背景にあったはずの「悲惨な戦争」がテーマです。この曲に描かれた、租界」の情景の夢見るような美しさ。その象徴ともいうべき「フレディ」を失うこと、つまりは美しいものを失うこと、奪われること、戦争によって引き起こされるいくつもの悲惨さのその一つを、さださんはそうやって描こうとしました。戦争の悲惨さ、戦争の本質はその一言に尽きます。が、それを具体的な形で語り伝えることは思いのほか難しいことだったりします。さださんのこの曲は、まさにその難題に果敢に挑戦した曲と言えるでしょう。詩的美しさで描かれた異国情趣あふれる「租界」の情景に心惹かれたからこそ、恋人たちを引き裂いたあの残酷で悲惨な結末に、強い悲しみと憤りを覚えたのでしょうね。

 さださんのお母さん、喜代子さんは、お父さんの後を追うように、一昨年お亡くなりになりました。⇒コチラです お母さんは、当時のことを思い返しながら、若い人たちへのメッセージを残しておられます。❤❤❤ 

 若いみなさん、あなた方の若さはすぐに過ぎてゆくものです。今の若さを大切になさってください。そして若さという黄金を、まだ遠い先と思っている自分が本当に老いた時、悔いることのなきよう、大切に真剣に輝かせてください。

カテゴリー: 私の好きな芸能人 | コメントをどうぞ

森の中の家~安野光雅館

 「森の中の家  安野光雅館」は、画家安野光雅(あんのみつまさ、91歳)さんの描く繊細で柔らかな水彩画の世界に相応しく、森に抱かれてひっそりとたたずむような美術館となることを目指して作られています。次に現れる世界への期待を胸に抱かせる美術館に続く長い回廊、周囲の景観に溶け込む杉板張りの外壁、採光の為のわずかな開口部より外の自然を感じながら絵画を鑑賞できる展示室。安藤忠雄(あんどうただお)さんの設計による空間と共に、画家・安野光雅さんのやわらかな色彩の水彩画の世界を楽しむことができます。安野先生は、1926年に島根県鹿足郡津和野町に生まれ、教師をやめて画家に転じられ、絵本作家としてデビューなさいました。紫綬褒章受賞、文化功労者です。津和野高校に勤務していたときは、毎週のようにJR津和野駅前に佇む「町立安野光雅美術館」を訪れていたぐらいに大ファンの私は(⇒コチラです)、ぜひ訪れてみたいと思っていました。今回「神戸ルミナリエ」を見た帰りに(⇒私の「ルミナリエ」レポートはコチラです)、グルッと京都を回ってやって来ました。

 京都丹後鉄道久美浜駅特急「丹後の海(はしだて)」を降りた私は、予約して待たせてあった「久美浜タクシー(1台しかない車!)で、森の中の家」へ向かいます。どんどん山の中へ入って行きます。いったいどんな所まで行くのか、不安になってきました。運転手さんの説明では、この当たり一帯は工業団地として造成されていたのが、進出してくる企業がいなかったために、和久傳さんが買い取って植樹を始めて「森の中の家」として6月にオープンしたそうです。同美術館は、百貨店を中心に弁当や和菓子を製造販売する「紫野(むらさきの)和久傳(わくでん)」(本社・京都市)が、製造拠点の久美浜工場(通称・和久傳の森)の敷地内に建設。鉄筋コンクリート造り2階建て(延べ床面積420平方メートル)で外壁は杉板貼り。デザインは世界的な建築家、安藤忠雄さんが手がけました。安野さんの美術館は、出身地の島根県津和野町の駅前にある「町立安野光雅美術館」に次いで2館目になります。運転手さんの話によれば、安野先生も、最近ここに来られたそうです。安藤建築ということもあり、全国からたくさんの建築家の卵の学生さんたちも見学に来ておられるとのことでした。このような郊外のへんぴな所に、開館約3ヶ月で来館者数が1万人を突破、多いときには1日300人を超える日もあるとのことです。

 そうこうする間に、現地に到着しました。何もない山の中です。「こんなところにホントに美術館が?」入り口を中に入っていき、敷地内に入ると、まずは広々とした芝生が。そしてそれらしい建物を発見。どうやらこれが美術館のようです。美術館に至るまで、折れ曲がった長い回廊を移動することで、次に現れる世界への期待を胸に抱かせます。コンクリート打ちっ放しの安藤先生の建築です。外壁は杉板張りとして、建物が周囲の景観に溶け込むように意図されています。「外は屋久杉の板張りで、中からも自然が感じられて、すごくいいんですよと安野さん。まさに“大きな森の小さな家”を体現した場所で、そこに息づく命を感じながら絵の世界に浸れる、贅沢な機会となりそうです。コンクリートの回廊には、目線の高さに小さな窓があります。美術館をチラ見できる構造になっているんですね。期待感があおられますね。そして意外と長かった回廊を抜けて、やっとご対面。森の中の家 安野光雅館」です。鉄筋コンクリート造り2階建てで外壁は黒い杉板張り。自然との調和が意識されていますね。内装にも木材を多く使い、壁の細長い開口部からは外の緑を楽しむことができます。建物が周囲の景観に溶け込むように意図されています。安野先生の描く繊細で柔らかな水彩画の世界に相応しい、森に抱かれてひっそりとたたずむような美術館です。美術館に至るまでの折れ曲がった長い回廊を移動することで、次に現れる世界への期待感も高まります。さて、では入ってみましょう。受付でチケット(1,000円)を買うとパンフレットがもらえます。展示室は採光のためのわずかな開口部を通して、外部の自然の森を感じながら、絵画を鑑賞できるように考えられています。安野先生の「洛中洛外」シリーズの絵画57点(平成23年~平成28年)が展示されていました。展示作品は、紫野和久傳」桑村 綾会長(76歳)のコレクションです。3カ月ごとに展示を入れ替える予定とか。和久傳」は、京丹後が創業の地。桑村さんは「恩返しをしたいという思いがずっとある。地域の人に楽しんでもらうのはもちろん、外の人が訪れて、京丹後の魅力を知るきっかけになってほしい」と話しています。最近の月刊『到知』でも、桑村会長安野先生の対談が掲載されていて、ますます訪れてみたくなりました。安藤忠雄さんのシンプルでかつ自然の光や風を取り込んだ独特の切開が光る建築と、安野先生の優しい水彩画の世界を、両方を楽しむことのできる美術館でした。「伝統と自然のことなど忘れてはならぬことが京都にはたくさんありました」と、安野先生は展覧会に言葉を寄せておられます。

 私は、子供のころから絵をかくことや、本を読みことが好きでした。絵をかくことは、「静物写生」のように、見えるものを写真のように描くのが一番いいと考えやすいのですが、それだけではありません。むしろ見えない世界を描くことのほうが多いのです。絵は、ものごとを空想宇するとき、とても役に立ちます。大人になって気がついたのでは間に合わないのです。できるだけ「若いとき」に絵を描くことや本を読むことが大切です。(安野光雅)

 今も『産経新聞』毎月第1日曜日に、「安野光雅が描く洛中洛外」シリーズの絵が掲載されていますね。嵐山や金閣寺、銀閣寺、哲学の道など古都・京都の名所から、丹後半島の棚田、大江山の雲海まで洛中洛外を歩いて描いておられます。私はこの絵と安野先生の解説を楽しみにしています。昨年12月24日からは展示作品が入れ替えられ、『御所の花~冬と秋と夏と』が展示されています。小規模美術館ながら、安野ファンの新たな聖地になったようですね。❤❤❤

松江は6年ぶり49センチの積雪です。雪かきが大変です。松江北高は今日は3時間目からの授業で、私は1時間目の授業だったので、お休みです。おかげで朝から原稿書きがはかどりました。お昼、近くの郵便局で振込、「セブンイレブン」に新聞3紙を買いに行って、「ラパン」で食料を仕入れ、帰り道に「ピッコロ」「なすとベーコンのカレー」を食べました。美味しかった。少しお昼寝をして「高林鮎子弁護士シリーズ」の再放送。町内の組長をしているもので、雪道を踏みしめて、総会の「案内チラシ」を17軒に届けました。夜は「科捜研の女」を見て、再び原稿執筆。明日の予習をして就寝。充実した1日でした。❤❤❤

 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

弁護士高林鮎子「雲仙長崎旅路の果て」

 松江は、日曜日から久々の大雪で40センチ超えです。毎朝北高までズボズボ雪に埋もれながら通っています。私は朝が早いので、裏の道路はまだ雪がかいてなく、雪に足をとられながら、踏みしめて通っています。学校に着く頃にはもうクタクタ状態!北陸、東北、北海道の人たちは、毎年こんな大変な思いをしながら生活しておられるんだなあ、と思いをはせたりしております。その昔、岸 信介元首相「長生きの秘訣は?」と聞かれ、三箇条として、転ぶな、風邪を引くな、義理を欠け」とおっしゃったことが、身に染みるようになってきました。転ばないように気をつけます。北高でもインフルエンザが流行しているようです。

 さて、今日の話題です。昨年はスカパーの「ホームドラマチャンネル」で、現在は「BS日テレ」で、弁護士高林鮎子(たかばやしあゆこ)シリーズを初回から再放送しています。今日はその第26作「雲仙長崎旅路の果て」でした。このシリーズは弁護士・高林鮎子(眞野あずさ)が、弁護士助手の竹森慎平(橋爪   功)とともに、事件に隠された難解なトリックを解明し、真相を明らかにしていく私の大好きな人気シリーズです。ドラマの原作は、大ファンである津村秀介『長崎異人館の死線~上野着~6時26分の壁~』(カッパノベルス)です。原作とはずいぶん書き換えられてしまっています。このシリーズの津村秀介先生(作品では浦上伸介という探偵が主人公です。それがなぜか高林鮎子弁護士に変更された?)との関わりについては、詳しく考察したことがあります。最近、私のこの記事にたくさんのアクセスが集中しているのは、再放送が流れているためでしょうか?⇒コチラです

   ドラマは、ハウステンボス」で休暇を楽しむ高林鮎子とその友人の映像から始まります。そして二人が泊まるのが「ホテルヨーロッパ」です。その鮎子(眞野あずさ)は、雲仙、長崎を巡る旅先で偶然山崎夫婦と知り合います。後日、宇都宮北署から、旅先の事情を確認する電話が入ります。鮎子が旅先で知り合いになった税理士・山崎雅雄(篠田三郎)とその妻のアリバイを聞かれます。どうやら山崎は旅行の日、宇都宮市内で発生した殺人事件の容疑者となっているようなのでした。この被害者はかつて山崎の事務所で働いていた男で、事件当日、山崎は鮎子たちと九州・ハウステンボスにいましたが、アリバイの証明できない16時間の空白があり、警察はその間に犯行が可能とみていたのです。山崎は「空白の間」、自分の部屋の電話で株式情報を聞いていた、と証言しました。体の弱い妻をかばう山崎がとても人を殺すとは思えず、調査を始めた鮎子は、同じ頃に上野で起こった変死事件を知ります。調査を進めるにつれて、実は2つの事件の被害者は、1億2千万円の現金強奪事件でつながっていたのでした。

 犯行当日の電話のトリック、移動トリック、最後に山崎が出してきた写真のトリックを暴いていく、鮎子チンペイさんのアリバイ崩しは、いつもながらに冴えがありました。私がこの作品に冒頭からのめりこんでいったのは、ドラマが「ハウステンボス」で始まるところ、そして「ホテルヨーロッパ」(私のこのホテル・レポートはコチラです)に宿泊する場面です。ハウステンボス」は昨年秋にも訪れたばかりで、映し出される場所が全部見覚えのあるスポットでした。ホテルヨーロッパ」は私も泊まった印象深い、園内最高級のオフィシャル・ホテルです。また泊まりたいお宿です。このように自分の知っている場所が、ドラマに登場すると、なぜか引き込まれてしまいますね。「あー、知ってる、知ってる!」という気持ちで目が釘付けになってしまいます。このドラマに登場する場面を、私の記念写真ファイルから貼り付けておきますね。あ~、懐かしい。❤❤❤


カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

so-called

 最近は、英和辞典も精度があがっていますから、正しい情報を提供してくれていますが、私の若い頃は本当にひどかった。so-calledという単語は「いわゆる」としか出ていませんでしたから、what we callwhat is calledなどと一緒に覚えたものでした。松江北高では現在も二次試験に向けて、毎日入試問題の長文読解演習を行っていますが、so-calledという表現がよく出てきます。生徒は何も考えずに「いわゆる」と読んでいます。しかし、so-calledは、日本語の「いわゆる」とは似ても似つかぬ表現です。そのことは、スティーブ・モリヤマ『イギリス英語は落とし穴だらけ』(研究社、2016年)にもはっきりと指摘されています。

 十中八九、「皮肉」+「否定」のニュアンスが伴うため、初心者は使うべきではない表現の1つと言えます。
 残念ながら、受験に頻出の表現のようで、元来の意味だった「世間一般で言われている」「いわゆる」という意味で記憶してしまっている人が多いようですね。<暴発リスク>が高すぎるので、記憶のアップデートをおススメいたします。
 言葉というのは、時代の流れの中で「否定的な」意味が生まれると、たいていその原義では使われなくなります。なぜなら、他に選択肢があるなら、誤解されるリスクのある表現は誰でも避けて通りたいからです。
 それではどんな場合にso-calledは使えるでしょうか。例えば、大都市近郊の駅前で時折見かける「〇〇温泉」(なんちゃって温泉)は、とても温泉とは呼び難いお粗末なものが多い気がしますが、こういう場合はまさにso-called spasと表現することで皮肉を込めることができます。さらに発音するときにがたいso-called を強調すると、より一層皮肉のニュアンスが明確になります。また、いざというときには頼りにならない「晴れの日の友」(fair-weather friends)は、まさにso-called friendsと言い換えられます。(pp.20-30)

 最近の主な英和辞典の扱いを概観しておきましょう。

●[しばしば軽べつ的]いわゆる,俗にいう,名前ばかりの(ライトハウス英和)
●自分はそうは思わないが,一般にそう言われているという意味で用いることが多い
(フェイバリット英和)
●実際にはその表現に当てはまらないと話し手が思っていることを示す(ウィズダム英和)
●軽べつ的に「その名に値しない」という意味を含むことがある(グランドセンチュリー
英和)
●多くの場合,軽蔑的ニュアンスを含む.what you[we,they]call, what is called
にはそのような含みはない.科学論文ではso-calledは中立的な意味で使われる.
(ジーニアス英和)
●不信・軽蔑・不適切だという気持ちを込めて(小学館プログレッシブ英和)
●疑問・軽蔑の意を含む(オーレックス英和) 

 英米の辞典で、私がいいなと思う定義は、次のようなものです。要は、筆者の「皮肉」がたっぷりと込められている(下線部参照)という点を意識することですね。

●commonly designated by the name or term specified expressing one’s view that such a name or term is inappropriate     ―Concise Oxford English Dictionary (Eleventh ed. Revised, 2008)

●used when you think the word for describing someone or something is not suitable or correct    ―Longman Study Dictionary of American English (2nd ed., 2011)

●used to show that the words you use to describe someone or something are not correctHer so-called friends only wanted her money (=they are not really her friends).    ―Oxford American Dictionary for Learners of English (2011)

●(disapproving) used to show that you do not think that the word or phrase that is being used to describe sb/sth is appropriate   ▲So-called always expresses disapproval.    ― Oxford Learner’s Thesaurus : A Dictionary of Synonyms (2008)

カテゴリー: 英語語法 | コメントをどうぞ

「僕にまかせてください」

 2月3日(土)深夜、広島からのNHKの生放送「今夜も生でさだまさし」で、さださんが歌った生歌は、最新アルバムから「いにしへ」でした。スタジオ中に迫力のギターサウンドが響き渡りましたね。歌った後に、「弦を叩くので、爪が削れちゃうんですよ」と、ギター演奏の秘話と苦労を語りました。私の大好きなこの「いにしへ」という曲のメロディーは、このアルバムの中でも珠玉の出来映えだと感じています。さださんは「希代のメロディメーカー」だというのが私の持論です。今日はそんな一曲をご紹介しますね。

君はその手に花をかかえて
急な坂道(さか)をのぽる
僕の手には 小さな水おけ
きみのあとにつづく

きみのかあさんが眠っている
ささやかな石のまわり
草をつみながら振り返ると
泣き虫のきみがいた

★希代のメロディーメーカー・さだまさし!! 

 私の大好きな歌「僕にまかせてください」は、クラフトのセカンド・シングル曲です。本当に素敵なメロディーで、今でも時々思い出したように口ずさんでいます。本作は1975年(昭和50年)に、日本テレビ系で放送された土曜ドラマ「ほおずきの唄」の主題歌として起用され、50万枚の大ヒットを記録しました作詞・作曲したのは、当時、グレープのメンバーであったさだまさしさんです。さださんの初期の歌には、こういった素敵なメロディーが溢れています。

 手桶を下げて「急な坂道」を登ってお墓参りをする、という長崎の光景が浮かんでくるようです。長崎のお墓は全部と言っていいほど、急な坂道の上にあるのです。お墓参りは、さだ家の人々にとってはごく日常的なことで、特別のことではありませんでした。当初、さださんは夏目漱石の同名小説のもじりのつもりで、楽曲名を「彼岸過迄」(ひがんすぎまで)としていたんです。ところが、「彼岸」というイメージが暗いとクレームがつきました。テレビドラマの主題歌になることが決まっていたからです。世間一般の人々の捉える「彼岸」のイメージと、さださんの捉え方の間には大きな乖離があったようです。さださんにとっての「彼岸」という言葉は少しも暗いものではなかったので困ってしまいます。ディレクターの川又明博さんは、即座に代案として、この曲の主題でもある「僕にまかせてください」を提案、それが楽曲名として採用されたのです。川又さんのセンスの良さです(フレディもしくは三教街」も川又さんの傑作です)。この曲、クラフトの歌唱で大ヒットを記録しました。詞はともかくも、メロディーはいたく気に入っていると、さださんは回想しています(『時のほとりで』(新潮文庫))。どうして、どうして。スト-リー性のある詞も絶品ですよ。目をつぶって聞くと、情景がまざまざと浮かんできますから。

 曲の最後にある「彼岸過ぎたら 僕の部屋も あたたかくなる」という詞は、「暑さ、寒さも彼岸迄」と言うように、このお墓参りが春のお彼岸であるからでしょう。もちろん二人が結婚して心があたたかくなる、という思いも暗にイメージされますね。❤❤❤

お墓参りのイラスト(女性)
カテゴリー: 私の好きな芸能人 | コメントをどうぞ

大橋川にユリカモメ

 田和山今井書店センター店に出かけた帰りに、松江市・白瀉本町の大橋川にかかる松江大橋北詰付近で、冬の渡り鳥・ユリカモメの群れが川岸のブロックの上に勢揃いしていました。チドリ目カモメ科の水鳥で、大きさは30センチ余り。ウミネコり一回り小さめです。一見、純白のようですが、羽と顔の一部は黒ずんでいます。くちばしと足がオレンジ色なので、他のカモメなどと見分けるのが容易です。遠くシベリア中北部などで繁殖し、越冬のため群れでやって来ます。川面に浮かぶ小舟や沖合でのんびりと日なたぼっこをし、長旅の疲れを癒やしているはずのものが、ブロックの上に整列してコチラを向いています。今日は、数十羽が一列に並んでたたずんだり、時折飛び立っては上空を群れで舞ったりしていました。羽で風を切りながら滑るように舞い、初冬の透き通った青空と鮮やかなコントラストを描く。あまりにもその姿が可愛いので、思わずカメラを向けていました。パチリ!!

