追悼・安藤貞雄先生

 先日、三重県・鈴鹿高校の中川右也先生から、お電話があり、恩師安藤貞雄先生がお亡くなりになっていたことを教えていただきました。まったく知りませんでした。ショックです。安藤貞雄(あんどう・さだお=広島大名誉教授、英語学・日英対照言語学)先生は、去る3月31日、肺炎のため入院先の広島市・西区の病院で死去されたとのこと。89歳でした。先生は2008年に、「瑞宝中綬章」を授章しておられます。

 安藤先生には大学時代に、英語学を教えていただきました。当時はちょうどロンドン大学の留学からお帰りになったばかりの油ののりきった時期で、変形文法など最新の言語学を教えていただきました。とても厳しい先生でしたが、愛情を持って鍛えていただきました。いつも靴はピカピカ、ネクタイの趣味も素敵で、細身で、ダンディを絵に描いたような先生でした(学生の間ではいろいろなエピソードが流れ飛んでいましたね)。東京で仕事をさせていただくようになり、いろいろな大学者から安藤先生のお噂を伺いました。『ライトハウス英和辞典』の主幹で音声学の権威故・竹林 滋先生は、安藤先生のことをいつも「あの人はすごいです。」とおっしゃっておられました。卒業後もいろいろと教えていただく機会があり、広島大学総合科学部が新設されるときには、「来ないか」と声をかけていただきました。当時母が病気で伏せっていたもので島根を離れることはできず、残念ながらお断りをさせていただいたんですが、先生のお近くで勉強させていただきたかったです。

 今ここに、『会誌』第20号(愛媛県高等学校教育研究会英語部会、1983年)のコピーがあります。今から30年以上も前の会誌です。ここに安藤貞雄先生(文学博士、広島大学名誉教授)が、英語教師の文法研究」と題して、愛媛県の英語の先生方にご講演をなさった記録が収録されているんです。そしてその講演の中で、 安藤先生は私のことに触れておられます。

 英語の研究法ということでは、まず、私の島根大学時代の教え子のY君のことをお話ししたいと思います。彼は、まだ29歳の若さですが、既に英語語法関係の論文を十数編書いており、東京外語大の竹林教授に認められて色々と辞書の項目を執筆しています。Y君の勉強ぶりは本格的なもので、そのことは、外国の学会の会員になったり、海外の学術誌に載る第一次論文にもよく目を通していること、内外に多くの学問上の知己を持っていることなどで窺えると思います。彼はまた良い教師でもあります。Y君はよくAsahi Evening News のAnn Landersをcorpusとして利用していますが、あそこへ投書する人の英語が必ずしも良いとは限らないということを承知の上で、あれを一月分位集めるとかなりの資料になると思います。それを(パソコンでも利用して)あらゆる角度から分析していけば、平均的なアメリカ人の日常英語の生態が浮かび上がって来るかもしれません。(p.4)

 これを読ませていただいた当時、飛び上がって喜んだのを思い出します。そして、この講演の最後を、安藤先生の描く「理想の英語教師像」で結んでおられます。この先生の言葉を肝に銘じて、今まで一生懸命これを実践しようと頑張ってきましたが、残念ながら足元にも及びませんでした。この安藤先生の理想の教師論は、若い先生方には、ご参考になると思われますので、ここに再録しておきますね。なお、先生の書かれた『英語教師の文法研究』(大修館書店)は、英語教師必読の書ですよ。

a.  教え方が上手であること―これは大切である。日本語も英語も、いい発音で明快に教えないと生徒に十分理解させることができないからである。

b.  生徒にえこひいきしないこと。

c.  叱るべき時には叱る(怒るのではない)が、意地の悪い叱り方をしないこと。

d.  生徒に親切で思いやりがあること。

e.  生徒の質問にごまかさずに誠実に答えること。自信をもって答えられない場合は、十分に調べた上、のちほど報告すること。(生徒に誠実でありたいと思うならば、このような措置は当然であろう。)

f.  時には生徒と平等の立場(footing)に立つこと―教師は生徒を教え指導する立場では、権威をもって、生徒より一段高い位置に立って差し支えないが(そのためには時には礼儀も敬語の使い方も教えなければならないことがあろう)、生徒が何かcriticalな状況にある時は、教師は「教師」であることをやめて、生徒と同じ(恐らくは「人間同士」という)footingに立って、”まごころ”をもって生徒の悩みと付き合う用意がなければならない。

g.  last but not leastには、教師は肝の奥底に何かゆるぎない信念を持っていなければならない―その信念が恐らくその人の人格を統一しているのであろうが、それが何であるかは、人によって異なっていてもいいのではないか。ただ、それは狂信的でない、理性と普遍性に裏打ちされたものであることが望ましい。(私の場合は、それは「生命の尊厳」という言葉で言い表せるように思われる。〔そこから、平和への決意も、ヒューマニズムも生じてくる。〕

   以上のような資質を兼ね備えた教師が私の「理想の教師像」です。それは、私にとっては、恐らく生涯かけても到達し得ない、にも拘らず、志向することをやめてはならないイデーなのです。

 思うに、安藤先生の教師としてのモットーは、一言で言えば、“a severe teacher and a kind friend”ということでした。当時の厳しかった授業を、懐かしく思い出しますね。教師になってからも、先生にはずいぶん面倒を見ていただきました。本当に感謝しています。今私の手元には、安藤先生の博士論文(名古屋大学)であるA Descriptive Syntax of Christoper Marlowe’s Language (東京大学出版、1976年)があるのですが、大学生のとき、この本が出ると同時に購入して、安藤先生の研究室を訪ねて、サインをしていただきました。「こんな高い本をよく買ってくれたね」と、喜んで下さったことを今でもはっきり覚えています。当時14,000円しました。このサイン本は私の一生の宝物です。

 最近では、大冊『三省堂英語イディオム・句動詞大辞典』(2011年、三省堂)を上梓されました ね。紛れもなく現時点で最高の英熟語辞典です。学生時代に、この本の元版の『新クラウン英語熟語辞典』(第3版)をどれぐらいボロボロになるまで使ったことでしょうか。ハンディながらも、大辞典にも載っていない情報がいっぱい詰まっていたんです。安藤先生が若い頃、大塚高信先生に命じられて原稿を書かれた名著です。

 みなさんは、安藤先生の高校生向けの文法参考書に『基礎と完成 新英文法』(改訂版、1987年、数研出版)という本があるのをご存じでしょうか?若い頃に私も協力をさせていただいた、思い入れの強い学習参考書なんですが、その「前書き」に私のことを「若い友人」と書いて頂き、大感激したのを覚えています。

今回の改訂にあたっては、若い友人の八幡成人氏に初版の綿密な検討をお願いして、数多くの貴重な意見をいただいた。同氏のご援助に対して、厚くお礼を申し上げる。(はしがきより)

 この本は「高校生向き」ということにはなっていますが、日本を代表する文法学者の安藤先生の本らしく、現場の先生方には新しい知見が山のように詰まった、他のものとは一線を画する素晴らしい文法参考書で、ずいぶん売れました(今私の手元にある現物には第18刷とあります) 。学生から大人まで使える最高の英文法書です。コンパクトながらも痒いところに手が届く解説があり、例文も良質です。いわゆる入門者が「よくわかる」という親切さはありませんが、自学自習のできる受験生が、正確な表現を調べたり、自分の英文の確認をしたり、疑問点を理解したりするのには現存する文法書の中では最高のもののうちの一つでしょう。暗唱例文だけ覚えたり、単語を暗記をしたりすることで英語を学んだ気になっている残念な受験生を、180度方向転換させられる参考書です。残念ながら、今は絶版となっていて手に入れることはできません。3月に北高を卒業し英文科へ進んだ女生徒が、3年生の時にどうしても欲しい(本屋や古本やを探し回ったがどこにもなかった、と言っていました)と言うので、懇意にしている数研出版の部長さんにお願いして探してもらい、倉庫から1冊出てきたものをプレゼントしました。

 この本には、たとえば、なぜ綴り字yをiに変えるのか、なぜ母音字+yの場合はyをiに変えないのか、なぜ<短母音+子音字>ではなぜ子音を重ねるのか、ではthickはなぜ子音を重ねずそのまま-erを付けるのか、高校生が暗記に苦労するno more than, not more than, no less than, not less thanなどの意味の由来、ifunlessの違い、a friend of minemy friend の違い、などがサラリと分かりやすく書かれています。deersheepといった単複同形の単語を、「これらの動物は、群をなして生活しているので、集団として、いわば”量的”にとらえられるので複数形をもたないのである。cows(牛)、hens(めんどり)、monkey(さる)などは、”個性”を認められて、-sをとる」といった具合です。きっと参考になる本です。是非、図書館などでご覧になってみてください。大学生の頃に読んだ『前置詞のポイント』(研究社)も当時は画期的な名著でした。学習参考書の形をとってはいますが、新言語学の知見を背景に書かれた「前置詞の総合見取り図」となっていました。

 若い頃、安藤先生から、どんな短い文章を書くときでも、何か一つ、これは新しい情報ですよ、新知見ですよ、というものを入れるようにしなさいと、アドバイスをいただき、以来ずっと心がけてきました。このブログの文章もずっとそのような気持ちで書いているんですが、いかがでしょうか?安藤先生、数々の教え、本当に本当にありがとうございました。ご冥福をお祈りいたします。合掌。♠♠♠

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総文祭将棋団体戦6連覇達成!

 私は今年は、松江北高で(囲碁)将棋部の顧問をしています。アメリカのミシシッピ大学大学院に留学中の佐藤敦子先生が帰って来られるまでの5月いっぱいは、将棋部の顧問を担当します。今日は「第41回全国総合文化祭 将棋部門将棋選手権大会島根県予選」に参加するために、北高生徒を8人連れて、JRで出雲市民会館」へ行ってきました。

 教員に成り立ての頃から将棋は大好きで、本を読んだり、よく先生方と対局したものです。当時は、定期試験中は教員の将棋大会で盛り上がりました。学園祭の将棋大会にもよく出たものです。あれからもう数十年将棋を指していないので、将棋感が戻りませんが、生徒たちに鍛えてもらうことにします。この大会を控えて先週は、島根県アマチュアの強豪柳浦正明先生に北高にお越しいただき、鍛えていただきました。今日も会場まで、柳浦先生は応援に駆けつけてくださいました。優勝のご褒美に来週は大きなサプライズを準備してくださっています。

 おかげさまで、団体戦で優勝することができました。大将2年山根 陽、副将3年山本祐己、三将橋本竜馬の3人でチームを構成しました。やや苦戦もありましたが、それでも、松江高専B、大田、松江南A、松江高専Aチームを破り、堂々の優勝でした。松江北高はこれでこの大会の団体戦6連覇!となります。すごい記録ですね。今年は宮城県で開催される総文祭に出場が決定しました。❤❤❤

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「日本旅行」

 退職してから、個人的な旅行をするときには、私はいつも松江駅の中に入っている「日本旅行」さんにお願いします。松江南高時代に担任した生徒の奥様が勤めておられて、いろいろと知恵をつけてもらったり、なかなか素人には分からないような素敵な宿を紹介してもらっているんです。今までに旅したところは、どこも大満足でした(道後温泉の「大和屋」、ハウステンボスの「ホテルヨーロッパ」、由布院の「玉の湯」等々)。彼女にお願いしておけば、安心なんです。

▲いつも旅の手配をしてもらう日本旅行の田中さん

 「日本旅行」は、1905年(明治38年)に設立、2017年で112周年を迎える老舗です。当時、滋賀県草津駅で駅弁を販売していた南 新助が、伊勢神宮を参拝する団体旅行(お伊勢参り)を企画したのが始まりです(当時の名称は「日本旅行会」でした)。それにしても設立の時分から、”駅弁””神社仏閣”、そして”団体旅行”と、日本の旅行を語る上で欠かせない最重要キーワードが3つも揃っているなんて、先見の明があったんですね。この「日本旅行」は、JR西日本の連結子会社、JR東海・JR東日本も株主、というJRとの関わりがずいぶん深い旅行会社なんです。そのため団体旅行などの予約などにおいて有利だと言われ、新幹線などを中心に国内旅行での強みが発揮されています。日本旅行」は滋賀県で設立され、親会社がJR西日本であるため、大阪が拠点と考える人も多いのですが、本社は東京にあります。

 国内旅行で人気の東京ディズニーリゾートへのツアーが、バラエティ豊富なのがうれしいですね。豪華な東京ディズニーランドホテルはじめ、リーズナブルな東京ディズニーセレブレーションホテルまでディズニーのオフィシャルホテルの宿泊プランも豊富。ヒルトン東京ベイやシェラトン・グランデ・東京ベイ・ホテルなどの宿泊プランも多数ラインアップしています。日本旅行」の各店舗における地方発のプランも充実していますよ。とても親切に旅の相談にのってもらえます。みなさんにオススメしておきます。

 さて、私には珍しく、この5月のゴールデン連休が完全にオフになったので、なんと昨日思い立って「ユニバーサルスタジオ」(USJ)に行くことにしました。でも「もうこの時期に、連休中のホテルもとれるはずがないよなあ……」と悲観的に思いながらも、それでもダメ元でお願いしてみるか、と電話してみました。するとしばらくして、「取れます」というではありませんか!超ラッキー!!行列に並ぶ必要もないし、入り口すぐのオフィシャル・ホテルがとれたというんです。これはいいぞ!今から楽しみにしています。

 若い頃は、ゴールデン連休といえば、ソフトテニスの県総体予選、そしてたいていは雨で順延で連休が全部つぶれるというのが恒例でした。部活を引退してからは、学校の校務(模試監督や部長の仕事など)、原稿の執筆や研究会で、たいていつぶれてしまっていたんです。それが今年は初めて完全にオフ。こんなことは今まで記憶にありません。初体験を楽しんできます。生徒たちは、「USJはディズニーランド以上に高校生向きのところで、八幡先生には絶対に馴染まない!」とからかいます。でも一度は行ってみないと、話の輪に加わることができませんからね。今はUSJのガイドブックを買い込んで予習中です。ということで、この連休、八幡は大阪です。どうしても寄りたいところも数カ所。結果はまた後日報告しますね。❤❤❤

 

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「西湖」の五の日


◎週末はグルメ情報です!!

 松江市役所の近くにある中華料理店「西湖」(せいこ)は、私の大好きなお店です。駐車場はありませんが、市役所の駐車場が開放されています。市内にある中華料理のお店としては、かなり古い部類にはいるのではないでしょうか。お世辞にもきれいとは言えない年季の入った店内ですが、お昼時はいつ行ってもほぼ満席状態です。長年のファンが通い詰めるお店なんです。中でも特に、「チャンポン」(800円)が美味しいです。まるで「玉子スープ」のようなルックスで、溶き卵の餡かけの下に中太縮れ麺。具はもやしピーマン、ハクサイ、豚肉、しいたけ、くらげ、エビ、などいろいろ入っています。味はまさに卵スープ味の餡で麺を食べている感じですね。餡かけなので、料理も最後までとっても冷めにくくなっていますよ。確かに、とってもユニークなオリジナルチャンポンですね。「日替わりセット」でいただく半チャーハン」も、懐かしさを感じる、たっぷり卵と、チャーシューの旨みが押し寄せる味で美味しいです。中華料理屋ならではの味といったところですね。

 ここでお得情報を!今日行ってビックリしました。今まで知らなかったのですが、毎月5、15、25日には、日替わりセット(通常800円)が、500円ワンコインで食べられるのです。お得ですね。このセットは毎日変わるんですが、基本的には、さまざまな麺と半チャーハンです。またこのセットは、ランチ時に限らず、晩ご飯でも利用できるのが嬉しいですね。時々無性に食べたくなる時があって、お邪魔しています。❤❤❤

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オランダ坂

 私の大大好きな長崎市は、坂がとても多い町です。別名「斜面都市」とも言われますね。その中でも一番有名なものが、「大浦東山手居留地」への入り口のある「オランダ坂(活水学院下の坂)です。明治の初め頃に、ニールズ・ルンドバーグという貿易商が、特別な火薬を使用して、この坂を開きました。現在は、主に「活水学院下の坂」「活水坂」「誠孝院(じょうこういん)前の坂」が「オランダ坂」と呼ばれています。実は、ここは「日本三大がっかり名所」の一つに数えられている場所なんです。

 高知「はりまや橋札幌「時計台、そしてここ長崎「オランダ坂の三つが「日本三大がっかり名所」と呼ばれています。「オランダ坂」石畳が特徴的ですが、坂の街にある生活道路の急坂の一つでしかありません。その他にはなーんにもありません。でも、地域一帯の歴史を少し知ってから訪れると、単なる「がっかり名所」じゃなくなると思いますよ。あまり過度の期待をして行くとがっかりです。何もないただの普通の坂です。けれど、映画やドラマの撮影気分で行けば、それなりに面白いですよ。気分をハイにして楽しむ観光名所です。江戸時代に、日本で唯一、貿易が行われていた「出島」に住むオランダ人の影響で、開国後も西洋人を見ると「オランダさん」と呼び、石畳でできた坂を「オランダさんが通る坂」と呼びました。「オランダ坂」のある東山手地区は、長崎の学園の丘と呼ばれミッションスクールが建ち並ぶ私学発祥の地でもあります。ただの道ですが、この坂を目的に行くのではなく、目的地と目的地の間の通り道として寄ってみるとよいかと思いました!石畳の道は実に趣があるものです。

 この近くのホテルに泊まっていたので、小雨模様でしたが、早朝に散歩してみました。活水学院から孔子廟裏のほうへ歩くと石畳の坂道がいくつかあり、この辺りが大浦東山手居留地であった場所です。 今も古い洋館群と石畳、石垣、石造り溝、煉瓦塀などが残っており、当時の面影を伝えています。ここの石畳の道が「オランダ坂」です。いくつかある「オランダ坂」で一番有名なのは活水学院前の坂であり、長崎の観光雑誌やパンフレットによく出てくる場所です。その活水学院のオランダ坂を登ったところに古い洋風建築群があります。下の写真の洋館「ラッセル記念館」は、明治元年(1868)に造られた洋館で 建築後まもなくロシア領事館が置かれた建物です。今は旧居留地私学歴史資料館となっています。他に明治20年代後半に、社宅または賃貸住宅として建てられた7棟の東山手洋風住宅群などもあります。

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追悼・渡部昇一先生

 「産経新聞」正論メンバーで「第1回正論大賞」を受賞された英語学者・評論家で「知の巨人」、私の尊敬する上智大名誉教授の渡部昇一(わたなべ・しょういち)先生が、4月17日午後1時55分、心不全のため、東京都・杉並区のご自宅でお亡くなりになりました。86歳でした。1930年、山形県・鶴岡市生まれ。上智大大学院修士課程修了後、独ミュンスター大、英オックスフォード大に留学。帰国後、上智大講師、助教授を経て教授に。ご専門は英語学で、「英文法史」「英語学史」などの専門書で知られます。1976年に『腐敗の時代』(文藝春秋)で、日本エッセイスト・クラブ賞を受賞。同年に刊行された『知的生活の方法』(講談社現代新書)は、読書を中心とした知的生活を築き上げるための具体的方法を論じ、100万部超の大ベストセラーとなりました。今日の新聞で、各紙いっせいに追悼記事を載せていましたね。

 一連の活発な言論活動の中で、「正確な事実関係を発掘して、わが国マスコミの持つ付和雷同性に挑戦し、報道機関を含む言論活動に一大変化をもたらす契機となった」として、1985年、第1回正論大賞」を受賞。東京裁判の影響を色濃く受けた近現代史観の見直しを主張するなど、我が国保守論壇の重鎮でした。その博学の知識と識見はただただ羨望の的でした。国語審議会委員、大蔵省税制調査会特別委員なども務められました。最近では、天皇陛下の退位を巡る有識者会議では、退位に反対の立場から意見を表明されていましたね。

