「陽気」

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 かの有名な「すずめ」と並び、広島ラーメンの元祖とも言われる双璧の一つ、陽気」大手町店に行ってきました。中国電力前でバスを降りて、目の前にお店はありました。いつもは「つばめ」「めじろ」に行く八幡ですが、今回はどうしても「陽気」を味わっておきたかったもので。横川江波にもお店はあります。お昼時ということもあって、店内は満員でした。人気店だけありますね。店員さんも、とっても親切で好感が持てました。次々とお客さんが入ってこられます。

  入り口の食券販売機で、食券を買います。メニューは「中華そば」一本という、脳に優しい単純設計です。塩むすび」とセットで食券購入。注文して5分ほどで「中華そば」が到着します。さて、味は、やはり中華そばです。きわめて優等生的なしょうゆとんこつで、とってもマイルド。まさに広島ラーメンの祖という系譜です。醤油豚骨のスープは、見た目ほどコッテリしていなくて、まろやかな口当たり。黄色く濁った豚骨醤油ベースのスープの表面にポツポツ浮いた控えめなアブラ。奇をてらわないストレートの中細めんは、程よくスープと絡んでくれます。麺の質感もいい。ストレート麺はシンプルでありながら、ひと口、またひと口と食べるごとにおいしさが増していきます。スープを薄めず、それでいて食感におおいに貢献するシャキシャキ感あふれる細モヤシ。青々としたネギ。さすが人気有名老舗店と、たくさん冠が付いているだけあって、かなりおいしいです。チャーシュー麺でもないのに、チャーシューが4枚も入っているところもお得感アリで満足ですね。スープも美味しく最後まで頂けて、後味もなかなかにスッキリしたもの。「塩むすび」との相性もすこぶる良好なのがグッドです。広島ラーメンは、国内屈指の戦後サバイバルが展開された歴史があり、その中で育まれた味として、このバランスが支持されてきたという事なのでしょうね。管理栄養士さんに叱られそうですが、あまりの美味しさにスープも全部飲み干してしまいました。いかん、反省(笑)!デパート地下で、インスタントも販売されていたので、買って帰りました。❤❤❤

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内申書

 この人の書く物は、いつも文章の上手さに感嘆するのですが(新刊が出るとすぐ書店に走ります)、外山滋比古(とやましげひこ)先生の『思考力の方法 聴く力篇』(さくら舎、2015年)にショッキングな記述があります。そして笑ってしまいます(下線は八幡)。真実を突いているだけに…。

 私はかなり長い間、大学入試で受験生の内申書を見る役についていた。そして高校の書くことが、実にデタラメであることを知った。すこしできると、「抜群」になる。同じ学年に抜群が何人もいるに違いない。学業がさえない生徒には、「生徒間の人望が最高である」などと半分でまかせのようなことが書かれている。どうせウソをつくなら、もっとうまいウソを考えないといけないアメリカの大学は、日本人留学生の提出する推薦をほとんど信用しないようである。日本人の書く推薦状は正直でない、というのが一部で定評になっているのは重大な問題である。日本人はこころにもないことを書くのが文章力のように考える傾向が見られるが、”正直は最上の策”であるということを噛みしめる必要がある。”正直は最上の策”というのは、もとは商売について言われたイギリスのことばであるが、日本では教育、文化においても、ウソが多すぎる。(p.117)

 私も長い間、高校現場で担任をして、調査書」はずいぶんの数書いてきました。進路部長も長い間務めてきて、どうやったらアピールできる「調査書」を書けるかについてもずいぶん研究を重ねました。大学側が「調査書」のどこを見ているかについても、いろいろと大学を回って調べたこともあります。たどり着いた結論が「具体的事実で勝負する!」ということでした。これなら本人の人柄が一発で分かるし、大学側もきちんと評価してくれることに気づいたのです。日頃の学業成績、本人が取った資格、参加した諸活動、部活動での成績、生徒会活動で取り組んだこと、表彰された大会、等々。とにかく「具体的事実」で埋めていく、決して曖昧な表現や抽象的な言葉でごまかさない、ということを信条にして「調査書」に取り組んできました。私が担当した学校で、実際に合格する生徒が飛躍的に増えていますから、少しは成果があったと思います。もう一つは、たくさんの先生方の目に触れる機会を増やすということがあります。以前勤めた学校では、担任が書いたものを、進路部長の私が見て、さらに教頭、校長が目を通すというシステムを取っていました。ただ儀礼通過的に判を押すのではなく、中身をしっかり吟味してゴーサインを出す(「面接練習」も同じシステムで多くの人を巻き込んで準備していました)。真っ赤になって担任の元に返ってくるということも度々。「推薦入試」の合格者が飛躍的に増えたのも、ちゃんと理由があったのでした。

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unless/ if …notの違いを教えるべきか?

 unlessif…notの違いを詳しく説明される先生方がおられます。結論的には、unless「~でない限り」/ if…not「もし~しなければ」と、意味の違いを理解しておけばよいのですが、このunlessが、歴史的にはon (a) less condition…のつまったものであることを、理解していれば、なぜ上のような意味になるのかは簡単に思い出せるはずです。実は、1993年のセンター本試験の第2問題で、次のような問題が出題され、生徒たちを困らせました。単純にunless = if…notと理解していた彼らは、④を選んだ人がずいぶんいたんです。正解は①です。

I'll be surprised (           ) an accident. He drives fast.
  ①if Tom doesn't have              ②if Tom has
  ③unless Tom doesn't have          ④unless Tom has
                   (1993年センター試験本試験 第2問題A 問14)

 これが高校生にふさわしい出題かというと、大いに疑問です。この問題を見て私は、学生時代に、Geis(1973)の論文をむさぼるように読んだのを懐かしく思い出しました。教員としては両者の違いは勉強しておく必要はあると思いますが、高校生に詳しく説明すべきとは思いません。私の尊敬する鷹家秀史(たかいえひでし)先生が、「if…notとunlessの違い」と題して、コンパクトにまとめておられますので、ご紹介しておきます(『英語教育』3月号(1993年)に載った論文を加筆修正されたものです)。先生方はぜひお読みくださいね。⇒コチラ  鷹家先生には、ご無理を言って、昨年松江北高で、ご講演と授業をやっていただきました。⇒詳しいレポートはコチラ

 もう今から24年も前のことです。出版社の営業の方が学校にやって来られて、「先生、うちの問題集にはunless / if …notの解説が出ていますので、ぜひ使ってみてください」と。 私はすかさず、そんな大学の先生でも難解な語法を、高校生に教える気はありません。もっと大切なことは一杯ありますから」と応えました。するとその営業社員は河上道生先生にも同じことを言われました」と言われました。河上道生先生というのは、文法・語法の大家で、当時私が傾倒していた学者で、当時広島女子大学学長の先生でした。この言葉で、また一層河上先生のファンになった八幡でした。その河上先生も2012年6月にお亡くなりになりました。⇒私の追悼記事はコチラ     先生の卓越したオールラウンドな英語力は、「日英間の絶え間ない往復作業」のたまものであったことは間違いありません。今日は懐かしい想い出のお話でした。写真上の二冊をもう一度読み返してみようと思っています。♥♥♥

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ホッ!

 2週間前くらいから、左脇の下付近が、締め付けるような感じが15分おきくらいに襲ってきて、しばらく続いては消えるんです。あー、まただ。そんなことが3回くらいありました。私は心臓を手術している身なので、何か気持ち悪くて心配していました。イヤだなーと。ろくなことを考えません。今日は久しぶりに「須山医院」で心臓の「精密検査」です。

 須山浩美先生には、日赤で心臓を手術した後、ずっとこの12年間お世話になっています。前に勤めていた津和野高校では、先生のお兄さん(医師)に担任した生徒がずいぶんお世話になりました。不思議なご縁です。日赤の心臓外科部長から独立開業されて、今の場所で診療を行っておられます(松江北高の卒業生です)。とっても親切にしていただき、いつも丁寧な説明と的確なアドバイスをいただいています。午後4時に病院に入ってビックリ!連休明けということもあるのか、ものすごい数の患者さんでいっぱいです。しばらく待って、まずは心電図。続いて超音波(エコ-)検査、最後にレントゲン検査です。症状を詳しく看護師さんに説明して、診察を待ちました。廊下で検査結果を待っていると、「69番、八幡さん」と呼ばれて診察室に入りました。先生によれば、心臓は何ら異常なし。ちょっと働きが悪い箇所は今まで通りあるけれども正常とのこと。症状に関しては、心臓の場合は痛みをピンポイントで特定できるものではない。心臓はもっと漠然とした苦しさで冷や汗が出たりするものとのこと。心配はないでしょう、という診察でした。ホッとしました。ヨッシャー!モヤモヤが晴れました。実に気分がよく、帰りに焼き肉屋の前を通ったので、肉をたらふく食べようかとも思いましたが、自制しました(笑)。ただ私の悪玉コレステロール値は正常ではあるんですが、心臓に疾患のある人はもっと数値を落とした方がよい、とのことで、お薬が追加されました。私は現在7種類の薬を服用しています。全部で6軒の病院をはしごしながら、毎日の生活を送っています。心臓検診のイラスト(学校の健康診断)

 最近ちょっと不安な日々を過ごしていましたが、まずはホッと一段落しました。さあ、次はどこに旅行に出ようか(笑)。❤❤❤

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鉄道捜査官「津和野トンネル殺人事件」

  スカパーで「鉄道捜査官 津和野トンネル殺人事件 山口線「貴婦人号」汽笛のトリック鉄壁のアリバイ、真犯人はSLに乗っていた」(原作は草野唯夫)の再放送を見ました。これは2003年に放送された鉄道捜査官シリーズの第3作目です。2000年の第1回放送以来、ほぼ年1作のペースで作られ、毎年春先に放映されてきました。第1作、第2作だけは『鉄道おんな捜査官 花村乃里子』(てつどうおんなそうさかん はなむらのりこ)のタイトルで放送されました。第1作、第3作以外の原作は、大好きな西村京太郎先生の十津川警部シリーズですが、捜査員はすべて「鉄道捜査隊」に置き換えられています。原作は十津川警部シリーズですが、主人公を鉄道捜査官の花村乃里子に置き換えました。ゴツゴツしたイメージの十津川警部ではなく、女性刑事を配することで、ファン層を広げたい、お茶の間の人気を狙ったテレビ局側の作戦だったのでしょう。そこら辺は、大好きな故・津村修介さんの私立探偵浦上伸介シリーズが、テレビ化される際に高林鮎子弁護士に置き換えられたこととよく似ていますね。以来17年も長続きする長寿番組に成長しました。さて、私は3年間津和野高校に勤めていたこともあって、このドラマに出てくる各所が、懐かしく思い出されたことでした。太皷谷稲成神社、乙女峠マリア聖堂、第一交通SL「やまぐち号」、…ああ~、懐かしい!!

 山口市で行われた講習会の帰途、警視庁鉄道捜査隊主任の花村乃里子(沢口靖子)は、小郡駅(当時、現在は新山口と駅名が変わっています)から念願だった観光専用SL列車『やまぐち号』に乗ります。多忙を極め有給を消化していない乃里子への倉田捜査課長(地井武男)の配慮です。列車が終着・津和野まで20分足らずとなったとき、乃里子は東京の倉田捜査課長に携帯電話で連絡をとるためデッキに出ました。車内に戻ると、乃里子の席には見知らぬ男がいて、SLの窓から身を乗り出すようにして熱心に写真を撮っています。男は、多田雄一(矢島健一)と名乗り、カーブを曲がる機関車を撮影するには、この席からのアングルが一番いいので、と弁解します。乃里子が微笑を返したその直後、「危ないな、あの人!」と多田が大声をあげます。見ると、前方の白井トンネルの上に、カメラを構えた男がいるではありませんか。列車が近づいた時、突然男の体が前のめりになり、そのまま転落、乃里子と多田は、その一部始終の目撃証人となったのでした。所轄署の刑事が現場に急行し、男が死んでいるのを確認。男は小田切(佐伯直之)という地元のタクシーの運転手で、現場近くに彼の営業車が停めてありました。その頃乃里子は、小田切が足を滑らせたトンネルの上を調べていて、切り株に犬釘が打たれ結びつけられたビニールロープが焼き切れているのを発見しますが、地元の刑事たちは、SLマニアの小田切が撮影に夢中になるあまり、足を踏み外したための事故死と判断してしまいます。しかし、乃里子はこの結論に異議を唱えました。いくらマニアだからといって、勤務中にわざわざひと気のない山の中にやって来るものだろうか?さらに、木の幹についていた新しい傷も?乃里子は殺人の可能性もあると指摘しますが、刑事たちは一切耳を貸しません。独自に調査を始めた乃里子は、小田切は特にSLファンでもなんでもなく、趣味と言えばもっぱら麻雀とパチンコであり、さらに、かつて働いていた東京で、女性絡みのトラブル(レイプ事件)を引き起こして、郷里の山口に舞い戻ってきたという過去の経歴も判明します。やがて、小田切が半月ほど前に、客と揉めていたという事実を乃里子は掴みます。東京の建設会社社長の多田源吉(庄司永健)と彼の娘で目の不自由な道子(大河内奈々子)です。乃里子は多田という苗字に引っかります。乃里子と一緒に小田切の転落死を目撃した青年も、多田という苗字でした。果してこれは偶然なのか? 東京に戻った乃里子は、多田雄一が源吉の息子で、道子の兄であることを知ることになるのですが…。小田切の転落死に何等かのトリックが用いられていることを確信した乃里子は捜査を続行します。事件は思わぬ展開へと流れていきました。そして最後に意外などんでん返しも。

 このドラマにも登場する、私にとって懐かしいスポットを2カ所だけ紹介しますね。

 地元のタクシー運転手小田切が、何者かに写真を撮るように頼まれた場所が、9号線沿い阿東・地福の「樹里庵」(じゅりあん)というレストランでした。ここは地元の阿東黒毛和牛を使ったステーキやハンバーグなどが有名ですが、県内でも有数のりんごの産地であり、旬の「アップルパイ」がとっても美味しいんです。コーヒーカップより大きめサイズの「アップルパイ」は温かく、生地もサクサク。美味しく煮込んでスライスされた旬のりんごの味は格別でした。よく同僚たちと行ったものです。津和野にはレストランらしきものがほとんどないので、あの頃は、よくみんなで山口や益田に出かけたものでした。

 このドラマの鍵を握る、多田源吉と娘の多田道子が墓参りに東京からやってきて泊まったホテルが、「ホテルかめ福」でした。ここは湯田温泉でも老舗の旅館で、津和野高校で初めて「学習合宿」を行った場所でした。夏の最も暑い時期に、学校を離れて冷房のきいた快適な「かめ福」を貸し切り状態で、泊まり込んで勉強を行いました(3泊4日だったかな?)。私は「夜の1時から○○講座をやるから!」とかゲリラ授業で無茶をやり、ひたすら勉強漬けの日々でした。おかげで、非常に良い進学結果が出たもので、それから数年は続きましたが、私が松江に帰ってからはもう中止になったみたいですね。山口大学で行われるセンター試験(津和野高校は島根県最西端部にあるために、センター試験は山口大学で受けるんです)に生徒を引率した際も、特別に食事はこの旅館にお願いしました。そんな訳で支配人の方と仲良くなり、格安で泊まらせてもらっていました。ここは特に温泉が充実しており、多種多様なお風呂を楽しむことができるんです。温泉に浸かりながら、美味しい料理を堪能しながら、鋭気を養って猛勉強したのもいい思い出です。北高同僚の先生方にも紹介している温泉宿で、またもう一度ゆっくりと訪れてみたい旅館です。❤❤❤

 

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nape

 懐かしい話を。もう今から20年以上も前のことです。napeという単語に興味を持っていました。辞書を引くと「えり首、うなじ」と訳語が出ています。問題はこの語につけられた当時の辞典類の語法注記です。通例the nape of the neckとして用いられる」(『サンライズ』)、「通例the nape of the neckで用いる」(『プログレッシブラーナーズ』)、「普通、the nape of the neck として用いる」(『ニューセンチュリー』)何故これだけ同一の記述が見られるのか?理由は簡単です。自分で確かめもせずに、よその辞典の記述を孫引きしているからに他なりません。私は当時、自分で小説や雑誌・新聞を読むときにチョット気をつけていました。すると判で押したように、次のような形でばかり使われていました。

 (1) In that instant, Bond felt the hair on the nape of his neck prickle with the sensed danger. ―J. Gardner, Icebreaker.

(2) She pulled her long blond hair into a tight knot at the nape of her neck…―D. Steel, Palomino.

(3) She washed and pulled her golden hair into a knot at the nape of her neck, and then concealed it beneath another dark cotten scarf. ―D. Steel. Remembrance.  

(4) Her hand caressed the nape of his neck.―Anonymous, Woman.

(5) He was bald save for a frieze of hair that started over each ear and dipped down to meet in a wiry bush at the nape of his neck. ―R.Cook, Brain.

(6) She knew that she looked as good as she could, and the whole effect pleased her as the soft Nile breeze caressed the nape of her neck. ―R. Cook, Sphinx.

(7) Her black hair was tied back at the nape of her neck with a gray ribbon.―C. Keene, Sisters in Crime.

(8) Josie said, and lifted her hair and touched the nape of her neck. ―Ed McBain, Eight Black Horses.

(9)Her black hair was pulled back and away from her face, fastened at the nape of her neck with a silver barette. ―Ed McBain, Mary, Mary.

 ちょっと見ただけでもこの単語がthe nape of one’s neckという形で使われることが明らかですね。今でも依然として、the nape of the neckの形で収録している辞典も多く見られます(one’sを併記するものも現れてはいますが)。今ならコーパスを利用すれば、この単語の実態などはすぐに分かりそうなものです。最近英米で出ている学習辞典の用例を見ると(すべて独自のコーパスの裏付けから作られている)そのことははっきりしますね。一部を見ておきましょう。

the way that his hair grew at the nape of his neck  [CAAED]
Her hair was cut short at the nape of her neck.  [OALD]
She kissed the nape of his neck.  [CALD]
He kissed the nape of her neck.  [MED]
the soft warm nape of her neck  [LDOCE]

 私は今から20年以上も前に、コツコツと用例を集めながらこのことに気がつきました。そして、関係する英和辞典にいち早く[the nape of one’s neckで]という注記を入れたのです。私の集めた上のような用例100枚近くが実証してくれていました。ライトハウス英和辞典』(研究社)の中にある「語法注記」は、当時の主幹故・竹林 滋先生の命で全て私が書いたものですが、全部に渡ってこのような実証作業を行っています。そしてボリンジャー博士イルソン博士アルジオ博士の確認を取りながら裏付けを行っています。まだまだ完全というわけにはいきませんが、他の学習辞典とひと味違うところがあるとすれば、当初からこうやって用例カードを使っての地道な裏付け作業の産物であることかもしれませんね。

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はきものをそろえる

 以前勤めていた津和野高校の職員トイレに、こんな張り紙がしてあるのに気づきました。いい言葉だな~と感心してメモしたものです。

        はきものをそろえる
はきものをそろえると心もそろう  心がそろうとはきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと  はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら  だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと  世界中の  人の心もそろうでしょう
                      (円福寺 藤本幸邦)

 禅でいう「脚下照顧(きゃっかしょうこ(=足下を見よ)という教えですね。「自分の履物を揃えられないようなものに何ができるか。まず履物を揃えるところから始めなさい。」と。これに関して、以前僕も同じような話を読んだことがありますので紹介しましょう。

 『初めてタイトルをとった第15期棋聖戦の対局の時でしたけど、僕は5分間の休憩時間をとってトイレに立ったんですわ。トイレの戸を開け、ふと足元を見たらスリッパがキチンと揃えられているんですわ。つま先を中に向けて、あとから入ってきた者が履きやすいように。びっくりしましたね。実は、僕が入るほんの直前に、対局相手の中原誠がトイしに立ってたんです。つまり、このスリッパを揃えたのは中原本人ということですよ。それまでに何度かトイレに立ったとき、いつもスリッパがキチンと揃っているんで、これはここの旅館の女中さんがなおしているんやろうと思っとったのです。それがそうやなかった…。それが分かった瞬間、愕然となりましたね。
 タイトル戦に限らず、勝負というものは厳しいものでしてね。たいていの棋士は、休憩をとって盤から離れ、頭を冷やすもんですわ。それでもたいがいの人は頭の中からは「将棋」がはなれんわけや。あーでもない、こーでもない、と構想を練ってるんです。まして、トイレのスリッパがどっちの方向を向いていようとかまへんのですわ。普通の棋士なら。それどころか、ついうっかりスリッパを履いたままトイレから出てきてしまうとかね。僕なんぞは、座敷にまで履いてあがろうとして、ハッと気づいたことがあるくらいやからね。ところが中原はそうやなかった。あとから入って来るもんのために気配りまでしてるとは…。その心のゆとりに、思わず圧倒されてしまいました。こいつは近い将来、棋界の第一人者になれる男や、と直感で分かりましたわ。こんな器の大きな男やったら、そうなって欲しいとも思った。そんな思いでスリッパを眺めていると、自分の「将棋」がふと見えてきたんやなあ。将棋というのは不思議なもんでしてね。将棋を知り尽くしたプロ棋士が全く同じ陣形で打ち始め、それでも勝ち負けが決まるわけでしょう。これは、どれだけ先を読めるかという「知」的な部分だけで決着がつくんやなくて、知も情も意もその全てをかけた勝負なんですわ。

 これは将棋プロの内藤国雄(ないとうくにお)九段が、自分の将棋人生で一番心に残っていることを語った言葉です。ここに出てくる中原 誠(なかはらまこと)は、その後名人となり大活躍したことは言うまでもありません。一流は一流を知る、私が好んで生徒に聞かせてあげる逸話です。

 はきものをそろえるということに関して、思い出されるのは、あの「V9」の偉業を成し遂げた巨人軍の川上哲治(かわかみてつはる)監督です。川上さんはミーティングにおいても、野球技術面のことはほとんど語らず、選手の人間教育に徹したということです。「人間とは?」「人生とは?」「仕事とは?」といった話ばかりだったと聞きます。トイレのスリッパの脱ぎ方まで注意し、「あとで使う人のことを考えて、きちんとそろえて脱ぐように」と厳しく選手に指導したと言います。そのことは川上さんが著書にその理由まではっきりと書いておられます。勝機は心眼にあり 球禅一如の野球道』(ベースボールマガジン社、1991年)という本です。ちょっと引用してみますね(下線は八幡)。

 私は選手の私生活面では、これは前にも述べましたが、チームワークを徹底するためにと考えて、自分勝手をやめさせ、相手のことを考えるように強調した。試合中の何百分の一秒の中で、相手のことを考えてプレーするということは、なかなか出来ないものです。しかし、そういうことを平素から癖をつけておけば、瞬間的に、ちょっとでも相手のことを考える気持ちがあったら、目的のないプレートか、エラーを招くような、いい加減な球なんか、投げたりはしませんからね。そういうことを徹底させるために、私生活での躾をちゃんとしていったわけです。
 相手への思いやりを忘れないためにはどうしたらいいか。ミーティングでは、野球のことだけでなくて、子供の育て方や,お金の貯め方とか、私生活面の指導なども、いろんなことをやった。
 遠征先の宿舎などでは、スリッパの脱ぎ方ひとつにしても、厳しく注意した。乱雑にやったら他人に迷惑をかける
 例えば、トイレには下駄やスリッパなどがあるでしょう。これを、自分の用が済んだら反対向きに揃えて出てこい、乱雑に脱ぎ捨てて来るもんじゃないんだ。そうすれば次に自分が行った時でも、乱雑になっているよりはちゃんとこっち向きに揃っていたほうが気持ちがいいだろう。これが作法の基本なんで、こういうことすべてに応用してやっていけ、と
 これはチームプレーにつながる問題です。チームプレーというものを確実にやるために、みんなが共用で使う場所があるわけですが、そういうところのマナーや考え方、やり方を教えていくわけです。
 こうして、多少とも時間のある時に、次の人のことを考えてこうしたことが出来てないと、ジャイアンツの野球は自分のほうから陰で相手を助けようということで連繋された野球で試合を進めているから、打ったり、投げたり、守ったりするような個人の技がいくら上手になったとしても、そういうことがちゃんと出来なければ、レギュラーの試合には出られないんだ―という教え方です。(pp.153-155)

 私も子どもの頃、母親に、靴を脱いだらきちんと逆向きに揃えて上がるようにと厳しく言われたものです。最近は、そういう躾を、きちんと子ども時代に受けていない高校生が多い気がしています。だらしなくスリッパを投げ散らかしています。最近の巨人軍の数々の不祥事を見ていると、こういった「人間教育」がまったくなされていないことがよく見て取れます。残念なことです。

(追記) V9を振り返って、あれだけの選手(王、長嶋など)を抱えていれば誰が監督をやっても優勝できる、などと言う人がいますがとんでもない話です。技術面だけでなく、人間としても一流の選手を育てていたからあの記録が達成されたというのが私の考えです。他の監督と違う川上さんの偉大さは「人間教育」を重視した点だと思います。私は英語教師ですが、川上さんを見習いたいと思っています。

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カフェ「エルグレコ」

 「大原美術館」で名画を鑑賞した後、美術館入り口の隣にある名店喫茶にお邪魔します。倉敷の代表的な観光スポットである美観地区に店を構える、蔦のからまる「カフェ エル・グレコ(EL GRECO)」は、50年以上の歴史があるレトロな喫茶店です。本館に展示されている絵画受胎告知」の作者であるエル・グレコから名を取り、店内にはその複製画も飾られています。升目の竿縁天井は高く開放的、上げ下げ窓からは柔らかな光が射し込んでいます。大正ロマン的な雰囲気に浸ることができるカフェです。元々は、大原美術館の設立者である大原孫三郎が小作農地の管理、経営のため奨農土地管理会社を設立し翌年に大原邸の川向かいに、建築家である薬師寺主計の設計により事務所を建築したのが起こりです。薬師寺は好きだったアイビー(蔦)をこの建築のそばに植え、今では建物の外壁の全面を覆い美観地区のなか四季の彩りを添えています。大原美術館で絵を観た人たちが休むための場所がほしい、美味しいコーヒーを」という大原孫三郎の長男・總一郎の思いを受け、現オーナーの母・浦江さんが喫茶店として昭和34年に開店しました。