 実に愛苦しい姿なんですが、専門家は警鐘も鳴らしています。ユリカモメは人の給餌(きゅうじ)に集まりやすく、都会では餌やりのためたくさん生息しています。大橋川周辺でも20年以上前から人が与える餌(パンくず)に集まる光景が見られたといいます。多い時には100羽以上が集まり、すぐ横を車が通過しても逃げず、慣れている様子です。スマートな姿に似合わず、欲張り?な性格で、パンくずを持った人が現れると、目ざとく見つけて「ぎゃー、ぎゃー」と鳴いておねだり。投げると、いとも簡単に空中でキャッチするとか。単に可愛いからという理由で餌をやると、ユリカモメが増え、それを捕食する大型鳥も増え、他の鳥を襲うことなどが考えられ、生態系に予想外の影響が出るかもしれないと、専門家たちは恐れているそうです。

 ユリカモメに心を打たれ、北高の前を流れる北堀川まで帰ってくると、今度は白鳥が気持ちよさそうに、スイスイと川面を泳いでいました。思わず、パチリ!松江は「水の都」なんです。

 昨日から松江は今年一番の大雪です。足下に気をつけて歩きましょう。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「壱龍」の担々麺

◎週末はグルメ情報です!!

 「今井書店」隣にある「壱龍」ラーメンは、以前は市内に、松江しんじ湖温泉の北店と合わせて2店舗あったんですが、現在はこちら田和山の1店舗のみとなっています。私がここでいつもいただくのは、担担麺サービスセット」(990円)で、担担麺、ライス、餃子3ケ、唐揚げ2ケ、大根サラダが付いてきます。担担DSC01979は、何と言っても松江ではここが一番美味しいと思います。辣の結構な辛さ、その後、ややさらっとしたゴマ、ピーナッツソースの味が広がる。麺は細麺ストレート、柔らかめの茹で具合。私はいつも汗をかきかき食べています。ときどき無性にこの辛さが恋しくなるときがあるんです。唐揚げはなんと「油淋鶏(ユリンチー=若鶏のから揚げネギ香味たれ)で、柔らかくて甘みがあって大好きです。餃子も悪くありません。私は中でも「大根サラダ」にはまっています。シャキシャキの大根の千切りにドレッシングがあっさりとしてマッチしています。激辛の担々麺と対照的に美味しいんです。カウンター、テーブル、座敷ともに結構広い店内ですが、午前11時の開店と同時にすぐ満席になる、松江の人気店です。お昼時は行列ができています。私はできるだけ、この時間帯を外して行くようにしています。

 あっそうそう、担々麺といえば、名古屋駅地下で食べた「想吃担担面」(しゃんつーだんだんみぇん)の味が忘れられません。お昼時に大行列して食べたんですが、さすが行列ができるだけのお店だなと思いました。最後に出てくる口直しの杏仁豆腐も最高だった。あー、また名古屋に行きたいな~。❤❤❤ 

▲名古屋「想吃担担面」の担々麺

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

「紙が破れないボールペン」

★恐るべし!ダイソー!!★

 お客さんから借りたお札にペンをブスッと突き刺しても穴があかない、あの有名なマジックは一世を風靡したものです。それが、ついに100均で売られるようになるとは(108円)!超ビックリです! ダイソーの新製品「紙が破れないボールペン」です。

 元々は(今から30年ぐらい前?)、ジョン・コーネリアス(John Cornelius)が発案した画期的なマジックPen Through Anything」でした。私も発売とほぼ同時に手に入れて、よく使わせてもらったものです。このお札に貫通するペンは、世界的なヒット商品となり、その実用性と現象のインパクトから、世界中のマジシャンを虜にしました。その後、数々のコピー商品、改良が加えられ、たくさんの模倣品、後続品、改良品が出ました。2003年にテンヨーから発売になった、「サイキックペン」もその一つで、最後に手渡して検めができるように工夫されていましたね。今回のダイソーのものは、さらにそれに一ひねりを加えて、全く新しい検めができる仕掛けとなっていました。普通のボールペンとしても使うことが出来ます。しかもボールペンのリフィルまで付けて108円です!どうやったらこのクオリティをこんな廉価で作れるのか?まあたくさん売れるでしょうから、元は取れるかな?

 パッケージに記載してある難易度は「Level 3」とあるように、上手に演じようと思ったら、角度や手の位置を少し練習する必要はあるでしょうね。勿論、間違いなく買いです!!ただ、子どもにはチョット難しいかもしれません。紙よりお札でする方がインパクトは強いでしょう。金額も1,000円札より5,000円札、5,000円札よりも10,000円札の方がインパクトが大きくなるでしょう。そして、一番のポイントは突き刺す位置です。中央部分に突き刺すのはNGです。突き刺すときには、少しセンターから外すのがポイントです。引き抜く際には、思いっきり真っすぐに引き抜き取ってください。少しコツはいりますが、これが出来れば360度囲まれていても問題ないですし、相手の目の前にペン先を向けて引き抜くと、とても不思議です。でも、こんなにいいネタが100円ショップで売られる時代が来るとは、私にはとうてい信じられません。凄い時代です。恐るべし!ダイソー!! ♠♣♥♦

【追記】 最近も続々と新製品がダイソーから発売になっています。今日松江で一番大きな上乃木ダイソーをのぞいてみたら、新しい作品がいっぱい入荷していました。かごいっぱいに買い込んできました。中には駄作もありますが、どうしてどうして、傑作も紛れ込んでいます。なにせ108円ですから。

カテゴリー: マジック紹介 | コメントをどうぞ

一カ所だけ間違えろ!

 昨年9月21日放送の「アウト×デラックス」(フジテレビ系)で、大好きな推理小説作家・西村京太郎先生が、電車オタクたちから、ものすごく苦情が来ることを明らかにしましたね。これは面白かった。サスペンスやミステリードラマの原作も多く手がける西村先生をゲストに、ナインティナインの矢部浩之さんとマツコ・デラックスさんがトークを繰り広げた番組でした。西村先生の作品は、鉄道関係の緻密なトリック(例えば「蜃気楼ダイヤコチラです)で有名ですが、最近では寝台列車そのものが無くなってしまったり、列車の窓が全部開かなくなったりしたことから、トリックを創作しずらくなった、とおっしゃっておられました。また、トリック以外にも困っていることがあるとして、列車の詳細な記述を間違えると、ミステリー小説なのに、電車オタクから苦情が来る」「それはすごいですよ」と訴えました。マツコが「そこは大目に見ないんですね」と尋ねると、西村氏は「全然見ないですね」と率直に告白。例として、電車の型番などを間違えると「違ってるぞ!」「見つけたぞ!」という嬉しそうな抗議のクレームがどっと来る、と打ち明けました。一方、出版社の方では「1カ所だけ」間違えろ、と言ってくるのだそうです。その方が、本が売れるのだとか。この暴露話には矢部さんもマツコさんも苦笑し、西村先生「せちがらい世の中なんで…」と漏らしておられました。それを意図的に狙っている出版社の担当者も、相当な策士ですね。本来であれば口やかましいクレーマーとして迷惑・邪魔な存在でしかない「鉄道オタク」を、見事に掌の上で転がしていますものね。おそらく本の中に間違いがあると、一気にオタクの間で大きな話題となって広まり、莫大な宣伝効果が生まれるのでしょう。さらにオタク特有のこだわり気質も相まって、問題箇所が異常に気になってついつい買ってしまう。「鉄オタマーケティング」とでも呼んだらいいのでしょうか。商品にあえてミス(一般人は気づかない程度ですよ)を残しておくというのは、新手のマーケティング手法かもしれません(笑)。

 最新の西村先生の601冊目となる作品、『出雲伝説と木次線』(実業之日本社、2018年1月、840円税別)でそのことを見てみましょうか。この本、私の全く知らない出雲の「スサノオ伝説」に関して本当によく調べて書いておられます。出雲の歴史の勉強にもなる本でした。さて、

 高木と百竹は、山陰本線の宍道駅の三番ホームにいた。木次線の発着ホームである。(中略)「私は、今、いったように、長野県に行かなければならないから、今回の事件については、何も、できないんだよ」と、いってから、「間もなく、京都行の山陰本線の列車が、到着する。失礼するよ」と、立ち上がった。

 宍道駅で、京都行きの山陰本線の列車など存在しません!昔ならまだしも、現在の島根県には京都へ行く列車などないのです。まあ、こんな具合ですかね(笑)。そういえば私自身も、昔の西村先生の小説で松江温泉(現在はしんじ湖温泉)の記述がオカシイことに気づいて、出版社に注意を促したこともありましたっけ。もちろん返事なんか来ませんよ(笑)。

 今私は、602冊目となる『広島電鉄殺人事件』(新潮社、2018年1月)を、そして再刊された『急行奥只見殺人事件』(祥伝社、2018年1月)をチェックしながら丹念に読んでいるところです(笑)。結果は果たして…?

 これに習って、私も授業の中で、1カ所わざと間違える(スリルとサスペンス?)ということを実験的に試みてみました。さすがに北高生、すぐさま反応して誤りを見抜いていましたね。ちょっとこれ病みつきになるかも(笑)。❤❤❤ 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

水戸岡鋭治先生の座席シート

 私が憧れる水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の列車には、オンリーワンのさまざまな特徴があります。先生の車両デザインは、鉄道デザインの枠を超えて広く注目を集め、今までに菊池寛賞、毎日デザイン賞、ブルネル賞(鉄道デザインの世界的権威)、ブルーリボン賞、ローレル賞、日本鉄道賞、グッドデザイン商品選定、観光庁長官表彰、など、多数の賞を受賞しておられます。そんな水戸岡先生の列車を全部制覇することを目論んでいる私は今、先生の列車に一つずつ乗って、それらをこの目で直に確かめているところです(まだ学校に勤務しているのでなかなか遠出ができないのですが…)。今日はそんな一つ、「座席シートの柄が多い」ということを取り上げます。まず下の写真をご覧ください。これらは、最近私が乗った、水戸岡先生の京都丹後鉄道特急「丹後の海」(はしだて)の座席です。バラエティに富んだ座席シートがあることが分かりますね。チョット素敵でしょ?

 水戸岡先生の列車は、座席の張り地の柄が多いのが特徴です。隣り合う座席でも柄が違っている列車もありました。他の鉄道会社の列車では1編成でせいぜい2種類までが普通ですね。どうしてシートの柄が多いのか?それにはちゃんと理由があるんです(先生が家具屋の長男として生まれたことも大きく影響しています)。

 第1は、乗客のさまざまな好みに対応するためです。乗客はみんなさまざまな服装をしていますね。みんなそれぞれ楽しく自分の好みのファッションを楽しんでいるのに、座る座席の柄がたった1~2種類というのが、水戸岡先生には解せない!とおっしゃいます。切符を買うときにも、窓側・通路側だけの基準で選ぶのではなく、自分の好みの柄で座席を選んでもよいではないか、というのが先生の持論なんです。また、その日の気分でも、好きな色や柄が変わってくるはず。そんな微妙な心の変化に対応するためにも、座席のバリエーションは多い方がよいと思っておられるのです。

 第2に(これが重要なんですが)、車両間に自然界の豊かさを導入したいという思があります。これが先生の哲学でもあります。先生が生まれたのは岡山市郊外の吉備津(きびつ)というところでした。身体が弱かったことと、実家の家具屋が忙しかったこともあり、幼い頃は週末や夏休みになると祖母の家に行っては、野原や山で遊びながら、自然の中で得た感動や知識が、今のデザイナーの基盤を形成しています。樹木や花、昆虫などの生き物を観察すると、その種類の豊富さに驚きますね。森の中では、木々それぞれがまったく違う枝ぶりです。信じられないくらいの豊穣なバリエーションがそこにはあります。その枝についている一枚一枚の葉にも、無数の緑色系のパターンが存在しています。こうした子ども時代に田舎でたっぷり遊んだことで、自然の豊かなバリエーションに目を開かされました。先生は鉄道の世界にも、この自然の豊かさを導入したいと思われたのでした。シートの柄なら、一つや二つではなく、なるべく多くして、自然の豊穣さに少しでも近づこうとしておられるのです。先生が、小さいころひたすら描いていた絵は「木」だそうです。今も木や葉っぱを描くのが一番好きなんです。自然界はデザインの塊。どれだけがんばっても、人間はかなわない。ぼくはテキスタイル、布のデザインをするのが一番好きなんだよね。ぼくが作ったパターンは200~300種類ありますよ。同じパターンは一つもない」と。確かに、リニューアルされた岡山の「おかでんミュージアム(⇒私の詳しいレポートはコチラです)の展示でも、乗った水戸岡列車のそこかしこにさりげなく飾られた絵画にも、そのことは感じたことでした。

 デザイナーの仕事は通常、シートの柄のデザイン・イメージを織物メーカーにプレゼンするところまでです。後はメーカーが発注した他のデザイナーが、デザイン・イメージを基に最終的な版下を作り、織機にかける。こうやってサンプルを作り、そこからプレゼンをする、という行程です。柄の種類を多くするということは、当然コストに反映してきますね。通常シートの柄が多くなると、仕事は分担される形になり、数人のデザイナーが関わることになります。すると折半されたデザイン料はわずかなものとなってしまい、どうしても片手間の仕事になりやすいのです。水戸岡先生の事務所(ドーンデザイン研究所」)では、最終サンプルのデザインデータ作成まで全~部行っています。そうするとメーカーのデザイン料金がカットされて安くなります。制作費が浮くので、柄の種類をもう1種類増やしたり、普通は2色でしかできないところが、6色の柄が可能になったりするのです。柄のデザインから色校正、版下製作の工程まで、一括して行っておられます。こうした「一貫性」が、水戸岡列車のシートの多様性と質の高さを支えているのです(シートの柄のみならず、すべてのデザインにおいて、この「一貫性」を見ることができます)。

 水戸岡先生の究極の望みは「曼荼羅列車」(まんだら)で、気の遠くなるような色彩と柄のバリエーションに溢れた列車だそうです。自然は究極の曼荼羅。極彩色の壁や由佳、そして何百種類というシートの柄が必要となってくることでしょう。ぜひ実現してもらいたいものです。❤❤❤

▲特急「ハウステンボス」新型の座席シート 以下同様

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

attempt V-ing~竹林先生の見識

▲右から竹林先生、中尾啓介教授(島根県津和野町出身です)、八幡

 かつての『ライトハウス英和辞典』(研究社)に、こんな用例が挙がっていました。私はこの辞典の編集委員を務めております。問題は(c)の語法です。

(a) The prisoners attempted an escape. = (b) The prisoners attempted to escape. = (c) The prisoners attempted escaping.  囚人たちは逃亡しようと企てた。

 ところが、改訂作業の中で、編集委員のアルトハウス先生(津田塾大学)は、(c)のようには言わない、と指摘されました。編者の故・竹林 滋先生から、この語法に関して確認を取るようにとの指示が回ってきました。それもそのはず、当時、   Quirk et al.(1985)Longman Dictionary of American Dictionaryに容認されていた語法です。そこで、私は知り合いの辞書編集者たちに、この語法の実態に関して尋ねてみることにしました。まもなく、以下のような回答が届けられました(当時は「メール」などという便利なものはありませんから、書面で質問をして、2・3週間後に返事が届くといった時代でした)。

Della Summers(ロングマン辞書部編集長) I agree that (c) is a good deal more unusual than (b), certainly in British English as well as American English. I am not sure whether it merits a usage note , however, as I do not know what the rationale behind your usage notes is.

J.B.Sykes (オックスフォードCOD編者) (b) is normal, (c) very unusual.

Robert Copeland (メリアムウェブスター編集部) We find no evidence in our citations of the verb attempt followed by a participle. Our only examples are for attempt with a “to infinitive” and attempt with a noun phrase(“we have attempted an analysis…”)

Robert K. Barnhart (WBD編者) Item (b) may be the more frequent usage in American English and perhaps in British English as well. As the citations under definition 1 in Oxford English Dictionary show, attempt can take the infinitive or the noun of action. While use of the gerund occurs, it can in some circumstances sound forced

P.Y.Su (ランダムハウス辞書部編者) As you say, (b) is more common than (c).

Dwight Bolinger (言語学者) Yes.

 これらのことより、圧倒的に(b)型が(c)型よりも普通であることが判明しました。当時最新刊であった、イルソン博士たちのThe BBI Combinatory Dictionary of English(1986)初版も、この動名詞の用法に「(rare)」(まれ)というレーベルを付していたことからも、動名詞構文に《まれ》と注記を付けてください、と編集部に回答しておいたんです。すると故・竹林 滋先生から「このようなときには《まれ》として載せるのではなく、収録しないのが学習辞典としての態度。他の場合もこのprincipleでお願いします。つまり現実の言語活動で極めて頻度が低ければ[絶対使わないというのではなく]載せない。」とのご指導をいただきました。以来、その姿勢で辞典の改訂作業にあたってきています。今でもこの語法を掲載している学習辞典(オーレックス英和(「まれ」)、ウィズダム英和(「比較的まれ」とはどういうことか?)、アドバンスドフェイバリット(注記一切なし!))や、Michael Swan, Practical English Usage(4th edition, 2016)『ジーニアス総合英語』(大修館、2017年)のように、不定詞・動名詞のどちらも取ると平気で書いている文法書を見るたびに、この竹林先生の見識を思い起こしています。学校現場では無視すべき語法です。❤❤❤

カテゴリー: 英語語法 | コメントをどうぞ

「足立美術館」外国人過去最多!