 渡部先生の膨大な著作の中には、自助努力」を重んじたものが数多くあります。私が若い頃、最も大きく影響を受けたのがこの分野でした。サミュエル・スマイルズの「自助論」に登場する西洋人や、幸田露伴、本多静六、松下幸之助など、努力によって道を開いた日本人を、さまざまな著作で紹介しました。アメリカの成功哲学者であるジョゼフ・マーフィーの成功理論(「マーフィーの法則」)を初めて日本に紹介した先生でもあります。大島惇一」というペンネームで(当時まだ若い英語学究徒であった先生が、このジャンルの本を実名で出版するには躊躇があったのです)、マーフィーの翻訳本を出版しベストセラーとなりました。いずれも、人々が自らの努力によって道を切り開くことの幸福を思想として広めるものでした。成功者や金持ちに嫉妬し、貧しさの平等を広める共産主義思想から人々を守る防波堤となりました。

 英語教師として、平泉 渉さんとの「英語教育大論争」は鮮明に覚えていますが、数々の英語学習方法を提言し、日本の英語学習に大きな功績を遺されました。また、単なるコミュニケーションのツールとして英語を理解するだけではなく、英語の学習に異なる意義を見出されていたのも特徴的です。英語という言葉は現在”二つの顔”をもっている、という事実をきちんと押さえておかなければなりません。ひとつは、現代社会にあって公用語の働きをなしていること。もうひとつは、重大な古典的著作を含む言語であるということ。この二点が英語の大きな特色といえます」 英語を通して世界の古典を読むことで、自分の生まれ育った国とは違う視点を持つことができ、普遍的な価値観を学ぶことができる。その上で自国の意見を積極的に発する国際的な教養人ともなれる。それは、扇動的で偏った思想に染まることを防ぎ、バランスの良い人格をつくる上でも、非常に重要なことだ、と主張されたのです。

 私は大学3年生の時に、先生の『知的生活の方法』に出会い、その圧倒的なパワーに感銘を受けました。私の運命を変えた一冊です。家を建てるときにもこの本を参考にして、書庫を作ったぐらいです(「渡部昇一画像」を検索すると、どういうわけか八幡家の書庫の写真が出て来ます!)。以来、先生の書かれる本や雑誌はすべて読破、熱狂的なファンとなりました。ぜひお会いしたいという強い思いが実現したのは、まだ私が若い頃松江南高校で教えていた時、渡部先生が松江の「ホテル一畑」にご講演でお見えになったときのことでした。その時に撮したお写真が右・下のものです。まだ先生もお若いですね。私が先生に憧れていることを知っている主催者が、「会わせてあげようか!」と言ってくださいました。願ってもないことです。玉造のめのうのネクタイピンとカフスボタンのセットをおみやげに買って、ホテルの控え室にお会いに行きました(部屋の前にも、部屋の中にも屈強なガードマンがおられ厳重な警備でしたね)。それが先生との初めての出会いです。憧れの先生に会えるというあまりの感動と緊張の中で、堅い握手をしていただいたことくらいしか覚えていません。以来、事あるごとにお手紙をいただくようになり、親しくさせていただきました。私が学習辞典の『ライトハウス英和辞典』(研究社)を出した時には、推薦文を書いてあげよう、とおっしゃっていただいた時は、天にも昇る思いでしたね。今までずっーと、先生の書かれる著書や雑誌論文は追いかけ続けています。先日も、地元の今井書店を退職された店員さんが再びレジに立っておられ、懐かしくて話すと「八幡先生といえば、渡部昇一先生でしたね。はっきり覚えていますよ」と言ってくださいました。2年前に私が退職した時には、達筆の筆文字で(先生は書道を学んでおられました)ねぎらいのお言葉を頂戴しました。私の家宝です。

 渡部先生が、人生で一番大切なことを一つだけ挙げよ、と求められた時に、いつも口にされたのが、「できない理由を探すな!」でした。どんなに困難なことでも、絶えず努力を絶やさない人には、不思議なことに、天の一角から「助けのロープ」が降りてくる、とおっしゃっておられました。私も今までにそんな体験を何度したことでしょう。

 鉄砲撃ちの名人に、電線の上と地面にいる鳥とどちらが簡単に撃ち落とせるか?と聞いてみる。一見、地面にいる鳥のほうが撃つのはたやすそうである。しかし彼は、電線の上にいる鳥も地面にいる鳥も、撃つには同じくらいの労力と技量が要るというのである。難しさとしては大差なく、むしろ電線の上にいる鳥を撃つほうがかえって楽かもしれないということである。ならば、目標は高く掲げたほうが良い、ということになる。

 私は「できない理由を探さずに、目標を高く掲げて、努力せよ」と、毎日生徒には話しています。渡部先生の受け売りですが。

 私は会員制の「昇一塾」に入っていて、毎週金曜日に配信される先生の小論を楽しみにしていたんですが、先週末に出版社から突然メールが来て、「本日は誠に残念なお知らせですが、 渡部昇一先生のご体調がすぐれず、 しばらく言論活動を控え、 治療にご専念されたいという お申し出がありましたので、 昇一塾ニューズレターを しばらく休刊させていただくことになりました。」、ついては返金をするので手続きを取るようにとのことでした。えーっ、なんで?と思っていると、この訃報です。腕を骨折されて苦労なさっておられるというのは知っていましたが、まさかこんなにお体がお悪かったとは!もうこれで、先生の新刊本が読めなくなるかと思うと、すごく落ち込みます。私の書庫にずらーっと並べられた渡部先生の膨大な著作の数々を、初めから読み返すこととしましょう。先生の思い出・学恩は数多くありすぎて、ここには書き切れません。私が最も尊敬する、一番影響を受けた先生でした。心よりご冥福をお祈りします。合掌。♠♠♠

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お湯かけ地蔵

 3月24日、松江しんじ湖温泉「なにわ一水」で学校全体の送別会があったので、ちょっと足を伸ばして、松江しんじ湖温泉街の西端にある「お湯かけ地蔵」さんにお参りしてきました。東西に長い旅館が並ぶ、しんじ湖温泉街の西のはずれにある「お地蔵さん」です。こんな所にお地蔵さんがあることを、私も最近まで知りませんでした。気づいている人も少ないのではと思います。ときどき私はお参りするようにしています。大地の恵みが温泉で、ありとあらゆる恩恵に対して感謝してお祭りしたのが、このお地蔵さんだそうですよ。お地蔵さんの裏には、松江しんじ湖温泉の泉源も自噴しており、温泉を汲むことができます。かなり高温(約70度)なので、温泉たまごも作れるようですよ。

 ここで、松江しんじ湖温泉の歴史を簡単にご紹介しておくと、昭和46年(1971)に開湯と、比較的新しい温泉です。地下1250mから湧き出す温泉は77度と高温な上、湯量が豊富。保温効果のあるナトリウム・カルシウム・硫酸塩・塩化物泉で、身の幸せ、子孫繁栄家族の健康維持・回復に御利益、をうたい文句としていて、効能は、神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、打ち身、くじき、慢性消化器病、痔病、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、切り傷、火傷、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性夫人病、動脈硬化症、などに効くとされています。浸かっていると体が芯からほぐれていくようです。開湯当時は「松江温泉」と呼ばれていましたが、2001年に名称を一般公募し、今の名前「しんじ湖温泉」に決定しました。温泉街の西の外れにある湯元には、温泉の恵みに感謝して建立されたこの「お湯かけ地蔵が祀られており、湯をかけて手を合わせれば健康と幸せになれるという言い伝えが残されています。毎年夏の8月24日には、「地蔵まつり」が行われ賑わっていますよ。

 また、一畑電車の「松江しんじ湖温泉駅」前にも「お湯かけ地蔵尊」が祀られています。お湯をかけて手を合わせれば、健康で幸せになれるという言い伝えが残されているらしいです。その隣りには24時間利用可能な足湯温泉もあり、観光客で賑わっています。電車・バス待ち時間の間にぜひどうぞ。

 一畑電車の松江しんじ湖温泉駅から西に数百m離れた場所に、同温泉の源泉があって、地蔵尊が祀られています。源泉は周辺のホテル・旅館などに引かれていますが、松江しんじ湖温泉駅前の足湯にも引かれていて、足だけですが無料で容易に楽しむことができます。足湯のところにもお地蔵さまが立てられています。ちなみに、松江しんじ湖温泉駅は、一畑電車の松江市のターミナル駅ですが、JR松江駅とは、大橋川を渡り、直線で1.7kmほど離れていて、バスなどで移動します。足湯は、屋根が付いていて、雨の日でも入れます。泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉で、温度が77℃もあるとのことですが、足湯では温度調整されています。❤❤❤

 

 

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グリーン車

  私はJRで旅をするときにはほとんど「グリーン車」を利用します(上の2枚の写真はどの特急列車のグリーン車か分かりますか?当ててみてください)。ゆったりと快適な旅を楽しみたいからです。「グリーン車」は、運賃や特急・急行料金以外に別途料金が発生する、特別な車両です。飛行機のクラスと同様に、良い座席は料金がかかる分、設備もサービスも上質で、ゆったり乗車できることから、ラッシュアワーの混雑を避けたい時や、長距離旅行、ハイクラスの人々の移動などに長く愛されてきました。「グリーン車」は、そもそもどのように生まれたのでしょうか?また、なぜ「グリーン車」と呼ばれるのでしょうか?

 国鉄の車両はかつて、一等車、二等車、三等車の「3等級制」でした。その後1960年(昭和35年)に、一等車、二等車の「2等級制」へ。1969年(昭和44年)の運賃改定時、等級制は廃止され、運賃と特急・急行料金の単一化が図られます。その際、2等級制時代の1等座席車が「グリーン車」と名づけられ、運賃と特急・急行料金のほかに「グリーン券」を購入することで、誰でもグリーン車に乗車できるようになったのです。なぜ「グリーン車」と呼ばれたかといえば、前身である2等級制時代の一等車の窓の下に淡緑色(若葉色)の帯が塗られていたこと、また一等車の切符の色がグリーンであることにちなんだと言われています。が、1978年の塗装規程改定により淡緑色の帯を入れることは廃止され、JR分社後の現在では、幸運に巡り会えるという四つ葉のクローバーを模した黄緑色のグリーンマークのみが残っていますね。 

 このようなグリーン車の起源が、昨年(2016年度)福岡工業大学の入試で、英語の長文問題として出題されています。次のような英文でした。

  In Japan, some trains have special cars called “Green Cars” that are fancier and have larger, more comfortable seats. Basically, they are the same as first-class cars in other countries. The fare in these cars is higher, so you need to buy a supplemental ticket if you want to ride in them. Japanese trains used to have three classes of cars, but the system was changed in 1960 to a two-class system. Then,  in 1969, the name for first class was changed to Green Car. This name was chosen because first-class cars used to have a green stripe on the side under the windows, so passengers already associated the color green with first class. Today, the stripes are gone and cars are marked with a large, green four-leaf clover.    

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「やまもと整形外科クリニック」本日オープン!

 島根県立松江南高等学校で、第31期に担任した山本真人(やまもとただひと)くんが、新しく「やまもと整形外科クリニック」(松江市乃白町2061)を今日4月17日にオープンすることを書きました。「100満ボルト」、「ウェルネス」のお隣です。⇒記事はコチラです  同窓生からも早速反響のメールが届いていました。開院に先立って「内覧会(4月15日~16日)にご招待をいただいたので、早速お祝いに出かけてきました。4月14日(金)の朝刊には、開院を告げる素敵なチラシが入っていましたね。昨日は、クラスの連中も行くからとメールが届いていました。開院祝いを兼ねてみんなでお祝いに集まろうという計画も進んでいるようですよ。

▲開院を告げる新聞広告

 入り口の受付で奥様にお祝いを申し上げ、2階へとエレベーターで上がっていきます。ものすごい人で賑わっていましたよ。担任していた2Rのクラスメート連中からも、お祝いの記念樹が届いていました。院長の山本くんが出迎えてくれました。案内してもらいながら、充実した機器と環境を、この目で見せてもらいました。薦められて「ウォーターベッド」(アクアタイザー)に寝そべってみました(右写真)。 足を優しく固定して、柔らかく、それでいて力強く、しかも心地よい、「水」ならではの独特の刺激と浮遊感、そして温かな開放感。血行促進などの一般的なマッサージ効果に加え、まるで雄大な自然にでも抱かれているような、あるいは静かな波の揺らぎに身を任せているような、上質のリラクゼーション効果が期待できるとのこと。説明してもらったところでは、このベッドすぐれもので、体型を読み取って、必要な部分のみに刺激を加えていくとのこと。「ストレス解消」「血液循環の向上」「筋肉疲労物質の除去」「心と体のリラクゼーション」「末梢の血行促進」などの効果が期待できるそうです。こんな気持ちよさは初めて体験しました。くせになりそうです。毎日でもかかりに来たいくらいの快適さでしたよ。ソフトに体をほぐしてくれる心地よい刺激が快適そのもので、3分間が終わると心身ともにリラックスして、ほんわかとした気持ちになれました。続いて、足を伸ばして座るとバランスボールを足の上に押しつけ、ふくらはぎをマッサージしてもらう機器を体験しました。この気持ちよさといったら堪りませんでしたね。短い時間でしたが、ずいぶんリラックスできました。山本くんとツーショットの記念写真を奥様に撮っていただいて、再会を約して失礼しました。

 山本くんは南高を卒業した後、鳥取大学・医学部に進みました。卒業後、整形外科医として17年間勤務しています。この7年間は松江市立病院で、外傷・人工関節外科・関節鏡視下手術を専門に診療をしてきました(整形外科部長)。そしてこのたび、めでたく整形外科クリニックをオープンするに至りました。彼のいたこのクラス2Rは、卒業時の結束が非常に固いクラスで、何度も集まっています。彼らが大学生の時にも、私が松江北高に帰ってきてからも、また私が定年退職するときにも、節目節目で集まってくれています。懐かしい写真を引っ張り出してみました。山本くん、開院、本当におめでとう!!❤❤❤

やまもと整形外科クリニック」の素敵なウェブサイトもできていますので、のぞいてみてください。⇒コチラです

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米子「だんだん広場」

▲今日の話題はこの写真の奥まった所にあるモニュメント

 米子駅前に広がっている、出会いと交流の多目的広場が「だんだん広場」です。“だんだん”というのは、こちらの地方の方言で”ありがとう”の意です。かつてNHKの朝ドラ「だんだん」で有名になりましたね(このテレビドラマでは、松江北高でロケが行われ、北高生30人がエキストラで出演しています。私も協力したお礼に、打ち上げに招待されました。役得、役得!)。ここの広場で、ひときわ目を引くのが、まるで宇宙にでも飛び出しそうな、高いところにある銀河鉄道999か、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」を彷彿させるようなSL列車のオブジェです。山陰で初めての鉄道路線を記念したモニュメントのようです。広場を管理する県西部総合事務所建築住宅課の話では、「山陰鉄道発祥の地」の交通拠点としてのイメージと、「21世紀の国際都市」を目指した町づくりの姿を、蒸気機関車の姿に重ね合わせて造形化して、1995年に建立されたとのことです。パネルなどの一切説明板がないので、地元の人でも経緯を知らない人が多いそうですよ。それにしてもスケールのでかいモニュメントですね。米子に行くと、私が必ず足を運ぶスポットです。



 さらに、米子駅を出た正面には、山陰鉄道発祥之地」として、C57型蒸気機関車の動輪客車車輪のモニュメントが展示されています。1902年(明治35年)、境港~米子~御来屋間に山陰地方で最初に鉄道が開通しました(境港~米子は現在の境線です)。明治45年に山陰本線の京都~出雲市、昭和3年には伯備線の米子~岡山がそれぞれ開通しました。それを記念するモニュメントですね。コチラは詳しい説明板がついていました。❤❤❤

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「だんだん」のポテトサラダ

◎週末はグルメ情報です!!

 島根県庁に近い松江市・片原町の堀川沿いに店を構える居酒屋「だんだん。堀川をはさんでカラコロ広場の向かい側のお店です。島根県出身の店主さんが、東京・目黒に続いて出店した松江の2号店「豚しゃぶ居酒屋」です。だんだん」というのは、出雲弁で「ありがとう」の意味です。以前NHKの朝ドラにもなりましたね。英語科の送別会(北浦先生・太田先生)で行ってきました。店内は落ち着いた雰囲気で、2階席からは堀川やライトアップされたカラコロ工房を見渡すことができ、素敵なロケーションです。

 このお店、ポテトサラダが有名なんです。私はこれが目当てで、このお店を利用します。以前、灘高の木村達哉先生をお迎えした歓迎会でも利用したお店です。コース料理にも含まれ、お皿にてんこ盛りで出されています(写真下)。黒胡椒が効いた大人の味付けのポテトサラダです。メディアでも多く取り上げられており、東京のお店では有名人も多く来店されるとのことですよ。これ、ポテトサラダなんですけれど、どこのお店でも食べたことが無い味なんです。キュウリは入っていません。めちゃくちゃジャガイモと卵の味が濃厚で美味です。もはや「豚しゃぶ」に負けないくらいのメイン料理と言ってもいいと思います。こんな風に作るんだそうですよ。レシピです。

 ジャガイモ大 1個(160g)
 ゆで卵 1個
 ベーコン三枚(50g)
 塩 少々
 醤油 小さじ2 
 マヨネーズ 大匙1
 あらびき黒胡椒 たっぷり
 千切りキャベツ

鍋に皮付き一口大のジャガイモを入れ、塩少々とひたひたの水を加え、竹串がスッと通るまでゆでる。ベーコンを1センチ幅に切る。ジャガイモを水切りして皮を剥いて木べらで荒くつぶし、途中ゆで卵も加えてつぶす。ベーコンも加え、醤油とマヨネーズで味付けして満遍なく混ぜる。キャベツと盛り合わせてあらびき黒胡椒をたっぷりかける。

 コース料理のメインは「豚しゃぶ」ですが、これもいけます。鶏の唐揚げもビッグサイズで出てきます。総じて味、雰囲気とも良く、お値段もお得で、宴会には適している店だと思います

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SDカードが読めない!

 先月のことです。2年前に退職して、毎日旅行三昧の生活を送っていた頃に、松山・道後温泉長崎・ハウステンボス長崎市を旅行したことがありました。⇒コチラです  そこで撮した2000枚(!)近くの写真を納めたSDカード(16GB)が全く読めなくなってしまったのです。「フォーマットしてください」と表示されるだけで、全く画像が読めなくなってしまったんです。懐かしい思い出の写真もたくさんあったので、困り果てていると、そうしたデータ復旧を専門にしている業者さんを紹介していただきました。福岡県・博多市にある「データレスキューセンター アラジン」です。この会社は何よりもデータ復旧の正確さと対応スピードが優れている、と聞きました。早速SDカードを送って、依頼をしてみました。データレスキューセンターの復旧までの流れは、「問合せ・申込み→初期調査→調査結果報告→データ復旧作業→発送→納品検収」となっています。初期調査の結果報告として「復旧可能なデータリスト」と「見積り」は、48時間以内(最短で6時間以内)に受け取ることができるんだそうです。その後、軽度の論理障害(レベル1)、重度の論理障害(レベル2)、軽度の物理障害(レベル3)の復旧作業は1日程度、重度の物理障害(レベル4)の復旧作業は2~3日程度で完了するとのこと。仮に復旧できないと分かった場合でも、一切料金を取られることはありません。以前にお願いした会社では、「復旧できない」という診断をされただけで、調査費用として1万円とられたこともありましたから、ここは良心的ですね。送った翌日に早速メールで「初期調査」の結果が送られてきました。「レベル2の重度の論理障害」だけれども、全部の画像が復元できたとのこと。費用の見積もりは36,482円でした。お金には換えられない思い出の写真ばかりでしたので、すぐに銀行から送金しました。すると翌日には宅急便で、メモリーディスクに復元した画像がすべて納められて戻ってきたんです。早い、早い! おかげでたくさんの思い出の詰まった写真がよみがえりました。この会社、何よりも対応が早くてオススメです。

▲壊れたSDカード

 今度は、今月になってつい最近の話です。今度は卒業式・送別会・退任式・歓迎会・松江城の桜などの写真を撮した最新のSDカード(8GB)が、数枚の写真を除いて認識しなくなりました。カメラ本体にはちゃんと残っていて見ることができるのですが、カードリーダーにつないだり、パソコン本体に装着して読み込もうとすると、ファイルが壊れているらしく認識してくれないのです。カメラを買った「キタムラ」に相談に行ってみましたが、無策、全く読めずじまいで、「カメラごとソニーに送りましょうか」とのこと。お気に入りのカメラ(ソニーα6000)が何日も使えないのは実に困るので、そのまま家に持って帰りました。自宅でネットで探していたところ、画像復元のソフトでいいのがあるとのこと。CardRecovery」というソフトです。これは安全でリスクなしに、メモリーカードの読み取りのみを実行し、カードデータの移動や削除、変更などはしませんので、損傷を広げたり、上書きしたりすることはありません。 データの入ったメモリーカードの写真や、ムービークリップを復元して、指定した場所へ保存するソフトです。早速、ホームページ上にあった「体験版」ダウンロードして、指示通りに操作をしてみると全部写真が復元されています。あー、もうけたな!と思って、パソコンに保存しようとすると、このソフトの製品版を購入せよという指示が。いくらするのか分からないけれど、申し込んでみようとPayPalで手続きをすると、値段は3,780円でした。おかげ様で最近の貴重写真が全部戻ってきました。めでたし、めでたし!このソフトはこれから重宝しそうです。❤❤❤

 教訓! バックアップはこまめにとりましょうね!