 上げ下げ窓や天井、大原家の家紋が入った扉などは当時のまま。随所に落ち着いた大正ロマンの雰囲気を感じることができます。店内にはエル・グレコの複製画や立派な壷が飾られ、トンボ玉や倉敷ガラス、七宝などの作品が展示されているコーナーもあるので、お茶を楽しみながら芸術も楽しむことができます。高い天井やケヤキのテーブルなど、レトロな空間で、ほっと一息入れることができます。 

 オープン当初からずっと守り続けているというこだわりのオリジナルコーヒーは、モカを主体にした4種類の豆で作った深みのあるブレンドコーヒーです。丁寧にネルドリップされたコーヒーは、柔らかくマイルドな味に仕上がっており有名です。私は暑い時期に訪ねたので、コールコーヒー」をオーダーします。ほっと一息、鑑賞の余韻を楽しむことができます。

 爆発的にヒットしたという自慢の人気メニュー「レアチーズケーキ」は、県外からわざわざ食べに来るほどの人気ぶりです。オーナーがニューヨークで毎日のように食べていたというお気に入りのチーズケーキを、知人のパティシエにお願いして再現してもらったそうですよ。とろけるような軽い舌触りで、さっぱりとした上品な甘さ。トッピングされたブルーベリーソースとの相性も抜群です。あっさりとしたケーキで、美味しくいただきました。私もゆっくりとこのお店で時間を過ごしました。

 外壁の全面が蔦で覆われた建物は、観光客の目を引きますね。蔦の隙間から優しい光が差し込む店内には、ケヤキの大きなテーブルが用意されていて、ゆったりとくつろげる空間になっています。観光で歩き疲れた時に、そして絵画鑑賞の余韻を楽しむ時には、ぜひ訪れてほしい場所ですね。私はここで一仕事片付けました。❤❤❤

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耳かきアゲイン

 以前に、このブログで、医療器具屋さん(三祐医科工業)が作った最高のかきをご紹介しましたね(⇒コチラコチラです)。硬すぎず、柔らかすぎない、絶妙な「しなり」が、とっても気持ちがいい耳かきなんです!長年、医療機器製造業として、プロのお医者さん向けの器具の製造一筋40年の町工場「三祐医科工業株式会社(東京都足立区)の作品です。その確かな技術を生かして開発された商品が、足立ブランド認定職人の技医療器具屋さんが作った耳かき」です。使用している材料は医療機器を製造する為に通常使用しているもので、加工方法などにも医療機器を製造するための技術を用いています。いわば医療機器を製造するためのノウハウがぎっしり詰まった「耳かき」と言えますね。より安全に快適に使ってもらえる技術がびっしり詰まっています。私は今までにたくさんの耳かきを試してきましたが、これを上回る商品をまだ知りません。手に取るとよく分かるんですが、竹のような「しなり」で、隅々まで気持ちよく耳の掃除ができます。ダントツのナンバーワン&オンリーワンの耳かきです。主な特徴としては(1)先端部がしなり、耳垢をソフトに掻き出し快適・快感、(2)先端が黒色なので、耳垢の汚れが分かりやすい、(3)柄の表面が医療器具同様の滑り止め加工が施され、安心して使用できる、などが挙げられるでしょう。お値段は1,500円とちょっと高めですが、この品質を考えたら安い買い物です。

 今日、たまたま「東急ハンズ広島店」をのぞいたら、この耳かきが「3ミリ」「4ミリ」の2種類で販売されていました。初めて買ったのも東京・渋谷「東急ハンズ」だったと思います。以来、店頭でほとんど見ることがなかったんですが、久しぶりに見つけましたね。私は早速「3ミリ」のものを買って帰りました。以前に3mmと2mmが両端についているものを買ったんですが、机の上から忽然と消えてしまいました。書類と一緒にゴミ箱行きだったんでしょうか?こんなことが増えてきました(笑)。これで5本目かな?それぐらいに気に入っている商品なんです。みなさん、ぜひお試しあれ!!❤❤❤

 

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宍道湖遊歩道の表示板

 美しい夕陽で知られる松江の宍道湖ですが(⇒私のレポートはコチラです)、その楽しみ方はただ「眺める」だけじゃないんです。長年松江に住んでいますが、宍道湖大橋を北側に降りてきたら、面白いものを発見しました。ここは市民の散歩やランニングコースとなっています。何一つ遮るもののない湖と空の大パノラマの中でのウォーキング&ランニングは最高ですね。湖のほとりで一休みしている水鳥の姿も見ることもできます。休日には釣りを楽しむ家族連れの姿も多く見られます。建物が多い都会ではなかなか味わうことのできない開放感です。んじ湖温泉」街から道路を一本挟んで宍道湖沿いに遊歩道があり、近くの温泉旅館に宿入りしてから食事までの時間や、早朝の朝食前にちょっとだけ早起きして、ふらっとウォーキング&ランニングが楽しめます。さて、この遊歩道の足下に、100mごとに距離数松江名物のイラストが描かれたパネルが設置されていて、走行距離がわかるようになっていました。何度も通っている場所なんですが、今まで全く気づかなかった表示板です。すぐに分かるイラストもあれば、思わず足を止めてしまうユニークなイラストもあります(笑)。今日は足を止めて、1枚1枚注意して見てみました(下の写真)。スタート地点から1kmまで表示板が続いています。距離がわかるとテクテクやる気もアップします。折り返すと2km歩くことができますから、格好のウォーキング・コースですね。朝もやの中に浮かぶしじみ船や、水面にゆらめく松江の夜景など、宍道湖の様々な表情に出会えるはずです。ガイドブックには載っていない宍道湖の魅力を、ぜひ体感してくださいね。医者から、歩け、歩けと言われている私。夕陽を見ながら、この遊歩道を歩こうかな。でも家から遠いしなあ~。❤❤❤

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西村京太郎先生の戦争論

 北朝鮮がグアムに向けて4発のミサイルを発射し、島根・広島・高知を通過するというとんでもない計画を発表し、戦争への引き金になるのではとの報道に、緊張が走りました。私の住んでいる島根県も一躍注目され、出雲駐屯地に「パック3」が配備されるなど、慌ただしい対応を見せています。8月29日(火)早朝には、襟裳岬上空を通過して、弾道ミサイルが太平洋上に着弾しました。私は当日、広島のホテルの部屋で、テレビのニュースに釘付けになっていました。9月3日(日)には核実験までやったみたいですね(広島に落とされた原爆の10倍以上の威力という報道も)。いったいどうなっていくのでしょうか?恐ろしい。

 そんな中、戦中派の西村京太郎先生が初めて書き下ろした自伝的ノンフィクション『十五歳の戦争 陸軍幼年学校「最後の生徒」』(集英社新書)が、大きな話題となっています。私も発売と同時に書店に走り、読了しました。昭和20年4月1日。少年・矢島喜八郎、のちの作家・西村京太郎さんは、エリート将校養成機関「東京陸軍幼年学校」に入学します。8月15日の敗戦までの、短くも濃密な4か月半。「天皇の軍隊」の実像に戸惑い、同級生の遺体を燃やしながら死生観を培い、「本土決戦で楯となれ」という命令に死の覚悟を決めました。戦時下での少年は何を見て、何を悟ったのか。そして、戦後の混乱をどのように生き抜いて作家となったのか。本書は、自身の来歴とともに、いまこそ傾聴したい、戦中派の貴重な証言となっています。

 さて、熱狂的なファンである私は、600冊になろうとしている西村先生の著書のほとんどを読んでいるんですが、2015年に刊行された先生の作品群には、大きな傾向の変化が見て取れました。主人公の十津川警部が活躍する設定は同じなんですが、物語中には必ず、戦争の事実の記述や体験談が盛り込まれたということです。戦後70年という節目の年に、意図的に戦争を入れておられるな、と私は感じていました。個人的には、思いもかけない列車のトリックや、人間模様を主軸としたトラベルミステリーが好みなんですが、読んでいると、必ず戦争と絡めたお話になっていくのが、その当時の先生の特徴でした。例えば、その代表例が『八月十四日夜の殺人』(ジョイノベルズ)でしょう。戦争を知らない私も、この長編を読むことによって、ずいぶん勉強になったものです。若い人たちもぜひ読んでいただきたい西村先生の作品です(最近、実業之日本社文庫で再発売されています)。十津川警部の声を通して、日本人の無関心を嘆いておられます。

 亡くなった両親は、あの、玉音放送があって、その後、B29による、爆撃がなくなったので、ホットしたと、子供だった十津川に話していたから、その辺の事情も、知っているつもりだった。しかし、終戦前後の詳細になると、十津川も知らなかった。そこで、亀井と二人で今日中に、なんとか細かいところまで知ろうと、十津川は考えていた。しかし、終戦というか、敗戦というか、それがどうして、決まったのかについて書かれた膨大な資料を、亀井と読み進めていくうちに、まず自分の知識が、あまりにも少なく、真相に、遠いか、知ることになった。

 チョット重たいな、と思いながらもこれらの全作品を読んでいますが、どうしてこのような作風変化が生じたのか?という理由を、日本推理作家協会「嗜好と文化」Vol.46に登場した西村先生はインタビューで語っておられました。⇒コチラで全文を読むことができます

 戦争ものを書いておきたいと思いまして。B29などをデスクに置いておくと、この爆撃機に校庭で追いかけまわされたなあ、と当時のことが思い出されますから。最近の作品に、戦争中や戦後社会のことを書いています。戦後70年の今年出版される十津川作品にはすべて戦争、戦後のことが入っています。特攻隊員の生き残りなど、事件の関係者の祖父、祖母の経験したことを回想として描いています。元軍国少年としては、今の視点で書くのではなく、当時生きていた人間がその時どう感じていたか、を伝えたいという思いがある。表現上難しいところもありますが、これが実際にあったことだ、ということを伝えたい。でないと、戦争を忘れちゃうでしょう。最近の若い編集者と話していると、B29を見て、『これは何ですか』と聞く。戦争や戦後のこと、知らないんですね。がくぜんとします。

 先日、8月10日放送の「報道ステーション」(テレビ朝日系)で、著者の西村京太郎先生が、日本人がその国民性からして「戦争に向いていない」と断言されましたね。先生は上の『十五歳の戦争』の中で、その理由を次のようにまとめておられます。

①国内戦と国際戦の違いがわからない。
②現代戦では、死ぬことより、生きることが重要なのに、日本人は、死に酔ってしまう。
③戦争は、始めたら一刻も早く止めるべきなのに、日本人はだらだらと続けていく。
④日本人は、権力に弱く戦争を叫ぶ権力者の声に従ってしまう。
⑤頭の中で反対でも、沈黙を守り、賛成しなかったからいいと、自分を納得させてしまう。
⑥日本人の場合、社会の前に世間があって、その世間に屈して、社会的行動を取れない。
⑦日本人が、一番恐れるのは、「臆病者」とか「卑怯者」といわれることである。だから「臆病者」「卑怯者」といわれるのを恐れて、戦争に賛成した。

 番組では、ノンフィクション作品『十五歳の戦争  陸軍幼年学校「最後の生徒」』の発売を機に、著者の西村先生がVTR出演して、自身の戦争体験を振り返っておられました。西村先生は陸軍のエリート将校養成学校である「陸軍幼年学校」在学中に、14歳で終戦を迎えたといいます。当時の悲惨な体験から、「日本人は戦争に向いていない」と心から悟ったそうです。西村先生は『十五歳の戦争』の中で、他の国が「現代の戦争」を戦っているのに対し、日本は「際限のない精神主義、根性主義である。これは信仰に近かった」「特攻と玉砕に酔う人たちである」と綴っておられます。「現代戦争ってね、生き延びなくてはいけない」と語ります。一方、西村先生は日本人が「死ねばいいんじゃないか」と考えてしまうため、戦争に根本的に向いていないのだと解説していきます。そして、日本人には今も「死んでなんとか勝つぞ」といった精神性が伏流していると指摘し、そうした国民性から「戦争はしない方がいい」と強調しました。一度戦争が始まったら、「みんなが死んでるのに、俺だけ生きてるわけにはいかない」という考え方をしてしまう、と語っておられました。

 やはり昨年の「赤旗」日曜版にも、西村先生は語っておられました。

 終戦の時は15歳でした。陸軍幼年学校にいたので、あと何年か戦争が続いていたら、小隊を率いて死んでいたでしょう。怖いのは、戦争になると死を恐れなくなること。戦争のための教育をたたきこまれたから、死ぬのは全然怖くなかった。戦争末期は爆撃も激しくなり、誰も勝てるとは思わなかった。でも上の人は”勝てないけど負けない”と言う。そんなおかしな理屈をのみこみ、自分は勇ましく死ぬんだと思いこんでいた。狂気にかりたてられていたというか、狂気が”普通”になっていました。僕は『戦陣訓』が嫌いです。陸軍刑法には、捕虜になったときの規定がある。法律上は、捕虜になってもよかったんです。でも、『戦陣訓』のせいで、死ななくてもとかった人がたくさん死んだと思います。日本人は家庭ではいい人です。でも実際は、戦争中の話をいろいろ読んでいくと、違いますよね。兵隊になったとたん、おかしくなっちゃうんです。僕は戦争したくないけど、なかには戦争したい人もいるんだよね。不思議なんだけど。アニメやマンガの中には、戦争を何か勇ましいことのように描くものもある。だけど実際の戦争は違う。首相も政治家の多くも戦争を知らないんです。昔は自民党の中にも戦争を知る政治家がいて歯止めになっていた。そういう人たちがいなくなっちゃうのは困るんだ。戦争中、東条英機首相の暗殺計画があったんです。それを踏まえて考えると、いまの日本は平和だけど、上の人(首相)がおかしくなって日本が戦争に突き進もうとするようになったら、首相を暗殺しようとする動きが出てくるかもしれない。現実はもちろん許さないことだけど、小説だから、そんな話も考えています。世界中が戦争になっても日本だけはたたかわない方がいい。たたかわない国が、一国でもないと、まずいんだ。日本は第2次世界大戦の時のスイスのように、したたかな外交力を発揮すべきです。アメリカと一緒になって戦争に巻き込まれるのはまずいと思うな。誰から何をいわれようと、日本は戦争はしない。その道を突き進めばいい。そういう国がないと、戦争の仲裁とかもできないでしょう

 西村先生は、戦争を肌身の体験として知っている最後の世代に属しておられます。今、先生にしか書けないご自身の苛烈な体験に、耳を傾けてみましょう。


(追記)月曜日に放送された十津川警部シリーズ最新作において、やはり予告通り、西村京太郎先生と奥様がテレビに登場しておられました。香取教授の自宅を訪ねた十津川警部が、玄関先で振り返ると西村先生ご夫妻がおられ、「あの~、お近くにお住まいの方でしょうか?」と尋ねると、しばらく見つめ合い、「いいえ」と言って立ち去って行くお二人でした。あの場面はいったい何だったんでしょう?いかにも唐突でしたね(笑)。先生も去る9月6日に、87歳の誕生日を迎えておられます。著書ももうすぐ600冊のカウントダウンが始まっています(現在592冊)。先生の今の目標は635冊だと、私に語られました。東京スカイツリーの高さ634mを1つだけ上回りたいとのことでした。⇒私のインタビューはコチラです  最新著作リストは「西村京太郎研究会」コチラをご覧ください。❤❤❤

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「お色直し」

 数年前、センター試験の第1問に関して、某予備校の某講師が著書の中で、過去問をやっても意味がない。同じ単語は出ないから」という意味のことを書いておられて、唖然としたことがあります。「あー、この人は自分で過去問を解いていないんだなあ~」と思い、それからはこの人の書くものは信用しないことにしました。私は1990年から2017年までのセンター試験の本試験・追試験をデータベース化して、その中身をいろいろな角度から分析して、4種類の「頻出語リスト」にまとめています(昨年はこのリストを自費でCD化して、生徒が繰り返し音読し、好成績を収めました)。詳しくは私の「センター対策本」をご覧ください。その中で複数回出題されたものには、★★★、★★、★印をつけて注意を喚起しています。発音問題で出た単語が、アクセント問題に登場したり、その逆もあります。たとえば、energyなどは5回も出題されています。それはこの語がよく使われる日常語となっているのだけれど、日本語読みすると間違える「カタカナ語」だからです。おそらく出題当初は生徒の正答率が低いところから、何度も再登場したものと思われます。センター試験では、このように一度出た単語が再び登場する、形を変えて登場する、ことが頻繁に見られるのです。それが最も顕著なのが、第1問の「発音・アクセント問題」です。私は、授業ではこれを結婚式で花嫁が衣装を何度も着替えるのに喩えて、「お色直し」と呼んで、生徒に注意を喚起しています。

 第1問だけでなく、第2問も「お色直し」(=再出題)がよく見られます。たとえば、have + O + V-ed」の構造は、1991 年度(本試)、1994 年度(追試)、 1998 年度(本試)、2004 年度(本試)、2006 年度(本試)、2015 年度(本試)と、これまでに6回も出題されています。2017 年度(本試)では、havegetに代わっただけの「get + O + V-ed」出題されました。聞いているポイントは同じことなのですが、正解率が大幅に落ち込みました(43.2%)。このように文法・語法問題には、繰り返し出題されるものも存在するので、過去問題を解きながらその傾向をつか むことが大切です。八幡成人(監修)中川右也・土屋知洋(編)『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(桐原書店、760円+税)「ハンドブック」(写真下、出版当時はピアソン桐原)が的中率が高いのは、そのような詳細な分析を背景に、頻出事項をまとめてあるからだと思います。現在第13刷です。ぜひオススメしておきます。松江北高の補習科でも、最近この1冊を終わりました。

 上で述べたことは、自分で過去問をしっかりと解いて分析していないと分かりません。残念なことですが、現場の教師も全員がこれをきちんとやっているとは言えない状況です。日頃の模試でさえ、自分で丁寧に解きもせずに、「やっておきなさい」で片付けて、「やりっ放し」になっているところが多く見られます。それでは生徒の力がつきません。模試もセンター試験の過去問も復習して初めて力になっていきます。

▲左から土屋先生(防衛大学)・八幡・中川先生(鈴鹿高校)

    

 上揭書の共著者中川右也先生(三重県鈴鹿高校)が、昨年に引き続き、今年のセンター試験を詳細に分析してまとめたものを送ってくださいました。センター試験(英語)の傾向」(全64頁)という資料で、「ダウンロードサイト」に登録してありますので、ぜひご一読ください。先ほど例に出した第1問では、どのような単語が今までに出題されていて、どれだけ「お色直し」が行われているか、過去の出題語がアルファベット順に一覧表になっていて、一目で理解できます。これは貴重な資料です。中川先生、どうもありがとうございました。みなさんで共有させていただきます。

・「センター試験(英語)の傾向」 鈴鹿高等学校 中川右也⇒コチラです

(追記)今日、中川先生からメールがあり、一昨日のブログで紹介したカシオ電子辞書セミナーで知り合った野村和宏教授(神戸市外国語大学)は、中川先生の修士課程(英語教育学)の指導教官だったそうです。中川先生と私は、どちらも故・安藤貞雄先生の教え子という共通点があります。再び、人の不思議な縁を感じました。出会いは大切にしなければなりませんね。

▲私の大好きな「鳥取花回廊」にて 暇があると出かけています

 

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岩崎宏美の「夢」

★神様がくれた休暇?!★

 抜群の歌唱力で歌い上げる岩崎宏美(いわさきひろみ)さんには、さだまさしさんへのトリビュート・アルバムがあるくらいですから(⇒私の紹介レポートはコチラ)、二人は非常に仲が良く、「ひろみ」「まさし」と呼び合う仲です。山口百恵ちゃんに『秋桜』(コスモス)があって、なんで私にないのよ!」と脅迫して(笑)作ってもらった曲が「夢」という歌です。さだまさしさん作詞・作曲の「夢」が発売になったのは2001年のことでした。ところがちょうどその頃、岩崎さんはのどにポリープができていて、本来の声が全く出なくなっていました。神戸で行われたコンサートで、こんばんは、皆さま、ようこそお越しくださいました。岩崎宏美です」幕があいて客席に向かって最初の一言を発した瞬間、そのガラガラ声に、お客さんがスーッと引いていくのが分かったと言います。その後、どうステージをこなしたのか、ちゃんと歌えたのか、全く記憶がないと言います。アンコールの時に、もう無理なので、休みます……」と、泣きながら宣言したそうです。さださんにお詫びの電話を入れます。新曲のPRの時期なのに、歌うことができなくて申し訳ない、と。すると、さださんは、こんな言葉を岩崎さんにかけたそうです。

 「これは神様がくれた休暇だよ。宏美の歌い方でポリープができるとは思えないけど、宏美は今まで休まずにずっと歌ってきたんだ。一度リセットして、また新たに頑張れっていうエールなんだから、何も心配しないで、ゆっくり治せばいいよ」

 岩崎さんは涙が溢れたそうです。そして、逃げずに不調と向き合おうと、そのとき決心がついたそうです。その後、のどが元に戻るまでには一年以上かかりました。この経験から、歌えることは当たり前でなく奇跡なのだ、と気づくことができました。歌手最大の危機をプラスの経験に変えられたのは、さださんのあたたかい励ましの言葉があったからこそだ、と語っておられます。最新の『PHP』10月号に、このいい話を岩崎さんが書いておられたので、ご紹介しました。岩崎宏美さんの「夢、さださんらしいいい曲です。さださん自身も歌っておられ、本家と聞き比べてみるのもいいでしょう。

 このさださんの言葉が救いとなり、岩崎さんは、さらにさださんのファンになったと言います。「大好きだからなんです。昔から仲良くさせていただいているんですが、ここ10年ぐらいかな、自分の中でいろいろ大変な時期や立ち止まった時期に、こういう歌を書けるさだまさしさんはすごいなと思って。彼の曲を聴いて自分を奮いたたせる中で、まだまだ歌いたい曲があると思いました」 以来、「歌いたい曲を見つける」と、さだ作品を聴き続け、カバーをしてきた彼女。トリビュート・アルバムを作ることが決まったとき、最初に「歌いたい」と思った曲は「奇跡 ~大きな愛のように」だといいます。この歌をどうしても歌いたくてこのアルバムを作ったんです。去年の震災で皆が胸を痛めていたとき、この歌でどれだけ元気をもらったことか。私自身もまさしさんのコンサートでこの曲を聴いたときに声を押し殺して泣きました」 私もこの歌は大好きな作品で、特に出だしのサビから始まる「どんなにせつなくても  必ず明日は来る  ながいながい坂道のぼるのは  あなた独りじゃない」という詩が、ジーンときました。お聴きください。

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カシオ電子辞書セミナー

 もうずいぶん前のことになりますが、昨年の夏休みの8月6日(土)に、岡山県立笠岡高等学校にお招きいただいて、三年生に「特別授業」をさせていただきました。その授業に、カシオ計算機岡山支社・所長の山崎 哲さんと西林さんが見学に来られました。私は、高校入門期は紙の辞書で徹底的に辞書指導をして、ある程度英語力がついた時期(たとえば大学生)から電子辞書を活用すべきという持論を持っていて、入門期の生徒たちには、かたくなに電子辞書の教室への持ち込みを禁じてきました。その後松江に帰ってから、10月1日(土)に、「授業に生かす電子辞書セミナー」を米子で開催するからぜひお出かけください、というお誘いをその山﨑所長からいただき、ちょうどその日は空いていたので、会場の米子・ビッグシップに出かけてきました。神戸市外国語大学野村和宏教授がご講演なさるということもあり、楽しみに会場に入りました。開会までまだ時間があったので、会場で終わったばかりの中間試験の採点に精を出していました。

 さて、流暢な英語で野村先生の講義が始まりました。鳥取県だけでなく、島根県からも顔見知りの先生方がご参加になっていました。非常に勉強になるお話でした。英語教育論だけでなく、実際の機器を試しながら、電子辞書が英語授業にどのように役立つのかを具体例を交えながら教えていただきました。個人的には野村先生の英語の勉強の仕方をいろいろと伺うことができ、とても参考になりました。真似てみようというものがいっぱいありました。小西先生の下で苦労された辞書のお話は、同じく辞書に携わる者として非常に興味深いものでした。野村先生のお話を聞き、特に現在の電子辞書はここまで進化を遂げていることを知り、私の今までの「価値観」が揺らぐ体験でした。

▲神戸市外国語大学野村和宏教授と

 会の終了後、発表をされた米子西高校波多野先生たちとコーヒーを飲みながら歓談した後、場所を移して食事に出かけました。野村先生のカメラの趣味、万年筆の趣味、などに加えて、英語談義に盛り上がりました。本当に楽しいひと時を過ごすことができました。山崎所長、貴重な機会をありがとうございました。人との出会いというのは、こういう偶然が大きな役割を演じます。

▲説明会で山﨑所長

 そんなこんなで、カシオ計算機さんと不思議なご縁ができ、学校に来ていただいたり、電子辞書の最新情報をいただいたりしておりました。で、今回は松江北高等学校の英語科の先生方に、最新モデルを試していただこうということになり、担当の徳原裕則さんをはじめ、カシオ計算機の方々に学校にお越しいただき、デモ説明会を開催しました。英語科だけでなく、興味のある他教科の先生方もたくさんご参加いただきました。詳しい使い方・活用法を聞いて、その魅力に魅せられ、ぜひ自分も使いたいということで、多くの先生方が電子辞書をご購入されました。

▲松江北高での電子辞書説明会

 そんなご縁もあり、この度、私がカシオの電子辞書最新学校モデルXD-G4700の紹介文チラシ「移動図書館+知の宝庫」を書かせていただきました。多彩な検索機能、コミュニケーション能力を総合的に高める仕組み、140もの有用なコンテンツ、コーパス的利用法、など私の個人的な活用法を詳しく解説しております。ダウンロードサイト」に登録しておきましたので、興味のある方はご覧ください。⇒コチラです

・「移動図書館+知の宝庫」 島根県立松江北高等学校 八幡成人

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「ラコステ」はいいな!

 広島・そごうの新館7階にある「ラコステ」に通い出してからもう20年近く経とうとしています。私は洋服は「ラコステ」「ブルックスブラザーズ」と決めていまして、広島に出るたびに、ここと福屋にあるブルックスのお店をのぞくことにしています。やはり決め手は品質ですかね。⇒コチラにロゴの起源と高品質について私が解説しました   もう長い間着ていますが、「ラコステ」のものは裏切られたことがありません。やはりいいものはいいんです。

 今日も、高速バスの発車時間まで1時間ほどゆとりがあったので、のぞいてみました。もう十年以上も担当してくださっている方で、とってもよくしてもらっています。私がブルー系を好んでいることもよく知っておられて、いつも行く度に、奥の倉庫からいろいろと出してきてくださいます。今日もそんな2枚をいただきました。

 さて、支払いを済ませて返ろうとしていたら、足下のところにバッグが何個かぶら下げてあって、私の大好きな色が目に付いたんです。以前も、「ラコステ」のライトブルーのバッグを買って長く使っていましたが、さすがに10年近くも使っていると、ファスナー部分が痛んできていました。早速手に取って見ると色が鮮やかでいいんです、これが。早速いただくことにしました。写真でパチリ!