 私の三大癒やしスポットの一つ「足立美術館(Adachi Museum of Art、島根県安来市)は(あとの二つは「とっとり花回廊」「由志園)、山陰地方有数の観光スポットです。米国で発刊される日本庭園専門誌の日本庭園ランキングで、14年連続第1位を獲得するなど、海外で高い評価を受けています。⇒私のレポートはコチラです 横山大観のコレクションでも有名ですね。産経新聞』によれば、その「足立美術館」を昨年訪れた外国人は、3万1658人と、5年連続で過去最多を更新しました。年間の総入館者数も、64万3163人で、過去2番目に多かったそうです。総入館者数は前年に比べて、1.2%の増にとどまったそうですが、外国人の入館者は32.1%増と、大幅な伸びを見せました。高い評価を受けた日本庭園の存在や、外国籍クルーズ船の寄港の増加、米子空港のソウル便ツアー客の増加などが原因と思われます。地域別の内訳で見ると、最も多かったのが韓国(33.1%)、以下台湾(31.9%)、米国(8.5%)、香港(6.5%)と続きます。中でも韓国人観光客は、1万472人と前年から倍増だそうですよ。総入館者数も2年連続で60万人を突破したそうで、年中無休の運営や海外プロモーションの展開など、これまでの取り組みを続けていきたい」と同館では語っておられます。

  私はチョット精神的に疲れると、足立美術館」に入って、椅子に座って日本庭園を眺めるのを常としています(入館料2300円)。ボーッと遠くの滝の方を眺めていると、なんとなく心安らかになってくるんです。手入れも行き届いており、本当に癒やされる感動的な日本庭園です。今日、ALTのエドワード先生はまだ行ったことがないと言うので、是非行ってみて、と勧めておきました。私はこの美術館のすぐそばにある広瀬町で育ちました。足立全康(あだちぜんこう)さんが故郷に作ったこの美術館は、私の小さい頃はなんと言うこともない小さな施設だったんですが、今はその規模・内容たるやケタ違いです。❤❤❤ 

足立 全康(あだち ぜんこう)・・・島根県能義郡飯梨村字古川(現・安来市古川町)の出身。実家は農業を営んでおり、尋常小学校卒業後、家業を手伝う傍ら、村の商売の手伝いをし、次第に商売に深い関心を寄せてゆく。14歳の頃、炭を大八車で運搬する傍ら、それを売ることで初めて商売を手がけることになる。その後はさらに商売を手がけてゆき、類い希な商才を発揮してゆく。第二次世界大戦後は、敗戦後の瓦礫の中を駆け回り、大阪で商売を展開。その後不動産投資を手がけ、一代で財産を築く。名古屋の「横山大観展」で見た作品に感銘を受け、後年美術品の収集への情熱へとつながる。1970年71歳で「財団法人足立美術館」を設立。1990年92歳で亡くなる。

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

追試の「お色直し」

★やはり「お色直し」が出題された!!★

 センター試験の第1問の「発音・アクセント問題」は、過去の出題語から必ず出るので(私は「お色直し」「先祖返り」と呼んで注目しています。⇒詳しくはコチラです)、過去の「出題語リスト」を読み込んでおくことがずいぶん役に立つんです。実際、今年のセンター本試験でも、全28語中8語が出題されました。まさに予想通りでした。私は生徒に、模試なども「やりっ放し」にしないで、必ずもう一度「見直し」をするようにうるさく言い続けてきましたが、我々教員サイドもこのように「見直し」をして、振り返ってみることが重要だと考えています。自分の指導したことが、ちゃんと意味のあるものであったかどうか?これを繰り返していると、何が大切で、今後どのようなことが起こるのかが、手に取るように分かるようになります。若い先生方には、ぜひこの姿勢で頑張ってもらいたいと思っています。

●2018年度本試験の「お色直し」●

【発音問題に出題された語】
commit 1996追
convince 2010本
insist 1990本 2000本
journey 1998本 2000追

【アクセント問題に出題された語】
danger 1993追
opinion 1990本
frequently 2000本
supermarket 1992追

 そして私の『2017年英語センター対策本』(自費出版)に挙げられた「頻出語リスト」の的中率を調べてみると、発音問題の12語中7語的中(58% うち★印4語)、アクセント問題16語中12語的中(75% うち★印4語)でした。やはりいつも言っているように、「狙われる単語は決まっている!」ということを再確認しました。「過去の出題語」の一覧表はコチラをご覧ください。

 さて、この一週間後に実施されたセンターの「追試験」においても、この傾向は顕著に見ることができます。なんと全28語中9語が(約3分の1です!)過去問より出題されました!

●2018年度追試験の「お色直し」●  

【発音問題に出題された語】 
honest 2008本 2013追 
honor 2012追 
hour 2010追 

【アクセント問題に出題された語】 
blanket 2000追 
custom 1991本 
distinct 1999本 
assistant 1991本
photographer 1994本
responsible 2007追

 私の「頻出語リスト」の的中率を調べてみると、発音問題の12語中8語的中(67% うち★印4語)、アクセント問題16語中11語的中(69% うち★印10語)でした。まさに「狙われる単語は決まっている!」のです。「賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)、私の好きな言葉です。❤❤❤

【追記】 センター試験が終わり、新しい学年に向けてセンター対策をということで、上記の私の『2017年英語センター対策本』(自費出版、800円)+『解き方の実践編』(サービス)を、生徒のために求めたいという問い合わせが相次いでおります。増刷してまだ在庫はたくさん持っておりますので、ご希望の方はこのブログの右端の「メールはこちら」より、送付先住所、ご氏名、勤務先、冊数を銘記の上、お申し込み下さい。早速送らせていただきますので、届き次第「郵便小為替」でご送金下さい。まだ実物をご覧になったことのない先生方、ぜひこの本で高得点を取って下さい。「英語は絶対に裏切らない!」のです。♠♠♠

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

とんかつ「たていし」

◎週末はグルメ情報です!!

  昔は「とんかつ ふなつ」といっていました。昔から、松江で最もとんかつの美味しいお店、という評判でしたね。2007年に「とんかつ たていし」(松江市砂子町)と名前が変わりました。お隣が居酒屋「ふなつ」です。私の中での「松江とんかつランキング」は、①かつふじ(⇒私のレポートはコチラ)、②でん助(⇒コチラ)、③たていし、④とんかつ一番(⇒コチラ)、となります。

 今日は、久しぶりに立ち寄ってみました。玄関ではこのようなかわいらしい豚さんの暖簾石像がお出迎えしてくれます。いかにもトンカツ屋さんという雰囲気でしょ。大山豚使用のとんかつとご飯は島根の仁多米を使用しています。ご飯がつやつやで光っています。店主の出身地である仁多の最上級の仁多米を使用しておられるのです。美味しい訳です。「ロースカツ定食(200g)」(1,200円)を注文しました。カツは、あらかじめ小さく切ってあるので非常に食べやすいです。サクサクの衣にはしっかり味が付いてるので、タレを付けずにとんかつそのものの味を楽しむのもいいですね。やはり味はロースのもので、肉汁の甘さがいい。カウンター越しに、ご主人がころもを付けてとんかつを揚げるところを一部始終拝見させて頂くことができます。豚は大山ルビーを使用。この豚は鳥取県が赤ブタと黒豚を掛け合わせて作り出した自慢の品種で、まだ生産農家も6件と少なく供給量に限界がありますが、鳥取県自慢のブランドです。キャベツは機械切りでは無くて、手切りなので少し太めで不揃いですが、甘みは十分。ソースは大根おろしポン酢が付いてきて(写真右)、薄めのウスターソースベースのゴマだれがテーブルに置いてあります。両方とも上品な味のソースで、松江らしいテーストです。この2種類のタレは、お客さんが飽きずに食べられるようにとの配慮からでしょう。大根おろしのあっさりしたタレが、ロースカツに良く合います。もちろんキャベツにもよく合います。仁多米の甘みのあるおいしいご飯も、このお店を支えていると感じます。味噌汁も豚汁仕立てで旨し!コストパフォーマンス最高だと思います。ごはんとキャベツは、お替わり自由です。久しぶりに来て、特に印象に残ったことは、(1)カツが小さく切ってあって非常に食べやすかった、(2)お肉が非常に柔らかで口の中でとろけるようであった(他店では時々目茶苦茶肉が固いことも)、(3)ご飯が甘くて実に美味しかった、の三点でした。ちょっと株が上がりましたね。

 再度、松江で「とんかつ」といえば?答えは、やっぱり「人それぞれ」かな?(笑)。でもやはり私の中では①かつふじ、②でん助、③たていし、④とんかつ一番、となります。これが松江の「とんかつ四天王」です。❤❤❤

***************************************

 毎日寒いですね。みなさん、風邪などひいておられませんか?インフルエンザも流行っていますね。私の家の隣の小学校は学年閉鎖です。松江は雪です。車に乗らない私は、どこにも出ることができず、一週間分の食料を買い込んでは、家でじーっといい子をして原稿を書いています。唯一の楽しみは、暖房のついた広い浴槽にお気に入りの入浴剤を入れて、手足をうーんと伸ばして入るお風呂です。ヒーリングライトを付けて、ジャグジーに打たれながら温泉気分で気持~ちよく瞑想をしています。この楽しみが終わったら、ひたすら原稿書きです(笑)。センター試験が終わり、二次対策で授業のコマ数が倍増したために、毎日ヒーヒー言いながら勤務しております。

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「丹後あかまつ」号

 宮津駅で、定時に到着した「あおまつ」を降りると、ホームの向かい側に観光列車あかまつ」が待っていました。「間に合った!」とホッとしました(なにせ乗り換え時間が2分しかないので乗れるかどうか心配していたのです)。この列車に乗るためには「乗車整理券」(540円)が必要で、整理券は座席の数しか販売しないので、着席は保証されているのです。これで「あおまつ」「あかまつ」水戸岡鋭治(みとおかえいじ)先生の電車を2つ制覇です(私は水戸岡先生の電車に全て乗ろうと野望を抱いています。今はまだ学校勤務なのでなかなか思うように旅に出ることができませんが…)。車両はKTR700系をリニューアルしています。天橋立に代表される白砂青松を象徴する「松」の絵をデザインしたロゴです。列車のあちこちにロゴが記されているのも、水戸岡列車の特徴でもあります。女性アテンダントさんも2名乗車しておられ、きめ細かいサービスをしておられましたよ。

 列車は超満員です。列車に乗り込むと、すぐにアテンダントの女性がやって来られて、「ワンドリンクサービス」がついているので「何になさいますか?」と。先ほどの「あおまつ」でコーヒーをいただいたので、オレンジジュースをお願いしました。すぐに「記念乗車証」紙製おてふき」を添えて、席まで持って来て下さいます。観光列車らしいサービスですね。車内は温もりと安らぎを与えてくれる雰囲気が漂っています。座席は、ガイドブックも広げられる大きなテーブルをはさんで四人掛けのクロスシート、二人掛けのクロスシート、窓側を向いた海側を眺められるカウンター席、半円テーブルを囲んで窓向きに座るベンチシート、ゆったり座れる広いソファー、木材ならではのやわらかな曲線を描くチェアなど、目移りがするくらい多彩な座席が用意されていました。列車エントランス付近では、ショーケースに沿線観光地の写真がずらりと勢揃い。ソファー以外は、木製の温かみのある材質が並びます。カーテンは、「あかまつ」らしく赤と白の市松模様です。網棚もウッドで統一され、車内を優しく彩っています。ところどころに小さな本棚が置いてあり、絵本や地元の観光資料、歴史書、列車の図鑑などが並んでおり、まるで「小さな図書館」ですね。トイレの外壁にはマルチスクリーン風のパネルで沿線の情景写真がはめ込まれています。トイレ入り口には暖簾が吊されていましたが、これは水戸岡流デザインの定番ですね(大分駅もそうでした⇒コチラです)。トイレ廻りを利用して沿線の写真パネルや、その隣には、木製のショーケースがあり、工芸品や名産品を眺めることができます。和を取り入れたモダンなデザイン・インテリアが目に付きます。その向かいにあるのがサービスカウンターで、お土産、関連オリジナルグッズ、軽食や飲み物をアテンダントさんが販売しています。車内にはたくさんのアートも展示されていました。車内ギャラリーですね。クリスマスが間近ということもあって、車内はクリスマス装飾が施されていました。「あおまつ」同様、カウンターでは「記念乗車スタンプ」を押すことができるのですが、アテンダントさんが、わざわざ座席までスタンプを持って来てくださいました。サービス精神旺盛ですね。車内には外国人観光客の方も多く、乗車記念にアテンダントさんが回ってきて写真を撮って下さいます。これは博多―由布院間を走っている、やはり水戸岡鋭治先生デザインの特急「ゆふいんの森」のサービスとよく似ていますね(⇒私のレポートはコチラです)。パチリ!

 満足、満足!さて、この次は、天橋立駅から水戸岡鋭治先生デザインの大傑作車両、特急「丹後の海」(はしだて)に乗ります。なお、これら京都丹後鉄道の切符・乗り換え案内・乗車整理券の面倒な手配は、全て「日本旅行」(松江駅)の教え子がやってくれました。私は言われた通りにただ乗るだけです(笑)。ありがたや、ありがたや。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「丹後あおまつ」号

水戸岡列車にまた乗ったゾ!!

 北近畿タンゴ鉄道(KTR)をご存じですか?京都府北部・丹後地方にある第三セクター鉄道で、天橋立や丹後半島への住民の足となっています。北近畿タンゴ鉄道は、京都府と兵庫県を走る鉄道会社で、宮福線(宮津~福知山30.4km)と、宮津線(西舞鶴~豊岡83.6km)を保有しています。かつての国鉄の赤字ローカル線(特定地方交通線)を引き継いで発足しましたが、年々利用者が減り、2012年度には過去最大の8億4150万円の赤字を計上しました。日本の第三セクター鉄道のなかでも最大級の赤字会社です。久美浜で乗ったタクシーの運転手さんのお話では、全国でも三番目の赤字だったそうですよ。それが2015年に、「ウィラー・アライアンス社」に運行を委託してからずいぶんと人気が出た、とおっしゃっておられました。自治体が第三セクターを通じて「下」にあたる線路を整備し、「上」にあたる運行部分を民間企業によって黒字化しよう、というモデルです。これによって、際限ない税金投入を防ぐことができるということなのでしょう。「京都丹後鉄道」の名称で鉄道運行事業を開始しています。

 再建のために、同鉄道では、丹後あかまつ号」「丹後あおまつ号」「丹後くろまつ号」という人気の観光列車を走らせています。「あかまつ」「あおまつ」「くろまつ」車両は、九州新幹線や和歌山電鉄の「たま電車」などの工業デザイナーとして知られる水戸岡鋭冶(みとおかえいじ)先生のデザインだけに、内装に木をふんだんに使って、印象的な列車となっています。もちろん、木は難燃化処理をしてあるので、安全面でも問題ありません。「あかまつ」車両は、乗車券のほかに540円(おとな・こども共通)の乗車整理券が必要です(人気列車なのでなかなか取れないんです)。一方、「あおまつ」車両は自由席です。車体色が赤色と青色と、車両名に合わせた色で一目瞭然、誰でもすぐにそれとわかります。あおまつ」「あかまつ」の列車デザインのモチーフとなる松は、沿線にある天橋立に代表される日本海の白砂青松を象徴しているとのことです。松の形をデザインしたロゴ、字体をデザインしたロゴなどがあちこちに描かれ、アクセントになっています。これは私が今までに乗ってきた水戸岡先生の他の電車にも共通した特徴です。なお、この列車に使用される車両は、新車ではなく、長年普通列車として使われてきたものを、水戸岡鋭治先生のデザインによってリニューアルしたものです。私は今回の旅行で、この両方の列車に乗りたいと思い立ったんです。そのために特急「きのさき」で、京都から福知山へ出て、福知山から宮津まで「あおまつ」で、宮津で乗り換えて一駅たった6分間だけですが、「あかまつ」に乗って天橋立駅まで行く、という強行軍計画です。これで私の目標、水戸岡先生の電車に2つ乗れるということです。事前に宮津駅に電話して聞いたところでは、「あおまつ」から「あかまつ」への乗り換え時間はわずか2分、もし列車の到着が遅れたらそのまま発車してしまうとのことでした(そもそも「あおまつ」も通常運賃で天橋立まで行くのですから、わざわざ乗車整理券を買ってまで乗る人などいないとのことでした)。「あおまつ」に乗りながら、定時に着いてくれよ、と祈っていた八幡です。まずは今日は、最初に乗った「あおまつ」のレポートです。明日は「あかまつ」を取り上げますね。

 京都丹後鉄道の観光列車「あおまつ号」は全席自由席で、通常の運賃のみで利用できる観光列車です。運行区間は福知山西舞鶴から天橋立までとなっていて(1号~4号)、地元の足としても利用されている電車です。私は福知山駅JRから「京都丹後鉄道」に乗り換えて、「あおまつ号」の待っているホームへ急ぎます。可愛らしい列車が待っていました。名前の通り、青い車両ですぐ分かります。乗り込むと、座席は2人掛けのペアシートと、2人掛けシートが向かい合っている4人向かい合わせのボックス席、窓を向いて景観を楽しめる明るい天然木に囲まれるテーブル席などがあります。ウッディな椅子にテーブルもあり、およそ自由席車とは思えない快適さです。他には、地元の名産品などを陳列したショーケースの間に、まるでラウンジのようなソファー席もありました。カーテンやクッションも「あおまつ」ならではのコーディネイトです。各駅停車の列車としては破格のサービスです。各駅停車なので、小さな駅にも丹念に停まっていきます。そのたびに、アテンダントさんはホームに出て、安全確認や乗車チェックをしておられました。名所や駅では、アテンダントの女性が、アナウンス説明をしてくださるのは観光サービスでしょう。初めて乗る人にとっては、分かりやすい沿線説明はとっても有り難かったですね。カウンターで、乗車記念に「クリアファイル」(300円)を購入しました。

 売店となっている「サービスカウンター」を覗いてみましょう。地ビールやお酒にソフトドリンク、軽食のほか、車両の絵葉書、クリアファイル、コースター、シールなどの鉄道グッズも売っています。脇にスタンプ台もあるので、乗車記念に押しておきました。沿線の土地柄をイメージした味わいのコーヒーは、日によって提供するブレンドが変わります。カウンターでアテンダントさんに薦められ「京丹後ブレンドコーヒー」(350円)をお願いしました。わざわざ座席まで持って来てくださいます。ミルクと砂糖が入っている袋のデザインがまた可愛らしいので、写真にパチリ。縛ってある針金入り紐がハート型になっているでしょう!芸が細かい!美味しいマンデリン・コーヒーでした。降りる間際に、アテンダントさんの写真を撮らせていただきました。水戸岡流「気軽に乗れる素敵な観光列車」といった感じでした。今度は宮津「あかまつ」に乗り換えます。乗車時間わずか6分、乗り換え時間2分です。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

justとexactly

 「ちょうど」 という日本語を英訳するときに、高校生がすぐに使ってしまうのはjustという単語です。英語にはexactlyという単語もあります。両者の間には明らかな違いがありますが、高校生はほとんどそれを意識していません。

just 2,000 yen ⇒ わずか2000円 = たいした金額ではない、という気持ちあり
exactly 2,000 yen ⇒ ピッタリ/ちょうど2000円 = 金額が多い、少ないのニュアンスはなく数字を正確に伝えている