(後日談) 初めの長崎を撮した壊れたSDカードを「CardRecoery」(3780円)のソフトで読み込んでみました。なんと!全部きれいに復元できるではないですか!こんなことなら最初からこのソフトを購入してやってみるべきでした。おかげで10倍近いお金を使うことになってしまいました。人生はこうしたものですね。それにしてもこのソフト、スグレモノであることが実感できました。みなさん、持っておいて損はありませんよ。♦♦♦

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be willing toの語感

  be willing to…という成句の意味を、「喜んで…する」と今でも平気で教えておられる先生がおられます。現場で使われている参考書や問題集にも、そのような不用意なものが目立ちます。自分が高校時代に習ったことを、そのまま何の検証もすることなしに、いたずらに年を重ねてしまうとそのようになってしまいます。

 この成句は、「やってもいい、異存はない」程度の意味で、積極性は含まれず「本当はやりたくないけれど…」という気持ちを暗に示しています。デイビッド・セイン先生は、be willing to …ifと、後ろにifの条件文がついていると考えるとよい、とアドバイスしておられますね。私は学生時代、アメリカ人の恩師からホームパーティに招待された時に、”I’m willing to go.”と何度も応答して、「来たくなければ来なくてもいいよ」と冷たく言われた経験を思い出します。「そんなつもりはないのに…」と、当時はチンプンカンプンで分かりませんでした。その後、いろいろと調べていくうちに、will「意志」の形容詞がwillingだということに行き着いたんです。これはあくまでも「…する意志がある、…してもよい」というニュアンスで使われることが、小説やネイティブ・スピーカーの観察から分かってきました。さすがに今の辞書にはちゃんと書いてありますが(例えば、私は『ライトハウス英和辞典』に、語法 be ready to…ほど積極的な気持ちはない:If you’d like me to go with you, I’m quite willing. (もしいっしょに行ってほしいのならお供してもいいですよ)/We were disaappointed by the outcome of the election, but we’re willing to accept it.(我々は選挙の結果に失望したがそれを受け入れる気だ)のような記述を残しました)、当時は堂々と「喜んで…する」だけだったんです。学校でも、単語集でもこの訳語だけだったと記憶しています。現在学校で用いている参考書・問題集も、いまだにこのような扱いをしているものが多く見られます。ここで面白いのは、この単語の副詞形であるwillingly「喜んで」の意味だということです。英語って難しいですね。

 I’m willing to help.    willingも多くの日本人に誤解されている言葉です。辞書にもwillingの項には“喜んで、快く~する」という意味だけが掲載されていることが多いのですが、これでは説明不足というしかありません。be willing to…というフレーズが出てきたら、be willing to…ifと、後ろにifの条件文がついていると考えてください。例えば、I’m willing to help.の場合には、I’m willing to help if you let me use your car.(自動車を貸してくれるのなら、喜んで手伝いますよ)といった何らかの条件をネイティブは想定しながら話をしているのです。  ―デイビッド・セイン『ネイティブに嫌われる英語』(アスコム)

 辞書や参考書の中には、”be willing to do”は「喜んで~する」と書いてあるものがありますが、この表現にはそうした能動的な積極性はなく、「~するのは苦ではない」というニュアンスで用いられるのがふつうです。古い日本語に「~するのもやぶさかではない」という表現がありますが、それにぴったりなのが”be willing to do”なのですキャサリン・クラフト『先生、その英語使いません!』(DHC)

【積極的】↑
I'd love to help.
Let me give you a hand.
I'd like to help.
What can I do for you?
Okay, I'll help.
I guess I'd better help.
I'm willing to help.
Let me do it.
I guess you want me to help.
【消極的】↓ 

 『ライトハウス英和辞典』(研究社)の改訂(私は語法・類義語担当)の度に、M.アルトハウス教授(津田塾大学)の語感鋭い書き込みを読ませていただくのですが、本当に英語って一筋縄ではいかない、と痛感するんです。そんな、現場で誤解されている英語表現ばかりを集めて、一年間連載したのが、「Bolinger博士の語法診断」『現代英語教育』4~3月号(1990年~1991年、研究社)でした。また、英和辞典の問題点を、「英和辞典のウソ」と題して『高校通信東書英語』(1983~1984年、東京書籍)に連載を持たせてもらいました。そこで述べていることは、今でも十分当てはまることばかりです。興味のある方はバックナンバーで読んでみてください。❤❤❤

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清水寺

 かつて平安時代に、あの清少納言が『枕草子』の中で、多くの参拝客が訪れる「清水寺」の縁日の賑わいを「さはがしきもの」と表現し、当時から大人気だったうかがえます。今では年間500万人もの参拝客がお参りするとか。若い頃から私もこのお寺が大好きで、よく参拝していました。

 「清水寺」へ続く長い坂道。両脇には漬け物や八つ橋など京都の土産物屋さんやお食事処が立ち並び、連日多くの人で賑わい、歩いているだけで楽しくなる参道です。あまりの混雑に、思わず人とぶつかりそうになったり、結構急な坂道できついんですが…。清水の舞台から飛び降りる」で知られる本堂の舞台が有名な寺院ですね。そもそもは奈良時代末期778年(宝亀9年)に延鎮上人が開山し、千手観音を祀ったのが始まりです。平安建都間もない延暦17年(798年)鹿狩りに訪れた坂上田村麻呂が水を求めて立ち寄った際、延鎮上人に殺生をいさめられたことから信仰し、長岡京の紫辰殿を移築して創建したと伝えられています。現在の建物の多くは、寛永8年から10年(1631年から1633年)、徳川家光の寄進によって再建されたものです。清水の観音として平安時代以来多くの人々が参拝。 参道を上りつめると、東山の音羽山を背に仁王門、西門、日本最大の三重塔(いずれも重要文化財)が迎えてくれます。春の桜と新緑、秋の紅葉と四季折々の美しさを背景にした懸崖造りの本堂(国宝)は、断崖の上にせりだし、市街地の眺望も最高。あわせて15の堂塔(いずれも重要文化財)が建ち並んでいます。

 中でも有名な本堂の舞台は、崖の上にせり出すように建つ「懸け造り」(かけづくり)という建築様式。優美な反りを見せる屋根と、斜面にせり出すような舞台が迫力満点ですね。釘を一切使わず、一度組んだら外れない「地獄組み」という組み方で、ケヤキの柱を縦横に組んで建てられています。高さ13メートルの崖地にせり出した空中舞台を支えるのは172本の柱。それらを釘1本も使わずに組みあげたというから驚きですね。舞台の向こうに広がるのは、ため息ものの京都の街のパノラマビューです。周囲の緑にマッチしたシックな寺院建築も絵になる美しさです。

 実は、この清水寺には「七不思議」が存在することでも有名です。境内のあちこちに隠された「不思議」は、実は7つ以上存在しています。詳しくはこちらをご覧ください。⇒コチラです  そのうちの一つ、仁王門前にある二匹の狛犬の口に注目しましょう。よく見ると左右両方の狛犬の口が、どちらも「阿形(あぎょう)」=開口した形になっています。一般的に狛犬は、口を開けた「阿形」と、口を閉じた「吽形(うんぎょう)」で一対をなしているのが普通なんですが、これはとても珍しいものです。明治時代に寄進される折、東大寺南大門にある狛犬をモデルにして造られたことによるそうです。また、お釈迦さまの教えを大声で世に知らしめている、とも言われています。❤❤❤

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The Gift

the-gift★あり得ない衝撃の「仕掛け」が!!        

 「あり得ない!!」 思わず叫んでいました。 Angelo Carbone「The Gift」の映像を見て、まったく信じられませんでした。我が目を疑いました!カルボーンさんご本人の言葉によれば、まったくノー・カットの映像です。観客にデックを手渡してから、紙を開いてカードが予言されているまで、一切ノーカットだそうです。この作品がフェザータッチ・マジック」竹本 修さんによって、2月13日の午後8時から20個だけ限定販売されるということで、絶対に手に入れようと思い、パソコンの前で午後8時になるのを待ち構えました。2分前くらいに画面が変わり注文できるようになったのを見て、速攻で申し込みました。一番乗りだったかもしれません(笑)。ラッキー!でも数分で完売してしまったようで、すぐに「売り切れ」のメッセージが出ていましたね。それぐらいに完成度の高い巧妙なトリックです。並み居る世界一流マジシャンたちも激賞していますね。

●彼の当初のもので騙されたが、最終製品は素晴らしい出来栄えだ。凄いトリックで汎用性がある。現存するクリエーターによる素晴らしいクロースアップ用道具だ。 - Derren Brown:ダレン・ブラウン

● 今まで見た中で最も不思議なものです。 ― Richard Kaufman:リチャード・カウフマン

● 完璧に騙された!こんなマジックは初めてだ。Angeloは天才だ。これはきっとあなたも演じたいと思うはずだ。 ― Luca Volpe:ルカ・ボルぺ

●アンジェロ・カルボーンがまたやってくれた。100%仕掛けがないように見えるものを100%巧妙な道具に仕立てた。 ―David Regal:デビッド・リーガル

●めちゃ素晴らしい!―Mark Elsdon:マーク・エルスドン 

●ぶっ飛んだ!入手するのがもう待てない。このことはさらにアンジェロがなぜ最も偉大なクリエーターであることを証明している。 ―Jamie Daws:ジェイミー・ドース

 アンジェロ・カルボーンといえば、非常に大胆で巧妙な「仕掛け」を得意としている天才クリエーターで、日本のテンヨーからも「Theイリュージョン」「プリズンボックス」「フローティングカード」などが商品化されていますね。まさに「からくり」職人と呼べる人物です。この作品「The Gift」も、一見何の変哲もない箱のように見えますが、実は想像以上に精密な仕掛けが施されています。手に取ってみても、中を覗き込んでみても、何の怪しいところもありません。でも仕掛けを発動させると、思わずため息がが出てしまうほどの「超カラクリ」が潜んでいるんです。

 マジシャンは1つの箱を取り出して、中からカード・ケースを出して観客に渡します。箱はテーブルに置いておきます。観客にケースからデックを出してもらい、カードを表向きでテーブルに1枚ずつ配っていってもらい、好きなところでストップをかけてもらい配るのをやめてもらいます。テーブル上に最初から置いてあった小箱を振ってみるとカタカタと音がします。「箱の中に予言賀は言っている」と言って、フタを観客に開けてもらうと、中から1枚の折りたたまれた「予言」の紙が出てきます。この紙を観客に取り出してもらいます。フタを開けるのも、紙を取り出すのも観客自身です。それ以外は箱の中は空っぽです。予言の紙を開いて見てもらうと、なんと今選んだカードの名前が書いてあるではありませんか!見事予言が一致しました!精巧にできた小箱の機構により、このあり得ない予言現象が起きます。カードインデックスも秘密のロードも全く不要です。リセットも数秒で完了します。箱の色は、スタンダードの黒色限定版の金色と2種類あります(金色の方はチョットお値段が高いですが)。他にもいろいろと応用手順が考えられそうですね。

 本当に箱の中は空っぽです。マジシャンは手に何かを隠し持ったりはしません。後から箱に何かを入れるような不自然な動作は一切ありません。多くのマジック専門家・研究家、プロマジシャンを驚かせ、彼らを興奮させてきた最強の予言ボックス(道具)です。クロースアップからステージまで幅広い場所で威力を発揮しそうです。なお、私は付属のギミックを、カットバンを使って使い勝手のいいように改変してこれを演じています。このほうが、よりよく正確に反応してくれるためです。と言っても見たことのない人には分からないでしょうね。今、日本でこの箱を持っている人には、何のことか分かっていただけると思います。

 制作者のカルボーンさんによれば、この箱の製作にはずいぶんと時間がかかったそうです。最初はもっと小さな箱を考えていたのですが、いろいろと調査していると、ちょうどデックもすっぽり収納でき、これくらいの大きな箱で演じた方が、観客の反応がよいことが判明したので、この大きさになったんだそうですよ。かなり細かく面倒な作業で出来上がっている箱で、1つ1つ手作業で入念に作られています。この「からくり」はちょっと半端ではありません!♠♣♥♦

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千手院のしだれ桜

DSC01274 松江北高のすぐそばにある「千手院」(せんじゅいん)は、山号を「尊照山千手院」といい、高野山真言宗の寺院です。市の北郊、城下町の面影が色濃く残る城北石橋町。造り酒屋の土蔵の白壁がどっしりと構え、醤油を醸す香りの漂う町角を曲がると、ほどなく「千手院」の参道にかかります。この附近は江戸時代から職人の町と幾人かの家臣、中堅どころの武家の屋敷があり、またその人々が使った井戸は市内では数少ない良水で、「石橋の水」として現在島根名水百選に選定されています。緑深い「千手院」は小高い山の上の寺。松江市緑地保全地区第一号の指定を受け、町中の寺とは思えない静かなたたずまいです。参道の両側は桜とつつじそして紫陽花なとが植えられ、教百年のもみじの巨木と、境内にあるこの地方一番のしだれが枝を広げて迎えてくれます。眼下には松江市街が開け、松江城の天守閣も見えますね。堀尾吉晴公が松江城を建てる時、長海禅師に命じ地鎮の法を修し、鬼門を封じて慶長十三年、一寺を建立した。これが広瀬より移築された「千手院」です。ちょっと歴史を振り返ってみましょう。

 徳川幕府成立のおり、堀尾吉晴が出雲隠岐の大守として入国し、松江に城を築く時、千手院の僧、長海律師に命じて地鎮祭を行いました。この時の様子は「雲陽誌」や藩の右筆、平賀隆顕が元禄の頃に書いた「尊照山記」に詳しく記されています。築城に当り本丸の鬼門(北東方向)に当たるこの地に、広瀬から当山を移して鬼門封じの寺として建立されました。以来堀尾、京極、松平家の治世を通じて国守代々の祈願所、城下七箇寺の一つとして重きをなし、松平家の時代には法橋素運筆の登城本尊が祭られ、新年には三の丸、大般若の間において大般若会が奉納されました。

DSC01261 本堂、護摩堂、鎮守社、経蔵、僧坊、大門、鐘楼が整い、隆盛を見ましたが、延宝6年(1648年)城下の大火で伽藍は悉く焼失し古記録など全てを失ったと、雲陽誌に記されています。唯一残った干手院文書の断片により、古く鎌倉時代に存在したことがわかりました。また平成17年の本尊修理の際、千手観音が平安期の作であることが判明し、平賀隆顕の“尊照山記”の記述が証明され、消失を免れた松平直政令旨などと共に山陰の門首としての寺格と文化8年の類焼後、六ヵ年を経て、文化13年再建され今に至る諸堂には、江戸時代の遺構が見られ、不動堂什器など約300年近くを経て、今も使われています。明治4年には教導所第二区となり、現在の松江市立城北小学校の前身の一つとなりました。DSC01273 明治の名僧で、夏目漱石の『我輩は猫である』に語られる雲照律師が、若い頃に修行に励んだ寺であり、明治34年には小松宮彰親王が来山され、多くの人士の訪れる処となりました。藩政時代植栽されたしだれ桜は、恵まれた環境のもと大きく育ち、松江市指定の天然記念物として毎年美しい花をつけ人々の目を楽しませています。昭和になって松江城の解体修理に際し、DSC01270祈祷札や鎮物などが出土し貴重な資料となり、昭和26年11月29日柱立柱式が古式により登城本尊を城中に奉安しとり行われました。干手院住職導師の下、島根県下全真言宗寺院出仕のもと、地鎮祭が仏式により執り行われました。

 境内は城下町松江を眺望できる最適の地であり、松江城を最も美しく見ることのできる唯一の場所といえます。また松江市緑地保全区域として緑豊かな憩いの場として、出雲観音霊場第26番、島根札1番、出雲十三仏霊第6番として静かな信仰の場でもあります。

DSC01267 小高い丘の上にある「千手院」しだれは、樹齢200年、幹回り2.7m、高さ9mに、長径18mの老巨木で、松江市の天然記念物にも指定されています。広がりのある枝に一斉に開花した姿に魅了され、毎年多くの見物客が訪れています。また夜はライトアップも行われ、幻想的な姿を浮かび上がらせています。今朝学校に行く前に、ちょっと立ち寄ってきました。小雨上がりで、しっとりと満開のしだれ桜を堪能してきました。明日は松江城の桜を見に行ってこようと思っています。♥♥♥

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「四月バカの日」の英語は?

  毎年4月1日になると、いつも思うことがあります。「四月バカの日」に相当する英語表現には「揺れ」が見られるのです。辞典を調べてもらえばわかりますが、圧倒的に多数が、April Fools’ Dayと(複数形)見出し語にたてています。これを[A型]としておきましょう。ところが、英米の新聞や百科事典を見ると、[B型] April Fool’s Dayが(単数形)よく使われているのです。教員になりたての頃に、このことに気づいて、ずいぶん追いかけたことがあります。4月1日付けのアメリカ・イギリスの新聞を取り寄せて、細かく検討した時期がありました。そのことをまとめたのが、八幡成人  「語法ノート April Fool’s Day」  Lexicon, No.17(1988)(岩崎研究会)です。もう今から三十年も前のことでした。しかしそこで指摘した問題点に関しては、今も事情は変わりません。

◎和英大辞典(研究社) ルミナス和英辞典(研究社) ライトハウス和英辞典(研究社) アドバンスドフェイバリット和英辞典(東京書籍) エースクラウン英和辞典(三省堂) April Fools’ Day
◎オーレックス和英辞典(旺文社) 新和英中辞典(研究社)April[All] Fools’ Day
◎グランドセンチュリー和英辞典(三省堂) 英和大辞典(研究社) リーダーズ英和辞典(研究社) April Fools'[Fool’s] Day
◎ジーニアス和英辞典(大修館) フェイバリット英和辞典(東京書籍) スーパーアンカー英和辞典(学研) ウィズダム英和辞典(三省堂) ライトハウス英和辞典(研究社) April Fool’s[Fools’] Day

  当時、私たち『ライトハウス英和辞典』の編集顧問ロバート・イルソン博士に調べてもらったところでも、イギリスでは両型が見られるとのことでした。アメリカ辞典界の老舗メリアム・ウェブスター社ミッシュ編集長(当時)によれば、同社の用例ファイルでは、[A 型][B型]の比率は3:1だということでした(ただし用例が少々古いので現代英語を反映しているかどうかは疑問だと断っていらっしゃいましたが)。1987年に八幡がアメリカの4月1日付けの新聞12紙を調べたところでは、逆に2:3で[B型]の方が多かったんです。私たちの編集顧問・故ボリンジャー博士ご自身の好みも[B型]だということでした。で博士は、地元新聞(Palo Alto)の編集者たちに聞いてくださったんですが、やはり同様の結果が得られました。句読法の研究で知られるCharles F. Meyer教授(マサチューセッツ大学)にご協力をいただいて、先生のクラスの学生の反応を調査してもらいました。[B型]を好む者13名、[A型]を好む者が8名、ということでした。[B型]の方が一般的のようです。少なくとも[B型]が無視できなくなっていることは、次の記述からも分かりますね。

  The occasion celebrated on the first day of April is officially called April Fools’ Day in the United States. Each word of the titled is capitalized and the fool is plural possessive. The singular fool’s is listed as a variant spelling. However, this is not standardized and the main listing seems to vary from dictionary and dictionary (i.e., whether the plural or the singular is listed as the main spelling). Actual usage seeems to support this non-preference, with both sepllings being used about the same frequency.  (Grammaristより)

 この件については、あまり英米の辞書は役に立たないのですが、最新のOxford Advanced Learner’s Dictionary (9th ed. 2015)では、見出しがApril Fool’s Dayとなっていました。グーグルで検索してみても(Google Ngram Viewer)、やはり[B型]の方が[A型]よりも優勢となっています。私はこのような実態を受けて、『ライトハウス英和辞典』(第6版)では、上記のように扱いました。

 現在優勢なはずのApril Fool’s Dayという綴りが、英和・和英辞典からすっぽりと抜け落ちているのは一体どうしたわけなんでしょうか?「孫引き」ではなく、裏付けを取ることの重要性を忘れてはなりません。どうしてこのような異形が生まれてきたかについての歴史的背景や、そして優勢になる訳については、コチラに詳しく出ています。❤❤❤

 

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パティスリー・ガレット

◎週末はグルメ情報です!!