 今日ものぞいて収穫がありました。昔は、藤岡さんという店員の方が、すごく親切にしてくださって、この店に通うようになりました。いつも大量に買い、持って帰るのが荷物になるので送ってもらっていたんですが、荷物の中にはいつも丁重なお手紙が。これが心温まる文面で、いつも「また行こう!」と思うような内容だったんです。今はもうこの方は辞められて二代目さんなんですが、気さくにいろいろとアドバイスしてもらっています。やはりお店は店員さんですね。宣伝も頼まれたので(笑)、広島そごう」のラコステ、いいですよ!❤❤❤

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「シャンボール」

◎週末はグルメ情報です!!

 「リーガロイヤルホテル広島」に泊まると必ずお邪魔するのが、最上階(33階)にあるフレンチ・レストラン「シャンボール」です。何よりも眺望がすばらしいんです。 ホテル最上階から見る広島の絶景夜景と、フレンチのコースを堪能することができます。室内も華やかなシャンデリアがある落ち着いた空間になっていて、フランスのシャンボール城を彷彿させるインテリアです。 白で統一された室内はとても高級感がありますね。お料理・お味、そしてサービスも本格的で、私にはホッと心を休めることのできるゆったりとした憩いの場となっています。ここに来ると、明日への活力をいただいています。

 広い大きな窓から見える広島の美しい夜景を額縁にして、美味しいフレンチをいただくんです。いつも来る度に思うことなんですが、このお店の「お水」が最高に美味しいんです。お水が美味しいと感じるお店はそんなにないんですが、ここだけは人にも勧めています。担当の方のお話によれば、広島のお水は名水にも選ばれていて、汲みに来る人もいるくらい美味しいんだそうです。そのお水を上質の浄水器でこして使っているとのこと。いつも何杯もお代わりをしてしまいます。今夜も私一人の貸切状態で、係りの人と親しくお話をしながら、コース料理をいただきました。いつも来るたびに思うんですが、スタッフが上品で感じのいい親切なお店です。

 広島の食材をふんだんに使った、季節感あふれる料理のお味も最高に美味しいんです。今日いただいたのは次の通り。彩りも豊かで鮮やかな料理の数々は目でも堪能できます。私はここの大ファンなんです。最後に頂く小菓子とコーヒーの美味しいこと!❤❤❤

アミューズ ブーシュ
烏賊とイカ墨のメダイヨン仕立てウニを添えて松の実を散らしたサラダと共に
本日の魚のポワレ 冬瓜のサフラン風味添え
パン&バター
ヴェルモットとヴァン・ムスー風味ソース
オーストラリア産仔羊肩ロース肉のグリエ 彩り野菜添え ジュ・ダニョーにエストラゴンの香りをつけて
本日のデザート
コーヒー・ミニャルディーズ添え



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「ヘンなジジイ」の三条件

 今年で歌手活動44年目を迎えたさだまさしさん。これまで積み上げてきたコンサートの数はなんと4239回!(日本記録)です。8月25日(金)のNHK「BSコンシェルジェ」に出演したさだまさしさん。ここで、さださんが目指しているのは「ヘンなジジイ」だと述べておられました。20代前半に一緒に酒を飲んだ哲学者谷川徹三さん、文芸評論家山本健吉さん、作家遠藤周作さん、野球選手王 貞治さんたちが自分の人生を変えたという。よく見てみるとみんな変なジジイだと言います。さださんいわく、ヘンなジジイ」には共通の三条件があり、まずは、1)知識が豊富であること。それぞれのジジイの一言にそれぞれに正解があり、正解は一つではないということを気づかせてくれるという。漫然と生きていくと情報が流れていくだけで、知識は増えていかず、変なジジイになる人は流れていかないように紐を離さないという。知識という記憶力の中で培ってきたものを、どう実生活で活用できるかということが本当の知識であり、教養だと思うと話しました。

 次に、(2)「どんな痛みも共有してくれる」。さだまさしさんは山本健吉さんがいなかったらとうに歌をやめていたかもしれないと話しました。根暗」「軟弱」「マザコン」「女性蔑視」「右翼」「左翼」など、歌ってきた曲が批判を受けるたびに、たかが歌でなんで日本中を敵に回すのか?と思ったといいます。さらに「防人の詩」がヒットした時には、戦争の映画だったため、戦争を賛美していると言われました。その時に山本健吉さんは、これは命の詩であり、居なくなった人を歌うことは、日本の詩歌の伝統で、キミは居なくなった人を歌うのはうまいから自信を持ちなさい、と励まされ、胸を張ろうと思えるようになったという。このように「ヘンなジジイ」はいつも背中を押してくれる人です。

 最後は、3)「何か一つスゴイものを持っている」。これは最低条件で、さださんはまだ何も持てていないといいますが、それは謙遜です。さださんは職人が好きで、色んな全国の職人に会いに行くといいます。「人は道によって賢し」という言葉があるが、職人は抜群の知識がある。生活品を作っているので、気負いもないし、カッコもつけない。そんな変なジジイになりたく、自分は歌を歌うので、歌をうたうことで変なジジイになれたらいいと話しました。迷っている青年には、色んな“ジジイ” “ババア”に会って欲しいと言います。男性はジジイで、女性はババアがいい。「あ!この人すごいな!」と思った瞬間に、迷っていた霧がパッと晴れるといいます。

 さださん曰く、僕には夢があります。その夢の実現のために、いろんなことをやっているところなんです。人生はたった一度しか生きられないんです。だから、いろんなことを体験して、それを身体のあちこちのポケットにしまっておきたいんです。僕の夢!年をとったらへんなじじいになりたいんです(笑)。いや、笑ってらっしゃいますけど、僕、本気でへんなじじいになりたいんです。残念ながらへんなばばあにはなれないもんで、身体の構造上ね(笑)

 さて、思い起こしてみるに、さださんは若い頃からコンサートで、ヘンなジジイ」になりたいと公言しておられましたね。ある会場では、こんなことを言っておられました。

 ほらッ、時々いるじゃない、へんなじじいが。いろんなこと知ってやがって、ホラ吹きでね(笑)、なんでも知ってる、どこまで本当かわからないけど、いろんなことを知ってるじじい、そういうのになりたい。そのために、いま、いろんな体験を積んでいるんです。で、年をとったら若い衆を集めてね、ホラを吹くんです。「あのじじいよ、ホラばっかり吹くけど結構おもしれぇんだ。行こうぜ」って、町内の若者連中がワサワサ寄ってくる。それを相手に、そりゃもう、いろんなことしゃべって聞かせる。お茶菓子も出してね、フフッ、お茶菓子で釣る。そのために今からお茶菓子代をためるんです。ああッ、へんなじじいになりてぇなぁ!(笑)だけど、本当のこと言っても信じて貰えないだろうなあ。ホラだと思われるようなこと、僕はいろいろやってきましたからねえ。たとえば、あと三十年も四十年もたってから、もし生きてたとしてね、こんな話をするの。

 「バッキャロウッ、わしの若い頃はなッ、新宿の厚生年金って知ってるだろう。あすこにな、ワアッと、たァくさんのお客さんがな、わしの歌を聴きに」(笑) なんで笑うの? ねえ、なんで笑うの? 歌を聴きにで(爆笑)。フフフッ、「しゃべりもだけどなあ(笑)、そりゃあもう、たくさんの人が集まってくれたんだぞォ」 「嘘つけッ、このハゲッ!」(爆笑)とか言われながら、頑張りたいですよねえ。話だけじゃ信じて貰えないようなこと、たくさんありますもの、わたしの場合は。「わしがな、若い時にな、奈良の東大寺の大仏様に尻向けて歌ったんだぞォッ」 「ほんとォッ? このじじいがァ」(笑)なんて、いわれるような気がするなあ。
「わしの若い頃、中国に行ってな、峨眉山に登った。峨眉山、知ってるか?」
「ああ、あの杜子春に出てくるあの山かな」
「そうだ、その峨眉山、標高三〇九九メートル、わしはな、あの、中国の名山中の名山といわれる峨眉山に登ったんだ、自分の足でな。きれいだったぞォ。その頂点に立ってなァ、雲海の上からゴビ砂漠に向かってションベンをしたんだッ、俺はッ」(笑)本当にしたのに信じないやつがいるんじゃないかと思うんですね。そういう意味じゃ、ずいぶんいろんなことをさしていただきました、おかげさまでね。ああ~ッ、へんなじいさんになりてぇなァ! わたしはそんな夢を抱いております。

 ほらッ、可愛いじじいってよくいるでしょ、もうッ、あのおじいちゃん、可愛いのォッ、優しくって、いつもニコニコしててね、人がよくって、なぁ~んていわれたかァないんですッ、わたしは(笑)。あのじじい、やなやつだな、なんていわれながら、ご近所の嫌われ者でいてね、子供が道端で遊んでると、パシーンッて横っ面ひっぱたいて、「(年寄りの声で)危ないとこで遊ぶんじゃねえッ、このガキはッ」(笑)なんていいながら歩く。僕の子供の頃いましたよ、松竹じいさんっていって、大きな声で子どもを怒鳴って歩くご近所の嫌われ者が、長崎でね。まあ、怒って歩くだけじゃしょうがないんですけどね。でも、誰かが相談にくるとね、「おうッ、それはな、こうだよ」なんて、なんでも答えられる、そんなじいさんになりたいな。そのためにはなんでもします。今から、いろんな体験を積んでおきたいんです。東に可愛い女子学生いれば行って電話番号を聴き、西に淋しい未亡人あれば共にコブ茶を飲みつつ語らう、そんなじじいにわたしはなりたいッ!(笑)

 死ぬ時がまたいいのッ!(笑) もうッ、最後のひと言を決めてあるんです。いよいよ危ないって思ったら、近所の若い衆を全部集めるんです。みんなワァーッと集まってきますよ。もうねッ、可愛い女の子なんかウジャウジャ来ます(笑)。で、最後、わたしはね、ヨレッとしてるんです。やっと布団から起き上がってね、苦しい息の中から 「(力ない低い声で)わしはなあ、いままでこうして生きてきたがなあ、なかなかおもしろかったあ。最後にひとつ、お前たちに頼みがある。威勢よくいきたい、それじゃあッ、お手を拝借ッ(笑)、イヨーォッ、パ~ンッ」(笑)これで、ガクッといくわけね。そうすっと、若造の中のリーダーがわたしにパーッと駆け寄ってきてね、ガバッと抱き起こすとパンパンパンパンッて頬っぺたを叩いて、わたしを呼び戻すの、「じいさんッ、しっかりしろッ、じいさんッ、じいさんッ!」そうするとわたしはうっすらと目を開けて、息も絶えだえに最後のひと言をいう。こう、手をさしのべてね、聞こえるか聞こえないか、でも聞こえるように、「アアーッ、あ、赤城山のふ、も、とォ~…」ガクッ。すると、若造め、びっくりするわけですよ。まわりの連中の顔見まわして、「おいッ、いま、なんかいっただろッ、じいさん」
「うん、いったよッ」
「なんつった?」
「赤城山のふもと、とか…」
「いったよなッ、赤城山のふもとって、確かに!」
「じじいッ、なんか埋めやがったぞッ、これッ」(爆笑)
「そうだッ、絶対埋めたよッ」

 みんなでツルハシ持って、赤城山のふもとまででかけるわけ(笑)。埋めてないのッ、ぜ~んぜんッ(笑)。わたしは嘘ついたわけじゃあないんです。赤城山のふもとはきれいだっていいかけて死ぬわけですから(爆笑)。まあね、わたしはそれが夢です。実現可能な夢! そうやってホラ吹きたいためにね、いま、どんなことでもやろうじゃないか、なんでも体験してやろうじゃないかってね、頑張っているところでございます(拍手)。楽しいよォ!

 私もこんな「ヘンなジジイ」になりたいものです。そんなことを考えていたら、8月29日(火)朝、泊まっていた「リーガロイヤルホテル広島」のお部屋に入れられた『日本経済新聞』に、さだまさしさんの新著『やばい老人になろう やんちゃでちょうどいい』(PHP、1100円税別)の広告が掲載されていました。とってもタイムリーでした!すぐその足で、丸善ジュンク堂」に急ぎ、この本を買ってきました。帰りの高速バスの中で一気に読み上げました。上で述べたことが、ヘンなジジイの例をたくさん挙げながら、詳しく語られていました。さださん、ヘンなジジイへの道を着実に歩んでいますよ(笑)。今日、さださんの2年ぶりのオリジナルニューアルバム『惠百福  たくさんのしあわせ』が届きました。⇒詳細はコチラ    9月9日(土)には「サワコの朝」にゲスト出演して、阿川佐和子さんとの楽しいトークが繰り広げられますよ。❤❤❤

 

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西村京太郎先生 、十津川警部テレビ出演!

 渡瀬恒彦さんに代わって内藤剛志さんが十津川警部を演じるシリーズも、早いものでもう今回が3作目になりますね。タイトルを『新・十津川警部シリーズ』から『十津川警部シリーズ』に改め(TBSテレビ局がこれを定番にしようとする意図の現れ?)、今回は3時間のスペシャルバージョン「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ3  伊豆踊り子号殺人迷路」で、来週月曜日9月11日(20時~)に放送されます。ドラマの見どころである鉄道サスペンスの旅情と、前代未聞の殺人事件の謎解きをたっぷりと堪能しましょう。サスペンスドラマ初出演の堺 正章さんが、事件解決の鍵を握る犯罪心理学者としてゲスト出演。十津川に事件解決のヒントを与えると共に、謎を秘めた「知の巨人」としても立ちはだかります。内藤さんと堺さんは、以前ドラマ「水戸黄門」第40部(2009年)でも共演しておられ(風車の弥七役と松尾芭蕉役)、久々の共演になりますね。

 警視庁捜査一課の十津川班に寺西刑事(窪塚俊介)が編入されます。射撃の名手でもあり、有能な寺西に十津川の期待も膨らみます。一方、部下の西本刑事(高杉瑞穂)は恋人と伊豆旅行へ出かけますが、そこで思いもよらぬ事件が…。恋人が宿の料理人を包丁で滅多刺しにして殺害し、自らも自殺してしまいます。十津川警部(内藤)と亀井刑事(石丸謙二郎)ら十津川班が捜査に乗り出す中、同様の事件が横浜と千葉でも発生します。会社員の男性が恋人とデート中に、恋人が殺人事件を起こし自殺したのです。動機不明、犯人自殺という奇妙な事件の捜査を進めると、それぞれの事件の加害者は、多重人格に関する同じ本を読んでいたことが判明します。三上刑事部長が協力を要請し、本の著者であり犯罪心理学者の東都女子大学名誉教授・香取(堺正章)に、事件についての意見を求めます。香取の解説は理路整然としていました。やがて事件を取材しているという医療ジャーナリストの鏑木(矢田亜希子)が、十津川の前に現われ…。香取は敵か?味方か?そのどちらでもないのか?内藤演じる十津川警部と、堺演じる香取による心理戦も、今作の見どころの一つです。謎に包まれた香取の過去が暴かれるとき、次第に事件の驚愕の真相が明らかになり・・・。

★西村先生ご本人が番組に登場! 奥様も??

 さらに今回、西村京太郎トラベルミステリーファンには、必見のサプライズがあります!原作者・西村京太郎先生が、このドラマのある1シーンに出演しておられます。番組のスチール写真を「ギャラリー」で見たんですが、そこには西村先生だけでなく、奥様も登場しておられた(?)ように思いました。どこに登場しているかを必死で探しながらドラマを見るのも一興ですね。果たしてあれは奥様だったのか??また、10月16日(月)には、早くも今作の続編となるシリーズ4作目が3時間バージョンで放送することが決定しています。今秋、9月と10月は十津川警部シリーズファンにとっては堪らないシーズンになりそうです(テレビ朝日系・髙橋英樹さんの十津川警部シリーズも、9月20日最新作「山形・陸羽西線に消えた女」放送予定)。内藤さんと堺さんの爆笑インタビューも公開されました。

<内藤剛志さん>

 堺正章さんをゲストに迎え、十津川警部は謎に満ちた巨大な人物と対峙することになります。普段はバラエティなどの柔和な表情が印象深い堺さんですが、ドラマで見せる大きな存在感はさすが。以前、堺さんと二人きりで食事をして、芝居や人生について話をお聞きしたことがあり、その教えは今も大切にしています。今回は一緒にお芝居ができて学ぶところが大きかったです。このように目標として追いかける背中を見せてくださる先輩がおられることが幸せです。今作では3時間というスケールの大きなドラマをお届けします。この時間だからこそ挑むことのできるストーリーと謎解きがいっぱい詰まっています。原作者の西村京太郎先生が現場に来られて、出演もしていただいたこともうれしかったです。このシリーズに期待していると言葉も掛けていただいて、ドラマに寄せる深い愛情も感じました。

<堺正章さん>

 出演のお話をいただいたとき、内藤剛志さんが主演のドラマということが僕には魅力的でした。以前からドラマやバラエティで拝見して、仕事に対する真摯な姿勢に深く感じるものがある俳優さんだと思っていたので。内藤さんと対峙する芝居も刺激的でした。しかし引き受けてはみたものの、セリフが難しい専門用語の連続でその上長い。セリフを勉強していて無口になりすぎて、家庭に普段とは違う雰囲気が流れるほどでした。内藤さんの演技が魅力的にご覧いただけるよう心がけて演じました。バラエティとは違った一面を見ていただけるとうれしいです。

 西村先生をお訪ねしたときに、お会いした奥様の写真を載せておきますので、ぜひ当日の番組で確認してみてくださいね。❤❤❤

 

 

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アイスティー/アイスコーヒー(ice tea/ coffee)

  「ice teaともいう」という記述があるかと思えば、「ice teaとは言わない。正しくはiced tea」と書いてあったり、学習辞典の利用者は困惑するばかりです。次のような記述もあります。いったい実態はどうなんでしょうね。

                     iced tea アイスティー(ice teaとも言う) 
                     iced coffee アイスコーヒー(ice coffeeとも言う)

 『スーパーアンカー英和』『オーレックス英和』『ユースプログレッシブ英和』に見るような上記の示し方は、まるで両者が同じように併用されるという間違った印象を与えかねません。もう少し詳しく実態を調べて提示する必要があります。次のネット記事も参考になりますよ。⇒コチラ

 私たち『ライトハウス英和辞典』の編集顧問の故D.ボリンジャー博士は、レストランの卸問屋に行って調べてくださいました(1987年Palo Altoでの調査)。それによれば、ice teaiced teaよりもより普通の表現。仕入れ商品カタログの見出しはice teaであり、業者の中にはiced teaを広告の中に使うものもいる。博士の語感では、iced tea の方がice teaよりも”more elegant”とのことで、そのためか日常生活ではiced teaを避け、ice teaを普通に使うのだ、とのことでした。一方、イギリス英語に関しては、iced teaのみが正用法です(イルソン博士)、両者の間には分布・頻度の違いが見られるのです。アイスコーヒーは和製英語」「ice coffee, ice teaは和製英語。正しい英語にするためには語尾の-edを落とさないでiced coffee, iced teaとしないといけない」「日本語の「アイス・コーヒー」「アイス・ティー」に当たる英語は、アメリカ英語ではice coffee/ ice tea、イギリス英語ではiced coffee/ iced teaである」といった記述(例えば次のネット記事⇒コチラ)は、現実の語法を全く反映していない誤った記述ということになります。

 コーヒーの場合は、iced coffee, ice coffeeともに正用法ですが、iced coffeeの方がice coffeeより圧倒的に優勢です(ただし、日本ほどこの商品がcommonではないという事情も忘れてはなりませんが)。小池直己・佐藤誠司『大人の英語力が面白いほど身につく!』(青春出版社)には、「アイスコーヒーを英語で何と言う?―動詞のice(氷で冷やす)を過去分詞にして、iced coffee(冷やされたコーヒー)と表現するのが正解です」という不正確な記述があります。亀田尚己・青柳由紀江・J.M.クリスチャンセン『和製英語事典』(丸善出版、2016年)には(この事典とても面白い事典で読み物としても楽しめますよ)、次のような興味深いエピソードが紹介されています:

 あるとき、とても暑い日にカリフォルニアのコーヒーショップ(日本にもある、日本人なら誰もが知っているお店です)に入って好きなコーヒー飲料を注文しました。しばしばグアテマラの豆を挽いたコーヒーを味わっていると、誰かがiced coffeeを注文しました。それともice coffeeだったか?間違いなく、その客はメニューにある通り、iced coffeeといったのです。しかし、店員は注文を確認する時にice coffeeといっていました。おそらく体力の消耗を防ぐために短い言葉を使ったのでしょう。この短縮化現象も、和製英語が少しずつネイティブの英語の仲間入りを果たしている理由なのかもしれません。(p.282)

 英語も一筋縄ではいきませんね。詳しくは下記の拙論をご覧ください。

八幡成人(1988)「食い違う辞書の記述2題」『高校通信東書英語』No.176.
八幡成人(1990)「ボリンジャー博士の語法診断 第4回」『現代英語教育』7.

アイスコーヒーのイラスト

 

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ポップサーカス

▲先週はあまりの人の多さに断念!

 「ポップサーカス」松江公演(~8月27日終了)に行ってきました。7月から来ていたんですが、なかなか仕事と日程が合わなくて、日曜日に出かけたんです。公演開始30分前に会場に着いてビックリ!ものすごい駐車に長蛇の行列です。当日券(自由席)はもうありません。指定席がわずかに残っているのみで、それを求めてチケット売り場にはすごい行列ができていました。こりゃ、だめだ、と思い断念しました。これは平日に行かないと見ることが出来ないと思い、今日は午後から授業(5・7限)だったので、朝一で1時間前に会場に入りました。今の私は、こういった息抜きを楽しむことができる自由な勤務形態なんです。それでも、もうすごい人数の人たちが押しかけておられました。会場に入ってみると、半分強の観客だったでしょうか。

 サーカスの定番、ジャグリング、空中ブランコやアクロバット、ピエロショー、どれをとっても技が素晴らしくて、時には失敗もあったりして、サーカスならではのショーを楽しむことが出来ます。伝統的なヨーロッパ風のサーカスとも言われており、「木下大サーカス」とは一味違うショーを楽しめるようです。大掛かりな猛獣・動物の出演がないことが、唯一ちょっと物足りない点でしょうか。人間業を堪能するサーカスです。息抜きに、ワンちゃんの可愛いショーは、子供達にも好評でした。

 ポップサーカスの楽しみ方は、まずエントランスから。お土産屋さんや、軽食を買えるスタンドがあり、そちらで購入した物は場内でも飲食可能です。エントランスを楽しんだ後は、いよいよ舞台です。開演前にピエロが二人登場し、観客を巻き込んでユーモアのある演技の数々を披露し、会場を盛り上げます。いよいよオープニング、日本らしく和太鼓の演奏とド派手なアクションの連続で観客の心をしっかりと掴みます。サンバにのってブラジル人パーフォーマーによるショーです。ラテン系の筋肉ムキムキのお兄さん2人が行っていたジャグリングは凄いの一言です。速さと正確さと、投げた後の軌跡が美しく、見惚れてしまいます。ポールやグラブをぐるぐる回しながら、お茶目に自分たちの被っている帽子を取り合ったりして、ちょっとお笑いが入っている感じが面白かったし、見てても全く飽きませんでした。失敗のシーンが時々あり、ドキドキしましたが、あれはちゃんと計算された演技なんですよね。でも本当に失敗したのも数回あったように感じました。なにより魅了されたのは、ヒモのみでアラジン?のように男女が美しく舞うのは、神秘的でした。私の大好きなイリュージョンもいくつかありました。サーカスでは珍しい、お客さんとのコラボレーションが見れたりします。体験出来たりという感想や、どちらかというと、お客さんも参加できる参加型?的な面も工夫されており面白かったです。他にも中国雑技団のように、体のしなやかさや、体の筋肉を鍛え上げた方たちによるパフォーマンスはとてもかっこよかったです。首と肩の筋肉だけでお互いの体を支え合っている演技には息を飲みました。何も体を支えるものや守るものは周りには無かったです。おのれの身体能力だけを最大限に駆使した演技には、ただただ見とれるしかありません。他にも沢山のパーフォーマンスの見どころがありました。ステージの臨場感や迫力ある音楽がいっぱいの世界で、子どもも大人もひきつけられる舞台となっていたと思います。命綱なしでのパフォーマンスは、見ている人ほうがひやひやさせられましたが、そこはやはりプロです。堂々とした演技で、観客を釘づけにしていました。ひやひやさせられたかと思えば、笑いのセンスもあり、大人だけでなく子どもたちにもわかりやすいように構成がなされていましたね。最後の空中ブランコはおよそ人間業とは思えないくらいに空中を自在に舞っていましたね。会場は原則撮影禁止なんですが、唯一フィナーレだけは撮影が許されました。1部・2部の出演者が国旗を持って全員集合し、行進をしました。割れんばかりの盛大な拍手に包まれていました。

 入り口(出口)の所には、ショップがあり、品ぞろい豊富な食べ物・飲み物の他に、お土産用の種々のサーカスグッズが販売されていました。私が購入したのは、下の写真の「ライト」(1000円)なんですが、これ、いろんな用途で使えそうだなと思って、子どもたちと一緒に買いました。音楽と数種類の光パターンがプログラムされています。マジック・ショーの演出にも使えますね。

 終わってすぐに、学校に授業に帰りました。生徒たちに、授業で話したことは、およそ人間業とは思えないものすごい演技をするために、裏でどれだけの血のにじむ練習と鍛錬を積んでいるか、大きな努力」です。でも、今日の私の前の席の人は、演技中ずっと寝ていました(笑)。隣の人は拍手も気のないパラパラとしたもの。子ども大騒ぎ。小さな成果」しかもらえません。でもそれでいいのです。大きな努力で小さな成果」という生き方(⇒最近私はコチラに解説しました)を続けていると、いつかとんでもないご褒美が待っているのです。そんな生き方をするように、生徒たちには話しました。サーカスも人生を教えてくれます。♥♥♥

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英語の品格

 岡山の紀伊國屋書店ロッシェル・カップ・大野和基『英語の品格』(インターナショナル新書、集英社)という新刊本を見つけました。タイトルに惹かれたのはもちろんのことですが、真っ赤な表紙に白地でタイトルという非常に目立つ本だったこともあります。最初のページを開きますと、以下のような英語表現を聞いて、ネイティブスピーカーがどのような印象を受けるか、分かりますか?」という興味深いクイズで始まっていました。みなさんも考えてみてください。

1.病気で会社を休んでいる人に電話をかけて、
  Please get well.
2.アメリカ人が自分の家に来たときに、
   Please take off your shoes.
3.アメリカ人に何か提案されて、それを断るときに、
   We cannot do it now.
4.相手の考えに賛成できないときに、
   I disagree with you.
5.誤解が生じてほしくないときに、
   I really don't want to have a misunderstanding.
6.「明日までにこれをしなければなりません」と言いたいときに、
   You must do this by tomorrow.
7.「あなたは間違いを犯しました」と言いたいときに、
   You made a mistake.
8.「なぜここに来たのですか?」と聞きたいときに、
   Why did you come here?