 日本語で、「ジャスト2000円」といっているのは、ニュアンスがちょっと違っているようです。この両者の違いは高校生の盲点となっているものです。

The total cost is exactly 600 dollars. ⇒総額はちょうど600ドルです。
Just 30 people came to the party. ⇒30人だけパーティーにきました。
I’ll see you at 5:00 sharp. ⇒5時きっかりにお会いしましょう。
That’s precisely what I’d like to say. ⇒これは確かに私が思っていることです。
exactlyと同じく ピッタリを表すprecisely は、exactly よりも、「きちんと感」があります。こういった類義語の使い方までしっかり学習したいものですね。

 デイビッド・セイン先生の最新刊『ネイティブはこう使う! マンガ よく似た英単語 使い分け事典』(西東社、1800円税別)には、こういった単語の微妙な違いが詳しく解説されていて、とても勉強になります。本書は、大人気の「ネイティブはこう使う!」シリーズの既刊「前置詞」「動詞」「冠詞」「形容詞・副詞」4冊のエッセンスを、1冊にまとめたものです。小難しいと思われた主要な品詞の使い方、日本人が間違いやすい英語表現の使い分け方を、コミカルなマンガで楽しく解説してあり、セイン先生の英語を楽しみながらしっかり学べるコツが満載の1冊ですので、お薦めしておきます。本書は、下記の以前出版された書籍を再編集し、1冊にまとめて書名・価格を変更したものです。
★『ネイティブはこう使う!マンガでわかる前置詞』(2013年4月発行)
★『ネイティブはこう使う!マンガでわかる動詞』(2014年1月発行)
★『ネイティブはこう使う!マンガでわかる冠詞』(2015年1月発行)
★『ネイティブはこう使う!マンガでわかる形容詞・副詞』(2015年6月発行)

カテゴリー: 英語語法 | コメントをどうぞ

小樽駅

 「JR小樽駅」は、昭和を感じさせる懐かしいテイストの駅舎です。札幌から「快速エアポート」で32分。レトロ感たっぷりで、小樽に来たことを実感させてくれる素敵な味のある駅。開業が明治36年(1903)、北海道のガラスの街・小樽の玄関口です。現在の駅舎は昭和9年(1934)の建築です。2010年9月より「ノスタルジックモダン」をコンセプトに、耐震補強工事を兼ねて駅舎のリニューアル工事が始まり、外観は建設当時に復元し、内部のレイアウトも大幅に変更されたそうです。駅舎の中はこんなにも立派です。改札口を見上げると、ランプがいっぱい飾ってあって、「ランプの街」の雰囲気が醸し出されています。特に、エントランス・ホールには、天井高くに一列に吊るされた「ランプのカーテン」が目立っていましたね。夜に訪れると、もっとレトロな雰囲気が出た幻想的な光景です。駅のホームは昔風の構造を残しながら、階下のフロアは機能的な自動改札、駅ナカのお店、コインロッカー、清潔なトイレを配した駅です。ただ、駅前の広場をもうちょっと整備したら、駅舎が映えると感じました。駅の右手がバスターミナルとなっています。

 明治期より盛んに行われたガラス工芸は、小樽の街のシンボルで、そのためか、駅構内の灯りや、街頭にもガラスが多用されていましたね。ランプは昭和62年(1987)、小樽駅の特色を出したい」との小樽駅長の要望を受けた「北一硝子」(HPはコチラ)さんが、108燈を寄贈したことが始まりだそうで、現在ではエントランスホールやホームに飾られている温もりのあるランプがなんと、333燈にもなっているそうです。そしてランプ設置の総費用はおよそ1,000万円だそうですから、1燈あたり3万円もしたんですねえ。

イメージ 3

 小樽駅のホームでも、昼間から明かりを灯すランプが、小樽らしさを演出していました。ちょっとレトロで素敵でしょ?こういった古い伝統も大切に残していきたいものですね。

  ホームは駅舎の2階相当の高さにあり、改札口から地下道を経由して階段を上ってホームへ向かいます。ホームの付番は駅舎側から5、4、2、1番線(3番は中線)となっています。一方、こちらは「裕次郎ホーム」として有名な4番ホームですね。私の詳しいレポートはコチラです 4番ホームといっても、4番ホームの後ろの電車が停まらない部分です。

  1978年5月15日、NHKの番組のロケで石原裕次郎さんが、このホームに降り立ったそうです。そして2003年6月の小樽駅開業100周年記念で、4番ホームに「裕次郎ホーム」と愛称がつけられたのだそうです。4番ホームのランプの上に、裕次郎さんのヨットに見立てたデザインの「4」でホーム番号が表示されていました。

  ホームには石原裕次郎さんの等身大パネルが設置されています。若い旅行客がたくさん写真を撮っておられましたよ。

 また、このパネルの前には、裕次郎さんがこのホームに降り立った記念の銅盤がありました。パチリ!英文のshallの使い方がレトロっぽいですね。

  大スター石原裕次郎さんは、1987年7月17日金曜日16時26分、満52歳で亡くなりました。3歳から9歳までの幼少期を小樽で過ごした彼は、小樽をこよなく愛したそうです。早過ぎる彼の死に、悲しんだファンは、たくさん、たくさんおられたでしょうね。その裕次郎さんを悼む「石原裕次郎記念館」も昨年閉館してしまいました。

 小樽の構内には、「観光案内所」の他、観光&散策に重宝するみやげ物店やカフェ、ベーカリーなどが立ち並んでいました。古き昭和を感じるレトロな駅舎でしたよ。あ~、もう一度小樽を訪ねてみたいなあ~。誰か呼んでくれないかなあ~(笑)。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「えびす屋」の人力車観光!

 「快速エアポート」で、札幌から憧れの小樽駅に降り立った私は、正面の小樽運河」の方へ向かってテクテク歩いて行きました。小樽の街は、駅の周辺に名所観光地が密集しているので、基本は歩きで回るのが常道、との情報を観光ガイドブックか何かで仕入れていたんです。ちょっと歩いたところで、若い人力車の俥夫の方と目が会いました。何か人の良さそうな若者だったので、ちょっとだけ説明を聞いてみました。ちょうど天気も良かったので、風に吹かれての人力車観光もまたいいかなと思い、お願いすることにしました。結果的には大正解でした。「えびす屋小樽店」多田航太(ただこうた)さんです(写真下)。

 真心を込めたおもてなしで旅や観光を楽しんでいただくというのが、この人力車「えびす屋」の基本なんだそうです。観光地元ガイドさんによる超地元密着型観光ですね。いろいろとリクエストをしたんですが、全部叶えてもらいました。樽運河、色内埠頭、倉庫街、北のウォール街、旧山手線、メルヘン通り、と1時間ほどグルッと回ってもらって、最後は私の大好きなチーズケーキ「ドゥーブルフロマージュ」「ルタオ本店」で下ろして貰い記念撮影です。人力車の乗り心地といい、丁寧な接客といい、プロらしい観光情報の語りは、爽やかな風の吹く中、乗り心地も最高で、気持ちの良いものでしたよ。⇒「えびす屋」のホームページはコチラ

 初めて「えびす屋」京都・嵐山で観光人力車を走らせたのは1992年。わずか3台からのスタートだったそうですよ。現在では、京都・東山、小樽、浅草、鎌倉、宮島、倉敷、関門、湯布院と、全国の主要な観光地で人力車を走らせているそうです。感謝の気持ち、誠実な姿勢、おもてなしの心でもって、旅のコンシェルジュとして、最高の旅の想い出作りをお手伝いしていただきました。以来、京都の渡月橋由布院駅門司港レトロ倉敷の美観地区でも、この「えびす屋」さんの人力車を見かけました。全国展開していることがよ~く分かりました。

 地域への感謝歴史や景観が残された風光明媚な町。そこで生活する方々もいらっしゃる中で、皆様のご理解とご協力があってこそ人力車を走らせていただくことができます。私たちは地域社会・地域の方々への感謝を忘れずに今日も走ります。

 あなただけの旅のコンシェルジュ観光地には、ガイドブックや情報サイトにも載らないような魅力がたっぷり詰まっています。そんな町の魅力を知り尽くした粋な俥夫たちが、軽快な走りとガイドでお届けする特別なひととき。人力車でなければ知ることのできない場所・ストーリー・風景をお楽しみいただけます。―HPより

 「えびす屋」では、おもてなし総勢200名を超える俥夫・スタッフの方々が観光地の最前線で日々働いておられるそうです。生きた地元情報を常にキャッチできるこのスタイルが「えびす屋」の強みですね。20年以上に渡り全国の観光地で培った経験を活かして、提供できる最高のおもてなしをしてもらえました。またどこかでお会いしたら、お願いしてみたく思っています。満足、満足!!❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

鳥飼玖美子先生

▲審査委員長の鳥飼玖美子教授と大谷慧くん

 2012年、松江北高の大谷 慧(おおたにけい)くん(現在東京大学で活躍中!)が中国大会で優勝し、第5回全国高等学校英語スピーチコンテスト」(東京オリンピックセンター)に引率した際の、審査委員長が鳥飼玖美子(とりがいくみこ)先生(立教大学名誉教授)でした。大谷くんは6位入賞を果たしたのですが、レセプションの席上で、鳥飼先生(百万人の英語」で育った私にとっては神様のような存在なのです!)から「6人の入賞者の中で、英語の論理にのっとってスピーチしていたのは、大谷くんただ一人でした」と、お褒めの言葉をいただきました。これはとっても嬉しかったですね。早速記念写真をお願いして撮ったのが、上のツーショット写真です。ああ、懐かしい~。

 その鳥飼先生は、昨年浜田市で行われた、島根県高英研の講演講師として島根に来ていただきました。私は行っていないのですが、帰ってきた先生方からはとてもいい話で、ずいぶん会が盛り上がったと聞きました。私は鳥飼先生のお書きになるものはとても勉強になるので、全部読んでいるんですが、そんな鳥飼先生の最新刊『英語教育の危機』(ちくま新書、2018年1月、780円(税別))が届けられました。英語教育改悪がここまで来てしまったら、どうしようもない。もう英語教育について書くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのが本書である。」という、衝撃的な書き出しで始まる現状批判&問題提起の書です。

 今話題の、「民間試験への委譲」がなぜ問題なのか、その問題点をきちんと整理して述べられています。賛否はいろいろと分かれると思いますが(私は鳥飼派です)、現在の問題点をきちんと把握するためにも、英語教師必読の本であると思います。今現場で議論が高まっていますが、民間試験の導入が、現場にどれだけ大混乱を引き起こすのかということの認識は、教師間でまだまだ不十分だと感じています。また、「英語で英語の授業」の一体何が問題なのか、きちんと整理しておくためにも、本書は貴重です。決められたからやる、というのではあまりにも無責任です。私がこの本で一番耳が痛かったのは、「すでに多くの日本の教育現場で、学習者主体と称して、教員が学びを強制することを避け、生徒や学生たちが楽しく活発に話し合い、発表をする、という授業形態が増えている。確かに一見、「主体的」に参加している授業風景ではあるが、それがどれだけ主体的な自立した個人を育てることになっているのか、心もとない」という発言です。私は松江北高に13年間勤めていまして、その間、この教育改革の現場変革を目の当たりにしてきましたが、生徒の英語力(読む力、書く力、聞く力、話す力)がついたという実感は全くありません。むしろ年々落ちていく印象です。いつぞや松江北高の授業を、1年生から3年生まで見ていただいた、私の尊敬するカリスマ英語教師が、控え室に戻って私に一言、「これでは英語の力はつきませんね」と言われたことと一致しています。

 若い先生方はご存じないでしょうが、1974年の英語教育史に残る大論争「平泉・渡部論争」についても、本書は正当な評価を与えています。一般には、「実用英語の平泉」「教養英語の渡部」といった言説でくくられることの多いこの論争ですが、参議院議員の平泉 渉さんは当時、「会話能力が欠如している」だけでなく、「ほとんど読めず、書けず、わからないというのが、いつわらざる実状である」と喝破していました。「実用英語」=「話すこと」と短絡的に捉えた大半の人々が、故渡部昇一先生びいきに転じて、平泉さんは「悪者」になっていったのです。今、平泉 渉・渡部昇一『英語教育大論争』(文藝春秋、1975年)を読み返してみても、なんとなく議論のかみ合っていないもどかしさを感じるのは、この誤解が原因でした。それでも若い先生方には、ぜひこの本を読んで、当時を取り巻いていた英語教育観を感じていただきたいというのが、私の実感です。根の深~い問題であることがよく分かると思います。

【追記】 以前、島根県の英語教員採用試験(当時は超激戦でした)の自由英作文の問題に、小学校で英語を教えることについての賛否」を書いてもらったことがあります。ほとんど全員が賛成で、「早くから始めたほうが効果が高い」という紋切り型の同じようなことばかり書いていて、採点が退屈になったのを記憶していますが、一人だけ「反対」と書いていました。小学校で英語が始まっても教えられる先生がいない、と指摘していましたが、その問題は長年経った今でも、解決していません。

 

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「来宝」

◎週末はグルメ情報です!!

 出雲に美味しいラーメン屋さんがあると聞き、以前から気になっているお店がありました。「ラーメン通も認める絶品ラーメン」と宣伝しているラーメン「来宝」(らいほう)というお店です。⇒コチラです  一畑電鉄の出雲大社線「遥堪駅」(ようかん)を降りて60メートル、1分ほど歩いた所にあります。年末・年始と風邪でダウンしていた私は、出雲大社に遅まきの初詣に出かけた帰りに、遥堪駅で途中下車して、お邪魔してみました。お店の前で5分ほど待って、11時半の開店と同時にお店に入ったんですが、私が食べている間にアッという間にお店はお客さんでいっぱいです。家族連れが多かったみたいです。繁盛店ですね。接客をしてくださる奥さんも、非常に感じの良い方で、これで味が良ければ最高ということだったんですがね(笑)。

 たくさん並んでいるメニューから、私は「醤油チャーシューラーメン」「半チャン」を注文しました。ラーメンの基本はやはり醤油です。このお店の自家製のチャーシューが美味しいと聞いていたので、これを注文したんです。レンゲでスープをまず一口すすります。まずくはないものの、全国食べ歩きをしてレベルの高い私の舌を満足させてくれるものではありませんでした。松江の「谷屋ん」の醤油にはおよそ及びません。チャーハンはしっとり系のあっさり派で、私は嫌いではありません。松江で、チャーハンが美味しいなと私が思うお店は、風々ラーメン(味が堪らない美味しさ)昭和軒(切り身の焼き豚がこれでもかというぐらい入っていて美味しい)西湖(老舗中華料理屋のチャーハンで何とも言えない美味しさ)の3軒です。❤❤❤

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

「空飛ぶペンギン」

 私の尊敬する出版プロデューサー・評論家の川北義則(かわきたよしのり)さんの最新刊『死ぬまで好奇心!』(海竜社、2017年12月)に、こんな一節がありました(私は川北さんの本は全部買って読みます)。私も川北さんに負けないくらい好奇心のかたまりなんです。

 都心の水族館といえば、池袋の高層ビルの最上階にある『サンシャイン水族館』だろう。この水族館のコンセプトは「天空のオアシス」だそうだ。ここに足を踏み入れると、一瞬にして少し前まで都会の雑踏の中にいたことが嘘のように感じる。
 『サンシャイン水族館』に入ってみると、まず目の前の人工の滝とうっそうと生い茂った樹木に驚かされる。「これが水族館?」という」というのが第一印象だ。
 そして大きな水槽の前に立てば、目の前に広がる魚たちの泳ぐさまと海中の鍾乳洞のような情景に思わず息を飲む。
 クラゲがゆったりと泳ぐトンネルをくぐって、オアシスエリアに進む。思わずペンギンが空を泳いでいるように錯覚してしまう「天空のペンギン」も見どころの一つだ。季節によっては、夜8時まで営業しているので、ひと仕事追えてからでも行ける。(pp.46-47)

 ということで、池袋サンシャインシティにある「サンシャイン水族館」に行ってきました。そこで撮った自慢の一枚「空飛ぶペンギン」が次の写真です。

 「サンシャインシティ」は2017年7月12日、「サンシャイン水族館」でリニューアル工事が行われていた、屋上エリアの一部をオープンしました。新エリアでは世界初の展示方法となる「天空ペンギン」「草原ペンギン」が登場しました。「サンシャイン水族館」といえば、2011年のリニューアルで、頭上をアシカが泳ぐ「サンシャインアクアリング」など、“天空のオアシス”というコンセプトで、今までの水族館にない展示方法を取り入れたことで話題となりましたね。それを発展させ、既存の展示方法からの脱却をさらに打ち出したのが、今回の「天空ペンギン」「草原ペンギン」の登場です。「天空のオアシス第2章の完成」と位置付けて、「都会の水族館では他にない空・光・水・緑に満ちた自然環境を実現した空間」と宣伝しています。⇒ホームページはコチラ

▲案内をしてくれた卒業生小川綾音さん(早稲田大学)+草原ペンギン

 

 私が今までに訪れた水族館で、ペンギンの展示と言えば、氷山を模したような岩場や池にペンギンが並び、それを柵の外側から見るというのが一般的でした。しかし「天空ペンギン」は全く別の角度から「ケープペンギン」を見ることができるんです。屋上の端に、向こう側が見渡せる幅12mの水槽の壁を作り、その水槽をそのまま屋根として張り出させた。これにより、ビルの屋上から見える風景とペンギンが泳ぐ姿が重なって、ペンギンがまるで空を飛んでいるかのように見えるのです。さらに見上げると、屋根の部分でもペンギンが泳いでいるため、まるで空飛ぶ鳥のようなペンギンを仰ぎ見ることができるんです。

 「サンシャイン水族館」丸山克志館長「2011年のリニューアル時にも屋外の開放感を生かした展示を作りましたが、まだやりたいことがありました。屋上なので熱いですが、太陽の光を浴びながら緑の中で自然を感じてほしい。都会の空をバックに飛ぶように泳ぐ展示は他にないですから」と語りました。2011年に引き続き、今回のリニューアルの展示プロデュースを担当した中村 元さんは「サンシャイン水族館は屋上があることが特徴。なにより“サンシャイン”だから、空につなげたかった。今回のリニューアルでサンシャイン水族館自体が空につながったと思います。奥行き感が空と海は近いと思っていて、そして都会の空っていうのが面白いです。ペンギンのうち2、3羽は空に向かって飛ぼうとするのもいますから、探してみてください(笑)」

  

 実際に見ていると、マンションを背景にペンギンが泳いでいるのはとても不思議な光景です。さらに、水槽のガラス越しではあるものの、毛並みが分かるほど間近にペンギンの泳ぐ姿が見られるのも面白いと思います。見上げると、太陽と青空の中をペンギンが羽根を広げて泳いでおり、本当に飛んでいるかのような錯覚を受けるんです。これが「空飛ぶペンギン」の言われです。既成概念からの脱却という点で「草原ペンギン」も面白い展示となっています。これは南アフリカのケープタウンに生息する野生のペンギンの姿を再現したもので、氷山のような冷たいイメージではなく、幅約10m、面積約85平方メートルの草原と岩山を模した展示ブースとなっています。滝が流れ落ちる高低差のある岩山を、ペタペタと歩くペンギンを、草むら越しに見るのは新鮮な光景ですね。なお、ペンギンの排泄物は植物を枯らしてしまうため、草地だけにしてしまうとこのような展示はできなかったが、ペンギンの通り道と草地を分け、植物を交換できる仕組みを整えたことにより実現したそうです。この展示に関して、丸山館長は「南アフリカのケープタウンは温暖なため、ここにいるケープペンギンは、日本人がイメージする冷たい世界にいるペンギンではありません。そんなペンギンたちの本来の日常の姿を再現するべく本ブースに取り組みました」とのこと。また、中村氏は「日本では温帯のペンギンを南極のペンギンのように見せてしまうことが多い。実は暖かいところに生息するペンギンのほうが多いくらいです。それをみなさんに分かってほしかった」と語る。他にも新エリアには、ペリカンを真下から見られる水道型の迫力ある展示や、アロワナが飛び跳ねて餌を採る様子を間近で見られる水槽、カワウソが暮らすブースなどがあり、さまざまな水生の動物を見ることができます。ペンギンもさることながら、どの動物も間近で見ることができ、普通の水族館よりも動物との距離が近いと感じました。

  「サンシャイン」というビルの屋上ならではの苦労もあるようで、丸山館長は「使える水量が決まっているなか、広さを保ちつつ都会の空をどう生かすかが課題でした」と語る。また中村さんは「屋上は建築法の関係で屋根を作ることができないので、雨にどうしても弱くなります。それを克服するために、ペリカンの水道など展示物自体を雨よけにして、その下を移動できるように工夫しました」とのこと。さらに「ペンギンが脱走したり、カワウソが草を食べまくったりとブースの管理は大変(笑)。特に草を入れるのはメンテナンスの負荷がかかるのですが、「サンシャイン水族館」のスタッフは『毎日でも草を入れ替えます!』と高い志を持っています。最初に『大人向けにしましょう』といったときは、ずいぶん驚かれましたが、みなさんに協力していただけました。その結果、海外にも注目される新しい世代の水族館を作ることができました。サンシャイン水族館は水族館のアイコンになっていくと思います」と語っておられます。都会のど真ん中にありながら、「天空のオアシス」本当に素敵な癒やされる光景でした。今回は編集会議前の限られた時間での見学でしたが、今度はゆっくりと堪能してみたい気分に駆られる水族館でしたよ。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

【第1問】でつまづいた問題!