 ケーキ屋さんの「Patisserie Galette (パティスリー ガレット)」が、昨年移転・リニューアルしていますね。うどんの「たまき」を曲がったところにあります。以前は駐車場もなく、狭いお店だったのですが、今回は広々とした店内に大きな駐車場付きで、利用しやすくなっています。外観も素敵なお店に大変身しました。

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 一番有名なのは「学園チーズ」ですが、そのほかにもいろいろなケーキが置いてあります。店内にはその他にも、クッキーやパウンドケーキ、マドレーヌといった焼き菓子、モンブランやフルーツがのったケーキ、ロールケーキなどのクリーム系もあります。種類豊富でボリュームもあるので、ちょっとした手土産や、差し入れなんかには便利かなと思います。お店の隅っこのほうには、カフェも併設されています。

 ただ、残念ながら、店員の教育がイマイチです。私が行った時には、レジの打ち方が分からず、オロオロされて、ようやく先輩らしき店員に操作を教えてもらって、なんとか打ち込んだのはいいものの、差し出されたお釣りが間違っています。「間違っていますよ」と言ってもお詫びの言葉一つない。非常に感じの悪い対応でした。なぜ「すみません」の一言が言えないのか。私はこういうお店には、もう絶対に行きません。やはりお店が「人」で繁盛したり、衰退したりするのは、こういう小さなことがきちんとできるかどうかですね。ホテル業界では「100引く1は、99ではなく、ゼロ」という算式があるということを帝国ホテルの社長さんの本で学びました。ホテルはいろいろなセクションからできていて、お客様に携わるすべてのセクションがしっかりとリンクしていないと、一つのミスでお客様の100の満足がゼロになるという意味です。「1」+「1」というように基本の積み重ねが100点の満足を実現させるのです(犬丸徹郎『帝国ホテルの考え方』(講談社、2017年)。買って帰ったケーキも、取り立てて美味しいわけでもない。私は、博多東京のもっともっと美味しいケーキの味を知っていますから。ハードルはかなり高いほうです。♠♠♠

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ウォークマンが出てきた!

 昨年の7月5日付けのブログで、愛用の「ウォークマン」ゴミ箱に捨ててしまい、また同じ機種を買いに走ったことを書きました。⇒コチラです  

 新年度を迎えるにあたって、英語研究室から職員室の大部屋に降りることになり、3月末はその引っ越し作業で忙しくしていました。今までいた研究室が、芸術科演習室になることになり、住み慣れた英語研究室は、3階の生徒会室にお引っ越しをすることになったんです。私は久しぶりの大部屋です。新しい英語の部屋は今までの半分くらいの広さしかなく、ALTのエドワード先生は「狭くなり、松江城が見えなくなった!」(much worse)とこぼしています。確かに、正面に松江城を望むことができた今までの環境は、最高の癒やしとなっていました。朝早く来て、コーヒーを片手に、松江城を眺めながら白鷺の鳴き声に癒やされ、授業から帰ってくると、松江城を正面に望みながら「アルペンのうがい薬」でうがいをするのが日課でした。

 さて、例の「ウォークマン」です。引っ越しをするために、溜まっていた昔の書類を整理していたところ、書類と書類の間からポトンと「ウォークマン」が飛び出してきたではないですか!「オイオイ、こんなところにあったじゃないか!!」 すっかりゴミ箱に落として、そのまま焼却場に行ったものと思っていました。あのときは、生まれて初めて焼却場をあさったりもしたんですが…(笑)。こんな信じられないようなことをするようになったのも、やはり年ですかね。認知症が忍び寄っているのかも(笑)?そんな訳で、今は同じ機種のウォークマンが2台、私のカバンの中に入っています。1台は学校で、1台は自宅で使うことにするとしましょう。授業に持って行くのに、これとソニーのミニスピーカー(2種類)という身軽な道具で、教室では結構重宝しています。教室を歩き回りながら、音声を聞かせるには本当に便利な道具なんですよ。音量も十分です。というわけで、めでたし、めでたし!でした。新学期はこれでOK。♥♥♥


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Nスタに西村京太郎先生登場

 4月5日夕方、たまたま観ていた「Nスタ」(TBS)に、西村京太郎先生が登場しておられました。著書がまもなく600冊に迫ろうかという国民的トラベルミステリー作家です。番組では、湯河原にある「西村京太郎記念館」を特集しておられましたね。西村ファンには「聖地」とも言うべき場所です。鉄道ジオラマの展示もあります。このジオラマには殺人事件が隠されている、と係員の説明。続いて1階にある喫茶店、西村京太郎先生行きつけのお店「茶房にしむら」の映像が流れていました。「作品に出てくる列車の許可は取られるのですか?」というアナウンサーの質問に答えて、「ときどき文句を言ってくることがある。作品に取り上げてもらうのは嬉しいのだが、列車の中で殺さないでくれ」と。「それが商売だからね」と西村先生。昔と今で執筆に変化はあったか?との質問には、「トリックを仕掛けづらくなった。新幹線が増えてしまって。寝台列車がもっとあるとよい」と本音を漏らされました。今でも月に1冊の新刊を読むことができる驚異的なミステリー作家です。

 私は湯河原にある「西村京太郎記念館」を二回訪問しています。館内に入ると、死体に血痕が散った事件跡が出迎えてくれ、二階へ上がる階段にも、血痕をイメージした斑点が続いているんです。西村ワールドのスタートですね。2階の展示ルームには、西村先生の600冊にならんとする著作がズラリと並んでいます。さまざまなテレビパネル、生原稿、先生ご愛用のパイプやライターなどの秘蔵コレクション、そして何よりも2階の中央にでんと構える大ジオラマ「西村京太郎トラベルミステリーの世界」が展示されています。館内を案内してくれるのはサービスロボット「エノン(enon)」。鉄道ジオラマは、全体がトラベルミステリーとなっていて、鉄道模型が行き交う中で、繰り広げられる殺人現場を再現したもので、4つの事件現場、5人の死体が転がっていました。初めて訪問したときには、これを全部見つけるのに苦労した記憶があります。展示室の隣は、取材風景やインタビューなどのビデオ映像を見ることのできる視聴覚ルーム。二階の階段を上がったところでは、先生の著書を購入することができます。1階の「茶房にしむら」では、軽食やケーキ、ドリンクが楽しめます。一番人気は、先生の大好きな炭焼きコーヒーがサイン入りコーヒーカップで供される「京太郎コーヒー」で、飲み終えたカップは記念に持ち帰れます。とっても美味しいコーヒーでしたよ。また行きたいと思っています。♥♥♥

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「発音・アクセント問題」の勉強の仕方

★狙われる単語は決まっているノダ!!★

 最近、このブログ記事で一番アクセス数が多いのが、「発音・アクセント」問題「勉強の仕方」に関わるものです。それだけ全国でこの問題に苦労しておられる先生・生徒さんが多いということの裏返しですね。何を勉強していいか分からない、という生徒さんがたくさんおられます。今日はその「勉強法」についてお話しますね。

 いろいろな場所で強調していることなんですが、この分野は、英語の成績上位の生徒でも結構落としていることが多いんです(私自身がそうでしたから(笑))。センター試験でもそうです。それはなぜかというと、準備もせずに、なんとなく答えてしまっているからです。この問題には、必ずやっておかねばならないことがあるんです(高校時代の私は、そんなことを知りませんから、全部間違えていました)。なぜそう言えるかというと、出題される単語には特徴があって、出る単語は決まっている」からです。狙われやすい単語が存在するんです。その点をきちんと対策して準備をしている生徒と、ぶっつけ本番で行き当たりばったり解いている生徒の間には、天と地ほどの差が生まれるんです。私は40年間の教員生活で、それを実感してきました。そこで(1)狙われやすい単語のリストを作成し、(2)それをALTの先生にポーズをつけて読んでもらったものをCD化して、音読をさせました。たったこれだけのことですが、生徒たちは今年の「センター試験」本番で、きちんと結果を残してくれました。英語センター試験は、私が松江北高にいる12年間で過去最高の平均点です。大問ごとの分析を詳しくしてみました(「やりっ放しにしない!」)。特に、第1問「発音・アクセント問題」の正答率が異様に(浪人生を上回る!)高いのが目立ちます。このような地道な準備をして、本番に臨んだからだと思われます。「英語は絶対に裏切らない!!」のです。

 例えば、最近実施されたばかりの、2年生進研模試「センター試験早期対策模試・2月」で、このことを検証してみることにしましょう。A問題の「発音」に関しては、全部で12語出題されましたが、そのうちの11語が、私のリストに挙がっている単語です(的中率92%)。うち7語は★印のついた重要語です。B問題の「アクセント」に関しては、16語出題中16語すべてが、私の頻出語リストに載っています(的中率100%)。うち12語は★印のついた重要語でした。もうお分かりですね!やはり、このように「出る単語は決まっている!」のです。発音に関しては、狙われやすい綴り字が存在しますし、アクセントに関しては、10個ばかりの「基本ルール」を知っておくとずいぶん重宝しますよ。最近も、松江北高の2年生全クラスを回って、このことを話したところです。たくさんの生徒たちが、CDを求めて私の所へやってきました。これをiPodやスマホに入れて、暇な時間を見つけて繰り返し聞くのです。これが正しい「勉強の仕方」です。

 例年は、ALTの先生に読んでもらったものを、(膨大な時間をかけて)パソコンで1枚1枚CDに焼いてコピーしていたんですが、今年は一大決心をして、業者さんに依頼をしてきちんと製品化しました(私の退職金です)。松江北高編チェルシー先生、お願いします!」という2枚組のCDです。北高の生徒たちには、実費(以下?)で購入してもらいました。センター好結果の背景には、こうした地道な取り組みがあったと思われます。私は生徒たちに、お金はいいから、点数で返してくれ!」と懇願(脅迫?)した次第です。今年の生徒たちは見事に期待に応えてくれました。新学期を控え、これから準備をされるみなさんには(指導者・受験生)、私の「頻出語リスト」(『2017年英語センター対策本』に収録)「音声CD」(「チェルシー先生、お願いします!」(2枚組))をぜひ効率的に使って準備をしてもらいたいと思っています。自信を持ってお薦めしたく思います。新学期になり、学年でクラスでこの教材を採用したいという学校が増えてきて、荷造り・発送に追われています。ご希望の先生方は、センター本・CDともに、まだ在庫はたくさん持っていますので、ぜひご利用ください。お申し込みは、右上の「メールはこちら」からお願いします。♥♥♥

★頻出語の音読を!!

 

 

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金閣寺

▲なんとも「逆さ金閣」が美しい!

 「金閣寺」(きんかくじ)、臨済宗相国寺派の禅寺で、正式には「鹿苑寺」(ろくおんじ)と言います。鎌倉時代の公卿、西園寺公経の別荘を室町幕府三代将軍の足利義満が譲り受け、北山殿」と呼ばれる大規模な邸宅を造営したのが始まりとされます。邸宅とはいいながら、御所に匹敵するきわめて大規模なもので、義満は応永元年(1394年)に、征夷大将軍職を子の義持に譲っていたのですが、ここで政治の実権を握りました。義満の死後、遺言により「北山殿」は舎利殿(金閣)を残して解体され禅寺となりました。禅寺の名前は、義満の法名鹿苑院殿から二字をとって「鹿苑寺」と名付けられます。おしゃか様の骨をまつったとされる舎利殿(しゃりでん)に金ぱくが張られていることから「金閣寺」と呼ばれるようになりました。この唯一残された舎利殿こそが、通称「金閣寺」に由来する建物で、鏡湖池(きょうこち)のほとりに建つその姿はあまりに有名ですね。この池は、極楽浄土の世界にある、7種類の宝石でできた七宝の池を模して作られたと言われています。建物の内部は三層に分かれており、第一層は公家風の寝殿造り、第二層は鎌倉時代の書院造風、第三層は禅宗様仏堂風の造で、異なる三つの様式を組み合わせた建築は、当時としても斬新だったといいます。なお、金箔は二層および三層に貼られています。造営当時、舎利殿の周りにいくつか建物が作られ、舎利殿の北に作られた天鏡閣といわれる建物は、双方の二階で橋がかけられ廊下で往来が出来たといいます。今では天鏡閣の建物は跡形も無く、そのあたりには「龍門の滝」とよばれる滝があり、「龍門の滝」を鯉がのぼり切ると龍になるという中国の故事「登龍門」にちなんでいます。

 「金閣寺」は創建後、幾度も修理を行ってきましたが、昭和25年の放火により全焼してしまいました。この事件は三島由紀夫の小説『金閣寺』や、水上勉『金閣炎上』の題材となっていますね。現在の舎利殿は事件から5年後の昭和30年(私の生まれた年じゃないか!)に復元されたものです。舎利殿の他にも、当時考えられていた日本列島の形を模したとされる池泉回遊式庭園は、国の特別史跡および特別名勝。鏡湖池に映る金閣の姿も見どころのひとつです。逆さ金閣」と呼ばれ美しい写真が撮れます。また、境内の数寄屋造りの茶席は、ここから眺める夕陽を浴びた金閣が美しいことから「夕佳亭(せっかてい)」の名がつけられています。まばゆい金色に輝く極楽浄土の光景が凜としてたたずんでいます。屋根の頂上には、聖なる天子の使者とされる羽ばたく黄金の「鳳凰(別名不死鳥)が飾られていますね(現在の像は1987年(昭和62)に修復された4代目です)。♥♥♥

 私はちょうど昨年12月の夕方、ここにお邪魔したんですが、それはもう本当にまばゆいばかりの美しさでした。案内してくれたガイドさんも、「この時間帯が一番美しい時間です」とおっしゃっておられました。子供の頃から、何度か足を運んでいる大好きな場所ですが、今回の訪問が一番きれいでしたね。❤❤❤

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日本学生科学賞

 60回日本学生科学賞」(読売新聞社主催、旭化成協賛)の中央審査と表彰式が、昨年末2016年12月22日(木)~14日(土)に東京・日本科学未来館で開催されました。全国の中学・高校から参加した約6万点もの研究作品の中から、高校の研究作品15点が中央最終審査に臨みました。島根県立益田高校・理数科3年の福満 和(ふくみつのどか)さんの研究「ローダミンBの赤い繭・青い繭」が、「文部科学大臣賞」を受賞して、今年5月にアメリカ合衆国のロサンジェルスで行われる「ISEF世界大会(International Science and Engineering Fair・国際学生科学技術フェア)」の日本代表に選出されました。小学生の頃から始めた、蚕が作る繭に色を付ける研究で、着色料を含んだ人工飼料で蚕を育て、効率的に色を付ける方法に挑みました。自然界にも遺伝子組み換えでも存在しないという青い繭、絹糸作りに挑戦。人工飼料に青の色素メチレンブルーを配合するだけでは不均一な色の繭しかできなかったが、ローダミンBを配合することで、二つの色素を蚕の中で反応させることに成功し青い繭を作ることができました。受賞の詳しい模様は⇒コチラです  1月24日付けの『読売新聞』でも詳しく紹介されました。

 お父さんの福満 晋先生(益田高校)とは、以前に津和野高校の同僚だったこともあって親しくさせていただいています。松江北高の前ALTのチェルシー・ブルナーさんは、アメリカの大学院で科学の専攻だったこともあって(現在はコロンビア大学博士課程在学中)、福満さんの英文原稿をよく見てもらっていました。彼女がアメリカに帰国する際も、最後の最後まで出雲空港の出発ロビーで、原稿に手を入れてもらいました。周りの人たちは、帰国する最後の最後まで仕事をさせるひどいブラックな学校(笑)といって、見送りに来ていた人たちにかまわれたりしました。その甲斐もあって、夏の全国高等学校総合文化祭自然科学部門ポスター発表の部で、「ローダミンBの赤い繭・青い繭」で文部科学大臣賞を受賞しています。10月30日に開催された「坊ちゃん科学賞研究論文コンテスト」においても、最優秀賞を受賞しておられます。すごいですね。

▲空港ロビーでぎりぎりまで原稿に手を入れるチェルシー先生


 上の本は、「第12回高校化学グランドコンテスト」の優秀論文を掲載した『高校化学宣言PART9 高校化学グランドコンテストドキュメンタリー』(遊タイム出版、2016年)で、福満さんの「遺伝子組み換え技術を使ってできた色つき繭を超えろ!~ローダミンBの赤い繭~」は審査委員長賞を受賞しました。チェルシー先生と私への謝辞も載っていました。福満さんは、大学へ行って生物学を専攻して、研究者を目指したい、という夢を語っておられます。❤❤❤

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Once more

 英語検定の面接委員をやっていた頃に、私が発する質問がわからなくて、”Once more.”と聞き返す中・高生がずいぶんいました。もう一回言ってください」という気持ちなんでしょうが、カチンときたものです。中・高の現場の先生との練習で、分からないときにはそう言って聞くんだよ、と指導されてきたからでしょうか。しかしこれはずいぶん失礼な英語です。そのことは、pleaseをつけてもたいして変わりません。

 この表現の典型的な使い方は、教師が生徒に向かって「もう一回!」という感じです。Once more./Once again.は、繰り返し練習の時に、教師から発せられる命令言葉です。決して「もう一度おっしゃってください」という意味でありません。

 最近出たキャサリン・クラフト『日本人の9割が間違える英語表現100』(ちくま新書、2017年)によれば、Sorry?/ Excuse me./ What did you say?/ What was that again?/ Please say that again./ Could you repeat that?/ Could you say that one more time?/ Pardon?などが、普通の表現です。なお、最後のPardon?は、「ずいぶんとかしこまった古い表現のように感じられます」とのことです。❤❤❤

 

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「れんげ」のキムチ

◎週末はグルメ情報です!