 上の英文は英語としてどれも間違ってはいません。全部正しい英語です。でも私たち英語教師は、こう言われたネイティブスピーカーたちがどんな印象を持つか、というレベルまで語感を磨いておかねばなりません。安直に「pleaseを使うと丁寧になる」と思い込んだり、whyやmustを安易に使うと相手がどのような感じを抱くのかに無頓着ではダメなんです。英語にもTPOがあって、そこらへんの「品格」も大事にしなければなりません。本書はそのような、繊細で豊かな表現にあふれている英語の心を解説した面白い本でした。それを「品格」というタイトルで集約してあります。

小林克也(DJ、タレント)さんも推薦。
「何十年もかけて手に入れたと思った英語の心。この本に全部集約されていました――こんな本なかった!」

 著者のロッシェル・カップさんは、経営コンサルタントとして、各種セミナーで日本のビジネス・パーソンにアドバイスを行っていて、とてもきれいで丁寧な日本語を話します。「敬語」「本音」「建前」など、日本語・日本文化にも精通しており、日本人に最も合った方法で、洗練された品格のある英語を教えてくれます。もう一人の著者・大野和基(おおのかずもと)さんは、テレビ出演でもおなじみですが、英語と関西弁を流暢に操り、世界をまたにかけて活躍する国際ジャーナリストです。子供の頃から英語に親しみ、独学・留学を通して英語をマスターしました。私は大野さんがまだ若い頃の英語レポートを楽しみに読んでいた時期がありました。日本人に特有の間違いや勘違いを指摘していて、その分かりやすい説明には、まさに目から鱗が落ちる思いがします。本書で使われている単語は基本的なものが多いので、辞書なしでも大丈夫です。読み終えると、気の利いた英語表現をすぐに試してみたくなりますよ。著者たちのこの本への思いをインタビューでご覧ください。オススメしたい一冊でした。

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リーガロイヤルホテルのオムレツ

◎週末はグルメ情報です!!  

 私の定宿「リーガロイヤルホテル」に泊まる楽しみの一つに、朝食のオムレツがあります。1階のレストランル・オーレ」では、パン・サラダ・卵料理・ハム・ベーコン・温野菜・シリアル・フルーツ・御飯・味噌汁・和惣菜・ジュース…などなど、和洋ビュッフェを楽しむことができるんですが、スタンドクッキング」のコーナーがあって、そこでは、シェフが心をこめて、一つ一つ、卵からこだわったできたてふわふわのオムレツを作ってもらえるんです。いつもそこは行列ができていますが、並んででも食べたいオムレツなんです。中に、ハム、チーズ、オニオンから選んで入れてもらうことができます。これがふわふわ、とろとろのオムレツでとっても美味しいんです。並びながら、シェフの見事なフラインパンさばきに見とれています。家でもあんなふうに作れたらいいんですが…。1日の始まりを、このオムレツで元気をもらってスタートしました。❤❤❤

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オープンキャンパス

 8月19日(土)は松江北高「オープンキャンパス」でした。オープンキャンパスは、文字通り学校施設を公開し、学校に関心のある生徒や先生方、その家族に学校のことを知ってもらうためのイベントです。しかし、公開するのは施設のみならず、その学校の入学や進学、就職などに関するさまざまな情報も含まれています。スタッフや先生方、在校生などの関係者と直接話をする機会を設けている学校もあります。松江北高で「オープンキャンパス」を始めたのは、私が総務を担当していた時、もう10年も前のことになりますかね。部内で知恵を絞り合って、当時、校内を見学して授業を体験する程度のものだった県内で、画期的な内容のオープンキャンパスを開催しました。体育館での全体ガイダンスに続いて、体験授業、進路説明会、北高生との懇談会、学校説明会(保護者・教員)、個別相談、部活動紹介、校内施設見学、寮見学など盛りだくさんの内容で開催したんです(生徒が自分で選択するんです)。一人一人が自分の一日の行動がわかるプレートを胸からぶら下げて、校内を回っていきました。大反響がありました。私も英語の体験授業を行い、つかみの冒頭にハンカチが消えるマジックから始めたんですが、今でもそれが鮮烈な印象で残っていると言ってくださる中学校の校長先生がおられます。ただ残念なことは、今年もそのときと全く内容が変わっていない点です。いいものを残しつつ、新しいことにもどんどんチャレンジしていかねば、と在職中は叫んでいました(⇒今年の要項はコチラです。これを10年前にやっていたのですからやはりすごかった)  松江北高のホームページを作ったのもその時でした。県内でも画期的なホームページだということで、各所から問い合わせが相次いだものです。今なら当たり前のホームページですが、当時はここまでやっている学校はなかったんですね(残念なことに更新があまりされなくなり、評判を落としますが、今年度は専任の担当者がせっせとこまめに更新しておられ、最新情報が発信されています)。そのときの丁寧な仕事と緻密な構成に心を打たれた私は、自分の「チーム八ちゃん」のホームページを作る際も、デザイン・制作を、このときお世話になった株式会社ティーエム21取締役の吉岡隆行(よしおかたかゆき)さんにお願いしたのでした。

 「オープンキャンパス」のイラスト文字

 大学もこの時期にオープンキャンパスを開催して、松江北高でもたくさんの生徒が出かけています。参加することで、「学校案内」などの書類を読むだけではわからない生の情報を得ることができ、生徒にとっては貴重な学校選びの材料となるこのオープンキャンパスは、将来を真っ直ぐに見据える若者たちに不可欠な存在になりつつあると言えるでしょうね。オープンキャンパスでは、学校によって独自のイベントが行われていることもあり、学校のことをよく知ることができる以前に、「参加して楽しい!」と感じられるものが多いのも特徴的なところです。悪い言葉を使えば「いかに生徒の気を引くか?」です。

・総長や学長など、大学のトップの講演(学部トップの講演なども)
・校舎や学食、図書館、その他の施設など、キャンパス内施設の見学ツアー
・各学部の説明、カリキュラムの説明、取得可能資格などに関する説明
・体験講義、模擬授業
・研究室の公開、研究内容・設備の説明
・入試制度、入学に関わる説明(奨学金、大学生活、寮など)
・質問受け付け、希望者に対する個別説明、先輩の話
・サークルや部活動の紹介、実演

ちょっとした記念グッズや書類を入れるバッグ、喉を癒すドリンクなどを配布する学校も(以前に笑ってしまったのは、「お米一斗」券をもらってきた生徒です)。各校、「ようこそ!」という気持ちがあふれた工夫がいっぱいです。

 「同じ高校の先輩にある程度聞いてはいたけれど、実際に行ってみたら大きく違っていた」「資料を読んで分かっているつもりになっていたけれど、まだ分からないことはたくさんあった」など、学校についての情報と現実とのギャップが大きいことが多いのはなぜでしょうか?それは、やはり個人によって感じ方や考え方が違うからです。学校分析の方法も違えば、それぞれの好みもあります。学校が出した資料であれば間違いがないのでは……と思うかもしれませんが、学校の資料が自分の学校のマイナス部分を書くわけがありませんね(笑)。プラスとなる部分といえども、画像と文章だけでは、十分に表現できるものではありません。オープンキャンパスに行く意味は、あなた自身が体験し、あなたの頭とその目で学校を判断することにあります。自分自身だけが、情報と現実とのギャップを埋めることができるのです。そしてその判断により、もっと進学の意思が高まるのか、別の学校のことも考えるようになるのかによって、今後歩く道もまったく変わってきますね。私の大好きなシンガーソングライターの小田和正さんは、高校生の時に、千葉大学・医学部のオープンキャンパスに出かけました。実家が薬局だったので、医者を志していたのです。しかし実際に医学部のキャンパスに行ってみると、あまりの陰気さと匂いに幻滅を感じて、その日のうちに医者になることを断念した、とお母さんに告げています。彼は東北大学・工学部・建築学科に進みました。こういう例も、ざらにあるのです。「オープンキャンパス」は「ただの学校見学」ではありません。進路を考える材料を自分自身で追い求める場です。参加したからといって入学に有利になるわけでも点数が取れるわけでもないので、どうするかはあなたの意思次第。少しでも悩む部分、ぼんやりとした部分があるのなら、ぜひ一歩踏み出してオープンキャンパスに参加してみましょう。「実際見て、聞いてみたらすっきり!」を実感できるのも、オープンキャンパスのメリットですよ。

 私は必ずしも「オープンキャンパス」の日にいかなくてもよい、と生徒たちには話しています(志望者に参加を義務づけている大学もありますが)。別に他の日にだって敷地内には入ることができます。むしろ、その日の方が良いのではないか?と思います。「今日は高校生がたくさん来るぞ!」という状況で開催するわけですから、ある意味お客様対応をして、良いように見せるわけですよね。「抜き打ちテスト」ってあるじゃないですか?あらかじめ予告してテストをするよりも、抜き打ちでいきなりやった方が普段の実力が分かりやすいですよね。予告をしてしまうと、一夜漬けで知識を入れ込んで、テスト終わったらすぐに忘れる。そういう生徒が多いですから。オープンキャンパスもそれと同様です。むしろ普段の方が、本物の学生の姿を見ることができます。オープンキャンパスでは、学内や建物の様子や雰囲気を知るには良いとしても、そこにいるのはほとんどが高校生であって、在学している大学生ではないから、キャンパス全体とか、大学の雰囲気を知るときにはあまり適切じゃないのかなと思います。参考になるものはないとは言わない。しかし、本当に行きたい学校ならば、オープンキャンパスに参加しつつ、それ以外の日にも見学に行っても良いと思います。また、学食で食事をしたり、キャンパスの中、建物の中を歩いてみるのも自由です。ネームバリュー、偏差値、キャンパスの立地だけでなく、中身をよく吟味して大学を選びなさいと、私は生徒たちに指導しています。図書館トイレだけは必ず見てきなさい、と入れ知恵もしています。❤❤❤

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「大きな努力で小さな成果」

 今日の授業で話したことです。「大きな努力で小さな成果を」。尊敬する鍵山秀三郎先生(イエローハットの創業者)が、講演を引き受けられる時の大きなテーマのひとつがこれです。「エーッ、その逆じゃないんですか?」と言われることがよくあります。小さな努力で、大きな成果」を得る生き方よりも、大きな努力で、小さな成果」を得る生き方のほうがより確実な方法で、そのほうが自信になり大きな満足が得られるんです。私は今までそんな生き方をしてきました。たった1行の辞典の記述に、4~5時間も、時には1日かかることもありました。常に床に就くのは夜中の2時、3時です。

 鍵山先生によれば、小さな努力」「大きな成果」を得ると、心が不安定になります。落ち着きをなくし、険しい人相になります。近年、世相が悪化している背景には、小さな努力」「大きな成果」を安易に得ようとする人が、あまりにも多くなっているのが大きな原因です。 一方、「大きな努力」「小さな成果」を得る生き方をしますと、心が安定し気持がおだやかになります。昔の日本人が、貧しくとも顔立ちに風格があったのは、手にする報酬よりも、はるかに多くの努力を己に課していたからです。 「労せずにして手に入れよう」とか「うまく立ち回って、ものにしよう」などという姑息な考えを否定する社会正義が定着していたからです。たとえ「大きな努力」で「小さな成果」しか得られなくても、そういう生活に耐えられる安定した生き方の人が増えれば、必ず世の中はよくなります。今の世の中は、いかに楽をして大きな報酬を得ようとすることに関心が行きがちです。

 勉強においてもこれと同様です。私たちは、少ない労力と時間で楽をして何がしかの成果を得ようとしがちです。しかし、そうした事はめったに良い結果を生むものではありません。たとえ一度はうまくいったとしても長続きはしません。私たちが、勉強でやきもきしてイライラするのは、うまくいかないときです。進まないときです。しかし、そんなときには自分の姿勢をよく見つめてみて下さい。少ない時間・短い期間・楽なやり方で終えようとしてはいないでしょか?少ない回数・僅かな労力でできるように思い込んでいませんか?1回で済ませようとしていないでしょうか?少ない努力で多くを得ようとしてはいないでしょうか?たくさんやれば、少しはうまくいくんです。下手でもたくさんやればうまくなり、できるようになるんです。100回紙に書けば、口に出せば憶える。100回読めばわかるし、100回解けば解けるようになる。勉強の現実とはそんなものです。それなのに、散歩のついでに富士山に登ろう」として(⇒詳しくはコチラです)、ABC」(たり前のことをカになってゃんとやる)を疎かにしている北高生がいかに多いことか。「甘く」見ていては、痛い目に遭うのは当たり前のことです。

 以前の松江北高は、大学入試に向かう生徒たちに、安易に「推薦入試」を受けさせませんでした。当時、私は田舎の学校の進路部長をやっていて、「不思議だなあ、なぜ北高は利用しないんだろうか?いくらでも合格できるのに…」と疑問に思っていたものです。でも今ならその理由はよーく分かります。決して楽をさせることなく、自分で「大きな努力」を積んで、自分で道を切り開け、という無言のメッセージです。またそれだけの秘めた能力があるはずだ、という「鳥の目」的な判断です。長い目で見たら本人のためなんですね。楽をすると、大学に入ってから苦労することは目に見えていますからね。

 推薦入試で合格してしまうと、「頑張ります!」とは一応言っていますが、以前のような緊張感・集中力を持って学習に取り組むことはなくなります。どこかで手を抜くようになるんです。昨年松江北高の三年生だっ福田翔子さんは、陸上で日本一に輝いた生徒でしたが(⇒コチラに詳細が)、大会、国内合宿、海外遠征で頻繁に学校を留守にする際も、常にその間の授業のプリントや小テスト・課題テストはきちんとこなしていました。授業の空白を己の努力で埋めようとしていました。センター試験も高得点を取り、地元島根大学に推薦合格しました。4月の大学の入学式では、入学生代表で宣誓の挨拶を行っています。大きな努力で小さな成果」を、毎日コツコツ実践していた(そして大きな成果をつかんだ)のが彼女でした。在校生たちに今日もその話をしてやりました。見習いたいですね。❤❤❤

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「おりづるタワー」

  今回広島でどうしても訪れてみたかった「おりづるタワー」は、世界文化遺産である「原爆ドーム」と、広島市最大の繁華街に隣接した場所に位置しています。2016年9月23日にグランドオープンしました。「原爆ドーム一帯を訪れる方に、雨風がしのげる『おもてなしの空間』をご用意したい」「原爆の悲惨さだけでなく、復興や希望、未来などの『広島の豊かさ』を感じられる場所をつくりたい」というコンセプトで造られました。原爆による悲劇と復興」が背景にあります。おりづるタワー」の建設・運営に携わる広島マツダは、1933年に当時原爆ドーム一帯に位置していた猿楽町で創業。しかし1945年の原爆によって、社屋はもとより全社員を失うという悲劇に遭遇します。その悲劇を乗り越え、広島の復興とともに成長を続け、2015年には創業83年をむかえました。創業の地で、地元広島の皆様や観光に来た方へ、原爆の悲惨さだけでなく、広島の復興や未来、希望を感じて頂く場所を作りたい。そして、広島の地で活動し続けていくことで、広島から受けたご恩を返していきたい」そんな思いが「おりづるタワー」には込められているのです。1階はカフェと物産館、2階は貸会議室、3階から11階にレンタル・オフィス、そして12階と屋上に展望スペースを設けています。

 「おりづるタワー」「隣接する世界文化遺産との調和」を意識し建築されました。ビルの外観は公園の自然に調和する色彩が選ばれ、「原爆ドーム」が引き立つ色合いで統一されています。ビルを覆う遮蔽ベールは、昼間の「日射を遮る」というだけでなく、夜にはビルの居室内から放たれる明かりを遮る役割も果たします。これらの工夫により、原爆ドームの景観を損なわず「世界文化遺産と共存し得る建物」としての品位を高めています。旧ビルの柱や床を活かした環境にやさしい建築方法・運用面でも、CO2排出を抑制す「おりづるタワー」は従来の51.5m(地上13階、地下2階)の高さはそのまま、オフィステナントビルの柱や床を活用し改修されました。この建築工法により新築する場合と比べ、CO2の排出を50%抑制。また建物内部では、三方位から風を取り込める一方で、日射遮蔽ベールで直接日光を遮ることで、エアコンの使用頻度を下げ、完成後の運用面でもCO2排出が抑制されています。地球環境へ配慮した建築・運用は、省CO2先導事業として公的機関からも評価されています。そして、見渡すと、「原爆ドーム」をはじめとする「平和記念公園」、元安川を行き交う舟、路面電車が通る広島の街並など、息づく広島の景観がひろがります。天気がよいともっと遠くまでいろいろ見られるそうです。

 チケット売り場でチケットを買って、中に入ります。「エレベータで行かれますか?坂を登られますか?」と聞かれました。450mも坂を登るのは辛いので、エレベーターにしました。このエレベータも素敵なデザインでしたよ(上写真)。どうやらタワー東側に設けられた「スパイラルスロープ」散歩坂は、一階から屋上展望台まで螺旋状につながるスロープで、非常階段も兼ねています。スロープには全フロアで木製の階段も併設されているので、疲れたらちょっと腰掛けて一休みすることもできるそうです。膨大な壁面を活用したキャンバスにはアート作品が。今度訪問したときには登ってみようかな。あ、そうそう。ここには一層ごとに設置された「すべり台」がありました。やや大きめに設計されているので、子どもだけでなく大人も利用することができます。

 おりづるタワー」の一番の魅力は、なんと言ってもそれは展望階「ひろしまの丘」からの眺望でしょう。周囲がメッシュで覆われたウッドデッキの展望スペースは、広島の風をダイレクトに感じながら、広島平和記念公園・原爆ドームのほか、晴れた日には宮島の弥山まで見ることができるスポットです。最上階へのエレベーターを降りて、正面の階段を上ります。視線の角度を計算して設計されたウッドデッキの稜線は、まるで地平線すべてを一望するかのような錯覚を感じさせてくれます。地上約50メートルから眺める、まるでパノラマ写真のようなビジュアルは最高の見どころです。外壁を覆うのはガラスではなく、ワイヤーロープ製のメッシュです。街の上空を通り過ぎる風を、そのまま肌に感じることができます。頬をなでるいい風が吹いていました。ウッドデッキには床と柱にはヒノキ材を、ルーフはスギ材を使用しており、温かな木の肌触りと存在感が「ひろしまの丘」の魅力を引き立たせます。木の存在感を前面に押し出した全体のデザインは、どことなく厳島神社の境内を思い起こします。普段とは全く違う角度から見る「原爆ドーム」や「平和記念公園」(私は広島を訪れるたびに足を運んでいます)は、今までにない新たな発見がありました。この心地よい風と見事な眺望だけで、入館料1,700円の価値があります(高すぎると言う人も多く来場者数は伸び悩んでいるとか)。また、この展望台は実は、飲食可能で、すぐそばにあるテイクアウト専用のカフェ(「握手カフェ -WINDSIDE-」)も常設しているので、昼はサンドイッチやコーヒー片手に、心地よい風を感じながら読書をしたり物思いにふけったり、ゆったりとくつげます。

 12階の「おりづる広場」にスロープで降りていきます。階段からはミストが吹き出ていました。ここは、窓の外に広がる広島の街並みを背景に、様々なコンテンツを体感できるスペースです。サークル状に配置された階段型ベンチや超巨大曲面ガラスなど、ユニークな空間づくりが印象的ですね。フロア中央に位置する立方体型表示装置“CUBE”は、斬新なデジタルコンテンツです。全部やってみましたが、間違いなく楽しめるこのコンテンツを、ちょっとご紹介してみましょうね。

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▲八幡が手を挙げてカメラを構えています

■アバター(avatar)
自分の姿が1,500枚のおりがみによる分身を生み出す「アバターavatar」は、着ている服装から自動的に色の要素をピックアップして、画面に映し出します。「色」に反応し、合わせ鏡のような不思議な世界を映し出します。体験した人にしかその面白さは伝わらないでしょうね。手を挙げたり、足を動かしたりして遊んでみました。

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■エアー(air)
少しわかりづらいのですが、画面に映し出された折り紙を体全体を使用して折り鶴を折っていくアトラクションです。大画面に映し出された様々なおりがみを折って遊ぶおりがみ体験です。手をかざして、足を動かし、体を使って、色とりどりの折り鶴を完成させます。最後は自分が折った鶴が羽ばたくという映像が見られました。最初は要領が分からず、苦労しましたが、手足を動かし、汗をかきつつ折り鶴作りを体験できるコーナ-でした。

■花火(fireworks)
私が一番気に入ったのがこの「花火 fireworks。円形テーブル上の種々の色をしたおりづるのオブジェたちを、台の中心に置くと、その色に対応した色鮮やかなおりづるの花火が次々と打ち上がります。すべての色を台にのせるのがオススメ。時間差でたくさんの花火が打ち上がります。これがまたきれいなおりづるの花火で、シンプルな楽しさを味わうことができます。その美しさに見とれていました。

 この3つの体験できるアトラクションは、世界有数のクリエイティブ・プロダクションのLab.751によるものなのだとか。五感に訴えかけるインタラクティブな体験を楽しむことができました。おりづるタワー」のビル全体が、音・風・緑・アート・広島を感じられるように作られており、建物そのものが現代アートなのでは?と感じました。アート好き、建築好きには特にお勧めしたいです。

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 こちらが、おりづるカウンター。ここでおりがみを受け取り、近くにあるおりがみコーナーで鶴を折ります。入場料を払う際に500円余分に払っておきます。展望台入場料と一緒に買わなかった場合、ここで600円払って購入します。おりがみは、おりづるタワー」オリジナルデザインの素敵なものです。おりづるの折り方を忘れちゃったよ・・・というアナタもご安心を。iPadを使用して折り鶴の作り方動画も見られるし、おりがみの裏には作り方が図で説明してありますよ!おりづるの壁」は、体験しなくちゃもったいないくらい楽しい!

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この高さ約50mのガラス張りの壁面に、展望台から投函した折り鶴が壁を彩る「おりづるの壁」は、料金をプラスしても体験すべきでしょう。

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 投入スペースはの床はガラス張りのシースルー。私のような高所恐怖症の方はかなりコワイかも!