★問2と問3!!

 今年の英語センター試験の第1問「発音・アクセント問題」で、全国のかなりの受験生が恐らくつまづいたであろう、と私が思う問題が2つあります(これも私の長年の経験に基づく予想ですが)。まず問3です。今までも部分的に下線部が異なる出題はありましたが(例えば、2015追、2012本、2011本、2010追、2009追、2008追、2007本など)、4つとも全部綴りが異なるのは《新傾向》です。これがなぜ難しいのか?

    ①bird                 ②hard                 ③journey                  ④work

 でも、この問題は、下線の綴りが全部異なるから間違えるのではありません。この4つの単語を自分できちんと発音できる生徒が少ないから間違えるのです。松江北高でもこの4つをきちんと正しい発音ができる生徒はそういません。hearthurthardheard 私は授業で生徒に発音させてみて「全部おんなじじゃないか!!」とよく叱って指導します。中学校の入門期に、この英語特有の「ゥアー」という音をきちんと指導されていない生徒がほとんどなんです。だから発音できるわけがありませんね。ここで面白い現象をご紹介しておきましょう。以前、北高校区の市内・松江一中で、私の親しくさせていただいている尊敬する田尻悟郎(たじりごろう)先生が教えておられ(私の大学の後輩で、一緒に教材を作ったこともあります)、生徒を送っていただいた頃の北高生は、見事にきれいな発音でこれらの単語を発音していました。田尻先生が、自らきれいな発音で指導されるから、生徒も真似ようと必死になるのです。「学ぶ」というのは、まずは「真似ぶ」から入らないといけません。入門期の指導者というのはこれぐらいに大切なのです。教員が出せない音を生徒が出せる訳がありませんよね。小学校3年生から英語を教え始める、5・6年生は教科として教える、がナンセンスなのは、きちんと英語の発音を教えることのできる指導者を確保しないで、フライングしてしまった点にもあります(この点については、鳥飼玖美子先生の最新刊を近くご紹介する予定です)。現職の教員でもきちんと発音することができない人が…。おっと、これは言い過ぎか?でも事実です(笑)。

 もう一つは問2の、「-edの発音」を問う問題です。日頃いい加減な発音で済ませている生徒たちは、きっとこの問題でも落としたことでしょう。いわば学習の盲点ともいうべきポイントを突いた面白い出題でした。

   ①helped         ②laughed            ③poured              ④searched

 でも私の『2017年度英語センター対策本』(第13版)p.9には、この「-edの発音」三種類がちゃんと取り上げられています(-edの前の音がカギを握っています)。(「フプクシュスチの法則-ed の前の発音がf/p/k/sh/s/chの場合は /t/と発音する) (2)「タダの法則-ed の前の発音がt/dの場合は/id/と発音する (3)それ以外の音の場合は/d/と発音する の3つさえ押さえておけば楽勝問題です。①は/p/、②は/f/、④も/ch/ですから /t/と発音します。③だけはそれ以外の音ですから/d/と発音するのです。したがって③が正解。

 おそらく全国の受験生たちが、この2つの問題でつまづいていると予想されますが(ベネッセが3月に各設問ごとの正答率データを届けてくれますので、それを楽しみに見ることとしましょう。果たして八幡の予想は当たるのか、それともデマなのか??)、それにはちゃんと理由があるのです。東進ハイスクール森田鉄也先生が、センター筆記試験が終わった直後の13日のブログに、この問2問3を、いちはやく取り上げておられて感心しました。⇒コチラです  そういう分析をきちんとしておくことが大切です「やりっ放し」にしない!といつも強調していますが、そういう小さな積み重ねこそが大きな成果に結びつくのです。例年、過去に出題された語から「お色直し」で出題されるということに気がつけば、「過去出題語」を一覧で読み込んでおくという準備につながりますね(今年は次の8語が出題:commit, convince, insist, journey, danger, opinion, frequently, supermarket )。❤❤❤

カテゴリー: 英語指導に関して | 2件のコメント

「誠実」でない!

 今年のセンター試験について、私は各予備校がいかに不誠実な対応をするか注目して見ていてください、と注意喚起を促しました。今年だけでなく、毎年反省もなしに、こういったことが繰り返されているんです。新聞やネット上の問題講評も、ピントハズレのことも多く見られます。

《当日第1報の速報》
                  【筆記】        【リスニング】 
◎河合塾           昨年並み         やや難化
◎代々木ゼミナール   難化           昨年並み 
◎ベネッセ・駿台    やや難化         昨年並み
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化
◎城南予備校      昨年並み         やや難化 
「矢印画像」の画像検索結果

 これが、現在は次のように書き換えられました。何の断りも無しにです。

《現在の公表》
           【筆記】        【リスニング】 
◎河合塾        昨年並み         やや難化 
◎代々木ゼミナール   昨年並み         やや難化  
◎ベネッセ・駿台    昨年並み         昨年より難化 
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化 
◎城南予備校      変化なし         やや難化 

 こんな感じです。およそ「誠実さ」に欠けます。自分で本気で解いたら、どれだけ難しいリスニング・テストだったかはすぐに分かります。1日目終了直後に、受験生たちが「一番難しかった」と口々に感想を述べていたのが、よほど正確だったことが分かりますね。私は試験後に編集部からメールで送ってもらった問題を解いて、9問に《難》のマークを打ちました。過去問や日頃の模試ではせいぜい5問までです。もうこの時点でどれだけ難しくなるのか、という予想が出来上がっていました。私が「大幅に平均点は下がります」と、ブログやフェイスブックで断言したのはそういう事情からです。結果は、「昨年並み」どころか、リスニング試験が始まって以来の過去最低点23.05点でした(今までは2009年の24.03点です)。《やや難化》どころか、《大幅に難化》が実態でした。ところが、代々木ゼミナールは、リスニング終了後に「昨年並み」と報じておきながら、17日に大学入試センターの中間速報が出ると、代々木ゼミナール教育総合研究所入試情報室の川崎武司室長なる人物が、リスニングは、耳慣れない単語や全体の内容を踏まえて回答する問題が出題されたため、苦戦した受験生が多かったと思われる」などと、しゃーしゃーとコメントを出しました。なら最初からそう言えよ、と思います。私はこういう会社は絶対に信用しないことにしています。まず私なら「ごめんなさい。試験後には昨年並みと思っていましたが、自分たちの分析が甘く、誤った速報となってしまいましたことをお詫びします。実際の所は~」と、まずは不正確さをお詫びをして、訂正をすると思います。ベネッセ・駿台も同様の罪を犯しています(最近の「駿台」は駿台模試からして、ほとんど毎回のように不備があり、いい加減な問題作成が目立ちます。こんな会社ではなかったはず!反省はないのか??)。「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などと悪質なデマを飛ばした英語教師の言うことも、これからは信用なりません。自分で解いてみれば、すぐ分かることですから。結果論だったら、誰でも言えます。そのプロセスが問題なんです。私が尊敬するパナソニック創業者・松下幸之助さんは、人間で最も大切なことは、「誠実さ」であり「素直さ」であると言っておられます。それが欠けています。

 毎年繰り返されるこういうことに、声を上げる人がいないので、今年は敢えて踏み込んで、問題提起をしました。明日は生徒たちがつまづいた問題を取り上げます。😠😠😠

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

センター試験平均点「中間集計」発表!

 私は今年のセンター試験直後に、このブログやフェイスブックで次のように書きました。いつもここまで言うことはないのですが、いい加減な予想を無責任に書く人間に、憤りを覚えたからです。【筆記】に関しては問題を送っていただいた13日の午後7時前の電話取材で、「第5問題を除けば難しくはない」と正しく予想しておりました。

いずれにしても自分で解いておきながら、「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などという、悪質なデマを飛ばす英語教師の言うことを信用してはなりません。あのリスニング問題を自分で解いてみたら、とんでもなく難しい(スクリプトを読んでも正解にパッとたどり着けなければ、聴いて分かる訳がありません)と思わなければウソです。少なくとも私は9問題に《難》をつけました。いつもは5問までです。大幅に平均点は下がります筆記は速報でも書きましたように、第5問が難しいです。これに時間を取り過ぎて、簡単な第6問に、時間的なしわ寄せが来るのが一番怖いことです。それ以外には心配の要素はありませんから、平均点は高くなると思われます

 1月17日に、大学入試センター「中間集計」が発表になりました。それによれば  ⇒コチラです

【筆記】   125.50点   ←昨年 123.73点

【リスニング】 23.05点   ←昨年 28.11点

 まだ260,827人の集計で、半分にもいかない「中間集計」ですので、もうちょっと低くなるのかなとは思いますが、私の予想通りであったことがお分かりいただけるかと思います。各予備校の予想がコロコロ変わることや、難しいか簡単かの判断もできない英語教師が多いというのは、残念なことです。上のようなデマを飛ばした人たちが、どんな気持ちでこの集計発表を見たのか聞いてみたいですね。センターの過去問や、日頃の模試を「やりっ放し」にしないで、本気で(この「本気で」というのが大切なところです)解いて、それを追検証するという努力を続けていれば、こんな惨状は起こりません。いかにいい加減な姿勢の人間が多いかということを、毎年この時期になると痛感することです。😢😢😢

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

鎮魂「神戸ルミナリエ」

 今から23年前の1月17日午前5時46分、阪神淡路大震災」神戸が火の海に包まれました。6,434人がお亡くなりになりました。私はその前年に担任した生徒たちが、神戸・大阪方面の大学に進んでいたので、安否が心配で電話をかけまくったのを覚えています。みんな無事でした。一人だけ連絡のとれない生徒がいましたが、彼は大阪から歩いて神戸に入り、炊き出しのボランティアに加わっていたのでした。その彼、永瀬丈嗣(ながせたけし)くんも、今では大阪大学・工学部の准教授、一昨年松江北高を訪ねてくれ、大阪大学を希望する受験生たちに講話をしてくれました。⇒コチラです      その永瀬くんが高校時代を振り返って、北高生にアドバイスを贈ってくれました。成績を上げるために、(1)素直になる (2)日々の生活を大切にする (3)読書 の三点について語ってくれています。今日の3年生の理系の二次試験へ向けてのスタート授業で、再配布して生徒たちに紹介しました。非常に参考になる文章ですので、ぜひご覧ください。⇒コチラです

 昨年12月14日、2回目の「神戸ルミナリエ」に行ってきました。「ルミナリエ」は、ヨーロッパ・バロック時代(16世紀後半、ルネッサンス期)に盛んに創られた祭礼や装飾芸術の一つとして誕生した、光の魅力をふんだんに駆使した建築物がその起源とされ、やがてイタリア南部において電気照明を使用した幻想的な光の彫刻に変化を遂げて、現在の形態になったものです。さまざまなデザイン様式の木製アーチの構造体に、色とりどりの電球で彩色が施され、その設置デザインによって、三次元的な芸術空間を創造するもので、アーチ型構造体を道路上に設置した「ガレリア」と呼ばれる遠近感のある回廊や、「スパリエーラ」と呼ばれる光の壁掛けなどで構成されています。実に見事な美しさです。

 「神戸ルミナリエ」は、1995年(平成7年)1月17日に、兵庫県南部地方を襲い甚大な被害をもたらした「阪神・淡路大震災」の記憶(6,434人がお亡くなりになっています)を次世代に語り継ぐ、神戸の街と市民の夢と希望を象徴する行事として毎年開催されているものです。大震災が起こった年の12月、悲しく痛ましい出来事による犠牲者への慰霊と鎮魂の意を込めた「送り火」として、また、間もなく新しい年を迎える神戸の街の復興・再生への夢と希望を託して「神戸ルミナリエ」が始まりました。未だ震災の爪痕が色濃く残る中、復旧途上にあった神戸の夜に初めて灯されたイタリアからやってきた荘厳な光の芸術に、連日感嘆の声が上がり、震災で打ちひしがれた神戸の街と市民に大きな感動と勇気と希望を与えました。そして、会期終了直後から、継続を求める強い声が市民や各界から寄せられ、翌1996年の再開催が決定しました。以来、神戸市民や来場者、趣旨に賛同する事業者の皆さんのご支援と、地元の皆さんの理解・協力により、毎年途切れることなく継続されています。今年で23回目となります。毎年その年のテーマに沿ってデザインし、このデザインに合わせた部材をイタリアから運んで、イタリア人職人と日本人スタッフの手によって組み立てられています。今年のテーマは「未来への眼差し」でした。「この土地が歩んだ150年間の歴史を回顧し、そして同時に、私たちの夢を叶えるために、私たちの瞳に希望の光をともし、前方に広がる未来を見つめましょう。22年前、助け合い、団結し、悲しみと絶望を克服し、地域社会がより強い絆と協調性で結ばれました。過去を記憶の内に留めながらも、瞳に希望の光を灯し、新しく訪れる日々を歓迎しましょう。」(ダニエル・モンテベルデ)ただ、以前は2週間程度行われていたのが、現在は10日間に縮小されています。経費の問題でしょう。会場・通りでは毎年「100円募金」が行われています。今年は、全10日間で3,396,000人が訪れました。

 今年の「ルミナリエ」(12月8日~17日)は、「神戸開港150年」、来年が「兵庫県政150周年」であることから、特に作品の充実を図り、大きな節目となる年にふさわしい作品を多数設置していました。2年前に来たときには、点灯時から見ようとずいぶん早い時間から行列に並んで、すごい人だかりにわずか一歩ずつしか進まないのに辟易したので、今回は時間をちょっとずらして、ホテルオークラでまず食事を取ってから出かけました。最後の金・土・日はすごい人だかりになるから、水曜・木曜あたりが狙い目だよ、と聞いていたので、私は木曜日に出かけたんです。正解でした。すごい人には変わりがありませんでしたが、前回ほどののろのろペースではありませんでした。HPを見ると287,000人だったそうです。

(1)仲町通りの作品
旧外国人居留地の仲町通りに設置する作品の距離を延長し、総延長は約270mとなりました。会場のスタート地点は巨大な塔とそれに続く光の壁、さらにその奥にアーチ状の装飾による玄関作品「フロントーネ」を配置します。固唾を飲むような美しい門から中へと入っていきます。さらに、「フロントーネ」から続く「ガレリア」(瞬きの間)にも、前半の作品は側面をアーチ状の壁で連結するとともに、後半の作品は1基ごとに側面に「ウイング」と呼ばれる装飾を施し、明るく華やかな回廊が出現します。

(2)東遊園地の作品
仲町通りを通り抜けて到達する東遊園地には、三連の光の回廊作品「ガレリア」と光の壁掛け「スパッリエーラ」(バラの冠)を組み合わせた壮大な作品が設置され、光の聖堂「カッサ・アルモニカ」に至る光の空間を創造しています。「ガレリア」の東遊園地への設置は今回が初めてとなります。中に入って眺めることもできます。

(3)記念作品の設置
神戸開港150年記念作品と兵庫県政150周年記念作品「ソロピース」(光の森)を、東遊園地内内に設置していました。

(4)噴水広場の作品
東遊園地の南側・噴水広場には二本の「タワー」「スパッリエーラ」を配置します。噴水広場の作品は音楽に合わせて光が躍動し、夢のような楽しい会場を演出します。神戸市内の食品メーカーを中心とした食の逸品ブースやミニコンサート実施していました。

(5)電球について
作品に使用した電球数は約40万個で、全てLED電球を使用します(昨年の使用数:約30万個)。

 まるで、大きな宝石箱の中を歩いているようでした。最後に公式売店で、キーホルダー等の募金3点セットと記念ファイルを買って帰りました。目の保養になりました。♥♥♥

【追記】 楽しいルミナリエだったんですが、寒い中たくさんの人に囲まれたせいでしょうか、ひどい風邪をもらってしまって、年末・年始はダウンでした。何とか授業にだけは穴を開けずに頑張りましたが、辛かったこと…。3キロぐらい痩せました。