 松江駅南口を右に曲がって、徒歩3分のコリアンレストラン「れんげ。いわゆる焼肉屋と言うよりは、韓国料理店です。焼き肉が美味しいお店なので、ランチや夜にみんなで来るのもいいのですが、隠れたオススメがキムチだそうです。私は先日の送別会で、「れんげ」に行くことができませんでした。行った先生方や、別の情報源からも、ここのキムチが最高に美味しいよ、と聞きました。お店の隣でキムチもお持ち帰り用に販売しているから、と教えてもらいました。キムチ大好きの私としては、これは行ってみなければいけません。

 夜も遅くなってから、のぞいてきました。お店の隣に小さなショップがあって、そこに入っていきます。誰もおられません。壁に呼び鈴があって、それを押すと隣の店舗から係の人がすぐ出てきてくれました。「キムチをください」というと、ショーウィンドーにあったキムチを包んでくれました。お値段は1080円でした。家に帰って、ご飯と一緒にいただいているんですが、確かに辛くて美味しい。いつもは、菅田のイオンで、韓国産のキムチを買っているんですが、やはり本場のものは違いますね。ずいぶん量もあるので、今はまって食べています。行きつけの病院の管理栄養士さんからは、あまりキムチは食べないようにと注意されているんですが、美味しいものは止められませんね(笑)。❤❤❤


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『L特急やくも殺人事件』

 著作数600冊までのカウントダウンが始まっている大好きな西村京太郎(にしむらきょうたろう)先生に、『L特急やくも殺人事件』という短編集があります。その表題作では、退職したばかりの警視庁の刑事が、娘を誘って、岡山県へ吉備路をめぐる旅に出かけます。古代史好きの父は吉備路を歩き、その間、娘は旅情ある倉敷を訪れることにして、「L特急やくも」の車内で待ち合わせる予定でした。ところが、父は伯備線との合流駅、総社には現れず、翌日、轢死体になって発見されます。岡山県警の事故死説に納得のいかない娘は、十津川警部に真相の究明を託します。なぜ元刑事は死ななければならなかったのか。十津川はその足取りをたどり、消えた手帳の謎を追います。タイトルは「特急やくも」となっていますが、岡山が主な舞台で、総社・備中高梁などの町で捜査が行われます。島根県は舞台として登場しません。L特急」という名称自体が懐かしいですね。元々「エル特急」という呼称自体に明確な定義がなかったことに加え、その後一部例外を除いてほぼすべての特急に自由席が設けられたり、全国的に急行が大幅に削減されて特急に編入されたり、新幹線の延伸により並行在来線の特急が廃止となるケースが増えたりする等、様々な影響により、徐々に本数の多い特急にあえてこの呼称を与える意義が薄れていきました。利用者からも「普通の特急とエル特急は料金も異なるのか?」といった疑問も寄せられ、列車種別として区別すること自体への否定的見解も多くなっていき、この呼称が廃止されるようになったんです。

 現在は、特急「やくも」として伯備線で活躍しています。振り子電車」というカーブの多い伯備線を速く走るための装置のおかげで、揺れが強烈に激しく、乗り物に弱い人たちの間では、評判のよくない電車です。先般も、熊本から松江北高に学校訪問に見えられた先生方が、「まいった!」とおっしゃっておられました。私はもう何十年も旅に出るときは、この電車にずっと乗り続けており、昨年一年だけでも30回以上乗っていますから、もう慣れて何ともありません。若い頃に、全国遠征で生徒引率をしていたときに、やくも号」の中でひどく酔った生徒が、私のズボンにゲロをはいたことがあります(笑)。まあそれぐらいに揺れる悪名高き電車なんです。「やくも」ではなくて「はくも」だと揶揄されたりもします。「カーブにさしかかった際に車体の傾きがやや遅れると、酔うようになる」とのことです。車体が傾く際に「振り遅れ」と呼ばれるわずかな時間差があり、カーブを過ぎた後も傾きが元に戻るまでの「揺り戻し」に時間差が生じるためです。そういえば、洗面所にゲロ袋」(正式には「エチケット袋」と言うんでしょうが)が設置してある特急列車も珍しいでしょうね。私は旅に出る時には、必ずこの「やくも号」に乗って松江を出発します。1号車グリーン車の1人掛け座席が私の愛用の指定席です。今年の1月4日、朝6時5分発の「やくも」に乗ったら、グリーン車は私一人、岡山に着くまでずっーと一人きり!でした。リラックスできましたね。これも珍しい体験でした。 ❤❤❤

▲これが悪名高きゲロ袋 近づいてよくよく見ると…(笑)

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リビドーの「アップル」

★エーッ、閉店なんて!!  ショック!!

 もう30年以上も前から、山陰の洋菓子グループ「リビドー」は私のお気に入りの洋菓子店です。松江には、今では一畑百貨店の地階と、裁判所隣の2店舗があります。以前は、勤務先の松江南高校の坂を下りたところにも、リビドーの店舗があり、よくここの会議室を借りて、英語科のみんなでケーキを食べながら校内模試や定期考査の問題作成検討会(!)をやっていたころを懐かしく思い出します。古き良き時代です。ちなみに、英語のlibidoはどんな意味かご存知ですか? “someone’s desire to have sex”(性的衝動)という意味で、およそケーキ屋さんとは無縁のネーミングです。いっぺん関係者に聞いてみたい店名ですね(笑)。

 私は中でも、当初からある『アップル』というケーキが大好きです。味もデザインも傑作です。これを超えるケーキにはなかなか出会いません。店名は違いましたが、大田や益田のケーキ店でもこれと同じ「アップル」を売っていましたから、おそらく同じ系列店なんでしょうね(松江を離れて大田高校に勤務を始めたとき、ケーキ屋さんでこのアップルを見つけたときの喜びを今でも覚えています)。まさに名前の通り、リンゴの色と形をしていて、中にクリームとカステラが。ついでながら、写真の隣に写っているのが、甘さ控えめのロッド』というケーキで、私はリビドーでは必ずこの二つを買っています。新しいケーキを創造する若手パティシエの育成は大切かと思いますが、昔の伝統をしっかりと守り続けていただきたいお店です。 年月とともに新しいケーキがどんどん生み出されていますが、トレンドだけに流されない本流ともいえるものが脈々と流れているのを感じるお店です。リビドーの社是にもなっている、「温故知新」の精神が織りなす結晶ともいえるケーキたちを大切にしていってもらいたいですね。

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 と、この下書きをアップしようとしていたところ、今日3月30日、一畑百貨店地階に降りていくと、何となじみだった「リビドー」のお店が跡形もなくなくなっているではないですか!「銀座コロンバン」のお店に変わってしまっていました。ポテトサラダをいつも買っている「八六亭」のなじみの店員さんに聞くと、3月26日をもって閉店されたとのこと。いつも旅先から帰ってくると、松江駅から直行してここでケーキを買って帰っていたのに…、ショックです。急なことだったようです。今日まで全然知りませんでした。「リビドー境港店」も3月いっぱいで閉店と聞きました。そんなに景気が悪そうには見えなかっただけに、ちょっと驚きでした。これからは、裁判所横の「松江店」まで買いに行かねばなりません。老舗のお店も大変なんですね。松江で一番美味しいケーキ屋さんはここだ、と八幡は思っています。❤❤❤

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「瑞風」いよいよ!

 優雅な「走るホテル」、豪華特急寝台列車「瑞風」(みずかぜ)の運行が迫ってきましたね(6月17日運行開始)。深緑色に金色のラインやエンブレムがあしらわれた、高級感あふれるカラーリングの列車です。今日、米子駅に降り立つと、構内の大きなボードに「瑞風」の絵が描かれてありました。その隣には「あと○○日」と、運行開始までのカウントダウン・電子カレンダーまでつけてありました。なんか、味のあるイラストだな~と思って、顔をよ~くよく近づけてみますと、微少な写真が1枚1枚並べられていて、それが組み合わさってモザイク写真となって、「瑞風」の全景となっているものでした。5000枚の投稿写真から成るフォトモザイクボードです。手が込んでいます!松江駅の構内にも同じ写真が飾られていましたね。上が全体写真、下がボードに近づいて見たときの細部の写真です。

 西日本旅客鉄道(JR西日本)の発表によれば、6月17日から運行する初回(6~9月出発分)の予約倍率が平均5.5倍だったそうですよ。最高倍率は6月21日出発の山陽・山陰を2泊3日で周遊するコースで、1両丸ごと貸し切りになる最高級「ザ・スイート」(2人利用で1人120万円!エーッ!)の68倍!だったそうです。いったい誰が乗るんだ??昨年12月5日から17年1月31日まで、申し込みを受け付け募集した368室に対して応募は2022件だったとのこと。運行初日の6月17日の倍率は、最も安いロイヤルツインが19倍、ザ・スイートは29倍、1人利用のロイヤルシングルは67倍だったそうですよ。瑞風」は10両編成で、大阪駅たは京都駅下関駅を山陽・山陰を経由しながら結び、沿線観光地に立ち寄ります。運行によって沿線が活性化し、経済効果が高まることが期待されます。現に松江のお隣の宍道駅では、着々と受け入れ準備が進んでいます。大好評だった九州旅客鉄道(JR九州)の豪華寝台列車「ななつ星」の初回の予約倍率は6.4倍でした。「ななつ星」は週2本運行でしたが、JR西日本の「瑞風」は週3本。高級感のある内外装が特長で、外観はグリーンの車体で金色のエンブレムを付け「ノスタルジック・モダン」のイメージで仕上げています。10両編成の両端には展望車があり、走行時は最後尾の外側にある展望デッキに出て沿線の風景を楽しむことができます。豪華な客室の中身については、『産経新聞』2017年3月24日付けに大きく報道されました。また、雑誌『鉄道ファン』5月号では、瑞風」の内装について詳細に特集が組まれていて、その豪華さにため息をつきながら読ませてもらいました。ますます乗ってみたくなりました。

 この「瑞風」(みずかぜ)で提供される料理の数々を担当されるのが、松江市・中原町「HARA」(ル・レストラン ハラ・オ ナチュレール)のオーナーシェフの原  博和(はらひろかず)さんです(下写真)。松江ではなかなか予約の取れないフレンチのお店ですが、私は長年通って仲良くさせていただいています。先日もお邪魔してきました。地元の食材にこだわり、素敵なアレンジで食べさせてもらっています。美味しかった!!八幡イチオシのフレンチ・レストランです。❤❤❤ 



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西村京太郎ミステリー紀行~十津川警部が見た風景~

 名優・渡瀬恒彦(享年72歳)さんがお亡くなりになって、緊急追悼特集として、急遽2010年に放送された番組「西村京太郎ミステリー紀行~十津川警部が見た風景」が再放送されました。とても懐かしくて、再びじっくりと観ました。これはBS-TBS開局10周年記念番組として、2010年2月28日に放送されたものです。この番組では、原作者の西村京太郎先生渡瀬恒彦さん、伊東四朗さんが初めて揃って対談しました。当初は、駅シリーズを3本取って終わりにしようという予定だったと言います。これが24年間54作品も続く人気シリーズになろうとは夢にも思いませんでした。 渡瀬さんから「伊東さん、あなた役を降りたいって言ってましたよ」という爆弾発言に対して、最初は「覚えてない!」と、とぼけられた伊東さんですが、渡瀬さんに「西鹿児島駅殺人事件」の時だと突っ込まれて、観念されたようで、トークもお上手な伊東さんが、当時のことを面白おかしく話されるのを、渡瀬さんがニコニコと、傍らで笑顔で聞かれているのが印象的でした。何でも、伊東さんは不眠不休で24時間寝台列車に揺られて撮影したにもかかわらず、終わるとすぐに、今度は渡瀬さんとのシーンが待っており、しかも、渡瀬さんが飛行機で悠々と現場にやって来られたんだそうで…それを聞かれた渡瀬さんが「ホン(脚本)がそういう設定だったから、仕方ないじゃない!」と言って、爆笑されていたのが面白かったですね。2001年に放送された「十津川警部シリーズ第24作 伊豆の海に消えた女」では、下り坂を下るトラックの先に回り込んで、車をスピンさせて停車させる、というカーアクション・シーンがあり、当初は、スタントマンにより撮影が行われていましたが、何度もフレームアウトしてしまいうまくいかない。監督と相談して、渡瀬さんが自ら運転し、そのシーンは一発撮影されています。このような、ドラマ撮影時のマル秘エピソードが満載の対談で、とても興味深く思いました(1回以前に見たはずなんですが、その多くを忘れてしまっていました。認知症か(笑)?)。また、十津川シリーズの名脇役たち4人が、ドラマの舞台となったロケ地を訪れ、第1作「札幌駅殺人事件」の舞台である札幌を古川りか、第35作「金沢加賀殺意の旅」の舞台である金沢を山村紅葉、第29作「松山道後温泉十七文字の殺人」の舞台である松山を中西良太、第19作「河津七滝殺人事件」の舞台である伊豆を堤大二郎が旅し、その舞台裏をレポートしました。亡くなった渡瀬さんの十津川警部は、何度観てもやはり味がありますね。

 このような「十津川警部シリーズ」の舞台裏については、著者の西村先生ご自身が、3冊の著書『十津川警部とたどる時刻表の旅』(角川oneテーマ21、2012年)、『十津川警部とたどるローカル線の旅』(角川oneテーマ21、2012年)、『十津川警部とたどる寝台特急の旅』(角川oneテーマ21、2013年)で語っておられますので、ファンは必読ですよ。また最近、私は『第一集 西村京太郎の鉄道ミステリー』『第二集 西村京太郎の鉄道ミステリー』(ジャパンイメージコミュニケーション、2009年)というDVDを入手しました。これは、西村作品を読んだことがない人のために、再現ドラマを構成して、緻密なトリックとミステリーの謎解きを楽しみながら、十津川警部が捜査で巡った地を散策・紹介するという、トラベルミステリーと旅番組がコラボレーションしたものです。さらには、随所で西村先生ご本人が、作品執筆時のマル秘エピソード語っておられます。マニアのファンにはまさに堪らないDVDでしたね。


 この4月初旬には、2本の最新十津川警部シリーズ作品をテレビで観ることができます。楽しみですね。❤❤❤

●4月3日(月) 月曜名作劇場 「西村京太郎サスペンス 新・十津川警部シリーズ2 伊香保温泉殺人事件」TBS系 午後8時~  ※第1作の紹介はコチラ

●4月8日(土) 土曜ワイド劇場 「西村京太郎トラベルミステリー67 箱根紅葉・登山鉄道の殺意~妻を殺害した疑惑の夫は二度死ぬ!?死後に、自分で遺言状を投函する男の謎…」テレビ朝日系 午後9時~

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追悼・渡瀬恒彦

 私が大好きだった「十津川警部」シリーズなどの、テレビドラマでも親しまれた俳優の渡瀬恒彦(わたせつねひこ)さんが、3月14日午後、多臓器不全のため東京都内の病院で死去されました。72歳でした。3月からの撮影に向けて復帰準備をしていましたが、2月中ごろ気胸を発症して入院加療。3月に入り敗血症を併発し、多臓器不全で14日午後11時18分に息を引き取りました。所属会社は、「渡瀬恒彦のファンの方々、撮影をご一緒させていただいたキャスト・スタッフの皆様から並々ならぬご声援をいただき、最期まで幸せな俳優人生を全うできましたことを心より感謝申し上げます」とコメントしました。広告会社勤務を経て東映に入社。1970年に映画「殺し屋人別帳」で主役としてデビュー後、「仁義なき戦い」など東映やくざ映画で血気盛んな若者を演じ、一躍スターとなった。78年には「事件」「皇帝のいない八月」「赤穂城断絶」で数々の映画賞を受賞し、幅広い役をこなす演技派として評価を高めました。80年代も「セーラー服と機関銃」「天城越え」「時代屋の女房」「南極物語」といったヒット作で存在感を発揮。テレビではNHK連続テレビ小説「おしん」で主人公の初恋相手を演じて話題となりました。「十津川警部」「タクシードライバーの推理日誌」といった2時間ドラマのシリーズや、連続ドラマ「おみやさん」で主演し、大きな人気を集めたのは記憶に新しいところです。2015年、胆のうに腫瘍が見つかった後も、治療を受けながら精力的に仕事を続け、4月スタートのテレビ朝日系ドラマ「警視庁捜査一課9係 season 12」にも出演予定でした。そんな矢先の出来事でした。

 24年も続いた大好きだった十津川警部シリーズの急な降板が発表され、心配していましたが、やはり病気には勝てなかったんですね。最近も、私はブログに渡瀬さんのことを書いています。⇒コチラです

 弟・渡瀬恒彦さんの死去を受け、実兄で俳優の渡 哲也さんが16日、こんなコメントを発表しました。

 「当初よりステージIV、余命1年の告知を受けておりましたので、今日の日が来る覚悟はしておりましたものの、弟を失いました、この喪失感は何とも言葉になりません。幼少期より今日に到るまでの二人の生い立や、同じ俳優として過ごした日々が思い返されその情景が断ち切れず、辛さが募るばかりです。  2017・3・16      渡哲也」

 渡さんは、「弟は私をはるかに超えた俳優になった。野球の投手に例えるなら、私はボーク気味のストレートしか投げられないけど、弟はフォーク、スライダー、カーブも投げられる」と絶賛。渡瀬さんは「僕の直球はスピードがないので、なんとかかわしながらやろうと考えていました」と、お互いの個性を尊重していました。この渡・渡瀬兄弟は、若い頃は剛腕でならしたものです。渡さんは青山学院大学空手部出身で、渡瀬さんも早稲田大学(中退)で空手部に籍を置きました。「渡さんは空手を鍛え抜いた強さだけれど、渡瀬さんはとにかくケンカが強かった。不良5,6人に囲まれて、全員速攻でたたきのめしたこともある」そうです。芸能界最強という噂もあります。「元プロ格闘家をKOした」「本物のヤクザが”アイツにはかなわない”と認めた」など様々な武勇伝が残っています。あの安岡力也、梅宮辰夫、松方弘樹も震えあがったそうです。最新の『週刊ポスト』『週刊文春』でもそのことに関して、特集が組まれていましたね。

 亡くなる前日に会ったマネージャーは「やせた様子もなく、容体は安定していた。4月スタートのテレビ朝日系連続ドラマ「警視庁捜査一課9係 Season12」の打ち合わせで撮影に復帰する意欲を見せていた」と言います。「どこのシーンをやるんだ、とシーンナンバーを聞いていたようでした」。セリフを完璧に覚え、前日の集中治療室でも、演じる事への熱意を示していたと言います。「仕事に対する意欲や情熱、責任感は十分あったので、やらせてやりたかった。やり通せなかったことは無念だったろうと思います」と、兄の渡さん。手術は行わずに、抗がん剤と放射線治療を中心に、仕事を続けながら入退院を繰り返していました。今年2月中旬、「息苦しい」と訴え、左胸に気胸を発症し入院。3月に入り敗血症を併発し、退院はかないませんでした。

 昨年11月から今年2月にかけて撮影された、テレビ朝日系「そしてだれもいなくなった」(3月25日・26日放送)が遺作となりましたね。撮影中の現場では、移動は車椅子、呼吸を安定させるために、酸素吸入器のチューブを装着していましたが、本番の時には取り外して、毅然として現場に立ちました。文字通り命を削った俳優人生の幕引きでした。このアガサ・クリステイ原作の名小説が、見事に料理された素晴らしい遺作でした。渡瀬さんの演技を観ても、病気のことなど感じさせない熱演でした。

 十津川警部シリーズでずっと亀井刑事役を演じた伊東四朗さん(79歳)は、「私よりずっと若い渡瀬さんが亡くなったことにショックを受けています。来月ドラマでご一緒するはずでした。『おはようございます』ではなく、『お帰りなさい』と言うつもりでしたのに、『さようなら』になるとは…。十津川シリーズの54本は忘れられない財産です」と述べました。24年間で撮り続けたシリーズは54本を数えます。

 ベテランになってからは、人情味と包容力のある存在感を加え、「温厚なオヤジ」という新たな魅力をまとうようになりました。「演じたい役は?」と問われると、必ず「老人と海」と答えました。老漁師がたった一人で、巨大な獲物と格闘する文豪ヘミングウェイの名作ですね。実現していれば…、と思うと切ないです。自宅でも寺院でも、ひつぎの周りには、渡瀬さんが好きだった洋ラン、オンシジウムが囲みました。ひつぎには家族の手紙、家族旅行の写真が納められました。渡瀬さんは好きな花と家族に見守られて静かに旅立ちました。