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 大切に折った鶴をこのアクリルでできた窓から祈りを込めて投入します。床も壁も全部見えるので、自分が折った鶴がくるくると回転しながら舞い降りていきます。上手く下まで鶴を羽ばたかせるには、鶴の羽根を少しひねってみるといいのだとか。羽ばたいて下に落ちていく様子を見ながら「おりづるの壁」を楽しむといいかと思います。約50mの壁がいっぱいになるには、およそ100万羽のおりづるが必要とか。これからこの地に集まる人々の平和への祈りや願いが、少しずつ蓄積されていき、たくさんの想いが、この壁を彩っていくのでしょうね。

 ここ「おりづる広場」には、その他、復興からの広島をCG映像など複数のデジタルコンテンツで表現したコーナー、広島市内の眺望と連動した音響や映像演出、原爆ドーム・爆心地を望むスペースがあり、思い出に残る体験ができます。サークル状に配置された階段型ベンチは、傾斜に沿って緩やかなカーブを描くように緻密に設計された木のステップです。かなりの技術が散りばめられた作品です。

 出口のところでスタンプを押してもらうと、1日に何度でも入場できます。「夕景も素敵ですよ。ぜひもう一度お越し下さい」と案内してもらったので、夕陽が落ちる頃に、もう一度出かけてみました。6時半頃に夕陽が山に沈むというので、1階入り口「握手カフェ -PARKSIDE-」でセンター教材を作りながら時間を潰しました。「握手」は人が仲良くなるための象徴的な行動です。国内外の観光客や、オフィスフロアを利用する地元の人々、様々な人々が気持ちよくふれあい、仲良く同じ時を過ごせるような場でありたいと願い「握手カフェ」というネーミングが産まれました。天井からは折り鶴がぶら下がり、広島の温かさを感じることのできる場所でした。オレンジジュースを飲みながら、平和への想いを募らせていました。その隣にある物産館「人と樹」では、広島を代表する銘品や話題の新商品、地元で愛されているお土産品など約1,000品を取り揃えています。

 再びエレベーターで屋上展望台に上がり、山に落ちる夕陽を見ながら、原爆ドームをボーっと眺めていました。昼間とはまた違った顔を見せていました。

 タワー全体で「見る・体験する・食べる」が揃う「広島を体感できる」場所になっています。これからの広島を代表する新しい観光スポットとして、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。ぜひオススメします。❤❤❤

 

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マリホ水族館

 「マリホ水族館」に来ています。2017年6月24日に新しくオープンした、広島市で初めての都市型水族館です。延べ床面積610平方メートルで1階建て、総工費は8億円だそうです。コンパクトな作りですね。150種、5千匹が展示されています。広島には宮島水族館」がありますが、あれは廿日市市ですからね(⇒私のレポートはコチラ)。水族館プロデューサーの中村 元さんが全面的支援を行い、大人をターゲットとした水中の癒やし・潤い・清涼感を感じさせる非日常世界を演出しています。入り口では、目印の大きな青いクジラのオブジェがお出迎えしてくれます。ちなみに生きたクジラは「マリホ水族館」にはいませんよ(笑)。平日でしたが、結構な行列ができていました。小さな園児たちの団体さんも。人気なんですね。

 まず最初に、エントランスは「波の向こうへ」ゾーンです。サンゴ礁の間に踊る白い波間から、どこまでも続く海が広がる世界初の水塊水槽。生きているかのように踊る水中の白波と、色鮮やかな魚たちが、美しく癒やされる水中世界の非日常へといざないます。コンパクトな水族館ですが、歩いていて狭さを感じさせない作りになっています。

 続いて登場する「あふれる瀬戸内の命」ゾーンの水槽は、ここ広島・瀬戸内海に住む魚たちがメイン。イワシが群れを成してキラキラと泳ぐ姿や小さなたこつぼに入ったマダコ、マダイ、あこうなど瀬戸内で親しまれている魚たちがたくさんいます。すごい迫力のイワシの大群に目を奪われました。海のうねりによって生じる砂紋が美しい。

 優雅に泳ぐ「たゆたうクラゲのホール」ゾーンでは、クラゲと共に浮遊感に身を任せれば、海の優しさに包まれます。このゾーンには、三種類のクラゲがいました。いろいろな色の個体がいるカラージェリーフィッシュ。最もなじみのある透明感と浮遊感が美しいミズクラゲ。長い触手に毒のあるアカクラゲ。海で出会うと漁師を悩ませるクラゲも。展示されるとこんなに綺麗に見えるんですね。癒やしのゾーンでした。

 白い海底がどこまでも続くサンゴ礁のラグーン、輝くサンゴの海」ゾーンです。エメラルドグリーンとマリンブルーが織りなす美しい水中世界は、潤いとやすらぎの空間に包まれています。ここがマリホ水族館で一番大きいメインの水槽(縦役2.5メートル、横約9メートル)があるゾーンです。「ラグーン水槽」と呼ばれるメイン水槽の中では、サンゴ礁に群がる小魚群が印象的でした。そして、トラフザメやウシバナトビエイなどの大型魚の姿も見えました。サメはほぼ動かずじっとしていましたね。ちょっと物足りないかな。

「うねる渓流の森」ゾーン。渓流のうねる流れを広島の川の風景で再現した水槽です。龍のごとくうねる広島の渓流を切り取り、激しい流れの水中美を再現した世界初の水塊水槽。岩場に流れる激しい水の流れを断面から見ることができ、躍動感がありました。山の野鳥の声とともに聞こえてくる川の音は清涼感たっぷりです。季節ごとに変わる風景と広島の天然記念物であり幻の魚と呼ばれるゴギを見ることができます。突然、外の光が入ってくる明るいエリアとなります。今日のベストショットは下の1枚です。

 「ゆらめく緑の惑星」ゾーン。緑にあふれた熱帯雨林の川を再現。地上や水中の植物の環境で生きる熱帯淡水魚は、地球の調和を教えてくれます。広島とは関係のない魚を展示するゾーンです。ブラックネオンテトラやコリドラス・ジュリィなど熱帯魚。アフリカからは、ヘテロブランクスキャットフィッシュが来ていました。ナマズは切なさを漂わせていました。ウミヘビが印象的でした。

 施設を出たところには、広島人の魂「カープ鯉の池」が。さすが広島です。

 水族館の出口は、そのまま水族館ショップ「空海館」へと繋がっています。このショップはもともとお菓子やジュース、軽食、広島土産などを売っている高速道路のパーキングエリアのショップのような施設だったのですが、いまでは、水族館関連商品も取り扱っています。一番人気商品は、マリホ水族館オリジナルの「赤イルカぬいぐるみ」です。広島カープを意識した商品なんでしょうが、そもそも「マリホ水族館」にイルカはいません(笑)。私は広島カープの強さには辟易しています。

 「大人の水族館」という触れ込みで始まった「マリホ水族館」ですが、全体的に水の動きや流れに工夫を凝らして、魚たちの躍動的な姿を提示していました。ただ私が今までに訪れている多くの水族館と違って、規模が小さく、全体を15分~20分程度で回れてしまうほどの短さなので、正直、物足りなさは残りました。「あ、これだけ…?」といった感じです。まあ、入場料が大人900円であることを考えれば、それもやむなしかな(宮島水族館」は1400円)。❤❤❤

(追記)ここ観音「マリーナホップ」は2005年、広島には珍しい「アウトレットモール」との打ち出しで華々しくオープンしました。当初は話題性もあいまって一定の客数があったものの、市内中心部からそれほど離れておらず、一流ブランドのアウトレットが販売できないという中途半端さもあってか、数年後からは客足が遠のいていました。半分近いテナント区画が空いている様は、プチ廃墟の雰囲気を醸し出していました。そんな状況ゆえに、開店当初運営していた会社は2008年に破綻、その後新たな会社に運営権が移るもわずか4年で経営会社が変わります。引き継いだのはビルメンテナンス事業を柱とした不動産事業会社の第一ビルサービス。どこがやってもなかなか結果が出せずにいたマリーナホップですが、この会社に経営が変わった事を機に、徐々に集客が上向いてきています(ここら辺はあの「ハウステンボス」とよく似ています)。ちなみに正式名称は開店当初の「広島フェスティバル・アウトレット マリーナホップ」から「ココだけモール 広島マリーナホップ」になっています。以前のイメージを払拭し、マリーナホップを生まれ変わらせる施策の肝として登場したのが、この「マリホ水族館」というわけです。広島駅1番乗り場からバスで40分、260円です。

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辛島美登里の「こころの玉手箱」

 『日本経済新聞夕刊』6月26日~6月30日に、大好きなシンガーソングライターの辛島美登里(からしまみどり)さんが、「こころの玉手箱」というエッセイを連載しました。私は彼女が鹿児島(鶴丸高校)を後にして、奈良女子大学を卒業して、1989年に芸能界デビューしてからずっと応援をしてきました。美しい声、超絶な歌唱力、泣ける詞。3年前には、彼女のミニライブに出かけて、サインと握手までしてもらいました。⇒コチラです  日経の夕刊は松江では手に入らないので、東京から取り寄せてこのエッセイを読み、私の知らない辛島さん像が見えてきました。

 5歳から親しんだピアノ。中学生になって自分のピアノの腕を試そうと「南日本音楽コンクール(鹿児島市)」に出場した彼女。本番では途中でピアノを弾く手が止まってしまう。怖い顔をした審査員、しのぎを削る出場者、全てが初めての緊張感で気が動転してしまい惨敗します。それ以来、彼女は極度のあがり症になってしまいます。「人前で演奏できない」「本番に弱い」という苦手意識は大人になってもずっと付いて回ります。私は彼女の弾き語りが(サイレントイブ)大好きで、とっても魅了されてきたファンの一人ですが、実際彼女の中では、緊張して張り詰めた感じでやっていたと言います。ピアノに対するコンプレックスを長年抱いていたのです。自分の音楽観が変わって、そんな緊張が取れてきたのはこの4~5年だと言います。たとえステージでピアノを弾くのを間違えたとしても、それはそれでいいと思い開き直るようになってきたそうです。正しく演奏すればお客さんが喜ぶかといえば、必ずしもそうではない。歌い手や弾き手の思いを伝えられるかが大切で、音楽の感動は別次元にあることが実感として分かってきたのです。大きな成長でした。

 子供の頃から曲を書くのが好きだったけれども、音楽を仕事にしようとは考えていませんでした。「人生は堅実さが大事。人気商売なんて」と冷静さを装っていました。しかるべきところに就職し、しかるべき人と出会って結婚する、それが平凡な自分の人生だと思っていたのです。ただ「私は平凡なお母さんだけど、チャレンジしたことだってあるのよ」と、将来子供に語るエピソードが欲しいと思って、思い出作りのつもりで、1983年ヤマハの「ポピュラーソングコンテスト」に応募します。自作曲「雨の日」が、予想外に近畿地区代表に選ばれ、静岡「つま恋」の本戦に出場し、なんとグランプリを獲得します。『2年だけ』と両親に頼み込んで、上京デビューします。東京・中野のヤマハ音楽学校の寮に住んで、学校のピアノで曲を書きました。約束の2年を越えても芽は出ません(以前このブログに「辛島美登里さんの学生時代」と題して詳しく書きました⇒コチラです)。3年目に永井真理子さんに書いた「瞳・元気」が話題となり、ようやく足がかりをつかむのです。

 あれだけ娘のことを心配し、達筆な手紙を頻繁によこしたお父さんが、晩年認知症を患います。しっかり者だったのに徐々に身の回りのこともできなくなります。人間の尊厳を奪うこの病気を憎んだこともありましたが、今となっては、介護でお父さんの顔を拭いたり手を握ったりと、十分体に触れることができたことが慰めだったと言います。どんな苦しさの中にも希望があると気づくことができました。 

 そして最近、カメラマン萩庭桂太さんのサイト「YOUR EYES ONLY」に、辛島さんの写真とインタビュー記事が掲載されています。8月7日(月)〜11日(金)まで毎日更新されました。ここにも、意外な辛島さん像が見え隠れします。気になった言葉から引用してみます。

 「わたし、本当は歌うのが好きじゃないんです」―「マジですか?」―「本当です。好きじゃないというか、得意だとも思っていなくて。常日頃そう言っているんですけど、なかなか信じてもらえない(笑)。もともと、曲を書く仕事がしたくてこの世界に入ったんです。CDを出せば曲の依頼が増えるかな、と思って歌ったのがきっかけなので、歌うのは実はすご~く、負担でした」

 「いえもう、締め切りに追われて書くばかりで、詞を書くのが本当に苦手なんです。曲を提供したいという気持ちはあるので、詞は後付けで、なんとか絞り出して書いています。そもそも活字が苦手で、本もめったに読まないんですよ。だから恋愛小説とか、ネタを仕入れる場所がどこにもないんです」

 「大学に入ったばかりの頃は自分がデビューするとはまったく考えていなかったので、卒業して就職するときに何か資格があったほうがいいと、一応先生の免許を取ったんです。それに本当は私、クラスの誰よりも早く結婚するって信じて疑わなかったんです。私みたいにほどほどの顔で、ほどほどの性格で、ぼやっとした女の子は一番結婚しやすいと、それには自信がありました。家政学部に行けばますます結婚には有利、お見合いでも女らしいと思ってもらえるはずだと。ふつうに結婚して子どもが産まれて、子育てしながら専業主婦になると信じて疑わなかったのに、まさかこの私が独身のまま今にいたるとは!」

 「未だに、歌わないですむのならなるべく歌いたくないというか(笑)。でも求められれば、こんな歌でよろしければ、と、前傾姿勢になってしまう自分もいる。ですから歌うのは、修行だと思っています。自分の持っている身体という楽器を使って、どれくらいまでやれるのか、それを見極める修行ですね。喉は楽器なので、歳を重ねるほどにどんどん摩耗していく。それでも人が聴いてくれて、歳はとったけどいいわね、と言っていただけたら」

 「詞を書くときにいつも心がけているのは、ふつうの人を主人公にすることです。身近なものを大事にしながら、身近な人を書きたいんです。名前を検索しても何も出てこないような、ほぼほぼの常識を持っていて、ほぼほぼ自立はしているけれどもほぼほぼ気が弱い、人が良いから大事なところで全部手放してしまうような。つらいときには泣いちゃうけれど、でも泣くのは彼の前じゃない。人前で、彼の胸にすがって泣いたら、慰めてもらえるかもしれないのにそこでは泣けなくて、ひとりになったときに初めて泣く、そういう女の人を書きたいなって」

 「好きなのは、白い花とブルーの花」―「自分を花にたとえるとしたら、どんな花だろう?」―「たぶん、花屋に売っている花じゃないと思います。道ばたに咲く小さな花なんですけど、でも、毎年咲くんです。しぶとい(笑)。たぶん紫くらいの花で、気がつくと、“また咲いてる!”と言われるような。そういうタイプだと思います(笑)」

 辛島さんの新しいアルバム『カシミア(Cashmere)』が、10月25日に発売になります。楽しみです。❤❤❤

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ギブアンドギブ

 先日も、私の哲学「Give and give」ということについてお話しました。⇒コチラコチラです 今日たまたま、経営コンサルタントの故・船井幸雄(ふないゆきお)さんと、将棋の羽生善治(はぶよしはる)さんの対談集を読んでいて、船井さんがこんなことを言っておられるのを発見しました。

 ツキをつけるもうひとつの効果的な方法は、実は「与え好き」(ギブ&ギブ)になることです。与え好きになると、一見損をするように思えるのですが、不思議とツキはすぐにやってきます。私にはじめて「与え好き」が良いことであると教えてくれたのは、私の家内でした。私自身は、家内と結婚する以前はどちらかというと、与えるよりも、もらうほうが好きでした。結婚当初は家族が食べていくだけでもやっとの生活だったのです。それなのに、「差し上げ好き」の家内の行動に、私はいささかショックを受けました。しかし、しばらくたつと、その行動は意味のないことではないようだと気がつきました。「差し上げ好き」は、一見損をするように思えますが、間違いなくその何倍ものお返しが来るのに気づいたのです。たいていの人は、もらうことは好きでも、あげることはしたがりません。そのため、何かをいただいた場合は、自然とそれをくれた人に好意を持つようです。その行為自体に、エゴがなく、見返りを期待しない場合は、なおさらうれしく感じるものです。少し長い目で見ると、「与え好き」になると、あげたものが何倍にもなって返ってきます。これは金品だけに限らず、親切や恩情など、どんなものでも見返りを期待せずに与えることで、何倍にもなって返ってくるようです。「類は友を呼ぶ」というように、自分のまわりには自分と似た人が集まってきます。若いうちは与えるよりも、もらうほうが好きだというのも、多少はいいかもしれません。しかし、いつまでたっても、「テイク&テイク」の気持ちでは、まわりにツキのある人はいなくなってしまうでしょう。一緒にいて居心地の良い「ギブ&ギブ」の精神を持つ人と一緒に過ごすには、まずは自分から「与え好き」になることが、一番の方法のようです。  ―船井幸雄・羽生善治『人間力』(ビジネス社)

 400冊以上の著書のある「経営の神様」と称されたカリスマ・船井幸雄さんの言葉だけに重みがありますね。私は鍵山秀三郎先生(イエローハット創業者)から、人間の幸せには三つあることを伺いました。一つ目の幸せは「してもらう幸せ、二つ目は自分で「できる幸せ、最後の三つ目は、人に「してあげる幸せ」で、相手の喜びを我が喜びとする、三つの中でも最高の幸せです。してもらう幸せ」から「できる幸せ」へと進み、そして「してあげる幸せ」を味わえる人生をおくりなさい、という教えでした。また、私が大ファンのクロネコヤマトの宅急便も、創業者・小倉昌男(おぐらまさお)さんの哲学「サービスが先、利益は後」「サービス第一を忠実に受け継いでおられます(『ヤマト正伝』(日経BP社)も面白かった)。

 先日も、2日連続で知り合いにごちそうをしたところ、家に帰ると思いもかけぬ所から、その何倍ものお金が振り込まれていました。本当に不思議ですねー。何の見返りも期待せずに人に尽くしておくと、きっと思いもかけずいいことが帰って来ます。最近も、博多の研究会のお土産に、私が松江北高で作った英語指導資料(約350本)を全部収録したデータCD 「英語は絶対に裏切らない!」を無料で配布しました((株)ラーンズが、この研究会のためだけに作ってくれたものです)。たくさんの先生が喜んでくださって、当日のアンケートや、帰りましてからもメールで、お礼の言葉をちょうだいしております。とても貴重な国宝級の資料、ありがとうございます」「先生のこれまで蓄えてこられた資料、情報をたくさんいただき本当に感謝です。是非有効に活用させていただきたいと思います」「お土産の資料は本当にすばらしく無料で本当にいいのかなという内容です」「先生の資料もたくさん頂け、自分の研究の成果を他にも無償で提供される先生の姿勢に感動しています」喜んでいただけて嬉しく思います。可愛い生徒さんたちのために活用して下さいね。

 「センター対策本」も大赤字の中、全国の先生・生徒さんに使ってもらって好評です。この「チーム八ちゃん」のウェブサイトと「ダウンロードサイト」を維持するために、毎年かなりのお金がかかっているのですが、ご恩返しのつもりで、せっせと無料公開して、全国の先生方に利用していただき喜んでもらっています。尊敬する山下りょうとく先生(河合塾)は、そのホームページで(⇒コチラです)5,000ページ以上にのぼる英語資料や、数々の動画講義を無料公開しておられるのも、いいお手本ですね。こういった取り組みは、必ずどこかで実を結び、自分に返ってくるものです。私も今までの経験からよく分かっているんです。Give & give」で、これからも頑張ります!❤❤❤

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リンガーハットの「野菜ちゃんぽん」

◎週末はグルメ情報です!!

 野菜が足りないな、と感じた時には、松江イオンの3階に入っている「リンガーハット」へ行って、野菜たっぷりチャンポン」を食べます。何せ480gも、これでもかというぐらい7種類の野菜が入っていますから(笑)。リンガーハット」は、飲食業の「顧客満足度」の部門で初の1位に輝きました。

<顧客満足度ランキング>

1位 :リンガーハット (78.0)
2位 :丸亀製麺 (77.6)
3位 :モスバーガー (77.2)
4位 :サイゼリヤ (75.9)
5位 :木曽路 (75.2)
6位 :餃子の王将/びっくりドンキー(同点6位)(74.1)
8位 :スシロー (73.7)
9位 :CoCo壱番屋 (73.6)
10位:くら寿司/ジョイフル(同点10位) (73.5)
12位:はま寿司 (73.4)

 「リンガーハット」がここ数年、国産野菜や霜降り白菜など、ガッツリ野菜のヘルシーメニューを押し出していました。中でも野菜たっぷりちゃんぽん」は人気商品です。世間では、口々に野菜の量とそのヘルシーさを評価しています。確かにこの野菜の山はすごい……!国産野菜で480グラム、一日に摂取すべき野菜を完全にまかなえる、うずたかい山盛りになっています!

・もやし
・キャベツ
・ネギ
・ニンジン
・枝豆
・タマネギ
・コーン

 これらの野菜に加え、カマボコや豚肉・エビ・キクラゲも入って、これは確かにヘルシーですね。そしてこれら大量の野菜を楽しむ、「野菜たっぷりちゃんぽん」で一番驚き、納得したのはドレッシングでした。

 「野菜たっぷりちゃんぽん」専用のドレッシング。「ちゃんぽん」というラーメンのカテゴリーに、ドレッシングで味を調整するというスゴワザは、新鮮で驚きですが、これだけたっぷりの「野菜」に焦点を当てると不思議に納得です。そして味にも納得。野菜の山にドレッシングをかけ、食べると、野菜はいくらでも入る気がするし、ちゃんぽん独特なクリーミーな味わいに、さっぱりとしたアクセントが加わって、これ、かなりイケます(個人的には「ゆず胡椒」風味のほうをオススメしたいですね)。とはいえ、480グラムの野菜はそう簡単に陥落できません。見てのとおり、箸でどれだけ崩しても麺が出てこない。非常にスープを吸いやすいのがちゃんぽん麺の特徴のひとつなんですが、柔らかめの麺は既にスープを吸い込んで、柔らかながらも味があり、美味しいですね。 麺、野菜、麺、野菜、時々ドレッシングで味を足しつつ、麺、野菜……といただくと、不思議と全て胃の中に収まってしまいます。テレビで、女性が「野菜たっぷりでヘルシー」なんて言っているのを見て、正直なところ、食い切るのかよアンタ?……なんて思っていましたが、実際に収まってしまいます(笑)。麺チェーン店総選挙第一位も伊達じゃありませんね。

 ちゃんぽんといえば、私は長崎・新地中華街「江山楼」(こうざんろう)「特上ちゃんぽん」と決めていますが、最近はなかなか長崎に行く機会がありません。ここのちゃんぽんは美味しいですよ。⇒私のちゃんぽんレポートはコチラです

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第2問のセンター対策

 センター試験の第2問は「文法・語法」に関する出題です。Aが「空所補充、Bが「語句整序、Cが新傾向の「応答文完成、の3つが出題されます。このジャンルは演習した「量」がモノを言います。そしてセンター総合得点と相関関係が非常に強い部分です。私が現在、浪人生クラスである、松江北高校の補習科で行っている第2問センター対策をご紹介しますね。

 一応、現役の時に『ヴィンテージ』(いいづな書店)を3回あげているので、7月に私の『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(ピアソン桐原、760円+税)を配布して、最後まで解答して、自己採点をしてくるように指示しました。1冊を終えて持ってきた生徒には、次の三つをさらに課題として課しました。

(1)この問題集で間違えた問題を、もう一度あたって完璧にしておくこと。

(2)「きりはらの森」のアプリで、すきま時間を使って、10題・20題・30題を繰り返しチェック練習すること。⇒このアプリの詳細はコチラです

(3)1990年から2017年までのセンター本試験に出題された問題をプリント「第2問題A最終チェック問題」を使って全部あげること。このプリントは、全国の高校生の正答率に基づいて難易度が色分けされている13枚のプリントです。⇒「ダウンロードサイト」に登録しておきました。コチラです

 このジャンルの問題は、「知らなければできない」知識を問う問題ですから、サクサクとスピーディーにこなさなければなりません。そのためにも「量」の裏付けが必要な箇所なのです(文脈や対話の場面に応じた使い方ができるかどうかと絡めて出題されています)。上の三つに加えて、今後行われるセンター模擬試験の問題をきちんと確認・クリアしていけば、対策は十分かなと思っています。

 一時、第2問Aは、「語彙」の問題が大半という傾向変化がありました。文法問題は影を潜めていた時期がありました。しかしこの数年、再び文法問題へ原点回帰するという変化が起こっています。このことは、最近松江にお見えになって、志桜塾」で特別講義をされた、河合塾の山下りょうとく先生も指摘しておられました。そして狙われやすい頻出のジャンルがあります。ならばその部分を効率よく勉強した方がいいですね。山下先生のホームページに公開されている「センター文法・語法スーパーチェック(⇒コチラです)などを復習すれば、完璧でしょう。

 また、きりはらの森」では、この第2問の「傾向と対策」を、私たち『センター試験英語過去問題集 文法・語法頻出17項目の演習 TREND 17』(ピアソン桐原、760円+税)』の編著者である中川右也先生(鈴鹿高校)が、動画解説しておられますので(2本)、これを見るとどのような心構えで、第2問の勉強に臨めば良いかがよく分かると思います。ぜひご覧ください。⇒コチラです(ダウンロード後、『TREND17』を選択⇒「解説ムービー」に入る⇒「傾向と対策1・2

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藤田 田さんの哲学②~「勝てば官軍」

 藤田 田(ふじたでん)さんの続きです。藤田商店の稼ぎ頭であった「マクドナルド」の経営においては、日本全国で「価格破壊」を引き起こすなど、経済感覚、会社経営に長けたカリスマ的人物でしたが、晩年は、日本マクドナルドの業績が迷走するなど、それらに翳りが見え始めます。

 2000年(平成12年)2月からは「平日半額セール」などの大胆な新戦略を展開。デフレ下でも業績を一段と伸ばし、2001(平成13)年7月26日にはジャスダック市場に上場を果たしました。日本マクドナルドは「デフレ時代の勝ち組」、社長の藤田さん「ハンバーガー王」と謳われました。しかし、「インフレが来る」と、半額セールの打ち切りで、客数が減り、再び値下げするなど価格政策の迷走で、経営が悪化したことや、悪夢だったBSEの影響により客離れを引き起こし、同2001年(平成13年)に創業以来初の赤字に転落します。2002年(平成14年)7月、日本マクドナルドの不振や、自らの体調不良などにより社長を辞任。2002年3月、会長兼CEOに就任しますが、連結決算で創業以来の最終赤字になったことから、2003年3月28日の株式総会後、会長退任を余儀なくされました。日本マクドナルドの経営から退いた後は、公の場に出る事は少なくなり、2004年(平成16年)4月21日、心不全のため東京都内の病院で死去されました。78歳でした。桜の花が散るように静かに退きたい」という本人の思いとは裏腹に、毀誉褒貶の相半ばする人生でした。

 私は、松江北高の大先輩である藤田さんの生き方を詳しく調べてみて、たくさんのことを学びました。とってもいいことをいっぱい言っておられます。ずいぶんと勉強になる生き方ですが、一つだけ同意できない点がありました。それが「勝てば官軍」という哲学です。これは「勝てば官軍 負ければ賊軍」という言葉から来ていて、何事も強い者や最終的に勝ったものが正義とされることのたとえです。たとえ道理にそむいていても、戦いに勝った者が正義となり、負けた者は不正となる。物事は勝敗によって正邪善悪が決まるということ。「官軍」とは、時の朝廷や政府に味方する軍勢のことで、明治維新で敗れた幕府は賊軍の汚名に泣いたといいます。「賊軍」は「官軍」の反語で、朝廷や政府の意思にそぐわないとされた側の軍のことです。このことわざを短く、単に「勝てば官軍」とも言われます。藤田さんには同名の著書まであり、今でも手に入れることができます。私も隅々まで読んでいます。

 私が大好きなナショナルの創業者・松下幸之助さんの側近中の側近、PHPの前社長・前参議院議員の江口克彦(えぐちかつひこ)さんが、『成功は小さい努力の積み重ね』(PHP出版)の中で、この藤田さんのことを痛烈に批判しておられました。

 最も尊敬すべからざる経営者は、すでにお亡くなりになったが、某ファーストフードチェーンのFさんだった。Fさんは、「勝てば官軍」ということを言った。そして、「人生はすべて金だ、金だ」ということを言っていた。Fさんは適正利益を度外視するようなコストすれすれの、競合他社が悲鳴を上げ、手をあげてしまうほどの低価格政策を実践した。ところが競合他社は対抗策を講じたため潰れるところはほとんどなく、逆にFさんの会社は経営が行き詰まり、低迷し、赤字を出して、最終的にFさんは辞めざるを得なくなった。そして、いわば晩節を汚して、失意のうちに亡くなった。一時は成功を収めたようにみえたが結局は自滅してしまったのである。(p.161-162)

 別の所でも、鋭い批判を繰り返しておられます。

 私自身の思い出を振り返っても、あるとき一世を風靡した経営者が「勝てば官軍」という言葉をタイトルにつけて単行本を発刊したことがあります。私は非常な違和感を感じ、そのような考え方は間違っていると私は自らの著書でしばしば批判してきました。すると、やはり、数年後にその経営者の会社は、赤字転落してしまったのです。マスコミがよく持て囃した経営者でしたが、私の考えからすれば、その経営者の凋落は至極とうぜんのこと、私の予想通りになりました。そして、「勝てば官軍」と表明していただけに、まさに自らの経営人生の晩節を自ら汚してしまったという無念を、この経営者は死に際に後悔したことだろうと思います。     ―江口克彦『ほんとうの生き方』(PHP出版)