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

センター試験あれこれ

 各予備校が、センター試験の平均点予想を始めました。これが実にあてにならない。毎年のことですが、自己採点の経過が判明するにつれて、巧妙に書き換えられていく様を毎年見ていて滑稽に思っています。14日(日)の私のブログに、各社の一報を記録しておきましたから、これを基に、各社がどうコロコロと見解を変えていくか、注視してご覧ください。面白いですよ。いずれにしても自分で解いておきながら、「英語の平均点は筆記もリスニングも昨年並みだと思います」「(リスニング)全体の難易度は昨年度と同程度である」などという、デマを飛ばす英語教師の言うことを信用してはなりません。あのリスニング問題を自分で解いてみたら、とんでもなく難しい(スクリプトを読んでも正解にパッとたどり着けなければ、聴いて分かる訳がありません)と思わなければウソです。少なくとも私は9問題に《難》をつけました。大幅に平均点は下がります。筆記は速報でも書きましたように、第5問が難しいです。これに時間を取り過ぎて、簡単な第6問に、時間的なしわ寄せが来るのが一番怖いことです。それ以外には心配の要素はありませんから、平均点は高くなると思われます。

 今年の「不正行為」です。馳文科大臣の時から、それまでは㊙だった「不正行為」の実態(県名と内容)が発表されるようになりました。今年は、大学入試センターは、4都府県の試験会場で4件の「不正行為」があったとして、男女4人の受験全科目を無効にしたと発表しました。13日に京都の会場で行われた外国語の試験と、14日に東京の会場で行われた数学の試験で、終了してもマークシートの修正を続けた受験生がいました。大分ではリスニングの開始前から問題冊子を開いてICプレーヤーを操作し、福岡では数学で使用が認められていない分度器を使っていた生徒が「不正行為」とみなされました。

 13日午前8時ごろ、北海道白老町竹浦のJR室蘭線踏切で、札幌発函館行き特急「スーパー北斗4号」(私の大好きな列車です)と乗用車が接触しました。特急はそのまま走って登別駅で停車して1時間40分にわたって運転を見合わせました。けが人はいなかったものの、困ったのが試験会場の室蘭工大に向かう予定だった受験生たちです。1人が登別駅からこの特急に乗る予定で、後続の普通列車には3人が乗っていましたが、足止めとなってしまいました。このピンチを救ったのはJR北海道警察のまさに“神対応”でした。登別駅で室蘭署員とJR北海道の職員が、「受験生はいませんか?」と声をかけて回り、ホームで受験生を発見。すぐさまパトカーに乗せて会場まで運び試験時間に間に合いました。足止めになっていた普通列車の3人も、同様の声かけで発見。JR側がタクシーを手配しますが、間に合いそうにないので、苫小牧署が近くの交番からパトカーを緊急配備しました。3人は約1時間かけて試験開始の約15分前に到着しましたが、「入室終了時刻」に間に合わず、試験に関する説明が始まっていたために、別室で約4分遅れで試験を受けました。道警通信指令課によると、以前から列車事故など予期せぬ事態により足止めされた人について緊急性がある場合は、受験生に限らずパトカーに乗せるなどの対応をしているとのことです。3人を運んだ苫小牧署は「この日のために勉強に励んできた受験生の努力が事故によってふいにならず、ひとまず安心している」としています。お見事!JR&警察

 山口県岩国市の県立岩国高校で14日に給水設備が故障して、校舎のトイレが使えなく(!)なりました。体育館のトイレは使用可能で、消防に給水車を手配して校舎のトイレも流せるようになったので、午後の数学を1時間遅れで実施しました。大阪学院大学では、13日リスニングの試験中に受験生一人が嘔吐して、試験室全体で中断すべき所を、監督者が「周囲に影響はない」と誤った判断をして続行してしまいました。予期せぬハプニングです。

 本当に受験は何が起こるか分かりません。これからの二次試験もそうです。くれぐれも時間に余裕を持って、万全の準備をして臨みましょう。八幡は大学入試の際には、タクシーで朝の6時頃大学に着いて(!)、施錠してある門を乗り越えて、キャンパス内でのんびりと時間を過ごしていました。懐かしい!!❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

ゆーきさん

 1月7日(日)に、遅ればせながら初詣に出雲大社に行ってきました。神門通りを出雲大社へ向かって歩いていると、正門前のご縁横丁で、どこかで見かけたことのある人がいます。近寄ってみると、「ゆーき」さんです(31歳と言っておられました)。ストリート・マジックを、道行く参拝客に見せておられました。私は昨年の10月14日に、イオンモール松江店特設ステージで、彼のマジック・ショーを見たことがあったので、見覚えがあったのです。人形の腹話術や、カードマジック、ルービックキューブ、メンタルマジック、子供をステージに上げての楽しいショーでした(写真上)。

 初めてお話を伺いました。松江市で保育士をやっておられるとのこと。お正月はここでストリート・マジックを披露しているとのことでした。ホームページによれば、 「おしゃべりエンターテイナー ゆーき」さんは、1986年 島根県雲南市に生まれ、大東高校より、倉敷の短大を卒業後、人形劇学校へと進路を向け、愛知の老舗人形劇団に所属。幼児向け作品の上演メンバーとして中部地方を中心に幼稚園・保育園・イベントへと出演し活躍。2012年開催の神話博島根神話映像館スサノオ役を機に島根へ帰郷。マジックを独学で習い始め、あるときは腹話術やマジックを行なうパフォーマー、あるときは司会またある時はレポーターとして年々、島根を中心に活動の場を広げておられます。現在、土曜日のTSK「ヤッホー!」の中継レポーター、FM山陰「ちぇけら♪FRIDAY♪」の助手、FMいずも「スタジオ801」水・金のメインDJを担当。また、地域のイベントや幼稚園、保育園の行事に活躍しておられます。

 有名な「アンビシャスカード」から、あざやかな「サイフに通うカード」を見せてもらいました。パチリ、宣伝ボードを持っていただいて記念撮影です。路上でマジック談義に花が咲いている時に、「八幡先生!!ニット帽ですぐにわかりました」と、松江北高の卒業生に声をかけられました。大学卒業後、4年間養護学校に勤めていると言っていました。いつも感じることですが、どこにいても誰かに見られているので、本当に悪いことは出来ませんね(笑)。私もマジック大好きで、道具を大量にコレクションしていること、最近手に入れたとんでもないダイス・マジックのこと(Mental Dice)、私のウェブサイト「チーム八ちゃん」内の「マジック」のカテゴリーをご紹介して別れました。またぜひ、演技を見せていただきたいものです。♠♣♥♦

カテゴリー: マジック紹介 | コメントをどうぞ

今年のセンターはどこが変わったのか?

 センター試験(筆記)、私は今年は大きな変更はないと見ていましたが(根拠となったのは、いつも言っているように、前年度の「追試問題」と、大学入試センターが公表している「評価委員会報告書」)、基本的に大きな変更はありませんでした。しかしよ~くよ~く見てみると、細かな点でいろいろと変わった点がみられますので、まとめておきたいと思います。

(1)センター試験始まって以来、ずっと出題されてきた第3問Aの「対話文完成問題」が姿を消しました。その影響で、第2問Cの「応答文完成問題」の発話数が、昨年度までの2から4または5に増えました。従来の第3問Aの要素が第2問Cに組み込まれた模様です。配点が4点から5点に増えたのもそういう事情と思われます。これが今年一番の変更点でした。

(2)第4問Bの「広告問題」の設問数が、昨年度までの3から4へ増えました。計算問題が復活しています。

(3)第5問の「物語文読解問題」の素材が「日誌」形式で出題されました。今までにない出題形式で面食らった受験生も多かったと思います。ただし、主観的な視点から書かれた文章を読み取るという点では何も変わりません。最後まで読み進めないと宇宙人が地球を探査しているという設定が分からないので、これは読みづらかったと思います。《難》

(4)第1問A 問3で、下線部の綴り字が4つとも全部異なる単語で出題されました。近くは2015追、2012本、2011本、2010追、2009追、2008追、2007本などで一部異なる綴り字で出題されていますが、全部違うというのは《新傾向》です。

(5)近年減少傾向だった「カタカナ語」ですが、純粋にはjourney, engine, supermarketの3語と思いますが、ちょっと緩めて見てみると、hard, work, advance, limit, foundation, championship, deliveryも含めることができそうです(計10語)。そうすると、この二年「カタカナ語」復活という視点もあり得るかと考えます。

(6)読解量が昨年よりも増えました。ここ近年ずっと総語数が増えている傾向を引き継いだものと思われます。⇒コチラをご覧ください(中川右也資料)

 各予備校が試験の難易度を予想しています。ただしこれは毎年、時間が経つにつれて(自己採点の状況が判明するにつれて)、黙って巧妙に書き換えられて(!)いきますから見ていて下さい(笑)。

                  【筆記】        【リスニング】
◎河合塾           昨年並み         やや難化
◎代々木ゼミナール   難化           昨年並み 
◎ベネッセ・駿台    やや難化         昨年並み
◎東進ハイスクール   昨年並み         やや難化
◎城南予備校      昨年並み         やや難化 

 

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

宮地ハムの手造りロースハム

◎週末はグルメ情報です! 

 毎年この時期になると、書道の別所先生にお願いして、佐賀県・武雄市(株)「宮地ハム」の手造りロースハムを届けていただくんです。私が食べた中で、どこのハムよりも美味しい!気に入っています。原料に厳選した佐賀県産豚肉の下ロ-スを添加物を最小限に抑え、12日間ほどじっくり漬け込み熟成させ、香り豊かな風味としっとりとした舌ざわり、脂身のとろける美味しさは絶品です。ドイツ製チップで燻煙し、仕上げる本格派のハムです。旨味のある脂、しっとりした肉質は芳醇な香りと濃厚な旨みをかもし出し、「宮地ハム」流のこだわりがつまった逸品です。新鮮な豚肉の旨みを上品に残した、なめらかで、きめ細やかな食感と味わい。味覚の満足、スモークの香りによる嗅覚の満足、フレッシュなロースの色の視覚の満足という絶妙のハーモニーを楽しむことのできるハムなんです。うすーく切っても、分厚く切っていただいても、どちらも堪らない美味しさです。私の大のお気に入りのハムです。今年も年末に別所先生から届けていただき、あっという間に、なくなってしまいました。それぐらいに美味しい一品です。❤❤❤

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

やはり「お色直し」が!

 センター試験【筆記】が終わりました。私も一通り目を通しました。私は今年は大きな変更はない、と見ていましたが、第3問Aの会話文がなくなった(その分第2問Cの語数が増えた)こと、第5問が日誌の抜粋の形で出題された(これは実に読みづらい英文《難》)こと、若干の配点の変更があったことくらいでしたね。読む量は昨年よりも増えています。他はそんなに難しい問題はありませんでした。

 昨日の最後の授業でも、第1問の発音・アクセントは過去の出題語から出るので(私は「お色直し」と呼んで注目しています。⇒詳しくはコチラです)、もう一度「出題語リスト」を読み込んでおくように指示しましたが、やはり案の定、全28語中8語が出題されました。予想通りです。

●2018年度の「お色直し」

【発音問題に出題された語】
commit 1996追
convince 2010本
insist 1990本 2000本
journey 1998本 2000追

【アクセント問題に出題された語】
danger 1993追
opinion 1990本
frequently 2000本
supermarket 1992追

 そして私の『センター対策本』の頻出語リストの的中率を調べてみましょう。発音問題の12語中7語的中(58%うち★印4語)、アクセント問題16語中12語的中(75%うち★印4語)でした。やはり「狙われる単語は決まっている!」のです。そして問2に「-edの発音」(helped, laughed, poured, searched)が問われましたが、これは対策本に書いてある「フプクシュスチの法則」を知っていれば簡単に解ける問題でした。「カタカナ語」(近年減少中)は、journey, engine, supermarketの3語が出題されました。第1問に関して、やるべきことをやっていた受験生は満点を取ることができたと思います。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

北高絵馬神社

    「これは何だ??!」年が明けて、いつものように松江北高図書館へ行くと、図書館の前に大きなご神木があり、よ~く見ると、たくさんの「絵馬」が掛けられていました。いろいろな願いが印されていましたが、特にセンター試験を控えた受験生の願い事もたくさん飾ってありました。司書さんのグッドアイデアで飾られている「北高絵馬神社」です。私も一枚書いてぶら下げておきましたよ(笑)。年末には「クリスマスツリー」がきれいに飾られていました。図書館もこうした工夫で、生徒たちがたくさん足を運ぶようになります。

 今から13年前、私が北高に赴任した頃は、朝6時半に、学校の生徒昇降口を警備員さんが開けられるのと同時に登校して、図書館へ直行、始業時までの約2時間を勉強に充てている生徒が結構いたものですが、今はその時間、図書館も真っ暗です。私も6時半に学校に行き、生徒と一緒になって勉強していたものです。時代が変わりました。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

まず変更がないか確認を!~「練習は本番のように、本番は練習のように」

★センター試験で大切なこと!

 センター試験の会場で、筆記】試験問題が配られ、試験開始の合図があったら、まず最初にしなければいけないことは、問題用紙を1ページからパラパラとめくり、問題の出題傾向に大きな変更がないかどうか確認することです。これをやらずに、第1問からサッサと解き始めてしまうと、大きな変更のあった問題にぶつかったときに、動揺が走ります。人間初めて見る問題はなかなか冷静にとらえることができないのです。まず最初の1分でサーっと目を走らせ、例年と大きな変更がないかどうか確認をします。なければいつも模試を受験するときにやっているように平常心で解き始めます。「本番は練習のように、練習は本番のように」というのが私の指導哲学です。予め変更点が分かったときには、心の準備だけしておくといいのです。「あー、あの問題が例年とは違うぞ!」という気持ちで、そこへ向かっていきます。全国の受験生全員がこの問題にあたるわけですから条件は同じです。そして新しい傾向の問題が出題された1年目は、易しい問題が多いことも頭に入れておきましょう。このことを毎年口が酸っぱくなるほど言っていて、大きな変更があった年度には、「言われたとおり、予め見ておいて良かった」と、卒業生たちにずいぶん感謝されました。今年は大きな変更はないだろうというのが私の予想です。

 受験番号氏名科目コードを忘れないことは常識ですね。以前の勤務校で、三年生最後の定期試験をマーク試験として、マークリーダーで採点をすることにしました。試験前に何度も受験番号をマークしないと0点にするよ、と予告して、当日の試験においても教室を周り、そのことを確認したにもかかわらず、マークし忘れた生徒が数人出ました。約束通り、0点で処理して成績会議に臨みましたが、担任を始め先生方から苦情が出て「ひどい!かわいそう!」ということで、もう一度再試験をするということになりました。何らオカシナことをしていないのに、悪者にされたことに納得がいかない私は、それ以上一切関わり合いませんでしたが、その年のセンター試験の本番で、その該当生徒がやらかしてしまいました。日頃いい加減な生徒は、本番でも同じことをしがちなんです。あのとききちんと反省していれば、いくらでも防げた誤りです。あそこで甘やかしてしまった担任を始め、先生方はメンツまるつぶれでした。「練習は本番のように、本番は練習のように」を疎かにしていると、思わぬ落とし穴にはまります。本番で「受験番号」を忘れたらどのようなことが起こるか、松江北高でも知らない生徒、教員(!)がたくさんいます。0点になる」と本気で思っている人もたくさんいます。私は2回実体験をしているので、生徒たちには実力で点が取れないのはまだしも、こんな基本的なことで足下をすくわれるのは絶対に避けよ、と言っています。―「経験は最高の教師である。ただし月謝が高い」(トーマス・カーライル)

 自己採点では、162点を取ったことになっており、楽勝気分で二次出願したら前期・後期ともに不合格でした。ほとんど合否の読みは狂うことがないように、私は長年自己研鑽していたつもりでしたが、この結果だけは理解が出来ませんでした。後日、成績開示の得点が返ってきたのをみると「0点」となっていました。原因はアレでした。⇒コチラです  自己採点もきちんと出来ない人が、全国の受験生で8割以上もいるという予備校のデータがあります。いかに正確な自己採点が重要かは、受験指導を長年やった先生なら、よーくよく分かっておられることでしょう。最近、2017年度の英語センター本試験の分布で、平均点付近で2点違うとどのくらいの順位が違ってくるのかを、同僚の正村先生に計算してもらいました。それによれば9,504人です。長文問題1問6点違うと、28,621人です。たった1問でこれだけ順位が異なってくるのです。⇒詳しくはコチラ  模試の判定でも、自己採点がデタラメ状態では、デタラメな志望校判定結果しか返って来ませんね。ましてやこれが本番となると…?この恐ろしさを生徒にきちんとデータで伝えて、毎回追跡をかけて、限りなく自己採点ミスを0点に近づけていく努力を怠ってはなりません(現場でこのことがどれだけできているか、はなはだ疑問!)。これもやはり「練習は本番のように、本番は練習のように」です。自己採点が結構違っていたのに合格できた、と安堵する生徒たちがたくさんいますが、それは全国のほぼみんなが間違っているからで、「自己採点、みんなで間違えれば怖くない」の世界です(笑)。

 今日述べたことの要点を、もう一度最終確認しておきましょう。

①試験問題が配られ「解答始め!」の合図があったら、問題用紙を最初から最後までサラーと眺めて、例年と大きな傾向の変化がないかどうか確認してから、解答を始める。
②受験番号・氏名・科目コードのマークを絶対に忘れない!再確認も!
③自己採点は慎重の上にも慎重に行い、誤差0で二次出願に臨む!そのためにも本番では、問題用紙に自分の解答の転記をきちんと行うこと。

★今年のセンター試験受験者582,669人。さあ、これで本番、頑張ってきて下さい!!