 なお、これはあまり知られていませんが、渡瀬さんは島根県能義郡安来町の生まれです。私も能義郡広瀬町の出身です。余計に親近感を覚えてしまいます。プロテニスプレーヤーの錦織 圭さんとは親戚関係とか。♠♠♠

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北海道新幹線「はやぶさ」

dsc06439 北海道新幹線「はやぶさ」といえば、昨年2016年3月26日に鳴り物入りで運行が開始され、大きく話題になりましたよね。ちょうどあれから1年が経ちました。開業時から1年間の乗客は229万2千人で、平均乗車率は32%と、当初の予想の26%を上回りました。しかしながら、観光の繁忙期の夏の乗車率が48%と高い一方で、閑散期の冬は19%と落差が大きいのが課題のようです。2年目以降が真価の問われるところですね。北海道新幹線を運行するJR北海道の在来線は、全てが赤字で、今年度連結経常利益で160億円の赤字を予想しています。北海道新幹線も、青函トンネルの維持費がかさみ、開業前から年間48億円の赤字が見込まれていました。あの同じような状態だったJR九州が、九州新幹線の開業を機に、在来線の観光列車を充実させて鉄道収入を増やした前例もありますから、ぜひ見習ってもらいたいものです。

 最高時速320km/hでの走行を実現するその流線型のボディは、まさに時代の最先端といった感じです。「常盤グリーン」と呼ばれる明るいグリーンと白のツートンカラーの車体が特徴的な車体のH5系「はやぶさ。車体中央の帯はラベンダーを思わせるパープル。また北海道を図案化したマークが目を引きます。JR東日本が環境に配慮するとの意味が込められているそうで、名前は一般公募の結果を基にして付けられました。新青森までは東北新幹線ですでに開通していますので、実際に新しく開通するのは、新青森―新函館北斗間の148㌔です。編成は東北新幹線と同じで、1号車から8号車までが普通車(658席)、9号車がグリーン車(55席)、10号車がグランクラス(18席)です。

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 「北海道新幹線」において使用する新幹線用車両は、JR東日本の協力もあり、同社のE5系をベースとしたH5系です。H5系は東北新幹線への直通運転を考慮し、10両編成の車両構成や各種設備、さらには320㎞/hで走行する性能などの基本仕様は、JR東日本のE5系と同じです。

 東京―新函館北斗間(863㌔)を4時間2分で走ります。新しく走る新青森―新函館北斗間の所要時間は1時間1分。意外に時間がかかるのは、青函トンネルを中心に、貨物列車と同じレールを使う共用区間が82㌔もあり、貨物列車が新幹線とすれ違うときに風圧で倒れないようにするため、この区間では最高時速140㌔に落とさなければならないからです。法律で決まっているので、これ以上は速度を出せないのだと聞きました。この車両H5系の最高速度は320㌔ですが、その速度で走れるのは宇都宮―盛岡間のみです。東京―大宮間は110㌔、大宮―宇都宮間は275㌔、盛岡―新青森間は260㌔と制限されています。

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 車両は「こまち・はやぶさ」の連結車です。私は一度は乗ってみたいと思っていましたので、今回は東京駅から「はやぶさ」を利用しました。鉄道に特に興味の無い人は、東京~函館間はdsc06460飛行機の方が便利かもしれません。はやぶさ」「こまち」は全席指定です。こまち」は秋田までいきますが、東京駅から盛岡までは連結して走ります。こまち」はミニ新幹線なので、2列×2列。はやぶさ」は3列×2列。すごく雰囲気が違います。仙台や盛岡くらいへ行かれる方は選んでもいいですね。2種類楽しめます(ただし、双方通行はできませんので)。内装では雪の結晶をあしらった床がオシャレでした。車内は300キロで運転しているとは思えないぐらい静かで揺れも柔らかい感じでした。これは台車が完全にカバーで覆われ、車輌との間に車体の揺れを感知して動的に揺れを低減する「フルアクティブサスペンション」が装備されている効果が大きいようですね。また、トンネルに入ったときの独特な轟音や揺れも殆ど感じられず、普通に話しても十分会話できるぐらいで、とても心地よい乗り心地でした。新幹線の車輌のなかでも特に前頭部が長いのですが、この形状がトンネル走行時の騒音や振動を抑える形なのですね。

 私が乗った新函館北斗へ向かう「はやぶさ」の中では、停車駅の自動放送、車掌より乗車に対するお礼の挨拶、列車名・停車駅ならびに到着時刻の紹介、青函トンネルの入線時刻が紹介されdsc06473ていました。また青函トンネルに入る手前にも別途「まもなく青函トンネルに入ります」というアナウンスがありました。吉岡海底駅旧竜飛海底駅の案内もありましたよ。東京から新函館北斗まで、4時間2分の旅を満喫しました。でも驚いたことに、ここから札幌まで行くのに、さらに4時間近く特急列車(スーパー北斗)に揺られることになりました。さすがに8時間以上電車の旅はきつい。やはり飛行機は便利ですね(私は基本的に飛行機は嫌いなので、大概は電車を利用するのですが、さすがに今回北海道からの帰りは、飛行機に乗りました!私にとっては事件です)。❤❤❤ 

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「森のくまさん」のカレーパン

◎週末はグルメ情報です!!

dsc09903 1日になんと1000個(!)も売れることもある、と聞きます。松江、出雲、米子の3エリアで展開する石窯べーカリー「森のくまさん」の「カレーパン」です。このお店の不動の人気No.1の王道パンです。外はカリッカリ。中はジュワッーと溢れる肉汁のうま味と豊かなスパイスの香りが評判です。パンの中には、野菜と牛肉をじっくり煮込んだマイルドなカレーがったっぷり。揚げたてが店内に出てくると、すぐに人が殺到してあっという間になくなってしまいます。買いそびれると、次に揚がるまで数十分待っていなければなりません。そのおいしさのヒミツを、少しだけご紹介してみましょう。

▲すぐ売り切れるカレーパン

▲すぐ売り切れるカレーパン

 中には大きな牛肉がゴロゴロと入っていて、具だくさんのルーがぎっしり詰まっています。スパイスがしっかり効いているので、食が進みます。おいしいカレールーの秘密はというと、手間暇かけた自家製カレールーと、玉ネギや人参などの野菜は甘みが出るまでしっかり炒め、牛肉は柔らかくなるまで煮込みます。コクを出すためにワインでしっかり煮込むのが森くま流だそうです。洋食屋で出してもおかしくない本格的なカレールーが自慢です。歯ざわりはカリカリッ! ザクッ!という食感で、噛み切るとモチモチっとしています。皮が薄いのも特徴ですね。職人が作る芸術的な薄皮を高温で一気に揚げているんですが、食感を良くするために厳選した高級油を使用して高温で一気に揚げます。薄皮を実現するために、生地づくりは職人が丁寧に作るから、生地が薄くても破れない、まさに職人技です。しっかり味付けされたルーには、ピクルスが合うんです。うすくスライスして一緒に頬張ると、ピクルスの酸味が絶妙なアクセントに。カレーライスに福神漬やらっきょうが合うように、カレーパンにピクルスもおすすめです!お店でできたてのカレーパンはまさに絶品です。

 私が行ったときの「森のくまさん」では、「いちごフェア」をやっていて、さまざまな美味しそうなイチゴパンが陳列してありました。いつ行っても狭い店内は超満員でごったがえしていますね。(⇒例外はコチラ) 今松江で一番人気のあるパン屋さんですよ。❤❤❤

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The Iris Deck

iris-deck 上の写真をご覧ください。実に鮮やかな色使いのデックですね。Christopher Taylorが製作した、本当にきれいな色合いのカード「The Iris Deck」です。このカラフルなカラー・カードを使った様々なメンタル手順が考えられるんです。

 様々な色のカラー・カードを示します。マジシャンはあらかじめ「予言」のカードをテーブルに出しておきます。そして、様々な色のカードを観客に示します。カードをよく混ぜて、裏向きに1枚ずつ出していき、観客に好きなところでストップをかけてもらいます。ストップのかかったところで、テーブルに出されたカードか、デックの上にあるカードか選択してもらいます。全く自由に1枚のカードを選んでもらったことになります。例えば、緑色」のカードを選んだとします。もちろん、前後のカードも検めますが、異なる色のカードです。最初に出した「予言」を見ると、緑色」で完璧に当たっているのです。予言的中です。上記手順に限らず、様々な予言の手順が考えられそうですね。少々お値段ははりますが、カードは上質なもので、きれいでとってもよくできた仕掛けになっています。♠♣♥♦

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「センター試験の勉強の仕方」授業

▲最高の結果を残した1Rの生徒諸君

 私は松江北高で、12年間英語を教えていますが、過去最高のセンター平均点を取ったのは、12年前に松江北高に転勤してきて、すぐさま3年生の担任を持ったときでした(私は文系早進度クラス4Rの担任)。今年の3年生はその最高点を上回る、過去最高の英語平均点をたたき出しました。国公立大学の後期試験も終わり、3年生の授業が全部なくなり、暇になった(?)ので、2週にわたり、2年生の全8クラスを回って、センター試験の「勉強の仕方」を話してきました。主な話のポイントは次の通りです。

・ABC(たり前のことをカになってちゃんとやる)の重要性=コツコツ ⇒「英語は絶対に裏切らない!」
・やりっ放しにしない   英単語の力は大きい⇒何度も反復せよ!

・分からないことを放置しない 分かるまで徹底的に究明
・それぞれの大問には「勉強の仕方」がある
・解く順番は「知識」問題→「読解」問題へ  センター試験は時間との闘い
・「発音・アクセント問題」は出る単語は決まっている  基本ルールも押さえて!
・不要文削除問題は、第1文あるいは第2文で「テーマ」が提示されるので、頭に入れて「仲間ハズレ」を探せ!
・危機感&(良い意味での)競争
・集団(組織)の力

 パワーポイントを使いながら、具体例を交えて、精一杯お話をさせていただいています。当の3年生の生徒たちに今年の好成績は、何が良かったのかアンケート調査を実施しました。次のようなことを多数の生徒が書いてくれました。それを基にして、話の内容を組み立てました。間違いなく「英語は絶対に裏切らない!」のです。

・『音読英単語』を徹底して繰り返したことが勝因
・「センター対策本」&『重要問題演習』(ラーンズ)の「ナビゲータ」で、各大問の「勉強の仕方」を押さえて演習したこと
・「過去最低」と言われる中で、いい意味での危機感・競争意識が芽生えた
・一人ではできないことでも集団ならできる 組織の力

・模試の見直しを徹底してやったこと
・過去問の演習をかなり積んだこと
・年末・年始を返上してみんなで学校に来て勉強したこと(休んだのは1月1日のみ)
・「フォロー講座」を効果的に活用したこと(今年は超満員!)
・本番当日に激励してもらったこと 八幡のハグは点数アップに効果絶大!

 それでもまだ、私が数年前に松江北高補習科で記録した、筆記平均188点、リスニング46点は、金字塔としてそびえ立っています。まだまだこの記録には及びません。ぜひ今後、この記録を抜いてもらいたいものです。後続の学年に期待しましょう。❤❤❤


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アブドラ・ザ・ブッチャー

 アブドーラ・ザ・ブッチャー(Abdullah the Butcher)のリングネームで活躍したラリー・シュリーブ(Larry Shreve、本名:Lawrence Paul Shreve)は、父親はインド人、母親はアフリカ系アメリカ人で、9人兄弟の3番目、カナダ・オンタリオ州ウィンザー出身の黒人プロレスラーです。一応、アフリカのスーダン出身というプロレス流儀の経歴になっていますが。貧しい家庭に育ち、人種差別を受ける中、そんな境遇をはね返すべくたくましく育ちました。9歳から新聞配達でお金を稼ぎ、中学卒業後は靴磨きや清掃業で生計を立てながら、12歳から始めた柔道と空手を続けました。頑丈な体と格闘技の実力を活かして、お金を稼ぐために17歳でプロレスラーになりました。当然ハングリー精神は人一倍で、前座で試合をしながら、ザ・シークなどのトップ選手の試合を見ながら、彼は一つの答えに行き着きます。「ファンの求めるのはバイオレンス。世間の常識など存在しないリングで、本物のバイオレンスを見せつける」と心に決め、空手を生かしたラフ殺法でたちまち人気ヒールとなり、デビュー3年目でリングネームを「ザ・ブッチャー」に改名するのです。日本でのニックネームは「黒い呪術師。入場テーマ曲はピンク・フロイドの「吹けよ風、呼べよ嵐」です。プロレス界を代表する悪役レスラーの一人で、来日回数は140回を超えており(1970年初来日)、歴代外国人レスラー最多です。日本のリングに登場した悪役レスラーは数えきれませんが、その中でも突出した人気を誇っていたのが、ブッチャーでした。現在では、膝が悪くて歩くのもままならず、車いす生活を余儀なくされているそうですよ。

 一目で「悪役(ヒール)」と分かる、額に深く刻まれた無数の傷跡。まん丸い体とギョロリとした大きな目。つま先は鋭く尖った凶器シューズと、ダボダボの空手着パンツを身につけ、パンツやシューズの中には五寸クギやフォークを忍ばせて、巧みにレフリーの死角をついて相手に突き刺します。黒人特有の頭の固さを生かした「頭突き」、白いバンデージでガチガチに固めた指先で相手の喉を突く「地獄突き」、助走をつけて寝転んだ相手ののど元に落とす「毒針エルボー」が必殺技です。一時、相手を担ぎ上げてそのまま後ろにそって落とす「山嵐」を使っていた時期がありましたが、これは長続きしませんでした。馬場さんが、初めてブッチャーのエルボードロップを食らった時の衝撃を「あのとき、ノドにくったエルボードロップのすごさは今でもはっきり覚えているよ」と語っていました。ブッチャーは凶器攻撃や場外乱闘だけの選手ではなく、正統派の戦いもできる実力者なんです。

 初来日の1970年に、日本との橋渡しをしたのが、グレート小鹿ですが、彼は当時のことを「まだ無名でしょっぱかったよ。目だけキョロキョロしてね。可愛い顔してたよ。日本に行きたい、といわれてもウケるかどうか心配だった。確か黒人選手のファイト・マネーで一番下のCランクだったと思うな。それがあんなビッグネームになるんだから、世の中わかんないもんだね」門馬忠雄『全日本プロレス超人伝説』(文春新書、2014年) 黒いつむじ風を思わせるスピード感あふれるファイトぶり。黒光りする肌に、空手着の白い胴衣をつけ、育ての親ザ・シークのツマ先の尖ったアラビア風のシューズをはいた出で立ちは、日本で非常に受けたんです。

 その後、ブッチャーは馬場さんの全日本プロレスを裏切り、1981年新日本プロレスに移籍します。約4年間これといった活躍を見せることもなく、1988年、7年ぶりに全日本プロレスのリングに戻ってきます。裏切られた選手を二度と使うことはなかったジャイアント馬場さんが、あのブッチャーだけは許しています。これは特筆すべきことでした。裏切り者は絶対に許さないというのが馬場さんのスタンスでしたから。全日本プロレス設立時のブッチャーの貢献を忘れていなかったためと思われます。

 ブッチャーといえば、試合中によく両手を膝に当てて前かがみになり、相手を睨みつける姿勢を取ることがありました。実にさまになっていましたね。何か獲物を狙うライオンのような鋭い眼光で、視線を送っていました。実はこれ、体力回復のための一時休憩で、それを客に悟らせないための一流テクニックでした。何せ身長180センチ、体重160キロの巨体ですから、スタミナ面では相当のハンディをしょっていたのでした。よく見せ場では流血もしていましたが、隠し持ったカミソリで自分や相手の額を切っていました。試合中の流血で、ブッチャーからC型肝炎を感染させられて、プロレスラーとしての将来を絶たれた相手レスラーから、損害賠償請求訴訟を起こされて、230万ドルの支払いを命じられたとの法廷闘争のニュースが流れたことがありましたが、いったい結末はどうなったんでしょうね。

 私がブッチャーの試合で忘れられないのは、1977年12月5日、東京蔵前国技館における「世界オープン・タッグ選手権大会」最終戦、互いに優勝のかかったザ・ファンクス対ザ・シーク&アブドラ・ザ・ブッチャー組の公式リーグ戦でした。正攻法では分の悪いブッチャーは、隠し持ったフォークでテリー・ファンクの腕をグサリと刺して激しい出血となります。シークまで凶器攻撃に加わって、テリーの腕をメッタ刺しにします。その都度苦痛にのたうち回るテリー。会場全体には悲鳴がこだまします。ドリーが何度かテリーを救出すべくリングに入るのですが、ジョー樋口レフェリーに制止されてしまい、ドリーはコーナーでタッチロープを掴みながら、必死にテリーを呼んで我慢して待ちます。テリーがブッチャーに左のパンチを放ってようやくドリーに繋ぎ、ドリーの猛攻撃が始まるのでした。その後テリーがリング下で応急手当を受けている間に、ドリーが最凶悪コンビにつかまりますが、応急処置を終えたテリーがリングに戻り、ドリーを救出するあのクライマックスに突入していくのです。いったんリング下に逃れて応急手当を受けたテリーは、右腕に包帯をしてリングにカムバックしますが、ブッチャーとシークが襲いかかります。怒ったテリーはシークの凶器を奪って必死に反撃しますが、手の自由がきかないため、思うように攻撃できず空振りが目立ちます。会場全体がファンクスに声援を送ります。最後は最凶悪コンビの反則負けで、ファンク兄弟が優勝の名誉と賞金1000万円を手にします。ドリーとテリーが抱き合い喜びを分かち合う瞬間がマックスの見せ場でした。右腕を三角巾でつるした弟をかばう兄という美しい「兄弟愛」をまざまざと見せてくれた感動的な試合でした。歴史に残る凄惨な試合でもありました。私はテレビで興奮しながら見たこの試合を、今でも鮮明に覚えています。♣♣♣

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やまもと整形外科クリニック~山本真人くん

 今年の年賀状で、松江南高校31期で担任だった教え子の山本真人(やまもとただひと)くんから、今春、開業することになりました」とメッセージが添えてありました。まだ若いのに、めでたい!彼は2010年から、松江市立病院の整形外科医を務めていました。同僚の国語科・松田龍志先生にその話をすると、「(100万ボルトの隣の)ウェルネスを通ったら、新しい山本という病院ができていたが、それだったのか!」と言われました。今日ちょうど、田和山方面へ行く便があったので、ちょっと見に行ってみました。きれいで立派な病院が出来上がっていましたよ。「4月17日(月)開院」と掲示があります。これは「患者第一号」として行かねば!と思いました。

 山本くんは、私が退職するときにも、お祝いに集まってくれました。このクラスは絆が非常に強くて、何度も集まっています。下の写真の左から二人目が山本君です。バレー部で活躍し、成績も優秀、委員長もやってくれていましたね。数年前には、松江北高のロードレースの担当医として、お世話いただきました。懐かしさのあまり、当時南高にいた先生方で集まってパチリ、記念写真を撮りました。

▲前列左から二人目が山本先生

▲一番右が山本先生、坂上先生、渡部先生、八幡、大屋先生

 山本真人くんは、高校二年生の時も担任しました。忘れられない思い出があります。記憶(大丈夫?)をたどって再現してみましょう。二年生の学園祭の展示を準備するときに、私のクラスは「エイズ」を取り上げようということになったんです。今でこそエイズに関する知識はみなさんお持ちですが、25年も前の当時はまだあまり知られていない病気だったんですね。さまざまな角度からこの病気を取り上げて、展示を準備しました。そのときの責任者が山本くんでした。女子生徒たちの中から、当時「エイズ感染を告白していたプロバスケットボール選手のスーパースターであったマジック・ジョンソンに手紙を書いて、メッセージをお願いしてみよう」ということになり、夏休みに生徒たちが英語で苦労して手紙を書き送っていたんです。なんと、ご本人から直筆のお返事が前日に届き、学校中大騒ぎになりました。学園祭展示の目玉になったのです。実は前日、ドラマがもう一つありました。この病気の実態を伝えるためにかなり過激な展示内容(ここではちょっと書けません!でも生徒たちは真摯に取り組んでいました)になっていたのを、当時の校長が「過激すぎる」とストップがかかりました。生徒たちの思いを校長には伝えましたが、理解を得られず「やめろ!」との強いお達し。生徒たちにそのことを伝えると、生徒たちは自分たちの純粋な思いを理解していない!と言って抵抗の構えを見せました。私も当時はまだ若かったんですね。夜遅くまで、何度も生徒たちと校長室との往復です。もう夜もふけています。ベテランの副担任のI先生が、仲介の労を取ってくださって、一部の展示を控えるという折衷案で落ち着きました。クラス全員でシュプレヒ・コールをあげて、教室を後にしたのを覚えています。当日は、生徒たちはせめてもの抵抗を示すために、模造紙に大きく赤いマジックで「展示不可」と書いて、展示内容を隠しました。マジック・ジョンソン効果もあって、たくさんのマスコミ(新聞社・テレビ局)が学校に押し寄せてきましたが、インタビューは責任者の山本くんがすべて対応しました。当然「展示不可」について聞いてきます。山本くんは一切そのことには答えずに、「これがすべてです」と毅然として対応しました。このことに関しては何を聞かれても一切何も答えるなという指示が、クラス全員に伝わっていたようです。当時としては画期的な「エイズ」の展示内容に、多くのマスコミが大きく報道してくれました。そのときのクラス写真が次のものです。山本くんをはじめ、このクラスからは7人の生徒が医学部に進み、立派な医者になっていますが(「八幡先生の命は僕たちが守る」と嬉しいことを言ってくれています)、高校二年生の時のこの展示への取り組みが、少なからず影響したのではと思ったりもしました。地元の山陰合同銀行は、この展示内容が優れているとして、行内の今で言うネットに展示をしてくれました。八幡の懐かしい思い出です。その山本くんが、4月から独立して整形外科医院を開業するんです。おめでとう!!おめでとう!!同窓生のみんな、病気の人も、そうでない人もみんなで行きましょうね!❤❤❤

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秋庭大輝くん

夢は叶う!コレ本当なんだね!