 江口さんご自身も、33歳のときに、松下さんを訪れた松下電器の傍系会社のS専務から、江口君、経営っていうのは勝てば官軍でね…」と話かけられ、即座に否定した経験を持っておられます。経営は、絶対に勝たないとダメなんだ。なんだかんだと言っても、結局は、利益なんですよ。いかなる方法であっても、結果を出すという、そういう考えがないとダメ。」 江口さんは反論します。それは、おかしいですよ。確かに、経営は、利益をあげなければならないと思いますが、だからと言って、なんでもやっていい、いかなる方法でもいいというのは、言い過ぎではないですか」と言いました。S専務は、嘲笑うような表情で、「君は、経営者でないから、経営の厳しさを知らない。経営は死にもの狂いなんだ。だから、ときには手段を選ばず、ときには、法に触れない、ギリギリのこともやらなければならないんだよ。そういうことをやっても、とにかく、売り上げを伸ばし、利益を確保する、そういう結果を出す経営をすることをしないと、会社は成り立っていかないんだ」と声を大きくして言います。江口さんは納得いきませんでした。そんなことまでして、売り上げを伸ばし、利益をあげても、世の中に迷惑をかける、法に触れなくとも、道義的に、人間的に反するようなことをしたら、いけないんじゃないですか。それは、勝てば官軍、ということで、許されないと思います。たとえ、道理に反しても、勝てばいい。結果を出せばいいという専務の考えは、経営者が考えることではないですよ。結果も正しく出すけれど、過程も正しくおこなっていく。それが経営者の心掛けることではないですか」と、次第に激しい口調になっていきます。S専務も一層激高し、君、経営を知らん者が、無責任に、そんなことを言うべきではない。そうなんだよ。勝てば官軍でいいんだよ。勝てば官軍。経営はそういうもんなんだよ」と続けます。S専務と江口さんとのこのようなやり取りを松下幸之助さんはベッドに横になり、聞いているのかいないのか、まるで眠っているように、ずっと目をつむったままでした。おそらく黙って聞いていたのでしょう。江口さんは、S専務とのやり取りを、松下さんの前で、いささか興奮して激論したことを一瞬後悔しつつ、多分、このような議論には興味がないのかもしれないし、眠っているとすれば迷惑なことだと思い、適当なところで、S専務に「もう止めましょう」と言って、二人で部屋を退出しました。

 それから、1カ月ほど経って、松下さんと話をしていると、松下さんが、遠くを見るようにして、昔話をし始めました。「わしがな、店を始めた頃、加藤大観さんという、真言宗のお坊さんが、縁あって、わしの側にいたんや。この人は、わしの健康長寿と店の繁栄を祈ってくれていた。まあ、わしの相談相手にもなってくれていたな。あるとき、一つの製品について、度の過ぎる激しい競争がおこなわれてな。わしは、正しい競争ならするけど、不当な乱売競争はしないと心掛けていたから、その競争に乗らんかったんや、最初はね。けど、いくつもの店が入り乱れて、まあ、乱売合戦や。さすがのわしも、腹をすえかねて、徹底的にやってやろうやないか、と考えた。そいでな、その加藤さんに言うたんや。徹底的にやろうと。そうすると、加藤さんは、静かにこう言ったんや。“そうですか。それはなかなか勇ましいことですな。あなたがそこまで思い立ったのであればおやりなさい。ただ、あなたは、数百人の従業員をかかえている。あなたは今、一時的な怒りにかられて、損得を超越してやろうとしているのだから、たとえそれで大きな損をしても、気分がスカッとするかもわからない。しかし、その結果生まれる経営難は、抱えている何百人もの人に及ぶのです。それは大将のすることですか。それは匹夫下郎のすることです。大将というものはそんなことをしてはいけない。ほかのところが乱売競争を仕掛けてきても、あなたが正しいということをやっているのであれば、決して心配はいりません。乱売しているところへは、一時的にはお客が行くかもしれません。しかし、出船もあれば入船もある、というのが世の常です。あなたが、自分の感情にかられて、やるんだというのなら、おやりなさい。しかし、それは、大将のすることではありません”と。まあ、こう言うんやね。わしは、うーん、なるほどと思って、乱売合戦に参加するのを止めた。結果はどうなったかというと、大観さんの言うた通りになった。」

 松下さんは、ここで一呼吸しました。そして、今度は、江口さんの顔を見据えながら、きみ、わかるか、商売するとき、結果を出せばいい、結果だけが商売や、と考えたらあかん。その仕方やな、それも大事や、ということやね。なにをやってもいい、勝てば官軍、という商売は、あかんよ。結局は、失敗するで」と。

 やはり松下さんはよく分かっておられます。これは、江口さんが36歳で、松下さんから「PHP総合研究所」の経営を任される前年の話です。ちなみに、くだんのS専務(のちの社長)の会社は、8000億円の負債を抱えて、後日、2005年に、倒産しました。

 さて、ここからは私の考えです。法律に触れなければ何をしてもよい、という姿勢で経営して莫大な利益をあげていくというのは、明らかに間違っています。人間的に正しい道というものを歩んでこその成果であって、法律に触れなければ何をしてもよいではなくて、勝ち方に美しさがなくてはいけません。藤田さんが唯一間違った点がそこだったと思います。結果さえよければそれでよいというのではなく、よりよい成果をあげることが大事であると同時に、そのプロセスも大事にする、という姿勢が大切だと思うのです。結果を大事にする以上に、それを生むまでの過程も大切にしたいというのが、私の哲学です。損得」ではなく、尊徳」で生きるということです。英語の指導も、そんな思いで40年間やってきました。点さえ取ればそれでいい」ではダメなんです。本物の英語の力をつけないといけない。賢者は歴史に学ぶ」(ビスマルク)の姿勢で、藤田さんの失敗例を心に刻んでおきたいですね。以上、二回にわたって、松江北高の生んだ偉大な大先輩、藤田 田さんの生き方について、いろいろと述べてきました。参考にしてください。

※私のブログにお越しいただきありがとうございます。夏は、いつも以上に忙しく飛び歩いていましたが、しっかりと仕込みをして、新学期に備えていました。松江北高では17日に始業式があり、すでに数時間授業を行っています。今日でテキスト『Reading High-level』(ラーンズ)の20課が終わり(これめちゃくちゃ力の付く読解問題集で、みなさんに薦めています)、センター試験の準備に入りました。今日8月24日から9月3日(日)まで、学園祭準備・学園祭のために授業がありません。ヤッター!!しばらく旅に出てきます。行き先は内緒(笑)。❤❤❤

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藤田 田さんの哲学①~その生き方

 日本にあのマクドナルドを初めて誕生させたのは、松江北高校の大先輩である藤田 田(ふじたでん)さんということもあって、マクドナルドには人並みならぬ親近感を抱いています(北高生でもそのことを知らない人が多数います)。一時、不祥事で低迷してどうなることかと心配しましたが、最近は好調のようで嬉しく思っています(マクドナルドの現状はコチラをご覧ください)。この夏休みに、私は藤田さんのことを詳しく調べてみました。今日は北高大先輩の藤田 田さんの生き方についてご紹介したいと思います。

 藤田さんは、藤田商店」という輸入雑貨販売会社を経営していました。創業は1950年。藤田さんが東京大学・法学部在学中の24歳のときです。若いころから天才的な商売人だったんですね。だから藤田 田さんを語るときは、マクドナルド社長としてだけでなく、「マクドナルド以前」の話も重要だと思います。当時は、「強欲」「守銭奴」「ホラ吹き」「拝金主義者」「我利我利亡者」「ハッタリの多い金儲け主義者」「ユダヤ商人」などと悪口を言われていました。

 藤田さんは1926年、大阪・吹田市生まれ。お父さんは6カ国ぐらいしゃべれる国際派の電気エンジニアで、裕福な家庭でした。母親は熱心なクリスチャンで、子供に「口をつつしむ人になってほしい」という願いを込めて、「口」の中に十字架を入れ、「田」(でん)と名付けたというのは有名な話ですね。「田」という字には、口の中に十字架が入っているから、話すことと食することを神に守ってもらえ、良い人生を過ごせるようにという母親心です。口に十字架を入れておけば、人のためにならない余計なことは言わないだろう、そんな子供が後に「うちのハンバーガーをまずいと感じるのはチンパンジーかゴリラくらい」なんてことを言う人になりました。18歳になるまで大阪から出たことのなかった藤田さんでしたが、お父さんの強い薦めで昭和19年4月より昭和23年3月までの4年間松江市で暮らすことになりました。松江市はお父さんが仕事の関係でよく出向いていたところです。当時体が弱かった藤田さんを案じて、戦時中ではあっても、せめて風光明媚なところで勉学に励んだほうが健康のためによい、との親ならではの配慮が働いたものと思います。談論風発を日々の生活の旨とした自由な校風を誇る旧制松江高等学校に通う傍ら、さまざまな驚きと生涯忘れえぬ数々の経験をしました。

 ところが、戦争が、彼の運命を変えてしまいます。高校在学中にお父さんが病死。米軍の空襲で家とほぼ全財産を失いました。戦災を避けるため、島根県・旧制松江高校で寮生をしていた藤田は、そこで敗戦を迎えます。当時の松江高校は、全国の旧制高校の中でもバンカラ度の最も高い、荒々しさと汚さでは随一の学校だったといいます。それだけに自由革新の気風に溢れた高校でもあって、藤田さんは校風に馴染んだのでしょう。応援団長を務め、肩までかかる長髪に羽織袴、高下駄で町中を闊歩していたようです。ことあるごとに、全校生徒の前で自分の主張を早口の大阪弁で理路整然とまくしてたてていたそうです。最大の武器は「口」=弁論だったようです。宍道湖の美しさにも心を惹かれていたと書いておられます。夕暮れ時に松江大橋から嫁ヶ島方向を見る景色の美しさはほかに例えようもなく、東洋のジュネーブと呼ばれるゆえんでもあります」と。ある日この松江大橋の上でばったり友人と出くわしました。その友人が面白半分に「この橋から飛び込めるか?」と挑発してきました。負けず嫌いの藤田さんは、「飛び込めるとも。なんなら5円かけようではないか」と答え、着物のまま飛び込みました。その後も懲りずに何度か飛び込んだ記憶があります。若気の至りですね。こうして多感な青春期を松江市で過ごした藤田さんは、同市に対してひとしお強い愛着を感じ得ませんでした。戦火に加えて、お父さんの死もあって、藤田さんはカネに困っていました。そこで彼は松江に進駐してきたGHQに飛び込み、通訳のアルバイトをするようになります。それから東京大学に進学します。お父さんの遺書に「戦争は終わり、いずれ平和が来ると思います。その場合、田が生きていく上では東大の法学部に進学して、政・財・官界に入るか、それができなければ、慶大の経済学部に進み、経済人になるのがよいと思います。日本は、学歴、学閥社会なので、そのほうが生きやすいと思うからです」と書いてあったことに加えて、授業料が安かったからだと、後に藤田さんは語っています。でも卒業時に「記念受験」でもらった大蔵省の内定通知「大蔵省への出向を命ずる」は、その場で破り捨てたそうです(約200名採用の中の7番目の成績だった)。当時の東大は、ガリ勉で利己的で、人間性ゼロのヤツしかいなかったと痛烈に批判しておられます。藤田さんは在学中から英語力アップのために、アメリカ軍の宿舎に泊まり込み、GHQ本部の通訳として働いていました。アルバイトとはいえ、かなりの高給取りで、進駐軍専用のクラブにも出入りして豪遊していたといいます。料亭でカネを敷き詰めた上に素っ裸で座って芸者と遊んだ、というエピソードも。そんな藤田さんの「拝金」に拍車をかけたのが、GHQにいたユダヤ人軍曹です。ユダヤ人は軍の中でも差別されていましたが、彼は仲間内で高利貸しをすることで、周囲の人間たちをじわじわと支配し、上官すら自分に頭が上がらないようにしていました。カネさえあれば、差別も乗り越えられる。勝てば官軍」なのだ、と。こういうやり方を彼は「ユダヤの商法」と呼びました。そして輸入商社「藤田商店」で、それを自ら実践していくのです。

 1972年の著書『ユダヤの商法』(ベストセラーズ)では、藤田さんのビジネス論をひたすら語る本ですが、いまだに根強い人気があります。なかでも、ソフトバンクの孫 正義(そんまさよし)さんがこの本の愛読者だったことは有名です。高校生だった孫 正義さんは、日本マクドナルドに毎日5回くらい長距離電話し「一目でいいからぜひお会いしたい」と伝えました。当然ながら断られます。その電話は10日間ほど続いたそうです。すると電話ではらちがあかないと考えた孫さんは、今度は郷里の佐賀県・鳥栖から飛行機で東京にやって来て、羽田空港から秘書室に電話し、「例の孫です。しつこい男がこうやってもうでてきちゃったらから、3分でもいいすですから…。あなたが意思決定しないで、とにかく藤田さんに伝えてください。仕事中でお忙しいなら、お顔を見るだけで話はしなくてけっこうです」とごねるように哀願したそうです。その熱意に負けて面会することにした藤田さんに、孫さんはこんな質問をします。「これからアメリカに行って勉強したいのですが、何を勉強したらいいでしょうか?自動車とか飛行機とか石油とか、学びたいことはいろいろあるのですが」と尋ねる孫さんに、藤田さんはこう答えました。「今はこの部屋くらいの大きなコンピューターも、そのうちハンディなものになる。コンピューターは伸びる。コンピューターだけ勉強してらっしゃい」「わかりました。将来、事業家になったら必ず来ます」1973年のことでした。アップルもマイクロソフトもまだなかった時代です。藤田さんの先見の明といい、孫さんの行動力といい、勉強になりますね。「天才は天才を知る」、藤田 田さんが孫 正義さんを生んだと言ってもいいかもしれませんね。藤田さんはこのときの孫さんをこう見ていました。「この人ならきっとうまくいくと思ったんですよ。すごく粘り強く熱心でしょう。こんなしつこい人は、あとにも先にもいませんよ」

 藤田さんは、GHQ時代のコネをフル活用して大儲けします。ビジネスのため世界中を飛び回ることになるのです。そして1969年、アメリカのシカゴで「マクドナルドが世界中に商売を広げたいので人を探している。ぜひ会ってほしい」と勧められ、マクドナルド創業者、レイ・クロックのオフィスを訪ねました。藤田さんは食べ物の商売には興味がなかったので、当初は断るつもりでした。だから「この条件が飲めるならやってもいい」と、合弁企業・日本マクドナルドの設立に3つの条件をつけたのです。

1:資本金は米マクドナルドと藤田商店で折半する
2:利益はアメリカに持って帰らず日本に再投資する
3:日本には日本のやり方があるのでアメリカの命令は受けない

 アメリカ本社の言いなりになることをキッパリ拒否した、藤田さんらしい商売魂を見るエピソードです。ところが、クロック氏は「おもしろい、おまえがやれ」と一発OK。ほかにもたくさん日本人の候補者がいたけれど、彼らはビジネスがわかっていない、と言っていたといいます。こうして藤田さんが45歳の時に、1971年に銀座「三越」に第一号店がオープンするのです。これについても藤田さんは信念を貫きました。アメリカマクドナルド社は、都市郊外から発展してきたから日本も同じようにして欲しい、と銀座出店に反対してきます。藤田さんは日本は都市の中心から発達する文化を持っているから「三越でなければダメだ」と譲りませんでした。三越は日本で一番古い老舗で日本一のデパート。その三越にオープンすればきっと良い店になるに違いない、と計算していたのです。藤田さんはマクドナルドを日本で成功させるため、アメリカのマクドナルドをそのまま持ってきたのではなく、徹底的に「日本化」します。日本語を重視して英語の「マクダーナルズ」ではなく、「マクドナルド」としたのもその例です。英語の音をそのままカタカナ店名にしたのでは日本では受けないと考え、3音ずつ切れる「マクド・ナルド」としました。カンバンに英語は一切使わず、内装にも赤や青といった星条旗カラーは使わせませんでした。アメリカの国旗や地図を出すことも禁止しました。ただ唯一メニューだけには、日本語と英語の併記で舶来商品であることが分かるようにしました。世間では「3週間で潰れる」と揶揄・嘲笑されましたが、どうしてあの大活躍です。10年後にはレストラン業界で売り上げ日本一になってみせる。ハンバーガーを1千億円売って、日本を制覇してやる」と応えておられたそうです。トイザらス」を日本に誕生させたのも藤田さんですよ。

 藤田さんはもともと通訳という言語の専門家だし、晩年まで日本語の研究を趣味にしていました。一見、自分が儲かれば日本の国なんかどうでもいい、というふうに見えるけれど、実は日本への強い愛着があったんだと思います。だから日本マクドナルドの就業規則の第一条は、日本で一番の高給を支払う企業を目指す」でした。誕生日を迎えた社員には特別休暇と祝い金を出し、社員の奥さんの誕生日にはメッセージ付きで花を贈り、年2回のボーナスの他に、3月に出る決算ボーナスは「社員を支えてくれたお礼」として全額奥さんの口座に振り込んだ(奥様ボーナス)。しかも奥さんに「秘密」のある社員には、特例としてボーナスを奥さんと社員の口座に振り分けてくれるというシステムまであった。これなら「今年のボーナスは少なかった」と奥さんに嘘をつけますからね。家族があるからこそ社員は気持ちよく働ける、それを形で報いる経営者が藤田さんでした(ボーナスは9.5ヶ月!)。私の会社は日本一の最高の給料を払います。文句あるか。一生懸命やろう」が藤田さんのスローガンでもあり信念でした。藤田商店時代から、定雇用率が出る以前から、身障者の雇用に積極的で、戦災孤児も受け入れていました。でも最終的に、藤田さんの商法は行き詰まってしまいます。バブル崩壊後の低価格路線、そして半額バーガーでマクドナルドは絶頂を迎えるものの、2001年9月にはBSE(狂牛病)騒動で客離れが起き、業績不振に。その後も低迷を脱せない責任を取って、2003年、藤田さんは「桜のように静かに散りたい」という言葉を残してマクドナルドの会長を辞任します。それから1年で亡くなっています。ちょっと悲しい晩年でした。

 たとえば、藤田さんは若き日に、実業家の道に進むことにしたときのことを、こんなふうに語っています。本当は大学を卒業するときに、少しは考えたんです。でも、その当時、40歳以上の日本人はダメで使い物にならないと思っていたんです。あんな戦争を起こして、日本を悲惨な目に遭わせて、その責任もとらないで、のうのうと役人をしていたり、大企業を経営している。こう考えたら、そんなところに就職してもしょうがないという結論になって、自分の商売を続けることにしたんです」

  もう少し藤田さんの人間性について触れてみましょう。藤田さんは私と同じで、寝る前にベッドで本を読む習慣を持っていたそうです。毎夜100頁とも200頁とも言われていました。現状認識をするために、整理立てて理論化するための言葉や数値を、本の中に見いだしておられたのでしょう。ジャンルを問わず乱読しておられたそうです。時間を見つけては書店に行って、本を山のように買う。読み切れないとなると、妻と分担して(!)ストーリーと感想を述べ合う。学生時代、英語の本だけでも500冊は読んだと聞きました。常に何かを考えていて、どんな小さなことでもすぐメモを取る人だったそうです。店ではポテトの袋にまでメモしたそうです。そのメモを毎日見る。1週間ごとにまとめて整理し、この話はどうなっているかと見直す。四六時中ものを考える習慣を身に付ける情報収集術の一つですね。何を始めるにしても、まず必要なのは貪欲に情報を集める姿勢である。情報収集術というものがあるとそれば、雑学を究めることにつきると思っている」 都内を移動する時は、できるだけ電車を利用しました。渋滞に巻き込まれず、時間が節約できることもあるけれど、世の中の移り変わりや若い人たちの間で何が流行っているかを敏感に感じとるためにアンテナを張っておられたということでしょう。数字に強いというのも藤田さんの特徴です。人間の精神活動に最も適切な温度は摂氏18度、水が一番美味しいのは摂氏4度、口の中に入ってくるモノが一番美味しいのは摂氏62度。数字に慣れ、強くなることは金儲けの基本と考えておられた藤田さんは、ふだんの生活の中に数字を持ち込んで、数字に慣れ親しむことを心がけていました。全て具体的な数字で物事を判断するという人でした。推計でいいからまず数字で売り上げや利益を考える、という姿勢です。ベッドの枕元に、外気と室内の温度がわかる寒暖計を置いておられました。朝起きて室内が18度で、外が12度だったら、6度の差があるから外は寒いな、と考えるのです。「ああ寒い」じゃなくて、数字で判断する訓練を積んでおられたのです。藤田さんの飛行機嫌いも有名でしたね。あんな鉄の塊が引力の法則に逆らって空中を飛んでいて、飛んでいる最中に空中分解したり、墜落しても何ら不思議はないと思うと怖かったのです。ところが、落ちるときには落ちるのだ、それで死ぬのならそれも運命と達観するようになってからは、平気だったといいます。私も飛行機嫌いで通っていますから、この気持ちは非常によく分かります。「ビジネスに満塁ホームランはない」というのが口癖でした。ビジネスはあくまでも一歩前進、また一歩前進、尺取り虫のように一歩一歩重ねていって成功に至るものであって、「時間×努力」が巨大なエネルギーになるのだというのが藤田さんの信念でした。例えば、藤田さんは、東大法学部4年生の24歳で藤田商店を始めた時から、毎月住友銀行に積み立て貯金をしてきました。最初の10年は月5万円(当時の5万円は大金で、日雇い労働者の賃金が、「二個四」(ニコヨン、100円札2、10円札4)で、手取り240円。25日間働いても6,000円にしかならない時代です。その時代に藤田さんはアクセサリーなどを輸入販売する「藤田商店」をスタート。5万円の貯金を始めることで、独立開業のリスクに備えたのです)。次の10年は10万円、以降は15万円と、続けられたそうです。その預金がいくらになったと思います?貯金は複利で回り、1991年4月時点で「24億1157万6544円」に達しました。藤田さんは人生が「仕事×時間=巨大な力」ということを、定期預金を通して証明したわけです。通帳は600冊にものぼったそうですよ。まさに「チリも積もれば山となる」ですね。私たちも見習いたい習慣です。

 そんな藤田さんの商売哲学は「勝てば官軍」というものでした。

●デフレ経済下で自分が生き残るためには価格破壊しかない、安く売ってお客をよけいに獲得する、お客を取られた企業はつぶれる、そうなれば全国的に大規模な失業問題が起きてくるのだろう、だが、失業問題をいかにするかを考えるのは政治家の仕事であって、わたしの仕事ではない、わたしの仕事は、近い将来浮上するだろう大規模な失業状態から、全力をあげて社員を守り抜くことである。

●ビジネスは「勝てば官軍」である。企業は勝たなければならない。勝つことによって、社会にいろいろな主張が言えるようになる。実績を上げられない経営者が何を言っても、負け犬の遠吠えとしか世間は見てくれないであろう。敗者は滅びるのみである。

 私は藤田さんの生き方には、共鳴するところがたくさんあるんですが、この「勝てば官軍」という哲学だけは、いただけません。このことは明日改めて、詳しく取り上げます。(続く) 

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松山千春さんの神対応

 昨年で、芸能生活40周年を迎えた歌手の松山千春(まつやまちはる、61歳)さんが、8月20日、飛行機の中で神対応を見せました。松山さんが搭乗したのは札幌・新千歳空港発大阪・伊丹空港行き全日空1142便(約400人満席)。午前11時55分出発予定でしたが、お盆休みの最終日Uターン帰省ラッシュによる保安検査場が混雑した影響と、各便とも満席で振り替えができないために最後の乗客が搭乗するまで出発を遅らせざるを得なく、午後13時3分まで出発が遅れました。

 同12時50分頃、機内のイライラムードを感じたのか、松山さんは客室乗務員に「みんなイライラしています。少しでも機内が和むように、歌わせてください」と申し出ました。機長も特例で許可。「OKが出ました。ここを押して話してください」とキャビンアテンダント。機内アナウンス用の受話器型マイクを手に取ると、北海道出身の松山千春です。大変ですが旅は道連れ、保安検査場を未通過の人も関西に帰ろうと頑張っています」空へのフライトに合わせ代表曲「大空と大地の中で」を歌い始めました。機内は騒然となりました。大幅遅延でイライラムードが漂う機内を和ませるサプライズ歌唱に、乗客は笑顔・大歓声と拍手で喜びました。さらに乗客に「お疲れ様です。お怒りだと思いますが、地上係員も頑張っています。もう少し辛抱しましょう」と呼びかけ、遅延を謝罪するなど、千春節全開の即興トークを披露。機内のムードは一変。乗り合わせた乗客も、長時間の遅れなど吹っ飛んだと言います。さらに「皆さんのご旅行が、またこれからの人生が素晴らしいことをお祈りします。もう少しお待ちください。ありがとうございました」と締めくくると、乗客からは大きな拍手が湧き起こりました。

 機内の安全・保安上、通常は搭乗客の勝手な行動は許されませんが、今回は客室乗務員が申し出を機長に報告。機長が特別に許可したことから実現しました。大阪で生ラジオ番組に出演した松山さんは、「歌い出して40年以上立つけれど、キャビンアテンダントのマイクで歌ったのは初めて」「出しゃばったことをしているなと思うけど、みんなの気持ちを考えたら、なんとかしなきゃ、みたいな。機長さんよく許してくれたって思うな。嘘のような話でした」と振り返りました。全日空の広報担当者は、「歌手の方が機内で歌ったというのは聞いたことがない。レアケースです。松山様の厚意に感謝申し上げます」と話しています。果て~しない待ち時間に、人のことを思い、勇気を出して行動した松山さんでした。ちなみに、この「大空と大地の中で」は、私が松山さんの曲の中で一番好きな歌です。

 普段は口の悪い横柄な態度と映る松山千春さんですが、コンサート会場のステージ上ではどこでも、まるで本人に寄り添うように一輪の赤いバラが置いてあるいきさつ(⇒コチラです)を知っている私には、今回の「神対応」もごく自然な行動に思えました。❤❤❤