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

センター第2問A対策

 センター試験の第2問Aは「文法・語法問題」です。私が教えている松江北高・補習科の生徒たちは、現役時代に『ヴィンテージ』(いいづな書店)を3回あげているので、昨年の7月に、私の『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(桐原書店、760円+税)を配布して、最後まで解答して、自己採点をしてくるように指示しました。1冊を終えて持ってきた生徒には、次の三つをさらに課題として課しました。これだけのことを、昨年の夏休みを使って仕上げています。

(1)この問題集で間違えた問題を、もう一度あたって完璧にしておくこと(「やりっ放し」にしない)。放置しておくと同じ所をまた間違える。

(2)「きりはらの森」のアプリで、「すきま時間」のあるときに、過去問をゲーム感覚で10題・20題・30題を繰り返しチェック練習すること。⇒このアプリの詳細はコチラです  ★これオススメのアプリ(無料)です

(3)1990年から2017年までのセンター本試験に出題された問題をプリント「第2問題A最終チェック問題」を使って全部仕上げること。このプリントは、全国の高校生の正答率に基づいて難易度が色分けされている13枚のプリントです。⇒「ダウンロードサイト」に登録しておきました。コチラです

 このジャンルの問題は、「知らなければできない」知識を問う問題ですから、サクサクとスピーディーにこなさなければなりません。そのためにも「量」の裏付けが必要な箇所なのです(文脈や対話の場面に応じた使い方ができるかどうかと絡めて出題されています)。それともう一つ。出題される分野に、狙われるジャンルが存在しますので、特にそこは重点的に演習します。過去のセンター出題歴から見るベストテンは次の通りです。圧倒的に「動詞」関連が多いようですね。

【センター試験文法・語法出題項目頻度】
①熟語・語法     220題
②動詞        108題
③時制         71題
④名詞・代名詞      61題
④冠詞・形容詞      61題
⑥前置詞        39題
⑦関係詞        33題
⑧仮定法        26題
⑨態          22題
⑩不定詞        21題
次点 接続詞      20題

 一時、第2問Aは、「語彙」の問題が大半で、文法問題は影を潜めていた時期がありました。しかしこの数年、再び文法問題へ原点回帰する、という変化が起こっています。きりはらの森」では、この第2問の「傾向と対策」を、私たち『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(ピアソン桐原、760円+税)』の編著者である中川右也先生(三重県鈴鹿高校)が、動画解説しておられますので(2本)、1・2年生はこれを見るとどのような心構えで、第2問の勉強に臨めば良いかがよく分かると思います。ぜひご覧ください。⇒コチラです(ダウンロード後、『TREND17』を選択⇒「解説ムービー」に入る⇒「傾向と対策1・2

 今、私は、『2018進研[センター試験]直前演習 英語(筆記)』(ラーンズ)を使って、「知識」系の問題を総ざらえしているところです。センター試験を直前に控えたこの時期は、「知識」系の問題を最後の最後まで追い込むことが大切です。単語、発音・アクセント、文法・語法といった問題を1つでも多く頭に詰め込むことで、最後の仕上げを行っていきます。

【書籍紹介】 あのスタディサプリで「神授業」を展開して、受験生に圧倒的人気を誇る英語講師・関正生(せきまさお)先生が、全国の入試問題から徹底的に選び抜いた「大学入試の最前線」を走る文法・語法問題を厳選した『関正生の英文法ポラリス1~3』(KADOKAWA、各1200円(税別))を昨年発売されました。特長としては、①自分の志望校レベルの問題だけにフォーカスできる。 ②頻出パターンを徹底分析して、頻出する用法を扱ったパターンを、演習を通じて体得できる。 ③問題集なのに手厚い解説で、全ユニットの冒頭には、ポイントとなる文法の知識をわかりやすく解説。知識をしっかりサポートしています。特にこの解説部分が関先生らしく、非常に分かりやすく核心をついた作りになっています。関英文法の決定版と言える良書だと感じました。今は中身だけでなく、参考書・問題集の表紙も、このように若者向けに受けるデザインでないと売れない時代になっているんでしょう。古い世代の私にはちょっと考えられない表紙です。センター試験対策だけなら、この本の1を徹底的にやれば十分でしょう。❤❤❤

 

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

センターリスニング

 親しくさせていただいている島根県立松江東高等学校緒方 孝先生より、「センターListening心構え11」という資料を提供していただきました。「ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、ご参照ください。緒方先生、どうもありがとうございました。

・「センターListening心構え11」 島根県立松江東高等学校 緒方 孝先生 コチラです

 私の経験から、2つほど補足しておきますね。緒方先生の資料にもありますが、センター当日は英語音源を必ず持って行って(内容は何でも構いませんが、できることならセンター本番の音源がいいでしょう)、休憩時間に聞くことです。英語の筆記試験が終わると、だいたい会場内は筆記試験の出来の話とか、ひどいのになると答え合わせまで始める受験生がいます。決してこういうのに付き合ってはなりません。このリスニングまでの休憩時間には、英語音源をiPodなどで聞いて、「英語耳」を作ることです。これでずいぶん結果が違ってきます。これをやった北高の生徒たちには、ずいぶん感謝されました。

 本番では、「ICプレーヤー」が配布されます。きちんと監督者に言われた通りにやれば全く問題はないのですが、時々自分勝手な操作をしてしまい、音声が出てこないということがかなりあるみたいです。2017年度は82試験場の100人が、中断した設問から試験を再開する「再開テスト」を受けました。このほか、スピーカーから雑音が流れるトラブルなどで、3試験場の160人が再試験対象となっています。「大学入試センター」のホームページには、本番で使われる「ICプレーヤーの操作ガイド」があり、機器を疑似体験できるようになっています。これを一度体験しておくと、ずいぶん違いますよ。⇒コチラです 北高の生徒たちには、年内に一度は体験しておくように指示してあります。

 私が、生徒たちに日頃から話しているポイントを、もう一度整理しておきましょう。リスニングが弱い生徒たちに共通しているのは、(1)「語彙力」不足、(2)「聴く量の絶対量」不足、(3)「集中力」不足、の三点です。

①勝負は聴く前から始まっています。「設問」「選択肢」を先読みして、「待ち受け」「先取り」の姿勢を整えましょう。

②聴き取るべき内容を明確にするためにも、メモを取りながら聴くことが大切です。特に第4問B《新傾向》では、どんな議題に対して、誰がどんな意見を持っているか、対立点はどこか?3人の意見はどこが違うのか?共通しているのか?は聴き取った要点を、表の形でメモを取ることが有効です。ただ漫然と聞いていても解くことはできません。

「知らない単語は聞こえない!」が鉄則です。語彙力を最後まで磨きましょう。

 私が松江北高で、年内最後の授業で配布した、リスニング・筆記の設問別最終確認プリント「これだけは伝えておきたいセンター筆記・リスニングの極意」という2枚の資料を、「ダウンロードサイト」に登録しておきました。ぜひご覧ください。

・「これだけは伝えておきたいセンター筆記・リスニングの極意」 島根県立松江北高等学校 八幡成人 ⇒コチラです

 私は現在、『2018進研[センター試験]直前演習 英語(リスニング)』(ラーンズ)<30分×全7回>を使って最後の演習をやっているんですが、生徒の解答用紙を回収して、全員の解答を設問ごと(問1~問25)に○×を打ち込んで、「誤答分析」をやっています。手間のかかる作業ですが、生徒たちがどこで間違えるのか、その要因がはっきりと見えてきます。いつでも「やりっ放し」にしないことが大切ですね。この資料が、また来年からの指導に生かされることになります。❤❤❤

カテゴリー: 英語指導に関して | コメントをどうぞ

追悼・星野仙一さん

▲倉敷「星野仙一記念館」の前の胸像

 楽天の星野仙一(ほしのせんいち)球団副会長が、1月4日に、膵臓ガンでお亡くなりになりました。まだ70歳の若さでした。最後まで「強気」の自分を見せたいという星野流を貫き、病気は公表していませんでした。早すぎます。岡山県倉敷市出身の星野さんは、母子家庭に育ち、岡山県立倉敷商業高校(甲子園大会には届かず、負けた日は押し入れにこもり泣き明かした)から明治大学に進学。母親を楽にさせてあげたい、と白球を追いました。東京六大学リーグで同大学のエースとして活躍し、昭和43年のドラフト1位で中日に入団。1年目から8勝を挙げるなど、中心選手として活躍しました。昭和49年には、セ・リーグの最多セーブ投手となり、「沢村賞」を獲得。チームの20年ぶりの優勝に貢献し、胴上げ投手となった。昭和57年に現役引退。選手としては、実働14年で500試合に登板し、146勝121敗34セーブをマークしました。引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。計4度のリーグ優勝を飾り、楽天時代の2013年には、「震災復興」を掲げ、巨人を倒して自身初の日本一に輝きました。プロ野球の監督としては3球団を指揮し、17年間でリーグ優勝4度、日本一1度。成績は1181勝1043敗53引き分け。平成29年に、顕著な活躍をした選手や監督を顕彰する野球殿堂入りを果たしました。「燃える男」、「闘将」と呼ばれ、巨人を倒すために野球人生を捧げてきた男がこの世を去りました。 

 突然の訃報でした。星野さんが息をひきとったのは1月4日。球界関係者によると「膵臓ガンで闘病していた」といいます。昨年末に体調が悪化し、年末年始を家族とハワイで過ごす予定だったが急きょ取りやめていました。昨年11月28日に東京で、12月1日には大阪で「野球殿堂入りを祝う会」に出席。2000人を超えるプロ、アマの球界関係者が集まり「これだけの人が来てくれて野球をやってて良かった。野球と恋愛して良かった。もっともっと恋したい」と、失われない野球への情熱を口にしていました。しかし、これが、星野さん最後の晴れ舞台となりました。

 相手が強ければ強いほど、「燃える男」。現役時代のキャッチフレーズでした。その原動力が「打倒・巨人」。指名されると思っていたドラフトで振られ、憧れの球団は「生涯のライバル」に変わったのです。「打倒巨人」をモチベーションに、中日のエースとして闘争心をむき出しにして投げ、巨人戦では歴代6位タイの35勝で通算146勝を挙げました。「沢村賞」を受賞した1974年には、あの川上哲治監督のV10を阻止して優勝しましたが、「日本シリーズは邪魔。俺は巨人を倒したからいいんだ」と言い切ったほど、巨人を倒すことに執念を燃やした人でした。「強い巨人に勝ちたいんや」。その思いは、引退後も変わることはありませんでした。ライバルであった長嶋茂雄終身名誉監督(81歳)は、「打倒巨人を前面に闘志満々でぶつかってきた投手だったからこそ、私も負けずに“さあ仙ちゃん、来い”と心を燃やすことができ、対戦するのが本当に楽しみでした」と懐かしみました。当の星野さんも、初めてオールスターに選ばれて出場したときには、ベンチに座っていたら「仙ちゃん、元気か。まあ、これでも飲めよ」と言って、スーパースターの長嶋さんが飲みかけ(!)のコーラを、まだペーペーの星野さんにわざわざ手渡しくれたことに感激して、全部飲んだといいます。長嶋さんらしいエピソードです。

 監督時代は「闘将」と呼ばれ、代名詞は「鉄拳制裁」でした。「非情と愛情の2つを併せ持つことが大事」という持論を持ち、闘う集団につくり上げました。中日で2度のリーグ優勝。97年には扶沙子夫人(享年51)を白血病で亡くしましたが、グラウンドで戦い続けました。「俺は弱いチームを強くすることが好きなんだ。それが、男のロマンやないか」。反骨心の塊のような男でした。2002年に低迷していた阪神の指揮を執り、翌03年に18年ぶりのリーグ優勝に導きます。東日本大震災の起こった楽天監督時代の2013年には、日本シリーズで宿敵の巨人を破り、4度目の挑戦で初めて日本一監督となりました。「天はその人が越えられない試練は与えない」と言って、頑張っておられました。「怖さ7割、やさしさ3割でちょうどいい」と常に口にしていました。選手やコーチの奥さん、球団スタッフに誕生日プレゼントを贈り、報道陣とはお茶をごちそうして情報交換し、一緒になって闘いました。決して一流ではない、かといって二流に甘んずるわけでもない、いわば「超二流」と、現役時代を星野さんは振り返っています。「二流なんだが、時には一流にも勝つ、気迫があれば互角に戦える、という自信があった」

 2014年にユニホームを脱ぎ、2015年に球団副会長に就任。ONとともに球界への影響力は大きく、星野氏も「野球への恩返しの意味でも自分の思いや考えを若い人につないでいきたい」と語り、野球の普及活動に尽力していた矢先のことです。恋に恋した野球。しかし、楽しみにしていた2020年東京五輪を前に帰らぬ人となりました。あの笑顔はもう見れません。あの怒鳴り声ももう聞けないのは淋しい限りです。

 当時、人気バンド「オフコース」のメンバーだった小田和正さんは、星野さんと同じ1947年生まれで、1983年、星野さんの現役最後の試合で花束を手渡したのをきっかけに、以来35年にわたる親交が続きました。星野さんが楽天監督として初の日本一になった2013年のシーズンの本拠地開幕戦では、東北大学出身の小田さんが、星野さんと同じ背番号「77」をつけたユニフォーム姿で始球式を務めました。星野さんが小田さんのライブを鑑賞に訪れ、サプライズでステージに飛び入りして小田さんファンに笑顔を振りまいたりと、二人は固い絆で結ばれていました。「本当に残念です。御冥福をお祈りします」と、悲しみをかみしめた小田さん。

 私が最近の星野さんで忘れられない記憶は、大好きな巨人の原 辰徳監督が1回目の巨人軍監督を追われた2003年10月7日、甲子園球場、阪神との最終戦です。試合終了後の「監督退任セレモニー」で、星野さんから花束をもらい肩を抱かれて「もう一度、勉強して戻ってこい。くじけるな」ねぎらいの言葉をかけられた時に、涙をこぼしながら星野さんに抱きついた原監督の姿が思い出されます。「仏の顔と優しさ、それと勝負師としての鬼の厳しさ、両極端の二つの顔を持ち合わせていた。メリハリの強さを尊敬していた」と原さん。2013年の日本シリーズで楽天イーグルスと3勝3敗になり、全力で戦いましたが巨人が破れ、口を真一文字に結んだままじっと胴上げを見届けました。当時の心境について、「心の中で拍手を送っていた」と原さんは明かしました。現在巨人を率いる髙橋由伸監督は、「お会いするたびに『巨人が強くないとダメだぞ』と激励してもらった。その言葉は私の胸に常に刻まれている」と振り返りました。

 星野さんが好きだった言葉は、「夢」で、色紙にはいつも「夢」と書かれました。「かなわないと思ったら、そこで終わり。挑戦し続けるからこそ人生の価値がある」と野球に全てを注ぎ、体現してこられました。評論家時代に「選手はな、信頼しても信用はするなよ」「成功の反対は失敗じゃない。何もしないことだ」との金言を残されています。私は星野さんに習い今でも、「生徒のことを信頼はしていますが、信用はしていません」と公言し、指導実践の数々に生かしてきました。私は、昨年偶然、倉敷の街を歩いていて、路地に「星野仙一記念館」とあるのに導かれて、訪問して星野さんの人となりを振り返ったのが懐かしく思い出されます。合掌。😢😢😢

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

西村京太郎先生著書600冊に!

★西村先生、おめでとうございます!!★

▲これが記念すべき600冊目の著書!

 とうとうやりました!!私が熱狂的なファンであるミステリー作家・西村京太郎(にしむらきょうたろう)先生が、12月8日、ついに著書600冊を達成です。これはとんでもない記録ですから、マスコミで大々的に取り上げられるかな、と期待していたんですが、今の所どこも書いてくれませんので、私が取り上げることにしました。599冊目の『青海線レポートの謎』(角川書店)もそうだったんですが、この600冊目となる『北のロマン 青い森鉄道線』(徳間書店)も、今流行のAI人工知能」を扱ったミステリーです。西村先生はこのように世間で騒がれている問題を、いち早く作品中に取り入れることからも分かるように、「社会派」の作家と言えるでしょう。次回作(601冊)の『出雲伝説と木次線』(実業の日本社、2018年1月予定)は、来春廃止が決まっている三江線(三好―江津)に次いで、存続が危ぶまれている島根県のローカル路線です。12月で全線開通80周年を迎えました。西村先生はこうやってタイムリーに地方路線にスポットを当てて下さいます。1月下旬(602冊)には『広島電鉄殺人事件』(新潮社)が出ます。楽しみですね。

▲湯河原「西村京太郎記念館」に展示された著書の全て

 今回は著作600冊目にあたる記念作ということで、同じく600冊をすでに達成した、赤川次郎さん(610冊)との対談「600冊の向こう側」を、巻末に収録しています。二人のかけ合いがとっても面白く読めます。今回の作品のあらすじはこうでした。

 失踪した娘を捜してほしい。母親から依頼を受けた、かつて十津川警部の部下だった私立探偵の橋本は、池戸彩乃の捜索を始める。勤務先のパソコンに謎のメモが残されていた。「411658 1411123」。本州最北の鉄道の駅、下北駅の緯度と経度と判断した橋本は下北に飛び彩乃の痕跡を追う。一方、東京では彩乃の同僚が殺され、十津川警部が捜査に乗り出した。事件は予測できない展開を見せはじめるが…!? 恐山-仏ヶ浦-知床…知能犯を追い詰める十津川警部の活躍。

 西村先生は、毎年お付き合いのある12の出版社で出すために、年間で12、13本のミステリーを書き上げておられます。そのため取材旅行も大変で、1年に6回6つの地方をめぐり、2泊3日で、一度に2社分の取材を行ってしまうのです。取材先では列車の中を歩いてまわり、車掌さんを捕まえては話を聞き、死体を隠す場所や、トリックの手法を考えるといいます。またトリック作成のネタ本でもある「時刻表」を常に持参して参照しておられます。以前に、開通する前の東北新幹線を舞台にミステリーを書かれた際に、だいたいこういう造りだろうと、東海道新幹線の車両と同じだと思ってトリックを考えたことがありました。すると、実際に走った新型の新幹線とは非常口の場所が違っていて、トリックが成立しなくなったことがありました。やはり実際に乗ってみて、行ってみて、自分の目で見てみないと分からない、と学習されたそうです。

 以前、JR九州が走らせている豪華寝台列車「ななつ星」に乗った時には、唐池恒二社長から「列車の中で殺さないでください」と懇願されたそうですが、殺してしまいました(笑)。また、先生は取材に行かれたときは、写真も撮らなければ、メモも取りません。ストーリーを作るために必要な所だけ見たいので、写真を撮ってしまうと全部撮りたくなってしまい、ごちゃごちゃしちゃうからダメだと言われます。先にストーリー(最初と最後)は考えてから取材に行っておられます。そうしないと何でもかんでも見ちゃう。編集者に写真を撮ってもらったりすると、ただ撮ってくる。作家にとっては面白くも何ともない。警察署の隣のパン屋だけ撮っても、その隣も必要なんだと言います。だから自分で見た方が早い。さらに、本が売れるためには「わざと1箇所間違える」のも大事だとのこと。見つけたぞという嬉しそうな抗議の手紙がどっと来る」と笑いながら、ミステリーマニアはあまり怒らない、鉄道マニアはすぐ怒る」と、マニアを手玉に取る巨匠ならではの秘技も明かしています。

 西村先生が原稿を書き始めるのは、夜中の12時頃です。朝まで書き続けて、新聞を読んでから寝ます。起きるのは昼の2時くらいです。先生はパソコンが使えないので、原稿はもっぱら手書きで、サインペンを使って(昔は万年筆)書いておられます。書いている時にはテレビを付けっぱなしです。なんとなく音がしていないと不安なんだそうです。書き続けていると、集中力が高まってきて、だんだん音が聞こえなくなってくるそうですよ。お腹がすいてくると、おせんべいを食べながら牛乳を飲みます。

 先生は、以前私のインタビューに答えて、「目標は635冊。東京スカイツリーの高さが634メートルなので、それを超えたらもう書くのをやめる」とおっしゃっておられました(⇒「西村京太郎先生に三つの質問」コチラです)。しかし先述の赤川次郎先生との対談において、「自分のことを振り返ってみても、ずいぶん本を読みましたからね。635冊と言わず、やっぱりまだまだ書きます。だから、たくさん本を読んでもらいたいです。」と、私たちファンには嬉しい宣言をなさいました。先生、これからも頑張ってください!!❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

千疋屋の「絹ごし杏仁豆腐」

◎週末はグルメ情報です!!