 今日から(三年生の授業が全部なくなり暇になったので!)、私は二年生の全クラスを回って、「センター試験の勉強法」について特別授業をしています。今年の松江北高3年生は、私が12年間在籍している中で、最も高い英語のセンター試験平均点を記録しました。どうやったら、こんな点が取れるのか?、という「勉強の仕方」を各クラスを回ってしていきたいと思っています。今日は2時間目に、トップバッターのクラスで話をして、英語研究室に帰ってきたところ、入り口の所に、卒業生の秋庭大輝(あきばだいき)くんが立っていました。卒業してから会うのは初めてです。秋庭くんは、現役生のときに生徒会長を務め、卒業式の感動的な「答辞」で、八幡をはじめ多くの先生方を号泣させた生徒です。そのことを私は当時のブログに綴っています⇒コチラです

 彼が広島大学から京都大学の大学院に合格したことは噂に聞いて知っていました(誰から聞いたかが思い出せません。認知症?が始まっています(笑))。彼は現役のときから京都大学志望一筋で頑張っていた生徒です。残念ながら、合格できずに広島大学・法学部へ進学していました。与えられた環境の中で、精一杯頑張った甲斐があって、飛び級制度を利用して(広島大学に「飛び級制度」があったことを初めて知りました。私の担任した生徒が一橋大学でやはり飛び級制度で1年早く卒業しています)、彼は京都大学の大学院に合格しました(広島大学の4年生をやらずに飛び越して京都大学・大学院に合格。広島大学は中退!)。「夢は叶うんだ!」目標であった弁護士への道に着々と近づいています。新しい生活と夢を語る彼の目は、生き生きと輝いていました。いつものように、後輩たちに、自分の体験をレポートしてくれるようにお願いしておきました。私からは彼に新しい目標(??)を授けて、別れました。期待しています。頑張って欲しいですね。この話を彼が帰ってから、同僚にしたところ、自分も会いたかったのに、という先生が何人もいました。今度来校するときには、絶対に築道先生を訪ねるように!教え子たちがこうして立派になった姿で訪ねてくれるのが、一番の喜びです。❤❤❤

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「ももたろうとまとぽんず」

◎週末はグルメ情報です!!

dsc00022 ラーンズの営業開発部エリアマネージャーの平松一郎さんが、松江北高を訪問された際に、「ももたろうとまとぽんず」をお土産に二度もくださいました。なんでも岡山県立岡山東商業高等学校の生徒さんが、岡山県産の桃太郎トマトを使って、JAびほくとコラボ、地元企業の「大黒屋」さんと共同開発されたポン酢だそうです。「美味しいので一度試してみて」と、いただきました。早速家に帰って、サラダにかけていただきましたが、これが美味しいんです。私はそこまでトマトは好きではないのですが、これは食が進みます。岡山県産桃太郎トマトを25%配合し、その甘み、旨みを活かして、大変まろやかに仕上げています。ほのかなトマトの風味と酸味を残し、サラダや冷奴などどの季節の料理にも合う一品となっています。もちろん、トマトにかけて食べてもOK!本来のぽん酢に配合する柑橘果汁のようにはトマトの風味を出すことが難しく、岡山東商業高校の生徒さんたちと試行錯誤しながら何度も試作を行い、桃太郎トマトの良い風味が最大限出るように作り上げているそうです。酸味を抑えてありますので、子供から大人まで食べやすく、トマトが苦手な方でも抵抗無く食べることができ、いろいろなメニューに使える万能調味料ですね。ホームページによれば、鍋物、冷しゃぶ、たまご焼き、冷奴、サラダ、うどん、唐揚げ、焼き魚、てんぷら、えびフライ、かきフライなどの料理に幅広く使うことができる、とあります。私はもっぱらドレッシングとして愛用しています。これ、いけますよ。「ぼっけぇ、うめぇ」 ❤❤❤

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日本銀行旧小樽支店

 北海道・小樽はかつて、にしんや石炭の積出港として栄え、海運・倉庫・金融業などあらゆる商品とお金、情報が飛び交った商都でした。鉄道や港湾の発達によって、北海道随一の商都となった小樽は、ニューヨークの金融街になぞらえ「北のウォール街」と呼ばれ、小樽の町中には今も当時の銀行建築が多数残っています。「北のウォール街」でも、ひと際目を引く館の「日本銀行旧小樽支店」の建物は、東京駅でも有名な辰野金吾さんの設計だそうです。当時の時の寵児。明治45年(1912)に完成したものです。積み上げたレンガの上にモルタルを塗った造りの2階建てで、ルネサンス様式が取り入れられています。総工費は当時の金額で40万円に上り、これは日本銀行本店と日本銀行大阪支店に次いで、3番目に高額な建設費用だったといいます。この付近には日銀はじめ、三井、三菱など財閥系の大手都銀が軒を並べていたそうですよ。小樽の繁栄、それは札幌、函館をしのいだ時期もあったそうです。その後、「北のウォール街」とも呼ばれた繁栄期も過ぎて、日銀は2002年(平成14)9月を最後に小樽支店の機能を札幌に統合。銀行として使われなくなった歴史的建造物を活かして、改築工事が行われ、金融資料館として翌年5月に開館しました。小樽はこのように、歴史を感じさせてくれる建造物がたくさんある素敵な街ですね。

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 今は、日本銀行の歴史や金融の仕組みを分かりやすく紹介する「金融資料館」となっていますね。この資料館の入場は無料です。内部は荘厳なという言葉が似つかわしい重厚な造りです。小樽最盛期の金融事情がわかります。さらには日銀券=お札の説明が詳細にあります。日本のお金は世界で一番偽造不可能だそうですが、それはホログラム、すかし、特殊発光インキにマイクロ文字その他の多くの暗号があるからだそうです。また、金庫の実物を含め、多くの興味深い展示があり無料というのはうれしい限りです。駐車場はありませんから、駅から歩くことになります。私の宿泊先の「オーセントホテル小樽」から歩いてすぐのところにあるので、私も歩いてのぞいてみようと思いました。17時まで開いているということだったので、到着したのは16時半をちょっとだけ回っていたでしょうか。係りの人が、入館は16時半までで今日はもう入れません、ということでした。残念!中に入ることは出来ませんでしたが、表側から写真だけ撮って、ホテルに戻りました。夜、食事を終えて、小樽運河を見学に行く途中、再び夜景の建物を写真に撮ってきました。美しい!❤❤❤ 

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ラーメン長さん2号店

dsc09937dsc09948 松江市・上乃木にある、私の大好きな「ラーメン長さん」の2号店が、島根大学の学園通りに2月5日オープンしました。これで、わざわざ自転車で上乃木まで行かなくても食べられるようになりましたね。早速、今夜立ち寄って、私の定番「ラーメン」ネギ大盛りで注文しました。カウンター席とテーブル席があります。火曜日が定休日だそうです。数年前に、岡山にもお店を出されたんですが、残念ながらこちらは閉店してしまいましたね。さてこの2号店はどうなるんでしょうか?ここ島根大学近辺の学園通りは、ラーメン激戦区で、このすぐ近くにも「塩や」「風々ラーメン」「かつみ」「天真爛漫」などが立ち並んでいます。

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dsc09945 やってきました。これこれ!やはりネギの量が半端ではありません。これが「長さん」の特徴です。上の写真が「ネギ大盛り」、下の写真が「普通」のラーメンです。そしてさらにトッピングに、タマネギを刻んだものを入れると、スープに甘みが出てまろやかになるんです。これも本店のサービスと一緒です。たっぷりとタマネギを添えて食べました。やはり私の好きな「をっちゃんラーメン」と同じような塩ラーメンなんですが、こちらのほうがあっさり系ですかね。ただ本店と比べて、スープのコクがちょっとまだ安定していないのかなという印象です。だんだん慣れていくのでしょうが。場所的には、島根大学のすぐそばという好立地もあり、学生たちに人気が出れば、商売繁盛間違いなしなんでしょうが…。❤❤❤

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◎週末はグルメ情報です!!

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緑の行進&ライトアップ

 松江市ゆかりの文豪・小泉八雲(こいずみやくも)が、幼少期を過ごしたアイルランドの祝日「セント・パトリックス・デイ」(3月17日、同国にキリスト教を広めた聖パトリックの命日)にちなんだ祭り「アイリッシュ・フェスティバルin Matsue 2017」が、市内中心部で開かれ、パレードが3月12日(日)、松江市内でありました。松江でも、八雲が幼少期を同国で過ごした縁で、平成19年よりフェスティバルを開催しています。市民は同国のシンボルカラーの緑色の衣装を身にまとって街を練り歩き、市が目指す2020年「東京オリンピック・パラリンピック」での、アイルランド陸上チームの事前合宿誘致に向けて機運を高めました。スタート地点の松江城二の丸下の段で、誘致活動用の動画を撮影しています。今年は日本とアイルランドの外交関係樹立60周年の記念の年で、パレードには緑色の帽子やシャツなどを着た約260人が参加しました。マーチングや同国の縦笛・ティンホイッスルやバグパイプの音色に合わせ、踊りを披露しながら、松江城からカラコロ広場前までの850メートルを練り歩きました。

  それを記念して、松江城も夜は緑色にライトアップされています。2月27日から、アイリッシュフェスティバルのイベントで、松江城がグリーンのライトに照らされて、幻想的な姿を現しているんです。残念ながら、本丸は午後5時で閉まるので、二の丸から見るといい感じですよ。夜の松江を歩いている観光客の人たちにも、「あれは何だ?!」と好評のようです。❤❤❤

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大倉山ジャンプ場

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    大倉財閥二代目総帥、ホテルオークラ」の創業者でもある大倉喜七郎男爵が札幌市に寄贈したことから、1932年の開場時に「大倉シャンツェ」と命名されたジャンプ競技場。昭和47年(1972)の冬季オリンピック札幌大会に向けた大改修の際に、「大倉山ジャンプ競技場」と名称が改められました。標高307mにあるスタート地点からは、札幌市街や石狩平野の大パノラマと、右手後方にある70m級ジャンプが開催される「宮の森ジャンプ競技場」を一望することができます。冬は辺り一面が雪で覆われた“真っ白”な景色を楽しめ、競技がない日にはスタート地点裏にある「展望ラウンジ」からジャンパーの目線を疑似体験できます。MKタクシーで観光する中、ここに連れて行ってもらいました。

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dsc06613 ここへ行くには駐車場から上がったところに、長大なエスカレーターが動いています。気が遠くなるくらいに長いエスカレーターです(右写真)。以前はエスカレータ横の階段しかなかったそうですが、歩いて上がるなど私にはとんでもありません(笑)。エスカレーターに乗って入口まで上がります。遙かかなたのジャンプ台を見上げるととんでもない高さです。こんな高いところから飛んで降りてくるんだと思うと、ゾッとしました。見晴らしの良い展望台までリフトで2,3分で行けますが、どうしますか?と問われ、高所恐怖症(!)の私は即座にお断わりしました(笑)。遠くに石狩平野、札幌市街の街並みなどの絶景が一望できるのでしょうが、もうここで十分です。近くには売店やウィンタースポーツ・ミュージアムもありました。❤❤❤

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Something from Nothing 再び

something-from-nothing-2something-from-nothing-3 私の大好きな天才クリエーター・ポール・ハラス(Paul Hallus)の、代表的なパケット・トリックに、“Something from Nothing”という作品があります。Magic Makersから出ている、お買い得な2種類のパケットが入ったうちの1作品です。彼の作るパケットはどれも絵柄がきれいで、意表をついたシナリオで見る人を惹きつけるんです。ハンドリングも極めて巧妙で、いつも感心させられています。最近は、好んでこの作品を演じています。同じ作者のもう一つのお気に入りは、「ヴァンパイア・ドーン」(Vampire Dawn)というパケットです。⇒コチラです

 Something from Nothing4枚のカードの裏と表の両面をはっきりと示します。両面とも全て真っ白なブランク・カードです。おまじないをかけると「何かが出てきます」と言います。1枚だけ裏向きにすると、真っ赤な「SOMETHING(何か)」のカードに変わります。さらにおまじないをかけて数えると「SOMETHING」のカードが2枚になります。そして3枚、最後には4枚とも真っ赤な「SOMETHING」のカードに変化してしまいます!観客は裏が怪しいのでは… きっとそう思うでしょうね。そこでおもむろに裏向きにしてみると、4枚とも裏が緑色(!)の「NOTHING(無)」のカードに変わっているのです!「裏には何もないですよ」と終わります。 本当に不思議なパケット・マジックでした。

 カウント技法(エルムズレイカウント)の格好の練習にもなるパケット・マジックです。非常にきれいな作りの高品質のカードです。私はこのマジックが大のお気に入りで、カードが痛むたびに3回も(!)購入しています(笑)。パケット・トリックには目がない八幡でした。♠♣♥♦

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小樽の「ルタオ」

 もう私が長年食べ続けている最高のチーズケーキ「ドゥーブル・フロマージュ」を作っているお店が、今日の話題、小樽「ルタオ」(LeTAO)です。職場でもずいぶん宣伝しましたので、松江北高にもファンが多くなってきました。松江でも、駅前の一畑百貨店北海道展」をやるときには、よく販売されていますね。長年の「ルタオ」ファンとしては、小樽を訪ねたら絶対に行ってみたいお店でした。

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▲小樽駅前の「エキモルタオ」にて

 寿製菓が、1996年に廃業寸前だった千歳市のチョコレート工場を買収したのが会社の始まりです。当初は千歳空港内での販売を主力と考えていましたが、当時観光地として注目を浴びていた「小樽市」に販売店舗を置く戦略に変更しました。ルタオ本店の建物を表すフランス語で「小樽の親愛なる塔」を意味する「La Tour Amitie Otaru」の頭文字を、小樽(オタル)

▲札幌大丸のルタオ

の地名に愛着を込めてアレンジ(逆さ読み)し「ルタオ」と名付けています。札幌駅に併設している「大丸」の地下にも「ルタオ」の素敵なお店があり、写真を撮っておきました。小樽駅を降りた正面にも「エキモルタオ」というホテル内のショップがありましたよ。全部で5つ(!)の本・支店が小樽の繁華街に存在しています(「ルタオ本店」、「ルタオプラス」、「ルタオパトス」、「ルタオショコラ」、「エキモルタオ」)。私は今回の小樽訪問で、これらの店舗を全部回ろうと計画を立てました(笑)。長年の夢が叶いました。

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▲これが「ルタオ本店」

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 まず向かったのはメルヘン交差点にそびえたつ「ルタオ本店です。メルヘンチックな外観が目印のこの建物。1階にはショップ、2階にはカフェが広がっています。イートイン80席の広い喫茶コーナーでした。残念ながら、すごい人気の超満員(写真下)で、30分以上は待たねばならなかったので、断念して次のお店に向かうことにしました。

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 1998年に小樽のメルヘン交差点に開店。主力のチョコレートを始め、ケーキなどの洋菓子類を取り揃えています。 中でも「ドゥーブル・フロマージュ」というチーズケーキが大ヒットし、「ルタオ」の名を全国に知らしめることになります。全国のデパートにも催事で出店しており、その味を楽しむことができるほか、通信販売にも乗り出しています。私はもう長年このチーズケーキの愛好者です。味わいの異なるチーズケーキが二層(ベイクドチーズ層・レアチーズ層)となり、口の中でとろけるようなハーモニーを奏でます。北海道だけでなく世界中から最高の素材を探し求めて、独自のレシピでケーキを作り上げています。生クリーム、小麦粉、卵は北海道産。マスカルポーネチーズは発祥地の北イタリア・ロンバルディア州産にたどり着きました。最高の口どけとミルク感を実現しています。ケーキを冷凍すると、解凍後に味が落ちるというう常識に挑戦し、3年の歳月をかけ、解凍後もなお最高の美味しさで食べることができる冷凍技術を開発しています。「ドゥーブル・フロマージュ」は、1998年のルタオ開店時から店舗販売のみの生ケーキとして販売を開始。「本州に持ち帰りたい」という消費者の声に応えるために、冷凍技術を開発した後、全国で開催されている北海道物産展での販売を機に、次第に知名度が高まり、2005年1月にテレビ番組『松紳』で紹介されたのを機に、一気に全国的な人気商品となりました。現在は通信販売などで、年間およそ300万個を販売する北海道を代表する大人気商品となっています。

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 今回の小樽訪問の大きな目的だった「ルタオ」を全部周ることができ、大満足でした。帰りの新千歳空港」のおみやげ店にも、ルタオ」の商品が並んでいました。私は「ロイヤルモンターニュ」(王家の山)という、なめらかな口どけのチョコレートをお土産にカゴに入れていました。カカオと花のようなダージリンティーの香りが絶妙にマッチした一品でした。

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on good terms with~の意味

 A is on good trms with B(AはBと仲がよい)という表現は、どの辞典にも、そしてどんな受験参考書・問題集にも取り上げられるくらい一般的なものです。高校生も上級になると、一度は目に触れる重要な熟語表現でしょう。しかし実は、その実際に意味するところはあまり分かっていないのです。生徒だけでなく、教員も、自分が高校時代に習ったことをそのまま何の疑問も抱かずに教えているケースがままあります。私はそのような表現を数多く取り上げて、各所で発表してきましたが、この熟語表現もそんな例の一つなんです。

 日本語から、この熟語の意味を”be friendly, close”というふうに思っている人が多いようです。ここで問題とすべきは、この”friendly”の質・中身・程度なんです。結論的に言うと、少なくともアメリカ英語では、決して”close”という意味ではないということです。この句は、単に「仲が悪いのではない」ということを表しているに過ぎないのであって、お互いに悪感情など持っていない、と言っているだけなのです。『ライトハウス英和辞典』(研究社)の編集委員として、私はもう20年近く前にそのことを確認しています。編集顧問のジョージア大学名誉教授アルジオ博士(John Algeo)によれば、”on good terms with former students”と言えば、今でも「連絡を取り合っている」ということだし、”on good terms with the neighbors”と言えば、会えばあいさつを交わす程度、ちょっとした助けをお願いできる、という感じだと言います。”be close with”といったような強くて、深い関係を述べる表現では決してない、ということです。そういう意味では”be cooperative and polite with”と記述しておくのが妥当かもしれません。英語も一筋縄ではいきませんね。

 辞典や参考書で、このことに踏み込んで記述したものはほとんどありませんが、尊敬する山岸勝榮先生が『スーパーアンカー英和辞典』において、次のように書いておられるのはさすがと思いました。用例も註記もこの句の実態を見事に捉えていますね。

I am on good [friendly] terms with all my neighbors. 私は近所づき合いは良好だ(▲友人や家族どうしには用いない) 

 最近、たまたま読んだ、キャサリン・A・クラフト『日本人の9割が間違える英語表現100』(ちくま新書、2017年)pp.198-199にも、そのことが出ていました。著者のクラフトさんは、日本に在住30年超のアメリカ人です。日本人の「勘違い英語」の実態や意味や解釈のズレを明らかにしている好著です。ぜひ先生方にはご一読をお薦めします。

   “on good terms”を、手もとにある英和辞典では「仲がよい」としています。たしかに「仲がよい」のですが、厳密に言うと、「互いに悪感情を持たずに、良好な関係を維持している」といったレベルの「仲がいい」のであって、「たいへん仲がいい」のではけっしてありません。
 私の頭に真っ先に浮かぶのは、次のような一文です。
◆They remained on good terms even after their divorce. (彼らは離婚したあともいい関係にある)
彼らは、別れたあとも、悪感情をもたず、良好な関係を維持している。でもだからといって、いっしょに暮らしたいかというとそうではない―といったレベルの仲なのです。
◆I’ll recommend you for the job. I’m on good terms with the owner
of the store.(その仕事がしたいのなら、推薦してあげるよ。店のオーナーとは顔見しりだから)

 先ほど、「少なくともアメリカ英語では」と言ったのは、同じく編集顧問のイギリス人イルソン博士(Robert F. Ison)は、このことに疑義を唱え、COBUILDの定義を引いて、やはり”friendly”だと言われたからです。もしかしたら、アメリカ英語とイギリス英語で、この句の表す意味の程度に差があるのかも、と思ったのですが、それ以来、この問題を詳しく追いかける時間が取れないで、放ったままになっています。♠♠♠

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ブーランジェリーミケ

◎週末はグルメ情報です!! 