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大学生講話

 8月21日(月)午後、松江北高二年生では、現役大学生を講師に迎えて、大学の話をしてもらい、質疑応答をするという「大学生講話」がありました。9人の大学生がそれぞれの会場で話すのを、自分の志望に応じて二つ聞くという形式です。私はその中の「国際教養大学」の一回生中西葉奈さんと、九州大学・文学部」の三回生藤江太郎くんの会場に出向きました。⇒藤江くんが『蛍雪時代』に取り上げられた記事はコチラ  自分がなぜその大学を選んだのか、どんな勉強ができるのか、どんな大学生活を送っているのか、高校時代はどんな勉強をしていたのか、後輩たちへのメッセージ、などを30分ほど話してもらい、残った時間は「質疑応答」と「アンケート」記入の時間です。みんな熱心に聞き入っていました。「参考になった」という感想が多かったですね。やはり身近な先輩の話だと、親近感も湧くせいか、心に響くようです。

  さらに放課後1時間ほど、進路資料室で、中西さんには国際教養大学の説明会を行ってもらいました。 要項に従って主な特徴を説明してもらった後、在校生からの質問に答えてもらいました。「就職状況は?」「半分ぐらいが留年と聞いたが、卒業は?」「図書館は?」「サークルは?」「入試のための勉強は?」などの疑問に、丁寧に解説してもらいました。コンピューターが自由に駆使できることはマストです。1年間の交換留学が義務づけられている唯一の大学であり、アドミッションセンターが全責任を持って留学のお世話をしてくれます。学生は毎日自分の成績をコンピュータ画面で確認しながら、勉強に励みます。競争原理が働いているものの、勉強をしたい学生にとっては最高の環境が整備されている大学であることが、よく分かりました。参加者全員に10年分の入試問題をプレゼントしてもらい、オープンキャンパスに来てね、というPRで会を閉じました。中西さんは松江北高からの第1号の国際教養大学生ですが、後輩たちには、ぜひ後に続いてもらいたいと思います。❤❤❤

 

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「松江水郷祭」

 8月5日(土)、松江の風物詩・松江水郷祭のメイン行事「湖上花火大会」が華やかに開催されました。午後8時から宍道湖の上空に1万発の花火が打ち上げられ、大輪の花が次々と開きました。今年の花火のテーマは「全国から集う神々。打ち上げ数は(約1万発)、西日本最大級だそうですよ。豊かな自然と文化が息づく“水の都”にふさわしい、華麗でダイナミックな光の競演を楽しめる花火大会は、毎年40万人前後の見物客でにぎわいます。今年も、盛夏の城下町を焦がす色とりどりの大輪が湖岸を埋めた観客を魅了しました。 松江地方気象台によると、同日の市内の最高気温は37.7度。夜になっても熱気がムンムン残る中、午後8時、宍道湖上から大音響とともに次々と花火が打ち上がりました。宍道湖に浮かべられた2隻の台船から、コンピューターを駆使しての連帯した「扇」や「斜め打ち」、広大な会場でしか実施できない独特な「垂れ幕下がり」、立体的な広がりがある特殊花火、直径320メートルの尺玉や水上花火などが打上げられました。松江水郷祭推進会議」は、県外からの集客力を高める狙いで、祭りを2年連続で3日間開催とし、呼び物の花火大会も中日となる土曜日に開きました。同会議によると、来場者は昨年と同じ32万人だったそうです。昨年の映像ですが、こんな感じです。フィナーレはまさに圧巻ですね。

 私はこの日は、岡山に仕事で来ていて、夕方に松江に帰ってきました。昨年もちょうどこの日に「やくも号」で帰って来て、タクシー乗り場を見てびっくり仰天!浴衣姿のものすごい行列に、タクシーは1台もいません。この日に「花火大会」があることをすっかり忘れていました。結局、乗り場でタクシーを2時間(!)待って家に帰りました。この経験から、昨年の二の舞はゴメンと、今回は自転車で松江駅まで来ていましたので、駅前の大行列を見て、シメシメ正解だったなと思いました。「やくも号」を降りた改札でも、松江駅構内は水郷祭の見物客で大混雑で、「帰りは混雑します!帰りの切符も購入しておいてください!!」と駅員の方たちが叫んでおられました。この日の松江市は猛暑日で、37.7度を記録したそうですよ。私は家に無事帰り、その足で午後8時前から、会場で花火をのんびりと見物していました。癒やされましたよ。❤❤❤

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「わか竹食堂」

◎週末はグルメ情報です!!

 「わかたけ食堂松江市・古志原町で、昔から営業している老舗の食堂です。その昔、松江南高校に勤務しているときは、よく立ち寄ったり、大庭の教員住宅まで出前をしてもらったりしていました。休日に、松江工業にソフトテニスの練習試合に来たときにもよく利用していたものです。今日は何十年ぶりにそばを通りかかったので、入ってみました。お昼時とあって超満員です。昔から結構お客さんが多かった記憶があります。昔と変わらない店の雰囲気、変わらず良い味を出しています。

 セルフで水を入れ、メニューを見終わり、オーダー聞いてくれるの待っていますが、大将はひたすら火にまみれて「焼き飯」を作っておられます。奥さんらしき方が注文を聞きに来てくれました。当時と同じ「チャーシュー麺」(650円)「焼き飯」(550円)を頼みます(値段も当時とあまり上がっていないみたいでリーズナブルですね)。写真のようにビニール・カーテン越しに、厨房が丸見えなんで観察するとしましょう。「焼き飯」が先に出来上がり出てきました。数分してラーメンもカウンター越しに渡してもらいました。久しぶりにお目にかかりましたが、中華そばスタイルですね。スープは鶏ガラ+αでしょうか。あっさりした、さっぱりとした味わいで、飽きの来ないとても飲みやすいスープです。ローダン」のスープよりはマイルドですかね。麺は中細のストレート卵麺です。チャーシュー5枚、モヤシ、シナチク、ネギでした。当時と変わらない美味しい味で、懐かしく思い出します。豚骨系清湯に薄い醤油、塩ベース。小ぶりなチャーシューに塩抜きメンマ、モヤシ、青葱のトッピング。ルックスといい味といい、典型的かつ古典的な松江型ラーメンです。意外に塩分、科学調味料控えめで好ましいのですが、脂も少な目でスープも若干薄めです。毎日食べても飽きが来なく抵抗ない味です。食堂ながら手作り感があり、ノスタルジックなラーメンで感心しました


 「焼き飯」(550円。当時から、ラーメンとセットでどうしても頼みたくなります。チャーハンではなく、焼き飯という呼び方がぴったりですね。味付けは薄味ながら、ほんのり醤油が香るさっぱりとした、素朴な味わい。いわゆる“美味”とはちょっと違うものの食欲をそそります。❤❤❤

 

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星野仙一記念館

 倉敷市出身で真っ先に挙げられる有名人の一人と言えば、「燃える男」星野仙一(ほしのせんいち)さんですね。地元倉敷商業高校の出身です。2008年3月19日より、岡山県倉敷市の美観地区内に、星野仙一記念館」(入館料500円)がオープンしています。先日、たまたま美観地区を歩いていたら、偶然この記念館入り口の掲示が目に飛び込んできたんです。私は熱狂的な巨人ファンで、星野さんが中日ドラゴンズのピッチャーだった頃から、にっくき存在でした。敵ながらあっぱれの熱血選手でした。阪神の監督、楽天の監督時代もにっくき存在でした。鉄拳制裁で選手を震え上がらせたことでも有名ですが、なぜか選手たちに慕われています。裏方のスタッフや選手の奥さんたちにも心配りを忘れない優しさがある、とどこかの本で読んだことがあります。急ぐ旅でもないので、立ち寄ってみるかと思って、小さな路地へと入っていきました。

 突き当たった入り口には、お出迎えの星野仙一さんの記念像が、記念館の2階へ上がる階段横の壁には「夢」と大きく描かれています。中に入ると、この記念館では、星野さんの野球人としての原点や軌跡が凝縮された展示が広がっていました。沢村賞や正力賞に輝いた時のトロフィーや盾、中日ドラゴンズ、阪神タイガース、東北楽天ゴールデンイーグルス時代のユニフォームやスパイクなどと併せて、これまでに撮った写真やパネルが450点程展示されています。また、ガキ大将だった星野少年の心温まるエピソードや、野球との出会い、小学校4年生の時にお母さんから初めて買ってもらったグローブや、その後の活躍ぶりが「ビデオルーム」では紹介されています。野球人星野仙一」の人間像を伝える映像でした。

 星野さんは、人を惹きつける魅力に満ちあふれ、特に監督になってからは、優勝という輝かしい結果を多く残しています。星野さんは言っています。思いが強ければ強いほど、勝利に近づいていく。」「夢は見るものではない。実現させるための目標である。その為に、今何をなすべきかを冷静に考え、できる事は即座に行動する。」ここを訪れると、星野さんの熱い思いと勇気に感化されますよ。

 平成25年(2013年)に星野さんは、楽天で、自身初の日本一になりました。現役時代や監督時代を通じて日本シリーズに5回挑戦し、いずれも巨人出身監督と対戦し、敗退しました。6回目となったこの年、原 辰徳監督率いる巨人を相手に球史に残る名勝負を展開しての初優勝でした。最終戦田中将広投手の連投・熱投は記憶に残っていますね。初の日本一と過去に逃した理由について星野さんいわく、今まではシーズン中に巨人と戦っていたため、リーグ優勝で燃え尽きていたが、今回は日本シリーズの対戦相手が巨人だったため、最高のボルテージで戦えた事が大きかった」と語り、燃える男として最高の結果を残しました。激闘の模様も館内に展示されています。

 大学時代は監督・島岡吉郎さんの薫陶を受け、卒業後も「オヤジ」「明治大学野球学部島岡学科出身」と慕うなど、その後の人生に大きな影響を受けました。その反面、鉄拳制裁も辞さない島岡から殴られることはなかったといいます。星野さん曰く、「俺は要領がよかったから」とのことですが、島岡自身は「星野は殴ると理屈をこねそうだったから」と、星野さんを殴らなかった理由を語っていました。島岡さんからは「命懸けでいけ」、「魂を込めろ」、「誠を持て」の3つの教えを徹底的に仕込まれたといいます。解説者時代にはあのV9の川上哲治さんから可愛がられたことも有名ですね。❤❤❤

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笠岡高校で授業

 チョット前のことになりますが、7月30日(日)、昨年に引き続き岡山県立笠岡高等学校で特別授業をしてきました。⇒昨年の授業風景はコチラです  長年親しくさせていただいている流尾卓志先生が、朝の8時に「笠岡グランドホテル」にお迎えに来ていただきました。朝8時50分から12時30分まで、ビッシりと、勉強に向かう姿勢、センター試験、二次試験の演習を中心に、お話させていただきました。

 簡単な八幡の紹介映像を流した後で、まず大学受験に向かう心構えからお話を始めました。成功するためのキーワードとして、1)強い夢、(2)「勉強の仕方」、(3)繰り返し、(4)危機意識、(5)「組織」の力、(6)成功するまでやる、(7)信頼関係、の7つを取り上げました。今年3月に卒業した生徒たちから教えられたことです。発音・アクセント問題の「勉強の仕方」を取り上げ、単語の覚え方を解説した後で、いよいよ演習の開始です。センター試験の第5問「物語文」を取り上げ、キーワードを手がかりに本文検索をする方法を詳しく解説しました。第6問との違いを簡単に触れ、第4問がなぜ難しいのかを話しました。そして、二次試験のための英文解釈に取り組む際の心構えや、英文読解の最高峰問題である「要約問題」を練習しました。ABC(たり前のことをカになってゃんとやる)を心がけていれば「英語は絶対に裏切らない!」という八幡の哲学を紹介して、3時間の授業を終わりました。みんな目の色をキラキラさせた真面目な生徒たちで、一生懸命受け止めてもらい、嬉しかったです。3年生に混じって、2年生の一部も参加してもらいました。熱心ですね。少しでも勉強の参考にしていただければ、ありがたいと思います。お世話になった、鳥越校長先生、流尾先生、西井先生、ありがとうございました。生徒さんたちの健闘を松江の地より祈っております。❤❤❤

 授業で用いた資料を「ダウンロードサイト」に登録しておきました。センター第5問「物語文」、英文和訳、要約問題の問題と資料です⇒コチラです

 学期中は週に6時間だけの授業なんですが、夏休みに入ってからは、いろいろなイベントや、北高での「東大・京大特別講座」「センター講座」と、いつもより忙しくしております。合間を縫って、卒業生たちが訪ねてくれます。つかの間の息抜きです。

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ブログ記事ベストテン!

★チョット振り返って…

ブログを書く人のイラスト(おじさん) ブログを書く人のイラスト(おじさん)ブログを書く人のイラスト(おじさん)

 毎日いろいろな話題を取り上げてブログを書いていますが、私のこのブログの記事で、最もアクセス数の多かったもののベストテンを挙げてみます。それぞれの項目をクリックしてもらうと、該当記事を見ることが出来ます。

①★八幡最近の活動★                                                       21,208 ⇒コチラです
②「クリスマスの約束2014」の確執                       21,099 ⇒コチラです
③☆「チーム八ちゃん」とは?☆                                   19,664 ⇒コチラです
④「発音・アクセント問題の攻略法」                           14,800 ⇒コチラです
⑤小田さんの交通事故のこと                                        13,138 ⇒コチラです
⑥松山千春が吉田拓郎を嫌いなワケ                                 9,893 ⇒コチラです
⑦不要文削除問題を解くコツとは?                                 9,479 ⇒コチラです
⑧小説『風に立つライオン』と柴田紘一郎先生             9,141 ⇒コチラです
⑨竹岡先生の『必携英語表現集』                                     5,941 ⇒コチラです
⑩スタイルプラススイーパー                                             5,726 ⇒コチラです
次点 村下孝蔵さんの切り絵ジャケット                         5,725 ⇒コチラです

 ⑩の「スタイルプラススイーパー」が、こんなに上位に来るのは意外でしたが、販売会社の「ショップジャパン」の担当者から、私のホームページに広告を貼らせていただけないかと、依頼の連絡が来たぐらいです。丁重にお断りしました。最近では、1998年の小田さんの交通事故へのアクセスが圧倒的に多いようです。一つ間違えば命の危険もあった大事故でした。小田さんはあの事故で生き方が変わったと、「100年インタビュー」でも語っておられました。「生きていてくれるだけでよかった」という手紙をたくさんもらった小田さんは、退院後、どうしたら応援してくれるみなさんを喜ばすことができるか、ということに真剣に取り組むようになったのです(コンサートの花道、ご当地紀行)。発音・アクセント問題の攻略法」「不要文削除問題を解くコツとは?」が上位に来るのは、センター試験の指導で苦労されおられる先生方が多いということの裏返しでしょう。映画「風に立つライオン」のモデルになった柴田紘一郎先生が、宮崎県で開催された「第33回高校生英語弁論大会」のゲスト講演講師に来ておられ、私が引率した安樂万智子さん(第4位)のお父さんが長崎大学医学部で柴田先生に教わっていたという偶然から、親しくさせていただくようになりました。人の縁とはこうした不思議に満ちあふれていますね。⇒コチラに詳しく書きました  9位の記事に関しては、ドラゴン桜のモデルとなった竹岡広信先生が、松江北高に授業に来てくださった時に、私は心臓の手術後の安静期に病院を抜け出し、お会いに行ったのが初めての出会いでした。以来、親しくさせていただいています。それぞれ懐かしい想い出のある記事ばかりです。❤❤❤

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半崎美子ミニライブ

 8月11日(金)午後1時と3時から、米子・日吉津イオンモール・チューリップコートで、半崎美子(はんざきよしこ)さんのミニライブが開催されました。私は今年6月に彼女の歌を知りました。⇒コチラです 北海道出身で、上京してから十数年もの間地道なインディーズ音楽活動を続け(パン屋に住み込みで働きながら)、36歳にして2017年4月5日にメジャーデビューした正統派・実力派シンガーソングライターです。まさに努力は道を拓く典型ですね。桑田佳祐さんが大絶賛して、広く知られるようになりました。さだまさしさんを尊敬し、目標とされています。「これは行かねばならぬ」と(立て込んだ仕事を放り投げて)、朝から期待して米子に出かけました。1時間前に会場に着いてビックリしたのは、席が全部埋まっていたことです。すごい人です。会場横でCDの販売をやっていました。私はすでに、デビューアルバム『うた弁』(オリコン最高23位)も『明日に向かう人』も買っているので、以前のミニアルバム2枚『ただいまの約束』『降り積もる刻』を購入しました。ライブ後、サインしてもらおう!

 開演15分前に半崎さんがステージに現れて、リハーサルが始まりました。相変わらず透き通った透明感のある伸びやかな歌声です。清らかな川の水のようで、本当にうっとりします。本番5分前ギリギリまでリハを繰り返した後で、退場。1時からミニライブが始まりました。私は後ろの方で立って聞き惚れていました。

 1曲目は私が大好きな「種」で始まりました。この曲本当に好きなんです。高音の伸びには独特の世界があります。2曲目は「お弁当ばこのうた~あなたへのお手紙~、これは2017年4月~5月のNHK「みんなのうた」で放送された歌です。最後の3曲目は「サクラ~卒業できなかった君へ~。なぜ半崎さんの歌に人が涙するのかは、この曲を聞けば分かります。卒業するというのは当たり前のようであって決して当たり前ではありません。半崎さんはあえて卒業できなかった人への思いを歌にしました。「本当はあなたもここにいるはずだった」「ふわり空にのぼったあなたに送りたい」「行く宛てのない気持ちだけ 進んだ時間を巻き戻す」「桜 花びらになり いつか会いに行く」という詞は、よくある定番の桜ソングではありません。同じ道を歩み同じ春を迎えるはずだった亡き友に贈る歌です。そこには悲しみ、切なさと同時に、春を迎える喜びも、友に対して表現されているんです。彼女の魅力の一つは、抜群の歌唱力に加えて、詞に込められた強いメッセージ性を私は感じ取っています。何か引き込まれていくような温かい歌詞に強い魅力を感じています。長年の苦労や努力の上に積み上げられた経験や人間性をバックに、人の心に寄り添いながら、丁寧に歌い上げます。なお、この曲は9月17日にシングルカットされることになりました。半崎さんも語っておられましたが、9月に桜の歌なんて、と思われるかもしれませんね。でもこの歌は季節を問わず歌い重ねていきたい、と半崎さん。現在配信されているミュージックビデオを貼り付けておきますね。かわいいイラストと素敵な歌声に癒やされますね。切なさの中にある優しさと温かさを感じるのは私だけではないでしょう。

 いつか私の砂時計の最後の一粒が落ちた時、降り積もった砂は種のように風に運ばれ、再び誰かの砂時計の中で落ち始める。私がこの世からいなくなっても、音楽が残り歌い継がれていくことを願うのは、私の歌が自分自身より長生きしてほしいからです。そして一番の望みは教科書に自分の歌が載ることです。だからこそ時代も世代も越えて必要とされる作品を遺したい。様々な方の人生に触れるたびに、思わぬ配色の歌が生まれ、私自身の心の在り方も変わってきました。人の心に寄り添いながら曲を紡ぐことをこれからも一番大切にしていきます。     半崎美子

 ミニライブ終了後、サイン会へと移っていきました。私も行列に並びます。これまたものすごい数の人です。一人一人時間を取って、丁寧に誠実に受け答えをしておられました。私の順番になって、今日の生歌には震えがきたこと、私のブログで詳しく半崎さんを取り上げていること、私が好きなのは「夏の夢」で、弾き語りが聴きたかったこと、ぜひ今度はライブに行きます、ということをお伝えしました。CDにサインをしていただき、素敵な笑顔でがっちり握手をしてもらって、会場を後にしました。やはりCDよりも生の歌声は違います。今日も感動で、最後の方ではウルウルきそうでした。半崎さんも、たくさんのファンに並んでもらって、感動しておられましたね(涙ぐむ姿も)。家に帰って、サインしてもらった昔のインディーズ時代のCDを聞きましたが、才能あふれ出る歌唱力には脱帽です。いい曲がいっぱい詰まっていました。これからもますます頑張っていただきたいと思います。応援したい歌い手がまた一人増えました。❤❤❤

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ハコアケ

 コクヨは8月9日、ダンボ-ル箱を刃を閉じたままカッターのように引いて切れる「ハコアケモード」を搭載したアイデアハサミ「ハコアケ」を発売しました。通常のハサミモード」から「ハコアケモード」にさっと切り替えて、カンタン&ラクラク二刀流で使うことができる便利物です。私は早速、米子・ロフトに買いに行ってきました。今ガンガン使っています。

 近年、ネット通販などが普及し、自宅に届いた段ボール箱の荷物を開けるシーンが増えていますね。ほぼ毎日のように宅急便が届く八幡家も、手ごわい段ボールの開封には苦労させられます。コクヨの調査によれば、段ボール箱を開ける際、約6割の人がカッターとハサミを使っているが、「中身を傷つけそう」「開けにくい」「手を切りそう」などの不満を抱えているといいます。今回の「ハコアケ」は、段ボール箱の開梱シーンにまつわる、ユーザーの不満を解消するために生まれたアイデア商品です。ハサミモードとハコアケモードの2Wayで使うことで、段ボールの開梱からタグ切り、ラベルの切り取りまで、すべてのシーンで活躍してくれます。「ハコアケモード」というのは、スイッチをスライドしながらハサミのハンドルを握ると、刃先から刃が飛び出してくる仕組み。刃を閉じたまま引くだけで簡単に段ボール箱を開梱できます。ハコアケモード時に刃が出る量は最大1mmのため、箱の中身を傷つけにくく、ハンドルの握りをゆるめると刃が出ない状態に戻る安心・安全に配慮した設計となっています。段ボール箱の中身の袋や商品タグなどを切るシーンでは、ハサミとして使用することで、持ち替えることなく、スムーズに作業を進めることができます。ハサミの刃は、内側の接する部分を最小限に抑えた「3Dグルーレス構造」で、クラフトテープを切ってもベタつきにくい仕様になっています。開発者のインタビューです。

――ハコアケはどんなことがきっかけで生まれたのですか?

コクヨ「家庭での段ボールの開梱の際、ハサミの刃をガバっと開いて開梱に使用するシーンがよくありますが、そのような『危険でありながら開梱しにくい使い方を無くすにはどうすればよいか?』と考えたことで企画がスタートしています」

――商品になるまでにどんなアイデアがありましたか?

コクヨ「段ボールの開梱作業を分解して考えていくと、(ダンボールを梱包している)PPバンドの切断や、中身の袋の開封には『ハサミ』、箱の開梱のためのテープカットには『カッター』と、『ハサミ』と『カッター』のどちらも作業の中で使用していることがわかりました。そこで、ハサミを開いて使うシーンを念頭におきながら、そのハサミの刃を上手く利用して、開梱作業により良い形にできないかと考え、この形が出来上がりました。他のアイデアとしては以下2点を模索しました

・ハサミにカッターの刃を取りつけることはできないか
・キッチンバサミのように左右の刃を分解して使えないか

ですが、安全面と作業効率の観点から、現在の商品化された形の『ハサミの刃を使うことが理に適っている』という結論に至りました」

――ハコアケが生まれるまでに苦労した点は何でしょうか?

コクヨ「ハコアケモードとハサミモードの切り替えについて特に試行錯誤を重ねました。元々『ハサミモード』から『ハコアケモード』に切り替えるスイッチ部分は、現在の『ハコアケモード』で使った後に、ハンドルの握りを緩めると自動的に『ハサミモード』に戻るような設計ではなく、単純にON/OFFを切り替えるスイッチにしていました。しかし、『ハコアケモード』がONの状態のときに、気づかずにハサミの受け渡しをした時などの状況を想定したときに危険があると考え、現在のように自動で戻る設計を考案しました。また、ハコアケモード時の刃の飛び出し量も危険性を考えて、1mm未満になるように細かい調整を工場内で行っています」

――ハコアケでデザインなどで注目してほしい部分はどこですか?