 「羽田空港第2ターミナル」の70番ゲートで、米子に向かう全日空(ANA)の搭乗を待っていました。機体の到着が遅れ備品交換のために手間取り搭乗案内が遅れる、というアナウンスが何度も何度も流れています(結局1時間遅れで離陸しました)。時間つぶしにゲート横にある売店をのぞいたところ、「千疋屋」(せんびきや)のフルーツが販売されていましてね、このお店、私の大好きなお店です。新鮮なフル-ツが美味しいですね。「フルーツケーキ」を買って支払いを済ませようとした時、ウィンドウケースの隅っこに、私の大好きな杏仁豆腐が見えました。季節限定「絹ごし杏仁豆腐ストロベリー」とあります。いかにも美味しそうでしょ?上から見ると、杏仁豆腐の上にいちごのソースがかかってる感じですが、実際には、ソースと杏仁豆腐は、別々になっていました。ソースを取り出して、上から杏仁豆腐にかけていただく商品です。

 家に帰り早速いただきました。イチゴのきれいな赤と、杏仁豆腐の白がコントラストでとってもきれいいです。イチゴは大きい1粒分くらいがカットされて入っていました。イチゴのソースはかなり濃厚です。甘さはしっかりだけれど、下の杏仁豆腐が、嫌みな甘みがなく、さっぱり味なのでちょうどマッチしていい味を出しています。まずは杏仁豆腐をそのままいただき、次にソースをかけてと、2回楽しむことができます。ツルッといただくことができました。杏仁豆腐はけっこう好きなんです。あの千疋屋にも杏仁豆腐があるとはちっとも知りませんでした。これ、お土産には喜ばれること間違いなしです。❤❤❤

カテゴリー: グルメ | コメントをどうぞ

今治タオル

 以前に、今治で講演したついでに、「今治タオル美術館」を訪ねたことがあります。⇒コチラです  今治駅からタクシーで、ずいぶん山の中に入っていった記憶があります。四国愛媛県北部の地で、120年の歴史を刻み続けてきた国内最大規模のタオル産地として、伝統的な西欧技術と最新技術を融合させながら、使い心地を追求したタオルの製造の全てが展示されていて、非常に感銘を受けました。そこでタオルを数点買って帰って以来、「今治タオル」のファンになりました。美しく豊富な水資源を支えに生産されている、繊維に優しい仕上がりの繊細かつ柔らかな風合いのタオルに魅せられたのです。新年になって、新しいバスタオルを下ろしましたが、やはり「今治タオル」の肌触りは全然違います。汗や水分を素早く吸収するので、お風呂上がりに体を拭いても汗をぬぐってもべとつかず、お肌にもやさしいのが特徴です。今治タオルを一度使うと、もう他のタオルを使う気にはなれません。それぐらいに気持ちがいいのです。

 「驚き、というより、感動だった」 2006年に、今治タオルを初めて使った佐藤可士和(さとうかしわ)さんは、その品質の高さに衝撃を受けたと言います。「やわらかくて、風合いが素晴らしく心地いい。使っていても、体を拭くという感覚じゃない。肌に当てるだけで、タオルが水気をどんどん吸い取ってくれる。」『今治タオル 奇跡の復活~起死回生のブランド戦略』(朝日新聞出版))単に見栄えや豪華さを追い求めるタオル作りをしていません。用途・目的を踏まえて、使い勝手のよいタオルとを作るために、素材の綿を厳選し、手間暇をかけて安心安全で良質のタオルを作っているのです。四国の今治には昔から、八十八カ所のお寺をめぐる歩き遍路の人々を接待する習慣がありました。自分のものを人のためにさりげなく差し出す気風と風土と伝統が、今治タオルに温もりや安らぎを織り込んでいます。「お接待」の思い遣りがあったからこそ、人にやさしいタオルを作る文化が根付いたとも言えるでしょう。

 当時、安価な外国製品に押され、瀕死の状態にあった「今治タオル」。しかし佐藤さんは、確信していました。「食の安全」などに対する危機感から、日本製品に注目が集まる今の時代、このタオルには世界に通用するクオリティが間違いなくある。それは、佐藤さんがブランディング・プロデューサーに就任することを決めた瞬間でした。そして佐藤さんは、「今治タオル」の再生プロジェクトをスタート。今治の豊かな自然と産業復興への思いを象徴する「ロゴマーク」を制作し、品質保証マークとして機能させるとともに、「白いタオル」をキープロダクトに設定。「5秒ルール」(タオルが水中に沈み始めるまでに要する時間が5秒以内、洗わなくても使い始めから水を吸うタオル)などの品質基準も創設しました。すべては、今治タオルの本質的価値「安心・安全・高品質」を守り、伝えていくための戦略です。佐藤さんが課す課題は、ときに今治タオル工業組合の組合員たちを戸惑わせながらも、少しずつ皆の意識をひとつにし、揺るぎないブランドを築き上げていきました。その後、一貫したコンセプトにもとづいた施策が実を結び、 今治タオルは、認知度、売り上げともに飛躍的にアップして、名実ともに日本を代表する産地ブランドになりました。2014年、ロンドンで行われた『100%デザイン』に出展した今治タオルのブースでは、柄杓で来場者の手に水をかけるデモンストレーションを実行。訪れる人々は、真っ白なタオルの並ぶブースに魅了され、その使い心地に思わず笑みをこぼす様子が見られた。今ではIMABARI TOWELは、地域再生の代名詞になっています。

 今治タオルの産地では、品質を確実に保証するために、「四国タオル工業組合」が定める独自の品質基準に合格したものでなければ、ブランドマーク&ロゴの使用を認めていません。白を背景に赤と青のモチーフで太陽と海をかたどったシンプルなデザインで、「赤は産地の活力、青は(タオル生産時に使われる)豊かな水、白はタオルのやさしさや清潔感をイメージした」とのことです。佐藤さんがデザインしたそのロゴの意味合いは次の通りです。


活動的、情熱的、先進的、生き生きとした力強さ、動き、インパクトなどをイメージさせる色。今治タオルの存在自体が、社会の注目を集め、日本を象徴する商品のひとつであるという位置づけです。

品質に対する安全と安心、信頼、歴史と伝統、鮮明性、落ち着きなどをイメージさせる好感度の高い色。今治タオルの持つ歴史と伝統を背景とした高品質をシンボライズしています。

やさしさ、清らかさ、清潔感、無垢、癒し、真心、柔らかで慈しみにあふれた愛情をイメージさせるピュアな色。今治タオルの無限の可能性を示唆する広がりを表現しています。

 昨年も授業に出かけた帰りに立ち寄った「三井倉敷アウトレットモール」の2階に、今治タオルのお店があり、タオルをたくさん買って帰った八幡でした。❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ

「小田和正三昧」

★今日・明日再放送があります!!

 11月23日(木・祝)は、NHKのFMラジオ「今日は一日“小田和正”三昧」という生放送番組が組まれました。(前半)午後0時15分~6時50分、(後半)午後7時20分~10時45分というとんでもない企画番組でした。70歳(古稀)になった今も、日本の音楽界の第一線で活躍し続けるアーティスト、小田和正さんにスポットを当てる10時間の生放送。オフコース」時代から現在に至るまで、世に送り続けてきた名曲の数々を、リクエストに応えながら届け、小田さんゆかりの著名人からのリクエストやメッセージも紹介されました。進行は小田さんの熱狂的ファンで知られる阿部 アナウンサー。10時間も小田和正に染まるなどという、ファンには堪らない企画で、そのほとんどに小田さんご本人がつきあうという贅沢番組でした。小田さんも結構大変だったと思います。私はこの日は、前から絶対に仕事を入れないように計画して、朝から臨戦態勢で臨んでいました。NHKもやってくれますね。

 総勢20人(鈴木雅行、井上真央、財津和夫、大竹しのぶ、山本昌等々)の小田信者から熱いメッセージが届けられました。私の大好きなさだまさしさんもメッセージを寄せておられ、リクエスト曲は「クリスマスの約束」で競演した「woh woh」でした。あのときの素敵なハモリの思い出が蘇ってきましたね。小田さんはさださんの比類なき読書量と音楽の作詞の速さ、紡ぎ出す言葉に感嘆しておられましたね。ただ1つ残念だったのは、あれだけ熱狂的な小田和正ファンである辛島美登里さんをなぜ取り上げなかったのか?という点でした。また療養中とはいえ、小田さんの音楽にあれだけの影響を与えた山本潤子さんもはずせないところでしょう。

 ただ画期的だったのは、1989年に解散した伝説バンド、オフコース」時代の盟友、鈴木康博(ヤス、69)さんと35年ぶりに「共演」したことでしょうかね。番組にヤスさんがメッセージを寄せる形で実現しました。オフコースで小田さんとツイン・ボーカルだった鈴木さんは、1982年にバンドを脱退しており、同じ番組に「出演」するのは、鈴木さんの脱退後初のコラボになります。番組の中では、鈴木さんがオフコース当時について「声を聴いただけで小田って分かるのが(同じボーカルとして)悔しかった。オフコース時代は僕にとって宝です」と述懐し、小田さんに向けて「声がかすれたり、それなりに(体調に)気を使うところがお互いある。頑張ってほしい」と激励しました。盟友からのエールに小田は「ビックリです。あり得ないですね。これは消化するのにしばらく時間がかかりそう。感動しちゃって…」感涙して言葉に詰まりました。オフコース時代についても「宝物だよね」と言い切り、当時はありふれた幸せに背を向けるしかなかった。強がりでね…」と懐かしそうに振り返っていました。この二人のやりとりは、「オフコース」ファンにとっては本当に貴重なプレゼントでした。

 番組冒頭から、新曲「小さな風景「遺留捜査」の主題歌)が初めてフルコーラスで流れたり、オフコース時代の知られざる名曲の数々が取り上げられたり、小田さんが他の歌い手、東北大学聖光学院などに書いた曲が流れました。10時間浮気もせずに付き合いましたが(休憩時間にお風呂に入って)、堪らない至福の1日でした。でも、さすがに疲れました(笑)。小田さん(70歳)はもっと疲れたことでしょうね。

★今日は一日“小田和正”三昧プレイリスト★

01.小さな風景 /小田和正
02.my home town /小田和正
03.今日もどこかで /小田和正
04.君にMerry Xmas /小田和正
05.眠れぬ夜 /小田和正
06.哀しいくらい /小田和正
07.僕の贈りもの /オフコース
08.僕の贈りもの /小田和正
09.my home town(オリジナルver.) /小田和正
10.風の坂道 /小田和正
11.いつかどこかで /小田和正
12.僕ら /小田和正
13.緑の日々 /オフコース
14.Yes-No /小田和正
15.ラブ・ストーリーは突然に /小田和正
16.さよなら /小田和正
17.その日が来るまで /小田和正
18.思いのままに /オフコース
19.夏の日 /オフコース
20.愛を止めないで /小田和正
21.愛を止めないで /オフコース
22.時に愛は /小田和正
23.伝えたいことがあるんだ /小田和正
24.風と君を待つだけ /小田和正
25.心はなれて /小田和正
26.この道を行く(「早稲田大学グリークラブ」創立100周年記念愛唱歌)
27.遥かな想い(横浜創学館高等学校愛唱歌)
28.思い出はうたになった /オダ☆レビ
29.望むことがあるとすれば /時任三郎
30.wonderful life /小田和正
31.I LOVE YOU /オフコース
32.さよならは言わない /小田和正
33.もう歌は作れない /小田和正
34.愛の中へ /小田和正
35.こころ /小田和正
36.クリスマスの約束 /ゆずおだ
37.NEXTのテーマ―僕等がいた― /オフコース
38.私の願い /オフコース
39.きかせて /オフコース
40.嘘と噂 /オフコース
41.君が、嘘を、ついた /オフコース
42.Oh! Yeah!  /小田和正
43.別れの街 /鈴木雅之
44.たしかなこと /小田和正
45.woh woh /小田和正
46.別れの情景(1) /オフコース
47.今だから /松任谷由実・小田和正・財津和夫
48.ひとりで生きてゆければ /オフコース
49.縁もゆかりも /鈴木康博
50.あの頃にとどけ /島倉千代子
51.キラキラ /小田和正
52.秋の気配 /小田和正
53.僕らの街で /KAT-TUN
54.言葉にできない /小田和正
55.YES-YES-YES  /小田和正
56.生まれ来る子供たちのために /小田和正
57.緑の丘(東北大学 校友歌)
58.君住む街へ /小田和正
59.たしかなこと /小田和正

 さて、この番組の司会を担当した阿部 渉アナウンサーは、以前、NHK BSプレミアムで2017年3月20日に放送された100年インタビュー」で、小田和正さんの長時間インタビューを担当した方で、ファン歴30年の熱狂的な小田さんファンです。この番組「今日は一日”小田和正”三昧」が、全国のリスナーの皆さんからの「ぜひもう一度聞きたい!」という熱い要望にお応えし、90分の再構成版が本日・明日の2夜にわたって放送されます。10時間生放送のエッセンスをギュッと凝縮!ぜひ、お楽しみください!NHK―FMラジオ放送です。❤❤❤

★2018年1月5日(金)午後7時30分~午後9時

★2018年1月6日(土)午後7時30分~午後9時

カテゴリー: 私の好きな芸能人 | コメントをどうぞ

近大のお詫び広告

★今年は「お詫び」だった!!

 毎年この時期、お正月の新聞に掲載される近畿大学の広告に注目しています。昨年は、「早慶近」を高らかにぶち上げて話題(炎上)をさらいましたね。さあ、今年はどんな手で勝負してくるかな?と期待していました。今年(1月3日)の朝刊・スポーツ新聞には、数々の「お詫び」(自慢?)広告で笑いを誘いました。まあよくもこれだけお詫びを列挙したものです。とてもユニークな広告です。近畿大学の広報・広告は、このように他大学と比べて攻めている印象が強いんですが、やはり、少子化の影響で日本の18歳人口が減少し続けていることが関係しているんでしょうね。文部科学省の18歳人口の推移予測を見ると、ピーク時の1992(平成4)年に205万人いた18歳が、将来的に2031年には99万人になると言われています。今年の18歳は118万人と見込まれていますが、ここから減少が本格化するため、大学界では「2018年問題」と呼んで警戒を強めています。大学のターゲットとするのは18歳です。その18歳人口のボリュームがこれだけ減少しているのは驚異です。だから大学のくくりに安住していると、自分たちを「中の中」だと思っていたら、気がついたら「中の下」になっていることにもなりかねません。だから広報や広告でも必死になって攻めているのでしょう。近畿大学は今のポジションをキープするだけでも必死にもがかなければいけないのに、さらに上に行こうと思っているのですから、常識的なことをやっていたのでは間に合わないのですね。広告も自然に、大胆で挑戦的なデザインとキャッチコピーになります。いずれも広告代理店任せにせず、キャッチコピーも全部、句読点まで自分たちで考え抜いているそうですよ。当然、新しいことに挑戦しようとすると、批判はつきものです。それが的を射たものならまだしも、批判すること自体が目的になっているような卑劣なものも少なくありません。気にすることはありません。今年の新年広告では、次のようなお詫び」(と称してある意味自慢)のオンパレードでした。面白い!!

・「早慶近」じゃなくなったことに関するお詫び(早慶近中東立法名上)
・「2018年問題」に関するお詫び(4年連続志願者NO.1)
・近大マグロに関するお詫び(予約がとれないほどの人気)
・近大生のイメージに関するお詫び(エネルギッシュ/チャレンジ精神/親しみ1位に対しておしゃれ/上品さ/まじめは下位の落差)
・KINDAI GIRLSメンバー募集に関するお詫び(近大生しかメンバーになれない)
・親子間の機密情報漏洩のお詫び(保護者が成績・出席状況をウェブ上で確認可能)
・英語で“Kinki”ではなく“Kindai” Universityであるお詫び(大学名称の変更)
・インスタバ映え広告に関するお詫び(キラキラ感を全面にだしてしまった)
・ド派手な入学式に関するお詫び(これはライブか?)
・マンガ蔵書22,000冊に関するお詫び(漫画喫茶と誤解?)
・学び方改革に関するお詫び(24時間利用可能な自習室の新設→勉強のしすぎ?)
・“近大卒”の魚に関するお詫び(予約が取りづらい)
・“紙”対応していないことのお詫び(入試はインターネット出願のみ)
・2018年も盛大にやらかすことのお詫び(先にお詫びしておく)
・注釈の多さに関するお詫び

 このお詫びの数々の中で、私は英語教員ですので、大学の英語名称の問題が興味を引きました。”Sincerest Apologies from Kindai University for Any Confusion Surrounding Our English Name    Jan.3, 2018   Two years ago, we officially changed our English name from Kinki University  since the word “kinki” has negative connotations.  We would like to apologize to our graduates who have dealt with foreign entities for any embarrassment they have experienced. We will do our best to promote our new name, Kindai University,and the integrity of our institution, both in Japan and abroad. We appreciate your understanding and cooperation.” というお詫びでした。

 二年前に新しい学部開設(国際学部)に合わせて、大学の英文名称が「KINKI UNIVERSITY」(1949年大学設立時から使用)から「KINDAI UNIVERSITY」に変更されました。近畿は、古代律令制における広域行政区画「畿内」に由来する語で、「都(=畿)とその近隣地域」という語義を持つ由緒ある語句です。これを廃止して、新名称では「近大大学」になってしまうんですが、これにはちょっとしたお家の事情があります。実は「近畿」を英語で発音した場合、「キンキー」kinky(風変わりな)と聞こえる場合があるのです。この単語は「性的に異常な」とか「変態の」といった意味です。「変態大学」と思われかねませんね。海外からの留学生は嫌がり、留学を敬遠する者もいたようです。大学の国際化を進めるにあたって、誤解されないようにするための変更でした。当時、学長曰く「海外の学会で自己紹介をすると、失笑され、良い気持ちはしなかった。近畿は由緒ある言葉だが、国際化を本気で進めるためには、英語表記の変更は仕方がない」と語っておられました。英文名称の変更は、留学生募集拡大の障壁にならないように、国際化に向けた近大の決意表明だったとも言えます。

 それにしても他大学には見られないユニークなオンリーワンの広告、私は好きです。屋木さんがおられることも親近感を抱かせる理由の一つですが。近畿大学のウェブサイトもちょっとユニークです。⇒コチラ ❤❤❤

カテゴリー: 日々の日記 | コメントをどうぞ