 同僚から、出雲大社に美味しいパン屋さんがあって、すぐ売り切れるぐらい人気なんだそうですよ、と聞きました。「ブーランジェリーミケ」という、電鉄出雲大社駅のすぐそばにあるお店です。出雲大社の参道へ向かう神門通りには、小さな店が楽しげにちょこちょこと並んでいますね。こちらのパン屋さんは、一畑電車(通称バタ電)の出雲大社前駅からもすぐそば。大正時代の建物だったという、古い日本家屋をそのまま生かした造りで、鄙びた味わいがありますね。

dsc09946 店内にはパンがぎっしり並んでいますが、夕方前には売り切れてしまうことも多いそうです。私がお邪魔したときにも、お客さんが次々とひっきりなしに入ってきました。パンはだいたい80種くらいあり、ハード系からお惣菜系、菓子パンとさまざまです。小麦とお米由来の天然酵母を使用し、地元の食材をできるだけ多く使っています。雲南市で作られている木次乳業のパスチャライズ牛乳や、平飼いの有精卵、そしてお隣の鳥取県、大山で作られる大山バターなどなど。出雲では、斐川町で「出雲小麦」という国産小麦が作られており、ブーランジェリーミケ」では、7割のパンに契約栽培で育ったこの出雲小麦を使っているそうです。

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  店主の宇佐美高広さんは、学生時代からパンが大好きで、パン屋さんでアルバイトしていたこともあったとか。東京へ出て天然酵母パンの美味しさを知り、7年修行の後、地元へと戻ってきました。パンの香りを引き立て、旨味、甘味を存分に引き出せるよう、丁寧にじっくりと時間をかけて天然酵母を起こし、おいしいパン作りに奮闘しておられます。店内もオープンキッチンで、作っているところが良ーく見えるのも、この店のいいところ。宇佐美さんもお客さんと気軽に話をしながら、楽しく対応しておられます。パンも美味しくいただきました。評判になるのもよく分かります。❤❤❤

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Zebra Code Predicition

 アストロ・マジック最新作「Zebra Code Prediction」です。最近の2017ブラックプール・コンベンション」(Blackpool Convention)で、あっという間に完売した作品です。Astor(アストロ)さんの作るものは、手が込んでいて、それでいてすっきりしたものが多く、私は大好きでずっと集めているんです。

zebra-code-prediction 黒いゼブラ柄の透明ケースに、白い予言のカードが1枚入っています。観客の目の前で、このカードを入れたり出したりしますが、特に何も変わったところはありません。ただの縞縞模様です。白いカードをケースから引き出してテーブルの上に置き、観客にデックを半分当たりでカットしてもらいます。観客がたまたま半分にしたところの上下のカードを覚えてもらいます。「クラブの7」「ハートのJ」ですね。先ほどの白いカードをゼブラ柄の透明ケースに再び通します。すると、なんと観客が選んだカードのマークと数字(クラブの7)が、スーーッとケースに浮かび上がってくるのです。さらに、白いカードを裏返してケースに再び通すと、もう1枚のカードの数字とマーク(ハートのJ)も忽然と表れるのです。このように、ォースする枚数は1枚でも2枚でもどちらでも構いません。やり方次第で、まっすぐに表すことも、斜めに表すこともできるようになっています。非常にビジュアルで、大変簡単にできるカードの予言マジックです。益田克也さんの「WOW」ほどのインパクトはありませんでしたが、それでもかなり驚きです。さすがアストロさんの作品ですね。

 下のアストロさんご自身のデモ映像では、あまりにも見え見えのフォースを使っています。初心者向けにはこれで十分だませるでしょうが、上級者としてはもう少し工夫したいところですね。これ気に入っています。♠♣♥♦

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東京スカイツリーの秘密

 「東京スカイツリー」は、東京都墨田区業平押上地区に建った高さ634m(=むさし)の電波塔です。名称は公募によるもので、18,606件の応募の中から、6つの候補に絞り込み、全国投票を実施しました。この結果、110,419票の中で、最高得票数32,699票を獲得した「東京スカイツリー」に決定しました。次点は、「東京EDOタワー」の31,185票で、僅差の得票数でした。

 なぜこんなに高い塔が必要だったのか?都心部には200mを超える超高層ビルが林立しており、ビルの影ではテレビ電波の受信に障害が生じる場所が出てきます。電波の安定送信には、周辺の建物の2倍以上の高さから電波を送る必要があるのです。そこで影響を受けにくい高い場所からの電波送信が検討され、600m級のタワーが望まれた訳です。

 「東京スカイツリー」をじっくりと観察してみると、なんとなく傾いているようにも見えますね。しかも見る角度によってどことなく傾きの角度が変化していくような気もします。実は、これには2つの理由があります。まず一つ目。「東京スカイツリー」は上部に伸びるにつれて底面の正三角形から円形へと徐々に変化していきます。三角形の辺がだんだん丸みを帯びておむすびのような形になり、高さ300m付近でほぼ円形に変わります。そこで、見る方向によって、日本刀に見られる「そり」と、寺社仏閣や数寄屋など日本の伝統的建物の柱に見られる「むくり」の2種類のカーブが見られると言う訳です。二つ目。低層部の正三角形から円へと徐々に変化することで、見る方向により中心軸がずれて見えることです。見る角度によって、重心の位置が建物の中心に見えないことが原因です。タワー自身が傾いているわけではありませんからご安心を。

 さて、行列に並んで、ようやく出発ゲートからエレベーターに乗って「第1展望台」に上がります。上部にいくほどすぼまっていくタワーが、ここで逆方向に広がるすり鉢状のフォルムとなっていますね。ガラス面の傾斜は19度。足元の景色を見やすくしてくれています。夕方や夜の室内照明がガラス面に映り込みにくくなり、外の風景がよりクリアになるという副次効果もあります。床の一部には強化ガラスをはめこんだ、真下をのぞき込めるコーナーもありましたね。私は怖くて(高所恐怖症)下を見ることなどできません。さらにエレベータで第2展望台」に上がると、展望台の周りをスパイラル状に取り囲む「空中回廊」が待っています。到着ロビーから通路幅2.4m、約110mの距離を歩いて展望台の周りをめぐり、約5mほど高い「展望ロビー」に到着します。この「自分で歩いて登る」という演出が、デザインのミソとなっています。デザインを設計した吉野 繁さんが、 当初から「ぜひつくりたい!」と考えていたものです。 本人によると、こんなことを考えてのものだそうです。東京スカイツリーへおいでになる方は、きっと、家から電車や車でやって来て、施設内ではエレベータやエスカレータを利用します。でも、最後、いちばん高いところへ行くのは、自力で、自分の体を使って登ってもらうのが、ドラマチックかなと。」「施設内の床はどこもフラットなので、最上部の空中回廊に行くときに、体の動きに変化をつけることで、より体験として印象深くなると考えました。」 眺望を得る視覚や見た目のデザインのみならず、 体感の仕方を考慮したものでした。「第1展望台は、インテリアを深い色にして、景色がより映えるようにしていますので、そこからの眺望を楽しんでもらえると嬉しいです。」「第2展望台は、逆にインテリアを白っぽくし、外からの光や時間をより感じられるようにしており、空中を歩くかのような浮遊感や、空との一体感を楽しんでもらえると嬉しいです。」 なるほど!こういったスカイツリーのうんちくについては「東京スカイツリー うんちく50(⇒コチラです)に詳しく出ていますので、ぜひご覧になってください。

 地上から「第1展望台」を結ぶ最新鋭エレベータは、600m/分で約50秒で結んでいます(東芝エレベーター)。エレベーターのかごの中の四季のデザイン(春・夏・秋・冬)が印象的でした。第1展望台」「第2展望台」は、240m/分で所要時間約30秒で結んでいます(日立製作所)。

 実はこの「東京スカイツリー」は、島根県・吉賀町出身の澄川喜一(すみがわきいち)先生(1931年―、元東京芸術大学学長)が、安藤忠雄(あんどうただお)さんとデザイン監修されたものです。このことは島根県人でも知らない人がたくさんいて、松江北高の生徒もほとんど知りません。「東京スカイツリー」のたもとには、澄川先生の「TO THE SKY」という彫像が、天に向かってそびえ立っています(下写真)。この彫像の中に入ってスカイツリーを臨むのが一番の絶景だ、と澄川先生はおっしゃっておられます。ぜひ試してみてください。澄川先生は、とある取材で「私は、清く正しく生きている人には、天女が見えると言っているんですよ(笑)」と冗談を飛ばしておられました。一方、島根県・松江市の「島根県立美術館」の屋外にも、同美術館のオープンを記念して制作された澄川先生の「風門」という作品があります(下写真)。両者はよく似ているでしょう。空に向かってそびえ立っているとっても印象的な作品で、美術館がいっそう映えています。これは磨き上げた部分は、しめ縄につり下げられる四手(しで)であり、下半分は花崗岩を割った状態となっています。宍道湖の風を迎え入れる結界を意図されているそうですよ。澄川先生の石像の産地はほとんど山口県黒髪島の花崗岩だそうです。私はこのモニュメントが大好きで、田和山方面(今井書店センター店、ぶんぶん堂、森のくまさん、モントローネ、ウィーンの森)に出かける途中に、よく寄り道をしています。私のヒーリング・スポットですね。❤❤❤

▲澄川先生の「TO THE SKY」

▲澄川先生の「風門」

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小樽運河

dsc07173 北海道有数の観光地として人気の高い小樽、その象徴が「小樽運河」です。大正12年に完成、北海道の海運を支えた歴史ある風景を楽しむことができる、ぜひ訪れたい北海道観光のハイライトのひとつですね。異国情緒あふれる外観と、水路に沿ってレンガ造りの倉庫が立ち並ぶ景観は、まるで童話の世界にでも出てきそうな風景でとっても魅力的でした。特に夜景の美しさも際立っており、63基のガス灯の柔らかい光が街並みを照らしライトアップ、なんだか温かい気持ちになるような場所でしたね。小樽運河」は、内陸に水路を掘ったものではなく、沖合を埋め立て、陸との間にできた水路で、「埋め立て式運河」と言われています。北海道開拓の玄関口としても活用されて、多くの船が行き交い賑わっていたようです。やがて、終戦を迎え、埠頭が新たに作られるようになると、運河としての役目を終え、長い間放置されるようになります。運河は汚れ、ヘドロがたまり悪臭が発生するようになりました。昭和61年に一部埋め立てを行い、散策路や街園が整備された現在の姿へと生まれ変わりました。

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dsc07190 「小樽運河」は、JR小樽駅から緩い坂道を下って徒歩10分弱の場所にあるので、車などを利用しなくても、徒歩と公共の交通機関を使って比較的簡単に観光を楽しむことができます。JR小樽駅から緩い下り坂をまっすぐ歩いて約10分。 小樽運河の中心に位置する中央橋。クルーズ船「小樽運河クルーズ」の発着地。中央橋と隣の橋の「浅草橋」の間の運河沿いの「運河散策路」を歩いて、情緒を楽しむのが正しい歩き方です。中央橋から散策路を歩いて約4~5分。浅草橋から小樽運河をバックに写真を撮ると綺麗に撮ることができます。

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 私は昨年秋、さわやかな秋風吹く中を、「えびす屋」さんの人力車に乗って、北運河」の方へ行ってもらいました。大正時代からあるここは、幅がそれほど大きくないということもあり、作業船などの小さな船が繋がれている様子を見ることができます。風情があって、日本の古き良き風景を楽しむには、まさにうってつけの場所だと思いました。観光で訪れた方にはぜひ、埋め立てられていない北側部分(通称『北運河』)まで足を延ばしていただきたいですね」と小樽観光の達人。本来の40メートル幅の運河の姿を残す北運河には、今も現役の倉庫があり、小型船も通行しています。「南側に比べると地味な風景ですが、それがかえって港町らしい空気感を醸し出しているのです。雰囲気の良い小さなカフェが点在し、人混みを離れてのんびり散歩できるのも魅力。当たり前の風景だったかつての運河の雰囲気を感じることができます」と、達人は続けています。夜もイリュミネーションがきれいですよ、と案内をいただいたのでぜひ行ってみようと思ったんです。

 夜は食事後、「オーセントホテル小樽」から歩いて、夜の「小樽運河」を見に行ってきました。暗闇の中、幻想的な灯りの中で、ボーッと浮かんだ運河の景色は、なんとも言えない風情と趣がありましたよ。あー、札幌から足を伸ばして来てよかった。またゆっくりと来たいと思いました。❤❤❤

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高校入試問題から

 私は、今年1月22日のブログに、「極楽と地獄」と題して、仏教の教えから次のような内容を書きました。授業でもよく話す話題です。再録しておきます。

 「極楽と地獄はどう違うのですか?」という質問に対して、尊敬する京セラの名誉会長・稲盛和夫(いなもりかずお)さんが、仏教の教えを引用して各所で話しておられることを、引用することにしています。あの世には「極楽」「地獄」もありますが、見た目は両者は全く同じ世界です。違うのはそこに住んでいる人の心だけだと言います。

%e3%81%86%e3%81%a9%e3%82%93 厳しい修行に明け暮れる雲水(修行僧)にとっては、うどんは一番のごちそうです。部屋の真ん中に置いてある大きな釜に、美味しそうなうどんがぐつぐつと煮えたぎっていて、つけ汁も置いてあります。ただし食べ方のルールは決まっていて、一メートルぐらいの長い箸でその端を持って食べなければなりません。極楽も地獄もここまでは全く同じ。釜の大きさも、その釜を囲んでいる人数も一緒です。ところがそこにいる人の心だけが違っているのです。

 「地獄」では、一メートルの箸でうどんをつかむやいなや、自分のそばにあるつけ汁につけて少しでも早く食べようとするのです。ところが、箸があまりにも長すぎて自分の口には入りません。反対側からは、こいつに食われてたまるものかと、人の取ったうどんを箸で引っ張る。こうして大釜の周辺にはせっかくの美味しいうどんが飛び散って、誰もうどんを食べることはできず、うどんの取り合いという阿鼻叫喚の地獄絵図が展開するわけです。

 ところが、「極楽」には思いやりにあふれた人たちだけが住んでいます。そこでは「うどんができましたよ。みなさん、一緒に食べましょう。」―「それでは頂戴します。」と長い箸で釜の中のうどんを取ると、―「はい、あなたからどうぞ」と箸を伸ばし、つけ汁につけて向こう側の人に食べさせてあげるのです。この人は―「ああ、おいしゅうございました。今度は、あなたがどうぞ」と言ってその人にうどんを取って食べさせてあげる。うどんは少しもこぼれないし、誰もが穏やかに美味しく食べることができる。人々は手を合わせて、感謝しながら食べています。これが極楽絵図です。

 このように外見は「地獄」と何ら変わらない「極楽」ですが、「心の在り方」一つで同じことも全く違った結果をもたらすことを、このたとえ話は教えてくれています。私は今まで、こうした「利他の心」(私は”give & give”と呼んでいます)を忘れずに生きてきました。自分が幸せになりたいという気持ちはもちろんありますが、それ以上に、自分がやっていることで他の人が少しでも喜んでくれる、人のお役に立っている、感謝してもらっている、ということが実感できれば、これに勝る喜びはありません。毎日教えている生徒たちには、授業の合間に、そんな生き方もいいもんだよ、と話しています。退職するときに、たくさんの教え子たちからねぎらいや感謝の言葉をかけていただきましたが、その時に今までやってきたことが間違っていなかったことを実感しました。これからもそんな生き方をしたいと考えています。

 さて、昨日3月7日は、島根県公立高校の高校入試の日でした。私たち英語科の教員は夜遅くまで採点に明け暮れました。今年の英語の問題は、形式・題材・内容ともに随所に新しい試みが見られ、なかなか工夫されているなという印象(中学生にとっては大変だったでしょうが)でした。今日は、その中の第3問題の問3を取り上げます。

 次の英文を読んで、この話から得ることができる教訓として最も適当なものを、下のア~エの中から一つ選び、記号で答えなさい。

    Once there was a man. He went to heaven and hell. People in both places had a lot of delicious food on a big table. And they had the same rule : they had to use very long chopsticks to eat. In hell, people looked very hungry and angry. They could not get any food into their own mouth because the chopsticks were too long. Then he went to heaven. People there were enjoying delicious food. Do you know why? They were giving food to each other with their long chopsticks.

ア It’s important to learn about heaven and hell.
イ It’s important to use things you have for other people.
ウ It’s important to follow rules at any time.
エ It’s important to have meals with a lot of people. 

 まさに、上記の「極楽」と「地獄」を描いた問題です。話の概要をつかんでそこに述べられた教訓を選ぶ、というなかなか考えられた良い問題だと思いました。ただ英文中のmouthはmouthsと複数形に、最後のdelicious foodにはthe delicious foodと冠詞をつけなけれけばいけません(他の問題でも英語として?と思う箇所がありました)。英語科で話し合ったのは、正解選択肢イの内容の妥当性についてです。この話の教訓を語るのにふさわしいかどうかという点です。この話は「利他」の精神を説くものですから、お互いが助け合うことの大切さ」を読みとらなければいけません。はたして、正解のイ「自分の持っているものを他人のために使うことの大切さ」がそれにふさわしい表現かどうか、疑問が残るところです。「後置修飾」は生徒の苦手とするところですから、このような英文になったのだと想像しますが、やはり?がぬぐえません。いかがでしょうか?

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