コクヨ「まずひとつは、全体的なデザインです。カッターのように『引いて切る』ことができる『ハコアケモード』時に持ちやすく感じてもらえるように、刃からハンドル部のフォルムを直線的にし、刃にも指当てを付ける事で、ハコアケモードで使うときに自然にカッターを扱うときに近いような手の形になるように設計しています。また、ハンドルのエラストマー樹脂をハンドルの外側にも施しており、ハコアケモード時に滑りにくいような設計になっています。そして、刃先にある『刃付け』です。通常のハサミを広げて開梱をしようとすると、刃先の刃付け角度がカッターなどに比べて比較的に鈍角であるため、切り込みがしにくい場合があります。ハコアケは、ハコアケモード時に少し出てくる側の刃先において、通常のハサミの刃付けに加えて、より鋭角な刃付けを行っています(刃の角に注目してください)。そうすることで、ハコアケモードで段ボールのテープに刃先を当てる際に、テープに切り込みやすくなるように配慮した設計を行っています」

――「ハコアケ」の上手な使い方を教えてください

コクヨ「開梱作業の後、発送時のラベルやバーコードなどが張り付いていることがあると思います。個人情報になったりするため廃棄の際には剥がしたいけど、爪で剥がそうとするとシールが剥がしきれずに途中で破れたりして剥がしにくい場合があります。そんな時にハコアケを使えば、『ハコアケモード』でラベルの周りを四角に切って段ボールの表面ごと剥がすことができます

 

 「ハコアケ」が生まれるまで、様々な試行錯誤があったことが開発担当者の話からわかりました。箱を開けるための「カッター」と、紐などを切ったりするための「ハサミ」が一緒になったということだけでも画期的なのに、安全性まで考えてあるというのはいいですね。ダンボールを縛った紐を「ハサミモード」で切った後、「ハコアケモード」で箱を開ける。荷物の中身のビニールを開封したり、タグを切り取ったりするときは、もちろん通常のハサミとして使用可能。いちいちハサミとカッターを持ち替える必要がないので、スムーズに作業ができます。1本で済んでしまうというのはかなり便利です。グルーレス刃タイプとチタン・グルーレス刃タイプの2種類があります。色は、数量限定カラーを含めて計5色。キャップ付き。右手用。価格は、グルーレス刃700円(税別)、チタン・グルーレス刃1,000円(税別)。❤❤❤

 

 

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三井アウトレットパーク倉敷

 倉敷に来ています。駅前にある「三井アウトレットパーク」に、初めて来てみました。以前はこの場所に「倉敷チボリ公園」があり、何度か遊びに来たことがあります。デンマークのコペンハーゲンにある世界最古のテーマパークで、数々の童話を世に送り出したアンデルセンが頻繁に訪れたことでも知られる「チボリ公園」をモデルとしており、園内にはデンマークやアンデルセンをイメージしたアトラクションや庭園、ショップ、レストラン、劇場などが点在していました。2008年に経営不振で閉園してからはご無沙汰でした。私はブランド品には全く興味がないのですが、ここは次のような運営方針で経営されているショッピングモールです。

  • ■国内外の確かなブランドアイテムを身近に
  • ■幅広い店舗ラインナップでショッピングの喜びを広げ
  • ■地域文化に触れ、味わい、親しむ楽しさを提供します。
  • ■安心で清潔な施設を目指し、「おもてなし」の心でお迎え
  • ■そのすべてで、心が躍るかけがえのない体験を実現

 インターナショナルブランドからローカルブランド、日本初出店の新規ブランドまで、多彩なショップを揃えブランドショッピングをより身近に楽しむことのできる商業施設ですね。一度は寄ってみたいと思っていましたので、乗り継ぎに通ったついでに、立ち寄ることにしました。

 まったく予習もせずに、館内をぶらついていたら、おっ!フランフラン」(Fran fran Bazar)のお店があるではないですか。私は「フランフラン」の熱狂的なファンでして、行く先々で気に入ったものを買い漁っています。⇒私の紹介はコチラ  店内に入り、ぐるぐる回っていると、あるわ、あるわ、欲しそうなものがいっぱいあります。いつものことですが、他店では手に入らない夢のある商品がいっぱいあるのが、このお店の特徴なんです。手当たり次第、かごに入れてレジに持って行き、配送の手続きをしました。ひんやりする枕、背中を洗えるシャボンボール、小鳥歯ブラシホルダー、可愛いキッチンタオル、変わった入浴剤などなどです。今回はこれだけでも来た価値がありました。

 さあ、これから「大原美術館」に行こうと思って歩いていたら、なんと「ブルックスブラザーズ」(Brooks Brothers Factory Store)のお店があるではありませんか!⇒私の紹介はコチラ  こんな所に支店があるとは予期もしていませんでした。先日、博多の岩田屋に行った際にも、お店をのぞきましたが、たいして目新しいものはなく、収穫なしの手ぶらで帰って来ていたのでした。店内に入るとかなり広い!東京・青山本店とまではいきませんが、博多、岡山、広島のお店とは比べものになりません。店が広い分、品揃えも豊富でした。しかも新色のポロシャツがかなり揃っています。お値段もかなり安くなっていました(アウトレット価格)。とりあえず3枚ほど、購入して精算をしていると、レジのところに「ブルックスブラザーズ」のトートバッグ(1500円)が展示してありました。これも使えそうなので、購入しておきました。この品揃えなら、これからこのお店は、私の行きつけのお店になりそうですね。

    さあこれで帰ろうと、2階を見上げたら、「タオル美術館」とあるではないですか!今治「タオル美術館」には、ベネッセの講演に呼ばれた2010年に訪れています。⇒私の訪問記はコチラです  あの独特の文字も懐かしく思い出されて、もう一度エスカレーターで2階に上がってみました。今治ブランドのタオルがたくさん販売されていました。今治タオルは品質がいいんです。この日はめちゃ暑かったので、汗拭きに数枚のタオルを購入して、パークを後にしました。今回は結構いい収穫がありました。またゆっくり来よう!❤❤❤

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源吉兆庵「遊水」

◎週末はグルメ情報です!!

 私は「源吉兆庵」(みなもときっちょうあん)の和菓子が大好きです。デパートでは必ずのぞくお店なんです。夏のこの暑い時期には、「冷やしあんとろり(⇒私の紹介はコチラです)や「水ようかん」「冷やしぜんざい」などを、ギンギンに冷やしていただくと美味しいですね。今日ご紹介するのは、夏にぴったりの和菓子「遊水」です。数分前にも食べました。

 ジメジメ&ムシムシとした梅雨時期。さっぱりとしたスイーツが欲しくなりますね。このお店の季節ごとに並ぶ品は多種多様。中でも「遊水」が一押しです。これは、北海道産小豆を使用したこしあんを包んだ葛饅頭です。つるっとした見た目と、透き通って見えるこしあんが美しく、思わず見惚れてしまうほどです。一体どんな食感で、どんな味なのか、早速いただきましょう。スプーンから落ちてしまいそうなほど、ぷるっぷる感が漂います。 サラッと喉を通っていき、アッという間に消えてなくなってしまいました。ぷるぷる&つるつる&もちもちの食感で、口の中に残るのはこしあんの甘みと葛饅頭独特の風味だけ! クセのないシンプルな味わいと、みずみずしい清涼感たっぷりの後味で、まさに夏を感じられる一品です。小ぶりサイズながら、見た目はとっても上品で、高級感もたっぷり。私の今一番のお気に入りです。夏の贈り物やちょっとしたお茶菓子として、ぜひお試しあれ!❤❤❤

 

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おかやまフルーツパフェ

◎週末はグルメ情報です!!

 岡山は、全国的にも雨が少ない「晴れの国」です。瀬戸内海式の温暖な気候に恵まれ、美味しいフルーツがたくさん収穫されます。中でも、白桃、マスカット、ピオーネの生産量は日本一です。他にもメロン、ナシ、イチゴ、イチジクなどさまざまなフル-ツが楽しめる「フルーツ王国」なんです。このような岡山県産のフルーツを、もっと気軽に楽しんでもらおうという願いから、「フルーツパフェの街おかやま」キャンペーンが、2009年からスタートしました。これは、「岡山県産の旬のフルーツを使った独創性のあるフルーツパフェを、岡山市内のホテル・飲食店・和洋菓子店等に作ってもらい、県内はもとより全国に発信して活性化を図っていこう」とするものです。参加店のスタッフが、知恵を絞りに絞り、何度も試作し直して、フルーツを主役にしたさまざまなフルーツパフェを作り上げています。

 そんな数あるパフェの中でも、Brasserie Chaleureux」(ブラッスリーシャルル)「おかやまフルーツパフェ」(972円)が特に美味しいから挑戦してみるように、アドバイスを受けました。人の言うことはとにかく乗ってみるというのが、私の哲学です(裏切られたことも何度も…)。フジテレビの人気番組に出演以来「岡山の料理の鉄人」と呼ばれる湯浅薫男さんのプロデュースによるおしゃれなお店です。皇族の方々や、来岡する世界のVIPを魅了し、カンヌ映画祭の晩餐会をはじめ、世界の著名人に認められた湯浅さんの料理の神髄を、気軽に誰でも味わえるフレンチのお店です。イオンモール岡山の7階にあります。フルーツパフェを食べるのは何十年ぶりでしょう。フレンチの有名シェフが監修する旬の果実の確かな味わいを経験してみようと思い立ち、開店と同時に入りました。

 ランチお目当てのお客さんで、すぐにいっぱいとなりました。有名店なんですね。隣の親子連れが、やはり「おかやまフルーツパフェ」を頼んでおられました。5分ほどしてやって来ました!まず見た目が美しい!綺麗な飾り付けです。果実の匠が育てた旬のフルーツをい ろいろと味わえそうなパフェですね。大粒のブドウ、完熟ピオーネやマスクメロンなど、その時々の旬の果実を厳選し7~9種前後使用する豪華で、バラエティーな楽しみいっぱいに、岡山の季節の味が大集合する大人気のパフェです。果実に組み合わせるアイスクリームや生クリームも、控えめな甘さにこだわって、乳製品本来の豊かな味わいを引き出しています。美しいデザインと、最後まで食べ飽きない完成度の高いパフェは、まさに「岡山の料理の鉄人」ならではですね。産地で味わう新鮮フルーツはやはり格別のものがあります。果実1つ1つを味だけでなく質も見極めて届けられています。グラスの中には、上部のフルーツのおいしさを引き立てる、なめらか&クリーミーな乳製品と、さわやかな酸味が甘さを絶妙に引き立てるフルーツソースが封じ込められていました。食べ進めるほど、とりこになる「鉄人マジック」にビックリしたパフェでした。満足!今度足を運んだ際には、フレンチも試してみたいと思ったお店でした。❤❤❤

 

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(再)「たらいの法則」

 私の生き方の大きな支柱となっているものに、「たらいの法則」があります。 水を張った「たらい」で、自分の方に水を寄せようとすると、 返って反対側に行ってしまうでしょ。逆に自分の反対側に水をやると、しばらくすると自分のほうに返ってくる。同じように、「自分が、自分が」という気持ちが強いと、逆にあまり自分は得をしない。相手にただ奉仕をする気持ちになると、巡り巡って自分のためになる、 というものです。これは私の大好きな経営者・稲盛和夫(いなもりかずお)さんの「利他の心」の実践版ですね。

 おまえ、ここに水が入った盥(たらい)があるだろう。両手でその水を自分の方へ左右から送ってごらん。水は初め、自分のところに集まるけれど、すぐに自分の手元から離れていく。反対に、水を左右に送ってみなさい。水はおのずと自分の方へ集まってくるだろう。自分の幸せばかり考えているとな、その人の幸せはどこかへ行ってしまうのだよ。だから人が喜ぶようなことを、無理せず、少しずつ積み重ねていくことがとても大切なんだな。これを「損して得取れ」と言います。

 たらいに大きな水を張る。手前から人差し指一本で水を向こうに押しやる。水の波紋は途中で消えてしまう。それでも、ただひたすら押し続ける。やがて、波紋は大きくなり反対側の壁にぶつかって自分に返ってくる。与えて、与えて、それでも与え続けること。それはすべて自分のためになる…。そんな生き方をしなさい。

 こんなところから私の人生哲学である“Give  and give”は生まれました。人を喜ばせておくと、いつかは自分に返ってくるんです。もちろん裏切られることもたくさんあるんですが、それはまたそれでいい勉強と思って。見返りを期待するのではなく、「人を喜ばせる」ことを目的にしていると、いろんなところで思いもかけずに助けてもらうことも多いみたいですよ。各所の研究会で私が苦労して作った資料を、惜しげもなく差し上げると、先生方はとっても喜んでくださいます。「いいんですか?こんなにいただいて」「お土産の資料は本当にすばらしく無料で本当にいいのかという内容です」と。

 若い頃に読んだ、ウェイン・ダイアー博士の本に次のような猫のしっぽの話が出てきて、心に残りました。

 子猫が自分のしっぽをつかまえようとしているのを見て、大きな猫がこう尋ねた。「どうして自分のしっぽをつかまえようとするの」子猫が答えた。「猫にとって一番大事なのは幸せで、その幸せは僕のしっぽだってことがわかったんだ。だからつかまえようとしているの。しっぽをつかまえたら、きっと幸せになれるんだ」するとその年取った猫が言った。「坊や、私もそういうことに関心を持ったときがあった。私も幸せは自分のしっぽにあると考えた。けれど、気がついたんだよ。しっぽは追いかけると決まって逃げていく。でも、自分の仕事に精を出していると、しっぽは私がどこへ行っても必ずついてくるみたいだよ」                                                                 

 会社が「お客様第一」を掲げてこれだけ努力しているのに、結果が出ない、と嘆かれる方がおられます。実は、この「お客様第一」にも二種類あって、それ自体が目的となっているところと、それが手段となっているところです。所詮は儲けるための手段(口先だけ)として考えている会社は、その姿勢は見透かされてしまい、いくら頑張っても結果はついてこないでしょうね。純粋にお客さんに喜んでもらおうと、それが目的となっていて、そのためにひたすら頑張る人のところには、大きなご褒美が舞い込んできます。私が理想とする松下幸之助(まつしたこうのすけ)さんは、何の私心もなく、ただ従業員のために、お客様のためによかれと全身全霊で打ち込まれました。自分の幸せ、一緒に働く者の幸せ、お客様の幸せ、社会の幸せ、それらを追い求める求道者が経営者になったような人物でした(八幡家の家電がすべてパナソニック製品であるのはそういう理由からです)。そんな生き方を少しでも真似をしたいと思っています。❤❤❤

▲「100満ボルト」に行ったらこんな企画展をやっていました

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はせがわいずみさんのメッセージ

 7月29日(土)付けの『山陰中央新報』「若者よ」シリーズに、本校卒業生(37期)のはせがわいずみさんの記事「海外に出て独立心を培え」が大きく載りました。

 はせがわさんは、松江北高校時代、英語は苦手だったにもかかわらず、ハリウッド映画への憧れ、夢をあきらめることができず、30歳を過ぎてから、家族の反対を押し切って渡米。苦労されましたが、今では「ハリウッド・ニュース・ワイア」という、映画、スター情報配信会社を立ち上げて、エンターテインメント・ジャーナリストとして、セレブのインタビューに取材に、米国でご活躍中です。米国の人気ドラマ「24―Twenty Four」を初期から取材し、日本に紹介したのは彼女でした(メイキング・オブ・24―Twenty Four―』(竹書房、2007年)。2011年10月24日には、松江北高で二年生のみなさんに、ご体験を「夢は叶う!」と題して講演してもらいました。そのときの講演要旨は、当時の松江北高『図書館報』第100号にまとめました。ご本人のご許可をいただいて、「ダウンロードサイト」にアップされていますから、英語の苦手な生徒を激励したいときには、ぜひお読みになるとよいでしょう。⇒コチラです  大変参考になるお話だと思います。「夢は叶う、あきらめないで!」という、はせがわさんのメッセージが強く印象に残っています。

 以来、帰国されるたびに、貴重なハリウッド映画界・スターの資料を持ち帰っていただき、北高図書館にご寄贈いただいています。⇒紹介はコチラです  北高図書館には、はせがわいずみコーナー」があって、数々の映画パンフレット、書籍、DVDなどが展示してあり、映画好きな生徒たちが喜んで利用しています。松江北高生のアメリカ研修旅行の際には、現地ロサンジェルスの案内をしてくださいました。先日帰国された際に、松江北高図書館で、山陰中央新報社の岸本さんの取材を受けたのが、上の新聞記事です。教育企画部長の渡部先生と一緒に記念撮影しました。

 「毎年日本に帰っているが、今の日本の若い人たちはシャイでマニュアル通りの子が多い気がする。アクションを起こし、一人で生き抜く力を身に付けてほしいと思う。海外生活はその力を養える。やりたいことがないと悩むくらいなら、言語や文化が全く違う環境に身を置き、独立心を養ってほしい」と、今回の記事に。後に続いてほしいと思います。次は、はせがわいずみさんの公式ウェブサイトのURLです。ハリウッドスターたちの情報が満載です。ぜひのぞいてみてくださいね。

http://izumihasegawa.com/profile/

http://www.hollywoodnewswire.net/

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センター対策について

★センターと二次は違う!!

 今日は、松江北高で先日行われた、「全統マーク模試」(河合塾)の自己採点結果を見て、強く感じたことを書きます。

 その昔、島根県立松江南高等学校に13年間勤めていたことがあります。その頃の松江南高校は英語の成績が県でナンバーワンの学校でした。当時の指導は、記述の力をつけることに主眼を置いていて、マークの対策はほとんど何もしていませんでした。二次の力をつければ、マークはなんとかなる」という伝統で指導していたように思います。私も当時はまだ若く、先輩の先生方のやられるように見よう見まねで教えていました。マークの練習をするのは、二学期の期末試験を終えた頃からだったでしょうか。ところが、年々マークの点数が取れなくなっていきました。二次力がかなりある生徒でも、取りこぼしをする生徒が目立っていたんです。私は、二次=センターという従来の指導方法に疑問(?)を抱き始めていました。南高勤務の最後の年は、3年生を担任していたので、最後のわがままを言わせてもらい、夏休み前から学年全体でセンター対策に取りかかることを許してもらいました。当時出たばかりの福崎伍郎『決める!』(学研)を全員に持たせて、まずは夏休み中に各設問の取り組み方を勉強してくるように課題を課しました。そして9月から、私がそれまでに作り溜めていたプリント類を使って、センター演習を二次の指導と併行して行ったんです。信じられないでしょうが、今では各社数多く出ている「過去問題集」も当時は出ていない時代ですから、自分で大量の版下を作って、印刷屋さんにお願いして配布していました。過去問の演習の大切さを当時から認識していたのです。そのような指導が効を奏してか、本番で過去最高のセンター点を取ることが出来ました。ここで私が実感したことは、二次の練習をしておけばマークはなんとかなる」という指導スタンスは間違っており、英語の力をつけるだけでなく、マークの形式に慣れ、その「解き方」をきちんと身につけておけば、実力通りに高得点を取ることができる、ということでした。時間との闘い+情報処理能力という要素を強く持っているマーク試験と、じっくりと腰を落ち着けて考える二次試験とを、同列に考えることは難しいということが痛感されたのでした。そのときに使った種々のプリント類をまとめて、翌年転勤した、島根県立大田高等学校で製本・印刷したのが、初めての「センター対策本」だったんですね。以来、13回の改訂を重ねてきました。常に焦点は「勉強の仕方」でした。現在生徒たちが使っているのが、改訂第13版です。

 今年の北高の3年生は、成績上位の生徒が例年以上にたくさんいます。楽しみです。ところが、今回の全統マーク試験ではその強さがイマイチ発揮されていません。私が担当している浪人生クラス(補習科)からグンと差をつけられています。これはいったいどういうことか?力ははるかに現役生の方が上なのに、取ったマークの得点は格段に離されている。これは、上で述べたような松江南高校で経験したことがそのまま当てはまるのではないか、と考えます。勉強の仕方」「各大問の取り組み方」をあまり知らないままに、ぶっつけ本番で受験してはいないか?思わぬところで取りこぼしたり、時間をかけ過ぎるあまり、最後に類時間切れになったりはしていないでしょうか?そして「やりっ放し」になってはいないでしょうか?昨年私が担当した3年生は、日頃の模試成績は、私が北高に勤務してから最低の生徒たちでしたが、こうした「勉強の仕方」に徹底的に取り組み、見直し」を徹底することによって、過去最高の得点をたたき出しました。その生徒たちが現在補習科で学んでいます。彼らには今でも「勉強の仕方」を強調して、この夏休みには特別に「センター試験講座」を開設して、演習に励んでいます。先週は第5問の「物語文、今日は第3問Bの「不要文削除問題」を取り上げました。いったんやり方を身につけてしまえば、後は「語彙力」さえ磨いておけば簡単に解くことが出来ます。

 昔と違って、センター試験で失敗すると、取り返すのが困難になっています。4倍も二次配点がある東京大学の入試でも、センター試験でつまづいた生徒が挽回するのは至難の業です。私は、松江南高校時代は「センターで少々失敗してもいくらでも二次で挽回できる!」と自信を持って断言していましたし、また実際に結果もそうなっていたんです。どこまでなら挽回・逆転できるかを、きちんと数値で計算して、送り出していました。こうやってひっくり返した生徒たちがたくさんいたんです。しかし、今は違います。センターで高得点を取るのが当たり前、というのが常識になってきています。♠♠♠

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lover

 この語loverに対して、未だに次のような時代錯誤も甚だしい記述をしている英和辞典があります。

愛人,恋人(通例性的関係があることを意味する;特に女性からみた男性の恋人をいう)[アドヴァンストフェイバリット]
恋人,愛人((男性)) [ジーニアス、プラクティカルジーニアス]
愛人((特に男性))[グランドセンチュリー]   (下線筆者)

 これらの記述が時代遅れなものであることは、私がご意見を伺った英米の辞書編集者・識者たちの反応からも明らかですね。何とこのご意見は今から20年以上も前のものなんです。当然今は…?

 ▲Jonathan Crowther(オックスフォード大学出版局)
一般に言ってloverが女性より男性の方を指すことが多いのは事実である。しかしながら意味は文脈の中で決定されるものであるから、女性を指すことも十分可能である。loversは男性同士、女性同士、男女にも使われる。さらにアメリカ英語では親愛の情を込めて使われることもある。
▲Michael Swan(Practical English Usageの著書)
イギリス英語では、文脈がなければ男性を指すと取られるだろう。同様に性的関係を含む。
▲Roy Copperud(American Usage and Style : The Consensus著者)
loverは男性に用いられる事の方が多いだろうが、女性に使っても正しい。She was his lover./ They were lovers. 文脈がなければloverは男性を指すのかもしれないが、決定的なものではない。同姓愛者にも用いられることから事態はさらに混沌としてくる。女同士、男同士のカップルはloversと呼ばれる。
▲Sanford E.Marovitz(Kent State University 教授)
通例伝統的には男性を指す言葉である。しかし、女性進出のこの時代では、女性に用いることも時にある。
▲Cynthia A. Barnhart(World Book Dictionary 編集者)
女性にloverを用いることは予想以上に頻繁に用いられている。アメリカ英語は、用法の性差別色を払拭するために多くの変化が起こってきた。はっきり言われなければ、多くの人は男性と受け取るだろう。しかしloverを男性と想定することは現代ではもはや確定的なこととは言えず、文脈が必要であろう。

 Howard(1985)の観察するように、現代においては「男女いずれにも用いられている」というのが実態でしょう。本校の前ALTチェルシーさんは、loverという語を聞いて、男性・女性どちらを思い浮かべるかとの筆者の質問に答えて、”Both.”(両方)とすぐさま反応しました。次のような辞典の記述がされるべきでしょう。

愛人,恋人(語法 男女どちらにも用いるが、不倫の関係にある愛人を指すこと が多いので注意が必要.[ライトハウス]

 恋人(▲男女どちらにも用い、肉体関係を暗示することが多い)[スーパーアンカー]

愛人, 恋人(▲男女どちらにも用い、肉体関係を暗示することが多い;同性愛者も相手をloverと呼ぶ;この性的含みを避けて、代わりにしばしばpartnerを用いる) [アンカーコズミカ]

 これに関連して、複数形のloversは、伝統的には恋人同士、愛人同士という意味であったが、現在では、同性愛者のカップル、愛人同士という意味に移り変わって来ている、という指摘も検討するべきでしょう。

 

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白桃

 岡山・「最上稲荷奥之院」(日本三大稲荷の一つ)のお上人様から、岡山の白桃が贈られてきました。母の生前時代から、もう40年も送ってもらっています。今は亡き母は信仰に篤い人で、毎年盛夏になると、信者さんたちを連れて、この「奥之院」にお参りを欠かしませんでした。まだ私が小さい頃、一緒について行ったこともありますが、滝に打たれて修行する母の姿を、神々しく思ったりしたのを覚えています。以来、ずっとこの季節になると、岡山のみずみずしい白桃が送られてくるんです。生前の母を引き継いで、私もここに対する信仰心は強いものがあります。3年生を担任する時は、ここと太宰府天満宮にお参りするのが通例で、大きな御利益があったものです。昨年の3年生にもお札をもらってきましたが、思いもかけない御利益がありました。私もこの時期になると、お供えと「二十世紀梨」の配送の手配を終えるのが恒例となっています。おかげで、なんとか病院通いをしながらも、健康で生活させていただいているのは、神様や母のご加護のおかげと感謝する毎日です。今でもお上人様が、私と母のことを祈念してくださっているんです。

 私の母親は、今から17年前に亡くなりました。胃ガンでした。新しく転勤したばかりの大田高校の入学式の日に、家の前の道で倒れていた母親を、同僚の奥さんが見つけてくださって病院へ運んでくださいました。学校に緊急連絡があって飛んでいくと、医者から「あと1ヶ月の命です」と宣告されました。打ちのめされました。胃ガンが進行して末期になっていたのでした。毎日の病院食が冷めていて美味しくないとこぼすので、朝4時に起きてご飯を作り、5時過ぎの暗い病院に毎日運び続けました(看護師さんに見つかると、いい顔をされないので人気のないこの時間を狙って)。車の免許を持たない私に、病院へ行く途中にあるものすごく急な坂はこたえて、そのために電動自転車を購入しました。入院中は痛み止めのモルヒネを打つたびに、意識が朦朧として、窓から飛び出ようとしたり、息子の顔がわからずに「あなた誰?」と言われたときには涙が出たものです。母の言うことは何でも聞いてあげました。少し気分がいいというので家に連れて帰り、料亭の食事を一緒にしたのもいい思い出です。それでも入院してから3か月持ちこたえ、静かに息をひきとりました。最後の言葉は「ありがとう…」でした。葬儀をすませ、身辺整理を終え、ずっとお世話になった岡山・最上稲荷奥之院のお上人様に、泊まりがけでお礼に伺ったところ、私の知らない生前の母の思い出話をたくさんしていただきました。ご案内していただいた本堂には、私の名前で母が寄贈した幕や座布団・うちわ太鼓がいっぱいあり、生前何も聞かされていなかった私はとても驚いたものです。息子に内緒で、息子の健康・繁栄を祈ってくれていたのでした。親のありがたみをこれほど感じたことはありませんでした。苦労して育ててくれた母に親不孝ばかりしていた私のことを、これほど心配してくれていたことに感謝の言葉もありませんでした。今なら何でもしてあげることができるのに、母はもういません。生徒たちに、親が元気なうちに親孝行するように、といつも言っているのはこんな訳からなんです。母の命日(7月19日)と誕生日(8月16日)が近づくと、こんな母のことを思い出します。

 今日は、送られたみずみずしい白桃をギンギンに冷やしていただきながら、こんなことを思い出していました。❤❤❤

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「ラーメン長さん」の比較

◎週末はグルメ情報です!!

 「ラーメン長さん」(松江市上乃木)にはもう長く通っていますね。松江では珍しく朝の9時頃から「朝ラーメン」もやっておられます。最近、私の住んでいる近くの学園(島根大学横)に、「ラーメン長さん」2号店島大店がオープンしまして、わざわざ遠くまで行く必要がなくなったんです。私も何回か足を運んでいます。でも本店とはスープの味がチョット違うんです。何かが違う気がしました。3月17日付けのブログに、私はこんな風に書いています。

こちらのほうがあっさり系ですかね。ただ本店と比べて、スープのコクがちょっとまだ安定していないのかなという印象です。だんだん慣れていくのでしょうが。

 今日は「ラーメン長さん」の本店に寄って、ご主人にこの疑問をぶつけてみました。「あー、それは水の違いです。うちは浄水器を使って軟水でスープを作っているんですが、島大店は浄水器を使ってないですから」と明快な答えが返ってきました。水の違いか、やっぱりな!私の舌の味覚は間違っていませんでした。「ラーメン通」を自称している私の舌もなかなかのもんでしょ?

 今日も美味しく、いつもの「ネギラーメン」をいただきました。それにしてもこのネギの量は半端でありませんね(笑)。私はネギが大好きなんです。このお店のネギはほんのりと甘く、シャキシャキと美味しいので気に入っています。鳥取県・米子のO商店まで買い付けに行っておられるとのことでした。さらに、ネギを切ってから1日冷蔵庫で寝かせておくとのこと。こうするとネギの甘みが増すんだと、ご主人から教えてもらいました。❤❤❤

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